ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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この話が第五章のラストになります。


失ったもの、残されたもの

 藍は、空に輝く月を見上げていた。

 雨が降ると思われた天気だったが、雲はどこかへ行ってしまって月だけが独りきりで夜空を独占している。独りきりの月は、真っ暗な寄るの中でくっきりと世界を照らしていた。

 

 

「やっと見つかった。私の本当に欲しかったものが、私が最も描きたい未来が」

 

 

 そっと月へと手を伸ばして握り締める。

 自分の欲しかったものが見えた。自分が目指すべき未来の形がはっきりした。自分が本当に大事にしていたものが何なのか分かった。

 迷子になっていた本当の自分の気持ちがうるさいほどに叫んでいる。

 見えている月のように目立って強調されている。

 二度と見失うものか。

 絶対に忘れない。必ず見つけてやるから。

 だから、少しの間待っていてくれよ。

 少しの間だけ、独りで泣いて待っていてくれ。

 私が和友の心の中でそうであったように。

 私がお前の手を握る―――その時まで。

 そんなことを考えていると、月を覆い隠すようにある人物の顔が視界を覆った。

 

 

「和友、無事か?」

 

「見ての通りボロボロだよ。怪我をしていないところを探す方が難しいぐらいだ」

 

「ははっ、紫様は容赦ないな。私も動けそうもない、喋るのがやっとだ……」

 

 

 視界に映る少年は、全身ボロボロだった。拳で殴られた傷から、ナイフで刺された傷から、たった今撃ち落された衝撃による傷で体中が傷だらけだった。

 最後の紫の一撃に限って言えば、ほとんど藍が一人で受けた形になっていたのでダメージは少ないようだが、落下の衝撃が相当大きかったのだろう。少年の瞳からは力が感じられなかった。

 そんなボロボロの少年に対して藍の怪我もかなり酷かった。口を動かして話をするのがやっとの状態である。

 藍は、本当に容赦のない方だと―――少し笑った。

 

 

「はぁ、負けた負けた。やはり紫様には敵わないな。二人ががりでこのざまだ」

 

 

 大きく深呼吸をして目を閉じる。そして、伸ばしていた手をゆっくりと落とした。

 体はあおむけで、地面に寝転がっている。

 なんとも清々しい気分だった。負けたのに、これから大きなものを失うというのに、それほど後悔の気持ちが押し寄せてこない。不思議と笑みが浮かんでくる。心にのしかかってくるものは特になく、もともとあったものだけが光を放っていた。

 

 

「次は負けませんよ。次は私の希望で紫様の覚悟を打ち破って見せます」

 

 

 未来を、将来を、希望を持って迎えられる。

 いや―――迎えに行ける。

 自分から光のある方向へと歩いていける。

 

 

「その時は僕も一緒に」

 

「ああ、その時も一緒に」

 

 

 少年の手が倒れ込んでいる藍の手をそっと握った。

 この温かさがあれば、進んでいける。

 

 

「和友の手はいつだって温かいな。安心できる温度だ。私にとってちょうどいい温度だ」

 

 

 温かい温度が藍へと伝わってくる。

 この温度を守りたくて戦った。

 この温かさを守りたくて戦ったのだ。

 本心を見つけるまでに時間がかかって後悔している部分もあるが、その後悔を背負って歩いていけるだけの力は残っている。

 いつか、その後悔が力に変わる。

 二度と後れを取らないと心に誓う。

 今度は、私から先制攻撃を。

 今度は、私の方から手を差し出すから。

 私が和友に手を差し出すからな。

 藍は、にっこりと笑って空へと微笑みかけた。

 少年は、微笑んでいる藍に向けて優しく言った。

 

 

「おやすみなさい。また明日、いいことがあるといいね」

 

「ああ、おやすみなさい。今日はぐっすり眠れそうだ」

 

 

 ここにあったのは、いつもの日常だった。

 眠っているのが自分の部屋の布団ではなく、冷たい地面だという点はもちろん違っている。ここが紅魔館でマヨヒガでないことも違っている。何一つ共通点がないように思われる状況だった。

 だが、不思議と冷たさは感じなかった。

 少年の手から伝わってくる温度がいつもと変わらなかったからだろうか。

 届いた少年の声はこれまで聞いてきた中で一番安心する声だった。

 体中が温かな温度に包まれている。

 明日も、きっといいことがある。

 今ならば、そんな希望を持って明日を迎えられる。

 そんな気がした。

 そんな気がしたことが、心を健やかにさせた。

 そんな日常の一部が、心を温かくした。

 

 

「藍……」

 

 

 紫の口から少しの戸惑いが含まれているような声が吐き出される。

 紫の瞳は藍を心配するような視線を送っていた。

 後悔しているのだろうか。

 行動の結果を見て後ろめたさを感じているのだろうか。

 藍は、僅かに後悔の色が見え隠れする紫の顔を見て黙っていられなかった。

 

 

「紫様、私はきっとみんなが笑顔でいられる未来を掴んで見せます。この手で探して掴んで見せますから。覚悟していてくださいよ」

 

 

 藍からの宣戦布告が告げられた。

 今から少年に関する記憶が曖昧になって、少年のことを忘れてしまうというのに。

 過去の重みを失ってしまうというのに。

 藍の口から出てきた言葉は、未来を掴んでみせるという希望に満ちた言葉だった。

 藍の言葉で紫の顔から暗い表情が消える。

 紫は、藍と同じ不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「ええ、待っているわ。貴方が希望を見つけるまで、貴方が全てを取り戻して、全てを手に入れるその時を心から祈っている」

 

「……ははっ、本当に―――今日はいい日でした」

 

 

 大きく息を吐く。全身からゆっくりと力が抜けていくのが分かる。体の先端からどんどん動かなくなっていく。

 藍は、最後に残った力を振り絞って口を動かした。

 

 

「また明日です。明日も、いい日になるといいですね」

 

「「おやすみなさい」」

 

「おやすみなさい」

 

 

 その言葉を最後に―――藍の意識は完全に失われた。

 少年と紫は、満たされたような表情で眠る藍を見て、微かに笑みを浮かべた。

 

 

 

 藍が意識を失った後、さまざまなことがあった。

 

 意識を失って眠ってしまった藍をマヨヒガへと移動させ、布団に寝かせる。

 眠る藍の様子を見る紫の目は愛しいものを見つめるような瞳だった。少しだけ傷ついた手で優しく藍の頭をなで、お疲れ様とねぎらいの言葉をかける。

 その時の藍は少しだけ嬉しそうな顔をしていたように思う。眠ってしまって意識がないというのにそんなふうに見えた。気のせいだと思うけど、そう思ったんだ。

 

 藍を運んだ後、紅魔館へと再び戻り、レミリアへと事情説明をした。

 その途中で咲夜から少年へ謝罪が行われた。

 

 

「笹原さん! 誠に申し訳ありませんでした!」

 

「別にいいですよ。命を狙われるようなことをしてしまった私も悪かった、恨まれる方も悪いのです。それでも気にされるということでしたら、今度から気を付けてください。僕から言えることはそれだけです」

 

 

 少年は、特に気にしている様子もなく、今度から気を付けてくださいと言って咲夜を許した。

 フランは「やっぱり私の言ったとおりでしょ」と言いたげな様子で咲夜の背中をそっと叩く。その後、酷く安心した様子でフランと談笑を交わしている咲夜の姿が見られた。もう、恐怖に打ち震える心配はなさそうである。

 壊れてしまった紅魔館の修復に関しては、八雲紫も手伝うということで合意した。壊してしまった大半が八雲側の家族喧嘩が原因であるため、直さずに放置するということはさすがにできなかったようである。

 損害の補償問題の議論を終えると、もう紅魔館でやることは何もない。

 少年と紫は、大きな傷跡と大きな思い出を刻み付けて、マヨヒガという我が家へと帰ろうとしていた。

 

 

「それじゃあ、私たちはマヨヒガへと帰るわ」

 

「ちゃんと責任を持って直しなさいよ。これじゃあ雨風を防げないわ」

 

 

 レミリアは、紅魔館が壊れた状態であり、それを直してもらえるのかについて危惧しているようである。紫という人物にあまり信用が無いようで、本当に直してもらえるのか謎であるということも不安の要素としてあるのだろう。吸血鬼が流水を苦手としているというもの一つの要因となっているのだろう。

 紫は、レミリアの信用のない台詞に少しばかり苛立つ様子を見せながらも、喧嘩を売るような台詞を口にした。

 

 

「しっかり直すわよ。貴方こそ、とびっきりのワインを準備しておきなさい」

 

「…………もちろんよ」

 

「貴方……賭け事をしたことを忘れていたわね」

 

 

 レミリアの反応はかなり鈍かった。きっと賭け事をしていたことを忘れていたのだろう。

 紫は、少しだけ呆れた顔をしながら笑いかけた。

 

 

「今度来た時、一緒に飲みましょう。それでいいしょう?」

 

「ええ、楽しみにしているわ」

 

 

 少年と紫は、颯爽と紅魔館の人間に向けて別れの言葉を口にする。

 

 

「「さようなら」」

 

「「「「さようなら」」」」

 

 

 挨拶の言葉が八雲側と紅魔館側で確かに交わされる。それと同時にスキマが展開され、少年と紫の姿は暗闇の中へと消えていった。

 

 

 

 

 ―――マヨヒガ―――

 

 辺りはもう真っ暗闇で、空からの星と月の光が降り注いでいる。マヨヒガの部屋の中も灯りは点いていない。

 真っ暗な中で3人の姿がシルエットもなく確かにそこに存在していた。

 

 少年は、眠っている藍の傍で静かに佇んでいた。紫も佇んでいる少年の傍にいた。横になっている藍の前で二人並んで座っている。

 これから行うのは、藍の中にある少年の記憶を曖昧にする作業である。

 少年の右手がそっと藍の額に乗せられる。藍の額からは確かな熱が伝わってくる。藍の腹部は呼吸のたびに上下している。生きている、確かにここに生きていることを示している。

 もうすぐ始まる。

 これまでを消す作業が始まる。

 すぐにでも記憶を曖昧にしようとする少年の行動に紫の口から不安の声が漏れた。

 

 

「本当にこれで良かったのかしら……」

 

「良かったかどうかは、これから決まるんだよ」

 

 

 紫の視線が少年に向けられる。

 少年の表情は凄く満たされていた。

 

 

「みんな後悔するかもしれない。辛い想いをするかもしれない。だけど、それを選んだんだから。だから―――きっと抱えて進んでいける」

 

 

 藍の記憶を曖昧にするために能力を行使する。

 曖昧にするのは少年に関わる記憶である。これまで積み重ねてきた2年間の思い出を曖昧にする。

 人里へ遊びに行ったことも。

 一緒にご飯を食べたことも。

 一緒に能力の練習をしたことも。

 何もかも分からなくなって。

 あったのかなかったのか分からなくなる。

 

 

「僕の記憶だけを曖昧にする。まぁ、そもそも僕の記憶に関する部分だけしか曖昧にすることができないんだけどね」

 

 

 少年の境界を曖昧にする程度の能力は、まだ完全に制御できるようになっていない。曖昧にすることができるのはあくまでも自分に関する記憶だけである。

 

 

「もう少しだけでも上手くなっていればよかったけれど―――高望みだよね。僕ができる限りをやった結果がこれなんだから、これ以上を望むのは傲慢だ」

 

 

 2年という月日の中で能力を一人前に使いこなすようになるのには無理があったのだ。

 2年という月日は、長いようで非常に短い。中学生の時に部活動で初めての何かを始めた人ならば理解しやすいだろう。2年間で上手くなるレベルなどある程度でしかない。2年間しかやっていない人は3年やっている人に大概勝てない。それは、2年と3年は大きく違っているからである。

 身についたというのは、そういう1年ごとの格差が小さくなってきたときに言うことができる言葉である。10年と11年は余り変わらないだろう。100年と101年は、もっと変わらないだろう。身についたという言葉が出てくるのは、そういう数字に曖昧さが出てくるところに来てからなのである。

 紫ですら数100年という時間をかけて能力を習得したのだ。少年が片手間のように数時間毎日やっていたところでできるようになったことなど、触り部分だけだった。

 

 

「おやすみなさい。いい夢を見てね」

 

 

 少年は、僅かに使えるようになった境界を曖昧にする程度の能力を行使し、藍の中にある少年という存在を曖昧にする。少年という存在を定義している境界線をふわふわとした曖昧なものにする。そして、それに関連する記憶の境界線も曖昧にして、思い出せないようにする。

 何時という情報を曖昧に。

 何をしたかということも曖昧に。

 何を想ったかという部分も曖昧にしていく。

 存在が書き換えられるように少年のことを思い出せなくなる。

 紫と永琳は、この作業のことを―――存在を削る作業だと称した。

 辛い作業だろう。

 自らを消してしまうような苦しみが伴うだろう。

 だが、少年には戸惑う様子も躊躇する雰囲気も全く見られなかった。

 

 

「辛くはないの?」

 

「辛くないよ。きっと、紫や他のみんなだったら辛かっただろうけど、藍に限って言えば全く辛くない。今の藍なら全く怖くない」

 

 

 少年の口からはっきりと辛くないと断言された。

 不安などなかった。

 心配することもなかった。

 あの時のことがあったから。

 実績がすでに生まれているから。

 一度できたのだ、何度だってできるさ。

 できなければ―――できるまで待っていればいい。

 できるまでだったらきっと生きていられる。

 それまで、辛抱強く待っていればいい。

 あいにく、待つことには慣れている。

 それがこれから少しばかり続くだけだ。

 

 

「そうだよね。僕は藍を信じている。藍を信じて待っていられる」

 

 

 少年の手が僅かに発光する。

 そっと目を閉じ、体に少しだけ力を入れる。

 後は、境界線を曖昧にするだけである。

 それで―――過去が分からなくなる。

 未来しか見る必要が無くなる。

 

 

「藍なら必ず見つけられるから」

 

 

 紫は、笑顔を見せる少年を見てクスリと笑った。

 心の底から藍のことを信頼しているのね。

 藍なら見つけてくれるって。

 迷子を見つけられるって。

 貴方は、ずっと待っていたんだもの。

 救いを持ってきてくれるヒーローの存在を。

 終わりをもたらしてくれる勇者の登場を。

 心の底から願っていたのだから。

 紫は、少年が藍にかざしている右手とは逆の左手をそっと握った。

 

 

「紫、ありがとう。でも、僕はもう大丈夫だから。僕は、もう見つけられた。進む道に不安はない。迷うこともきっとない」

 

 

 藍の少年に関する記憶は、次々と曖昧になる。少年の存在を曖昧にするところから始まり、それに付属している、関連している記憶を曖昧にする。

 藍の心の部屋にある入れ物の中に存在する少年に付属しているものを、別の場所に隠しておくのである。これで思い出そうと思ってもどこにあるのか分からなくなる。

 ついで、その記憶の形を変更しておく。見つけても、それがどんなものだったのか思い出せないように原型を消しておく。

 少年の行っている行為は、そういうイメージのものである。

 

 

「僕は迷わないから。願うべき未来のために全力疾走する。走って、走って、皆に追いついてみせる」

 

 

 少年は、もう迷うことはないだろう。求めるべき未来は決まっている。はっきりと見えている。そのために何をすればいいのかも分かっている。

 そして、それに立ちはだかって来るだろう存在も理解している。

 少年の望む未来には障害が立ちはだかる。確実に、絶対に、敵対してくる者が現れる。それは藍かもしれないし、他の誰かかもしれない。そんな曖昧な予測だけど、絶対に現れる。現れると知っている。それを押し通し、突き通す。そこまでもが少年が望んでいる未来の形である。

 みんなに追いつきたい。

 みんなと肩を並べたい。

 正々堂々と同じ土俵で勝負がしたい。

 その願いも網羅した未来予想図。

 最後の最後まで見えている階段の螺旋。

 登りきるためには、到達するためには、少年だけでなく周りの協力も必要だ。

 終わりを迎えるための環境を作り出す存在が必要である。

 

 

「これからは紫たちの番だ。僕がこれだけ大事にしているみんなだから、きっと期待に応えてくれるって信じている」

 

 

 紫は、少年の意図を自分なりに解釈した。死ぬ時に周りが引きずらないようにすること、それが少年の期待しているところだと考えた。

 本当はそれだけではないのだが、現時点で分かっていることが僅かであることを考えれば、ここまでしか出てこなくて当然である。

 紫は、自信を持って少年を安心させるようにはっきりと告げた。

 

 

「ええ、必ず―――和友の期待に応えて見せるわ」

 

「みんなが全てを塗り替えて、全部を塗り潰す未来を。僕ごとまっさらに真っ白にしてくれる、そんな未来を待っているから」

 

 

 真っ直ぐな視線が紫へと向けられる。

 その口からは、心の奥底にある望みが零れ落ちた。

 

 

「僕が安心して逝ける、そんな未来を作ってね」

 

 

 紫は、少年の言葉に確かに頷いた。紫の瞳はしっかりと少年の瞳を見つめている。

 少年は、嬉しそうに笑顔を作った。

 

 

「うん、これで終わりだ」

 

 

 光っている少年の右手が藍の額から持ち上げられる。

 どうやら記憶を曖昧にする作業はこれにて終了のようである。

 もう何もすることはない。曖昧になった境界線は紫の力でも元には戻せないし、少年自身の力でなかったことにすることもできない。もう後戻りはできなくなった。少年の記憶を取り戻すには、藍が自分で見つけなければならなくなった。

 

 

「さて……」

 

 

 少年の折られていた足が伸ばされる。もうやるべきことは全て終えたとでもいうように、そっと後ろを向いて部屋を出ようとする。

 どこに行くのだろうか。

 紫は、心の中に湧き上がった疑問を口から出した。

 

 

「和友は、これからどこに行くつもりなの?」

 

 

 少年はこれからどこで生活するのだろうか。

 これから少年はマヨヒガを出て行くことになる。藍の少年に関する記憶を曖昧にしても、ずっとマヨヒガに住んでいたのでは前と同じ環境が出来上がってしまうだろう。前と同じ―――依存する関係が出来上がってしまう。

 どうしても少年は、マヨヒガの外へと出て行かなければならない。マヨヒガではない幻想郷のどこかで生きていかなければならない。

 

 

「どこに、か。どこに行こうかな」

 

 

 少年が過ごすことができる場所は、何処だろうか。

 少年が繋がりを持っているのは、人里、妖怪の山、永遠亭、紅魔館のみである。

 消去法で考えれば人里一択だろう。

 永遠亭はあくまでも職場であり、永琳が少年を受け入れるとも思えない。

 紅魔館は問題なく受け入れてくれるだろうが、レミリアに対して言った少年の一言が後ろ髪を引いている。一度誘いを断っているということも、貴方では僕を見つけられないと言ってしまった言葉も、紅魔館を選ぶための足かせになっている。

 妖怪の山は人が暮らす場所ではない。あんなところに住んでしまったら、それこそ問題になる。問題を起こしてしまった際に椛や文の迷惑になることも考えられる。

 そう考えると人里に住むという選択が人間である少年にとって最も良い選択肢のように思われた。

 

 

「そうだね……特に決まってはいないんだけど、人里に行こうかと思う。マヨヒガには住んでいられないから新しい住居を探さなきゃいけないし……山本さんに相談してみようかな」

 

 

 少年は、どうやら筆一本の店主である山本に頼るつもりのようだった。

 確かに、少年のことを気に掛けている店主ならば、少年を家に泊めるぐらいわけはないだろう。聞いてみなければわからないが嫌な顔はしないはずである。

 それに、お金は自分で稼いでいるのだ。家賃としていくらかのお金を払えば、きっと泊めてくれるだろうと予測を立てることができた。

 だが、この選択はこれまでの繰り返しになる可能性がある。少年が危惧しているのは、自分の心の大きさが誰かを惹きつけるのではないかという部分である。

 惹きつける力は、店主に対しても問答無用で働くだろう。

 第二の藍が生まれてはならない。また、こうして記憶を曖昧にしなければならなくなる。こうして関係を断ち切らなければならなくなる。

 二度と記憶を曖昧にするなんてこんなことをしないように、こんなことにならないような関係を作る。それは、少年も望んでいることだと紫は思っていた。

 

 だとしたら―――最適な人物がいる。

 

 紫の知っている人物で他人に惹かれることのない人物。その場で浮いていて誰にも引き付けられない人物がいる。

 

 

「だったらいい場所があるわ。あの子ならきっとあなたの力の影響を受けないでしょうし、和友にとって居心地のいい場所になるはずよ」

 

 

 紫は、少年の考えを聞いて一つの提案を持ち掛けた。ある人物の下へと行くことを提案した。

 少年は、これまでに何度か聞いたことのある名前に少しだけ考え込む。

 その人物は、幻想郷で相当な影響力を持っている人物である。知名度もかなり高い。どこに行っても知っている人物しか見当たらないのではないかというぐらいには、その名が幻想郷中に広まっている人物である。

 果たしてそんな人物の下へ行ってもいいのだろうか。もしも惹きつけるようなことがあれば、幻想郷に大きな影響を与えることになる。

 不安そうに少年の視線が紫に向けられる。紫は、安心しなさい、絶対に大丈夫だからとでもいうように確かな視線を返してきた。

 

 

「あの子には、私の方から説明しておくから」

 

「分かったよ」

 

 

 さて、だとするとこれからどう移動すればいいのだろうか。記憶の中から向かうべき目的地を記憶の中から引っ張り出す。

 この場所も幻想郷の要所の一つとして覚えた場所である。

 頭の中で幻想郷の地図を想像する。想像の中で地図を描き出す。過去に藍がやったように霊力を使って地図を描き出すだけのレベルには至っていない。いつかできたらいいなと思いながらも、それができるところまでにはまだ時間がかかるようである。

 方角と距離を把握する。飛んでいけば1時間程度だろうか。今は怪我も治っていないため、3時間近い時間がかかりそうだった。

 そんな少年の心配を先読みするように紫の口から自分が連れていくと告げられた。

 

 

「荷造りしてきなさい。私が連れていってあげるわ。1時間後に貴方の部屋に行くから、それまでに準備しておきなさい」

 

「了解、急いで準備をしてくるよ」

 

 

 少年は、自分の部屋へと向かった。

 

 

「何を持っていけばいいのだろう?」

 

 

 持っていくべきものは何があるだろうか。これから生活するために必要なもの。衣類や生活に使うもの、布団やタオル、歯ブラシなども必要だろう。

 それに、藍が自分の残したものを見て何かを思い出す可能性があるものは残しておくべきではないかもしれない。そうだとするならば、自分が使用していた全てのものを持っていかなければならないのだろうか。あるいは、捨てなければならないのだろうか。

 

 

「結構境界線を引くのが難しいな」

 

 

 そんなことを考えながら自分の部屋へと入り込む。

 真っ暗な中で行灯に明かりを灯した。部屋の中がうっすらと見える程度に明かりが点いた。

 部屋の中がかすかに見えるようになる。もともと暗い中にいたため瞳孔も開いており、僅かな明かりでも十分に部屋の中を見渡せることができた。

 薄暗い視界にある人物の存在が浮き出てくる。

 少年の部屋の中には―――すでに先客がいた。

 

 

「和友は、マヨヒガから出て行くの?」

 

「橙、なんで……」

 

「だって、さっき紫様と話しているのを聞いたから……」

 

「あの話を聞いていたのか……」

 

 

 少年の部屋の中には橙の姿があった。

 どうやら先程の紫との会話を聞いてしまったようで、今にも泣きそうな顔で少年を見つめている。

 藍の記憶を消したこと。

 そんなことまでして出て行くことを知ったのだろう。

 それを知った橙の瞳には、マヨヒガから出て行かないでという気持ちが込められているようだった。

 少年の手が涙を瞳に浮かべている橙の頭をポンと叩いた。

 

 

「ほら、何泣きそうになっているんだよ」

 

 

 橙の頭の上から跳ねるように少年の手が離れていく。

 少年は、流れるように部屋の中を整理し始める。必要なもの、ノートや筆、衣服からカバンや袋に次々と入れていく。

 橙は、しばらく茫然と立ち尽くすと勢いよく振り返った。

 

 

「なんでマヨヒガから出て行くの!? 藍様のため!?」

 

「藍のため、それもあるけど。僕のために出て行くんだよ。どちらにしても、病気のせいで後2年しか生きていることができないのだから。少しだけ早くなっただけさ」

 

「後、2年……? 病気……?」

 

「そう、後2年。僕は病気で死んでしまう」

 

 

 橙は少年の言葉に唖然とした。知らない情報が頭の中をかき回す。頭の中が真っ白に染めあげてられていく。

 そして、少年が伝えてくれなかった、相談してくれなかったという怒りが心の中からふつふつと湧き上がってきた。

 

 

「なんで……!」

 

 

 どうして相談してくれなかったのか。

 どうして話してくれなかったのか。

 何も知らなかった。

 何も分かっていなかった。

 何も気づかなかった。

 信用されていなかった。

 負の感情が心の中に沸き立ち、暴れている。

 

 

「なんでよ! なんでいつもそうなの!?」

 

 

 少年は、怒りに染まっている橙を無視して荷物を整理していく。

 文房具は入れた。まだ読んでいない文の新聞も入れた。衣服も入れた。そして、出しっぱなしになっていた布団を押し入れに片付けようとする。畳に敷きっぱなしになっていた布団に腰を落として抱えようと手を広げる。

 その時―――唐突に訪れた衝撃に襲われ、少年は押し倒された。

 

 

「和友はいつもそうだ! 私に黙って大事なことは何も伝えてくれない。藍様のことだって、病気のことだって、何も教えてくれない!!」

 

 

 少年を布団の上に押し倒す。少年が起寝返りを打って仰向けになると、少年を制圧するように上に覆いかぶさる。少年の両肩は、がっちりと橙の両手で押さえつけられた。

 少年の顔の前には、涙を流している橙の顔があった。

 

 

「なんで!? なんでよ!? なんでなの!?」

 

 

 少年の頬に橙の涙が付着する。流れ落ちた悲しみは少年の頬を濡らした。

 泣いている橙を見つめる少年の瞳は、酷く優しかった。その向けられる瞳に我慢できなくなる。涙が止めどなく流れる。

 その感情に抗うように、力強く少年の服を握り締める。

 橙の心の壁は、もうすぐ決壊するところまできていた。

 

 

「どうして何も教えてくれなかったの!?」

 

「橙はきっと話してしまうから。藍にこのことが漏れたら全部が台無しになるから。結局……黙っていることなんてできなくて話してしまったけどね」

 

「どうして私を信じてくれなかったの? 話さないでっていわれたら、私だって……」

 

「いいや、橙はきっと話したはずだよ。僕は、橙がきっと正しい選択をすると思ったから。橙が思う正しさが、僕の思う正しさと違うことを知っていたから。だから話さなかったんだ」

 

 

 橙に病気のことを話さなかったのは、そこから隠すべき情報が漏れてしまうと思ったからだった。

 信用がなかったわけではない。信頼がなかったわけでもない。むしろ、橙のことを信用していたから、信頼していたから話さなかった。話すべきじゃないと思った。

 

 

「橙ならきっとこんな結末を望まないから。橙の望む未来は、きっと僕とは違っているから」

 

 

 橙ならば―――話すという選択を選んだはずだ。

 橙は知らないままで放置されて、知らない間に何かが決まっていることを嫌だと思っているから。藍と同じで、事実を話してお互いが最も望む結果になることを望んだはずだから。

 そんな橙の性格だから、話さないことを決めたのだ。

 

 

「僕は、橙と一緒に生活できて楽しかったよ」

 

「っ……」

 

「僕には兄妹がいなかったから。いたらこんな感じなのかなって、毎日が楽しかった。僕と橙じゃ、性格も姿も全然似ていないけどね」

 

 

 優しい少年の言葉を聞いてさらに握っている手に力が入る。握る手に力を入れすぎて、伸びた爪が刺さっているのが痛みとして伝わってくる。

 けれど、肉体的な痛みよりも、心が痛みで泣き叫んでいた。心が絶叫している。悲しみに泣いている。優しい言葉に―――心が頷いていた。

 

 

「僕は、だてに半年間も橙と家族として暮らしてきたわけじゃないよ。橙のことは良く知っている。ねぇ……橙も僕のことをよく知っているでしょう? 僕は頑固で、意地っ張りなんだ。だから認めて欲しい。僕の決断を応援してほしい」

 

 

 少年は、マヨヒガでの生活を楽しく過ごしてきた。

 藍がいたこともそうであるが。

 紫がいたこともそうであるが。

 やっぱり橙もいたから楽しかったのだ。

 別れ際になるとそう思わされた。

 こうして面と向かっていると、その存在の大きさを感じた。

 こうして別れ際になってみると、橙の存在を愛しく感じた。

 

 

「みんながいたから楽しかった。藍も、紫も、橙も、みんなが今を作ったんだ。僕は、みんなと家族として暮らせて楽しかったよ。今までで一番楽しかった。一番……楽しかったんだ……」

 

 

 誰かが欠けてもいけない。

 みんながいたから、マヨヒガでの生活は楽しかったのだ。

 藍と紫が母親と父親の代わりだとしたら。

 橙は、妹のような存在だったことだろう。

 新しい家族の形を作ったのは、橙という存在だったことだろう。

 我儘で自分勝手な部分もあるけど。

 生意気な部分もあるけど。

 何をするにも、楽しそうにしていた橙の存在が。

 何をするにも、一緒にやってきた橙の存在が。

 少年に楽しさを与えてきたのだ。

 少年の瞳からも涙がこぼれる。

 橙の涙が伝った後を追うように流れていった。

 

 

「橙は、楽しかった? この半年……いや、この1年僕と一緒に生活できて楽しかった?」

 

「うん……うんっ……楽しかったっ!」

 

 

 泣きながら少年に楽しかったと伝える。

 間違いのない、素直な気持ちを伝える。

 マヨヒガで過ごしたこれまでの思い出を込めて言葉にする。

 楽しかったなんて、当たり障りのない言葉だけど。

 それが一番合っている気がした。

 それがマヨヒガで一緒に過ごした日々を表している言葉な気がした。

 少年は橙の言葉に嬉しそうに笑う。笑顔を浮かべると、瞳に溜まった涙がまた一粒流れていった。

 少年は、そっと体を起こして両手を広げると橙の体をぎゅっと抱きしめる。

 

 

「楽しかったよなぁ、楽しかった。本当に、もったいないぐらいに楽しかった」

 

「うん……うんっ……」

 

 

 橙は少年に応えるように腕を回し、少年を抱きしめ返す。お互いの想いを伝えあうように心を重ね合わせた。

 橙を抱きしめたまま立ち上がろうと少年の足が動く。橙は、少年の動きに反応してそっと立ち上がった。

 立ち上がった少年の両手が前に出される。橙も少年の動きに合わせるように両手を差し出した。

 二人の両手が綺麗に重なる。

 

 

「和友、私たちはずっと家族だから。どこにいったって、私たちは家族だからね」

 

「うん、ずっと家族だよ。離れていても、ずっと家族だから」

 

 

 抱きしめている腕を外して少しだけ距離を離す。

 二人は同じような笑顔を浮かべていた。

 泣きながら笑顔を作っていた。

 

 

「私達は、家族だから」

 

 

 いつだって和友は卑怯だった。

 大事なことは全部隠したままで。

 大事なところでいつも口を閉ざして。

 私は、和友の過去に何があったのか詳しく知らない。

 病気であったこともつい最近知った。

 どんな病気だったのか。

 どれだけ苦しんだのか、全く知らない。

 でも、一緒に生活してきた生活は楽しかった。

 比較なんてできる思い出は持っていないけど。

 それでも、確かに楽しかったって言える。

 意地っ張りで。

 頑固で。

 一生懸命で。

 そんな和友と一緒に過ごしてきて楽しかった。

 生まれて初めて、一緒に会話をした。

 生まれて初めて、一緒に生活をした。

 生まれて初めて、一緒に遊んだ。

 生まれて初めて、一緒に料理をした。

 生まれて初めて、友達ができた。

 生まれて初めて、家族ができた。

 生まれて初めて、人間が好きになった。

 初めては、いつだって和友と一緒に作ってきた。

 離れていても家族だよね。

 距離なんて関係ないよね。

 どこに住んでいるかなんて、どうでもいいよね。

 私たちは、これまでずっと家族だったんだから。

 私たちは、これからだってずっと家族なんだから。

 

 

「だから、またいつか家族一緒に暮らせる日を」

 

「待っているからね」

 

 

 二人の気持ちは、同じところにあった。

 同じ気持ちを重ねた。

 そこには、寸分の狂いもなかった。

 

 

 二人は会話を終えた後、一緒に荷造りをした。楽しく談笑を交えながら今が深夜の真っただ中というのに疲れを見せることなく、笑って過ごした。

 

 

 少年と橙が移動するための準備を終えてゆっくりと時間を流しているとき、紫から声がかかる。部屋の中にスキマが開き、紫が少年の部屋にやってきた。

 

 

「和友、準備はできたかしら? もうすぐ行くわよ」

 

「分かったよ」

 

「……橙もいたのね」

 

「紫様……ちょっと眠れなくて」

 

 

 紫は、橙が少年の部屋にいることに少しだけ驚きの表情を見せたが、その様子から全てが終わっていることを悟った。

 話してしまった。そして、それを納得した。橙の表情からはそのことが読み取れた。

 少年は、荷物を抱えて部屋の中に開いた紫の隙間へと入り込もうとする。

 

 

「橙、さようなら」

 

「またね、和友」

 

 

 またねという言葉に、少年の顔に笑みが浮かぶ。

 そして、スキマへと足を踏み入れるというところで振り返り、橙に向けてある言葉を告げた。

 

 

「橙、約束をして欲しいんだ。僕と大事な約束を交わしてほしい」

 

「あっ……」

 

 

 少年の言葉を聞いた瞬間―――橙の脳裏に何かがよぎった。

 以前、こんなことを話した覚えがある。

 こんな会話をしたことがある。

 頭の中でうるさく何かが泣き叫んでいる。

 どこかで聞いたことがある。

 きっとこれは大事なこと。

 大事な思い出の一つ。

 そんな気がする。

 思い出して、思い出して。

 泣き叫ぶ声が聞こえる。

 探さなきゃ、探してあげないと。

 橙は、少年の言葉を聞きながら心の中で迷子(記憶)を探し始める。

 

 

「藍のことを守ってやってほしいんだ」

 

「和友、私……」

 

 

 橙の脳内に過去の出来事が一気に想起されていく。

 思い出される記憶は少年が闘病していた時の記憶である。

 橙は、少年に惹きつけられるように現れた。

 それは、怪我をして、飢えていて、辛かった時のこと。

 まるでそこが安全な場所だと分かっていたかのように本能がそこに行けと叫んでいた。

 黒猫の猫又は、本能の赴くままに少年の病室に紛れ込んだ。

 真っ白な病室だった、何もないような寂しさが感じられる部屋だった。

 そこに、一人の少年が眠っていた。

 動かなくなってしまった足で、まだ動く腕をノートに走らせ、疲れ切った顔で眠っていた。

 黒猫は、横になっている少年のお腹の上で丸くなった。

 

 

「お前は、何処から来たの?」

 

 

 少年の居る場所は居心地が非常に良かった。

 

 

「お前なんて呼び方で呼ぶのはおかしいな。名前を付けようか。嫌なら、嫌って分かるように示してね。僕のネーミングセンスはいまだかつて誰にも評価されたことがないから」

 

 

 少年の言葉は真っ直ぐに届いた。

 話している言葉の意味は分からなかったけど。

 それでも、なんとなく優しくされていることは分かった。

 

 

「○○は、マイペースなんだね。寝て起きて、寝て起きてだけをしているような生活で暇じゃないのかな? まぁ、僕は○○がいてくれると少しだけ気が楽になるよ。○○は、どう思ってる?」

 

 

 少年の居る場所は温かくて、優しくて、安心できた。

 温かい手は、いつだって守ってくれていた。

 いつだって、優しく頭をなでてくれた。 

 いつだって、優しい場所だった。

 ずっと―――ここにいたかった。

 

 

「○○、そこにいるよな」

 

 

 和友に呼ばれた―――行かなきゃ。

 目が見えなくなって、手も上手く動かせなくなった和友が私を呼んでいる。

 いろんなものが変わってしまっていく中で。

 相変わらず、優しくなでてくれる。

 相変わらず、優しい雰囲気でいる。

 ここは変わらず、温かい場所。

 

 

「○○に、頼みごとがあるんだ」

 

 

 そう、そんな場所で頼まれごとをしたのだ。

 大事な人から、守ってくれていた人から頼まれごとをした。

 名前をくれた人が優しい顔で、今にも死にそうな顔で頼んできたのだ。

 

 

「僕の代わりに藍を守ってほしい。藍は酷く不安定だから。依代が必要になる。僕は、もうすぐ死んでしまうから、きっとこのままじゃ引きずって大変なことになる。僕の代わりに○○が藍を守ってほしいんだ」

 

 

 何て呼ばれていたのかは、思い出せないけど。

 どんな名前を付けてくれていたのか、思い出せないけど。

 一緒にいたことは、確かに思い出せる。

 あの真っ白な部屋で、二人きりだった思い出。

 

 

「頼まれてくれるか?」

 

 

 私は和友の言葉に頷き、鳴いた。

 和友は、嬉しそうに私の頭をなでてくれた。

 私は、和友に助けられて、和友と共にあった。

 辛い時も一緒にいた。

 楽しい時も一緒にいた。

 半年前に橙という新しい名前を藍から貰う以前から。

 ずっと、和友と一緒にいたんだ。

 

 橙は、少年と共に過ごした病室での出来事をおおよそ思い出した。

 しっかりと伝えなければならない。

 あの時は、声が出せなかったから言えなかったのだ。

 言葉を口に出せなかったから言えなかったのだ。

 伝えなきゃ。

 少年を安心させることのできる言葉を。

 伝えたかった言葉を。

 今なら口に出して言えるのだから。

 

 

「藍様は私が守るから。だから、和友は安心していて」

 

「ありがとう、それじゃあ行くね」

 

 

 少年がスキマの奥へと消えるというとき、さらなる一言が橙から放り投げられる。

 

 

「それと、一緒にいてくれてありがとう。頭をなでてくれてありがとう。私を救ってくれてありがとう」

 

「……ふふっ、お礼が半年ほど遅かったね。恩返しは期待しているから」

 

「任せなさい! 和友なんていなくても大丈夫なぐらい、藍様を支えて見せるからね!」

 

 

 力強い橙の返事に、少年の顔に笑顔が浮かんだ。

 少年と紫はスキマの中に消えていった。

 確かな思い出をマヨヒガへと残して。

 確かな存在感を家族に残して。

 

 少年は、望むべき未来へと足を踏み出した。

 

 

 これは、少年と幻想郷の人々や妖怪が織りなす物語。

 そして、この先訪れるのは自らが望む未来を掴もうとする少年と別の未来を望む者達との物語である。




この話で第五章は終わりです。
そして、全ての話の半分が終了となります。

本当に、ここまで長かったですね。
橙の伏線もようやく回収できましたし、上手くまとまったと思っております。

次回の更新は、人物紹介を出そうかと思っております。
一応ここで話の全体の半分なので、これまでに出ているキャラクターのキーポイントを書きます。以前書いたものと大きく変わっていないキャラクターは、書きません。
人物紹介が終わりましたら、原作の方へと入っていく形になります。
大きく雰囲気が変わる可能性もありますので、ご了承ください。

感想・評価につきましては、気軽に書いてもらって構いません。
気になったことでも
面白かったところでもおかしなところでも
反応があると、読まれているということが分かるので
非常にうれしく感じ、やる気が出ます!

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