7章は、紅魔郷のお話になります。
全5話になる予定です。
更新が遅くなったことに関してはあとがきに記載します。
「なんだか調子が出ないな」
その日の目覚めは、いつもと違っていた。
寝苦しかったからとか、誰かに抱き付かれていたからとかそんな理由ではない。絶対的なものが足りなかったのだ。朝を迎えるために必要なものがなかったのである。
具体的には―――太陽の姿が見えなかった。
「太陽は、疲れちゃったのかな」
縁側に出て空を見上げる。
視界に映るのは、赤、赤、赤の色。真っ赤な世界が空間を覆っている。
世界の色はいつから一色になったのだろうか。光の三原色。色の三原色。
みんな太陽と同じように休みの期間に入ったとでもいうのだろうか。
「こんなの想像したこともなかった。太陽の存在まで曖昧になる日が来るなんて。太陽に休みがあるなんて―――僕、初めて知ったよ」
いつもだったらあるはずの太陽が見えてこない。目を凝らしても、じっと見つめても、何処にあるのかぼんやりと分かる程度でその姿が隠されている。
太陽まで曖昧になる日が来るなんて。誰がそんな日が来ることを予測するだろう。毎日姿を現すと思っていた太陽が隠れてしまった。自己意識の激しい太陽が後ろに隠れている。
自分の五感がおかしいと感じている。
「おかしいな。絶対に普通じゃないよね」
普通ではないと感じるのは何も光や色が足りないことだけではない。活発に空を動き回っている妖精の存在も異常を感じる一つの要因になっていた。その原因は明白で―――間違いなく目に見えている赤色の霧に間違いなかった。
「太陽はいつから休暇に入ったんだろうね。夏休みは一番の仕事場のはずなんだけど、やる気がないのかな」
「休んでいるというか、邪魔されているという感じですね。というか、そもそも太陽に休みなんてありませんよ?」
「現に休んでいるけどね。太陽に休みがないなんて誰かが決めたわけでもないんだから、文句は言えないんだけどさ。それでも、あらかじめ休むって伝えて欲しいよね」
いつの間にか隣にいた椛が僕の言葉に反応してくれた。
太陽に休みがないなんて言葉を全面的に肯定するつもりはないけど、椛の意見も分からなくもなかった。
普通の人だったらそう思うのだろう。それで違和感なく飲み込めるのだろう。
だけど、僕からすれば疑問である。太陽に休みがないなんて誰が決めたことなのだろう。太陽が言ったことなのだろうか。
太陽は、ただそこにあるだけで何も話していない。勝手に僕たちが決めつけていただけじゃないか。そこにあるものだって勝手に思っていただけじゃないか。
太陽の気持ちなんて分からない。僕は太陽に会ったこともないし、話をしたこともない。そこに何があって何をしているのかもよく知らない。
だから、何があっても別に文句を言うことができないのは理解しているつもりだ。明日急に太陽が死んでも文句なんていうつもりはこれっぽっちもない。
そもそも太陽が無くなったら誰に文句を言うのか。
太陽の都合も考えずに文句を言うことだけはしたくなかった。
太陽が死んだら―――僕は、ただ太陽のことを忘れずに死んでいくだけだ。
「休みがもらえない太陽は元気がないのに、妖精はなんだか元気いっぱいだね」
「元気いっぱいというか、力にあてられている感じですね。むしろ弱っているんじゃないですか?」
「弱っている、ね」
弱っている―――か。動きはいつもより活発なのに弱っているって、病気みたいなものなのかな。それもこれも太陽が姿を現さないせいだろう。その絶対的な不変の事実が、前提条件が崩れたせいだろう。
昇って来るのが当然だと勝手に思ってしまっていた。そういう当たり前が崩れてひ弱になっているんだ。心が足りないものを求めている。本当に大事なものが、大切なものが何なのか、心が回答している。
僕の心だって同じように訴えている。そう思うと、心なしか僕の体調も悪くなっている気がした。
僕にとっての太陽も、きっと大切なものの一つなんだ。
僕の大事なものの一つ―――そう思った。
「それにしてもこの空気、嫌な感じがするね。息を吸っているだけなのに体に悪いのが分かるっていうだけでも相当な気がするよ」
「外に出ない方が賢明かもしれません。この赤い霧の影響が及ばないところに行った方がいいかと思います」
「そんなところないんじゃないかな? 見渡す限り真っ赤だし……適当に歩き回って見つけたらラッキーぐらいで考えたほうが時間を有意義に使えそうな気がするけど」
「確かに……私の視界が届く範囲では見当たりませんね」
そうなると、いろいろ準備をしないといけない。この調子だと永遠亭まで行くのも厳しいだろう。健康被害にあうこともそうだが、何より妖精たちの動きが活発なのが致命傷になっている。
動かないことを決めるのなら早い方がいいだろう。今から食料をかき集めるのはちょっと厳しいから、現状であるものでやっていくしかないけど、今ある分だけでも3日分は十分にある。
だけど、永遠亭には行かなければならなかった。毎日行っていた場所というのもあるし、日課だというのももちろん理由としてある。そして、それ以上にこんな気分の悪くなる赤い霧が舞っている世界で体調を崩している人がいるかもしれないし、僕ができることがあるかもしれないからだ。
僕は、そんな思いを抱えながら、さっそく動き出そうと一歩目を踏み出した。
「来てくれたところ申し訳ないのだけど、この霧が収まるまでここには来なくていいわ」
永遠亭に頑張って行った僕を迎えた言葉は、余りにも辛らつな言葉だった。顔を見合わせた瞬間に、なんで来たのと言わんばかりの表情をされ、今の言葉が飛んできた。
「何を不思議な顔をしているのよ。今ここに来ても仕事なんてないわよ。誰もここまで来たりしないわ」
「今、人里では外に出ないようにと厳戒態勢が敷かれています。おそらく、上白沢さんが出したのだと思いますけど……そうなると永遠亭にまで来る人はいません。安心して博麗神社へ帰ってください」
永琳と鈴仙―――二人にそう言われてしまっては立つ瀬がなかった。仕事がなかったら僕としても役に立ってないのに給料を貰うっていう気分の悪い形になってしまうので、そこを考慮されての結果ともいえる。
せっかくやってきたのに―――なんて文句を言うまい。彼女たちには彼女たちの都合がある。ただただ、そういう巡り合わせだっただけである。
「それでは霧が晴れたらまた会いましょう。その時は太陽も一緒に」
僕は、そんな言葉を永遠亭の二人に言い残して博麗神社へと帰還した。空を飛ぶことなく地上を走り、道中の妖精の対処に追われながら博麗神社へと―――今の僕たちの家に戻った。
「それじゃあ和友さん、今からどうしましょうか?」
「うーん、こうして急に時間ができると何やればいいか分からなくなるね。もともと仕事をやっていた時間だと考えると、午後にやっていることを前倒しにしても時間が空くだけだし……」
「そうですね。いつもやっていることを前に持ってきても後ろが開いてしまいます」
「空いた時間を埋めるには、新しいことをやり始めればいいんだけど」
僕の時間に空間がぽっかりと空いた。無理に埋める必要は別にないけど、埋まらないと少しもったいない気がする。
時間は有限である。特に死というゴールが差し迫っている今の状況では、こうした何もしていない時間が酷くもったいない気がして仕方がなかった。
自分に問いかけてみる。
Q. 何かやりたいことはあるか。
A. いっぱいあります
それが僕の答えだ。
やりたいことならいっぱいある。いっぱいありすぎて何をしたらいいのかが分からないのだ。
こういう場合は、椛と意見を交わしあうべきだ。お互いに意見を出しあってすり合わせる、もしくはどちらかの意見を採用するという形にするのがいいだろう。これからやる新しいことは椛も一緒にやることなのだからその方が後腐れなく新しいことができる。納得して新しいことを始められる。
僕は、真っすぐに椛に質問を飛ばした。
「椛は何かしたいことある?」
「わ、私ですか。私は、和友さんと一緒に何かができれば何でも……」
「結局やりたいことは特にはないってことなんだね」
椛の意見では一緒にできることなら何でもいいと言っているのと同じだ。それだと具体的な何かをやるという話には一向に繋がらない。
何でもいいよというのは、選択肢を曖昧にしているだけで―――意見を言っているようで言っていないのと同じである。
それが悪いわけではないけれども、こうして何かを決めようというときにそれを言われると考えることを放棄されているように感じてしまう。椛の場合は本当にそれでいいと思っているあたりが―――僕としては何とも言えないところだ。
「和友さんは何かやりたいこと、ありますか?」
「あるよ、いっぱいある。いっぱいありすぎて悩んでる。どれにしようか迷ってる」
では、なにをしようか。いつもやっていることだと面白味が無いし、どうしようか。
いつものように覚える作業をしてもいいし、霊力増強の修行でもいいし、弾幕ごっこの練習でもいいんだけど、それらはどうせ午後からやることになっている。
「今しかできないことをしたいよね。今だからこそできること」
せっかくなんだし今しかできないことをやりたいな。仕事が無くなったからできた暇な時間だからこそできること。
今しかできないことを―――
「うん、だったら外に出て、外の様子を見に行きたいんだけどいいかな?」
「本気ですか? 和友さんには辛いと思います。病気の悪化に繋がりかねませんし、止めておいた方がいいんじゃないですか?」
「僕の病気は心の病気―――体の病気じゃないよ。それに霊力を纏っていればある程度防げることはさっき永遠亭に行ったときに分かっているし、何よりも今しかできないことをやりたいから」
そう、今しかできないことがある。
今だからできることがある。
こんなふうに太陽が出ていなくて。
赤い霧が充満している今だからこそできることがある。
「赤い霧が覆っている幻想郷を練り歩く。見渡してみる―――きっといい思い出になると思わない?」
僕の提案は受理された。納得いかない様子ではあったが、特に拒否する理由も見つからないようで押し通す形で了承された。
現在お出かけの準備中である。
外で食べるということはできないだろうし、簡単にお弁当を作って外で食べよう。おにぎりとかでいいよね。気分が悪いところでそんなに食べられないだろうし、鮮度が必要になりそうなものはもしかしたら腐っちゃうかもしれないから作らないほうがいいだろう。無難に塩と昆布で味付けかな。
霊夢の分は―――どうしようか。
きっと、僕が作ってなくても何か作るよね。これまでだって自分で作ってきたんだし、昼ごはんぐらい何とかなるよね。
「準備万端―――椛の準備は大丈夫かな?」
「はい。直ぐに出も出られます。和友さんは私が守りますからね」
椛を視界に収める。
いつも携えている大剣を背負い、ぼろぼろのマフラーを首に巻き、腰に包帯でぐるぐる巻きになった和傘が挿されている。
これが椛の外に出るときのスタイルである。
「お願いね。僕もできる限り頑張るから」
「大船に乗った気でいてください! 妖精なんて私から見たら赤子の手をひねるより簡単です! こんなもの朝飯前ですから!」
「うん、あんまり期待しないでおくよ。期待しすぎて重くなって沈むのだけは嫌だもんね」
「安心してください! 私の船は重い期待を背負ったところで沈むような船じゃありません!」
船って大きければ安心ってわけじゃないんだけど。
大きいことが安定だと思っていると痛い目を見る。バスがタクシーより安全なんて道理はない。バイクが自転車より安全なんて道理はない。それにはそれ相応の大きさがあるはずなのだ。小さい船だと思っていた方が過信せずに危険を察知できるだろうに。自分が大きい存在だと過大評価した時点から―――事故の確率は増大している。自分は大丈夫だからなんて考えが交通事故の原因になるのだ。
そんな軽い思考を抱えながら薄く赤く染まっている空に向かって飛び立つ。向かう方向は、赤色が濃くなっている方向だ。ちょうど湖を抜けて紅魔館へと向かう道になる。
「今日の妖精はいつもと違うね。数も多いし、速さもいつもの2倍ぐらいある気がするよ」
「そんな悠長なことを! 言っている余裕は! はぁ! やぁ!」
椛が背中に背負った大きな大剣を振るい、まとわりつく妖精を掃っている。
引き寄せられる妖精の数が桁違いに多い。余りの量に椛の額に汗が浮かんでいる。息も切れ切れになりつつある。休んでいる暇がなく、常に動き続けている状態になって余裕がないのだ。
今の状況を見ていると、先ほどの言葉がとんでもなく薄く思えてしまう。やはりこういう言葉は実績ができてから言うべきなのだ。できるかどうかなんて、やってみないとわからないのだから。
反省したほうがいい。椛は一度自分を顧みたほうがいい。
それは何も恥ずかしいことではない。
無知の知を知る。自分が劣っていることを知ることは何も恥じるべきことではないのだ。
実力を知り、できることを知り、できないことを知る。
そして、それを変えていける未来を創っていけばいい。
今はできないけど―――できる自分を創っていけばいい。
「言っているそばから無理がたかってきたね。赤子の手をひねるより簡単とか、朝飯前とか―――後なんて言っていたっけ?」
煽るような言葉に椛の顔が紅潮する。
「やめてください! それ以上言ったら恥ずかしくて戦えません!」
「……大変そうだし、地面に降りて進もうか? その方が速く進めるし、妖精も振り払えるからさ」
「そうして! もらえると! とても助かります!!」
煽るようなことを椛に言ったが、文句を言うつもりは一切なかった。
これは、もう少し自分が早く飛べれば無視することもできたこと―――そう考えると申し訳なさの方が勝っていた。
何とかして速く飛べるようにならないと。
そう思いながら高度を下げて地面に着地する。
「はぁ、やっぱり地に足をつけていると安心するね」
地面に足がつくと安心感が心を満たす。人間は地面を歩くようにできているようで、地に足をつけている方が安心した。地に足をつけてという言葉を―――現実を見るという意味で言葉を作った理由がなんとなく分かった気がした。
地上を高速で走る。飛ぶよりもはるかに速いスピードで滑走する。空を飛ぶよりも3倍近い速度が出ていた。
「ごめんね、僕がもっと速く飛べればよかったんだけどね」
「人間で飛べるということ自体が酷く稀ですし、飛べるだけ凄いと思いますよ」
「……うん、そうだね」
やっぱり椛の考えと僕の考えは噛み合っていない気がした。
凄いか凄くないかは別にどうでもいいのだ。飛べない人間と飛べる人間で比べてどうなるのか。僕の知らない誰かと比較した言葉は別に要らなかった。
必要なのは、僕にとっての目標に足りていない事実だけだ。
みんなと同じところに立つという目標に足りていないという現実だけだ。
全然足りない。
もっと努力しなければ、もっと頑張らないと。
心の中に火を灯し、未来を想う。
それだけで、少しだけ未来を迎えるのが楽しみになった。
変えていける自分が――楽しそうにしていた。
「もっと速く飛びたいんだけどなぁ……最低でもまとわりついてくる妖精を無視することができるぐらいには」
「私が至らないのが悪いのです。私に力がなかったから和友さんに迷惑が」
「……お互い至らない点があるってことだね。今後の課題だ、一緒に頑張ろうね」
「は、はい!」
こうして話してみると、やっぱり椛と僕の考えが噛み合わないことが分かる。
仕事に対する認識は同じだったのに―――こうまで違ってくるのか。
それはそれで面白いんだけど。
それはそれで楽しいんだけど。
こういう危険が付きまとう場所では、余りない方がいい違いである。
妖怪の山では世間話がメインだったから、こうして真面目に自分の非について謝罪するという場面がなかったからかもしれない。気軽にしている会話での謝罪なんて、空気をリセットする程度の軽いものでしかないから分からなかったのかもしれない。
普段の仕事に対する価値観や普段の生活の価値観はおおよそ分かっていたけど、ここまで認識が違うとは思っていなかった。
何かが原因で―――何かの結果が出る。
その際の原因の一つに自分の責任が入り込んでいると、自分の無力さのせいで相手に迷惑が掛かっていると思ってしまう。
自分の無力さが全ての原因だと思ってしまう。
全部自分の責任だと思ってしまう。
そんな過大評価にも似た自己責任の強さがあるなんて思ってもみなかった。
どうして、お互いの非を認められないのだろうか。
どうして、相手の非を認識できないのだろうか。
いつから相手の責任にすることが悪いことになった。
いつから相手の責任を追及することが―――悪いことのような風潮ができてしまったのだろうか。
ある結果が出たとき、それに起因する原因はお互いにあるはずだろう。
ねぇ、椛―――僕たちは一緒に走っているはずでしょう。
僕だけを除け者にしないでよ。
そう思った言葉は―――口からは出なかった。
間違い、正解という境界線のない価値観の壁が僕の言葉を遮った。
「もうすぐ霧の湖にたどり着きます」
霧の湖―――妖怪の山の麓にある湖である。湖の近くには紅魔館がある。
名前の由縁は周りが昼間になると霧で包まれることからきている。何故昼間だけ霧が出やすいのかはよく分かっていない。そんな不思議な場所である。
ここまで来れば、赤い霧が最も濃い紅魔館までもうすぐである。
視界を遠くにもっていき、紅魔館がある方角を見つめる。そろそろ見えてくるだろうか。
そうして目を凝らした瞬間―――空中を縦横無尽に飛びながら鮮やかな光を放つ存在が目に入った。
「あ、霊夢だ」
「異変解決に乗り出したのでしょうか?」
「だと思うけど……こう実際に見ると凄まじいね。まるで怪獣が人間を蹂躙しているみたいだ……」
圧倒的すぎる。向かっていく妖精が次々駆逐される。札と針によって次々と落とされて地面に落下してくる。
あれが人の力なのか。紫や藍にも全く劣っていない。
すごいとは聞いていたけど、こうまで凄いとは思ってもみなかった。
「博麗の巫女ですからね」
博麗の巫女―――そこにそれだけの意味が込められているのだろうか。この空の光景を表すだけの理由が入っているのだろうか。
あんなふうに飛べたら。
あんなふうに戦えたら。
きっと追いつける。
そして、そこまでたどり着かないと霊夢に勝つことはできない。
同じ空を飛ぶことはできない。
「僕は、霊夢に勝てるのかな?」
「勝てるかなって……戦うつもりですか? 止めておいた方がいいですよ?」
「どうして?」
「怪我をしてしまいます。撃ち落されて死んでしまうかもしれません」
怪我をしてしまいます。死んでしまうかもしれません。
違うだろう―――やっぱり椛とは考え方が根本的に違うみたいだ。
怪我をするのが嫌だから挑まないなんて選択肢があるのだろうか。
怪我が嫌だったらそもそもここにきていないということになぜ気づかないのだろうか。死んでしまうのが嫌だからなんて―――僕の願いを聞いた椛ならそんなことを言わないと思っていたけど。
新しい椛の姿がどんどん明らかになる。
新しい椛の姿に知的好奇心が満たされていく。
どういう考えを持って言っているのか分からない以上、それがどういう意味で言われているのか僕に把握する術はない。心配して言ってくれているのだとしたら素直に受け止めよう。
それでも、きっと僕が選ぶ選択肢は変わらないだろう。
僕の答えはすでに決まっているのだから。
霊夢の視線が地上へと落とされる。視線が交わる。
追いついて見せるさ。だから安心して飛んでいればいい。そういう気持ちを込めて視線を送った。
「心配しなくても届くよ。見せつけて諦めるほど僕は弱くないから。見上げることを苦痛になんて思ったことないから」
「どうかされましたか?」
「いや、何でもないよ。行こうか、霊夢が妖精を打ち落としている間に」
霊夢は悠々と僕たちを追い越して飛んでいく。まるで眼中にないというように、気づいている僕たちを置いて先を行った。
しばらく進むと、木々の数が減って視界が開ける。
開けた視界の先には、妖精たちの死体が浮いている赤い霧に包まれた湖があった。
死ぬという概念がない妖精が息絶えているのを見て死んでいるなんて表現するのは間違っているのかもしれないが、ここでは死体と表現するのが正しいような気がした。
「霧の湖か―――赤い霧一色だね」
「死屍累々ですね。妖精がこうまで死んでいるのを初めてみました」
「死んでも蘇るんだけどね」
死んでも蘇る―――自分で言って違和感を覚えた。
「違う―――生まれ変わるだね」
「蘇ると生まれ変わる、違いなんてありますか?」
「全然違うよ。蘇るはそのものの再生だ。生まれ変わるは、そのものの再誕だ。過去と繋がっているか繋がっていないか。同じものか同じものじゃないか。新しくなったか古いままか。そこには明確な境界線がある」
蘇ることは―――死んだ者と繋がっているということだ。
生まれ変わることは―――死んだ者と繋がっていないということだ。
力のある妖精なら記憶を引き継げるのかもしれないが、基本的に力のない妖精は生まれ変わって新しい妖精になる。自然に取り込まれた際にこれまでの経歴を失う。
だから、僕が一緒にいた妖精はあの妖精だけのはずだ。藍が殺したあの妖精だけのはずだ。殺して生まれ変わった妖精は同じ妖精ではないはずだ。
少なくとも、これまで生きていてあの妖精と同じ生き物と会ったことはない。曖昧になりつつあった妖精の境界線を引くきっかけになったあの妖精と同じ生き物を見たことがない。
まず、言葉を話せる妖精を見かけたことがなかった。
霧の湖を見渡してみると、数十メートル先に妖精が二人うずくまっているのが見えた。動いているところを見るとまだ生きているようである。
怪我をしているのかもしれない―――助けられるかも。なんて考えが頭の中を支配し、体が心のあるがままに行動を開始した。
「まだ生きている妖精がいる。怪我をしているみたいだ」
「あ! 近づいたら危険ですよ!」
椛の静止を振り払い、怪我をしている妖精に近づく。
緑を基調とした妖精と、青を基調とした妖精。特に青色の妖精の方は、羽が氷でできているところから随分と普通の妖精とは違うことが分かった。きっと力のある妖精なのだろう。特別性を感じるその姿から力の強さが窺い知れた。
そんな似ていない二人の妖精は同じように体中に傷を負っていた。見た目では血は流れていない。跡が残っているという印象である。
そもそも、妖精に血は流れていない。死ぬときは光となって消えるだけである。
「怪我をしているの? そもそも言葉が通じるのかな? 話せる? 話せるなら言葉で答えてほしいんだけど」
言ってから気付いたが―――妖精は話せない。
話せないというと語弊があるが―――人間の言葉を話せないのだ。意味不明な妖精の言葉は聞いたことがあるが、話せるのはあれだけである。
大丈夫なのだろうか。話せなければ、ジェスチャーなんかで伝えてくれればいいんだけど、分かるかな。
だが、そんな心配も杞憂のようで妖精の口から人間の言葉が出てきた。
「私のせいでチルノちゃんが……意識が戻らなくて」
「その子のこと?」
緑の妖精は首を縦に振って応える。
視線を青色の妖精に移すと、意識が完全に飛んでいるのが分かった。微動だにしていない、呼びかけにも応じない、反応が全く見られない―――息をしているだけである。
この子を助ける―――はたしてそんなことをする必要があるのだろうか。
このまま死んでもどうせ生まれ変わる。この子の場合は生まれ変わるというより蘇るか。放っておいてもいいのではないだろうか。助けるというのは無駄な労力になるのではないのか。
そう思ったが―――緑の妖精の口から吐き出された言葉が僕の心を動かした。
「助けてあげたいの。死なせたくないの。死んでほしくないの」
「死んでも蘇るのに?」
「それでも! 死んでほしくないの!」
死んでほしくないと妖精は言った。
蘇るのに、死んでほしくないと言った。
心が叫ぶままに言葉を吐き出した。
「ここにいれば、君も死んでしまうかもしれないのに?」
妖精の手は震えていた。大事そうに両手で抱えている両手は死にそうになっている命を抱えて怯えていた。死ぬことに対して怯えていた。
だけど、その眼には恐怖が感じられなかった。
恐怖ではなく―――強い意志が宿っているようだった。
「それでも黙ってみていられないの! 私は抱えているものを捨てない!」
妖精は、傷ついた命を守るようにぎゅっと両手で抱きしめる。
どうしてだろうか―――懐かしく感じる。
どうしてだろうか―――嬉しく感じる。
どうしてだろうか―――涙が出そうになる。
理由なんて分からなかったけど。
見ていてこの妖精のために動きたくなった。
この妖精を助けたくなった。
この妖精の守るものを守りたくなった。
力のない妖精は、傷ついた妖精を助けようとしている。
傷ついた体で守ろうとしている。
「あなたが助けてくれないのなら私が助けるだけ! それなら誰も文句言わないでしょ!? 私の好きにさせてくれるでしょ!? 文句なんて誰にも言わせないんだから!」
なんだか自分自身から言われているみたいだった。
自分から言われているようだった。
文句があるなら勝って勝ち取れ。
勝負に勝って―――押し通せ。
傷つくことがなんだ。
死ぬことがなんだっていうんだ。
もっと大事なことがあるから―――戦っているんだ。
挑んで、戦って、求めているんだ。
「捨てないから! 諦めないから! 私は、絶対に―――諦めない!!」
「近づかない方がいいですよ! 襲われたらどうするのですか!?」
椛の言葉が右から左へと流される。
助けなきゃいけない。
この妖精を助けなきゃ。
僕自身を―――助けなきゃ。
戦うんだ、守るために。
「大丈夫だよ。この子は正気を保っている」
「それでもです。他の妖精のように襲ってくる可能性があります。こうしているのも演技かもしれません」
完全に椛の言葉がシャットアウトされる。
決断はすでに下った。
迷うことは何もなかった。
外界を遮断し、意識を一つにする。
「大丈夫、僕は何もしないからね。その子を介抱しようか」
「手伝ってくれるの?」
「僕ができる限りのことはするよ。まずは治療からだ。ちょっとだけ触るけどいいかな?」
「は、はい! お願いします!」
妖精は嬉しそうに返事を返してくる。
いい返事だ―――大事なことが何なのかよく分かっている。
今やるべきことが何なのか。
何が大事で何をするべきなのか分かっている。
目標が同じ方向を向いているのが分かる。
さぁ、行くぞ―――求めるべき未来に向かって。
妖精の瞳に映る未来と僕の見ている未来は一緒だった。
「和友さん!」
「お願い、僕のやりたいようにやらせてもらえないかな。心配してくれるのは嬉しいけど、僕なら大丈夫だから」
「チルノちゃんの意識が戻ってこないの!」
「まずは傷の治療だね」
「ああもう! 早くしてくださいよ! 私が寄ってくる妖精を振り払います!」
「お願い!」
傷の治療って僕あんまり得意じゃないけど、できないわけじゃない。
永遠亭で働いていたおかげで傷の治療には慣れている。
両手を妖精に当ててゆっくりと霊力を流し込む。ごく僅かしかない霊力を惜しみなく注ぎ込む。妖精の体が暖かい光に包まれ、体に刻まれている傷が薄くなっていった。
停止している僕たちのところに狂った妖精が寄り集まってくる。死んだ妖精が蘇るまでにはもう少し時間がかかるようだが、周りにいた妖精が治療に使っている力に反応して霧の湖に集まっているようだった。
「和友さんに近づくな!」
「なんで、みんな、やめて……」
緑の妖精の口から細い声が漏れる。
椛の大剣が次々と妖精を薙ぎ払う。
寄ってくる妖精の体が切り裂かれ、押しつぶされる。
次々と―――絶命していく。
命の輝きともいうべき光が惜しげもなく放出する。
それでも膨大な数の妖精は徐々に距離を詰めてくる。
椛は焦りと苛立ちを抱えながらその大きな大剣を振るった。
「近づくなと言っているだろう!?」
「やめてよ……みんなを殺さないで」
同族が死んでいく。
命が打ち捨てられる。
一緒に遊んだ友達がいるかもしれないのに。
一緒に生きてきた仲間がいるかもしれないのに。
生まれ変わるからって。
蘇るからって。
粗末にされているような命の輝きに心が絶叫した。
「私の友達を殺さないで!!!」
その声は―――空間に綺麗に伝搬した。
その瞬間、その場の全ての存在が停止した。
まず初めに、更新が遅れて申し訳ありません。
おおよその修正が終わりましたので、ここからは更新の方に集中していきたいと思います。
今回のお話は、紅魔郷の走りになります。
そして、霊夢が異変解決に乗り出し、妖精と会うところまでですね。
椛を面倒くさく感じる方もいるかもしれませんが意見なんて完全一致する方が稀だと思います。そういうものだと思ってくだされば幸いです。
読んでいて、もしかしてと思う方がいたら嬉しいですね。
しっかりと読んでくださったのだなと嬉しく思います。
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そちらの方で感想を述べてくださっても構いません。
感想が来るとモチベーションが上がって更新が早くなるかも―――なんてことがあるといいですが、いつも一生懸命やっているのであんまり変わらないかもしれませんね。モチベーションが高くなるのは本当なのですが、無理強いしてまでもらうものでもありませんからね。
でも、貰えたら嬉しくてはしゃいじゃうこともあるので読んで何か感じたら書いてくれると嬉しいです。
小説を読んで、なるほどなって思ってくれることがあると特にうれしく感じます。
今後とも、東方不変観をよろしくお願いいたします。