機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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暗礁宙域に時を過ごして

 ムゥ・ラ・フラガは基地内に足止めとなった。

 その事は、アークエンジェルに伝えられたが、その理由は検疫の為とのみ説明されるに終わる。

 もっとも、地上から上がってきたばかりならともかく、人工的な環境である宇宙空間でいきなり検疫というのも疑わしい話。

 それが真実だと思う者は逆に少なかった。

「……酒飲みに行った所で、何やってんのよー」

 マリュー・ラミアスは今日もシミュレーターで練習中。操縦桿を握り、CGの宇宙に閃光の華を咲かせながら、不満を仮想の敵機にぶつけていた。

「あいつは帰ってこないし、ナタルは引き籠もり気味だし、サイ君は入院中だし!」

 要するに、気軽に話す相手が居なくてつまらないのだ。

 陸戦隊や艦橋要員他、艦には色々他にも乗っているが、パイロットのマリューはそこら辺との繋がりが無い。

 だいたい一緒に格納庫辺りで働いている整備班とは、どうしても技術的な話になってしまって、それはそれで有意義なのだが、仕事意識が抜けないので気軽にとはいかない。

 ムゥと軽く喧嘩したり、ナタルを弄くったり、サイをお姉さんの色気でからかったり、そんな潤いが失われてみると、どうにも寂しくてたまらない。

 ……迷惑な奴と思うなかれ。ムードメーカーとして少しは役に立っているのだ。

「良いわ! もうこうなったら、ザクレロ、貴方だけが心の拠り所よ! 一緒に強くなって、あいつやナタルやサイ君が戻ってきたら、格好良いところを見せてあげるのよ!」

 マリューは気合いを入れて操縦桿を握り直す。

 その直後、画面端に映っていたナスカ級の120cm単装高エネルギー収束火線砲が自機にヒットし、画面が停止した。

「あ゛」

 画面には続いて、コンピューターが分析した、敗因が表示される。

『注意力散漫 戦闘中は私語を控えましょう』

「…………」

 マリューはしばらくその画面を見つめてから、無言でシミュレーターを再起動する。

 そして起動プロセスの最中、一言だけ呟いた。

「みんな意地悪だわ……」

 

 

 

 青く輝く地球を海原のように下に広げながら、黒色のドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”が宇宙に漂う。

 その船内から一隻のシャトルが産み出され、それはそのまま地球への降下コースを進んだ。

 シャトルは北米大陸を目指して降りていき、しばらくは大気摩擦の火でチラチラと輝いていたが、やがて宇宙からは見えなくなる。

「避難民のシャトルは降下軌道に乗りました。着陸目標、北米ニューヤーク。状況オールグリーン」

 ブラックビアードの艦橋。オペレーターの報告に、艦長席に座していた黒髭は小さく頷く。

 これで、面倒な仕事が一つ片づいた。

 ヘリオポリスを脱出してきた連合国籍民間人は“何も知らないまま”地上へと送られたわけだ。

 暗礁宙域の秘密基地。そこで行われてる作戦やら、なかなか非人道的な何やらはもちろん、その存在ですら明らかになっては困る。無事済んで何よりだ。

「超長距離通信開け。月と“島”を繋げろ」

 黒髭の指示で、月のプトレマイオス基地と秘密基地への超長距離通信が行われる。

 位置が大きく変動しない基地同士では、直接通信すると傍受されたり秘密基地の位置を探られたりする恐れがあった。

 位置が常に変動する艦を挟むと、その危険性は減らす事が出来る。よって、秘密基地から行う緊急時以外の通信は、こうして艦を中継して行われる。

「回線繋がりました」

 オペレーターはそつなく仕事をこなした。

 この通信にて、民間人の地球降下成功に加え、秘密基地内で起こった先のラクス脱走の顛末が月に伝えられる。

 と、即座に月からも秘密基地当てに何か指示が返った様だった。

 その通信文を手元のコンソールで見て、黒髭は皮肉げな笑みを浮かべる。

「よーし、野郎共。“島”に戻るぞ」

 民間人というお荷物は降ろした。だが、次の仕事がある様だ。

 黒髭は秘密基地宛の通信内容を思い返しながら、冗談めかして言葉を繋げた。

「次は、とびっきり厄介な荷物が待っているからな」

 

 

 

 月面、プトレマイオス基地。第81独立機動群。司令室。

 第81独立機動群のネオ・ロアノーク大佐は、暗礁宙域の海兵隊秘密基地アイランドオブスカルから届いた報告書に目を通していた。

 その報告書は、最新の物ではなく、シルバーウィンド襲撃の後に送信されてきた物。やはり、大きな扱いになるのは、船内で起こった不可解な暴動についてだ。

 しかし、その事については今のネオには判断材料が少ない。

 気味が悪い不可解な事件だとは思うが、それが危険なのか、危険ならどんな対応が考えられるのか、それとも何か有益な事なのかなど、まだ判断ができないのだ。

 故に、その対応は別の者に任せている。

 そして今、ネオは、その者を呼び出していた。

「――失礼。何かご用でしょうか?」

 インターホンを鳴らす事もなくドアを開けた白衣の男が、敬礼もせずにいきなり言う。

 彼が兵士なら叱責ものだが、彼はザクレロの開発にくっついてきていた軍属の心理学者だ。

 普通なら、心理学者など兵器開発にはお呼びではないのだが、何故かザクレロの開発には心理学の権威が関わっているらしい。

 ともあれ、何故居るのかはネオにも定かではない人材だったが、今回の件について意見を聞き、とりあえずの対応を任せるには適任だったわけだ。

「シルバーウィンドの件について、そろそろ専門家の見解を聞かせてもらおうと思ってね」

「専門家というわけではないのですが。これはむしろ社会学や、行動主義心理学的な……いや、その辺はいいでしょう」

 ネオに問われて心理学者は迷惑そうな顔を見せた後、そのまま見解を口にする。

「通常の暴動ではない事は確実ですね。

 エイプリルフールクライシスからこっち、地球上では至る所で暴動が起こっています。しかし、この様な暴動は他に類を見ません」

 心理学者は、ネオを前に、まるで学生に講義するかの様に語った。

「人間ならば死を恐れます。なのに彼等は、自らの死以外に先のない暴動を起こした。

 死が確実な暴動なんて、まず発生しません。通常は、生きる為に暴動を起こすんです。例え、結果としてそこに死のみが残ったとしても。

 ですから、ホールを出る辺りまでなら、通常でも有り得ます。ホールを脱出すれば、彼等にも生への道が見えますから。

 しかし、彼等はその後、自分達の置かれた状況をじっくり考える時間があったにも関わらず、死以外には道の無い戦いを続けている。

 船には脱出ポッドがあり、そこから逃げ出す選択肢もあった。しかし、大多数はそれを選ぶ事さえなかった。

 脱出を選んだ少人数も、追っ手が迫ると、ただ一人の少女を逃がす為に全員が死んだ。

 大人だけならともかく、子供までもがね」

「有り得なく、不可解なのはわかっているさ」

 そこまでは最初の報告からでも読み取れる。

 ネオが肩をすくめて言うと、心理学者は何度か頷いて見せながら講義を続けた。

「そうです。有り得なく不可解だ。でも、解釈は、やって出来ない事もない。

 彼等が暴動を起こした理由。それが、たった一人の少女を、脱出させるためだったと考えると辻褄は合いますね。

 議長の娘でプラント一のアイドルだとはいえ、一人の少女。それを自分や家族友人の命よりも優先して救う。それも、極めて多数が意思統一されたかのように迷いもなく……」

「そっちの方が有り得ないだろう?」

 馬鹿馬鹿しいとネオは思う。

 例え、大西洋連邦大統領やハリウッドスターが同じ立場にあっても、それを守ろうと群衆全てが命を捨てる事など無い。

 極少数の英雄が現れる事は否定しないが、圧倒的多数が揃って自己犠牲的行動を取るのは異常だ。

「ええ、有り得ませんね」

 心理学者はあっさりと認め、これ以上話す事は無いとばかりに口を閉ざした。

 彼にとっても理解の外なのだろう。学者だからと言って何でもわかるというものではない。

「わかった。とりあえず、どう対処したら良い?」

 ネオは今全てを理解する事は諦め、取りうる対応について聞いた。

「確か、今は暴動に関わった奴等を個別に隔離して、兵はそれに接触しないように指示を出したのだったな」

「はい。ビデオの映像からは、彼等が集合して相互に接触し合う環境に居た事だけは確実に読み取れますからね」

「歌は関係していると思うか?」

 暴動の中心にいた少女、ラクス・クラインの歌。暴動開始のタイミングからみて、それがきっかけになったという疑いは濃厚だった。

 だが、心理学者は首を横に振る。

「可能性は高いですが、今、それについて先入観を持つのは止めましょう。調べれば確認できる事です。それに、隔離して接触を断てば、歌の影響も封じられます。

 何にせよ、早急に地上へ降ろして、然るべき研究施設で調査を行うべきです。その価値があると、保証は出来ませんが……」

 心理学者が最後に言ったそこも問題なのだと、ネオは考え込む。

 今はただ、奇妙な暴動が一件起こったという事でしかない。

 いちいちほじくり返して調べるより、関係者全員の口を封じて無かった事にする方が簡単だとも言えるのだ。

「いや……何にせよ、アークエンジェルを一度、地上に降ろすんだ。ついでに研究材料を研究機関に提供するのも悪くない」

 ネオは考え直した。それを聞いて、心理学者は頷く。

「そうおっしゃると思いましたので、移送の準備は指示してあります」

「手回しが良いな……さては君も興味があるな?」

 ネオは小さく笑った。

 ともかく、怠惰が勝利をもたらす事はない。それに、手間と言っても自分が払うのは僅かだ。

 また、ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエルは、この一件に興味を持つかもしれない。その判断を仰がずに、勝手に無かった事にも出来まい。

「今の所は、全ての情報を渡し、厳重な調査が必要と報告しておこうかね。それで指示待ちとしておこう」

「異論はありません」

 ネオの決定に心理学者は短く返す。

 それから心理学者は部屋を去ろうとしたか身を翻そうとしたが、何か思い出した様子でまたネオと向かい合った。

「ああ、そうだ。つい先程、私の方に報告が上がっていました。件の少女……ラクス・クラインが脱走したとの事です」

「何だと!?」

「報告は事後報告の形でした。一時、基地内は混乱したものの、現地の判断で事態は無事収拾。

 なお、その時、一人だけ接触者が出た模様です。“感染”の疑いがある事から、その接触者も隔離するよう、私の判断の下、返信にて指示を出しています」

 ネオは、自分の知らないところで大事件が起こっていたのかもしれないという事を悟り、肝を冷やした。

 秘密基地で暴動など、起こされてはたまらない。が、事態はそうなる前に収まったようだ。

 そして、その件で一人が貧乏くじを引いたと。

 普段から「階級の割には前線回りの多い不運な男」を自覚するネオにとって、その不幸な人物には同情を禁じ得なかった。

「不幸な奴だな……まるで他人とは思えんよ」

「不幸ついでです。その男に、少女の世話や監視や取り調べを任せるよう指示を出しますか? 感染の疑いがある人物は、少ない方が良いですからね」

「あー……まあ、仕方ないな」

 迂闊に誰かを接触させれば何かへの感染を起こす可能性がある以上、接触する人間を増やすわけにもいかない。

 普段の世話などは、機械に任せる方法もあるのだが、それは管理された研究所で設備が有ればの話であり、捕虜を収監するのが目的である前線基地の監房では無理な話だ。

 放置して衰弱などされても困るとなれば、使える人物を使うのが合理的だろう。

「その辺りは、その不幸な男にも命令として俺から出しておこう。当面は、それぐらいか?」

「そうですね。ただ、一日でも早く、研究材料の地上への送達を……」

「繰り返すが、アークエンジェルを下ろす時に一緒に下ろす。まあ、それほど時間はかからないさ。今、補給物資を揃えているところで……」

 心理学者に返した所で、ネオの傍らの電話がコール音を鳴らした。

 ネオはすかさずそれを取る。

 心理学者は、もう話す事はないと判断したのか、無言で礼をして後ずさった。ネオがそれに承諾の意を込めて頷いてみせると、心理学者はそのまま踵を返して部屋を出て行く。

 その間にも、電話からは、あるちょっとした仕事についていた者達からの報告は続いていた。

「……そうか第8艦隊の物資の確保は成功か」

 ネオはその報告に満足そうに声を返す。

 第8艦隊は全戦力をもってMS奪回の為に出撃した。とはいえ、全ての物資を持って行ったわけではない。

 そこで、基地に残ったそれら物資を、根回しして自分達の倉庫に入れてしまおうと手を打ったのだ。

 どうせ第8艦隊は帰ってこないと踏んでいるし、万が一もし帰ってきてもMSを奪われた上にその奪還にも失敗という不始末を重ねている状態では誰に苦情を言う事も出来まい。

 MS奪還に成功して帰ってくる事は億が一にもないだろう。

 浮いてしまって倉庫で埃を被るくらいなら、さっさと奪って有効活用すべきだ。

「ん? スカイグラスパー? どうしてそんな物が宇宙に……」

 部下の報告は、その補給物資の中にFX-550スカイグラスパーというMAが二機有ったという事に触れる。

 スカイグラスパーは、MSの支援用にデュエイン・ハルバートンが作らせた大気圏内専用MA。

 大型MAに比べれば戦力は見劣りするし、ストライカーパックとやらの無駄なシステムもついてはいるが、さすがに旧式のF-7Dスピアヘッドよりは性能が良い。

 大気圏内用の機体なので宇宙にあるのは妙だが、おそらくは完成した連合MSを積んだアークエンジェルに渡し、地球上に降下させるつもりだったのだろう。

「まあいい。

 戦闘機でおなじみのP・M・P社。ハルバートンの病気の産物でも、滅多な物は作ってないだろう。そのまま、アークエンジェルへの補給物資を入れた倉庫の方へ搬入を」

 アークエンジェルには、地球降下にそなえてスピアヘッドを配備する予定だった。

 MA二個小隊八機のスピアヘッド。そこに二機のスカイグラスパーを加えても良いだろう。

 アークエンジェルにはエンデュミオンの鷹が乗っていた筈だから、彼の搭乗機にするのも手だ。

 了解した旨を告げて、電話は切れた。

 ネオは着々と整いつつある準備に満足げに頷き、それから電話を置く。

 それから急に思い出して、まいったとばかりに頭に手をやった。

「あー……後は、大型MAだな」

 アークエンジェルからの補給要請の中にあった大型MAの要求。

 とはいえ、如何に第81独立機動群とはいえども、ほいほいと渡せる大型MAなど有る筈もない。

 ならば断ってスピアヘッドでも送っておけば良いかとなると、「ミストラルで艦を守りきった新兵」なんて実に大衆好みなキャラクターを無碍にする事になるので、アークエンジェルの宣伝部隊化に当たっては好ましくない。

 悩み所ではある。何か、丁度良いMAが有ればいいのだが……

 ネオは、アレコレ考えながら、窓際に歩み寄った。

 そこからは第81独立機動群の倉庫が見える。それでも眺めながら、どうにか浮かせられる大型MAが無いか考えようと思ったのだが……

 そこで、ネオの視界にそれが目に入った。

 ちょうど、テスト中だったらしい。

「……そうだ、あれを送ってやろうか。月面での運用テストは概ね終了していたな? 本来は陸戦機だし……むしろ丁度良いかもしれないぞ」

 窓の向こうに広がる、月面の荒涼たる大地。

 そこを、砂煙を立てながら走る大型MAの姿があった。

 

 

 

 暗礁宙域。連合軍秘密基地『アイランドオブスカル』。その最奥。

 手にかけられた重い手錠も気にせずニコニコと微笑むラクス・クラインを前に、ムゥ・ラ・フラガは面倒な事になったと小さく溜息をついた。

 ここは尋問室。ムゥの背後には、装甲宇宙服を着た海兵が二人並んでいる。

 もしもの時はムゥをカバーしてくれるという話だが、装備しているのが短機関銃であるところを見るに、最悪のケースでは部屋の中の全員を瞬時に殺せるという事だろう。

 その中にムゥ自身が含まれている事は、想像に難くない。

 その背後にあるだろう事情をムゥは知らないが、海兵達はラクスとの接触を厳重に避けているのはわかった。

 ここにいる海兵達も、部屋の内部の音を拾うマイクを作動させていない。

 室内の声はマイクで外部に伝えられているのだが、その音声はコンピューターを通されて無害な別の声に置き換えるという手間のかけようだ。

 だから、話しかけても反応に多少のタイムラグがあると、ムゥは注意されている。

 そしてどうも……ムゥは、彼等がそこまでして避けているラクスの声に、汚染されたと見られている様だった。

 検査の結果、“消毒”される程の変調はなくて助かったが、一度接触しているのだからとラクスと直接交渉する任務を与えられている。

 おそらくは、繰り返し接触させて、ムゥの変化の様子を見るという意味もあるのだろう。実験動物の様な扱いに呆れ、もはや憤慨する気にもならない。

『尋問を開始せよ』

 ムゥの耳にはまった小さなイヤホンから、本当の尋問官の声が聞こえる。

「俺はパイロットなんだがなー」

 愚痴めかして呟いてみるが、それで状況が変わるわけもない。

 仕方なしにムゥは、それでもただ思い通りに動いてやるものかと、努めて親しげにラクスへ話しかけた。

「久しぶり。また会えたな」

 挨拶のつもり……だが、ラクスは笑顔のまま口を開かない。

 ムゥは、その反応を少し不審に思う。ラクスなら、普通に挨拶を返してきそうなものだったが……

 黙秘を貫くつもりか?

 しかし、ラクスの笑顔に抵抗の意思は見受けられない。

 軽く反応を窺いながら、ムゥは気楽なポーズを装って話を続ける。

「少し、お話ししようぜ。聞かせてもらいたい事が幾つかあるんだ」

 と、ラクスはここで初めて口を開いた。

「もうお話ししてよろしいんですのね? 良かったですわ。フラガさんに喋るなと言われてから、ずっと黙っていましたの」

「あれから、ずっと黙ってたのか!?」

 ムゥは驚きに声を漏らす。

 確かに、黙るように指示は出した。しかし、あの日からもう幾日か過ぎている。

 その間、ずっと黙り通しだったのか? ムゥの言う事に従って?

「はい」

 ラクスは笑顔で答えた。

 そこに何一つ疑いの様なものはない。ただ無心にムゥを信じて従ってたのだと言う様な。

「そ……そうか」

 ムゥは少し気圧されると同時に、このような少女を必要ならば追いつめなければならない自分の立場にやるせない思いを抱いた。

 が、そこに無粋な命令が水をさす。

『尋問を開始しろ。まず、監房を脱走した理由と方法を聞き出せ』

「…………」

 ムゥは苛立ちを覚えるが、すぐにそれを噛み殺す。

 何せ、自分は彼等と同じ側の人間なのだ。腹を立てたところで何の意味もない。

 いかんな……と、思う。

 どうやら、自分はラクスに感情移入しすぎているらしい。

 惚れたか? そんな事を冗談混じりに考え、それからラクスの胸元を見て、それはないなと確信を新たにした。

 それよりも仕事だ。

「……出会った時、どうして勝手に部屋から出ていたんだい?」

「あら、勝手にではありません。私、ちゃんとお部屋で聞きましたのよ。出かけても良いですかー? って。それも三度も」

 手始めにと聞いた事に、ラクスは罪悪感の欠片も無しに答える。

 海兵隊が接触を恐れていた事を考えると、おそらく収監後は完全に放置されていたのだろう。監房の鍵の確認も疎かだったか?

 出てきた後に酒場へ来た事からして、監房を出た理由は空腹が原因というのも確かか。

 ひょっとしたら、海兵隊がちゃんと食事を出していれば、防げた事件だったのかもしれない。

「なるほどなぁ。じゃあ、仕方ないな。

 でも、危ない事だから、もう勝手に出歩いちゃいけないぜ?」

 ラクスを責めるつもりはないが、釘は刺しておく。

 まあ、喋るなと一言いっただけなのに、ずっと口を閉ざすほどなのだ。逆らう事もないだろう。

 ムゥはそう思ったのだが、ラクスは困ったように笑みを浮かべた。

「このピンクちゃんは……」

 言いながら、ラクスは傍らに浮かんでいたピンク色の球体を手に取る。

「ハロー」

 驚いた事に、そいつは電子音で喋った。

 ラクスは愛おしげにその玉を撫でつつ、困った様子を見せながら言葉を続ける。

「お散歩が好きで……というか、鍵がかかってると、必ず開けて出てしまいますの」

「な!? この玉っころが、鍵を開けたってのか!?」

「ミトメタクナイ!」

 思わず声を上げたムゥの台詞に、玉の台詞が被さる。

 それが何故か、ムゥの内心を代弁したかのようで、ラクスは華やかに微笑んだ。

「まあ、ピンクちゃんたら……」

 楽しそうに玉に話しかけるラクス。

 それを前に、ムゥは笑えない気持ちでいた。

「おいおい、電子ロックだとはいえ、監房のドアだぞ……」

 スリッパで殴れば開くような安ホテルのドアじゃない。敵を放り込んでおく檻なのだ。本職が専用の道具を持ち込んでも、そう易々とは開けられない。

 それを、こんなちっぽけな玩具が開けたと言うのか?

 それこそ確かに「認めたくない」。

『それを没収しろ』

「っ!? それは……」

 与えられた指示が、ムゥを思考の内から引きずり戻す。

 ムゥは苦々しい表情を浮かべ、ラクスに聞こえないよう囁くように、見られる事もないようそれとなく手で口元を隠し、自らに付けられた隠しマイクに話しかけた。

「あの子の心の支えかもしれないんだぞ」

 敵地で収監されているという状態で、あれだけ親しげに扱う玩具が、どれほど心の支えとなるだろうか? だが……

『解錠ツールと一緒に収監など出来るわけがない。違うか?』

 言い返されれば確かにその通りで反論の余地がない。

「そうだな……」

 重々しくそう呟き返してムゥは、体の一部を欠いて広げた耳をばたつかせながら宙を泳ぐ玉を捕まえる。

 そして、ラクスが何か問う前に、ムゥは言い訳をするように言葉を並べた。

「あー……この悪戯ボールに、勝手に出てこられると困るんだ。しばらく、預からせてもらえないかな?」

「……はい」

 ラクスは僅かな沈黙の後、笑みを浮かべて答える。

「良い子なんです。可愛がってあげてくださいましね」

「あ、ああ。……大事にするよ」

 後ろめたい思いを感じながら、ムゥは捕まえた玉を後ろ手に回し、背後の兵士達へと渡した。

 玉は無造作に掴み取られ、それをした兵士は部屋を出て行く。

『……異常なほど、大人しいな』

「逆らえる状況かよ」

 イヤホンから聞こえた尋問官の独り言に、ムゥは呟き返す。

 が、尋問官は何処か解せない風で言葉を続けた。

『君とあの少女は親しい。少女も君が攻撃してくるとは夢にも思っていないはずだ。ならば、もう少し抗っても良いんじゃないかな』

 なるほど、それは道理だ。道理だが……と、ムゥは敢えて尋問官の言葉に反論してみる。

「信頼して預けたってのもあるぜ?」

『……君はどうだ? 無条件に彼女を信頼するのかね? 疑念は欠片も無いか?』

 尋問官の声が、ムゥに対する詰問調に変わった。返事によっては、何か拙い事になりそうな予感……これは、ムゥへの疑いが強まってしまったか?

「……いや、それ程の事じゃない。だが、ママに女の子は大事にしろと教わったクチでね」

 ムゥは惚ける様にそう返した。そして、あまり下手な事は言うまいと心の中で決める。

『……そうか、何か気になったら……いや、何も気にする事が出来なくなっても報告しろ』

 尋問官は、ムゥの反応から「まだ大丈夫」と判断した。

 もし、ムゥがラクスに対して完全な信服を示したなら、それはムゥの汚染と、ラクスが暴動の源であるという事の証拠となっただろう。

 同じ連合軍兵士に犠牲が出る事は望まないが、事態がはっきりするのはありがたい。

 だが、まだだ。まだ確信は持てない。

『では、次にあのシルバーウィンドの中で何があったかを聞け』

「わかったよ」

 そこで起こった惨劇の事を考えれば、少女にぶつけるには酷な質問……

 いや、これから先に用意されてる質問のどれもが少女には酷なものに違いない。

 逆らう事は無意味だ。

 それに、先の尋問官の口ぶりからして、ムゥがラクスに感情移入しすぎる事は警戒されているようだ。逆らうべきでもないのだろう。

 ムゥは投げやりに返事を返してから、ラクスへと問いを投げた。

「君が乗っていた船……シルバーウィンドだったか」

「ええ、とても良いお船でしたわ。乗組員の方も親切でしたし……」

 問いの途中で何処か懐かしそうに話し出すラクスをそのままに、ムゥは台詞を続ける。

「最後は覚えていない。そう言ったよな? あれは、本当かい? 何か、覚えている事は無いか? どんな些細な事でも良い」

「……覚えておりませんわ」

 ラクスは僅かに沈黙を見せた後に答えた。そして、不可解な言葉を付け足す。

「私は食べられてしまいましたから」

「あん?」

 “食べられた”その奇妙な言葉の意味が分からなくて、ムゥは変な声を漏らす。

 暴行を受けた事の隠語かとも思ったが、そもそもがここまで厳重に隔離をしている海兵達が、ラクスに手を出すはずがない。

 なら、その言葉の意味は何だ?

 困惑するムゥを前に、ラクスは夢見るように、恋に恋するように、情熱さえ感じさせられる様な口調で言葉を吐いた。

「でも、ちょっとだけなんですよ? 味見なんです、きっと。だから私は、いつか全部食べていただくのですわ。その時までに、より美味しくなっておかないと……」

 気が触れた。そう表現すべきなのかもしれない。

 それほどにラクスの言葉は唐突で、そして常軌を逸していた。

 ラクスの瞳は何処までも澄んでいて……無に通ずるかのように虚ろで、その奥には存在してはならないものが潜んでいる様に思えて――

 ――見るな。

 ムゥの中の何かが囁く。

 ラクスの瞳の奥。ムゥの意識が宇宙に放り出されたかの様に広がっていく。

 しかし、その宇宙に共感も敵意もありはしない。

 なにもない――あってはならない。

 まるで自分に言い聞かせる様に強く思う。

 いや、これは願いか?

 何もない。そうあって欲しいと?

 何がない? 何を恐れている?

 恐れるな。呼ぶぞ。

 しかし。しかし――

 ああ、宇宙が光り輝いて……

「……フラガさん?」

「――っ!?」

 ラクスの声に、ムゥは尋問室に居る自分を再発見した。

 そんなムゥの前、ラクスは何事もなかった様に穏やかな笑顔で言う。

「いきなり黙り込んでしまわれたので、少し心配になってしまいました」

「あ? ああ……いや、君の瞳に見惚れただけだよ」

 努力して、軽口と笑顔をひねり出す。

 普段なら意識もせずにやってのけるそんな事で、ムゥは自分の消耗を感じた。

 背中が水を浴びた様に冷や汗で濡れている。動悸も激しく落ち着かない。

 今のは何だったのか?

 もう一度、ラクスの瞳を見てみるが、そこにはぎこちない奇妙な笑顔を貼り付けた自分の顔が写り込むだけだ。

 今のは……戦場でラウ・ル・クルーゼを察知する時の感覚の様だった。

 だが、クルーゼの存在は不快なだけだ。

 今の様な幻覚を伴ったりはしない。

 ――幻覚?

 そうなのか?

「…………っ!?」

 ムゥは知らず身震いした。

 何故かはわからない。しかしそれは、自分にとって酷く恐ろしく感じた……

 

 その後もラクスへの尋問は続けられたが、現段階ではこれ以上の収穫はなく、終わる。

 結局、シルバーウィンドで起こった暴動について、得られた情報は無かったわけだ。

 尋問は継続的に行う事とされ、ムゥはその役目を降りられぬままとなった。

 しばらくは、アークエンジェルにも帰れない。ひょっとすると、これから先もずっと。

 ――そしてムゥは、ラクスの瞳の奥に見たものを誰かに話す事は決してなかった。

 

 

 

「でも、それは上手くいきましたか?」

 営倉。腕を軽く組んで軽い不機嫌さと小さな反抗心を表現するフレイ・アルスターは、ナタル・バジルールに責める様な口調で話の先を促す。

「いや……しかし、フラガ機、ラミアス機の両機は艦を離れていた。アーガイル機に防衛を任せるより他無い」

 言い訳じみた言葉を並べるナタル。だが、そこにはむしろ自身を責める色が混じる。

 だから、フレイに突かれると簡単にその言葉の防壁は崩れ去る。

「ジン二機相手に、ミストラル一機では無茶でしょう? 出撃させた後、少しでもマシな迎撃のプランは出なかったんですか?」

「……そうだ」

 そう呟く様に答えて苦しげに歪むナタルの表情を、フレイは冷静に観察していた。

 ああ、これは助け船を出さないと。

 他人に責任を投げて自分を守る事は見苦しいが、全部背負い込んで潰れるよりはマシ。

「迎撃にあたって、戦闘指揮を執る人は誰なんですか?」

「え? それはフラガ大尉だ。でも、あの場に居なかった以上、私がやらなければならない」

 フレイは問いを投げて、責任を取るべき人物がナタルの他にもいる事を思い出させる。

 それでも、責任を被ろうとするナタルに、フレイは更に問いを投げる。

「どうしてフラガ大尉は居なかったんです? 居てくれれば、サイは一人で戦わずにすんだし、指揮も専門家が執れたんじゃないですか?」

 まあ、ムゥ・ラ・フラガの指揮なら、ナタルよりも上策だったとは、ムゥの実力を知らないフレイには言えないが。

 そこは伏せて、ムゥの不在にナタルの責任の一部をすりつける。

 が、ナタルはそれを許さない。

「あの時、フラガ大尉は、ブラックビアードの直掩についていた。彼を動かす事は出来なかった」

「人員不足が原因……でも、それじゃ許せませんよ。

 艦長の事もそうですが、フラガ大尉もです。人員不足は全体の問題なんですよ? フラガ大尉も指揮官なら、その責任は負うべきです」

 こんな新兵が上官の非を問うなど通用しないだろうなと、冷めた気持ちで思いながらフレイは言い切った。

「上官の批判は許されないぞ!」

 自分への批判は甘受していたナタルが、叱責の声を上げる。

 そんな反応を読んでいたフレイは素直に頭を下げる。

「すいません。言い過ぎました」

 だが、これで良い。

 自分が悪いと沈み込む一方のナタルに、別の見方がある事を指摘する事が出来た。それは、ナタルの内罰的な思考に多少は影響を及ぼすだろう。

 そもそもの原因は、人員不足なのである。それに気付いてくれればいい。

 人手不足の穴を埋める為には、誰かが過剰に働かなければならない。そしてその役をナタルは自らに任せている。

 しかし、ナタルは経験の無い新米少尉に過ぎない。背負いきれるものではないのだ。

 それでもナタルは成果を出してみせた。多少の危機はあったにせよ。

 だからといって、背負いきれずにサイを危険に晒した事をフレイは許せない。が……過ぎた事でもある。責めるべきは責めつつも、次に繋げなければならない。

 では、どうしたらいいのか?

 開いている穴は埋めればいい。

 連合軍と合流した今、人員の不足は補われるだろう。

 その時、ナタルが艦長を続けるかはわからない。階級からして、その席を別の艦長に譲るだろうと何となく予想はする。

 艦長を続けるにせよ、不足したクルーは補充され、戦力は拡充し、艦を動かし易くなる事は間違いない。

 そうなれば、ナタルの負う部分はずっと軽くなる。

 つまり、現状最大の問題は、時間が経てば解決すると見て良い。

 本来なら、ナタルは放置してもきっと自分で心を回復させただろう。

 フレイがこうして相手をし、苦悩から解き放ってやる意味は、それほど大きくはない。ナタルにとっては。

 フレイにとってこれは大きな意味が有る。

 艦長であるナタルの懐に忍び入る事。

 仮にナタルが艦長の席から外れたとしても、それでも何らかの責任ある地位にはつくだろう。フレイが利用するには十分な筈だ。

 となると、ナタルが放置しても立ち直るという事は、フレイにとっては不利に働く。タイムリミットというものが生まれる故に。

 フレイには足踏みしている時間はない。

「艦長……やはり、お話になりません」

「そうか? いや、理解して貰おうとは思わないが……」

 フレイに言われ、自分を理解する事を諦められたととったナタルが、僅かに落胆を見せながら答えを返そうとする。

 フレイはその答えを遮って続けた。

「私には軍事の知識がありません。ですから、何が正しくて、何が間違っているのか、判断は難しいんです。

 あの時、状況からの判断で、サイに指示を出しました。何度も言いますが、それは間違っているとは思えない。

 でも、艦長の言葉から、私はその立場ではなかったという事はわかります。

 なら、どうすれば良かったのか? そして、もっと良い判断を下す事は出来なかったのか? そんな事もわからないんです」

「新兵だから仕方がない……仕方がないと言う事が、罪を逃れる理由にはならないぞ?」

 ナタルは言いかけて言い淀み、そして言い換える。

 仕方がないからといって許される事ではない。そう自らを罰する故に。

 フレイは答える。

「罰は受けます。でも、納得して受けたい。

 学ぼうと思います。軍の事を。

 教えてください。艦長の事を」

 ナタルの目をまっすぐ見ながら言った台詞に、ナタルは驚いた様子で少し目を見開き、それから僅かに赤面して照れた様に顔を背けた。

「な、何を……」

「何が正しくて、何が間違っているのか。

 何をすべきで、何をしたら良かったのか。

 そして、艦長の事もきっと、学べば理解できると思うんです」

 おや? と、僅かに違和感を感じながらもフレイは続ける。

 ナタルは罰を求めているので、敢えて責めてはいるが、それだけではいずれナタルは諦めてしまう。許される事を。

 だから、学ぶ意欲を持った事を見せる。実際、それは必要だから、学ぶ意欲は本物なのだが、ともかくそれはナタルを受け入れるきっかけともなるように見えるだろう。

 軍事を学んで、正しい知識を身につければ、ナタルの行動の意味を知り……そしていずれは許す事が出来るかもしれない。

 そんな事を匂わせるつもりだったのに、ナタルの何やら別の所に釣り針を引っかけた様な?

 ナタルの急な反応の変化に失敗を疑いつつも、台詞を止めようもなくてフレイは最後まで用意した言葉を言い尽くした。

「だから、教えて頂けませんか? 艦長に。もっと、色々な事を」

「い……いろ、いろ? わた……わた……しの……?」

 顔を真っ赤にしてゴニョゴニョと何やら呟くナタル。その言葉の内容は聞き取れず、またさほど気にする事もなく、フレイは更に次の台詞を言った。

「正しい軍事知識。実践的なものが良いです。艦長の言葉が正しいか、それとも正しい知識ですら認められないものか、判断をする為に」

「え? あ、そうだな……そう言う事だな。うん」

 フレイの言葉に、次にナタルが見せた表情は、納得と安堵と……落胆? 残念?

 いきなり折れて見せた訳ではないから、残念に思うのは当然か。そう判断しながらも、フレイは何か何処かでボタンを掛け違えたみたいな不安感を覚えていた。

 想定していた反応のままに思えるが、ちょっと違う気もする。

 何だろうなぁと。内心で首を傾げながら、フレイは続けた。

「艦長の事も教えてください。知りたいんです、艦長の事」

 利用するにもナタルの事を知っておいて損はないし、相手を知る事は親睦を深める事にも繋がる。

 フレイにとっては打算含みだが、ナタルにとっても悪い事ではないだろう。

 私は悪い子だから、心に反して仲良くするぐらい出来てしまう。自嘲にフレイの胸が僅かに痛んだ。

 が、フレイが胸中の疼痛に呻いている時、ナタルの方は声には出さないが明らかに取り乱した様子を見せていた。

 頬を染めて、あえぐ様に口をパクつかせ、目を泳がし、身を震わせて……

「か、からかうな! 今日の事情聴取は終わりとする!」

 不意に怒声を上げたナタルは、くるりと背を向け、営倉のドアに取り付き開けるとその向こうへと姿を消した。

 反応が遅れ、その後ろ姿を見送ってしまったフレイは、僅かに険しい表情を浮かべる。

「勉強を教えて欲しいなんて、図々しいと思われた……? ちょっと焦っちゃったかも」

 いきなり要求をぶつけるべきではなかったか? もっと、ナタルが自分に依存してからでも……

 色々と反省すべき事を頭の中で並べるフレイは、やがて意を決して表情を引き締めると結論を呟く。

「次からは、もっとしっかり心を捕らえていくべきね」

 ナタルの心を掴もうとしていたが、まだまだ効果が薄いと判断。

 それを挽回する為にも、もっと強く攻め込もうというフレイの結論であった。

 ナタルを籠絡する事は、とても大きな価値がある。

 その地位の事もあるが、話をしっかり聞いていればナタルの正当な評価は下せるのだ。

 「真面目な良い人なのだな」と、フレイは、ナタルの事を内心でそう評価していた。

 ただ、少し頭が固く、柔軟な判断は出来ない。いや、真面目な分、狡知に欠けると言うべきか。

 あの時、フレイが的確な策を下せたのは、たまたまそれが当たっただけという事も自戒としてもたなければならないが、あくまでも自身の内にある狐の様な悪賢さによるものだ。

 言ってしまえば、その場限りのイカサマの様なもの。

 ナタルの様に、敗地からの逃走という極限の状態で艦を切り盛りする事……実力を必要とする行動はフレイにはとても出来ないだろう。

「うん、有能な人。本当なら勝てないなぁ」

 営倉の中、フレイは宙に身を投げ出し、漂って天井と床の間を往復しながら携帯端末をポケットから引っ張り出す。

 そして、携帯端末を通してアークエンジェルと連合宙軍海兵隊秘密基地“アイランドオブスカル”のデータベースにアクセスした。

 自分に無いものを補充する為に。

 機密に属するデータや軍務に関係のないデータはフレイに見る事は出来ないが、そんな物には用はない。

 必要なのは軍の教本。基礎訓練用、そして昇進試験用に、それらの教本はデータ化されていて読む事が出来る。

 フレイにとって、今後の為に必要なのが軍事知識。それはナタルに言った通り。

 となれば、暇な時間を無駄にする事はない。

 自習に励むのも、営倉生活の中では罰の一つ。何ら咎められる事はない。

 そして、学べば学ぶ程、ナタルの指揮が大きく間違ってはいない事にも気付くのだ。

 ナタルの事情聴取という名の懺悔の内容も概ね理解できる。ナタルがフレイにもわかるように噛み砕いて話しているからだろうが……

 ともかくナタルは、教本にある通りに最善を尽くそうとしていた。それがわかる。

 ナタルの様に教本通りに出来る事は大事だ。ただ、それでは勝てない事もある。

 常道と奇策、どっちが優れるかではないだろう。フレイとしては、どちらも出来る様になりたい。

「……お勉強。しかないわね」

 何を出来る様になるにも、まずは基礎がしっかりしていないと。

 幸い、ナタルとの関係は“良好”だ。今はダメだったが、機会を探ればまた教えを請う事が出来るかも知れない。

 しかし猶予もない。まだアークエンジェルが港に居て、ナタルに時間がある内が良いだろう。

 とりあえず、自習で出来る範囲はきっちり詰め込んで、その上で不足分を頼る様に……

「!?」

 そんな事を考えながら、ダウンロード可能なデータリストを携帯端末の画面上に呼び出していたフレイは、新しくアップされたばかりのそのデータに目を止めた。

 新しく配備される予定の大型MAに関するマニュアル類。

「これ、もしかして……」

 アークエンジェルに配備予定。実機よりも先にマニュアルとシミュレーター用ソフトが先に届いている。

 シミュレーターを、今のアークエンジェルのクルーに使わせる必要があると言う事は、補充人員用ではない?

 なら、ムゥ・ラ・フラガの機体か? マリュー・ラミアスの?

 いや、この機体はムゥの搭乗機とは性格を異にするし、マリューにはザクレロがある。

 補充人員やムゥやマリューの機体という可能性は捨てきれない……だが、フレイは期待する。と同時に、その機体に関する全てのマニュアルをダウンロードした。

 そして、貪る様にマニュアルを読みふける。

 読んでいく内に、フレイの顔には笑みが浮かび上がっていった。

 やがて一通りマニュアルに目を通し終え、フレイは呟く。

「決めた。じゃあ、必要な事は……」

 それからフレイは、必要だと思える知識を得る為、休む事無く携帯端末を操っていった……

 

 

 

 アークエンジェルの格納庫には、海兵達の手で一つのコンテナが運び込まれていた。

 コンテナと言っても二階建ての家くらい大きく、人が住めそうな大きさだ。

 その出入り口は装甲宇宙服を着た海兵達が警備しており、アークエンジェルのクルーが近寄る事すら許さない。些か奇妙な事だった。

 しかし、何かの機密があるのだと思えば、不思議だと思う程でもない。

 荷物の中身は“研究試料”とだけアークエンジェルに伝えられている。そして、その中にムゥ・ラ・フラガが常駐すると言う事も伝えられてはいた。

 そんな格納庫の隅、いつものザクレロのシミュレーターに座るマリュー・ラミアス。

 画面上にはザクレロの被撃墜判定が表示されていた。

「……実戦より、シミュレーターの方が難しくないかしら?」

 レベルを結構落としているのだけどなぁと溜息をつきながらシミュレーターを降り、適当に側に浮かせてあったドリンクパックを取り、ぬるくなったスポーツドリンクを喉に流し込む。

 訓練は芳しくない。

 何せ、教官役が出来る男が居ないのだから。

「ああもう、何やらかしたのよ、あいつ」

 視線を向ける先は格納庫に置かれたコンテナ。そこにムゥは居る筈だが、面会も出来ない。

 検疫の為だなんて説明はされているが、これは冗談の類だと考えられている。それくらい、この説明は馬鹿馬鹿しい。

 何かの機密に触れて帰れなくなったのではないか? そんな噂がまことしやかに語られていたが、そんな出所もわからない噂の方がよっぽど信頼性が高い。

 一応、戦闘時にはコンテナから出てきて出撃するという事になってるらしいのだが、それ以外では一切出られない様だ。

 無骨なコンテナは、換気用の開口部と、海兵が守る出入り口以外には隙間一つすらなく、たいがい中は暗くて覗き込む事も出来ない。

 近寄れば海兵に寄らないよう注意されるし、お手上げだ。

 それでも何だか気になるので、マリューは時々、コンテナに目を向けていた。

「あんな奴でも、居ないとつまんないわー。ナタルは、ナタルで……」

 言って、マリューはニヘラと崩れた笑みを浮かべる。

「ナタルがねー。っぽいとは思ってたけどー」

 うぷぷっと笑いを漏らし、最近のナタルの様子を思い返す。

「ま、元気が出たっぽいのは良い傾向だわ」

 一時期の落ち込み様から、ナタルは浮上してきた様に見える。浮きすぎなければ良いのだけれど。

「でもま、今度はこっちが落ち込みそうだわ。コミュニケーションが足りないのよね」

 惜しむべきは、ゴシップを共有する相手が居ない事だ。

 ザクレロが居るから寂しくはないが、彼は鋼鉄の魔獣なので、コミュニケーション向きではない。

「ボイス機能とか付けちゃおうかしらん」

 そんな馬鹿な事もちょっと考える。が、幸いにもそれが実行されるよりも早く。コミュニケーションを取る相手が現れてくれた。

「あ、サイくぅーん!」

 格納庫の中をこっちに来るその姿を見つけてマリューは手を大きく振る。

 それは、病室で寝ていた筈のサイ・アーガイルだった。

「サイ君。体はもう良いの?」

 サイが側まで来るのを待ってからマリューは問う。

 見たところ、サイの服の下にはまだ包帯が巻いてある様だったが、サイ自身の動きには支障を来している様子はない。

「あ、はい。まだ少し痛みますけど、動かないでいるのも体に悪いって」

 サイは、少し軍服の胸をはだけて、その下に巻かれた包帯を見せながら答える。

 傷は完治したとは言えないが、動いても支障の無い程には回復していた。

「よかったー。サイ君が居なくて、寂しかったの」

「えっ? ちょ!? ラミアス大尉!?」

 マリューはサイの回復を素直に喜び、じゃれる様にサイに抱きつく。

 その豊満な胸の中に抱え込まれ、サイはその柔らかさから慌てて脱出した。

「退院祝いだと思って良いのよ?」

「冗談はやめてくださいよ」

 満面の笑みを浮かべるマリューに、サイはまだ朱色にそまった顔で苦情を述べる。

 そして、このままではマリューにからかわれ続けると判断して、急ぎ別の話題を口にした。

「あ、あの、それより新しく配備されるMAのシミュレーターが届いたって聞いたんですが」

「ああー、あれねー。実機のコックピットにあわせた、シミュレーターが用意済みよー」

 マリューは答え、ザクレロのシミュレーターから少し離れた所に置かれた真新しいシミュレーターを指差す。

 それは、少し角張ってはいたが、黒い卵形をしていた。大きさは、ザクレロやミストラルのシミュレーターよりもかなり大きい。無論、ドアは閉ざされ、その中は見えない。

 つい先日、海兵隊の整備員達が部品を運び込み、組み立てていった物だ。

 連合の規格部品の塊とはいえ、レイアウトなどがミストラルやザクレロとは違うのでアークエンジェル内にその設備はなく、わざわざ作る必要があったわけだ。

「触ってみたんですか?」

 サイは興味深げにそのシミュレーターを眺める。同じくマリューもそれを眺めながら、こちらは苦笑を浮かべて答えた。

「ちょっちね。試してみたら、ジン一機にもうボロ負けよ。

 宇宙じゃ機動性が無いって言ってくれないと……それをザクレロと同じ感覚で動かそうとしたから、もうしっちゃかめっちゃかだったわ」

 肩を落として嘆息するマリューに、サイは不安を感じて問う。

「難しい機体なんですか?」

「あ、不安にさせちゃった? いきなり悪い評価聞かせちゃったかしら。ごめんねー?」

 サイの反応に気付き、マリューは慌てて言い繕った。

「でもね。ずいぶん、おっそろしい機体が来るのねーってのが、偽らざる感想よ。

 ま、百聞は一見にしかず。実際に見てみましょうか」

 マリューはサイを誘って新型機のシミュレーターへと向かう。サイは素直にその後に従った。

「でも良いんですか? 僕みたいな新兵が大型MAを。フラガ大尉の方が乗りこなせるんじゃ?」

「フラガ大尉は、どっちかというと戦闘機乗り。これは戦車に近いから、彼向きじゃ無いわねー。

 それに、なーに遠慮なんてしちゃってるの? 艦を守りきった功績があるんだから、新型をもらってもバチなんて当たらないわよ?」

 少し不安げなサイにマリューは言い切り、そしてシミュレーターにつくと、そのドアを開いてみせる。

「さあ、これが貴方のモビルアーマー。のコックピットよ!」

 サイは誘われるままに期待しつつそこを覗き込み……中の様子に面食らって声を漏らす。

「あの、シートが三つありますけど」

 シミュレーターのコックピットには、シートが縦一列で三つ並んでいた。

 なるほど、シミュレーターが大きくなるわけだ。

 マリューはサイより先にコックピット内に入り、一番奥のシートに座る。それから、シミュレーターを起動させつつ説明した。

「パイロットシートの他に、ガンナーシートと、コマンダーシートがあるのよ。

 コマンダーが全体統括。

 パイロットが戦闘機動と近接射撃戦。

 ガンナーが観測と通信と砲操作を行う事で、情報収集と長距離通信、長距離射撃戦が出来るーってコンセプトなのね。

 でも大丈夫。長距離射撃戦は出来ないけど、近接射撃戦なら一人でも動かせるわ」

 つまりこのMAは、単機で戦車と自走砲の役を果たすが、パイロット一人では戦車の役しか果たせないのである。

「パイロットはサイ君一人だから、近接射撃戦用として扱うって事ね。それでも、十分すぎる戦力にはなるみたい。

 見て。この機体の姿を見せてあげるわ」

 言ってマリューがコマンダーシートの端末を操作すると、メインモニターにこの機体の姿とデータが表示される。

「これが……僕のモビルアーマー」

 サイは映し出されたその偉容に唾を飲む。

 全体的には陸戦艇の様に見える。

 しかし、陸戦艇ならその艦橋があるべき場所には、ZAFTのMSを超える巨大な人型の上半身があった。

 その頭部は無く、大型砲一門が設置されている。

 それを挟むように、両肩には多連装ミサイルランチャー。両腕は、前腕部がマシンガンになっている。また上半身の基部の両側面には、機関砲の砲台が設置されていた。

 そして、その前面。胸部とも見える辺りに、機体に埋め込まれたかの様にMSの上半身が配されている。そのMSの姿は、ZAFTのMSの印象を残しながらも、そのどれとも違う。

 大型砲の砲身はそのMSの頭上を越えて前に伸びていた。まるで、一本の角のように。

「連合陸軍砲撃戦用大型陸戦モビルアーマー。RHINOCEROS“ライノサラス”よ」

 マリューの告げるその名は、厳かな響きをもってサイの耳に届いた。

 しばらくあって、サイはやっと感想を絞り出す。

「一部、MSっぽいですね」

「元は、ZAFTのMSをナチュラルでも使える陸戦兵器にしようって計画で、複雑なバランス制御を必要とする脚部を無限軌道やホバーに換装する試みから始まった様ね。

 でも、その頃始まった大型MA開発計画の影響で、機体の大型化と重武装化が要求されて、その完成形がこのライノサラスってわけ。

 その後、月面での運用実験に提供されて、宙陸両用に改造されたのがサイ君の機体よ」

 マニュアルに同梱されていたとはいえ、開発史なんてマニアックな物まで読んだのは、マリューが元々技術者だからだ。

 ちなみにマリューは整備マニュアルまでちゃんと読んでいる。

 さておき、鹵獲MSの上半身を戦車の車体に載せた初期の物から、紆余曲折を経て巨大化した果てに創り出されたのがライノサラスである。

 その存在は既にMSを凌駕している。

 小学生並の感想の後は言葉もなくその姿を見つめるサイ。

 彼をそのままに、マリューは画面上に重ねて次々にデータを表示させる。

「主砲は、対艦用大型ビーム砲“バストライナー”。実体弾系の大口径キャノン砲にも換装できるわ。直接照準で撃つ場合、これもパイロットの担当。

 宇宙なら両方……地上なら大口径キャノン砲で長距離射撃が可能よ。だけど、ガンナーが居ないとダメだから、ちょっち持ち腐れかな?

 他に、ミサイルポッド、アームマシンガン、機関砲、それぞれ二基ずつ装備。

 ミサイルポッドは主砲と同じくガンナーと共用ね。直接照準の時はパイロットが、長距離射撃の時はガンナーが担当。

 アームマシンガンと機関砲はパイロットの担当。

 コマンダーシートからは、必要な時には他のシートの機能を全て使えるわ。ただ、やらなきゃならない事が多くなりすぎるから、パイロットとガンナーの兼任は無理ね」

「無理なんですか?」

 両方やれればパイロットは一人で良いのにと思うサイにマリューは説明する。

「長距離射撃って面倒なのよ。直接照準出来る近接戦とは違うの。色んな情報収集手段で情報を掻き集めて撃ってるから。まあ、情報管理に手間が取られるって考えて。

 パイロットは戦場の周辺を知っていれば戦えるけど、ガンナーとコマンダーは戦場全体を知らないとダメって話。

 逆に、目の前の戦場に集中しなければならないパイロットが、戦場全体の事まで気に掛けていては満足に戦えないとも言えるわね」

「ああ……確かに、そうですね」

 なるほどと納得するサイに、マリューはとりとめもなく機体の説明を続けた。

「そうそう、注意して欲しいのは……

 一応、宇宙でも使えるとは言っても、月面みたいな陸上と言える様な場所ならともかく、宇宙空間では最低限の機動性しか無いわ。

 ミストラルより、ちょっちマシかなーってくらい? 推力はあるみたいだから最高速度は出るけど、重い分だけ反応はミストラルより鈍いの。

 言ってしまえば、ほとんど姿勢制御のみって感じだから、後方支援以外には使えないと思う」

 とはいえ……

 口に出しては言わなかったが、マリューは思う。

 ミストラルでMSと戦えるなら、ライノサラスでMSと戦う方がずっと楽な筈だと。

 わざわざ不利を承知で戦って欲しくないので、口には出さなかったが。

「パイロットシートは最前列のシートよ。サイ君は、そこが指定席ね」

 促されて、サイはパイロットシートに座る。そして、慎重に操縦桿を握った。

 シートのレイアウトは、ミストラルと大きく違っている。

 と、マリューがシートの背後から、サイの肩越しに……つまり、胸をサイの肩に乗っける様にして、パイロットシートに身を乗り出した。

「んな!?」

「ミストラルは宙軍仕様だったけど、ライノサラスは陸軍仕様。共通規格じゃないから、操縦方法とかが細かい所で違っていて、まずはそれに慣れる必要があるわ。

 大型MA開発計画のついでに操縦法をあるていど規格化するって話も聞いたけど、汎用機より専用機の方が多いMAじゃどうなるかしらねー?

 ま、ともかく、いきなり実機に乗って大活躍って訳にいかないのがドラマ的に辛いところよ」

 マリューは言って、慰めるみたいにサイの頭をクシャクシャと撫でる。

 いきなり乗って出撃というのは近い事をサイが実際にやっているが、あれは搭乗機のミストラルが民間にも用いられている機体で、動かす事が出来たからだ。

 マリューもザクレロでいきなりの出撃を経験してるが、こっちはなお酷い。

 操縦の方はマニュアルを読んでいた事もあって出来たものの、結果は操縦感覚が掴めずにメチャメチャで、何故勝てたのかさっぱりわからない酷い有様だった。

 はいどうぞと渡された機体にいきなり乗って、大活躍など出来る方が異常。

 その点、サイはもちろん、マリューも凡人である。何だかんだで戦果を上げて生き残った分、何かが優秀なのかもしれないが……

 ともかく、操縦できる様になるには、学習と練習あるのみだ。

 マリューは更にサイにのしかかって手を伸ばし、パイロットシートのコンソールを操作して、パイロット用のサブモニタにウィンドウを開く。

「マニュアル呼び出しはこう。携帯端末にも落とせる様にしてあるから、ダウンロードして繰り返し読んでねん。

 ヘルプはこっちで呼び出し。シミュレーターが想定してない反応をしたら、こまめに確認を取る事。

 とりあえず、各種データをしっかり読み込んで、理解する所から。操縦桿を握るのはその後でも良い……と、思うのよねぇ。

 ま、フラガ大尉みたいにパイロットの目からの意見は言えないから、技術者としてのお願い。マニュアル読んで、隅から隅まで理解して、それから文句は言いなさい。いいこと?

 返事がないわねー。どうしたの?」

「あの……あ、あの……」

 どうしたもこうしたもない。サイは今、顔の横からマリューの胸に圧迫され、座席から押しのけられそうにさえなっているのだから。

 悪戯が過ぎた……?

 マリューは、あたふたするサイの反応を面白がりながらも、やり過ぎを悟って、何事もなかったかの様に身を退いた。

 ここで「エッチな事考えてたでしょ?」みたいになじりを入れて追撃するのも良いが、調子には乗らず、思春期の少年にエロスな思い出を刻みつけるだけにしておこうと。

 安堵と落胆と自省と表情をくるくる変えつつも、どうにか平静を保ったふりをしようとするサイ。

 その若さをスイーツ気分で味わい、まあこれでコミュニケーションに飢えていた分は取り返したかなとマリューは考える。

「ま、後は一人でシコシコとお勉強ね。シミュレーターのドアは閉めといてあげる」

 とりあえず説明すべき事はもう無いしと、親切心から余計な事を言ってマリューはシミュレーターから出て行こうとした。

 しかし、マリューが外に出てシミュレーターのドアを閉めようとしたその時、混乱状態から再起動を果たしたサイが彼女を呼び止める。

「あ、あああ、あの、待ってください!」

「何? 個人授業して欲しいの? それは、ちょっち早いんじゃなーい?」

 にんまり笑って冗談で返すマリューを無視して、サイは真剣な表情で聞いた。

「あの、最後の戦いの時のオペレーター。彼女がその後どうなったのか、知りませんか?」

「え? えー……っと、戦闘の途中で命令違反したって言う娘?」

 突然の問いだったので、思い出すのに少しの間があったが、マリューでも流石にその事は知っていた。

 が……もし、フレイが起こした一件についてマリューが後少しでも深く探りを入れていれば、また違った答を返せたかもしれない。

 ナタルとコミュニケーションが取れていなかった事が災いしたとも言えよう。

 マリューは、サイに婚約者が居る事を知っていた。最初の戦い以降、その関係がギクシャクしていたのも知っている。

 しかし、避難民の中から志願してオペレーターになり命令違反を犯した娘が、その婚約者であった事は知らなかった。

 だから、マリューの答えはサイに何の遠慮もなく叩きつけられる。

「命令違反で営倉入り。でも、ナタルの……艦長と仲良くしてるから大丈夫よ。

 それがさー、聞いてよー。ナタルってば、私にはツンツンして仕事以外には話もしてくれないのに、あのオペレーターの娘の所に行く時は、すっごい楽しそうなのよ?

 しかも、艦長自ら取り調べなんて普通しないってのに、何かと時間を作っては足繁く通っちゃってさー

 うぷぷ、取り調べとか言っちゃって、二人で何してるのかしらねー」

「え?」

 何か聞いた話の内容を理解できないといった感のサイに、マリューはちょっと勘違いして話を続けた。

「あ、女同士でーとか、思っちゃってる? まあねぇ~、わかるわよ。うんうん、健全健全。

 でもナタルはねぇ。私、もてそうだなって思ってたのよ。綺麗で、凛々しくて、あれはもう学校で後輩をムシャムシャしちゃってた感じね。わかるもの。

 きっと、営倉の中で、愛が育まれたに違いないわー。爛れた日々を送ってるに違いないわー。うん、オカズに一品足せちゃう?

 あ、私はナタルと友達だけど、そういう趣味はないから。私には愛しのザクレロが居るしー。うふふ。あー、ザクレロの赤ちゃん産みたいわー。なんちゃって、冗談よ?」

「あ、あの……冗談? 何処まで冗談ですか?」

 何か一縷の望みに縋る様なサイに、マリューはキッパリと答える。

「ザクレロの赤ちゃん産みたいって所だけよん」

「……わかりました。ありがとうございます。もういいです」

「え? ちょ……」

 魂まで吐く様な深い溜息をつきながら、サイはマリューの体をシミュレーターの外へと押し出す。そして、中からドアを閉めた。

 それから、力尽きた様にそこで体から力を抜く。

「……きついなぁ」

 フレイの事が心配だった。ただそれだけだった。それなのに、何やらおかしな方向に状況は流れている……

 勝手に軍に志願した事で、フレイを怒らせたままだった。嫌われても仕方ない。

 自分へのアドバイスが命令違反となってフレイが処罰された事も負い目だ。

 艦長のナタルは有能で魅力的な人で、同性って事はさておき好感を持つのもわかる。

 わかっている。自分は嫌われても仕方のない男だと。

「わかっているんだけどなぁ」

 それでも、信じられないし、諦められない。

 あの時、フレイは言っていた。「サイは私が守るから。絶対に地球まで……いえ、ずっとその先もよ」と、確かに。

 その言葉を信じたい。それでいて、確認するのは怖い。

 マリューの話が信用できるとは思わない……どう考えても、ゴシップの類であるし。

 しかし、それが事実だったら? そう考えてしまうと、身動きが出来なくなってしまう。

 結果がどうあろうと受け入れられる程に潔くはなく、信じ続けられる程に心が強くはない。まったくもって度し難い。

 何をする事も出来ない自分に、サイは頭を抱え込んだ。

 そして、シミュレーターの真新しい操縦桿を見つめる。

 訓練しなければ。生きる為にもそうしなければならない。

 しかし、今はとてもそんな気にはなれなかった。

 

 

 

「励めよー、少年!」

 マリューは何だか良い事をしたみたいに満足そうにシミュレーターに向けて声を掛け、そしてザクレロのシミュレーターへと帰っていく。

 格納庫に置かれたコンテナの中、換気の為に僅かに開いた開口部の隙間から外を見ていたムゥ・ラ・フラガは、そんなマリューの姿に嫌な予感を覚えていた。

「何か余計な事をしていないだろうなぁ?」

 その予感は概ね当たりではあるが、それを知る術はムゥには無いし、知った所でフォローを入れる手立てもない。

 ムゥはこのコンテナの中に軟禁されていた。

 コンテナ内は自由に動けるが、外に出る許可は出されていない。

 現在の所、ムゥの仕事は、コンテナ内に収監されているコーディネーター達の管理である。アークエンジェル所属のパイロットとしては動ける状況にはなかった。

 それでも、緊急事態には出撃もあると説明は受けているが……

 今は、コンテナの中から外を窺う他に、アークエンジェルとの接点はない。

 代わりに接触が取れるのは、装甲宇宙服を脱ぐ事のない海兵達と、囚われのお姫様よろしく孤独に監禁されているラクス・クライン。

 そして、ラクスと同じく客船シルバーウィンドで虜囚に落ちたコーディネーター達。

 シルバーウィンドの中で暴動が発生したが、それに参加しなかった者が少数居た。それが、ここに収容されている者達だ。

 ラクスが何らかの汚染源だと仮定した上で、「彼等は何故、暴動に参加しなかったのか?」に興味が向けられている。

 それを探る為にも、極力、健康や精神面への悪影響は除こうと考えられたのだろう。

 彼等には過酷な扱いはされず、自由がないのと男女別とはいえまとめて大部屋住みだという以外については、それなりに優遇と言っていい扱いを受けていた。

 まあ、基地内での捕虜の扱いに比べればという一言は外せないが。

 ムゥは彼等への応対も何度かしたが、コーディネーター特有の高慢は垣間見えたが、かなり大人しくしていた。装甲宇宙服に小銃装備の海兵に睨まれながらでは普通そうもなるだろう。

 ともかく、とても暴動を起こす様には見えない。

 しかし、海兵達は警戒を続けている。確信するものがあるのかもしれない。

 やはり、ラクスに何かあるのだろうか? 例えば、あの時、彼女の中に見た……

「……っ」

 思い出しかけて、何故かとっさにそれを止める。

 忘れろ……忘れろ。意味もわからないままに自身に言い聞かせる。

 しかし……あれは…………

「おはよう」

 不意に声がかかる。

 その声に深淵に沈み込んでいこうとする思考を止められ、ムゥが顔を上げると、そこには顔を包帯でくるまれた男が立っていた。

 その男の服装は入院患者用の薄青い色のパジャマで、海兵でも、囚われたコーディネーターでも無い事を示している。

「ああ、君か。おはよう。傷は痛くないかい?」

 ムゥは、その男が来た事に何故か安堵しつつ、挨拶を交わす。

「大丈夫だよ。母さんが迎えに来てくれたんだ」

 その男は、まるで子供の様にはしゃぎ笑った。

 その男が語るのは、ただ母に迎えに来て貰った思い出だけ。酸素欠乏症で全てを失ったその男は、暖かな母の思い出の中で生きている。

 酸素欠乏症は、宇宙で戦う兵士にとっては他人事ではない。誰だって、真空中に投げ出され、空気を失って苦しむ悪夢を一度は想像する。

 その為か、海兵達ですらその男には優しかった。ただし、遺伝子検査の結果、その男がナチュラルだと判明したのも海兵達の態度の理由の一つではあろう。

 何にせよ、シルバーウィンドに乗っていたという事で、その男も調査対象として地上に送られる事が決まっている。

 その男は、基本は医務室住まいで、コンテナ内に限り外出も許されていた。

 その為、ムゥはその男の担当ではないものの、こうして顔をあわす機会がある。

 色々と鬱屈した状態にあるムゥにとって、この男と話すのは、それなりに気が休まる事であった。

 また、何故かは知らないが、ムゥにとって、この男には妙な既視感がつきまとう。何処かで会っていた様な感覚。何かで知っていた様な感覚。それが興味を掻き立てる。

「そうかい。良いお母さんだな。羨ましいよ」

 ムゥは半ば本気で男に言う。正直、ムゥは家庭に良い思い出など無い。父親と呼ぶべきクソ野郎のせいだ。

「うん、僕の母さんだからね。僕を迎えに来てくれたんだ」

「……うん、そうだったな」

 はしゃぐ男の声に、ムゥは少し悲しみを覚える。

 この男はコンテナ内を彷徨い歩き、そして眠くなれば何処であろうと眠ってしまう。無論、迎えに来る者など誰も居はしない。

 ……ずっと母を待っているのだ。迎えに来ない母を。

 それでも、男は毎日、母が迎えに来てくれる話をする。まるでつい昨日の事の様に。

 幻想の中にいるその男は、幸福そうに見える。しかし、それは本当に幸福なのだろうか?

 男は確かに幸福を感じてはいるのだろうが……

 そこまで考えて、ムゥは答えの出ない自問自答を止める。よしんば答えが出ても、それで何かがしてやれるわけでもないのだから。

「んー……まあ、じゃあ、一緒に飯でも食おうか。お母さんが迎えに来る前にちゃんと、御飯は食べておかないとな」

 放っておけば飯も食わずに彷徨っているが、それで飢えないのは、海兵達が彼に何かしら飯を与えているからである。

 今日はその役をムゥが担う事にしよう。

「そうだね。母さんが迎えに来てくれるしね」

 ムゥの誘いに男は素直に従う。この男は従順だ。

 ムゥは飯を食いに休憩所へ行く事にして、最後に開口部の隙間からアークエンジェル内を窺った。

 ザクレロのシミュレーターの横。マリューがこちらを見ている。

 視線が合った様に感じてドキリとしたが、偶然だと解釈してムゥは開口部に背を向けた。

 そして男は、ムゥが動いたその後に、開口部を覗く。

 一瞬の時間で良い。それで、男は満足した。

 男は無邪気に、ただ母を慕って呟く。

「うん、母さんは迎えに来てくれたからね。御飯を食べよう」

 

 

 

 先のフレイへの取調の翌日。

 アークエンジェルの通路を飛び抜けて、ナタルはフレイの居る営倉へと向かう。

 その表情は僅かに明るい。何日か前までの沈鬱な表情に比べれば、大きな変化だ。

 フレイがナタルを強い言葉でなじったのは最初だけで、それから後はナタルの言葉に少しずつ理解を示す様になっていた。

 自分を批判する所はし、認める所は認めてくれる。それがナタルには嬉しい。

 自分の誠意ある説得が通じたと。自分の判断の正しさと誤りを、説得の為の思考の中で自ら再発見できたと。

 そういった事がナタルの自信へと繋がり、鬱状態だった心を軽くしている。

 つまり、フレイによるナタルの“餌付け”は着実に実を結んでいた。

 ナタルは責められる事を望んでいたが、それだけでは人の心は挫けてしまう。

 フレイは段階を踏んで少しずつナタルに理解を示し、ナタルに達成感を与えた。

 また、フレイは論を操ってナタルに反論させ、その反論を考えさせる事によってナタルの行動の正しさを再確認させていった。

 フレイの掌で転がされて、ナタルは自信を取り戻したのだ。無論、ナタルはそれに気付いてはいないが。

 だが、理屈では気付いていなくとも、心ではフレイに合う事でストレスが解消されていく事を察している。

 知らぬ内にナタルの心には、フレイと会う事が楽しいという認識が生じていた。

 そして、そんな相手にナタル自身の事を知りたいと言われた……

 今のナタルを見れば、穿った見方をする少々お節介焼きな者ならば、“恋人に会いに行くのか?”くらいには思ったかもしれない。実際、思い込んで暴走した者も既に居る。

 営倉の前、ナタルはそこで止まり、まずは持ってきた本の束を確認した。

 昔、軍学校の学生だった頃に使っていた擦り切れかけた教本。

 ヘリオポリス襲撃以前には、暇な時間を探しては読み返し、全てを余す所無く修めて立派な軍人になろうと誓いを捧げていた。

 今は、すっかりそんな事はしなくなってしまった。

 ……この中に書かれている事だけでは、成せない事が多いと知ってしまった今では。

 ナタル自身には不要となってしまったが、それでもフレイに教える役には立つ。

 なお、わざわざ教本を持ってきたのはフレイに頼まれたからではない。“知識が足りない新兵を矯正する為に必要だから”持ってきたのだ。と、ナタルは内心で再確認する。

 うん、フレイの為などでは決してない。

 そんな風に自分に言い聞かせる様にしながら、ナタルは緩みかけていた表情を引き締めた。

 それから、営倉のドアを開く。

「フレイ・アルスター。今日の事情聴取を始め……」

 言いかけて、言葉に詰まった。

 フレイは起きている。時間が時間だけに当然と言えば当然だ。

 彼女は携帯端末を握りしめ、一心にその画面を覗いていた。

 だが、その姿は昨日に比べるとくたびれて見える。

 幸い……でも何でもないが、そういった状態の人間には思い当たる事があった。

「フレイ・アルスター? まさか、寝ていないのか?」

 試験前後、あるいはサバイバル訓練の中で見たものと重なる。今のフレイの姿は、徹夜した人間の姿であった。

「……艦長?」

 ナタルの声に、フレイが鈍い動作で顔を上げる。それから、どんな反応をしたものかと迷った様子を見せ、それからゆっくりと敬礼の動作をとった。

「し、失礼しました」

「いや、それはいい……楽にしろ。楽にしつつ、シャンとしろ。で、何をしていた?」

 これが軍学校教官なら、弛んだ態度を物理的に叩き直す所だが、さすがにそこを真似する気にはなれなかったナタルは、とりあえずフレイを許して事情を問う。

「あっ、はい。勉強をしていました」

「勉強?」

 フレイの答えに、ナタルは彼女の側へと寄って、その手の中の携帯端末を奪う様に取った。

 画面には、戦術の教本が映し出されている。

「士官用だぞ? いずれ、昇格試験を受けるにしても、まだ早すぎる」

「必要なんです! それに、兵用の教本なら全部読みました!」

 声を上げ、訝しげなナタルの手から携帯端末を奪い返し、そしてフレイは画面上で幾つかの操作をしてから、突きつける様にして改めてナタルに画面を見せた。

「あの、このモビルアーマー!」

 そこには、昨日見つけたMA“ライノサラス”のマニュアルが映し出されている。

「アーガイル准尉の搭乗機だな」

「私を乗せてください!」

「え? あ、いや……確かに席はある。ガンナーかコマンダーを目指すのか? しかし、どちらも相当に難しいぞ?」

 猛烈な勢いで押し込んでくるフレイにナタルは戸惑いつつも聞き返した。

 答えてフレイは言い切る。

「その両方です! 両方やります!」

「両方!?」

「戦況判断が出来て、戦術指揮が出来て、支援攻撃できる軍人を目指します!」

 これは、徹夜で脳が煮えているなと、ナタルは判断して、フレイの前でゆっくりと溜息をついて見せた。

 それから、宥める様にフレイに言う。

「あー、まず落ち着け。コマンダーはすぐには無理だ」

「そんな! どんな厳しい勉強でも頑張ります!」

 否定された事に条件反射的に反発するフレイ。ナタルはそれを宥める様に説明する。

「いや、勉強も必要だが、何より兵の身分では無理だ。昇格試験を受ける必要がある。士官にならないと話にならない」

 戦時任官で准尉辺りにしてガンナーには出来るが、正規の訓練を受けて居らず、必要な試験を受けていない者に指揮官を任せるわけにはいかない。

 そんな訳で断ったが、そこに注意を向けてしまったが為に、もう一方は疎かになっていた。

「じゃあ、ガンナーにはしてくれるんですか!?」

「あ……そう……だな。志願は受け付ける」

 元々、フレイの配属先は浮いていた。そのままなら再びオペレーターをやらせる事になったかもしれないが、志願されたのならそれは考慮しなければならない。

 あくまで考慮しなければならないという所でしかないのだが、志願の一方のコマンダーをバッサリと切り捨てた後だけに、断る事は何となく気後れしてしまう。

「うん、その為の学習をする事。営倉入りが解かれた後、シミュレーター訓練を受ける事。それで成績が良い様なら……」

「良いんですね!? やったぁ!」

 フレイが喝采を上げる。そして、バンザイをした所でその体を宙に泳がせた。

「フレイ・アルスター!?」

 慌ててナタルがその体を抱き留めると、腕の中でフレイは意識を取り戻す。

「あ、すいません。喜んだら、ちょっと意識が飛びかけて……」

「徹夜などするからだ。軍人は、コンディションの維持もその仕事なのだぞ」

 精神的な意味で自らのコンディション維持が出来ていなかった負い目もあるが、それには目を伏せて、ナタルはフレイに説教する。

「事情聴取は止めだ。フレイ・アルスターに命令する。睡眠を取れ。

 勉強は明日から教えてやる。しっかり睡眠をとったら、この教本を読んで予習しておく様に。

 なお、明日もそんな寝不足の様を晒しているようなら、今の話は全て無しだ」

 そうしてナタルは、持ってきた教本をフレイの胸に押しつけた。

「いいな?」

「はい。了解しました」

 苦笑めいた照れ笑いを浮かべ、フレイは再び敬礼をする。

 そんなフレイに、ナタルは素で微笑みを向けた。

「では、おやすみ。また、明日」

「はい……明日…………」

 ナタルは部屋を出て行く。その背を見送る事もなく、フレイは既に宙に身を任せて寝息を立て始めていた。

 

 

 

 ―― C.E.71年2月13日。

 連合宙軍海兵隊秘密基地“アイランドオブスカル”にて出来る限りの改修と補給を受けたアークエンジェルへ、ついに出撃命令が下された。

 アークエンジェルは、ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”と共に基地より出港。

 地球近傍にて第81独立機動群派遣の艦隊と合流。

 補給物資と補充人員の受領後、命令書を受け取り、新たな任務に就く事になる。

 先行して港を立ったブラックビアードが、黒色の船体を、周囲に無数に浮かぶデブリの影へと紛れさせていった。

 アークエンジェルはそれを追い、秘密基地の港内からゆっくりと動き出し、狭い港口を潜り抜けて外へと進み出る。

 デブリの海を行く事に慣れていないアークエンジェルは、戸惑う様にギクシャクとデブリの中を進んでいく。

 ルートは常にブラックビアードからアークエンジェルへと送られてきている。

 しかし、先行してその情報を送ってきている筈のブラックビアードは、デブリの影に潜んでその姿を見せはしない。

 神経を削る航行が何時間も続いた後、アークエンジェルはついに暗礁地帯を脱した。

 アークエンジェルの周囲を遠く光る星々だけが囲う。

『こっからは、大天使のが強い。先行は任せるぜ。

 俺達はこっそりついていく。まあ尻ぐらいは守ってやるよ』

 アークエンジェルの艦橋に、ブラックビアードからの通信が入る。

 先行していた筈のブラックビアードは、宇宙の何処かに姿を紛れさせていた。

「ブラックビアードを完全にロスト。光学探査しますか?」

 オペレーター席の通信兵に問われ、ナタルは首を横に振った。

「進路はわかっている。指示通り、こちらが先行する」

 迷いのなく言い、そして自ら通信回線を開く。

 行うのはブラックビアードへの返信。そしてナタルは、怖じる事なく堂々と言った。

『了解。ならば、アークエンジェルは貴艦の盾になる』

 その通信を受けたブラックビアードの艦橋。艦長席の黒髭がニヤリと笑う。

「おーおー、可愛い事を言う様になったじゃねぇか。こう……あれだ。いきり立ってくるな」

 何があったか知らないが、ちょっと見ない間に随分と余裕が出てきたらしい。

 アッパー系の薬でもきめてる可能性も考慮に入れて、それでもこっちの方がよほど好ましい。堅いのは、男のナニだけで十分だ。

「付き合いが、後何日も無いってのが残念だ。やっぱり、基地に居る間に、一発お願いしておくべきだったな」

 いやいや残念と、さほど残念でも無さそうに黒髭は豪快に笑う。

 第81独立機動群との合流まで、あと数日。

 そして、戦いは次の局面へと移る――


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