ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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第7章の3話目です。
7章は、紅魔郷のお話になります。
全5話になる予定です。


最初の友達、忘れられない記憶

 迫りくる妖精が一斉に動きを止めた。

 取り囲むように接近していた妖精が、時間が止まったかのように動かなくなった。

 その停止に合わせて、僕たちの動きも止まっていた。

 

 

「動きが止まった……」

 

「一体……何があったというのですか?」

 

 

 驚いた様子で回りの様子を伺う。時間は止まってはいない。声が通っていることはもちろん、視線が動いていることからもそれは理解できる。

 何があった?

 何がこの状況を作った?

 現状を把握しようと視界が縦横無尽に駆け回る。上下左右に振られて情報収集に走り回る。

 

 

「…………」

 

 

 その中で―――視界に入った情報で一番気になったのは、緑の妖精の表情だった。現状で一番驚いた顔をしていた。状況を理解できないというような顔で、まさかというような表情をしている。

 目の前に広がる光景が信じられないのだろうか。

 先ほどの叫びの直後に妖精が停止したことを考えると、今の状況を作り出したのは目の前にいる緑の妖精である。

 あの一言が―――あの声が妖精たちを止めたのだ。

 

 

「もしかして君が?」

 

「分かりません……こんなこと初めてで」

 

 

 困った顔でこちらを見つめてくる。そんな顔をされても応えられる答えを持っていない僕に言えることは何もなかった。

 なんで、どうして―――そんな質問に答えられるだけの材料がなかった。

 だって、僕は緑の妖精のことを何も知らないのだから。何も―――名前だって知らないのだ。

 それに、理由なんて実はないかもしれない。たまたまそうなったという可能性だってある。偶然が重なっただけかもしれない。

 だけど、そんな不確定な中で確かなことが一つだけあった。誰が見ても分かることが一つだけあった。

 それは、今やるべき最優先事項が妖精が止まった原因を探ることではなく、傷ついた青の妖精を手当てだということである。

 

 

「とにかく、今のうちに治療を終わらせよう。怪我を治しておけば直に目が覚めるはずだよ」

 

「和友さん、止めておいた方がいいのではないですか。霊力の総量を考えても……こんなところで時間をかけて力を浪費するべきじゃないような気がします」

 

「いいんだよ。無駄足も旅の楽しみっていうじゃないか。僕たちは何も異変の解決をするためにここまで出てきたんじゃないしさ」

 

「…………」

 

「でも、言ってくれてありがとう。なくなったら元も子もないし、気を付けるね」

 

「はい……」

 

 

 青の妖精の治療をすることが最優先であると誰の目から見ても明らかなんていったが、椛にとってはそうではなかったようである。

 心配する気持ちも分かる。霊力を使えない椛には治療することができないし、霊力の総量が少ない僕にとってここでの消費は死活問題になる可能性がある。だから、霊力の枯渇を懸念をする気持ちも分からなくもなかった。

 だが、それは霊力を相当使用するだけの目的があった場合の話だ。ただぶらぶら外の様子を見に来た僕たちにとっては、飛べるだけの霊力が残っていればいい。この赤い霧の影響を受けない程度に保護するための霊力の残量があれば、それで十分だった。

 先ほど治療を行った時のように霊力を流し込む。しばらく治療に専念すると、青髪の妖精の姿からは傷ついているところが確認できなくなった。

 

 

「さて、これで終わりだ」

 

 

 これで僕ができることは全部だ。僕にできることは外傷を消すことだけ。失われた意識まで戻すことはできない。

 真実を告げれば―――意識ごと探し出すこともできなくはないが後の影響が怖い。

 意識を探るというのは心に触れる所業である。心と心を近づける行為である。

 心に触れるようなことをしたらどうなるのか。

 妖精という我の強い生き物がどうなるのか。

 ―――想像できないわけがなかった。過去の実績がそれを如実に物語っていた。あの時の妖精のようになってしまうのが目に見えていた。

 

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして。役に立てて嬉しいよ」

 

「……どういたしまして」

 

 

 お礼を言ってくる緑の妖精に笑顔を浮かべる。若干不機嫌な椛の表情が気になったが、妖精はとても嬉しそうだった。かつて見た顔と同じような笑顔を浮かべていた。

 あの妖精と同じような―――僕と同じような笑顔を浮かべていた。

 ここまで喜んでくれると、やった甲斐があるというか、やるべきことが成せたという充実感がある。満足感が心を支配する。嬉しそうな妖精の顔が何よりも嬉しかった。

 あの時に別れてしまった妖精とまた再会できたようで―――嬉しかった。

 

 

「それだけ、その子が大事なんだね」

 

「はい、私の初めての友達です」

 

 

 緑の妖精は大事なものを抱えるように青色の妖精を抱きしめる。

 ―――初めての友達か。

 思えば、僕の幻想郷での最初の友達も妖精だったのかもしれない。

 あの時一緒に空を飛んで、楽しそうに笑った妖精が最初の友達だったのかもしれない。

 緑の妖精にとって初めての友達―――青の妖精はよほど大事な存在なのだろう。

 初めての友達を殺してしまった僕と違って。

 それこそ、命よりも大事なのだろう。

 蘇ることを善しとしないほどに―――生き返ることを分かっていても認められないほどに大事なのだ。

 だが、そのとりあえず守った命の安全は保障されていない。ここは今も危険地帯のままである。

 このままここにいれば、どうなるか分からない。またしても襲われて傷ついてしまうかもしれない。妖精同士で共食いは起こらないだろうが、霊夢のような人間に撃ち落されてしまえば同じ軌跡を辿ることだろう。

 同じ轍を二度踏んではいけない。すぐにでも移動をしなければ―――安全な場所を探さなければならなかった。

 

 

「でも、このままここにいるとまた襲われるかもしれないし、どこか安全な場所を探した方がいいんじゃないかな?」

 

「あるのでしょうか、そんな場所……」

 

 

 不安そうに告げられた言葉に思考を巡らせる。

 赤い霧は、もはや幻想郷全土を覆うくらいに広がっている。椛の目で見渡しても途切れているところが見当たらないほどに拡散している。

 そもそも、安全な場所―――そんなものどこにもないから僕たちは外に出てきたのだ。

 どこにもないから、留まる理由がないから―――外に出たのだ。

 

 

「……ないかもね。この異変が終わるまではどこも安全とは言い難いか。霊夢が異変を解決するまでは、今の幻想郷に安全な場所なんてないかもしれないね」

 

「……私、あの人が怖いです。鬼みたいに怖かった。まるで興味がない顔しているのに、無表情で平然と攻撃してきて、背筋が凍るような視線が……怖いんです……」

 

 

 僕の口から出た霊夢という単語に―――妖精が反応した。

 恐怖の塊ともいうべき刻まれた記憶が一気に蘇ってくる。ついさっきのこと、つい数分前のことだ。頭の中に恐怖が顔を出した瞬間、妖精の顔色が悪くなった。青の妖精を抱える両手の力がさらに強くなった。

 まるで震えを止めようとするように、抱きしめる手を強く握った。

 

 

「霊夢も普段はああじゃないと思うのだけど……あれも霊夢の一面ってことだね。強すぎてつまらないからなのかもしれないけど―――それはまた今度聞けばいいか」

 

 

 今は、霊夢じゃなくて緑の妖精に聞いてみたいことがたくさんある。

 手始めに妖精が使ってみせた……そうだ、まず名前を聞いていなかった。

 さっきから頭の中に残っている、標識として立っている僕の初めての友達の面影を緑の妖精に見ていても仕方がない。

 あいつとは別ものなのだからしっかり区別してあげないと。

 僕が二人を同一視することは―――僕の初めての友達だった妖精を目の前の妖精に重ねるのは、僕の友達だった妖精にとっても、目の前の妖精にとっても、どっちにとっても悪いことだろうから。

 

 

「そうだ、名前を教えてくれないかな。僕は笹原和友、博麗神社に住んでいる人間だよ」

 

「私は、みんなから大妖精って言われています」

 

 

 ―――大妖精か。

 名前を聞いた瞬間に紅美鈴―――中国さんが脳内にちらついた。

 名前の由来を聞きたいところだが、特に理由なんてないのだろう。

 紅美鈴さんの中国という別称のように何となくつけられた、イメージからつけられた呼称なのだろう。

 この場合に意味があるのは、名前の由来よりも名前がついているということである。

 名前がついているあたり―――やっぱり他の個体と違って特別なのだろう。基本的に名前がない妖精に名前が付けられているということは、それだけ特別な力を持っているということと同義である。

 きっと力が強いのだろう。産みなおしが行われないほどに存在としての格が強いのだろう。記憶の引継ぎがあるほどに個体としての生き方をしているのだろう。さっきの妖精を止めた件を考えても特異性が感じられた。

 

 

「さっき妖精を止めた力は、元からあったものなの?」

 

「私、あんなことできると思わなくて、ただ必死に叫んだだけで……」

 

 

 力を使ったという自覚はないようだが、その特異性は僕にとって何よりも必要なもの。

 妖精を引き付ける僕にとって必要なもの。

 何よりも―――最後の最後を考えたときに絶対に必要となるスキルである。

 巻き込まないために、守るために、目的のために。

 ―――手伝ってほしい。

 本当なら自分自身で何とかすべきことだ。そう、自分で妖精を制御する方法を見つけるべきなのだが―――それが一番難しいことを僕は知っている。縦横無尽に駆け回り、理性よりも本能で動いている妖精を自由に動かすのはほぼ不可能といっても過言ではない。それだけに大妖精がしてみせた能力は喉から手が出るほどに必要な能力だった。

 ぜひとも僕の手伝いをしてほしかった。最後の最後にみんなを守る役目を担ってもらいたかった。

 だけど、それを無理強いする権利はない。特に出会ったばかりの大妖精に頼むことではない気がする。今日初めて会った大妖精に頼むのはおかしいような気がする。

 おかしいとは思うのだが、言っていて不思議に思うのだが、どうしてか大妖精とは初めて会った気が全くしなかった。

 どこかで会っているのかもしれない。

 どこかで見かけたのかもしれない。

 そんな区別されていない記憶が残っているとは思えない。

 そんな曖昧な思い出が残っているとは思えない。

 だとすると、やっぱりこの気持ちを作っているのは―――僕の初めての友達だった妖精がいたからだと思った。

 これも何かの縁だろう。もしかしたら僕の友達が結んでくれた縁かもしれない。案外大妖精なんて名前を付けたのは僕の友達の生まれ変わりなのかもしれない。

 そう思うと自然とほほが緩んだ。

 頼んでみよう―――断られたら断られただ。ものは試しである。

 

 

「もし良かったらなんだけど、大妖精がいいっていうのなら僕のお願いを聞いてほしいんだ」

 

「私にお願いですか? できることなんてほとんどありません……さっきも守ってもらいましたし……役に立つことなんて」

 

「いや、できることはあるよ。それはさっき証明されたじゃないか。大妖精にしかできないことがある。大妖精にやってほしいことがあるんだ」

 

 

 頭を下げて頼み込む。人にお願いをするときと同じ態度をとる。

 

 

「そんな! 頭を上げてください! 妖精に頭を下げる人間なんていませんよ!」

 

 

 椛が僕に向かって大声で叫ぶ。

 はたから見たら信じられない光景だったことだろう。人里の人間や妖怪から見たらあり得ない光景だっただろう。人に話しても信じてもらえないような話になるだろう。妖精に対して人間が頭を下げるなんて決してみられない構図だっただろう。

 妖精に頭を下げて頼み込む人間など、これまでいただろうか。ここまで妖精に対して真摯に頼み込む姿を見たことがあるだろうか。

 信じられないという気持ちが心を揺さぶる。なんで妖精なんかにという気持ちが沸き上がる。

 椛は、少年の姿にいてもたってもいられなかった。

 

 

「どうして妖精なんかに頭を下げているのですか!?」

 

「頼むときに頭を下げるのは当たり前だよ」

 

「相手は妖精ですよ!?」

 

「だからどうしたの?」

 

 

 僕の言葉を聞いた椛の表情が驚愕の色に染まる。

 そんなに驚くことだろうか。

 妖怪だからなんだというのだろうか。

 妖精だからなんだというのだろうか。

 そこにその者の本質は現れない。

 そんなものは、その者を表す言葉ではないのだ。

 例えば、笹原和友を構成する要素は色々ある。人間であること、理性を持っていること、知性を持っていること、負けず嫌いであること、区別ができないこと、14歳であること等、いろいろある。

 人間であるという区別は、その者を表す言葉を消していった際に最も早くに消える言葉のはずである。笹原和友とは何ですか―――その問いを受けたときに、真っ先に消えてなくなる言葉のはずである。もしも、人間という言葉が最後に残るようなら僕のことを区別できていないも同然だ。

 僕は―――人間だから笹原和友というわけではないのだから。

 

 

「妖精かどうかなんて関係ないでしょう。椛が妖怪だから椛ではないのと同じで、大妖精は別に妖精だから大妖精なんじゃないんだよ」

 

「いや、妖精だから大妖精って言われているのではないですか?」

 

「名前の由来はそうだろうけど……僕が言いたいのは、大妖精という生き物は妖精という成分でできているわけじゃないってこと。妖精じゃなくても、人間であっても、妖怪であっても、大妖精は大妖精なんだよ」

 

 

 人間だから僕なのではない。

 妖怪だから椛なのではない。

 妖精だから大妖精なのではない。

 

 

「妖精は、妖精ですよ……」

 

「椛から見たらそう見えるのかな? 妖精は妖精でしかないってことなのかな? それでも、文は烏天狗ではなくて文だろうし……妖精だけ特別なのかな。それとも―――特別な人だけが特別扱いされているのかな?」

 

「それが普通でしょう? 区別するのは、特別な特定の相手だけです。その他はその他でしかありません。ましてや妖精に頭を下げるなんて」

 

「椛は上下関係の厳しい妖怪の山でずっと生活していたから慣れないのかもしれないけど―――僕からしたら話ができる者は全員対等だから。悪人も善人も妖精も妖怪もなにもない。上も下もない、横しかないから」

 

 

 妖精も妖怪も人間も僕からすれば一緒である。立場なんて何一つ変わらない。偉くもなければ劣っているわけでもない。

 ここにいるのは、大妖精という個である。

 ここにいるのは、犬走椛という個である。

 ここにいるのは、笹原和友という個である。

 どちらかがどちらかを従えている立場ではない。

 どちらかがどちらかを師事している立場ではない。

 上を見ても何もない。下を見ても何もない。横にいる存在のはずである。対等な存在のはずである。

 だから、相手が何であるかなんてのは―――どうでもいいことなのだ。

 妖精であろうと、妖怪であろうと、人間であろうと、どっちでもいいことなのである。

 

 

「相手が誰であっても、相手が何であっても、お願いするときは頭を下げるんだよ。そうでなくとも、真面目にお願いするんだ。そのお願いが僕にとってでも大事なことだから。だから、それだけ真剣にお願いをするんだ」

 

 

 大事なのは、相手が誰であるかではない。

 大事なのは―――その願いをどの程度叶えたいのかという願望の強さだ。どれだけその願いを叶えたいかという気持ちだけだ。

 それが叶えてほしい願いだから。何よりも叶えたい願いだから。

 だから僕は頭を下げて頼んでいる。真摯に頭を下げて頼み込んでいるのだ。

 

 

「適当に言っても誰もお願いを聞いてくれない。誰も僕の願いに耳を傾けてくれない。僕は、僕にとって大事な願いだからその分だけ真剣にお願いしているんだよ。相手が誰かなんて関係ない。僕は願いを叶えたい思いの分だけ真剣に頼み込んでいるだけなんだから」

 

 

 椛の表情が僅かに歪む。

 椛にとっては難しいことなのだろうか。理解しがたいことなのだろうか。

 妖怪の山という場所で育った椛には、受け入れにくいことなのだろうか。

 妖怪の山に戻ろうとしている椛の立場から言えば、その感覚のままの方がいいのかもしれない。戻ろうとしている妖怪の山という場所を考えれば、その方が無難なのかもしれない。

 相手を種族で区分けし、格下格上を決めつける。

 格上には従順な態度をとる。

 格下には尊大な態度をとる。

 僕は、その考えを悪いなんて決めつけるつもりはなかった。

 それはそこでの伝統のようなものだ。生きていくノウハウのようなものだ。

 優しくすれば舐められてしまうから。

 下手に出れば反抗してくるから。

 逆らえば迫害されるかもしれないから。

 そういう経験から積み立てられたノウハウである。

 そこに悪いも善いもない。

 

 

「もちろん椛みたいな考え方でも何も問題ないんだよ? 特に妖怪の山に戻るんだったらきっとそのままの性格の方が戻り易いだろうし……」

 

 

 理解できなくても別に問題ないけれど。

 そのままでも別にいいのだけど。

 分かってほしいと思うのは僕のわがままだろうか。賛同してほしいとは思わないけど、理解してほしいと思うのは僕のエゴだろうか。

 

 

「だけど、ここでは少しだけ理解してもらえないかな。僕はこういう人間なんだ。椛と初めて会った時も対等の関係だったでしょう?」

 

「それは……そうなのですが、納得できません。妖精に頭を下げるなんて自分の格を下げるようなものです」

 

「納得はしなくてもいいから。そういう生き物なんだって分かってもらえればそれでいいよ。僕と椛は違う生き物なんだから無理に合わせる必要なんてないさ。こいつはこういう奴だってぐらいに思ってくれればそれでいい。僕は、格とかあんまり気にしない性質なんだ―――それだけ知っていてもらえれば」

 

「それでも、私が守ろうとしている和友さんが自分から格を落とすようなことをしているのを見るとぞわぞわしてしまって……気持ちが悪いのです」

 

「そこは、我慢してもらうしかないかな……」

 

 

 ここまで言われてしまうと、もはや本能的な話になってしまうので、理屈で理解してもらうことは難しそうである。難しいというか―――不可能である。

 見ただけで拒否したくなるような存在の良さを伝えたとしても無理なのと同じである。 

 仮にゴキブリが人間の役に立っていて非常に人間のためになる生物だとしても、本能的に嫌がるのを避けられないのと同じである。理性と本能が相反した場合には、ほぼほぼ本能が勝つことになっている。死のうとして水の中に潜ったが、息ができなくなって苦しくなると呼吸をしようと浮いてしまうのと同じである。本能的に生きたいという感情が、苦しみから逃れたいという願望が―――理性を押さえつける。

 そこまでいくと我慢してもらうしかない。

 我慢して歯を食いしばってもらうしかない。

 そう言われても―――僕は変われないのだから。

 

 

「ちょっと話がそれちゃったけど……大妖精、僕のお願いを聞いてもらえないかな?」

 

 

 

 

 今―――3人、いや4人で走っている。僕、椛、大妖精、そして名前を忘れてしまった青の妖精の4人である。

 目の前には赤い建物である紅魔館が見えている。どんどん大きくなるその姿は濃い赤い霧のベールに包まれている。

 近づけば近づくほどに大きくなる。大きくなる目的地を見ていると、心の中の感情も比例して大きくなっているのが感じ取れた。

 不安、焦り、期待、そういう気持ちが心の中で混ざり混ざって複雑な色彩を描いている。目の前は真っ赤な一色に染まっているのに―――それに対する心の景色は七色に輝いていた。

 ああ、面白くなってきた。

 ああ、楽しくなってきた。

 ああ、不安になってきた。

 ああ―――ぞわぞわする。背筋が震えて笑みが浮かぶ。こうした期待や不安、緊張感が心にかかるとそれに比例するように楽しさが襲ってくる。

 

 

「ふふっ、面白くなってきたね」

 

「……和友さんにとって私は特別なわけじゃなかったの? 役に立てば誰でもよかったってことなの……?」

 

 

 誰にも聞こえていないと思っているのかもしれないが、椛の口から漏れた言葉は僕のの鼓膜を揺らした。

 僕の感情とは対照的に椛が面白くなさそうな顔をしている。僕と真逆の感情を抱えているのが言葉から読み取れる。

 フォローの言葉を入れた方がいいのかもしれない。

 何か慰めの言葉でもかけた方がいいのかもしれない。

 そう思ったが―――言葉を口に出そうとした瞬間に口を閉じた。

 椛の存在は自分にとって特別だろうか―――そう問いかけたとき、自信をもって特別だと言えなかったから。椛の言う特別と自分の想う特別が違っている気がしたから。僕にとっての特別とはその人を贔屓することではないのだ。同列の中で役割が違うだけで、色が違うだけで、順位は同じである。

 役に立てば誰でもよかったのという言葉については先日言った通りである。椛だから願望を伝えた。椛だから協力してほしいと告げた。尊敬する椛だからこそ、頑張り屋だった椛だからこそ、想いを伝えてくれた椛だからこそ―――伝えた。

 あの1回では伝わらなかったのかもしれない。この異変が終わったら話をしよう。僕という人間を分かってもらうための、僕の夢を理解してもらうための会話をしよう。

 

 

 そんな思いを抱えながら紅魔館へとたどり着いた。

 紅魔館の前―――門の前には中華風の服を着た赤い髪の女性が立っていた。ぼろぼろになって土がついている服からは戦闘があったことが読み取れる。きっと先ほど僕たちを追い抜いて行った霊夢の仕業だろう。霊夢とこの女性は戦闘して、そして霊夢が勝ったのだろう。

 その女性は―――紅美鈴といった。

 美鈴は、こちらの存在に気付くと視線を向けた。

 

 

「お久しぶりですね、和友さん」

 

「久しぶり、あの時以来だね」

 

「そちらは新しい仲間か何かですか?」

 

 

 美鈴の視線が後ろの二人に向けられる。

 椛と大妖精を表現する言葉としては色々あると言えばあるが、仲間―――それが一番合っている表現だろう。付き人でもないし、護衛というにも違っているような気がする。近いのが協力者、同志、仲間という表現だろう。

 

 

「そうだよ。僕の大事な仲間だ―――椛も、大妖精も」

 

「今会ったばかりの妖精と同列ですか……」

 

 

 明らかに聞こえるように言っている椛の不平を聞いた瞬間―――背筋に悪寒が走った。

 嫌な思い出が脳内で繰り返される。

 あの時―――殺してしまった子の最後の顔が想起される。

 最後に会った時に見た顔が記憶から呼び起こされる。

 涙を流し、悲しそうな、苦しそうな顔で飛び降りた―――あの子の顔が記憶から覗いてきた。

 

 

「どうして告白した私とみんなとの扱いが一緒なの……? 私、どうすればいいのか分かんないよ……」

 

 

 病気でいくつかの標識が消えたあの時も、あの子の標識だけは消せなかった。

 忘れてはいけないと思った。

 守らなければと思った。

 

 

 その子が死んで―――お葬式に行ったときの記憶は、今でも心の中に鮮明に刻まれている。

 お葬式で両手を合わせたときの感情は心の深いところに刻まれている。

 

 

「…………」

 

 

 その子が自殺した原因は分からなかった。

 公には死んだ理由は不明になっていた。

 自殺なのに遺書も何も残っていなかった。

 飛び降りたときに屋上にいた僕を誰も咎めなかった。

 自殺を止めようとしていたということになっていた。

 確かに落とそうと思っていたわけではない。

 故意に死んでしまえと思ったことはない。

 だけど―――あの場であの子を突き落としたのは他でもない僕である。

 想いを拒絶した僕の責任である。

 何が問題だったのか、何を想って死んだのか―――知っているのは僕だけだった。

 

 

「あの子のために祈ってくれてありがとう」

 

 

 その子の両親は、祈ってくれてありがとうと言ってくれた。

 その言葉は今まで聞いた言葉の中で一番重かった。

 泣くのをこらえて、口元を抑えて、涙を瞳にためて、震えた口から出てきた力強く吐き出された言葉には―――それだけの想いが込められていた。

 

 

「あの子も、みんなを天国から見守っていると思う。あの子のことを忘れないで、これからも生きていってもらえると……」

 

 

 そこまで言ったところで、堪えていた涙が頬を伝った。

 崩れまいとするその姿勢が悲しげに見えた。

 僕は、帰れば両親が待ってくれている。

 家には団らんの時が待っている。

 今日も楽しかった―――なんて思い出話をする。

 明日もいいことがあるといいね―――なんて希望を語る。

 そんな温かい家庭がある。

 

 

「あの子が生きていたことを忘れないでください」

 

 

 あの子の両親はこれから生きていかなければならないのだ。

 僕たちと同じように生きていかなければならないのだ。

 失ったものを抱えた状態で、大事なものがなくなった家で。

 

 

(僕は、何をしにここに来たのだろう……)

 

 

 満たされた家で過ごしている僕は、失ったあの子の両親に何もできなかった。

 祈っただけだ―――何もしていない。

 満たされた場所にいる自分は、このお葬式会場で何をしているのだろうか。

 何をしにお葬式に来たのだろうか。

 そんなわだかまりを抱えながら―――何も言えなかった。

 何も言い出せなかった。

 そして、1か月後にその子の家に行ったとき、その子の家がいつの間にかなくなってしまっていた。引っ越して誰もいなくなった家を見て―――僕は何も言えなくなった。

 何もできなかった自分が、何も言えなかった自分が―――嫌いになった。

 同じ想いはしたくない。椛まで死んでしまうことになったら、そう考えるだけで心が凍り付きそうだった。

 絶対に話をしよう―――心に強く刻み込む。

 忘れないように記憶に留める。

 これが終わったら、この異変が終わったら―――

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ……うん、大丈夫……」

 

 

 美鈴からの唐突な呼びかけでのめり込んでいた思考から抜け出す。

 心配されてしまった―――随分と深刻な顔をしていたのだろう。

 切り替えなきゃ―――今は異変の中心地であろう紅魔館へと入るのが先である。ここで話をしてもこじれるだけだ。もっと心に余裕があるときに、時間にゆとりがあるときにやるべきことである。

 

 

「僕より美鈴は大丈夫なの? 随分ぼろぼろに見えるけど」

 

「さっき飛んできた博麗の巫女にやられてしまいまして……弾幕ごっこも上手くなったつもりだったのですが、一瞬でしたね。本職である接近戦ならまだしも、やはり弾幕ごっこは私には合わないようです」

 

 

 先ほど僕たちを追い越した霊夢は、すでに紅魔館の中にいるとのことである。

 美鈴も霊夢には敵わなかったんだね。それも仕方がないのか、さっき上空で見た霊夢の姿を思えば―――それが当然のように思えた。

 ならば、なおさら先を急がなければ―――異変が何もしないまま終わってしまうかもしれない。

 中で何が起きているのか。

 霊夢の戦う姿はどれほどのものか。

 異変とはどういうものなのか。

 今は―――それらが分かるいい機会である。

 

 

「霊夢は先に中に入っちゃったんだね。ここ―――通してもらってもいいかな? それともまた弾幕ごっこでもする?」

 

「いえ、通っていいですよ。和友さんは通っていいとお嬢様から言われていますから」

 

「それは異変時だからってこと?」

 

「前回の件から基本的には通していいと言われています。今でも通すなとは言われておりませんから」

 

 

 初耳ではあるが、紅魔館にはあの一件から自由に出入りできるようになっているようである。通してくれるのならば、是が非でもない。

 

 

「それじゃあ、お邪魔します」

 

「はい、どうぞ」

 

 

 両足を前に向けて美鈴の前を横切る。門を抜ければ、玄関まではすぐである。扉を開けて奥へ進めば、レミリアと会った部屋まで行けるだろう。

 そして、僕に付属して椛と大妖精が門を通ろうとする。

 その瞬間―――その進行を美鈴の手が阻んだ。

 

 

「あなた方は駄目です。通すことはできません」

 

「どうしてよ。私は和友さんの護衛なのよ」

 

「そんなもの関係ありません。私が通してもいいと言われたのは、和友さんただ一人です。無理やり入ろうというのであれば実力で排除します」

 

 

 後ろで行われているやり取りに引かれるように、進行していた両足を止めて振り返る。そこには明らかに不機嫌そうな顔をした椛と、余裕そうな顔で受け流すように悠然と立っている美鈴の姿があった。

 僕の視線に気づいたのか椛が僅かに困ったような表情で笑みを浮かべる。

 

 

「……和友さん、先に行っていてもらえますか?」

 

「お言葉に甘えて行かせてもらうね」

 

 

 紅魔館の中へと向かう。その途中で後ろ向きに美鈴に言葉をかけた。

 

 

「美鈴、椛のことあんまり苛めないでね」

 

「それはご了承しかねます。どうやらこの犬は私とやる気のようですので。何も理解できていない犬にはちょうどいい躾になると思いますよ」

 

「犬、犬って―――何、私とやろうっていうの?」

 

 

 椛の鋭い視線が美鈴を射抜く。

 椛の視線を受け流すように、美鈴の表情に僅かに笑みが浮かんだ。

 

 

「そもそも、和友さんに護衛なんていらないでしょう? あの人は守られる存在ではありません。誰かを守る人です。貴方みたいな護衛対象よりも弱い存在がいてどうするのですか。守られている貴方がいて何の意味があるのでしょうか?」

 

 

 美鈴は知っている。少年と戦った美鈴は理解している。

 美鈴は、戦ったことのある少年の存在を考慮したときに―――今目の前にいる白狼天狗との関係性がいかにおかしくて間違っているのかすぐに分かった。こうしてちょっと会っただけで二人の関係性がいかに間違っているのか気づいた。

 白狼天狗の目を見ていて、白狼天狗の行動を見ていて―――侮蔑していた。

 特に門番をしている美鈴には特におかしく思えてしかたがなかった。

 美鈴は間違っても仕えているレミリアの護衛ではない―――門番である。レミリアの護衛を自分が務めるなど片腹痛い。より強い存在を守る弱者がいるだろうか。そんなもの邪魔になるだけだ。仲間ならばともかく―――護衛なんて笑ってしまう。

 少年は、確かに力は弱いのかもしれない。耐久力も低いのかもしれない。すぐに死んでしまうのかもしれない。

 だが、確実に少年は守られるべき存在ではない。少年にはどんな壁にぶつかっても前に進んでいく力がある。

 だとすれば、護衛に必要なのは何よりも投げ出さない心である。何よりも忠臣を貫く姿勢である。

 

 

「ふざけたこと言わないで! 和友さんより私の方が強いわ!!」

 

「果たしてそうでしょうか。私からすれば、貴方の方が弱く見えて仕方がありません。貴方は壁にぶつかったときにすぐに放り投げそうですから」

 

「そんなことない!!」

 

「どうでしょうか。私は貴方のことを詳しく知りませんから本当のところどうなのかは分かりません。ですが……これだけは言えます」

 

 

 護衛対象よりも先に諦める奴はいらない。護衛という任を途中で投げ出す奴はいらない。そういう奴は、障害が立ちはだかったときにすぐに放り投げる。

 

 

「もし私が和友さんの護衛だったら―――彼のしたいことを支えてあげるのが私の役目でしょうね。そして、和友さんの道を阻むものから守り通すことが護衛としてすべきことです。何もかもを捨てる覚悟で、命を賭しても彼の道を守ることです。常に側に控えて、身を挺して守ることです」

 

 

 護衛とは守る者の総称である。どんな苦境にあっても、どんな危険に曝されても、守ろうとする者―――かつての藍のような者を護衛というのである。

 常に側にいて危険から守る。

 何があっても、相手が誰であっても立ち向かう。

 そういう者を護衛というのだ。

 

 

「貴方にできますか? 妖怪の山のトップに戦いを挑むことができますか? 従属していた身を顧みず、戦うことができますか? 私にはできません。レミリアお嬢様と戦うなんて無理です。ですが―――八雲の式神である九尾はやったそうですよ。彼を守るために主に刃向かったのです」

 

 

 美鈴は門の前で見上げていた。

 主である八雲紫と戦う九尾の姿を見ていた。

 あれが、護衛としてあるべき姿である。

 

 

「貴方にはできないことです。貴方は、和友さんの護衛にはなれない」

 

「なんで言い切れるのよ!?」

 

「護衛対象を先に行かせた時点で、貴方は護衛失格だからです。護衛対象を側から離した時点で貴方は護衛でも何でもありません。自分から手放すようなやつが、護衛を名乗るなんておかしくて笑ってしまいます。貴方は―――もはや番犬ですらない」

 

 

 ―――椛はすでに護衛としての任を放棄している。

 美鈴の正論からくる反論に―――怒りのあまり椛の頭に血が上る。

 肩に背負っている大剣に手がかかる。

 それと同時に、背負っていた青色の妖精が振り落とされた。緑の妖精は、若干の恐怖をにじませながら慌てて緑の妖精が抱きかかえると距離をとる。

 

 

「あれは、通してもらえるまで待ってもらうべきだったのです」

 

 

 美鈴は、仕方がないなという表情で構えを作る。緩やかに流れるような構えを、少年と対峙した時と同じ様子で力を練る。

 そして、怒りで感情を染めている椛に向けて最後の一言を放った。

 

 

「分かっていますか? 貴方の守るものはもうここにはありません。護衛でも仲間でもない他人がここに何をしに来たのですか? ただの金魚の糞が―――ついて回っているだけの腰巾着が、見ていて目障りなんですよ」

 

 

 美鈴の言葉が空間に響いたとき―――椛の大剣が振るわれた。




大妖精が主人公についてきましたね。
そして、椛と主人公の考え方の違いが如実に表れていますね。
自分の上に立つ者がペコペコ頭を下げているのを気持ち悪く思う私としては―――堂々としていてほしい私としては、椛の意見はわからなくもありません。

みなさんはどうでしょうか?

少年の初めての友達―――妖精のこと
少年が初めて殺した―――女の子のこと。
これらが書けたことを作者として嬉しく思います。

美鈴と椛の試合。
そして、紅魔館に入った少年がどんな嵐を巻き起こすのか。
次話をお楽しみください。
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