機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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ヘリオポリスに弔鐘は鳴る

 ヘリオポリスの悲劇を拡大した原因は、戦った市民が理想主義者だった事にある。

 あの日、多くの者が栄光ある戦いを夢見た。その中で、自分は英雄であり殉教者だった。死しても、そこには未来へと繋ぐ大切な物がある筈だった。

 現実では、誰もが糞の中をのたうつ蛆虫でしかなく、死ねばそこにゴミが残るだけだった。

 理想主義者は、戦場にも理想を持ち込む。戦場はこうあるべきと。しかし、現実の戦場は、ただ陰鬱で血生臭く死に満ちただけの場所だ。

 理想を砕かれた理想主義者は、現実に対応できず、たやすく狂気に陥る。

 自分以外全てを敵と見なし、構わずに撃ちまくるような素直な連中もいた。

 もっと厄介だったのは狂気に陥ってなお勤勉だった者だ。彼らは、何を成すべきなのかもわからないまま、正しいと思える事に縋ってそれをやり遂げた。

 それは、勝てない敵への特攻であり、敗北主義者に見えた同胞の処刑であり、オーブの理念を守るという理由付けの下に行われた数多の愚行である。

 結局、戦い生き延びて残った物は……狂気と絶望だけ。

 戦渦に巻き込まれたヘリオポリスにも新しい一日が来ていた。

 

 

 

 シェルターの中、戦火を免れた人々が居た。地下から上がってくる広い階段に、彼らは家族ごとに固まり、外がどうなっているのか不安を囁きあっている。

 とりあえず、ZAFTの攻撃が終わっており、大規模な空気漏れなど生活に支障を来す事態にもなっていない事は、カメラやセンサーを使って知る事が出来ていた。

 シェルターを閉ざしていたシャッターが開いていく。

 差し込む昼の光に、目を細める人々。彼らは、その光の中に立つ人影を認めた。

 逆行の中に浮かぶ、ボロボロのスーツを着ていなければ何処にでも良そうな普通の中年男。銃を手にしていなければ……狂気に表情を歪めていなければ、何処にでも居そうな市民。

「オーブの理念を汚す者!」

 叫びと同時にアサルトライフルが撃ち放たれる。

 人々の前列に居た十人あまりがバタバタと倒れ、階段の下へと倒れ込む。死体に押し倒された人々が、あるいは銃撃に驚いて逃げようとした人々が、後列の人々を押し倒し、転げ落とし、押し潰し、連鎖は悲鳴を響かせながら続いていく。

 銃を撃った男は狂気に瞳を輝かせながら、アサルトライフルの弾倉を交換した。

 そして、階段でうめき声を上げる怪我人、倒れた人々の上を逃げようとする者、そしてそんな人々の下に埋もれて動かぬ人々にアサルトライフルを向け、再び銃弾を浴びせる。

 狂気の残り香。

 オーブの理念などは関係ない。歪んだ復讐心……戦わず生き残った者への嫉妬が、各所でアスハ派残存過激分子による殺戮を起こさせていた。

 戦ったアスハ派の無為な死。その責任を、戦わなかった者にかぶせたのだ。

「オーブの理念を……」

 男は、悲鳴と絶叫と血の臭いの満ちるシェルターに足を踏み入れる。

 しかし……その時、男の背後から無数の銃弾が飛来し、男の身体を貫いていった。

 直後、シェルターの外から、銃で武装した市民達が駆け寄ってくる。彼らは、戦火の中をさまよっていた避難民であり……最初に、アスハ派市民の襲撃を受けた者達。

 避難民達も戦場に放棄されていた銃を回収し、武装して自衛に乗り出していた。

 彼らは、死者と負傷者の坩堝となったシェルターの中に向かって叫ぶ。

「このシェルターの中のアスハ派は前に出ろ!」

 ……自衛と言うべきではなかった。彼らは、アスハ派を狩り出していた。それは復讐であり、狂気であった。

「アスハ派が市民を虐殺している! 殺さなければ、殺されるぞ!」

「こいつ、アスハ派だ!」

 男達の一人が、顔を知る者でも居たのか、階段で倒れ伏す負傷者の中の一人を捕まえた。

「止めろ! 助けてくれ!」

 傷の痛みに呻くそのアスハ派の男を、男達は3人がかりで引きずり、シェルターの外へと連れ出していく。アスハ派の男の悲鳴と哀願の声は、彼らがシェルターの外に姿を消してすぐに響いた銃声一つの後、聞こえなくなった。

 この状況に、元々シェルターに隠れていた人々は恐怖に震える。かろうじて、男達の側にいた一人の中年女性が、震えながら男達に言った。

「こ……ここに、そんな人はいないわ」

 市民にとっては、氏族ごとの派閥など有って無きものである。氏族との血縁でもなければ、あるいは特定の氏族に対する支援団体などに所属しなければ、もしくは氏族の下で働くなどしていなければ、明確に何処に所属するという分類があるわけではないのだ。

 となれば、一般の市民を分別するには、アスハの政治姿勢に賛同していたか否かくらいしかないわけで、それを問われれば圧倒的多くの市民がアスハ派という事になる。

 男達の言う、アスハ派を出せという言葉は理不尽だった。

「アスハ派とか、そうじゃないとか、そんな事は……」

 言いかける女に、銃が向けられる。女が何か言う前に銃弾は放たれ、女は血と脳を背後の壁一面にぶちまけて永遠に黙った。それをした、男達の一人がシェルター内に向けて怒鳴る。

「アスハ派を庇う者は、アスハ派と見なす! アスハ派を出せ!」

 アスハ派という魔女を狩る、魔女狩りが始まっていた。

 

 

 

 ――他の結末もある。

 男は、それを見て狂気から醒めた。

 シェルターの前、倒れ伏す無数の死体。その中に転がる、女と子供。かつて妻であり、そして息子であった物。

「うそだ……」

 抱き上げた息子の小さな死体。記憶の中では輝く笑顔を浮かべている顔は、額の右側に開いた大穴から溢れる血で塗り固められた右半分と、恐怖に歪んだ左半分とに分けられている。

「うそだ! うそだ! うそだぁ!」

 戦いから逃がしたはずだった。自分が死んでも、二人は無事なはずだった。

 戦場の恐怖と狂気から逃れ、最後に辿り着く安息の場であるはずだった。帰れば、自分は元の自分に戻れるはずだった。

「うそだ……」

 呟く。腕から息子の死体がこぼれ落ちる。

 何が、こんな結末をもたらしたのか。考えた男は、周囲の死体を眺めた。

 死体は、シェルターに向かって死んでいる。シェルターに逃げ込もうとして、シェルターの中から撃たれて死んだらしい。

 ならば……そこに家族の仇がいる。

 男は、ゆっくりと立ち上がると、シェルターに向かった。前に誰が立ち塞がろうと、殺す覚悟で。しかし、男を邪魔する者は居ない。

 男は易々と、妻子が辿り着けなかったシェルターの入り口をくぐり、中へと足を踏み入れる。

 シェルターの中は空虚だった。音一つ無い中を、男が階段を下りる足音だけが響く。

 もう、妻子を殺した者は居ないのか? その疑いは、男にとっては絶望ではなかった。居ないなら、追えばいい。その罪をわからせるまで、追えばいい。

 男は階段を下りきって、行き止まりにある扉を開けた。ここから先に避難スペースが有る。

 そこに踏み込んだ男は足を止めた。

 人。腕をだらりと垂らし、立ちつくす人々。その首に絡み付く縄は天井へと伸び、むき出しの天井配管に縛り付けられている。

 彼を出迎えたのは、首を吊った死体の群れだった。

 入り口を入ってすぐの所に、一枚、紙切れが落ちている。

 男は拾って目を通した。

 遺書……中には悔恨が刻みつけられている。初めての戦場に怯え、冷静さを失い、狂気の中でたくさんの人を殺してしまった……と。

「あ……う……うわあああああああああっ!」

 男は叫んだ。その遺書で糾弾されている罪……それを男も犯していた。

 戦場の恐怖から人を殺したこのシェルターの人々。戦場の狂気の中で、歪んだ大義名分と生存者への憎悪から人を殺してきた男。

「あっ……あ……」

 男の記憶の中に、自分が殺した避難民が思い出される。女が居た。その子が居た。二人は、自分の妻と息子ではなかったか?

「ああ……」

 同じだ。その認識は男から最後の狂気を取り払う。残されたのは、心砕けた、弱き罪人でしかなかった。

 男は、妻と息子を殺した者へ向ける為に持ってきた銃を自分に向ける。

 銃声が響く。それは男が、ここで全てに終わりをもたらした音であった。

 

 

 

 無法状態にあるヘリオポリスの状況を、占領したZAFTは掴んでいた。

 ドックに入って修理中のローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフの中で、艦長のゼルマンは通信士からの報告を聞く。

「行政府からの返答はありません」

 戦闘終了後から、定期的に連絡を取ろうとしてきたが、行政府からの返答はない。警察や消防も通信途絶。公的機関は、軒並み休業してるようだった。

「行政府に治安維持を代行させるのは無理か。まあ……本来、治安維持は占領した我々の仕事なのだがな」

 ゼルマンが呟く。

 何せ、艦2隻分の人員しか居ないのだ。コロニー一つの管理など、出来るはずもない。

 コロニー内に政府が残っていれば、本格的な占領のその時まで施政と治安維持を任せる事も出来るのだが、今回の件ではそうする事も出来なかった。

 無論、港湾部の防衛さえ厳重ならば、ZAFTにとってそれで問題はない。コロニー内で、オーブ人が殺し合いをしていようと、何の損もないのだから。

 それに、ここのレジスタンスには補給がないので、最初に渡された弾薬を使い切れば活動は出来なくなる。また、指導者も居ない為、組織的な行動は起こらない。

 状況的には、長引く事はないと考えられ、それなりに被害は大きくなりはするだろうが、放置してもその内に終息すると予想が立てられていた。

 プラントから本格的な占領部隊が来る頃には終わっている筈だ。

 しかし、打てる手も打たずに放置するという訳にもいかないだろう。

「仕方ない。MSを出そう。片腕のジンでも、かかしの代わりにはなる」

 ゼルマンは、昨日の戦闘で損傷し、一応の応急処置だけされたジンを再び出す事に決めた。

 MSは攻撃力が大きすぎ、治安維持には全く向いていない。事件があった場所を、被害者や無関係の一般人ごと吹っ飛ばす事しかできないからだ。

 それでも、MSが見張っているという威圧だけで、多少は抑止の効果があるかもしれない。

 どうせ、他に打てる手はないのだ。

「了解しました。パイロットはミゲル・アイマンに?」

 パイロットに連絡を取ろうとした通信士に、ゼルマンは言う。

「いや、オロール・クーデンブルグに。二人には当面、交代で治安維持活動に出て貰う。ミゲル・アイマンには休息を取るよう伝えてくれ」

 

 

 

 港湾部からヘリオポリス市内に入った片腕のジンは、まず市内全域に向けてスピーカーで話しかける事からその仕事を始めた。

『直ちに武器を捨て、暴動を止めよ! 抵抗する者は、実力を持って排除する!』

 言ってからオロールは早くも嫌そうな顔をし、マイクを切って呟いた。

「ミゲルの話だと、レジスタンスがいるんだよな。まったく、面倒は止して欲しいぜ」

 武装として持ってきた重機銃には榴弾が入っている。

 とは言え、まずはランチャーの催涙ガス弾を使用するように言われていた。手の甲の部分に無理矢理外付けしたのだが、装甲車の汎用ランチャーを引っぺがした物なのでMSのサイズに比して小さく、あまり目立たない。

 格闘武器は持ってきていない。何故か、大きめのコンテナを一つ持ってきている。

「俺のジンなのに、ミゲルに壊されるし、変な追加装備は付くし」

 暴動鎮圧用MSなどという名前を想像して溜息をつきながら、オロールは再びマイクのスイッチを入れた。

『市内の安全は確保されていない。安全確保されるまで、一般市民の外出は禁止する』

 こう言っておけば、外をうろついている怪しい奴を問答無用で吹っ飛ばしても言い訳位は出来る。ついでに言うと、無駄に暴動に巻き込まれる市民を減らせるだろう。

『行政府職員、警察官、消防士、公共放送局職員は各自の職場へと集合せよ』

 外出禁止には反するが、これはどうしてもやらなければならない事だった。

 事態の収拾をしないと、ヘリオポリスに生き残っている市民が危うい。それには、ZAFTだけでは無理な話であり、占領地域の市民の協力が不可欠となる。とは言え、占領した側のZAFTの言う事を聞いてくれるかどうかは怪しい限りだった。

 それを改めて実感させる為と言わんばかりにコックピット内に警告音が鳴る。

「!? ……銃撃?」

 装甲に微弱な衝撃があるとモニターにメッセージ。脅威ではないので警告音はすぐ止んだ。見ると、街路に立つ男が何やらわめきながら拳銃を撃っている。

 うざったいので、オロールは早速催涙ガス弾を撃ち込む。男の側に落ちた弾は猛烈な勢いで白煙を噴射し、辺りを白く包み込む。その白煙の中から転がるようにして出てきた男は、顔を押さえて泣き叫んでいる。

『あー……と、便衣兵行為の現行犯だ』

 言いながらオロールは、ジンを操作して男をつまみ上げた。そして、虫籠に入れるみたいに、男を持ってきたコンテナに入れる。

『市民の姿を装って戦闘行動を取る事は、オーブも批准する陸戦条約において禁止されている! オーブでも犯罪者として扱われる行為だ! 犯罪者になりたくなければ、今持っている武器を捨てろ!』

 一応、マイクを通して警告しておくのも忘れない。まあ、これでレジスタンスが皆、武器を捨ててくれるというのなら、全くもって苦労は無いのだが。

 そう思った直後に、また警報が鳴った。何処かからか撃たれている。

「くそ」

 オロールはうんざりしてきた。そして、さらにうんざりな事が通信で送られてくる。

『オロール機。市内の安全は確保できそうですか?』

「正気で言ってるのか?」

 通信士に言われ、オロールは思わずそう返した。この出撃、誰だって効果など期待していなかったはずだ。

『赤服のお坊ちゃんが、ここに住んでた友達を捜しに行くって五月蠅いんですよ』

「あ? 状況考えろよ。軍はミゲルが殲滅したけど、レジスタンスがまだ残ってるんだぞ」

『本人に言ってくださいよ』

 通信士も、心底嫌そうだった。おそらく、無茶苦茶にごねられたのだろう。

 放置しても良いのだが、勝手に出られて、レジスタンスの捕虜になったり殺されたのでは目も当てられない。オロールは舌打ちしつつ言った。

「しょうがねぇな。呼び出してやるよ。生きていれば、出てくるだろ」

『そうだと良いですけどね。キラ・ヤマトだそうですよ。友達は』

 助かったと言わんばかりの通信士。オロールはマイクを取り、スピーカーでまた怒鳴り立てた。

『これから名を呼ぶ者に命令する! キラ・ヤマト! キラ・ヤマトは、港湾部ZAFT陣地に出頭せよ。出頭無き場合、こちらから出向くからそう思え!』

 気を利かせ、友達というネタは伏せて、何か良くない呼び出しであるかのようにしておいた。もし、ZAFTの友達のキラくんなんて呼んでいたら、生きていても出頭する事はないだろう。その前に、レジスタンスに血祭りに上げられる。

 なんて気が利くんだろうとオロールは自分を褒めつつ、さっきから増え続けているレジスタンスからの銃撃に対応する事にした。

「お前らには、催涙ガスの大サービスだ!」

 ランチャーの連続発射。周囲は白い煙でいっぱいになった。

 

 

 

 数時間後、同姓同名のキラ・ヤマトさん数名に混じり、キラ・ヤマトは親を同伴して港湾部へと出頭した。

「キラ……」

「アスラン……」

 宇宙港に付設された地上施設の中、用意された一室で、アスラン・ザラとキラ・ヤマトは再会する。

「どうして君がZAFTに……!」

「待ってくれ」

 部屋のドアを開け、中にいたアスランを見るや声を上げて問いつめようとするキラに、アスランは手を突き出してそれを制した。

「キラ……まずは、再会を喜ばせてくれないか?」

 アスランは、部屋の中に用意したテーブルと椅子を指し示す。そして、アスラン自らが椅子の背を引き、キラをそこに座るよう誘った。

「アスラン……」

 キラは、アスランの心遣いに感動した様子を見せながら、素直に椅子へと座る。

 テーブルの上には、軍艦にしてはそこそこに豪華な軽食や菓子類、そしてティーポットにお茶も用意してある。

 アスランは、キラを説得するつもりで居た。こんな危険なヘリオポリスではなく、安全なプラントへ来るようにと。

 そもそもキラはコーディネーターなのだから、プラントに居るべきなのだ。

 この部屋にはベッドも用意してある。何日かかろうとキラを必ず説得する……アスランはそう決意を固めていた。

 

 

 

 ヘリオポリス地下の秘密のシェルターにそれはあった。

 ザクレロ試験型“ミステール1”。

 センサーは単眼式。正式採用型ザクレロの複眼センサーは使用されていない。

 武器は、拡散ビーム砲ではなく、ビームライフルなどと同じ集束ビーム砲を2門。ミサイル発射口8門。ザクレロのヒートナタの代わりに、手鎌に似たヒートサイズ。

 ザクレロの魔獣の如き姿とは変わって、かなり無機的な姿であり、種として別の恐怖を感じさせる。

 それを発見して以来、トール・ケーニヒはミステール1にかかり切りになった。

 まずはマニュアルを見つけ出し、別室に高G環境型シミュレーターも見つける。

 高G環境型シミュレーターは、回転するアームの先にコックピットが取り付けられた物だ。回転で遠心力を発生させ、それで高G環境を再現する。もちろん、その環境でMAの操縦を行う事が訓練の主目的となる。

 訓練された兵士が乗っても気絶することなど当たり前という危険きわまりない物だが、トールは全く躊躇する事はなかった。

 トールと共にこのシェルターに逃げ込んだ少女エルは、トールがシミュレーターの中に消えるのを見送った後、寝室で一人寂しさを抱えて眠りにつく……

 翌朝、目覚めたエルは、まず一番にシミュレーターを見に行った。

 シミュレーターは稼働中で、トールが出てくる様子はない。エルは食料庫から保存食を適当に持ってきて、トールが出てきたら必ず側を通るだろうシミュレーターのコンソールの上に置いた。

 そして、自分も朝食を済ませ、子供部屋らしき場所に置かれていた人形やぬいぐるみで一人遊んだ。やがて、再びお腹がすいたので、エルはまた食料庫に行き、保存食をとってシミュレーターに向かう。

 コンソールの上には、朝に置いた保存食がそのまま置いてあった。シミュレーターは、何も変わらず稼働を続けている。エルは、朝置いた保存食の横に、新しく持ってきた保存食も置いた。きっと、お腹が減ってるだろうから、二つくらい食べるかもしれないと……

 それからエルは、動き続けるシミュレーターを眺めながら食事を済ませ、トールが出てこないので子供部屋に戻った。孤独な時間が過ぎ、また空腹がやってくる。

 エルは、もう一度、保存食を手にシミュレーターへ向かい……やっと異常に気付いた。

 朝、昼と置いた保存食が、そのままに放置されている。シミュレーターは、稼働を続けていた。何も変わらず。

「……お兄ちゃん?」

 エルは、慌ててコンソールに駆け寄り、その盤上を見回した。

 キーボード、よくわからないスイッチやボタン、その中に赤色の大きなボタンを見つける。そこに書かれた名を、幸いにもエルは読む事が出来た。

 “緊急停止”

 エルは背伸びしてコンソールに身体を乗せ、拳を叩きつけるようにしてそれを押す。

 直後、警報が鳴り響き、シミュレーターはその動きを次第に鈍くしていって、やがて止まる。その後、シミュレーターはコックピットのハッチを開放した。

 エルはそこに急いで駆け寄り……中の凄惨な様子に足を止める。

 トールは生きては居た。

 ぶつぶつと何かを呟きながら、操縦桿を握りしめて放さず、目は暗転したスクリーンを睨み据えて動かない。瞳は虚ろに開き、光を宿しては居なかった。

 口から胸にかけてを吐瀉物で汚し、下半身は漏らした糞尿に汚れている。何度も気絶し、覚醒してはシミュレーターを続けたのだろう。

 肉体は既に極限の状況にあったが、それでもトールはシミュレーターを続けようとしていた。

「お……お兄ちゃん!?」

 エルは、そのトールの有様と酷い臭気に怯んだが、それでも逃げることなくコックピットに入り込み、トールの身体を揺さぶった。しかし、トールは反応しない。

 エルは迷い……そして、一つ思い出した。トールを“呼び戻す”手段を。

 エルは少し躊躇してから、ポケットからハンカチを出してトールの顔を拭う。乾いた吐瀉物は、擦れてポロポロと剥がれ落ちる。

 そうしてからエルは、自分の口をトールの口に押しつけた。エルのキス。と……トールの瞳に、意思の光が戻ってくる。

「ああ、ミリィどうしたの?」

 キスを解き、トールはエルに微笑んだ。エルは安堵して言う。

「あの、ご飯」

「あまり食べたくないんだ」

「食べなきゃダメだよ、お兄ちゃん。一緒に食べよう?」

 エルの言葉に、トールはゆっくりと人間らしさを取り戻していく。

「そうだね……って、うわ! 何だ!? これ酷いな……」

 トールはここで、自分の格好のあまりの酷さに気付いた。吐瀉物と、排泄物でどろどろに汚れた身体。それはトールだけでなく、エルも汚してしまっている。

「ゴメン、先に身体を洗ってからだね」

 言いながらトールは、この汚れた身体をどうやってシャワールームまで持って行くかを考えていた。

 一方、エルは、トールが反応を取り戻した事を喜びながら、一つの不安を胸に抱え込む。

 トールは……エルが守らないと、きっと生きていけない。きっと、全てをあの鋼鉄の魔獣ザクレロに捧げ尽くして、死んでしまうのだと……

 エルは、今はただ一人の知人であるトールを死なせたくはなかった。

 

 

 

 ヘリオポリスの混乱は、戦闘から二日を過ぎた辺りから治まっていった。

 行政府と公共放送が機能を取り戻し、市民に情報が与えられ、デマや煽動が効果を失った事。

 特に、市民に大被害を与えた混乱の直接原因がカガリ・ユラ・アスハの煽動と武器の配布により訓練を受けていない市民が戦場に出てしまった事だと冷静に指摘し、その違法性について繰り返し放送されて、レジスタンスへの市民の支持が無くなっていった事が大きい。

 また、ZAFT支援下での警察の復活により、治安が回復していった事。

 ZAFTのMSに無駄な攻撃をかけたレジスタンスが相当数逮捕され、隔離された事。

 当初の見込み通り、ヘリオポリスにばらまかれた銃器の類が弾切れなどで使用できなくなり、暴徒やレジスタンスの武装度が急激に落ち込んだ事。

 そして、戦場への慣れから、レジスタンスや暴徒が冷静になっていった事が上げられる。戦場の狂気に煽られていただけの者が、これで多数脱落した。

 この脱落は、自殺者の増加という形で現れる。自らの行為に恐怖しない者は少なかったのだ。

 最後まで残ったのが、復讐者達によるアスハ派狩りである。銃器弾薬が尽きた後も、無為なリンチ殺人が繰り返し起こされていた。

 オーブの理念に代表されるウズミ・ナラ・アスハの思想に賛同する者達が戦闘に参加して多数戦死した事、放送でレジスタンス行為の違法性が暴露された事に加え、このアスハ派狩りにより戦闘に参加していないアスハの信望者までも殺された事。

 これにより、ヘリオポリスはオーブでは主流のアスハ信望者が激減する結果となった。

 冗談でも“オーブの理念は守るべき”などと言えない空気になったとも言う。

 無論、声に出さず密かにアスハを信望し続ける者もいただろう。だが、声に出して行動に移す者が居ない状況では、それが何かの意味を持つ事はなかった。

 この時期をもって、ヘリオポリスでのオーブの理念は死んだ。そこに至るまでに、ヘリオポリスでは数多の命が失われていたわけだが……

 ヘリオポリスに溢れた死体の山は、遺族が自ら探し出して回収した一部を除き、一応の身元確認の後、全てが「ZAFT攻撃時の犠牲者」として処理され、埋葬された。

 これら死体が一斉に腐敗し始めれば、生き残った人々の健康に悪影響がある為、処理は急がなければならなかったという事情もある。

 だが、明らかにZAFTの攻撃と関係ない、小銃などで殺された遺体も多数見受けられた事について触れられる事はなかった。市民から、アスハ派が起こした暴行や殺人、そして逆にアスハ派に対して行われた私刑について通報もあったが、それも調査は行われなかった。

 行政府も警察も多大なダメージを受け、調査などしきれないという事情があったのだ。

 ヘリオポリスは当たり前の事が出来ないほどに疲弊していたと言って良い。

 それでも、ヘリオポリスの市民のほとんどは、この苦境も乗り越えられると信じていた。

 ZAFT占領下にあっても、オーブ本国は自分達を見捨てはしないだろうと信じていたのだ。まだ、この時までは……

 

 

 

 ヘリオポリスでの戦いから5日後、オーブ連合首長国。カガリ・ユラ・アスハは帰国した。

「ヘリオポリス国民は、オーブの理念を守って玉砕した! この悲しみと、彼らの意思を伝える為、私はここに帰還した!」

 テレビの中で、礼装姿のカガリが、国民に向かって涙ながらに訴える。

 ヘリオポリスの国民が、如何にオーブの理念の為に勇壮に戦ったか、オーブの理念を守る事を本国の国民に如何なる思いで託したのか。

 それは、現実の姿ではない。ただこうであるべきと言う理想が生んだ物語であった。

 あの日、現実を見る事がなかったカガリが願った理想そのままの、美しくも悲しい物語。

 そしてその物語の中では、心ある忠勇なオーブ国民は全て華々しく散った事にされてしまっていた。

「私は約束した! オーブ軍、そしてへリオポリスの勇敢な市民が命を賭して守ろうとしたオーブの理念。彼らが教えてくれた、オーブの理念の尊さを忘れないと。これから未来永劫、オーブの理念を輝かせていくと!」

 カガリの演説は、ウズミ・ナラ・アスハすらに感涙の涙を落とさせ、その姿が放送される。

 偉大なる国父ウズミとカガリが共に涙を流しながら手を取り合い、オーブの理念の崇高さを讃え、それを守り継ぐ事を改めて決意して放送は終わる。

 オーブ国民は、ヘリオポリスの貴い犠牲に熱狂した。

 そして、その意思をカガリと一つにした。

 すなわち、オーブの理念を命に代えて守り抜こうと……

「気違い共め」

 ウナト・エマ・セイランは一人、演説会場の片隅で呟いた。

 

 

 

 カガリの演説のあった日、ウナトは夜遅くになってから帰宅した。

 そこで、今日聞いた、それなりに長い人生で聞いてきた中でも最悪だった演説を再び耳にして、顔をしかめる。

 その演説は、居間の方から溢れてきていた。

「カガリは可愛いねぇ、父さん」

 ユウナ・ロマ・セイランは、居間のソファに身体を投げ出し、テレビの大画面に映し出されているカガリを見つめながら、一人でグラスを傾けている。

 そして、ウナトが入ってきた事に気付くと、先の一言を言ってのけた。

 ウナトは顔をしかめたまま、テレビに目をやる。

「ビデオか?」

「いや? テレビもラジオも、繰り返し同じ放送を流してるよ。演説、カガリが持ってきた記録映像、そしてアスハを讃える識者と芸能人、そしてまた演説。この繰り返しさ」

 オーブは今や、ヘリオポリス玉砕の報で一色となっていた。

 誰もが、オーブの理念を守る為、最後の一人まで戦ったという勇敢なオーブ軍とヘリオポリスの住人達について涙している。

 そして、オーブの理念を捨てようとした、卑劣な者達……例えば、オーブ行政官やヘリオポリス駐屯地司令、そして今になって少しずつオーブに到着している自力でヘリオポリスを脱出してきた人々に、怒りをぶつけていた。

 番組は、そんな今のオーブを忠実に表し、さらに煽り立てている。

 アナウンサーが、カガリが断腸の思いでヘリオポリスから持ち帰った記録映像をテレビで今から公開する事を告げ、映像が切り替わった。

『必ずや、オーブの理念を守って見せますよ』

 市街を背景に装輪装甲車の前で銃を手にする若い兵士の笑顔。

『オーブの理念を守るのは、オーブ国民の義務ですから』

 住宅地の街路に立ち、銃を手に緊張した面持ちで答える中年男。

『僕達にはまだこんな事しかできないけど、オーブの理念を守ってください!』

 陣地構築中の市街で、リヤカーに積んだ弾薬箱を運ぶ少年。

 戦いの前に撮られた映像。兵士、市民を問わず、誰もがオーブの理念を守ろうと主張する。

 そのインタビューが終わった後に続くのは、ZAFTとの戦闘シーン。

 一機のジンが、街を蹂躙する。

 ミサイルや機関砲などの数少ない兵器で果敢に挑む兵士。勇敢にも小火器だけでジンに抵抗し、榴弾に薙ぎ倒される市民。

 ジンは、逃げまどう“無抵抗の”市民にまで銃を向け、市民は榴弾で粉微塵に粉砕される。

 描き出されたのは、ZAFTによる一方的な虐殺と、それを阻止すべく勇敢に戦う兵士と市民の姿。そして、

『放してくれ! アスハのオーブの理念なんて俺には関係ない!』

 怯えて逃げようとする市民。頭を抱えて地面に這いつくばり、カメラから少しでも離れようとするかのようにもがく。

『死にたくない! 俺は戦いたくなんか無い!』

 無様で、惨めで、不道徳な存在として描き出される、オーブの理念に命をかけない市民。

 そして戦闘シーンは、オーブ軍兵士と有志市民による華々しい自己犠牲攻撃の決行と、悲壮たる無惨な敗北を描ききり終了する。

 カガリ・ユラ・アスハが脱出する直前まで記録されてきたその映像に、狂気に陥った市民の姿は無いし、市民を巻き込む無為な戦闘行為も無い。

 勇壮な軍と忠勇な市民達による、美しい理想的な悲劇がそこにあった。

 その映像が、テレビから流される。国民に向け、これが真実なのだと。

「楽しい番組だよ。もう、死ななかったら非国民って感じだね」

 カガリが持ち込んだ記録映像を流し終えたテレビに宇宙港が映った。

 映されたのは、着陸したシャトルから降りてきた人々……裕福そうな家族連れだが、その表情は硬く暗い。

 そんな彼らに、離れた場所に集結した民衆が罵声を浴びせていた。『裏切り者』と。

 レポーターが、その家族にマイクを向け、責める口調で問う。『何故、オーブの理念を捨てて逃げたのですか? 何故、戦わなかったのですか?』と。

 ウナトは質問責めにあっている者が古い友人の一家だった事に気付いて呻いた。

「狂っている。この国は狂っている」

「あはは、今更気付いた訳じゃないよね?」

 そう言って笑いながらユウナは、ウナトにこれ以上のショックを与えないように、チャンネルを変えた。

 幾つかのチャンネルでは、さっきの家族を映している。民衆からの投石が始まったと、レポーターが興奮して嬉しそうに叫んでいた。

 やがて、チャンネルはカガリの演説を映している局にセットされる。

 輝くような強い眼差しで演説するカガリと、感涙しながらも演説を静かに聞くウズミ。

 ウナトは、憎しみを込めて呪いの言葉を吐く。

「この恐ろしい親子が、これ以上、国を荒廃させる前に、死んでくれればと思うがね」

「じゃあ、カガリの死体を漬けておく水槽を用意しておくよ。いや、冷凍保存の方が良いかな? いっそ樹脂で固めて……うん、良いぞ。毎日、眺めて暮らすんだ」

 ユウナが明るく答え、流石にウナトの表情が引きつった。

 そんなウナトの顔を見て、ユウナは芝居っぽく肩をすくめて見せる。

「嫌だなぁ、冗談だよ」

 酷く信憑性の薄いその言葉の後、ユウナは視線をテレビに戻した。

「可愛いなぁカガリは。この理想に燃える目が良いね。抉り出しても綺麗なままかな?」

「お前の趣味の事など知らんよ」

 ウナトは、自分の息子の趣味はどうにもならないと諦めの溜息をつく。そんなウナトの心労など知らず、ユウナはまたカガリを見て、恍惚としながら言葉を漏らした。

「ああ、この目が絶望に染まる所を見てみたいよ。悔しくて、悔しくて、それでも屈服するしかないカガリが、這いつくばりながら憐憫を請うその時の目。見たいねぇ父さん」

「知らんと言っているだろう。まあ……それをしなければならない時かもしらんが」

 もう、オーブは保たない所まで来ているのかも知れない。ウナトはそう考えていた。

 このヘリオポリスでの異変こそが、その前触れではないかと。それを確かめる為として今日、セイランに連なる氏族とセイラン派の政治家達の会合で、一つの決定があった。

「ユウナ。パナマ経由の民間宇宙船を用意してある。今から出立して、ヘリオポリスに行ってくれ。正確な状況を知りたい」

 他氏族に注目されていない重要度の低いメンバーを集め、密かにヘリオポリスへと送り込み、真実を確認する。

「お前に……出来るな?」

 やらせる事は決めていたのだが、ウナトはここになって不安になった。

 ユウナは、普段の言動がアレだけに、ほとんど注目されていない。それでいて実はアレな言動は世を忍ぶ仮の姿で、他氏族の油断を誘う芝居……と言うならウナトも安心なのだが、実際の所は本気でアレなのであった。

 何をしでかすかわからないが、肉親だけに報告に嘘は付かないだろうと信用は出来る。調査だけならきっと大丈夫だろうとウナトは自分を納得させていた。

「調査と言っても、ヘリオポリスは全滅したって泣いてるけど?」

 ユウナは、テレビをさして苦笑して見せる。

 信じては居ないのだ。ヘリオポリスの住人が、一人残らず死ぬまで戦ったなどとは。

 ウナトも信じては居ない。だが、一応の事として言っておく。

「全滅しようが、してまいが、一つだけ成し遂げてくれ。ヘリオポリスには、行政官の遺産があるはずだ。それを手に入れるのだ」

 ウナトは、行政官が手に入れた物の事を知っていた。

「あの力は、セイランにとって必要な物となるはずだ」

 

 

 

 ヘリオポリスでの戦闘から五日を過ぎ、ヘリオポリスの中は一応の平穏を取り戻しつつあった。

 戦火に焼かれ、建物が幾つも崩壊し、見通しの良くなった市街も、遺体回収の終わった所から瓦礫の撤去作業が行われ、少なくとも緊急車両が市街を走り回るに困らない程度には復旧している。

 とは言え、崩壊した建物が放置されていたり、路面に弾痕が刻まれたままだったりと、戦火の爪痕はまだしっかりと残っていた。

 無論、人々の心に残った傷は、ヘリオポリスが復旧しつつあっても決して消えはしない。

 ヘリオポリス厚生病院。今残っている、設備の充実した唯一の病院。

 入院患者に穏やかに過ごしてもらう為、街の中央から外れた緑豊かな場所に建てられていたことが幸いし、戦火での焼失を免れた。

 現在、この病院にヘリオポリスに残った医師や看護師、有志のボランティアスタッフ、医薬品類の全てが集められ、負傷者の治療に当てられていた。

 しかし、病院の許容量はオーバーしており、外に仮設されたプレハブ倉庫同然の建物の中にまで負傷者が並べられている。

 負傷者の呻き声と悲鳴、怒号に近い医者と看護師達の指示の声、治療の甲斐無く死んだ者にすがる残された家族の泣き声、そんな音で満たされたプレハブ病棟の中をカズイ・バスカークは歩いていた。

 やがて彼は、目指していたベッドに辿り着く。

 そこには、包帯で全体を覆うように包まれた1m弱くらいの長さの芋虫のような塊があった。

 その塊からは無数にチューブが伸び、点滴や酸素ボンベにつながっている。

 カズイはそのベッド脇に置いてあるパイプ椅子に座り、無表情のまま塊に話しかけた。

「お母さん、またお見舞いに来たよ。あまり来られなくてゴメン」

 塊は動かない。返事もしない。

 それでも、聞こえてはいるのだと医者は言っていた。

 視覚と聴覚に問題はない。今は治療の為に喉にチューブを通しているから無理だが、話す事も出来るだろうと。

 しかし、四肢は失われており、一生、動く事は出来ないのだという。

 あの日、カズイと父母は別の場所にいた。そして、カズイの父母はシェルターに入れず、逃げ回って街を出た所で、墜落してきた戦闘機の巻き添えをくったらしい。

 母を庇った父は、ズタズタに切り刻まれた黒こげの肉片となった。

 カズイがようやく病院で母を発見した時には、父は既に共同墓地の中に他の無数の死者と共に葬られた後。申請すれば骨は返してもらえるらしいが、母の方にかかりきりで、どうするかは決めかねていた。

 それに、今のカズイに、父の為の墓を用意する金はない。

 母の治療費さえも無い。今は危急の時だけに治療費など請求されていないが、ずっとそうというわけではないだろう。母はこれからも病院にかかり続ける必要があるだろうから、いずれは金が必要になる。

 それに、母を治す方法は一つあった。カレッジにいた頃、聞いた事がある。

 機械の義手義足、いわゆる医療型サイボーグだ。これを取り付ければ、普通の人間とほぼ変わらない生活が送れる。

 しかし同時に、それを手に入れるには、見た事もないような額の金が必要な事も知っていた。

 金がいる。どうしても金がいる。金、金、金……

 だが、今のヘリオポリスで、どうやって金を稼ぐのか? 考えはいつも袋小路にはまる。

 何にせよ、この混乱した中で就職も何もあったものではない。アルバイトは幾らでもあったが、それは何時までも続く筈はないものだった。

「……ご飯食べてから、アルバイトに行くよ。じゃあ、また」

 反応しない母に声をかけ、カズイは病棟の外へと出ていく。

 病棟の外では、ボランティアが給食を配っていた。その前には、長い長い列ができあがっていた。その列の後ろに並んで、カズイは一時間あまりを待つ。

 途中、割り込みをしようとした男が、先に並んでいた連中に袋だたきにされるのを見た。いつもの光景なので、カズイは動揺などしない。

 カズイの前に並ぶ人数が数える程に少なくなった頃、食器類を乗せたテーブルがある場所にさしかかる。お盆をとり、プラスチックのボウルとスプーンを乗せた。

 そして、もう少し待ち、カズイはようやく食事をもらえる段になる。

 岩で出来ているんじゃなかろうかという様な武骨で無愛想なオバハンが、寸胴鍋からお玉で一杯、カズイの持つ盆の上のボウルに注ぎ込む。

 もう一人の、カマキリの様な骨張った長身の無愛想なオバハンが、小型のパンが詰まった箱からトングで二つ挟んで盆の上に置く。

 それでお終い。カズイは、さっさと列を離れて座る場所を探す。

 ……無い。病院の庭は、どこも人で一杯だ。

 それでも幸運に、カズイは病院の壁に空きを見つけ、壁に背を預けて立ったまま食べ始めた。

 具のほとんど無いスープに、パンを浸して食べる。美味くはないが、不味いと騒ぐほどでもない。ただ、もっと量が欲しい。

 一回食べた後に、再び並ぶ者も居ないわけではないだろうが、カズイはそんな風に時間を無駄にしている暇はなかった。

 小さいパン二つを食べ終え、残ったスープをボウルを掴んで口を付けて飲み干す。スプーンは結局、使わなかった。

 ごちそうさまとか、お世辞にも言う気にはならないので、カズイは無言で後始末にかかる。

 使い終わったお盆とボウルを、食器返却場所として用意されたテーブルの、うずたかく積まれたお盆とボウルとスプーンの中に乱雑に突っ込んだ。カズイの後に入れた奴が、うっかり山を崩して、お盆の雪崩にあって悲鳴を上げていたが、カズイは気にしなかった。

 そして、病院を離れるべく正門を目指す。門の所には、バスが待っているのだ。

 バスの横には長机が置かれ、そこに病院のスタッフであろう男が座って、仕事をしてくれる人を待っている。そこへ一声かければ、仕事を紹介してくれるというわけだ。

「あの……」

 声をかけるカズイに、スタッフは無表情で問い返した。

「どうも。遺体回収の仕事をご希望ですか? 遺体の回収は初めてですか? 日にちも経ってますから、かなり酷い状態の物も有ると思いますが、遺体にはお強い方ですか?」

「昨日もやりましたから」

 そう答えて、カズイは慣れた様子で、スタッフの前に置いてある申込者リストの名前の列の最後に、自分の名前を加えた。

 と、スタッフは手元のメモと、カズイの名前を見比べた。そして、得心がいった様子で頷き、カズイに言う。

「ああ……カズイ・バスカークさんですね。昨日来たので、今日も来るかと思い、待っていました。放送で流すと、他の方への印象が悪いと思ったものですから。実は、ZAFTから出頭命令が出ています。今日は、このまま港湾部の方へ向かってください」

「え? 身に覚えがありませんけど」

 ZAFTに呼び出される覚えなど無い。カズイはそう言うが、スタッフは気の毒そうな顔をして肩をすくめた。

「呼び出された理由は知りませんね。でも、無実なら無実と言うしかないのでは?」

「はぁ……」

 レジスタンスの疑惑でもかけられたのか? そう考えると、怖くなってくる。

 全くの無実だが、拷問でもされたら、やってない事までやった事にしてしまうに違いない。

 カズイが顔色を青くしている前で、スタッフはメモを眺めた。他にも連絡事項がある。

「呼び出したのは……キラ・ヤマト。ZAFTの将校か何かでしょうか」

「キラ? どうして、あいつが?」

 カズイは、どうしてそこで友人の名が出るのかわからなかった。

 

 

 

 カズイは、キラ・ヤマトに呼ばれ、ZAFT占領中の港湾部に出頭していた。

 港に用意された応接室で、カズイは何日かぶりに友人と出会う。

「ZAFTに呼ばれた時は、青くなったよ。キラが何で、ZAFTを動かせるんだ?」

「ゴメン、アスランに……ZAFTの軍人になった友達に、力を借りたんだ。友達を見つけて、呼んで欲しいって」

 カズイを笑顔で出迎えたキラは、応接セットのソファにカズイを座らせた後、対面に自分も座り、そしておもむろに悲しそうな顔をした。

「でも、君以外は、見つからなかったんだ」

 フレイ・アルスターは連合の戦艦と一緒に行ってしまい、サイ・アーガイルはその前後から連絡が取れなくなり、トール・ケーニヒとミリアリア・ハウはコロニー内で起こった最後の戦闘の後は行方不明。

 キラが探し出せたのはカズイだけだ。

「もう、僕達だけなんだな……たくさん死んだからね」

 カズイは、人ごとのように呟く。正直、今のカズイには大した事ではなかった。

 居なくなった友人より、もっと重い現実がある。

 キラは、申し訳なさそうに目を伏せた。

「ああ、その……ご両親の事、聞いたよ」

 捜査の中でカズイが見つかったのは、彼の母親が入院していたからだ。

 カズイは薄く笑って答える。

「……参ったよね」

 キラに同情して貰っても何もならない。いつものキラの様に、中途半端にわかった様な口をきかれるのは耐えられそうにない。

 だから、カズイは無理矢理話題を切り替えた。

「そんな事よりキラ、お前の方はどうだったんだ?」

「僕の方は両親とも無事だったよ。それに、アスランとも仲直り出来たんだ」

 嬉しそうにキラの顔がほころぶ。

 カズイは冷めた目でそれを見ていた。今更、このキラの反応に腹を立てても仕方ない。

 敵の侵攻で不幸になった人間の目の前で、敵と仲直りした話をするような奴なのだ。

 だからキラは、カズイの前で単純に喜んでいた。

「アスランとプラントに行く事にしたよ。その方が良いって、言ってくれたんだ」

 そう言った後、キラはカズイをまっすぐ見つめて言う。

「カズイも一緒に行かない? 僕の友達だって言えば、アスランもきっと一緒に連れてってくれるよ」

 その申し出を、カズイは少しの間だけ考えた。しかし、答えは決まっている。

「僕はコーディネーターじゃないから。プラントで生きていくのは無理だよ」

 カズイは首を横に振った。

 プラントで働き口があるとは思えない。能力差も有るし、ナチュラル差別も有ると聞く。

 まさか、そのアスランとやらが、一生養ってくれるわけでもあるまい。

 今のカズイには働き口が必要だった。

「でも、キラが行くのは良いんじゃないの?」

 元の鞘に帰るだけだとカズイは判断する。

 コーディネーターのキラなら、プラントで立派にやっていけるだろう。

 それに、敵であるZAFTと仲の良い事を隠さないキラは、もうこのヘリオポリスでは生きて行けまい。

「応援するよ」

「でも、みんなを見捨てていくようで辛いんだ」

 キラは、辛そうな表情を浮かべる。このヘリオポリスが大変な時に、まだ比較的には安全なプラントに行くのは後ろめたいのだろう。

 そういえばキラの美点は仲間を大事にする事だったなと、カズイは笑って言ってやった。

「キラがプラントに行っても、皆は友達のままだよ」

 お人好しばかりだったからと付け加えるのは止めておく。

 カズイだって、プラントに行ったからといって、それだけでキラを敵だとは思えないのだ。

「平和になってから、会えたら会って、それで謝れば良いんじゃない? 今は混乱してるけど、きっとみんな無事で見つかるよ」

「そう……だね。うん、必ず、皆に会いに来るよ」

 キラは、安心した様だった。そして、平和になって皆に会えたらと、とりとめのない話をし始める。

 その話を聞いて少しだけ笑いながら、気休めだなとカズイは心の中で自嘲した。

 今のヘリオポリスで行方不明だという事が示す事実は、大方一つでしかない。

 キラは、そんな事実に気付いていない様子で、無邪気に話をしていた。

 そんな彼を見るカズイの表情から、いつしか笑みが消える。

「なあ、キラ……」

 カズイは、キラの話を遮った。

「何?」

 怒るでもなく聞き返すキラに、カズイはまた少しだけ笑みを見せる。

「キラは……キラだけは変わるなよ。きっと、みんな変わっていくんだ。この戦争は、全部をぶち壊した。でも、キラだけは変わるな。お前だけはさ……お前だけは、変わっちゃいけないんだ。勝手な願いだけどさ」

 キラは、カズイの言葉の意味を計りかねたようで、少しの間だけ考え込んでいたが、ややあってから笑顔で答えた。

「わかったよ。僕は、いつまでも、皆の知っているキラ・ヤマトでいる。皆がどんなに変わっても、僕はずっと皆の友達だったキラ・ヤマトで、変わらずに友達でいるよ」

「それを聞いて安心したよ」

 カズイは言って、寂しげに目を伏せた。

 次に会う時……その時、どんなに堕ちた自分であっても、キラが変わらずに接してくれるなら、その時だけは以前の自分で居られそうな気がしていた。

 

 

 

 ヘリオポリスでの戦闘から一週間。

 今のところはヘリオポリスの責任者である、ZAFTのガモフ艦長ゼルマンによって、ヘリオポリスからオーブ本国への超長距離通信が許可された。無論、ZAFT側の監視下においてであるが。

 送られる通信内容は、ヘリオポリスの現状報告と、事件経過の報告。それらは、多分にZAFT側の視点が盛り込まれていたので、先に戦ったオーブ軍やレジスタンスを悪と断じた論調の物となっていた。

 しかしそれは、現在のヘリオポリスの住人達の見解とほぼ一致するものである。ZAFTを必要以上に讃えるプロパガンダは含まれていない。

 そしてもう一つ、オーブ本国への救難要請。医療関係者や救援物資といったものはすぐにも必要としていたし、レジスタンス残党を追いつめる為に警察の増援も欲しいと。

 通信が送られてから数時間後、オーブからの返答が届いた。

 この超長距離通信は、アメノミハシラを経由するので、口こそ挟まなかったがサハク家も同じ通信を聞いた事だろう。

 また、ガモフの艦橋でも、同じ通信を確認していた。

 期待して通信を待っていたヘリオポリス市庁通信室の通信技師達が通信モニターの中に見たのは、怒りに燃える金色の髪の少女、カガリ・ユラ・アスハの姿。

 後にヘリオポリスを震撼させるこの通信は、オーブ本国でテレビ中継されていた。

 ヘリオポリスで玉砕した真の愛国者達を裏切り、オーブの理念を捨て、ZAFTにヘリオポリスを明け渡した悪しき者達に対して、気高い怒りを燃やす高貴な姫獅子の姿としてカガリはオーブ国民の前にその姿を見せつける。

 彼女は、大いなる怒りのままに叫んだ。

「何故、お前達は生きている!? オーブの理念を捨て、戦わず逃げた裏切り者が!」


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