6章は、紅魔郷に入る前のお話になります。
予定では、全4話の予定です。
僕の幻想郷での生活は、おおよそ決められた通りに流れている。日々の違いはほとんどなく、曜日の感覚はまるでない。
幻想郷という場所はそういう場所である。自営業や自給自足で暮らしている者がほとんどの世界で、休みという概念などあるはずもない。
僕だってそれは同じである。休みの日なんてものはないし、決まった曜日に何かがあるということもない僕の生活に―――色違いの日々などなかった。
「今日も一日頑張るぞー」
僕の一日のスケジュールはおおよそ以下の通りである。
朝起きて、顔を洗って、日差しを浴びる(30分)。
朝食を作って、朝ごはんを食べる(30分~1時間)。
永遠亭に行き、仕事をする(5時間)。
正午: 博麗神社へと帰って昼ご飯を食べる(30分)。
午後: 弾幕ごっこの練習(30分)、霊力増加の練習(1時間)、書き記す作業(3時間)、境内の掃除(1時間)、会話(~1時間(霊夢))。
夜: 書き記す作業(3時間)、会話(~1時間(紫))、睡眠(7時間)。
おおよそこのようなものだ。これが、毎日繰り返している僕の日常である。
僕は、この生活を続けている。
こんな生活を始めてから―――博麗神社に居候を始めてからすでに1週間が経とうとしていた。
僕の日常はマヨヒガにいたときと何も変わっていない。何もと言ってしまうと語弊があるが、変わったことといえば会話をする時間帯や相手が変わったことぐらいだろうか。
変わった点を説明しよう。
昼には霊夢と少しばかり話をする。いつもだったら藍がいたポジションに霊夢が入った形になるのかな。
ただ、藍とは違って霊夢から話をしてくれることなんて全くと言っていいほどないから自分から話しかけないと会話にならないことが多い。
霊夢はどうしてそうなのだろう。どうして何も言わないのだろう。別に気になるわけじゃないけど。そういう人もいることは知っているから別に不思議に思うわけでもないけど。何かしら理由があるのなら知りたいという知的欲求はある。
なぜ、霊夢は会話をしないのか。
考えてはみたが、余りに自分が霊夢について知らないことを理解すると同時に、考えるのを止めた。
僕は、霊夢のことを全くと言っていいほど知らない。
これまでどうやって生きてきたのか。
普段どんなことを考えているのか。
何が得意で、何が苦手で、何が好きで、何が嫌いなのか。
具体的なことは、何にも知らないと言っていいほど知らない。
もしかしたら会話自体が嫌いな可能性もある。話しかけられることを億劫に感じているのかもしれない。
それでも、話しかけると反応してくれるだけ、会話というものに全く興味がないということもないのだと思う。無視することもできるはずなのに。確かに、嫌な顔をするときもあるけど。なんだかんだ話をしてくれる霊夢は俗に言う良い奴なのだと思う。
そんな霊夢との会話の内容は凄く淡泊で、質問をしたら大体が一撃で終わってしまう。題材が何であっても会話が長く続くことはほとんどない。
霊夢と会話をしていると、会話が苦手というか、なんていうのだろうか。
そう、会話をする意味がなければしないというような雰囲気を感じる。意味のない会話はしないっていう気持ちを感じると言えばいいだろうか。
分かり辛いだろうし、一例を挙げようか。
「霊夢さんの趣味はなんですか?」
「妖怪退治」
趣味は何ですかという問いに対して―――妖怪退治だと答えが返ってきた。
僕には、そんな回答をする彼女に返す言葉がなかった。
僕も妖怪退治をやってみようなんて思わないし、やったこともないから楽しいのかどうかも分からない。
こういった答えは返しに困る。何のためにやっているのっていう質問が真っ先に頭の中に浮かんだが、何のためにやっているかなんて趣味なんて意味があってやるわけじゃないし、やりたいからやっているで十分理由足り得る。
どんな言葉で会話を繋げていけばいいのだろうか。
僕は会話を継続するために、次の質問を投げかけた。
「それって楽しいの?」
「楽しくない趣味って何なの?」
それもそうだ。
楽しくない趣味なんてないよね。
うーん、難しいなぁ……会話が一向に広がらない。
別の話題なら広がるかな。
「掃除のコツって何かあるの?」
「コツなんてあるわけないじゃない。真面目にやることよ。そして、邪魔されないこと」
それは、暗に僕がしゃべりかけてくるから掃除の効率が悪くなっていると言っているのだろうか。彼女の圧倒的なあしらい方にどうしてもそんなふうに思ってしまう。思ってしまうというより、それで彼女の意図としては合っているはずである。
「いつもどうやって過ごしているの?」
「適当に。思ったことをやったりやらなかったり」
「具体的には?」
「だから、その日次第よ」
分かってもらえただろうか。
おおよそこんなものである。
すぱすぱしている性格の彼女と行う会話は、さっぱりしすぎてすぐに死んでしまう。
一言喋ればそれで終わり。
キャッチボールは取れそうもない剛速球が飛んでくるばかりだ。
「「…………はぁ~」」
ここ最近は話しかけるというよりも、お茶をすすってのんびり外を見て呆然としている時間を共有している方が楽しくなってきている。
彼女とは頻繁に話をする間柄というより、空気を共有しているぐらいの関係の方がお互いにとって優しいというか、最も気楽な関係性なのかもしれない。
思えば、この一週間で一番彼女が饒舌に話をしていたのは、彼女の友人である霧雨魔理沙という人物が妖怪についての情報を持ち込んだ時だけである。
あれが盛り上がっていたのは、趣味の妖怪退治ができるからということだからなのか。
それとも、霧雨魔理沙という人物が霊夢にとって特別な存在だからなのか。
それとも、僕が相手の時だけ対応が淡泊になっているだけで実は饒舌なのか。
理由は未だに分かっていない。
夜に来る人物とは無駄に会話をしているような気がするんだけど。
やっぱり人それぞれってことだよね。
そう、やっぱりみんな違う人間。
同じ人間だったら覚えるのが大変だ。
いや、そもそも同じ人間だったら覚える必要なんてないか。
違いがないなら―――ひとつ覚えれば十分だもんね。
「まだ作業中かしら?」
「いや、もうすぐ終わるから待っていて」
夜になると、偶に紫がやってきて会話をする。
頻度的には週に二回ぐらいのペースかな。
会話の内容は、僕がいなくなった後のマヨヒガの様子や、僕の今の状態についてがほとんどである。
紫から聞く限りにおいては、まだマヨヒガを出て1週間ということもあって生活の変化の幅はとても大きく揺らいでいるとのことだった。
様々な部分が変わった。
生活のスタイルも大きく変わった。
関係性にも変化があった。
そんなふうに伝えられた。
「藍のことは、私に任せなさい」
特に藍の状態は思ったより深刻のようで、ここ2年間の記憶がほとんど曖昧になって思い出せないようだった。
確かに僕と藍は大体の時間を共有していたし、僕の記憶を曖昧にしてしまえば、ここ2年間の記憶のほとんどが思い出せなくなってしまうのも仕方がないことのように思えた。
「私は、これで良かったと思うわ」
悪いことをしている気分だった。
だけど、そうしなきゃいけない理由もあった。
紫もなんだかんだ言ってこれで良かったと笑ってくれた。
それが、僕にとっても救いになっていた。
「うんうん、順調順調」
この1週間で博麗神社での暮らしにも随分と慣れた。
竹ぼうきでの掃除も随分上手くなったように思う。霊夢の真似をしているだけだけど、余計な力が入っていた当初よりははるかに楽に掃除できるようになった。
こう、押さえつけるんじゃなくて擦って繰り返す。力ではなく、数で稼ぐイメージ。風上から風下へと移動しながら掃いていく。
それが例え誰も来ない石畳だとしても、意味なんてなくても別にそれでいいのだ。趣味と同じで、掃除をするのに理由が必要なわけでもない。
「掃除をする理由……」
掃除をしていて思ったけど、みんなが学校で掃除をする目的って何だろうか。
みんな―――何のために掃除をしていただろうか。
―――この答えはその人を表していると思う。
掃除をする理由って色々あると思う。
この理由っていうのは、やらなきゃ汚くなるから、教育のために大事だからっていう学校側の思惑って意味じゃない。みんなが何のために掃除をするのかという理由である。
それは、自分たちが汚くしたのだから、自分たちが掃除をしなきゃいけないという責任感から。
それは、真面目に掃除をすることで誰かに褒められたいから。
それは、やらなければならないことだから。
それは、楽しいことだから。
まぁ、挙げれば色々あるだろう。
僕が掃除をしていたのは、これらとは違う理由からだ。絶対に違うって言い切れる。
僕が掃除をしていた理由はみんなが掃除をしていたから、掃除をするのが普通のことだと思っていたからである。
他のみんなは、どんなことを考えて掃除をしていたのだろう。
きっとこの中で一番僕に近いのは、褒められたいからって理由だろうね。
だって、このタイプは目的が掃除の内容と関係ないところにあるから。この理由だったら別に掃除じゃなくてもいいもんね。このタイプが一番他人の価値観に左右されて、一番他人から影響を受けて、一番僕に近い生き方をしている人だと思う。
そんなどうでもいいことを考えていると、少しばかり集めたごみが散乱してしまっているのに気づいた。
「あっ、いけない。集中しなきゃ。下手くそだってまた霊夢に怒られちゃうからね」
しっかりしなきゃ。すっと空を見上げて汗を拭う。空気は夏に向かってどんどん暑くなっている。
夏は……もっと暑いんだよね。
夏の暑さに想いを馳せたその瞬間に、普段なら話しかけてくるはずのない彼女から言葉が飛んできた。
「あんた、そんなんでいいの?」
何のことだろうか。「そんなんでいいの?」という言葉の意味が分からなかった。
霊夢の言葉は一言聞いただけでは分からないようなことがほとんどだ。返答も一言で全てを表してくる彼女は質問も一言であることが多く、いつだって僕は首をかしげている。
阿吽の呼吸のように、分かり合えている関係でもない僕らでは意思疎通ができない。
藍だったら分かったかもしれない。紫だったら分かったのかもしれない。
だけど、付き合いの短い霊夢では分かりようがなかった。
「何がかな? 霊夢はいつも言葉が足りないよね。分かるように言わないと相手には伝わらないんだよ? それにいい加減名前で呼んで。二人だから分かるだけで反応しづらいのは変わらないんだよ?」
「……敬語を止めさせたのは失敗だったかしら? なんだか生意気になった気がするわ」
霊夢は、僕が来て1日経った時に敬語を止めるように言ってきた。
霊夢が言うには、どうにも言われ慣れていないようで気持ちが悪いとのことだった。気を遣われるのも気持ちが悪いし、気を遣う気もないし、そんな奴を居候にしたくないとのことだった。
「だったら今からでも戻しましょうか?」
「いえ、それはそれで小馬鹿にされている気がするからいいわ」
勿論だが、霊夢を馬鹿にしているつもりは全くない。
敬語は相手を敬うための言葉であって、相手を落とし込むために使う言葉ではない。
居候という立場の僕は、特に立場が低いから気を遣っているのだけど、それがまた気持ち悪いということなのだろうか。僕にはよく分からない感覚である。
もしかしたら、僕がまだ敬語を使い慣れていないからどこかおかしくて、言われていて気持ち悪さを感じるのかも。そんなことだったら大変だな。他の人にも迷惑がかかっているかもしれない。今から少しだけ練習しようかな。
霊夢は、考え込む僕に凛とした表情で貫くような言葉を飛ばしてきた。
「私が言いたいのは、あんたの生き方よ」
「名前で呼んで。僕の名前はあんたじゃないよ」
「…………和友の生き方よ」
「声が小さいよ? 自信がないの? 僕の名前、まだ憶えられていないの? 僕は霊夢の名前をちゃんと覚えたよ?」
「うるさいわね! そんなことどうでもいいでしょう!?」
何を怒っているのだろうか。
何を戸惑っているのだろうか。
霊夢の反応は、今まで出会ったことのないタイプの反応である。
霊夢の瞳は怒りの色に染まっている。
僕の言葉が不快だったのだろうか。普通のことを言ったつもりではあったのだけど、気分を害してしまったみたいだ。人の感情に機敏な僕でも、彼女の心の動きはよく分からなかった。
「私が言いたいのは、和友の生き方が間違っているってことよ」
「間違っている?」
「そう、無駄なことばかりで時間を浪費しているようにしか思えないわ。霊力なんてこれっぽっちも増えていないじゃない。弾幕ごっこだって下手くそなまま。努力なんてするだけ無駄よ。和友には才能がない。和友はこれ以上強くならないわ」
「ふふっ、霊夢も結構言うね」
余りにもはっきりと言う霊夢の言葉に思わず笑ってしまう。
努力しても無駄。それだけ聞くとなんて酷いことを言うのだろうと思う人もいるだろう。彼女の言葉は普通の人なら傷ついてしまうような言葉だ。友達には絶対言っちゃいけない言葉の一つだ。
けれども、他の誰でもない霊夢が言っていると考えるとその言葉の伝わり方は随分と違ってくる。実際、霊夢には自分が酷いことを言っている自覚なんてこれっぽっちもないはずである。
霊夢と知り合ったのはつい1週間前だけど、話していると持っている価値観が全然違うことだけはすぐに理解できた。そう思える彼女の仕草がいくつか見受けられた。
―――思うに彼女は。
これまで負けたことがないのだろう。
これまで努力したことがないのだろう。
これまで誰かに対して劣等感を覚えたことがないのだろう。
少なくとも僕は、彼女が努力しているところを見たことがない。
そういう人もいると思う。
世の中にはいろんな人がいるから、霊夢のような人がいてもおかしくはない。
霊夢は、誰かを見下すためにこんなことを言う人ではない。
負けたことも劣等感も持ったことがない人間がどうして誰かを見下そうなどと思うだろうか。
負けたから勝ちたいと思うのだ。
劣っているから優りたいと思うのだ。
そして、それが成し遂げられたから見下したいと思うのだ。
負けたことのない彼女が誰かを見下そうなんて思いもつかない考えだろう。
彼女は、疑問なのである。
努力しても変わらないこと―――そんな無駄なことのために時間を費やすことが、不思議で仕方がないのだ。
見ていて時間の浪費がもったいなくて仕方がない。僕がこれだけ努力を重ねているのに余りにも変わらないからもどかしい。なんでそんな無駄なことをしているのか分からない。
彼女には―――僕の存在が理解できないのだ。
「もっと他のところに時間を使えばいいじゃない。いくら霊力が増えなくても、弾幕ごっこが下手くそでも、他のことが全くできないってわけでもないでしょ?」
彼女は、言っているのだ。そんなことをするぐらいならもっと別のことをやりなさいと。才能がないから別の才能があることを探せと。
「そ、そこそこだけど、あくまでもそこそこだけど、料理は美味しかったわ。料理とか、もっと別のことをして時間を使った方がいいんじゃない?」
霊夢は、僕のことをよく分かっている。
僕の努力を時間の浪費だってよく分かっている。
きっと、僕の努力なんて他の人から見たらそんなものなのだろう。
きっと、実力のある人から見たらみんなそう思うのだろう。
霊夢じゃなくても大体の人が同じ感想を抱くのだろう。
だって、霊力が多量にある人から見れば、少しも増えているように見えないからだ。2年間近く続けてきてようやくコップ一杯分と言われたレベルの増加である。給水タンクを複数抱えている人がコップ一杯の増加に気付くものか。
彼女は、いつもそういう目で僕の練習風景を見ていた。遠くからどこか不思議そうなものを見るような目で僕を見ていた。
「知っているよ。霊夢は、いつもそういう目で練習している僕を見ていたもんね」
「和友の努力は無駄の塊よ。誰もそれを評価したりしない。誰もその力に頼ろうとはしない。誰も和友の努力を見たりしない。だって和友の努力には変化が無いもの」
それもよく理解している。
誰が力の無い奴の努力を評価するだろうか。
誰が力の無い奴に頼ろうとするのか。
誰が力の無い奴の変化しない努力を見ているのだろうか。
結果に現れなきゃ、努力した痕跡など見つけてもらえない。
そもそも、努力をしている本人からすれば、実にならない努力を見られるほど惨めなことは無い。
あいつあれだけ努力したくせにこれだけかよと思われることほど、自分が惨めになることは無い。
勝手に相手が勘違いして感化してくれる分にはいいと思うけどね。
きっと、今の霊夢には僕の気持ちは分からない。
こういうのは体験してみないと実感できないことだ。負けたことのない人間には、負けた人間の気持ちは分からない。努力をしても強くなれない奴の気持ちは、努力をしたことのない人間には分からない。
「霊夢はどう思うのか分からないけど、僕は誰かに努力を評価して欲しいなんて思っていない。誰にも僕の力を頼ってなんて欲しくない。僕が一生懸命やっている姿を見て欲しいわけじゃない」
「だったらなんでそうするの?」
「僕は僕のためにそうしているんだよ。目指すべき未来を掴むためには必要なことなんだ。誰かのためじゃなくて僕自身のために必要なことなんだよ」
不思議そうな表情が霊夢の顔に張り付いている。
やっぱり分からないか。それもしょうがないのだろう。
僕に、記憶力のいい奴の気持ちが分からないのと同じだ。
僕に、霊夢の気持ちが分からないのと同じだ。
結局違う人間だから、同じ景色を見ることができていないから、共有している部分があまりに少ないから分かり合えていない。
才能がないから。
時間がもったいないから。
だから―――霊力を増やす練習を止める。
僕が今から違う生き方をできるのならできるだろうか。
うん……きっとできるはずだ。
霊夢の言っている通り。
サッカーの才能がないから野球でもやってみるか。
ピアノを弾く才能がないから別の楽器を試してみようか。
そう思うだけの余裕があればいい。
そう思えるだけの時間があればいい。
だけど、僕にはそんな余裕がない。
そのための―――時間的余裕がない。
僕は、あくまでも皆の土俵で勝ちたいのだ。
みんなと同じ舞台でみんなと同じように舞って、同格の戦いをしたいのだ。
誰がサッカーで負けたからって、野球で勝負して勝ちたいなんて思うか。
そんなもので勝って、なんになるのか。
やっぱり―――負けたものと同じもので勝ちたいのだ。
「霊夢みたいな努力をしなくても強い人間には、分かりにくいことかもしれない。誰かに負けたことのない霊夢には分からないことなのかもしれない。だけど、負けると意外と悔しいんだ。悔しくて、悔しくて、勝ちたいって思うんだよ」
「私には分からないわ」
「いずれ分かるよ。霊夢にだって」
「なんで言い切れるのよ」
絶対に分かる時がくる。
自分ができないこと。誰かに負けること。悔しく思うこと。
自分が一番やりたいことが見つかるときが必ず来る。
だって、普通の人間はみんなそうなのだから。
みんな、そういう世界の中で生きているから。
人は、独りじゃ生きられないのだから。
普通にそうなると思うんだ。
普通じゃない僕にだってそんな普通があったのだから。
普通に―――悔しいって思うことがあったのだから。
「霊夢だって人間だ。いつか絶対に負ける時が来る。負けない人間なんていない。きっと負かしてくれる人が現れる。もしも誰もいなかったら―――僕が霊夢を負かしてあげるよ」
霊夢は、僕の言葉に少しだけ驚いた顔を見せると何も言わずに掃除を続行した。
僕も、静かにいつも通りの日常の歩みを進めた。
博麗神社の掃除も終わりに近づき、掃いて集めたゴミを一か所に集めていく。
今日は考え事をしていたせいか少しだけ量が少ない。サボっている、力を抜いたと言われたら大ごとだけど―――今日に限っては許してくれるだろう。
これが終わったら暫くの間博麗神社でのんびりできる時間がやってくる。
これからどうしようか。そんなふうにこれからのことを考えながら掃いて回ったゴミを集めていると日常の流れとは違う出来事が起こった。
「ちょっと和友、こっちに来なさい!」
「はーい!」
遠くから霊夢が僕を呼ぶ声が聞こえた。
方角的には参道の方からである。
霊夢が僕を呼ぶなんて何があったのだろうか。
声がした方向へ足を運ぶ。
間もなく霊夢の姿が見えてくる。
「…………?」
視線の先には霊夢以外の人物の姿があった。
僕は、新しく登場したその人物を見て驚きの感情が先行したが、できるだけ顔に出さないようにした。
「和友の言うことも全部が全部嘘というわけじゃないようね。本当に力の無いあんたを頼りに来た妖怪が現れたわ」
「和友さん、わたし、わたし……」
「……和友を頼りにしてきたのだから和友が何とかしてあげなさい。私があれこれやるより、きっとその方がいいわ」
やってきた妖怪は、ボロボロの服で傷だらけだった。
髪の毛はぼさぼさで。
土に汚れた体で。
つけていたマフラーはちぎれてしまいそうになっている。
持っていた傘はボロボロで開くかどうかも分からない。
抱えている刀剣には僅かに血が付着していた。
霊夢は、特に何も動きを見せることなく、僕の反応を伺っている。
博麗神社まで来た妖怪の視線は僕に送られていた。
「とりあえず博麗神社の中に入ろうか? それでいいかな?」
霊夢と妖怪の顔を交互に見る。一応、確認のためである。
霊夢は、僕の質問に対してまたしても何も言わず、好きにしなさいというように博麗神社の中へと消えていった。
博麗神社は、あくまでも妖怪退治を生業としている霊夢がいる場所。本当なら妖怪が入っていくことは許されないことなんだと思うけど。こういうところが、さばさばしている彼女の一つの優しさの形なのだと思った。
「ほら、行こう?」
「はい……」
そっと妖怪へと手を差し出す。
妖怪の震える右手が僕の左手に重なる。重ねられた手は少し冷たく、力がなかった。
一歩一歩、歩みを進める。妖怪の足取りはかなり重く、なかなか前に進まない。体調が悪いというより、怪我をしているというようなぎこちなさである。できるだけゆっくり、できるだけ負担にならないように、妖怪自身が歩ける程度の速度で左手を引いてあげる。
妖怪は、少し嬉しそうな顔で僕を見つめてくる。僕は表面上では笑顔を浮かべたが、内心では申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
霊夢は、神社の縁側から怪訝そうな視線をこちらに向けるだけで何も言わなかった。
「横になって、楽な体勢をとって」
「はい……」
自分の布団を畳の上に敷く。
妖怪の着ている着物が土で汚いとか、布団が汚れるとか、そういうことを気にしている状況ではない。放っておけば今にも死にそうな様子なのだ。
洗えば元に戻るのだったらいくらでも僕の布団を貸そう。
今僕が使っている布団を本当に必要としている人は、僕ではなく目の前にいる妖怪である。
妖怪は持っていた物を全て布団の隣に置くと、布団の上に横になった。
「晩御飯を作って来るからそれまで休んでいて。話をするのは明日でいいから。今日は体を休めてね」
僕の言葉に対する妖怪からの答えは聞こえてこなかった。聞こえてきたのは、一定のリズムを刻んでいる寝息だけだった。
今日の晩御飯はそうめんだった―――というかそうめんにした。食べやすいものと思って僕が作った。ほとんど霊夢に食べられてしまって作る量が少なかったと反省しつつ、自分の分を半分だけ残して食べるかなと思って部屋に持ち込んではみた。
だが、妖怪はずっと寝たままだった。
そう、ずっと寝たままだった。
結局、その妖怪が目覚めて口を開いたのは、それから三日後である。僕が霊力増加のための練習をしているときに起きたようで、集中している僕へと声をかけてきた。
「すいませんでした。長い間眠ってしまったみたいで……迷惑をかけました」
「いいよ。受けいれたのは僕の方だ」
そう、今思えば捨て置くこともできた。あの時、博麗神社にやってきた時―――置き去りにすることもできた。
そして、そのまま死んでもらう、そのまま霊夢に処理してもらう―――なんてこともできないことは無かった。
なんで受け入れたか。それはきっと妖怪が―――僕の尊敬する彼女だったから。他ならぬ彼女だったからだろう。
「もう、大丈夫なの?」
「はい、平気です」
「それじゃあ……話、できるかな? 僕の部屋でいいよね」
「はい……」
尊敬する彼女とは―――犬走椛のことである。
椛は、まだ少しだけ疲れている顔をしていた。休んだとはいっても疲れが抜けていないのがまるわかりだった。
それでも、口が裂けても止めておこうなんて言えなかった。気を遣っても彼女が大丈夫と言って聞かないのはなんとなく分かっていたし、口に出すことでより彼女を追い詰めるような気がしたから。
僕の部屋に入った二人の会話の始まりは、椛からの一言からだった。
「本当に和友さんと会えてよかったです。あのままだったら死んでしまっていました」
「あんなに追い詰められるなんて、何があったの?」
「口にするのも非常に恥ずかしいのですが、妖怪の山の仲間と喧嘩をしまして……」
「喧嘩? それは他の白狼天狗とってこと?」
「そうです。ちょっと我慢ができなかったので……つい手が出てしまいました」
椛は、妖怪の山の仲間と喧嘩してああなったという。喧嘩をしてあれだけボロボロになって、死にそうなところまで追い詰められたという。
そんなことがありえるだろうか。椛の怪我の具合を知っていると余計に強く疑問を感じるが、喧嘩というにはやりすぎである。喧嘩というレベルで納めていい話ではない。喧嘩と言うか、もう関係を修復することができないほどの争い―――殺し合いがあったと思う方が自然だ。死んでしまう可能性があったというのは、そういうことのはずである。
それだけのことが起こる理由。
椛がそんなことをしてしまう理由。
何となく分かる。
言わなくても想像できる。
だけど、それは椛の口から聞かなければならなかった。
「どうして喧嘩になったの?」
「っ……」
僕の言葉を聞いた瞬間に椛の顔が露骨に強張った。
視線が下がる。気持ちが落ち込む。声が出なくなる。
分かっている。言いたくないことぐらい。
でも、聞かないと分からないのだ。
知っていても聞かなきゃ分からないのだ。
本心なんて、誰にも分らないようにできているのだから。
誰にも分らないようにできているから、分かりたいと思うのだ。
僕は、彼女がそうしてしまった理由を知りたかった。
知っておかなければならないと―――直感的に思った。
椛は、僅かに上目使いになりながら口を開いた。
「話さないといけませんか?」
「話さないと分からないよ? 僕が分からないまま、知らないままでもいいっていうのなら話さなくてもいいけど……それが何のためなのか考えてね」
「何のため?」
「椛は、何のために黙っていたいの? 自分の名誉のため? それとも僕を傷つけないようにするため?」
何のために。目的はどこにあるのか。
ここがしっかりしていれば、きっと続けていける。
何となくというありもしない目的で相手を振り回すのだけは止めた方がいい。
きっと後で取り返しのつかないことになる。
そう、それはきっと僕にだって言えること。
「理由がはっきりしているならいいよ。もちろん話してくれてもいいし、話せる時になったらでもいいから。自分の心だけには嘘をつかないようにね」
「はい……」
椛の口から力ない声が漏れ、しばらくお互いの間を沈黙が支配する。お互いに何を話せばいいのか分からなくなり、押し黙った。
僕から聞きたいことは色々ある。
何でここに来たのかとか。
これからどうするのかとか。
だけど、それは僕が知りたいことであって椛が言いたいことではない。椛が言いたくないことは、基本的に聞いても回答は得られないだろう。先程の質問に応えられないようでは、僕の質問に応えられるとは到底思えなかった。
なんで喧嘩になったのか―――その理由に僕の質問の全てが含まれている気がしたからである。
何も応えられない椛に対してこれ以上できることは何もなかった。あるのは、怪我の治療が終わったら博麗神社から出て行ってもらって、いつも通りの日常を送ってもらうという選択肢しかない。
新たな選択肢を生み出すためには―――椛から話を持ち掛けてもらう必要があった。
それを知ってか知らずか―――椛は僕に向かって頭を下げた。
「あの、もしよろしければ、私をここに置いてもらえないでしょうか。自分で言うのもあれですが、妖怪の山を追い出されて行くところがないのです」
「……約束をしてくれるのなら、ここにいてくれて構わないよ」
「えっ! 本当ですか!?」
僕の言葉に勢いよく椛の頭が上がる。
断られると思っていたのだろう。
あの時、思いっきり椛の告白を断ったこともあって拒絶されると思っていたのだろう。
実際断った方がいいのだろう。霊夢のことを考えれば博麗神社に妖怪を住まわせるべきではない。依存のことを考えれば、第二の藍を作りかねない。
それでも受けたのは僕なりの、僕のための理由からである。
僕が望んでいる未来は、自分一人の力だけでは到底たどり着けない場所にある。誰かの力を借りなければ成し遂げることができないのは、力の無い自分が一番よく分かっている。
だからこれは、取り返しのつかないようなことにならないようにするために、相手を振り回すために、僕の願いを叶えるために必要なこと。
何よりも―――僕と同じ土俵に立ってもらうために必要なことだった。
「それは、どんな約束でしょうか?」
「椛には僕の願いを叶えてもらいたいんだ。僕の最後の願いを―――」
僕が願いの内容を口にした瞬間―――椛と僕の間の空気が時を止めた。
今回のお話は、主人公と霊夢のやり取りと犬走椛がやってくるお話です。
会話のイメージはつきましたでしょうか。
これが霊夢の全てであるわけではないですが、主人公との会話はこんなものです。
また、新しく主人公の下に犬走椛が現れました。
これからどうなるのでしょうね。
感想・評価につきましては、いつでもお待ちしております。
追記
風邪は完全に治りました。
これからは、健康に気を付けて頑張ります。