6章は、紅魔郷に入る前のお話になります。
予定では、全4話の予定です。
僕は、椛に自らの願いを伝えた。最後の―――本当に最後に叶えたい願いを椛に届けた。どう受け取っても間違いがないように、真っ直ぐに実直に椛へと想いを受け渡した。
ただ、椛の表情は複雑そうで、受けとった想いに対してどうしたらいいのか分かりかねている様子だった。
「私には、できません……いくら和友さんの願いだとしても、そんなことをしたくありません」
当然だと思った。椛の反応は当たり前すぎて、僕には何も言うことがなかった。
なぜならば、僕の願いを受け入れることには負担しかないからである。悪いものしか後に残らないからである。
そう、僕の願いの果てに残るのは苦しみだけになってしまうかもしれないのだ。
僕の願いを叶えても見返りを受けることはできない。
僕の願いを受け入れても満たされることは無い。
そんな条件の中で僕の願いを飲み込んでくれる人がどれだけいるだろうか。
それでもやってくれるそんな人―――今のところ紫ぐらいしか思いつかなかった。未来には藍がきっと担ってくれると思っているが、どうなるかは分からない。
僕は、願いを叶えるために力を貸してくれる人を欲していた。椛に―――その一人になって欲しかった。
だが、椛は明らかに困った様子で今にも泣きそうな顔で僕に向かって想いを口にした。
「どうして私にそんなことを話したのですか? よりにもよって好意を寄せていると言っている私に。私は、これからどうしたらいいのですか。どう、和友さんと接すればいいのですか……」
「それは……」
なんで“椛に”話したのだろうか。
どうして“椛に”伝えたのだろうか。
心の中を疑問が徘徊する。
別に椛じゃなくてもいいじゃないか。君の願望の体現者は誰であってもいいのだろう?そう言われてしまったら立つ瀬がないのは確かだった。
その質問を受ければ、そうだと答える。正直なところ誰でもいいと言えばその通りで、僕の夢を叶えるための力を貸してくれるのなら誰でも良かったといえば、良かったと言える。
だけど、僕の抱えている願望を誰にでも話すかと言われれば、絶対にそんなことは無かった。こんなこと誰にだって話せるわけじゃない。霊夢には話せないだろう。文にも話せないだろう。
話すと話さないには明確な違いがある―――きっとそこに“椛に”話した理由があるはずだった。
「……椛だから。僕は、椛だから話した」
理由を探してみると、すぐにすとんと心の中に落ちてきた答えがあった。
何も椛が僕の願望を達成するための力を持っているからとか。
椛なら手伝ってくれそうだからとか。
そんな理由でも何でもない。そんな損得勘定のあるような理由からではなかった。
僕が願いを告げれば、傷つくことは分かっていた。困らせることも分かっていた。
それでも―――心が真っ直ぐに椛に対する気持ちを口にした。そこには、椛だからこその理由があったのだ。
「僕に想いを伝えてくれた椛だから。誰よりも頑張り屋だった椛だから。誰よりも僕に近い生き方をしてきた椛だったから―――これからを生きていて欲しいと思ったんだ」
話したのは―――椛に助かって欲しいと、そう思ったからだ。藍と同じで、死んでしまうのではないかと心配してしまうほどに依存している椛に、今にも死にそうなほどに傷ついて博麗神社へとやってきた椛に、生きていて欲しいと切実な想いを抱えていたからだ。
椛に生きていて欲しい。これからも生きていて欲しい。ずっと、ずっと遠くまで、僕が及びもつかないところまで生きていって欲しい。僕がいけなかった場所に、僕が過ごすことのできない時間を過ごしてほしかった。
「これからなんて……私にはもう、居場所なんてないのよ。あんなことをしてしまったからには、妖怪の山には二度と戻れない。私の生きていい場所は消えて無くなっちゃったのよ……」
椛の声は今にも死んでしまいそうだった。吹けば消えてしまうような蝋燭だった。
言葉遣いも昔に戻っている。
本来の形に、心のあるがままに。
言葉は心の景色を映し出している。
「どうすればいいの? 私はどこに向かって歩けばいいの?」
何をしていいのか分からなかった。迷いに迷って方角も分からなくなって、自分が立っているのか座っているのかさえも分からなかった。
「あげくの果てには、好きだった人からそんなお願いをされて……私はどうしたらいいの? 私のこれからってなんなのよ? 戻る場所も失ってしまった私のこれからが、どこに繋がっているっていうのよ!?」
―――泣いていた。
涙が両目から止められることなく流れていた。
力強く手が握られ、瞳には怒りと悲しみが混在していた。
椛の様子は僕の心を震わせた。正面で椛の様子を見ていると、心がざわついて仕方がなかった。椛を見ていると、椛の言葉を聞いていると、どうしても昔の自分が思い出させられた。
家が燃え落ちたとき―――僕は椛と同じ顔をしていたように思う。
伝わってくる心の震え―――感情は余りにも似通いすぎて共振していた。
あの時僕の心は大きなものを失った影響で大きな穴が空いて、それを埋めるように涙が流れて―――そして心に大きな海ができた。
帰る場所が無くなって。
迷子から逃れる術を失って。
家への帰り方を忘れてしまった。
帰る場所がなくなることがこれほどの衝撃を与えると思っていなかった。
取り戻せなくなった思い出と居場所が僕にとってどれほど大事だったのかを思い知らされた。
椛は、僕と同じように心に穴を空けてしまうかもしれない。塞ぐことができなくなって終わってしまうかもしれない。そんな不安が想像に拍車をかける。
だけど、まだ何とかなる。椛の場合は何とかなる。僕と違ってまだ間に合う。もう何もかも間に合わなくなってしまった僕と違って取り返しが利くのだ。
なんとか伝えなきゃ。
椛が生きていけるように。
椛の未来を終わらせないために。
同じ居場所を失う気持ちを味わった僕だからこそ、伝えられることがあると思うんだ。伝えなきゃいけないと思うんだ。
心を強く保つ。
力強く、何よりも真っ直ぐに気持ちを伝える。
息を吸い―――口から椛へと想いを伝える。
僕は、心にある想いを勢いよくぶつけた。
「椛のこれからはどこにだって繋がる! どこにだって飛んで行ける! “これから”は死ぬまで続くんだ。死んで途切れてしまうまでずっと続く。これからに繋がる橋をかけるのは椛なんだよ!」
「そんな続きなんて要らない! そんなもの要らないっ!」
このままじゃ―――死んでしまう。
このままじゃ―――終わってしまう。
終わらせてしまうと思った。
「要らないって……本気でそう言っているの?」
「本気よ! 仲間から追い出されて、和友さんにそんなことを言われて、私はどこで生きていけばいいっていうの!? 私のこれまでは何処に持っていけばいいのよ!?」
―――苦しんでいた。
これまで抱えてきたものを捨てることに。
自分を殺してしまうことに。
心が怯えていた。
「私は、私を捨てられないっ……」
これまでを捨てれば生きていくのは簡単だ。
妖怪の山で哨戒天狗として生きてきたこれまでを全て捨てれば生きられる。
プライドも自信も、持っているものを全て捨てれば何処でだって生きていける。
人里であったとしても。
その他の妖怪が住まう場所であったとしても。
周りにバカにされながらでも。
痛めつけられたとしても。
慰められることに惨めさを感じたとしても。
どんなことがあっても生きていける意気込みでいけば、生きていけるだろう。
だけど、椛にとってこれまでを捨てることは自分を殺すことと同義だった。
「これまでを捨ててしまったら、そんなことをしたら! 私が―――私という妖怪が死ぬの!!」
誰よりも妖怪の山のルールを守ってきた。
誰よりも仕事をきっちりこなしている自分に誇りを持っていた。
それをやらなければ自分ではないというほどに自分のしていることに自信を持っていた。
それはまさしく、自分の大部分を構成する要素である。それを、これからを生きていくために捨てなければならなくなるのだ。これまで生きていくために必要だったものを、捨てなければならなくなるのだ。
それはつまり―――自分を殺してしまうこと、妖怪にとって自殺することと同義だった。
椛は、これまで積み立ててきた自分の芯が強すぎて折れないところまできている。折ってしまえば、死んでしまうところまできている。
これが、私。
これが、自分。
そういう答えを持ってしまっている。
それらを捨てる―――自ら命を絶つことはできない。
結局のところ椛の生きていける場所は妖怪の山にしかなかった。
あるいはそれを満たせるだけの、心を満たせるだけの、穴を埋めることができる場所しかなかった。
「だから僕の所に来たの?」
「…………分からないの。ただ、体が勝手に動いた方向に進んで行ったらここに……」
酷く言い辛そうに椛の答えが提示される。
僕の所に来た理由はなんとなく分かる。心の穴を埋められると分かっていて僕の居るところまで来たのだろう。失った心を埋めるために本能的に僕の所へ来たのだろう。
橙のように―――引き寄せられたのだろう。
だけど、その願いは叶わなかった。僕の寿命は後2年で終わってしまう。後に続くとしても後2年の猶予である。しかも、僕の願いを叶えるとなると居場所を再び失う覚悟が必要になる。
理想と現実の落差に椛の心が死にかけていた。
だったら死ぬしかないのか。現在、居場所のない椛は死んでしまうしか選択肢がないのかと言ったら―――それは嘘だ。まだ椛の人生は終わっていない。
だって、椛はまだ何も失ってなどいないのだから。
失ったものなど、最初からなにもなかったのだから。
「椛は諦めているの?」
「諦めている? 違う、もう終わったのよ! 私はもう終わってしまったの!」
「終わってなんかないよ。椛は僕と違ってまだ帰る場所があるじゃないか」
そう―――決定的に違うのはそこである。
椛の居場所だった妖怪の山は、見上げればそこに見つかる。
僕の家と違って探せば見つかる。
帰ろうと思えば、いつだって帰れるのだ。
僕は帰る場所を完全に失っている。今帰っても残っているものなんて何もない。何もなくて、何も思い出せなくて、取り戻せなくて、もう終わってしまっている。
そんな僕とは―――違う。
今は受け入れてもらえないだけだ。
今後どうなるかなんて今後次第。
居場所を追い出された今があるように。
居場所を取り戻せる未来だってあるはずだ。
じゃないと不公平だろう。
いくら神様がいるといっても、僕みたいなのがいるとしても、そこまで不公平に未来を決めたりしないはずだ。
「椛の帰る場所は何もなくなったわけじゃない。僕と同じように燃えて、灰になって、消えてしまったわけじゃないじゃないか」
椛が僕に一言に押し黙る。
帰るという選択肢を考えてもみなかったのかもしれない。
戻れるなんて選択肢を思いつきもしなかったのかもしれない。
余りにもハードルが高すぎて、できないと勝手に決めつけていたのかもしれない。
確かに難しいことかもしれない。だけど、それは難しいというだけでできないことではない。しっかりと階段を設置して1段1段登っていけばいい。誰だって辿り着けるような階段を作り上げれば、どんなに高い目標でも届くはずだから。
「また、取り戻せばいいだろう? 椛がそういう未来を作っていけばいいだろう? 椛が前と同じように妖怪の山で暮らしていける未来を椛が手に入れればいいだけの話じゃないか」
「無理よ! そんなことできるはずないわ!」
「できるよ、椛ならできる」
「どうして和友さんはいつもそうなのよ!? そうやって私のことを勝手に過大評価して、根拠も何もないのに適当なこと言わないで!!」
「適当になんて言っていないよ」
適当なことを言っているつもりは全くなかった。
僕は、何となくなんて理由で椛にそんなことを言ったわけじゃなかった。
他の誰かだったらこんなこと言えていない。
それは、紫であっても。
それは、藍であっても。
僕は―――“椛だからこそ”そう思ったのだ。
「椛は、これまでだって周りにどんなことを言われても、押し通してきたじゃないか。妖怪の山の見張りを真面目にやってきたじゃないか。誰になんて言われても、それをやっているのが自分なんだって言っていたじゃないか」
「これとそれとじゃ……」
「同じだよ。周りを押し切ってやっていたという意味で同じだ。周りに何と言われても、妖怪の山に戻るって。前と同じように生きていくって。周りの言葉なんて気にせず押し切って、そういうものなのだと受け入れさせればいい」
妖怪の山で起こしてしまった問題に対して謝罪するなり、説明するなりして妖怪の山の仲間に理解してもらう。
いや―――理解されずとも押し通すのだ。
意味がないと、あいつはなんであんなに真面目にやっているのだと、馬鹿じゃないのかと言われながらも妖怪の山の監視をしたように。妖怪の山に戻ることを押し通せばいい。
戻るたびに追い出されるかもしれないけど、追い出されたら何度でも向かって、押し通せばいい。相手が諦めるまで自分が諦めずに立ち向かえばいい。
「椛だったらできるはずだよ。諦めずに何度でも押し付けてやればいい! 自分の気持ちを真っ直ぐ伝えて、押して、押して、押して。自分の気持ちを伝えてやればいい!」
椛だったらできるはずだ。何度だって立ち向かって自分の気持ちを伝えられるはずだ。
これまで積み立ててきた自分が今の自分にそう言うはずだ。
これまでを捨てられない椛なら。
それが―――椛だというのならできるはずだ。
もちろん、今すぐに行けなんて言わない。心の整理は必要だし、決断するまでの時間は必要だろう。椛が妖怪の山に帰るまでは、僕が死ぬまでだったらここを使ってもらっていい。部屋の大きさを考えても椛を受け入れるぐらいは余裕をもってできる。
「妖怪の山に戻れるようになるまではここにいればいいよ。僕が死んでしまうまでに椛が最も求める結果が得られれば、僕としてはこれ以上のことは無いから。僕は、僕がいなくなった後の未来に安心したいから」
椛は、少しまだ吹っ切れていない様子だった。
不安の在りかは分からない。妖怪の山に戻ることができるかどうか不安に思っているのか、それとも僕の願いを叶えることに抵抗があるのか、僕には何も分からなかった。
分からなかったけど―――それでも良かった。
それで良かった。
それが良かった。
悩んで、自分で決めてくれればいい。
もしも、悩んだ結果死んでしまうことになっても僕は何も言わないから。
僕は、椛のことを忘れずに覚えていてあげるから。
皆が忘れても、僕が椛のことを覚えていてあげるから。
「悩めばいいよ。いくらだって悩んで悩んで、心の中に確かな答えを見つければいい。ただ、僕の気持ちはしっかりと言っておくよ。僕の気持ち―――椛に願いを託した僕の気持ちを」
ありったけの気持ちを込める。
言わなきゃ伝わらない。
伝えなきゃ理解されない。
思っていること。
感じていること。
素直に―――理由を言葉にした。
「僕は椛に生きていて欲しい! 僕が死んでしまった後も、椛だけの明日を進んでいって欲しいんだ!!」
椛には、僕のことを自ら断ち切って自由な空へ飛んで欲しいと思っていたから。
飛んだ空から僕の最期を看取ってほしいと思ったから。
最後に安心して逝きたいと思ったから。
だから―――椛に願いを告げたのだ。
「僕に、僕だけの明日があるように。椛にだって椛だけの明日がある。椛は椛の、僕は僕の命を全うしてその日を迎える。僕にとってのその日を椛が見送って欲しい。僕が何の心配もしなくて済むように、満足して何も引きずらずに済むように、椛が僕を終わらせる一つの原因になって欲しいんだ」
僕が願いを叶えたい理由を伝えた後、願いを叶えてくれないかと同じ問いかけをした時―――彼女は首を縦に振ってくれた。
椛に願いの話をする過程でこれまでのことを説明した。
これまでっていうのは、それこそ外の世界のことからである。
生まれて、何を考えて生きて、何を成してきたのか。
幻想郷にやってきて、どういう生活を営んできたか。
僕がどんな病気で、能力の弊害がどのようなものであるか。
そして、自分がどういう終わり方を迎えたいのかということ。
――――ちゃんと伝えた。
巻き込むのならやっぱり、納得して巻き込まれて欲しいから。
自分から僕の言葉に頷いて欲しかったから。
何もかも包み隠さずに言葉を口にした。
「分かりました、私が和友さんを―――」
椛は僕の想いを受け取り、首を縦に振った。
こうして僕は、椛と大切な約束を交わしたのだ。
「そろそろ行こうか。道中よろしく頼むね」
「はい、任せてください。私が和友さんを守りますから」
椛はあれ以来、博麗神社の僕の部屋で一緒に過ごしている。部屋が十分に大きかったため、場所が狭いということは全くない。むしろ課題となるのは一緒に住むということを霊夢に容認してもらうというところにあった。
僕が霊夢に問いかけたところ―――霊夢は椛を博麗神社に住まわせることに対してこう言っていた。
「その部屋は和友に貸しているんだから。使い方は和友の自由よ。好きに使いなさい」
霊夢は、文句ひとつ言わず椛が同居することを許してくれた。霊夢が許してくれたことによって、椛は正式に博麗神社で過ごしていくことを認められた形になった。
そして今、僕は永遠亭に向けて飛行している。椛が僕の隣を飛行している。僕を守ると言って護衛についてきてくれている。相変わらず妖精が迫って来ることはあるけれども、椛がいることで随分と数が減った。
「では、私は少し時間を潰してきますね。ここで集合でいいですか?」
「うん、また仕事が終わったら」
椛は、僕が永遠亭で仕事をしている間はさすがに護衛が要らないと思ったのか、外で時間を潰すと言った。
ここから4時間の業務があることを考えれば、そうするのが一番いいだろう。一緒にいても永遠亭の住人に嫌がられるだけである。外から来る人間に嫌がられるだけである。
仕事はいつも通りの流れだった。診察をして、少しばかり薬を作って終わりである。流れは大きく変わっていない。
昔と変わったのは鈴仙とのやりとりぐらいだろうか。かつて能力の弊害を伝えたときにぎくしゃくしてしまった関係にも随分と改善が見られていた。
「笹原さん、この前薬を人里に売りに行った時のことなんですけど、面白いお客さんがいましたよ」
鈴仙は、以前よりも良くしゃべるようになった。能力の弊害について話す前よりも遥かに饒舌に何でも思ったことを話してくれるようになった。仕事の話から昨日会った出来事、師匠である八意永琳の悪口までいろいろ話してくれるようになった。
「笹原さん、師匠の悪口については絶対に口外してはいけませんよ。絶対、絶対ですからね!」
ちなみに、先生の悪口に関しては口止めされている。
鈴仙とは、そんな他愛もない話で盛り上がることもしばしばあるようになった。
良くしゃべるようになったというと仕事をさぼっていると思われるかもしれないが、仕事に影響が出ない程度で上手く押さえている。近づきすぎず、遠すぎずというところだろうか。
鈴仙からは、上手くやっていくコツが分かりましたと伝えられた。ぜひとも、そのコツを教えてもらいたかったが―――
「秘密です! 他の人にできるかは分かりませんから!」
鈴仙の口からは、教えてもらえなかった。
秘密と言われてしまえば、僕に深追いする権利はない。もしかしたら話したくないことなのかもしれないし、鈴仙が他の人にできないというのならば、そうなのかもしれない。
「私に聞いても分からないわよ。ただ―――こう言っていたわね。そういうものだと思えば、手を伸ばさないで済むって。そう思うようになってから気持ちが楽になったって聞いたわ」
先生いわく―――何か自分の中で吹っ切れるところがあったそうである。なんでも、深追いせず、親しい人という立場で留めることを決めたとのこと。例えて言えば、一般兵士が王様に会って話をするぐらいだと言うが、どういうことなのだろうか。話ができてラッキーぐらいの手の届かない物という認識になったと思えばいいのかな。
ともかく、鈴仙は僕との距離を測りながら関係を回していけるようになった。上手く回っていると思える関係を築くことができた。
「あっ、笹原さん、そこなんですけど」
「うん、どうすればいいのかな?」
永遠亭は、僕にとって随分と居心地のいい場所になった。ここには八意永琳という理解者と、距離を測ってくれる鈴仙という親しい友人がいる。
心が休まるようだった。気を遣う必要が無くなった。後ろめたい気持ちを持つ必要もなくなった。
僕の顔は仕事の最中、終始にこやかだった。
「随分とご機嫌ね」
「それはもう、楽しいですから」
笑顔を浮かべながら仕事中の鈴仙を見つめる。
本当に良かった。
みんな鈴仙みたいだったらいいのに。
みんなそうだったいいのに。
余りの都合のいいことだけど、僕の余りにも身勝手な想いだけど、そうだったらいいのにと思った。
鈴仙の例は、自覚と制御が有効に機能している良い例だった。自らが近づきすぎていると思ったら自制をして、心が引き寄せられていることを感じながら、反対にかじを切る。心を制御し、浮遊する。
難しいことだとは思うけど、それを成し遂げている鈴仙は何よりもかっこよく見えた。
先生は、鈴仙についてここまで上手くいっているとは思わなかったようで、意外そうに言葉を口にした。
「鈴仙がここまで立ち直れるなんて思っていなかったわ。あそこからダラダラと引きずるものだとばかり」
「だから言ったでしょう? 鈴仙は強い人だって。でも、本当に先生は何もしていないのですか?」
「特に何かした覚えはないわ。あの子はあの子なりに踏ん切りをつけたのでしょう」
「境界線を引いたってことですかね」
「そうね……笹原ふうに言うならそうなるかしら」
誰の力も借りていないとしたら本当にすごいと思う。直接はっきりと告げた時期が早かったからなのかな。
理由を探っておけば、これからの役に立つかもしれない。全てを終わらせるとはいっても、それまでに苦しむ人の数を減らせる方法が分かれば、きっといい方向に進むはずだ。
仕事をしている鈴仙へと視線を向ける。鈴仙の背中はとても頼もしく見えた。
僕は、鈴仙に対して何の不安も抱えていなかった。
先生は、僕が鈴仙へと送っている視線と同じ方向へ、僕とは違った視線を送っていた。
「境界線を引いた……本当にそうだったらいいのだけど……」
呟くように放たれた声は、集中している僕の耳には届かなかった。
仕事が終わって永遠亭の外に出る。いつもよりも楽しかったおかげか、疲れはそんなに感じていない。
後は、一緒に来た椛とお昼ご飯を食べるために博麗神社へと帰るだけである。
「さて、帰ろうかな」
永遠亭の玄関口に出て椛と別れた場所で周りを見渡した。見渡した―――そう、椛の姿はそこにはなかった。永遠亭の外には、椛の姿は見当たらなかった。
ここで集合とは言ったけど。4時間という時間を潰すために、どこかに行ってしまったのだろうか。
「終わる時間は伝えてあるから、遅れるってことはないと思っていたんだけどなぁ」
動くべきか。
待つべきか。
置いていくべきか。
どれを選んでも、どっちでもいいと思った。
結果は、やってみるまで分からない。
動いたら動いたなりの結果が出る。直ぐに見つかって博麗神社へと帰れるかもしれない。もしくは新しい出会いがあるかもしれない。新しい出来事が起こるかもしれない。何も起こらないかもしれないし、見つからないかもしれない。そんな可能性が詰まっている。
どれも同じだ。待っても同じ結果が出る可能性がある。置いていっても同じ結果が出る可能性がある。
僕は、こうした選択肢を示された場合―――基本的に動くことにしている。何もなかったらとりあえず動いてみるというのは好奇心を満たすうえでは非常に役に立つ指針である。
ただ、今に限っては動かずに待つという選択肢以外を選ぶ気はなかった。
「待つのが一番いいよね……迷いの竹林じゃ出たところで迷っちゃうし……椛は初めて来たのだから一緒の方がいいよね」
椛が永遠亭へと来たのは今回が初めてである。
そもそも、僕の部屋で目覚めてまだ1日しか経っておらず、まだまだ不安定なところが多い状態だ。そんな状態で僕がこの場から消えてしまえば、問題が起こる可能性が高くなる。そう思うと―――この場から動くということはできなかった。
数十分だろうか。空を見上げながら椛が戻って来るのを待った。竹林の中にぽっかりと空いたように存在する青空に雲が流れているのを、ただただ見送っていた。
すると、唐突に待ち望んだ声が耳を通過した。
「すみません、なんだか面倒くさいのに絡まれて遅れました」
「絡まれたのって、その人?」
僕は、現れた椛の姿に少しだけ驚いてしまった。
椛の肩には赤白黒のドレスを着ている女性が乗せられている。正面から見る限り、尻尾が垂れ下がっているのが確認できる。全く動いていない様子を見ると気を失っているようだった。
そこはまだいい。もちろんそこも驚くポイントではあったが、驚いたのは別の点である。
驚くべきは、気を失っている人を抱えている事実ではなく―――軽々しく人一人を背負っているということにあった。藍もそうだったが、やっぱり持っている力が人間と全然違うということを見せつけられているようだった。
「人と言いますか妖怪ですね。おそらく同族とでも思ったのでしょう。余りにも馴れ馴れしく近づいて来たので振り払ったら、ちょうど生えていた竹に後頭部をぶつけまして……」
「ふふっ、そりゃ運がなかったね」
それは何とも運が悪い。いっぱい生えているからあり得ることなのかもしれないけど、なかなかに珍しいと思う。
その人―――というか妖怪の運が悪いのか。
それとも椛の運が悪いのか。
どちらの運が悪かったのだろうか。
僕には判断できなかったけど少しだけ笑ってしまった。不謹慎なのかもしれないけど、それだけのことで笑ってしまった。
そんなことで笑える今の生活を少し好きになった気がした。
「意図せずとはいえ、私がやってしまったことなので放っておくのもなんだか悪い気がして、連れてきてしまいました」
「それで、どうしたいの?」
「……介抱してもいいですか?」
椛の答えが少しだけ間を置いた後に提示された。椛の瞳が申し訳なさそうに僕を見つめている。
このまま置いていくなんて椛にはできないよね。
責任感の強い椛らしい答えだと思った。
「じゃあ、博麗神社まで連れていこうか。運ぶのはお願いね」
「はい」
椛の嬉しそうな声が竹林に響いた。
こうして僕たちは、博麗神社へと帰っていった。
今回のお話は、椛が決断する話です。
これまで生きてきた過去によってできた今。
未来を生きるために、過去を捨てなければならないとなったら
それは、今を捨てるのと同じです。
特に、過去に生きている妖怪の場合はその傾向が強いでしょう。
積み立ててきた歴史も膨大ですからね。
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