機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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シルバーウィンドの歌姫

 歌が聞こえる。

 

 そして、貴方は思い出す。

 

 行うべき、本当に正しい事を。

 

 

 異変は、見張りに付いていた海兵達に察せられた。

 ざわめきに変わり、静寂が広がっていくホール。死体のように動かなくなっていくコーディネーター達。そして、耳に届く歌声。

「何だ? 何が起こっている?」

 ホールを覗き込んだ海兵の一人が、不安混じりの声を漏らす。

 騒ぎ、抵抗の動きがあるなら理解できる。恐怖に錯乱する者が出るのも予想の範疇だ。しかし……これは何だ?

 集められた乗員乗客達はその全ての動きを止めている。歌に聴き惚れていると言うのとはまた違う。明らかに何かがおかしい。

「歌を止めろ!」

 海兵は、群衆の中に銃を向けて叫んだ。

「!?」

 ラクス・クラインは海兵の声に驚き、歌を止めた。歌が止まり、ホールは瞬時に無音となる。

 この異常事態の原因は一つしか考えられない。ならばそれを止めればいい。その考えは正しかったのかも知れない。しかし、その行動は間違いであった。

 海兵は、ラクスに銃を向けてしまっていたのだ。

 自身に銃が向けられている事に気付き、ラクスはその顔に恐怖の色を浮かべた。

 だが……ラクスと銃の間を遮るように誰かが立つ。

「え……?」

 ラクスから戸惑いの声が漏れた。

 そこに立つのは、先ほどまで泣いていた筈の小さな女の子。

 女の子は両手を広げて、銃からラクスを隠していた。その表情に、先ほどまであった恐怖の感情はなく、僅かに笑みさえも浮かべている。

 そしてそれは、その女の子だけではなかった。

 女の子の前に新たな人が立つ。次々に、ラクスをかばう為に、ホール中のコーディネーターが集まってくる。

「ラクス様を守れ!」

 最初に叫んだのが誰かはわからない。だが、その叫びは次々に広がっていき、唸るような怒号となってホールに満ちた。

 

 誰もが叫んでいる。

 

 本当に正しい、唯一成すべき事を。

 

 貴方もまた叫んでいる。本当に正しい、唯一成すべき事を。

 

 

 

 歌を歌っていた少女に銃を向けた瞬間、状況は変化した。おそらくは最悪の方向へ。

 ホール内のコーディネーター達が一斉に動き、海兵の銃の前に立った。

「ラクス様を守れ!」「守れ!」「守れぇ!」

 一斉に沸き起こる怒号。そして、コーディネーターは動き出す、海兵の居るホール唯一の出入り口へ。

「止まれ! 撃つぞ!」

 海兵の制止の声は無視された。コーディネーター達は動きを止めようとしない。

 もっとも、無重力の中に身を投げ出した後は、慣性で動き続けるしかないのだが。それでも、撃たれまいとする様子が見えても良いはずだった。しかし、それすらない。

「来るぞ撃て!」

 海兵の一人が叫び、自らが持つ銃の引き金を引いた。それにつられて、同僚の海兵もまた同じく引き金を引く。

 アサルトライフルは、弾倉に納められた弾丸を瞬く間に吐き出す。コーディネーター達の先頭にいた十数人が銃弾を受け、身体の一部から血飛沫を弾け出させた。

 しかし……

 血の飛沫をまき散らすコーディネーターの身体に後ろから手がかけられた。その身体は後ろに引き戻され群衆の中に紛れ、代わりに新たなコーディネーターが前に出てくる。

 代わりに先頭に立った者達は、同胞の死をもってしても止まらず、海兵達に……銃に向かって突き進んでくる。

「くそ! こいつら、何故止まらない!?」

「メイデー! メイデー! ホールで暴動発生! 応援を……くそっ!」

 ヘルメット内蔵の通信機に叫びながら、海兵達は新たな弾倉を銃に取り付ける。

 第二射。一塊となって迫り来るコーディネーター達の前面で、血飛沫と悲鳴が上がる。それでも、コーディネーター達は止まらない。

 更なる弾倉交換の暇もなく、コーディネーター達は海兵に襲いかかった。

「畜生!」

 海兵が振り回したアサルトライフルのストックが、先頭に立っていたコーディネーターの男の首を横薙ぎに襲い、首の骨を叩き折る。

 もう一人の海兵は腰から拳銃を抜き、迫る群衆の壁めがけて立て続けに引き金を引いた。

 だが、彼らの抵抗はそこまでで、二人は直後にコーディネーターの群れに呑まれる。

 装甲宇宙服は素手で破れる物ではない。それでも、幾人もにしがみつかれれば身動きは出来なくなる。

「た……助け……」

 海兵達の救助を求める声は、コーディネーターの怒号の中に掻き消された。

 手にしたアサルトライフルがもぎ取られる。一人の海兵の腰のホルスターから拳銃が抜き取られ、そして元の持ち主である海兵に向けられた。

 銃声もまた、怒号に紛れ大きく響く事はなかった。

 

 正しい事をしましょう。この世にただ一つ正しい事を。

 

 だから全てを投げ捨てて

 だから恐れもなく前へと進む

 過ちは一つもない

 

 

 

 ラクスは目を見開き、余す所無く全てを見ていた。

 目の前にはホールの出口めがけて殺到する人々。

 銃声が響くと、ややあって群れの中から血にまみれた人が幾人も放り出される。前列で傷ついた人が、新たに前に出た後列の人々によって放り出されたのだ。

 血飛沫をまき散らしながらゆっくりとホールを漂う幾つもの人体。その一つが、ラクスの前に漂って来ようとしていた。

 それはまだ、微かにだが動いている。ラクスはそれを見るや、その場から飛び立ち、その人の元へと向かった。

「あの……嫌……そんな」

 声をかけようとして、その人の身体から溢れ出す血滴の量にラクスは声を失う。

「……離れて。ラクス様が汚れます」

 苦しい息の中で言ったその人は、この船の船長だった。

 被害を出さない事を第一に考えていた男が、自ら最前に立って倒れている。

 船長は、死を前にしながらも晴れやかな気持ちで居た。

 自分は誤っていた……本当にすべき事をしていなかった。

 無事に臨検を乗り越える? 乗客乗員の身の安全? そんな事にばかり目がいって、本当にすべき、この世にただ一つ正しい事が見えていなかった。

 しかし、ラクス様のお陰で……その歌声に導かれ、自分は正しい事を行う事が出来た。ラクス様を、この船から脱出させる事が、本当に正しい事だ。

「さあ……お行きください、ラクス様……道は……皆が……」

 自らの行動に心から満足し、微笑みすら浮かべて船長は、ラクスに逃げるよう促す。

 ラクスは船長の言葉が耳に届かぬ程に狼狽しながら、船長の身体から溢れ出す血を止めようと、無為に傷口を押さえようとしていた。

「ぁ……どうしましょう。血が止まりませんわ」

 両の手を鮮血に濡らして船長の身体を押さえても、押さえきれない他の傷から血は流れていく。

 船長の傷を塞げたとしても、ホールに漂う負傷者の数は増えるばかりで、その傷を塞ぎに行く事は出来ない。

「血が止まらない! ごめんなさい! 血が止まらないの!」

 ラクスの手は小さく、塞がなければならない傷はあまりにも多く、流れ出す血はあまりにも多くて、どうする事も出来ない。誰も救う事は出来ない。

「ラクス様、手を放してください」

 背後からラクスの手をとり、船長から手を放させたのは、船医だった。

「でも、血が止まらないんです!」

「彼は死にました。それより、早く逃げましょう」

 船医はラクスに逃げるよう促す。

 しかし、彼は知っていた。船長はまだ生きている事に。

 限りなく死に近くはあるが、医務室に運び込めば……いや、ほとんど助かる見込みはない。見込みはないがそれでも、以前の船医ならばどんな小さな可能性であっても、助ける為にそれに賭けただろう。

 また、船長はどうにもならないかも知れないが、他の負傷者にはまだ軽い怪我の者もいる。彼らならば、確実に救えるかも知れない。

 しかし、船医はそんな事よりも、正しい事を選択した。

 惑わされてはならない。正しい事は一つ。ラクスを救う事なのだ。

 この先、ラクスが負傷しないとも限らない。その時には、船医の治療が必要になるかもしれない。船医は、ラクスについていくべきであり、そうである以上、他の負傷者を救う事は出来なかった。

「行きますよ。他の皆が道を開いてくれました」

 船医はそう言って、ホールの出入り口を指差す。

「ひっ……!?」

 示されるままにそこを見たラクスは、息を呑んで凍り付いた。

 出入り口の周りは漂う血滴に汚れ、その合間を血滴をまき散らしながら人々が漂い、あるいは苦悶に蠢いている。

「さあ、行きましょうラクス様」

 いつの間にか、船医以外にもたくさんの人がラクスの周りに集まってきていた。

 彼らは迷い無き瞳で、血に溢れる道を指し示す。

「さあ、行きましょうラクス様」

 

 

 

 ホール近くの通路は戦場と化していた。

「撃て! 宇宙人共を止めろ!」

 通路の一端、T字路の突き当たり部分に陣取り、海兵隊はそこで阻止を試みている。

 海兵隊の手の中、アサルトライフルは吼え猛り、無数の銃弾を吐き出した。

 対するコーディネーター達は、仲間の死体を盾に押し出して通路を突き進み、海兵に肉薄しようとしている。無論、犠牲は凄まじいが、誰一人、恐れて逃げ出す者は居ない。

 全身を銃弾に穿たれ、生前の姿を完全に失った、赤く濡れた肉塊が海兵達に迫ってくる。

 幾多の戦場で戦ってきた海兵達にとっても、こんな戦いは初めての経験だった。

 この様な戦闘が、ホールを中心とした船内数カ所で発生している。海兵達は、急遽、船内各所に散っていた戦力を集結させ、その対処に当たっていた。

「くそ! グレネードだ! 吹っ飛ばせ!」

 分隊長の言葉に、海兵達は一斉に通路の角に身を隠し、グレネードランチャー付きのアサルトライフルを持った海兵だけが銃を通路の中に向けた。

 ライフル下部のランチャーから、グレネードが射出される。

 直後、迫ってきていたコーディネーターの群れの中にグレネードは突き刺さり、直後に轟音を立てて炎と破片をまき散らした。

 爆風に押され、コーディネーター達の動きは止まる。

 最前列にあって盾となっていた死体はもちろん、その後ろにいたコーディネーター達も、グレネードの破片に切り刻まれてズタズタにされていく。

 しかし、更にその後ろのコーディネーターは無傷か僅かな負傷ですんでいた。人が盾となり、爆風も破片も届かないのだ。

 彼らは、新たな死体を盾として、再び前進を始める。その動きを見て分隊長は舌打ちをした。

「こういうの、昔、映画で見たな」

 歩き回る死者という奴だ。もし本当にそうだとしたら、自分達は奴らの餌になる運命だろう。部下は、どいつもこいつも主人公面じゃないし、悲鳴を上げる以外に能のないヒロインもここにはいやしない。

 幸い、敵はただのコーディネーターで、撃てば死ぬ。ただ、その勢いが尋常ではないだけだ。

 海兵達が再びアサルトライフルを撃ち始めたが、やはり死体を盾にされていてはあまり効果が無い。当たった人体を確実に破壊するよう作られた銃弾は、貫通して後方にまで損害を与えるようには出来ていないのだ。

 コーディネーター達は、じわじわとその距離を詰めてくる。接近されて乱戦になれば、完全装備の海兵といえども、人数の差で圧倒されかねない。

 分隊長は通信兵を呼んだ。

「小隊長に繋げ!」

 通信兵はすぐに通信を繋ぎ、通話機を分隊長に渡す。分隊長はそれを受け取ると、すぐさま通話機に向けて怒鳴った。

「敵の進出を抑え切れません。後退の許可を!」

『お客様には五分お待ち頂いてくれ。後方で歓迎パーティの準備中だ』

「了解、五分後に後退、合流します」

 通信を切り、分隊長は自らも銃撃戦に参加する。

「野郎共、五分だ! あと五分、撃ちまくれ!」

 

 

 

 メカニックの少年と主任は、二人で船の整備用通路を進んでいた。

 太いケーブルや配管が走る、薄暗く一人通るのもやっとな程に狭い通路には、海兵の姿は見えない。

「おい、何処に行くんだ!?」

 主任は、先に立って走る少年に問いただした。

 とは言え、だいたいの想像はつく。この通路の先には、倉庫ブロックがある。そしてそこには、漂流中に回収され、少年が修理したMSがある……

 嫌な予感がしていた。そしてその予感が正しかった事を、振り返った少年の口から告げられる事になる。

「ラクス様を助けるんです! 僕が修理したあれなら、ラクス様をお守り出来ます!」

 少年は瞳を輝かせて、本当に正しい事を叫んだ。

 主任はそれを聞き、声を荒げる。

「いったい、どうしちまったんだ!? あのホールでの騒ぎから、お前は……いや、みんながおかしいぞ!?」

 主任には理解出来なかった。

 あの血みどろの一斉蜂起。

 船長は人命第一に、抵抗しないよう命令していたのではなかったのか?

 ホールの人々は恐怖に震え、抵抗の意思など持てずにいたのではなかったか?

 そして、何があっても生き残る事を約束し合った少年までもが、今、危険極まりない考えを実行に移そうとしている。

「止めろ! ここで、騒動が収まるのを待とう。何があっても生き残ろうと、俺と約束しただろう!」

「何を言ってるんですか!」

 少年は、主任の言葉を受けて怒りの表情を表した。

「ラクス様を助けないでここで隠れているなんて! そんな事、許される筈が無いじゃないですか!?」

「ラクス? だから、何故だ!? 歌姫を守る事がそんなに大事なのか!? メカニックになりたいって言う、お前の夢よりも大事なのか!?」

「当たり前ですよ! 僕なんかの夢と、ラクス様を助ける事を、比べて良い筈がない!」

 少年の返答に、主任は即座に少年を殴り飛ばした。

 硬い拳は少年の頬を捉え、少年は壁に身を打ち付けながら飛ばされ、やや離れた所で止まる。

「……お前が、そんな事を言うなよ」

 主任は耳を疑っていた。確かに、海兵に殴られたショックで、今は耳が聞こえづらい。ホールで歌姫とやらの歌も聞こえなかった位だ。だが、この距離で少年の言葉を聞き逃すはずがない。

 しかしそれでも、主任は今の少年の言葉が間違いであって欲しいと願っていた。

「お前の夢だろう!? 俺は、お前がその為に努力していたのを知って居るんだぞ! それなのに、どうしてだ!」

 もう数発殴ってでも、その考えを改めさせてやろうと、少年に近寄っていく主任。

 その時、少年が立ち上がって叫んだ。

「どうして、わかってくれないんですか!? 僕が正しくて、主任が間違っているのに!」

 それはただ一つ正しい事。他の全ては誤りで、間違っている。

「邪魔なんてさせない……」

 邪魔をする者は敵でしかない。

 少年は、正義の怒りに燃える瞳で主任を睨み付け、そして踵を返すと倉庫ブロックのある方向へと壁を蹴って飛んでいった。

「……何が」

 主任は惑う。少年を変えた物が何なのかがわからなくて。

 その一瞬の惑いの時間は、少年と主任を大きく引き離してしまった。二度と手が届かない程に……

 

 

 

「……来ました」

「前列は死体が半分だ。その後ろの生きた奴らが来るまでスイッチは待て」

 ホールから溢れ出たコーディネーター達に未来は無かった。

 一時は海兵達を圧倒し、進撃を続けた彼らにも終わりの時が来る。

 海兵達は、コーディネーター達の進行方向にある十字路にてキルゾーンを作り、待ちかまえていた。

 コーディネーターの一群が十字路に足を踏み入れ、隊列の半ばがそこを通り過ぎようとしたその時、四方の角に巧妙に仕掛け置かれていた爆薬が炸裂する。

 船体を破壊しない為、爆薬の量は抑えられていたが、それでも爆風で彼らを吹っ飛ばすぐらいの威力はあった。

 四方からの爆発により、十字路の中にいた者は中心に向けて圧縮されるように吹っ飛ばされる。

 爆風が身体を押し潰し、砕いていく。盾としていた死体、共に進んできた仲間、それらが鈍器となって、潰れ砕けた身体を更に叩き潰す。

 くしゃくしゃに潰されて人の形を成さぬ絞りかすのような姿になった男。叩きつけられた身体の部品が刺さり込み、まるで一つの生き物だったかのように身体から余分な手足をはやす女。千切れ砕けた肉片となり、その姿を無くした者も数多いだろう。

 十字路を通り過ぎていた者。あるいは足を踏み入れる前だった者。彼らもまた、十字路に近い位置にいた者は似たような状況にあった。爆風で壁に叩きつけられ、その上に死体や生きた人が重なるように叩きつけられ、潰れていく。

 凄惨な状況。それでも、離れた場所にいた者には生存者が居た。無傷の者はほとんど居ないが、それでも再び動き出そうと身を捩る。

 直後、コーディネーター達から見て前方と左方の通路、その奥の角を曲がって海兵達が姿を現し、容赦のない銃撃を浴びせかけた。

 十字砲火の中で、まだ生きていた不運なコーディネーター達と宙に漂う不格好な肉の塊は銃弾を浴びて踊る。

 それでも何人かは、射撃を逃れて今来た道を……あるいは、海兵の居ない右方の道に逃れる事は出来た。

 しかし、今までは数の多さで押して進んできた道だ。今や、その数を減らしたコーディネーター達に、何が出来る筈もない。

 逃げ出した先には、既に海兵達が回り込んでいた。

 宙を漂うように通路を逃げてきたコーディネーターの前に、海兵達の銃が並ぶ。

 それでもコーディネーターは最後の抵抗をしようとした……いや、もしかすると降伏しようとしたのかも知れない。何にせよ、僅かな動きを見せたその瞬間に、海兵達の射撃が容赦なくその身体に穴を穿っていた。

 

 

 

 ラクスと船医、そのほか数人の女性……そして、子供達。女性は全て母親で、子供達の手を引いている。

 彼らは、最低限の人数で脱出ポッドを目指していた。

 他の多くのコーディネーター達が、無謀な進撃で時間を稼いでいる。彼らが全滅する前に、脱出ポッドに辿り着かなければならない。

 それは難しい試みだった。

 脱出ポッドは船内の各所にある。しかし、海兵達も馬鹿ではないので、そこへ行くルートには全て見張りを付けていた。

 コーディネーター達の蜂起で、海兵達の注意はそちらに向けられている。しかし、完全に見張りが居なくなったわけではない。

 危険を避ける為、見張りの居ないルートを探して進まなければならなかった彼らは、既に多大な時間を費やしてしまっている。

 それでも彼らは、何とか脱出ポッドのある避難スペースへと辿り着いていた。

 そこは小さなホールになっており、船の外殻に向けて幾つも扉がついている。これが、脱出ポッドの入り口だ。

 船医はその内の一つに取り付き、扉脇のコンソールの操作を行った。空気の抜けるような音と共に扉は解放される。

 開いた脱出ポッドの入り口。ラクスはその前で震えていた。

「ぁ……ぁの……他の皆さんは……」

「後から行きます」

 船医はそれだけ答えて、ラクスに中に入るよう促す。

「どうぞ、中へ」

「……他の皆さんを待ちます。私より先に、子供達を」

 ラクスはそう言って、子供達の方を見た。しかし、子供達はラクスをじっと見返すだけで、脱出ポッドに乗り込もうとはしない。

 子供達は、恐怖の表情を浮かべてはいたが良く耐えていた。ホールでは多くの子供達が恐怖を堪えきれず泣いていたというのに。

 泣き叫べば、ラクスの命をも危険にさらす可能性がある。それがわかっているかのように子供達は恐怖に耐えている。

「ラクス様が乗らなければ、この子達も乗れませんから……」

 母親の一人が、困ったような笑みを浮かべる。

 母親達は、自分の子供よりもラクスを気にかけていた。無論、そうしなければならない。それが正しい事なのだから。

「……わかりました」

 全員に無言で促され、ラクスは当惑しながらも脱出ポッドの中に足を踏み入れた。

 次に入ったのは、ラクスにずっとついてきていたピンクのハロ。

 そして、ラクスが入った事に安堵して、子供達と母親達が後に続こうとする。その時だった。

 突然に鳴り響く銃声。

 母親達の内、数人の身体が踊るように回り、辺りに血飛沫をまき散らす。

 ラクスは銃声がした方を見た。この避難スペースへ繋がる通路の奥から、海兵達がアサルトライフルを構えてやってくる。

「は……早く、皆さん乗ってください!」

 ラクスは危険を感じて叫んだ。そして、子供達を何人かでも引き込もうと脱出ポッドから身を乗り出そうとする。しかし……

「らくすさまをまもれぇ!」「まもるのぉ!」

 歓喜の色さえ感じさせる子供達の声。

 そして、子供達は床や壁を蹴って飛んだ。海兵達のいる方向へ。

 海兵達は、襲い来る子供達を前に一瞬の戸惑いを見せたが、すぐに銃を構えた。

「やめてえええええええええぇっ!!」

 ラクスは叫ぶ。同時に、新たな銃声が高らかに響く。

 子供達の身体の各所が爆ぜて血飛沫が舞う。穴を穿たれ、砕かれた子供達の身体が、糸が切れた操り人形のように宙を漂う。

 それでも、子供達は笑みを浮かべていた。最後の瞬間に浮かべた表情そのままに。

 生き残りの母親達は、子供の死にも取り乱さなかった。ただ、怒りを海兵達にそのままぶつける。

「どうして、正しい事なのに邪魔をするのよ!?」

 子供を殺された母の叫ぶ言葉。子供を殺された怒りよりも強い、正しい事を妨げようとする悪に対する強い怒り。

 そして母親達は、通路を塞ぐように立ちはだかった。

「ラクス様、逃げてください!」

 海兵達の撃ち放つ銃弾が、母親達の身体を穿つ。彼女らが盾になったお陰で、ラクスの元へ銃弾は届かない。

 ラクスは全てを呆然と見ていた。

 どうして母親達が。どうして子供達が。それ以外にも多くの人々が、自分を守ると叫びながら死んでいくのか。どうして? 疑問に答えは返らない。

 しかし、心の何処かに、こうなった事を安堵する自分がいた。

 願いは……叶えられる。

 願い? ささやかな願いだ。

 あのホールの中、ラクスは怯えていた。そして救いを求めて願った。誰かが自分を救い出してくれる事を。

 それは、人間である以上、誰もが持っていたもの。あのホールの中、恐怖を感じぬ者はいなかった。そして、同じように救いを求めてもいただろう。

 ただ一つの不幸は、彼女がラクス・クラインであった事。彼女が歌ってしまった事。

 願いは成就する。

 無数の命を糧にして。

「ラクス様!」

 最後に残っていた船医が、ラクスの身体を突き飛ばすように押して、ラクスを脱出ポッドの中に押し込んだ。

 そして船医は、素早くコンソールを操作する。

 脱出ポッドの扉は素早く閉まり、ラクスを船内から隔てた。

 直後に、脱出ポッドの扉を無数の銃弾が叩く。

 子供達と母親達の亡骸を排除し、海兵達がこの避難スペースに突入してきていた。

 海兵達の放つ銃弾は、船医の身体も貫いていく。

「ぉああああああっ! ガッ!?」

 船医は、最後の力を振り絞って、コンソールの脱出ポッド射出ボタンを叩いた。同時に、一発の銃弾が船医の後頭部から額を貫き、頭を爆ぜさせる。

 吹き付けられた鮮血に濡れたコンソール。その赤い血の下で、射出完了を示す青いランプが点灯した。

 

 

 

 主任を振り切った少年は、整備用通路から倉庫スペースの点検口へと至った。

 少年は、音を立てないようにゆっくりと点検口を開ける。

 一応の床部分にポッカリと丸い口を開けた点検口。そこから、少年は顔を出して周囲を伺った。

 倉庫スペースの入り口に、海兵二人の背中が見える。しかし、他に海兵は居ない。

 少年は、海兵に気取られないように点検口から這い出て、ここに置き捨てられているシグーを目指す。

 下半身が破壊されている為、ジャンクのようにしか見えない事が幸いしたのか、シグーは監視がつく事もトラップを仕掛けられる事もなく放置されていた。

 少年はシグーのコックピットハッチに辿り着くと、ハッチを開くべく操作した。

「ん? 何だ?」

 海兵の一人が、ハッチが開く音に気付いてシグーを見る。そして、海兵はシグーに乗り込もうとしている少年を見た。

「敵!?」

 アサルトライフルを撃ちはなった海兵の判断は速かったが、位置が悪かった。少年は、海兵から見てシグーの影に身体のほとんどを隠している。

 少年が動くよりも早く銃弾が放たれたが、そのほとんどがシグーの装甲表面で弾け、残りは倉庫スペースに置かれた資材に当たった。

 少年は、銃撃の後に自分が生きている事に気がつくと、慌ててコックピットの中へと飛び込んみ、すぐにハッチを閉じる。

 ハッチを閉じてしまえば安全だ。少年は恐怖による震えと早くなった鼓動を抑える為に息をつき、MSを起動させる操作を始めた。

 一方、海兵達は、少年がシグーに乗った事に気付くと、射撃を止めて倉庫スペースの外へと走り出た。

「緊急事態! 倉庫スペースの廃棄MSが奪われた!」

 一人が通信機に怒鳴る傍ら、もう一人は倉庫スペースの扉を閉鎖する。

 海兵二人でMSは止められない。外に出た後に、MAに片を付けて貰うしかないだろう。

 そう判断して海兵達は、シグーに乗った少年が船内を破壊し始めるような暴挙を起こした時に巻き込まれないように、通路の各所に設けられた緊急用の隔壁を下ろしながら、大急ぎで倉庫スペースの前を離れていった。

 取り残された倉庫スペース内、シグーは起動する。少年の修理によって、シグーは良好とは言えないもののそれなりに動く状態にはなっていた。

 少年は操縦桿に手をやり、シグーを動かす。身じろぎすると、シグーを固定していたワイヤーが次々に弾け切れ、シグーは自由を取り戻す。

 その後、シグーと共に回収され、これも床にワイヤーで固定されていたMMI-M7S 76mm重突撃機銃を手に取る。ぐっと引っ張るとワイヤーが千切れ、重突撃機銃はシグーの手の中に収まった。

 次は、外に出る……少年がそう考えて、倉庫への物資搬入口でもある大型エアロックの扉の方に目をやった時、少年は重厚なその扉がゆっくりと開いていくのを目撃した。

 エアロック脇の操作コンソールに立つのは、後を追ってきていた主任。

「どうして……」

 どうして協力してくれるのか? 先ほどまでは止めようとしていたのに。そんな疑問が口をつこうとした。だが、この疑問の答えは簡単だと少年は思い直す。

「わかってくれたんですね? 本当に正しい事を」

 ああ、本当に正しい事は、必ず理解されるのだ。主任は、正しい事を邪魔しようとする悪人などではなかった。そんな考えに少年は喜んだ。

 もっとも、少年が主任をもっとよく観察していたら、そんな感想は抱かなかったかも知れない。いや、観察していたとしても、同じ感想に至っていただろうか。

 ともあれ、主任の顔に浮かんでいたのは、苦い諦めの表情だった。

 主任は、遅れてこの倉庫スペースに辿り着き、少年がシグーに乗ってしまった事を知った所で諦めた。もう止める事は出来ない。ならば……

 エアロックの扉が開く。シグーはゆっくりと前進し、エアロックに入っていく。

「……生きて帰って来いよ。お前はまだまだメカニックの修行が足りてないんだ」

 主任は、すぐ横を行き過ぎていくシグーに向けて言った。その言葉は、少年には届かない。

「主任、行ってきます! 必ず、命に代えてもラクス様を守ります!」

 少年は外部スピーカーを通して主任にそんな言葉を残した。そのままシグーはエアロックに入っていく。

 主任は、無言でエアロックを閉鎖する。こちらの扉が閉まれば、続いて宇宙側の扉が開き、シグーは宇宙に放たれる。

「馬鹿野郎。そうじゃないだろうが。お前は……そんなじゃないだろうが」

 主任は、いつからか涙を落としていた。無数の水滴が、球となって主任の顔の周りを舞い飛ぶ。

 主任は、少年を止められなかった無力さに泣いた。行かせてしまった後悔に泣いた。

 それでも……少年が生きて帰ってくる事を祈った。

 

 

 

 シルバーウィンドの船体から脱出ポッドが射出される。

 ドレイク級宇宙護衛艦ブラックビアードの艦橋、モニターに映し出されるそれを見ていた艦長の黒髭は、すかさずオペレーターに指示を出した。

「ザクレロに追わせろ! 捕獲最優先だ!」

 その指示を、オペレーターは通信でザクレロに伝える。

 黒髭は、今の状況について考えていた。

 ホールで起こった暴動。そして、脱出するわけではなく、逆に攻撃を仕掛けてきた暴徒。たった一機だけ撃ち出された脱出ポッド。

 有り得るとしたら、暴動は陽動で、本命は脱出ポッド。

 だがそれにしても解せない。暴徒達は、軍人などの命令に命を賭ける事も辞さない人種ではなく、いわゆる一般市民だ。彼らが無為に命を捨ててまで逃がそうとしたのは誰か?

 仮に、ここに現議長のシーゲル・クラインが居ても、こんな異様な暴動にはならないはずだ。

 船内の戦況は、既に山場を超えた。今は、抵抗を続ける暴徒を鎮圧して捕らえ、降伏した者はそのまま捕虜にするといった、後始末の段階にある。

 なお、ホールでの暴動に加わらず、逃げ隠れした後に降伏した者は多くはなかった。本当なら、もっと居ても良いはずなのだが……

 そして、当時ホールにいなかったコーディネーターは、暴動に同調する気配すらない。

 暴動の事を聞かせた後も、そんな暴動が起こった事が信じられない様子だったと報告が来ている。

 また、一般市民であるコーディネーターが、命を捨ててまで逃がそうとするようなVIPにも心当たりは無いとの事だった。

 だが、誰かが逃げ出している。誰かが。何にせよ、それは脱出ポッドを捕獲すればわかるだろう。

 黒髭がそう思考をまとめたその時、艦橋に緊急通信が入った。

「艦長、船内で中破していたMSが起動したとの連絡です!」

「ちっ!」

 オペレーターの報告に、黒髭は舌打ちしながら顔を歪めた。

 今、ブラックビアードはシルバーウィンドに接舷しており、身動きが出来ない。外に出てきたMSが攻撃を仕掛けてくれば一溜まりもないだろう。

「メビウス・ゼロに連絡! 出てきた所を叩かせろ!」

「艦長!」

 黒髭が指示を出した直後、今度はオペレーターではなく索敵手が声を上げた。

「直上方向、MS二機接近中! ばらまいておいたセンサーに引っかかりました! 望遠映像出ます!」

 報告と同時に、モニターにジン長距離強行偵察複座型と通常型ジンの姿が映し出される。

 その二機は、まっすぐにこの宙域を目指してきていた。

 

 

 

「大型熱源感知! 三つです!」

 ジン長距離強行偵察複座型の中、後部座席の情報収集要員の部下が声を上げる。それを聞いて、パイロットシートに座る偵察小隊隊長は、読みが当たっていた事に苦々しい思いを感じていた。

「やはり、連合の目的はシルバーウィンドか! 民間船を狙うとは、卑怯な奴等め!」

 だが、既に襲われていたとは。来るのが遅かったか……と、隊長は悔恨に奥歯を噛みしめる。部下の報告は続いた。

「望遠で捕らえました。敵、ドレイク級一、艦種不明一! ドレイク級は、シルバーウィンドに接舷中!」

「接舷中なら、まだ船内に生存者が居るかもしれん! 救出するぞ!」

 接舷中と言う事は、敵はまだ船内で活動中と言う事だ。中で殺戮が行われていたとしても、まだ生き残りが居るかも知れない。

「ドレイク級には捕虜が乗せられている可能性がある! 迂闊な攻撃は出来ない。まずは艦種不明の奴を撃沈するぞ!」

『了解です! あいつの仇を討ってやる!』

 隊長に答えて、通常型ジンのパイロットが殺された仲間の復讐を叫ぶ。

 隊長はその叫びを受けて、自らもまた叫んだ。

「そうだ、復讐だ! 俺達には奴等が殺した仲間達がついている! 敵に後悔の二文字を教えてやれ! 全員、突撃!」

 ジン長距離強行偵察複座型と通常型ジンは速度を上げ、艦種不明……すなわち、アークエンジェルへと突っ込んでいった。

 

 

 

 客船シルバーウィンドの船体、中央の客室が集中するブロックの外殻、その一部分が爆ぜて、中から一基の脱出ポッドが射出された。

 脱出ポッドは射出の勢いを維持して、船体から高速で離脱していく。

 船が爆発しても安全と言える距離までは、自動操縦で移動する様に設定されているのだ。

『ザクレロ、聞こえますか? ザクレロ』

「はい、こちらザクレロです」

 脱出ポッドの射出をモニターに捉え、その行く先を自動計算させていたマリュー・ラミアスは、通信機からの呼びかけに答えた。

『脱出ポッドの追跡と捕獲を。必ず、中身を生かしたままでお願いします』

「了解!」

 手短に答え、マリューはフットペダルを踏みこんだ。今日までの訓練の成果もあり、ザクレロは緩やかに加速を開始する。

『よぉ。いつもみたいに突っ込んで、目標をぶっ壊すなよ』

 ザクレロが動き始めたのを見たのか、ムゥ・ラ・フラガから通信が入った。

「了解、隊長殿。うるさいわね。黙って見ていてよ」

 律儀な返事を返してからマリューは、砕けた口調で付け足して言い返す。通信で返ったのはムゥの苦笑混じりの声だった。

『ああ、俺の愛機じゃ、脱出ポッドを捕まえるなんて出来ないからな。高みの見物と行かせてもらうさ』

 メビウス・ゼロではアームが無いので捕獲が出来ない。ついでに言うと、ミストラルでは脱出ポッドに追いつく為の速度が無さ過ぎる。つまり、今ここではザクレロ以外に出来る事ではない。

「そうしてちょうだい。ザクレロの活躍を見せてあげるんだから」

 マリューは通信機にそう告げて、ザクレロの速度を更に上げた。瞬く間に、シルバーウィンドが遠くなり、代わりに脱出ポッドが近寄ってくる。

 ザクレロの速度に比すれば、脱出ポッドの速度も、はっきり遅いと言えるわけで、追いつくだけの事ならばそう難しい事もない。

「まあ、有る程度逃げれば、脱出ポッドも速度を落とすはずよね……それから、仕掛けようかしら」

 船の爆発などから逃れる為に、最初はそれなりの速度で移動する脱出ポッドだが、安全圏まで逃げた後は速度を落とす。

 理由は、事故現場からあまり遠くに離れると救助が来た際に発見が困難になると言うのが一つ。高速で移動を続けた場合にデブリにぶつかったり地球の引力圏に捕まったりと言った二次災害に見舞われる可能性がある事が一つ。

 脱出ポッドはそう遠く行かないうちに止まるだろう。確実な確保こそが大事なら、急ぐ事はないはずだ。

 そう考えて、マリューは脱出ポッドを確実に追尾する事を考える。

 しかし、その時、ザクレロのコックピット内に警報が響いた。

 マリューはモニターに書き込まれた警告メッセージ、そして後方の視界を映し出したモニター内のウィンドウを見て、驚きの声を上げる。

「後方から敵機!?」

 そこには、猛烈な勢いで追い上げてくる一機のシグーの姿があった。

 

 

 

 マリューを見送った後、ムゥにはシルバーウィンド内から出てくるMSの撃墜が命じられた。

 しかし、出てくる場所はわかっている。待ちかまえて撃つだけ。楽な仕事の筈だった。

 ムゥはメビウス・ゼロを操り、敵の出てくるハッチに照準を合わせ、トリガーに指を乗せる。

 だが、ハッチが開いた瞬間に目に飛び込んできた敵機に、ムゥは思わず声を上げていた。

「あいつか!?」

 見覚えのあるシグー……ヘリオポリスで戦ったのはそう遠い昔ではない。

 その記憶が、ムゥを焦らせた。

 とっさに操縦桿を倒し、フットペダルを踏み込んで、ほぼ停止状態に置いてあったメビウス・ゼロにまるで蹴り飛ばされたかの様な急発進をさせる。

 ムゥが想像した通り、ラウ・ル・クルーゼがパイロットなら、単純な攻撃では逆に撃墜されてしまう。ムゥのとった行動は、敵がラウであったならば正解だった事だろう。

 しかし、シグーはムゥの予想とは全く違った行動をとった。

 シグーはハッチから出るや、メビウス・ゼロはもちろん、近くに転がる好目標の筈のシャトルやドレイク級宇宙護衛艦ブラックビアードも無視して、まっすぐに宇宙へと飛び出していく。飛び去った脱出ポッドを追って。

「しまった、別の奴か!」

 ムゥが悔やんで声を上げる。

 メビウス・ゼロとシグーの軌道は交差した。すなわち、シグーを追うには大きな方向転換を伴い、時間を浪費せざるを得ないと言う事。

「くそ、何かあいつが居る様な気もしてたせいで、見誤った!」

 ムゥは、何故かは知らないがラウが居る事をいつも察知出来ていた。

 今は、いつも感じる様な感覚ではなく、何となく気配があるか無いかの様な曖昧な感覚がある。気のせいと言われれば、それで納得してしまうような曖昧な感覚だ。

「未熟な部下がついて、俺も神経質になっちまったかねぇ」

 軽口を叩きながらムゥは、メビウス・ゼロを方向転換させようとする。

 と……突然、通信機からブラックビアードのオペレーターの声が響いた。

『メビウス・ゼロ! 聞こえますか!?』

「了解、聞こえてる。一発目を外して逃がしたが、なーにこの失点は次のターンで……」

 MSを逃がした事に対する何かの連絡だと考えたムゥの言葉は、最後まで言う前にオペレーターの声に打ち切られた。

『命令を変更します! 新手の敵MS二機が接近中! ブラックビアードの直掩に戻ってください!』

「了解! だが……直掩? 迎撃に向かわせてくれ!」

 守るより、叩きに出た方が良い。ザクレロが抜けている今、MSと戦える戦力は自分しかないはずなのだから。

 しかし、その申請はややあってから拒否された。

『アークエンジェルが迎撃を試みます。メビウス・ゼロは直掩で』

 ムゥは瞬間的に、アークエンジェルとその直掩についているサイ・アーガイルの事を思い浮かべる。

 アークエンジェルは損傷を受けている上に人員不足だし、サイに至っては半人前以下だ。迎撃などと簡単に出来るはずもない。

 だが、ブラックビアードの考えも理解出来ないではない。

 メビウス・ゼロを迎撃に出し、もし敵がそれをすり抜けてきたら……あるいは更に別方向から敵が出現したら、シルバーウィンドと接舷中で満足に動けないブラックビアードが無防備で襲われる事になる。

 防衛戦力を完全に無くしてしまう訳にはいかないのだ。

 メビウス・ゼロを残せば、最悪の場合でも、アークエンジェルとミストラルとの戦闘で消耗した敵を迎撃する事が出来る。ブラックビアードが生き残れる確率は高くなるだろう。

 ムゥはそれでも迎撃に参加したかったが、命令を無視して突っ込むわけにも行かない。苦渋の選択の末、ムゥはブラックビアードに怒鳴り声を送りつけた。

「……了解! だが、アークエンジェルが拙くなったら、俺も迎撃に向かうぞ! そう何度も、母艦を落とされてたまるか!」

 

 

 

「敵は二機……シミュレーションでやったぞ」

 MAミストラルのコックピット。サイは、遠くから迫ってくる二機のジンを映し出すモニターを睨み付けながら、自分に言い聞かせる様に呟いていた。

 しかし、シミュレーションでは全敗だったのだ。気を重くする要素とは成り得ても、安堵が湧いてくるわけもない。

 搭乗している砲戦型ミストラル改は、アークエンジェルのメカニック達が改造した機体で、先の戦いでジンから奪い取ったM69 バルルス改特火重粒子砲とメビウス用装備だった有線誘導対艦ミサイル四基が追加で取り付けられている。

 通常のミストラルよりはよっぽどましではあるが、所詮はましな程度だとも言える。

『アーガイル准尉、聞こえているか?』

「は、はい!」

 通信機からコックピットに流れた、ナタル・バジルール艦長の声に、サイは我に返った様に返事をした。

 緊張を悟られたか……と、サイは失敗した気分になって顔をしかめる。

 だが、緊張している事を知られたからといってどうなる物ではない。サイの代わりとなる者は居ないのだから、少なくとも出撃が取り止めになるという様な事はない。

 だからか、ナタルの声には特に変調はなかった。

『落ち着いていけ。アークエンジェルの攻撃に合わせろ。良いな? 攻撃開始のカウントは、こちらで取る。待機しろ』

「了解です」

 返事をして、サイはモニターに目を戻す。ジンは極めて順調に距離を詰めてきており、モニターの中でその大きさを増してきていた。

 

 

 

 アークエンジェルは、接近してくる敵MSに対して正対し、船体をやや下向きにする事で艦正面上方を敵に向ける。武装を最も生かせる体勢だ。

「バリアント、ゴットフリート! 用意!」

 艦長席から、ナタルが指示を下す。

 それを受け、艦に装備された110cm単装リニアカノン「バリアントMk.8」二門と、225cm2連装高エネルギー収束火線砲「ゴットフリートMk.71」二門が動き出す。

 当たればMSを一撃で破壊しうる砲撃ではあるが、元来、対艦用である為、MSやMAの様な小型の目標に確実に当てられる様な精度は持っていない。敵が遠ければなおの事。

 また、MSはその進路を僅かずつランダムに変える回避機動を行い、砲の照準をあわせる事を許さない。手足を振る事で、それを容易く出来る事が、MSが戦場で優位に立つ理由の一つである。

「撃てぇ!」

 ナタルの声を受け、砲は各々砲撃を開始した。

 ビームが光の線となって宇宙を貫き、ジンのやや近くといった所を貫く。当たらない。

 リニアカノンの砲弾は流石に見えないが、敵が健在という事は外れているのだろう。

 やはり、砲撃が当たる事はそうそうない。

 二機のMSは、砲撃に気付くや素早く艦に対して横方向に大きく移動した。回避機動の幅を大きくして、まぐれの直撃や至近弾を避ける為だ。前進速度は鈍ったが、それでも地道に接近してきてはいる。

「ヘルダート、コリントス発射!」

 砲撃が外れた事を確認後、ナタルの指示が飛んだ。

 艦橋後方の十六連艦対空ミサイル発射管から対空防御ミサイル「ヘルダート」十六発。

 艦尾の大型ミサイル発射管の内、前方に向けられた物十二基から、対空防御ミサイル「コリントスM114」十二発が放たれる。

 直後、ナタルはミストラルのサイに指示を下した。

「アーガイル准尉! 敵へのミサイル攻撃後、狙って撃て!」

『りょ、了解!』

 サイからの返答。やはり、緊張の色は消えていない。しかし、既に戦いは始まってしまっている。

 ナタルは冷静であるよう努めながら状況の推移を伺った。

 放たれたミサイルの群れは、MSを追って殺到する。敵目標を自律的に追尾するミサイルは、砲の類よりは当たりやすい。

 とは言え、これら対空ミサイルの類は、目標至近で爆発し飛散する破片によって目標に損傷を与えるという物であり、装甲貫徹力は低い。つまり、対艦ミサイルや軽装甲の旧型MAには効果的な兵器であるが、比較的重装甲のMSには効果が薄いのだ。

 ミサイルの直撃が有れば別だが、そうそう有る物ではない。

「敵にミサイル到達!」

 索敵手のジャッキー・トノムラが報告の声を上げる。艦橋のモニターには、MSの周辺で次々に爆発が起こり、閃光がMSの影を呑み込んでいく様が映し出されていた。

 閃光が視界を妨げ、飛び散るミサイルの破片がレーダーを攪乱し、MSの存在を感知する事は不可能となる。しかし、それも僅かな時間の事だ。索敵手はすぐに敵の存在を再確認した。

「敵、健在です」

 急速に消えていく爆発の残光から、MSの影が二つ姿を現す。

『撃ちます!』

 通信越しにサイの声が聞こえた。

 アークエンジェルの傍らに在るミストラル。その頭頂部に設置された重粒子砲から、一条の光が放たれてMSに向けて突き進む。

 それは、ミサイルの爆発に翻弄され、その動きを鈍らせたMSを貫くかに思われた。

 

 

 

 機体の至近にて、次々に炸裂するミサイル。閃光に白く染まるモニター。無数の破片が衝突し、機体を揺らす。

 ジン長距離強行偵察複座型の中、後部座席の偵察要員の悲鳴を聞きながらも、偵察小隊隊長にはまだ余裕があった。

「こんな物は目眩ましだ! それより、すぐに次が来る!」

 声を上げ、隊長はフットペダルを一気に踏み込む。同時に、レバーを動かして自機に手足を振らせ、進路をねじ曲げた。

 ランダム機動による緊急回避。直後に、ビームの光条が、数瞬前まで自機が居たその場所を通過していった。

「今のは……雑魚がビーム砲を持っているだと?」

 隊長は、閃光の影響から回復したモニターに、今の攻撃を行った敵の姿を見る。ミストラル……連合の旧型MA。改造はされているが、所詮はMSの敵にはならない、雑魚に過ぎないだろう。

 隊長は、前方にある艦種不明の連合艦……アークエンジェルの直掩が、その一機だけで在る事を見て取り、馬鹿にされたような気分になった。

「時代遅れのMAが一機、敵になるものか! 一気にかかるぞ!」

 通信機を通し、ジンに乗る部下へ向けて気勢を上げる。

「支援する! 接近して叩け!」

 指示を下しながら隊長は、再開されたアークエンジェルからの砲撃を避けつつ、自機に狙撃ライフルを構えさせた。ジン長距離強行偵察複座型の専用装備であるこの銃は、長射程、高命中精度を誇っている。敵との現在の距離ならば、まず外す事はないだろう。

 隊長は、後部座席の偵察要員に命じた。

「目標、正面のMA。射撃修正を出せ」

「了解!」

 偵察要員は、すぐさま自分の仕事に取りかかる。

 機体に装備された観測システムを使い、自機と敵機の相対的な位置関係、そしてその未来位置の予測を行うのだ。偵察型であるが故の充実した観測システムだから出来る事であり、その観測を十分に生かす為の狙撃ライフルである。

 程なくして、モニターの中央に浮かぶミストラルに、LOCK ONを示すマークが表示された。

「射撃修正出ました。引き続き観測中。あんな遅いMA、訓練の時のダミーよりも簡単ですよ」

 軽口を叩く偵察要員の声を聞き流しながら、隊長はトリガーに指を添える。

「まずはお前からだ……」

 

 

 

 サイが発射したビームは、敵MSの、宙に放り投げられた人形の様な出鱈目な機動で回避された。

「あいつ、宇宙で跳ねた!?」

 サイは驚愕に声を漏らしながら、逃げた敵MSを追って照準を合わせようとする。が、

「あ、いや違う……まずは移動だ」

 砲撃を終えたら、すぐに移動。それは何度も注意された事だ。サイはフットペダルを踏み込み、ミストラルを移動させる。

「それに、戦場を広く見る……もう一機居たよな」

 思い直し、モニターの中にもう一機のMSを探す。

「何処だ? 何処だ!?」

 ミストラルが移動している為、モニターに映る映像も動く。その上で、カメラを動かして宙域を探るので、なかなか敵のMSを捕まえる事が出来ない。

「シミュレーションじゃ、もっと上手くやれてたのに!」

 シミュレーションで学んだ事が、身体に染みついていない。焦りが、判断を鈍らせている。自分が惨めな様を晒していると自覚があるからこそ、焦りは更に増していく。

「み……見つけた!」

 サイはようやくモニターの中に、敵MSを捉えた。

 アークエンジェルの砲撃を避けながら、接近してくる通常型ジン。モニター上、僅かずつ大きくなりながら画面を斜めによぎっていくそれに、サイは重粒子砲の照準を合わせる。

「今度こそ!」

 操縦桿のトリガーに指をかける。

 だが、そのトリガーが引かれる前に、ミストラルを激しい衝撃が襲った。

 

 

 

 アークエンジェルの艦橋。

 モニターの片隅に映っていたサイのミストラルが、突然、機体の一部を爆発させた。

『うわああああああっ!?』

 通信機から、着弾を示す爆発音とサイの悲鳴、ミストラルのOSが機体の損傷を知らせる金切り声の様な警告音がどっと溢れ出す。

「サイ!?」

 通信席の側で、通信オペレーターの見学をしていたフレイ・アルスターが、思わずその名を呼んで身を乗り出した。

 モニターの中、ミストラルは装甲の欠片を宇宙に撒きながら漂う。

「ミストラル被弾! 敵の内、後方の一機は狙撃戦仕様機の様です!」

 索敵手のジャッキーが、声を上げて状況を説明する。その声にフレイは素早く反応した。

「ちょ……狙撃って、サイは大丈夫なの!? サイはどうなったのよ!?」

「黙れ! 戦闘の邪魔になるなら、艦橋から追い出すぞ!」

 ともすれば、ジャッキーに詰め寄っていきそうな勢いのフレイを、ナタルの怒声が打った。

 そしてナタルは、素早く新たな命令を下す。

「支援砲撃! 後方の機体に火力集中! 敵に狙撃をさせるな!」

「しかし、接近中のジンに対してが疎かになりますよ!?」

 火器管制をしていたクルーが、ナタルに抗弁した。

 アークエンジェルにとって、どちらが脅威かと言えば、圧倒的に接近してくるジンの方が脅威だ。ミストラルの支援の為に、その接近を許してしまえば、今度はアークエンジェルが危機に陥りかねない。

「く……」

 ナタルは判断に迷った。

 ミストラルは、今は重要な戦力である。元民間人の若者を乗せたという負い目もあった。切り捨てるという判断は有り得ない。

 しかし、接近してくるジンの対応が重要だという意見は正しいものだった。

「……ゴットフリート、後方の機体に砲撃開始! 他武装は、接近中のジンへ。敵との距離がある内に叩け! 近寄らせるな!」」

 結局、ナタルはミストラルの為に、牽制に使う兵器をゴットフリートのみとする。

 射線が目立つ上に高威力なビーム兵器なら、回避に専念して狙撃を諦めるかも知れない。そんな事を期待して。

 しかし、敵が戦闘に慣れたベテラン兵ならば、その期待はかなう事はないだろう。

 そして、ナタルの見立てでは敵は恐らく……いや確実にベテラン兵だった。

「アーガイル准尉! 支援砲撃の隙に体勢を立て直せ!」

『りょ……りょうか、うわぁ!?』

 ナタルの指示に返答するサイの声が、またも爆発音と悲鳴にとってかわられる。

 ゴットフリートの砲撃をかわしつつ、更なる狙撃を行うだけの余裕が敵にはあったのだ。

 モニターの中、二発目の直撃を受けたミストラルは、新たな傷口から破片を撒き散らし、着弾の衝撃で転がるように回転していた。

 

 

 

 足の無いシグーが、宇宙を一筋に駆けていく。

 乗っているのは、シルバーウィンドの整備員の少年。

 自分で直し、整備したMSに自分が乗って、宇宙を飛んでいる。以前の少年ならば、何度も夢想した事が現実となった喜びに震えた事だろう。

 しかし、今の少年はただ一つの正しい事の方が重要だった。

 喜んでいる場合ではない。今は、ラクス・クラインを救わなければならない。

 シグーのモニターの中、脱出ポッドと、それを追う巨大なMAの背中を少年は見る。

 ラクス様は、脱出ポッドで脱出をする手筈になっていた。なら、あの脱出ポッドこそがラクス様なのだろう。そう、少年は見当を付ける。

 間違っており、ラクス様がまだ船内に居たなら? あるいはもう既に敵に捕まっていたら……と、考えもしたが、MSではどうせ船内に手出しは出来ない。

 なら、敵を全て倒して、ラクス様の安全を確保する。

 脱出ポッドを追っている黄色い巨大なMA……少年は名を知らぬがザクレロはかなり強そうに見える。先に倒してしまうのが正解だろう。他のMAや戦艦は後回しだ。

 ZAFTのMSは、連合の戦艦やMAを物ともしない最強の兵器なのだと聞いていた。一機が、MAを何機も落とし、戦艦を何隻も沈めたと。なら、自分にも出来るかも知れない……いや、やってみせる。

 少年は強い決意でもって、シグーにMMI-M7S 76mm重突撃機銃を構えさせた。

「僕は、ラクス様を守るんだ!」

 トリガーを引く。重機銃から吐き出された銃弾がザクレロを背後から襲い、背中の装甲で弾けて火花を散らした。

 と……

『ちょっと、脱出ポッドに当てる気!?』

「え!? 声?」

 通信機から、共用回線でマリューの怒声が届く。

 脱出ポッドとザクレロ、そしてシグーは一列に連なっている。つまり、ザクレロを外れた銃弾は、脱出ポッドに当たりかねない。

「誰だかわからないけど、教えてくれた?」

 少年は、マリューの声が敵の声だとは気付かなかった。共用回線とはいえ、戦闘中に敵と通信が繋がるなど想像もしてないのだから仕方ない。

 故に少年は、マリューの声を忠告と受け取り、素直に武器を変えた。

「じゃ……じゃあ、別の武器で!」

 重機銃をラッチに戻し、代わりに重斬刀を抜く。そして、斬りかかる為にシグーを更に加速した。

 

 

 

「へぇ……脱出ポッドごとってつもりじゃなかったのね」

 武器を変えたのがその証拠。重斬刀を抜いて背後から距離を詰めてくるシグーを、ザクレロのモニターに見ながら、マリューは感心した様な声を漏らした。

 だが、その表情には僅かに緊張が見える。流石にマリューも、余裕を持って敵と対せる程に慣れては居ない。それでも、サイよりは余裕があった。サイとマリュー、戦闘経験にそう大差のない二人の違い。それは……

「行くわよザクレロ! 貴方ならやれるわ!」

 ザクレロへの絶対的な信頼……あるいは無根拠な過信。それが、マリューにはあった。

 マリューはザクレロを加速させる。脱出ポッドに速度を合わせていたザクレロは、あっという間に速度を増して脱出ポッドを追い越し、シグーを後方に引き離した。

 高速度に達したザクレロの装甲表面、暗礁宙域に漂う無数の小さなデブリが衝突して幾多の火花を散らす。その火花が、ザクレロの凶悪な面相を宙に浮かび上がらせる。

 マリューは操縦桿を引き、ザクレロの機首を上に向けた。そのまま機首を上に向け続けながら前進を続け、ループ機動に入る。

 遠心力が足下方向にかかり、血の下がる感覚がマリューを襲った。だが、ノーマルスーツの耐G効果もあり、ブラックアウトには至らない。

 ザクレロは、宙に巨大な円を描く軌道を辿った。そして円は、再び始点へと戻ってくる。

 その頃には、置き去った脱出ポッドとシグーが始点となった所を通過しており、ザクレロは両者の後方位置につける事が出来る……筈だった。

「あれ?」

 マリューが気付いた時、ザクレロは脱出ポッドのすぐ前を飛んでいた。

「速過ぎた?」

 速度が速すぎたのか、脱出ポッドが追いつく前に回ってきてしまったのだ。

 マリューは即座に、二周目のループに突入した。

 

 

 

 ザクレロが急加速して、自分のシグーを置き去りにし、更に脱出ポッドまで追い越して行くのを、少年は呆然と見守った。

「……逃げた?」

 他に、ザクレロが離脱した理由を読めなくて、少年は疑問には思いながらもそう呟く。

 しかし、逃げたならば好都合。この間に、脱出ポッドに接近出来る。少年は、シグーの速度を上げて、脱出ポッドに追いついた。

「えと……」

 追いついたは良いが、中を確認する手段がない事に少年は気づき、脱出ポッドとシグーの速度を合わせながら、迷いの声を漏らす。

 窓はあるのだが、小さくて中のほんの一部しか見られない。まさか、割って中を確かめるわけにもいかないだろう。ならば……

「あ、そうだ。通信機!」

 少年は、急いで通信機を操作し、救難用回線につなぐと脱出ポッドに話しかけた。

「ラクス様! 中にいるのは、ラクス様ですか!?」

 何度か声をかけてみる。ややあって、返信が返ってきた。

『はい……あの、どちら様ですか?』

 その声を聞き、少年は心の底から沸き上がってくる歓喜に震える。

 ラクス・クラインの声。真実を告げる歌声。

「ラクス様! お守りに来ました!」

 少年の歓喜に満ちた声は、ラクスを守ると告げる。それに対し、ラクスは一瞬、沈黙した。そして、

『……い……いやぁあああああっ!』

 悲鳴。叫び。

『止めてください! 止めてください! もうそんな事しないで! みんな……みんな死んでしまうのに! 貴方も! もう止めて!』

 少年は、ラクスの叫びの意味がわからなくて小首をかしげた。

 ラクス様を助ける事が唯一正しい事なのに、ラクス様は何を言っているのだろう……と。

「え? でも……ラクス様を守る為です」

『お願いです! もう守らなくて良いのです! だから、誰も死なないで……』

 ラクスは守らなくて良いと言っている。それは、自分を死なせたくないかららしい。

 ならば簡単な事だと、少年は思った。

「大丈夫、死にませんから! 敵は逃げましたし、後はここから離脱するだけ……」

 言いかけた少年の言葉を、シグーのOSが発する警告音が遮った。

 直後、脱出ポッドとシグーの前に、再びザクレロがその背中を見せる。

「!? あいつ、戻ってきて!?」

 逃げたのではない。敵はまだ脱出ポッドを狙っている。

 一瞬でそれを察した少年は、再び離脱していくザクレロを追って、シグーを走らせた。

「ラクス様、必ずお守りします!」

 通信機からはラクスの声がまだ聞こえていたが、敵を見つけた少年の耳にはもう届いては居なかった。

 

 

 

 ああ……私は悪い子だ。

 脱出ポッドの中、通信機に向けて叫びながら、ラクスは自分の中に、何処か冷めた感覚で自分を見つめる部分を感じていた。

 通信があった時、少年の声を聞いた時、ラクスは安堵したのだ。死んで欲しくない、もう守らなくて良いと……口ではそう言いながら、少年が来てくれた事を喜んでいる。

 時に人は矛盾する感情を抱く。人に死んで欲しくないと願う心も真実であるし、同時に自分が助かりたいと願う心もまた真実である。両方を同時に抱いた所で、片方が嘘になるわけではない。

 しかし、ラクスには許せなかった。純粋であるよう育てられた少女に、矛盾を抱いた心をそのまま受け入れる事は出来なかった。

 死んで欲しくない。自分を守る為にと死んで欲しくはない。しかし、心の中で、守って欲しいと願う自分が居る……人の死を願う自分が居る。短絡ではあるが、ラクスにそれを否定したり、気づかぬふりをしたりする事はできなかった。

「私……悪い子ですわね」

 くすりと笑う。自嘲と……そして、僅かに喜悦をまじえて。

“そんな事はありませんよ、ラクス様”

 小さく声が聞こえた。

“ラクス様の為ですから”

 誰もいない脱出ポッドの中。

 ひそひそ、ぷつぷつと、ざわめく。ラクス様。ラクス様と。

「止めてぇっ!!」

 ラクスは無数の声に向けて叫ぶ。

「私の為に……私が……そのせいで死んでしまったのに……」

“泣かないでください”

“行きましょうラクス様”

“歌ってくだされば良いのですラクス様”

 声は、ラクスにまとわりついて囁く。

“歌って……歌ってください”

“歌を……ラクス様の歌を”

「歌を……」

「ハロ! ラクス、ゲンキナイ?」

 誰もいない静まりかえった脱出ポッドの中、一人で話し続けるラクスに、ピンクのハロが話しかけた。その声に、ラクスは我に返った様子で、宙を漂うハロに目をやる。

「ピンクちゃん……」

 ラクスはハロを手に取り、ぎゅっと抱きしめる。

「私は……怖いのです」

「ハロ、イッショ! コワクナーイ!」

 ハロの無邪気な台詞に、ラクスは少しだけ微笑む事が出来た。それは、以前までのラクスと変わらぬ無邪気な笑みであった。

 

 

 

 サイ・アーガイルが乗るミストラルに二発目の着弾があった。穿たれた装甲の破片を撒き散らしながら、ミストラルは回転しつつ宙を漂う。

 戦場の後方に位置するジン長距離強行偵察複座型が、ミストラルを狙撃しているのだ。

「サイ……!」

 アークエンジェルの艦橋。サイの窮地を見守るしかないフレイ・アルスターは叫びかけ、無理にその声を呑み込んだ。

 ダメだ……取り乱せば、サイに何もしてあげられなくなる。騒げば艦橋から出すとナタルが言ったのは脅しではないだろう。そうなれば、フレイは本当に何も出来なくなる。

 それに、ここでフレイが取り乱して泣きわめいても、サイにとっては何のプラスにもならない。何かするんだ。何が……出来る?

 フレイは、胸の奥から沸き上がる恐怖と焦りを抑え込み、必死で頭を働かせた。

「考えなさい、フレイ。小細工や卑怯勝負は得意でしょう?」

 小さく……自分に命じる様に呟く。

 フレイは陰謀家の質であった。目的を達する為に必要な手段と、その手段を実行する為に必要な犠牲を計る能力に長けている。無論、それを普段の生活で露見させない狡知にも。

 しかし、卑怯な振る舞いを恥じる心は、フレイも持ち合わせていた。

 だからその能力は、多少、フレイの社会的地位を向上させる為と、それに伴って降りかかった火の粉を払う為に使われた以外では、役に立った事はない。カレッジのアイドル的地位を獲得し維持するには色々と有ったのだ。

 それでも、折に触れて直感的に思いつく、とても効率的で卑劣な手段を今までは疎ましくさえ思っていた。特に、サイに対しては、自分の醜い卑劣な姿を絶対に見せられないとまで思っていた。

 しかし今、フレイはその能力を活かそうと頭を働かせている。今は、仮にサイに嫌われたとしても、やらなければならない事があるからだ。

「ちょっと、貸して!」

 悩ましげに眉を寄せて顰め面をしていたフレイは、いきなりその顔に意を決した表情を浮かべると、通信席の通信機に飛びついた。

 通信は、サイに繋がっている。それはフレイも知っていたので、そのままマイクに向かって声を上げた。

「サイ! 移動してアークエンジェルの陰に隠れて!」

『え? フレイ!? どうして君が……』

 サイから返ったのは驚きに満ちた台詞。だが、そんなものはフレイは望んでいない。

 フレイはすかさず、苛立ちを隠さずにサイを怒鳴りつけた。

「いいから早く! アークエンジェルの影へ! そこなら狙撃はされない!」

「勝手な指示を出すな!」

 ナタル・バジルール艦長が、艦長席からフレイを怒鳴りつける。

「アークエンジェルを盾にするだなどと……」

「一発でMAを撃破出来ない攻撃なんて、受けても戦艦は落ちないでしょ!」

 フレイはすかさず怒鳴り返す。その怒声を受け、ナタルは言葉に詰まった。

 確かに……ミストラルは、装甲や機体の耐久性に優れたMAではなく、むしろ脆弱な方に入る。なのに、敵の攻撃はミストラルに直撃しても撃破出来ていない。

 そして、装甲や耐久性では、アークエンジェルの方が遙かに頑強だ。

「……アークエンジェル、前進! サイのミストラルに接近しろ」

 ナタルは、操舵士のアーノルド・ノイマンに命を下してから、通信席のフレイを見た。

 フレイは通信機に取り付いて、サイに言葉を送り続けている。

「サイ、気を付けるのはもう一機のジンよ。接近を許したら終わり。狙撃してる方のジンは攻撃の威力が小さいから、アークエンジェルにとっては危険じゃないわ」

『待ってくれ。だから、どうして君が……っ!? うあっ!』

 通信機の向こう、サイの言葉が悲鳴と爆発音に遮られる。

 三発目の着弾。敵は、ミストラルへ着実にダメージを与え続けていた。

「今は戦闘中よ! 戦う事だけ考えて!」

 戦闘中でありながらもサイはフレイが艦橋にいる事を気にしているが、フレイはそれを許さずに戦闘に集中させようとする。

 その傍ら、通信機の一角を奪われた通信兵が、ナタルに視線を送っていた。フレイを止めるかどうかの判断を、無言で伺っている。

 無論、フレイの行為は許される事ではない。ナタルは、通信兵には何も指示は出さず、自分の席のコンソールから艦内に待機している陸戦隊に通信をつなげた。

「艦橋に二名よこしてくれ」

『了解です』

 返答を聞いた後に通信を切る。そして、陸戦隊の兵士が来るまでの間、フレイは放置するしかないと、ナタルは考えた。が……無論、これは間違いである。

 この時、ナタルは通信兵に命じて、フレイが行っている通信を切る事が出来た筈だった。後になってその事に気付き、何故、フレイを放置したのかについてナタルは悩む事になる。

 ともあれ、兵士達が来るまでの間、放置されたフレイは自由にサイへ指示を出し続けていた。

「良い? ミストラルが居なくなったら、敵は必ずアークエンジェルに接近してくるわ」

『ど……どうして、フレイがそんな事……』

 深窓の令嬢だと思っていたフレイが、敵の動きの予想をまくし立ててくる。そのギャップに、サイは混乱していた。

 一方でフレイは、そんなサイの混乱など気にせず話すべき事を並べ立てる。

 兵士が呼ばれたのは知っていた。通信を強制的に止められなかったのは理由はわからないものの幸運だったと判断し、とにかく兵士が来るまでの間に伝えるべき事を伝えきろうと、フレイは思いつく端から指示を出す。

「戦艦なんて、MSに近寄られると何も出来ないに決まってるじゃない! それで何隻もやられてるのが今の戦争でしょ!? だったら、それを狙ってくるでしょ!?」

 フレイは、ニュースなどで漏れ聞いた連合軍の戦況を元に言ったのだが、サイの方はこれを実体験で知っていた。先の戦いで、アークエンジェルに肉薄してきたジンを倒したのは、サイなのだから。

『それは……わかるよ』

 サイの声が落ち着いてきていた。とりあえずフレイが通信を行っている事への混乱は収め、戦う事に集中する事が出来る様になって来たのだろう。フレイは、その事を悟って安堵する。まずは、サイが戦いに専念してくれない事にはどうにもならないのだから。

「敵が近寄ったら不意をついて。タイミングは艦橋に聞くと良いわ」

 艦橋の扉が開いて、陸戦隊の兵士達が入ってきたのをフレイは横目で確認した。ナタルが、フレイを連れて行くように命じている。これで、始まったばかりの連合兵ライフも、多分お終いだ。もしかすると、サイに言葉をかける事が出来るのも……

「良い? サイが一機落とせば、この戦いは勝ちよ。それだけ……出来るわよね?」

『わかった。やってみせる』

 しっかりと答えるサイに、フレイは微笑む。きっと、サイはやってくれるだろう。

 なら、もう終わりにするか? しかし、兵士達はまだこちらに向けて動き出した所だ。終わりにはもう少しだけ余裕がある。フレイは静かに言葉を紡いだ。

「サイは私が守るから。絶対に地球まで……いえ、ずっとその先もよ」

 兵士達がフレイの傍らに立つ。二人がフレイを拘束する前に、フレイは通信機に向けてサイへの言葉を言い終えていた。

 その言葉は、かつてサイがフレイにいった台詞を言い換えた物だ。

「もう言い残す事はないわ。何処にでも連れて行って」

 少しは意趣返しが出来たかと満足そうに笑みつつ、フレイは二人の兵士達に両脇から挟まれる形で両の腕を掴まれ、艦橋から連れ出されていった。

 フレイの背をチラとだけ見送り、それからナタルはサイに通信をつなげる。

「アーガイル准尉。彼女の事は後で説明する。今は、戦闘に集中して欲しい」

『……了解です』

 サイは、ナタルがフレイに替わって通信をしてきた事で、フレイに何かがあったのだと察しをつけていた。

 そもそも、民間人の筈のフレイが戦闘中に通信を送りつけてくる事自体、十分に異常な出来事だ。

 フレイに何があったのか……今は、それを知る術はない。サイは努力して、尽きせぬ疑問を頭の片隅に追いやった。今は、フレイに言われた通り、戦わなければならない時なのだ。

「ミストラル、アークエンジェルの陰に入りました」

 索敵手のジャッキー・トノムラが報告の声を上げる。

 これで、これ以上の狙撃を受ける事はない。ごく僅かにではあるが、艦橋の中にもホッとした空気が流れた。

「アーガイル准尉、被害報告を。戦闘継続は可能か?」

 ナタルが通信で問いただす。サイは、僅かな時間をおいてから答えた。

『被弾3。コンピューターは中破判定出してます。装甲に破口多数。ミサイル3番4番の発射筒に認識エラー。左スラスター損傷推力低下してます。ですが……まだ行けます!』

 ミストラルは生き残ったとは言え、惨憺たる有様だった。

 全体を覆う装甲に大穴が開き、内部を露出させている。もし、これらの装甲が無い場所に当たっていたら……あるいは、これから当てられたら、ミストラルは容易く破壊されてしまうだろう。

 また、武装の対艦ミサイルの発射筒が二基、機体左に装備された物が反応しなくなっている。これは、急造で取り付けた配線が、何処かで切れたのだろう。

 それと、スラスターもおかしい。機動性が、かなり落ちている様だ。

 それでも、サイはやれると言い切った。そして、そんなサイに、ナタルは命令を出そうとしている……その事でナタルの胸が痛む。口元に自嘲の笑みが浮かんだ。

「改めて命令を伝える。ミストラルは、艦橋からの指示に従って移動の後に待機。敵の接近を待って、強襲しろ」

 それは、フレイの出した指示そのままだった。

 越権行為故に、それに耳を貸さないという判断を下したくはある。無法の行いが認められてはいけないという、強い忌避感があった。しかし、他に策が見えない以上、ナタルにはフレイの策を無為に否定する事が出来ない。

 反対するだけではなく、何か実際に動く策を考えなければならないのだ。

 が……ミストラルを浮き砲台として利用し、連携を取りつつ砲撃戦で戦う等と、比較的に硬い戦術しか思いつかない辺りに、ナタルは自身の柔軟性の無さを痛感していた。

 そして、その戦術は、狙撃で一方的に攻撃されるという事実によって、無効と証明されてしまっている。今のナタルに他の策は思いつかない。

「……私は卑劣な事をしているな」

 ナタルは、誰にも気付かれる事無く、小さな呟きを発した。

 軍法違反である事を知りながらフレイを放置し、言うだけ言わせてから、それを違反であるとして逮捕拘束させた。

 ナタルには、フレイを止める事が出来たはずなのだ。あの時は、それに気付かなかったのだと言い訳は出来る。しかし……現実は、ナタルを惨めにさせた。

 結局、全てをフレイに丸投げしたに等しい。艦長としての資質について悩みたい所であったが、今は戦闘中であり、そんな時間はなかった。

 

 

 

 狙っていたミストラルは、艦種不明の戦艦……アークエンジェルの影に消えた。

 ジン長距離強行偵察複座型に乗る偵察小隊隊長は、思わず舌打ちをする。

「ちっ……しとめ損なった。思った以上に威力が無いな」

 何を考えてこの威力なのかと、隊長は忌々しく思いつつ、兵器廠の連中を呪った。

 狙撃ライフルの威力の無さには定評がある。つまり、役立たずという意味で。

 無論、狙撃ライフルが失敗作かと言えばそうでもない。命中精度は、他の射撃兵器とは比較出来ない程に高められているのだ。

 高い命中精度を活かして、敵機の脆い部分を正確に撃ち抜けば、威力が無くても良い……実際、そうすれば戦艦などを除く大概の敵は撃破出来る。

 パイロットへ着弾の衝撃によるダメージを与えられるコックピット、スラスターや武装などの破壊しやすい場所等を狙撃し、敵MAを撃破する事は可能だ。

 また、強行偵察時に邪魔となる敵の監視衛星やレーダー施設を破壊して一時的に使用不能に陥れるのには必要にして十分な装備ではある。

 しかしそれは、敵から身を隠して、慎重に狙いを定める余裕があっての話。今の様に、艦砲射撃を回避しながらでは、そこまで正確な射撃を行うのは難しかった。

 所詮は、真正面から撃ち合う機体ではないと言う事か。

 それでも、あと一発か二発撃ち込めばミストラルを落とせただろうが……何にせよ、獲物に逃げられたとあってはどうする事も出来ない。

「隊長。目標を見失いましたが?」

 後部座席の部下……この機体の目とも言うべき偵察要員が聞いてきた。彼が出す位置観測データが無ければ狙撃は出来ない。

 今まではミストラルを追っていたが、今は既にその姿を見失っている。

 ならば、新たな敵に狙いを絞るべき。隊長はそう判断し、後部席へ指示を送った。

「観測目標を艦種不明の戦艦に変更。砲の詳細データと対空火器の位置を割り出せ。突入する僚機への支援を継続する」

 

 

 

 アークエンジェルの艦橋に、被弾を知らせる警報が鳴った。続いて、火器管制についていた兵が状況報告の声を上げる。

「バリアントに被弾! 損傷軽微ですが、砲身に歪みがでています!」

 ジン長距離強行偵察複座型からの狙撃により、アークエンジェルは地味な損傷を重ねていた。艦を揺るがすほどの物ではないので、警報がないと気付かないだろう。それでも、薄紙を剥ぐ様にして、少しずつアークエンジェルの戦闘力は削られている。

 アークエンジェルの装甲は狙撃ライフルによる攻撃を十分に防げるが、砲の砲身などの十分に装甲化出来ない部分はあるわけだ。砲を破壊するほどの威力が無くとも、砲身に当たれば歪みが出るし、そうなれば弾もビームもまともに飛ばなくなる。

「支援戦闘に長けているな」

 ナタルは、敵の戦いの巧みさに呻いた。ミストラルが隠れれば、戦艦の装甲を抜けない狙撃ライフルでは戦いようが無くなるという予想は、甘い物だったと言う事だ。

 しかし、砲への直撃があっても、それを破壊出来る程の威力はない。命中精度に影響は出るだろうが、そこまでだ。その辺りはまだ安心が出来た。

 また、敵に対し正対している為、艦後方に位置するミサイルポッドが狙われる事はない。ここを狙われて、ミサイルの誘爆を起こされると損害が大きくなる。もっとも、ミサイル発射の瞬間を狙う様な攻撃をされない限りは、ここも低威力の攻撃で破壊される事はない。

 だが、敵に攻撃出来る箇所が他に無いかというとそうではなかった。

「イーゲルシュテルンに被弾! 動作停止!」

 対空火器であるイーゲルシュテルン等の小型火砲類は、艦外に露出しているにも関わらず、装甲は比較的薄い。敵を捕捉する為に素早く動かさなければならない為、動きが鈍重になってしまう重い装甲を施す事は出来ないのだ。

 壊れやすい前提で置かれている為、破壊されても艦自体へのダメージには繋がらない様になっているが、敵に振り向けられる火線が一つ減る事は、艦の防空能力を大きく損なう事を意味していた。

 防空能力を喪失していくアークエンジェルに、通常型ジンが接近してきている。最初は慎重だった動きは、今や大胆にと言って良いものとなっていた。当然、その接近する速度は速まっている。

「ミストラルを、予想される最適な迎撃地点へと誘導しろ」

 索敵手のジャッキー・トノムラに、ナタルは命じた。敵の最接近の時は近い。それまでに、ミストラルを迎撃地点まで誘導しておかなければならない。

 だが、可能ならば、その前に……

「弾幕薄いぞ! ミストラルでの迎撃になど頼ろうと思うな! 接近前に落とせ!」

 ナタルの叱咤の声が、艦橋に響いた。

 

 

 

「……行けるぞ!」

 ジンのパイロットは、乗機を疾駆させながら、沸き上がる興奮に叫んでいた。

 アークエンジェルは、ミサイルと対空機銃で弾幕を張りながら、強力な火砲で攻撃をくわえてくる。

 乗機の周囲で炸裂するミサイル。漆黒の宙に光の線を描きながら、かすめる様に飛び去っていく対空機銃の曳光弾。見た目ではわからないが、レーダーは高速で擦過する砲弾を捉えており、警報を発して知らせてくれる。

 しかし、その全てをもってしても、乗機を止める事は出来ない。

 隊長は、かわしにくい攻撃を的確に潰していってくれている。その支援を受けている彼は、まるで遮る物のない宙を進んでいるかの様だった。

「もうすぐだ! もうすぐ!」

 敵を蹂躙する事を欲する野性。勝利を求める欲望、復讐を叫ぶ怒り、それらが綯い交ぜとなった彼には、アークエンジェルはそこに横たわる獲物でしかなかった。

 後は、獲物の無防備な横腹に牙を埋め込むだけだ。

 コックピットのモニター。照準は、アークエンジェルの艦橋を捉えている。

 まだ……もう少し。重機銃を撃ち込むのは、もう少し近づいてからだ。

 大した距離ではない。彼の乗機は、この間も宙を駆けている。遮る物は何もない。

「行ける……」

 呟く彼の脳裏に、仲間の姿がよぎった。まだ日付も変わっていない……何時間か前に、連合軍の攻撃を受けて死んだ仲間。

 馬鹿な奴だった……最後に彼をかばって死んだ位に馬鹿な奴だった。

 それだけではない。連合軍の卑劣な罠で沈められた艦にも仲間は大勢いた。

 これは復讐なのだ。仲間の弔いなのだ。

 それを止められる者は居ない。

「畜生! みんな殺してやる! ナチュラル共、みんな殺してやるぞ!」

 ジンはついにアークエンジェルを有効射程内に捉えた。

 ジンは重機銃をかまえる。そして、パイロットはトリガーに指を当てる。

 その時……艦橋の向こうから、MAが一機姿を現した。

 

 

 

『行け!』

「了解!」

 艦橋から届いたナタルの声に、サイは隠れていた艦橋の影からミストラルを発進させた。

 ミストラルのメインカメラが、宙で動きを止め重機銃を構えるジンの姿を捉える。

 撃つタイミングは今しかない。

「落ちろ!」

 ミストラルに装備された重粒子砲がビームを放つ。撃ち放たれた光条は、まっすぐに伸びてジンの左脇をかすめた。

 その結果を確認もせず、サイは続けて対艦ミサイル……発射可能な1番2番を射出。メインカメラ中央に捉えられたジンに向かい、ミサイルはリモートコントロール用のコードを引きながら、自動的にその進路を調整しつつ突き進んだ。

 が……ジンの左腕の辺りで発生した爆発が、ジンの体勢を右に大きく崩した。

 メインカメラの可動範囲内からも逃れ、ジンの姿がモニターから消える。

「やばい!」

 サイはすぐさまミストラルを右に向けてその動きを追おうとした。だが、左スラスターの出力が落ちていたミストラルは、右を向くのに時間がかかる。

 その間、目標を見失った対艦ミサイルはそのまま突き進んでいき……ミサイルは外れた。既に、ジンを再び追う事は出来ない位置まで、ミサイルは飛んでいってしまう。

 その頃になって、ミストラルはようやくジンを再びメインカメラに捉えた。

 ジンは、左腕を付け根から失い、背後のバックパックから煙を盛大に吹き出している。

 重粒子砲が左腕と背部バックパックの一部に当たり、恐らくはスラスターが誘爆を起こしたのだろう。爆発は、ジンを押しのけ、ミサイルの直撃から救ったわけだ。

 ミストラルの貴重な武装が無駄になった。しかし、重粒子砲がまだある。

 ジンは、まだ爆発の衝撃から立ち直っておらず、無為に宙を漂っている。まだ、攻撃のチャンスは続いていた。

「今度は直撃させる!」

 サイが照準にジンを捉える。そして、トリガーを……

 が、一瞬早く、コックピットを揺るがす衝撃と同時に警報が叫んだ。

「重粒子砲に被弾!? さっきの狙撃の奴!」

 モニターに表示される警告メッセージは、重粒子砲が使用不能になった事を教えていた。

 状況は明らかだ。ついさっき、ミストラルを撃墜寸前まで追い込んだ敵が、仲間の支援の為に重粒子砲を狙い撃ったのだ。

 最後にして最大の武器を失ったサイは、慌ててコンソールを操作した。

 モニターに機体の状況などと一緒に、使用可能な武器のデータが並ぶ。

「武器! 無いのか!?」

 有るのは機関砲。他には、故障して射出出来ない対艦ミサイルが二基。

 モニターの中、ジンは最初の攻撃による動揺から立ち直りつつ有る様に見えた。また、この瞬間にも新たな狙撃が行われ、ミストラルを貫くかも知れない。

 サイは焦り、武器を求めた。

 武器は無いのか? ……本当に無いのか?

「く、くそぉ!」

 サイは無我夢中で、使えない武器を無理矢理使おうとした。シミュレーションでは有り得ない、最も原始的な方法で。

 コンソールを叩いて、対艦ミサイルの安全装置を解除。元来、ミサイル発射と同時に自動で解除される物だが、今は発射出来ないので手動解除した。

 直後、ミストラルの作業アームで、発射筒を機体からむしり取る。

「どうせ使えないんだ!」

 サイは声を上げながら、ミストラルの作業アームを使い、発射筒に納められたままのミサイルをジンに向けて投げつけた。

 体勢を立て直そうとしていたジンは、投げられたミサイルに対し、とっさに銃を向ける。また、ミストラルも同じく、ミサイルに機関砲を向けていた。

 同時に射撃が行われる。どちらが当てたのかはわからない。直後に爆発したミサイルが、ジンとミストラルの間で爆発し、両者の視界を遮った。

 セオリーなら、ここでミストラルは位置を変える為に進路を変える。

 しかし、サイはミストラルをそのまま前進させた。どうせ、スラスターの不調により、小回りの利いた動きなど出来はしないのだから。

「もう一発!」

 前進しながら、残る最後のミサイルの安全装置を解除。どうせ、他の武器は無いのだ。

 再び発射筒ごと機体から引きちぎったそれを、ミストラルに手槍のごとく構えさせて、サイは先の爆発の向こうにいたジンへと突っ込む。

 爆発でミストラルを見失ったジンは、セオリー通りならば逃げているだろうミストラルを、前進して追おうとしたのだろう。ミストラルの視界が爆発の影響から回復した時、ジンは目前に迫っていた。

 ジンは、ミストラルの急接近に、慌てて重斬刀を抜こうとしていた。しかし、その動作が終わるより早く、サイの攻撃が行われる。

「これで!」

 ミストラルの速度を乗せて、ミサイル発射筒がジンに叩きつけられた。

 発射筒の中で信管を激発されたミサイルは、与えられた性能そのままに爆発する。

 瞬時に、ジンとミストラルはミサイルの爆発の中に呑み込まれた。

 

 

 

 隊長は、目の前で起こった出来事を、信じられない気持ちで見守っていた。

 手負いのミストラルが、相打ちとは言え、格闘戦でジンを撃破したのだ。

 偵察型ジンの高性能なカメラが、コックピットの有った場所に大穴を穿たれて宙を漂う、ジンの残骸を捉える。

「……馬鹿な。そんな事が」

 MS。ZAFTの新兵器。連合のMAを凌駕する、最強の兵器……それが、旧式も良い所のMAに撃破された。

 しかも、そのMAは、事前に自分が撃破寸前まで追いやっていた機体。

「俺は……俺は! 帰るべき艦を失い、部下を二人も失ったと言うのか!? 連合のゴミのようなナチュラルを相手に!」

 怒りに駆られて叫ぶ。その怒りは、半ばは自分に向けられていた。

 自らの無能への怒り。隠れられる前にもう一撃……いや、ミストラルの重粒子砲への狙撃の時、攻撃力を削ぐ事より、仕留める事を選択していたら。

 それは、本来ならばミスとも言えない物であるはずだった。

 ミストラルの様な雑魚が少々生き延びても戦局に関わる事はない。誰もがそう考えるであろうし、隊長もそう判断していた。本来なら、ミストラルがあがいてもMSは倒せないはずだった。

 しかし結果は、部下の戦死という形で現れている。敵を侮った……このミスを、どう償えばいい?

「隊長!」

 後部座席からの声に、隊長は我に返る。

 部下の声は、やはり怒りに満ちていた。しかしそれは、純粋に敵に向けての怒りだ。

「行きましょう隊長! まだこの機体は戦えますよ!」

 乗機はまだ戦える。まだ、戦闘は続いている。

「そうだ……行くぞ! お前の命、預かる!」

「預けます隊長!」

 隊長は、アークエンジェルめがけて偵察型ジンを飛ばせた。部下のジンの為につけた道を辿る様に、アークエンジェルからの攻撃をかいくぐって。

 隊長は、回避機動と狙撃を交互に繰り替えし、砲火を避け、潰せる武装は潰して防空力を削り、アークエンジェルの懐へと切り込んでいく。

「まずは武器を!」

 目指したのは、先に撃墜された部下のジン。ジンが装備していた武器があれば、偵察型ジンでも艦を落とせる。直掩の居ない戦艦など、敵ではない。

「銃は有りませんよ!?」

 後部座席から、偵察要員が報告する。

 部下のジンは、最後の瞬間に武器の持ち替えをしようとしていた。爆発に巻き込まれて、重機銃は何処かに飛ばされたらしい。

「重斬刀があれば十分だ! だが、一応、周辺の空間を探しておいてくれ。武器があるに越した事はない」

 指示を受けて、部下がセンサーを働かせ始める。重機銃は小さいから探し難いが、偵察型ジンのセンサーならば見つける事が出来るかも知れない。

 それに、部下のジンは重斬刀は持っている。それが有れば、戦艦の装甲を穿つ事は可能だ。

 近づいてくる、腹に大穴を開けて漂う部下のジン。

 ジンを撃破した対艦ミサイルは、対空ミサイルとは違い直撃しなければ意味がない、だが強力な装甲貫徹力を有している。直撃さえすれば、威力はこの通りだ。

 ジンの傍らには、ミサイルの爆発に巻き込まれたミストラルが力無く漂っていた。無力なその残骸を、隊長は無視する。

「武器を借りるぞ!」

 伸ばした偵察型ジンの手に、部下のジンが持っていた重斬刀が握られる。

 その時、凄まじい衝撃がコックピットを揺るがした。

 死んだと思われていたミストラルの機関砲が火を噴く。装甲表面を焼かれ、砕かれた装甲の穴から中を露出させ、武装のほとんどに作業アームさえもが引きちぎれ、残骸にしか見えないミストラルが放つ無数の弾丸が、正面から偵察型ジンを襲う。

 通常のMSには力不足なこの機関砲も、軽装の偵察型ジンには十分な効果を及ぼした。

 偵察型ジンのコックピット。モニターが警告の赤文字で埋まっていく。響き渡る警報は、機体の断末魔だった。

「こんな……こんなMAに」

 再び敵を侮った。隊長は自分のミスに気付いて叫ぶ。

「すまない! 俺が……」

 その言葉が形になる前に、コックピットハッチを貫いた弾丸が、全てを打ち砕いた。

 

 

 

「待て!」

 整備員の少年が、上半身だけのシグーを駆ってザクレロを追う。

 少年は知らなかったのだ。相手が狩りの獲物ではなく、魔獣である事を。自分が狩人ではなく、無力な獲物である事を。

 速度は、圧倒的にザクレロが上だった。故に、シグーはどんどん置いて行かれる。

 MSの小回りが利く点を活かして、敵が通過するだろう予測地点へ最短コースで移動し、先回りをする……といった小技を使う事も知らない少年は、単純にザクレロを追って飛行を続けていた。

「卑怯だな……逃げるのか!」

 相手を侮る台詞も出る。しかし、そんな余裕があったのは、ザクレロに十分な距離を開けられるまでの事だった。

 

 

 

「そろそろ、良いわね」

 マリュー・ラミアスは、ザクレロのコックピットで呟いた。

 敵のシグーはかなり後方に位置しており、その距離は十分に開いている。余裕を持ってターンし、攻撃を仕掛けられるくらいに。

「行くわよザクレロ! 反撃開始!」

 声を上げて操縦桿を引く。ザクレロは機首を上げてロールを開始する。

 そうしてターンを行ったザクレロは、その進路をシグーに向けて突き進んだ。

 モニターの中、シグーがどんどん近寄ってくる。ザクレロには気付いているのだろう、銃を撃ってきているが遠過ぎてかすりもしない。

「……ひょっとして、素人? まさかねー」

 思わず出た疑問の呟き。サイがシミュレーションでパニくった時の動きに似ていたからなのだが……

「ちょっと! そこのシグー! 乗ってるのは民間人って落ちじゃないでしょうね!?」

 不安になったマリューは、共用回線で問いかけてみた。しかし、返答はない。

「無視されちった……まあ何にしても、素人だからどうって事もないのよね」

 現に敵は目の前にいるのだから。動きが素人っぽいからといって、行動を変える必要はない。民間人なら、まず降伏勧告くらいしたかなという程度の話か。

 何にせよ、もう全ては遅すぎる。シグーは有効射程内に入った。

「悪く思わないでね」

 マリューは、ザクレロの拡散ビーム砲の引き金を引く。

 

 

 

『ちょっと! そこのシグー! 乗ってるのは民間人って落ちじゃないでしょうね!?』

「え? 敵の声!?」

 通信機から溢れたマリューの声に、少年は戸惑った。敵から声をかけられるなんて思いも寄らなかったわけで……どうしたらいいのか迷ってしまう。

 しかし、僅かに考えて、結論を下した。何にせよ、敵は敵なのだから答える必要はない。ラクス様に害を与える者の言葉なんて、聞く必要はない

 少年は、高速で接近してくるザクレロに向け、銃を撃ち続けた。

 銃弾はなかなか当たらない。彼が見たビデオなどでは、MSが銃を撃つ度に、MAや戦艦が必ず落ちていたのに……ザクレロは、まるで撃たれていないかの様に突っ込んでくる。

「落ちろ! 落ちろよぉ!」

 少年の叫びに耳を貸さず、ザクレロはその凶悪な牙を剥き出しにして襲いかかってくる。

 まるで、哀れな生け贄を呑む魔獣のごとく。

 少年の胸から高揚感は消えていた。ラクス様を守る為の正しい戦い……そんなものは、この魔獣の前では何の意味も持たない。

 ザクレロは……魔獣は貪りに来たのだ。

 少年の肉も魂も全て。

「あ……うわあああああああっ!」

 モニターの中、接近するに連れてその大きさを増してくるザクレロに恐怖し、少年は悲鳴を上げていた。

 恐怖が全てを覆い尽くしていく。貪られる。

 心の中から何もかもを剥ぎ取り、何もない少年へと戻してしまう。

『……大丈夫ですか!? あの・・・!?』

 通信機から少女の声が溢れていたが、少年はそれを聞く事さえ出来なかった。

 震える指で引いた引き金。発射された弾丸は、ザクレロの顔に当たって跳ねる。

 そして……ザクレロの口腔が光り輝くのを見た。

「!? ぐあっ!? ぎ……」

 機体を襲う激しい衝撃。コックピット内に満ちる警告音。モニターに止めどなく流れるエラーメッセージ。

 ザクレロの拡散ビームの一撃は、シグーを完全に捉えていた。

 有効射程内でも比較的遠距離から撃たれたビームは、シグーに当たる頃には拡散しきって大きく威力を落としていたが、それでもシグーを焼くには十分な効果がある。

 激しく揺れる機体の中で、少年は全身を打った痛みに呻きながら、呆然とコックピットの中を見回した。

「……ここは……MSの中?」

『しっかりしてください! 大丈夫ですか!?』

 呟く少年の耳に、ラクス・クラインの嗚咽混じりの声が聞こえる。

 答えず、少年は思い出していた。自分が、ラクスを守る為に、このシグーに乗っている事。そして、本物の戦争に参加してしまった事を……

「あ……嫌……だ。何で!? 何でこんなのに乗ってるんだよ!?」

 

 

 

『あ……嫌……だ。何で!? 何でこんなのに乗ってるんだよ!?』

 脱出ポッドの中、通信回戦を繋ぎっぱなしだった為、ラクス・クラインはシグーの中の少年の叫びを全て聞かされていた。

 恐怖の悲鳴。苦痛の叫び。そうまでして自分を守ってくれる少年に、ラクスは泣きながら声をかけていた。

 そして……ラクスは、少年の疑問を聞く。

「え?」

 ラクスは、少年の疑問の意味を一瞬理解出来なかった。

 ラクスを守る為……そう言っていた少年が、今はその事を忘れたかの様に疑問を叫んでいる。

『嫌だ……死にたくないよ! 動けよ!』

 少年は、シグーを動かそうとしているらしい。しかし、動かないのだろう。声は焦りをましていく。

『動けよ! どうしよう……直せるかな。ダメだ。外に出ないと。道具もない……どうしてコックピットに居るんだ!? 直せない……ここに居たんじゃ直せないよ!』

 少年の声が泣き声に変わる。

『出して……ここから出してよ! 主任さん、助けて……! 嫌だ、ここには居たくない! ここじゃメカニックになれない! 出して! うわあああああっ! また! また来る!?』

 泣き声から変わって悲鳴。ガタガタと暴れる様な音。狭いコックピットの中で、逃げようとしているのか。

 一撃離脱をしていったザクレロが、戻ってきて再び攻撃をかけようとしているのだろう。少年は為す術もなく、棺桶と化したシグーの中で泣き叫ぶ。

 ややあって、先ほども聞いた衝撃音が響いた。少年の悲鳴が大きくなる。コックピット内の警報も音量を増した。

『死にたくない! 嫌だ! 僕はメカニックになるんだ! なるんだぁ! 主任さんと約束したんだ……直せるのに! ここにいなければ、僕は何度でもこのMSを直せるのに! メカニックになって直せるのに……どうして!?』

「やめ……て……」

 ラクスは、止めどなく溢れ続ける少年の悲鳴に、抗う様に呟いた。

 ラクスの全身が震え出す。その震えを押さえる為、ラクスは自分の身体を強く抱きしめる。

 今、少年の叫びを聞いて一つの考えに至る事を、ラクスは本能的に避けようとしていた。しかし、考えてしまう。どうしてもそこへと至ってしまう。

 ラクスを守ると言っていた少年。

 ラクスを守ると言っていた、シルバーウィンドの人達。

 死に際して、ああも泣き叫ぶ少年。

 死んだシルバーウィンドの人達。

 確かに……シルバーウィンドの人達は、死に際しても何も言わなかった。でも、実際はどうなのか? 喜んで死んでいった様にも見えた。でも、本当は?

 本当は……誰もが少年と同じだったのではないだろうか? ラクスは理解する。自分が死に際せば、少年と同じように恐れ泣き叫んだだろうから。それが普通だと思うから。

 誰もが、死にたくないと……生きたいと……夢があるのだと……言葉にはせずとも、そう叫んで死んで言ったのでは無いか?

 自分を助ける為に……ラクス・クラインを助ける為に。

 幾百幾千もの人々が、無言の内に叫びながら死んでいった。ラクス・クラインの為に。

「私……」

 声が震える。

 自分の命の為に。ラクスの為に。ラクス・クラインの為に。

“歌って……歌ってください”

 声が聞こえる。

「何故、私なのですか?」

 何故、人は命を捨てて自分を生かしたのか?

“歌を……ラクス様の歌を”

 聞こえぬはずの声が囁く。

「どうすれば……」

 どうすれば、失われた命に報いる事が出来るのか?

『ああっ! 助けて! 母さん! 助けてよ母さん! かあ……』

 通信が途切れる。

 脱出ポッドの窓の向こう、小さな光が瞬いて消えた。

 その光を見て……ラクスは口元を笑みに曲げる。

「あは……あはははははっ! 私を守るですって!? てんでダメじゃない!」

 声を上げ、身を捩ってラクスは笑う。笑い続ける。

「死なない人じゃないと……もっと強くて、死なない人じゃないとダメですわ。私を守ってくれる方は……」

“ラクス様”

“ラクス様”

 声なき声がざわめき、その名を崇める様に唱える。

 その中でラクスは笑う。涙を溢れさせながら笑う。

「もう……こんな事は起こさせない様な、強い人じゃないと」

 少女の心は歪み、砕けかけていた。

 少女が至ったのはただの逃避である。目の前の人の死から逃れる為、そんな状況が起きない事を願っていた。

 正義でも悪でもない、ただラクスを守る為に人が死なない世界を願う。それは、ラクスの敵となる者全てを徹底的に殺し、破壊し尽くした世界。それを行いながらも、ラクスの周りでは人の死なない世界。

 ラクスの笑い声が、歌声へと変わる。人々に平穏を与える歌姫の歌……ラクスを脅かす者の居ない平和を願い、その願いの為に魂を炉にくべる事を誘う歌声。

 願えば、それはかなったかもしれない。今日のシルバーウィンドの様に。

 しかし、少女の心が歪みに耐えかねて砕ける前に、その魔獣は姿を現した。

 脱出ポッドを衝撃が襲う。

 揺れる脱出ポッドの中、窓の外にラクスはそれを見た。空を睨み、全てを食らわんと顎を開く魔獣……ザクレロの姿。

「……ひっ!?」

 それを見た瞬間、ラクスの心に衝撃が走った。

 恐怖……眼前に現れたのは、恐怖そのもの。暗闇から現れて、全てを貪り食らう魔獣。原初の世界から迷い込んだ、根元的恐怖。

 それは、ラクスの心を圧倒的な恐怖のみで塗り潰した。歪んだ願いは魔獣の牙に裂かれ、声なき声は魔獣の叫びに掻き消される。死者の嘆きも又、魔獣の眼光に射抜かれては、その口を閉ざすより他はない。

 全ては些細な事。思い悩む必要はない。魔獣にかかれば、ラクス一人……いや、ラクスを守ろうとする数千、数万、数億の戦士とて、ただ貪られる時を待つ肉塊に過ぎない。

 恐怖が、ラクスの心に強くそう刻みつける。

 しかし、その恐怖はラクスにとって心地よいものですらあった。魔獣の牙に身を委ねれば、思い悩む事は無い。恐怖に震えながら、噛み砕かれる時を待てば良いのだ。

 ラクスは狂気を忘れ、ただ恐怖のみに震え……意識を失った。


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