機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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ヘリオポリスに恐怖を撒いて

 時間を少し戻し――

 レイ・ザ・バレルは、ギルバート・デュランダルと別れた後に格納庫へと向かった。そこにMSシグーが一機だけ残されている事を、レイは密かに探り出していたのだ。

 連合MS護送作戦に参加した艦のどれかが置いていったか忘れていったかした、本来ならば存在しない筈の物である。

 守備隊指令がもう少し情報に気を配っていたならば、員数外であるこのMSの事を戦力として扱う事が出来ただろう。しかし、結局は知られる事もないままに放置されてしまっていた。

 床を蹴って格納庫に飛び出したレイは、スカートの裾を翻しながら宙に漂う。

 格納庫にはまばらに人が居たが、オーブ軍および自軍の守備隊の壊滅という状況故か、あるいは大型輸送船との衝突の危機が迫っている為か、誰もが慌ただしくしており、レイを見咎める者はそこに一人とて居はしなかった。

 そしてレイは、格納庫の一角、壁にもたれる様に立つシグーを見て微笑みながら、漂う勢いのままに格納庫の天井に一旦足をついて、さらにそこを蹴りシグーの元へと一直線に飛んだ。

 レイの体はコックピットに辿り着き、すぐさまハッチを開放するとその中へと身を滑り込ませる。そしてシートに腰を下ろすと、浮き上がるように宙に漂おうとするスカートの裾を掴んでお尻と脚の下へと押し込んだ。

 そして、ポケットから口紅を取り出すと通信用カメラのレンズに塗り、それから自分の唇にもそっと紅を引いた。

「ふふっ」

 楽しげに笑い声を漏らし、ハッチを閉じる操作をすると操縦桿を握る。

「レイ・ザ・バレル! お手伝い、いっきまーす!!」

 突然動き出したシグーに、格納庫に居た者達は混乱を来した。

 ほとんどは単に慌ててシグーから離れ、まだ冷静な何人かが緊急事態を報せようと出入り口横の壁に設置された通信端末に飛びつき、勇気があるのか無謀なのか一人がシグーを止めようとコックピットに突進してきて逆にシグーの手で押し止められる。

 シグーは武器は取らず、格納庫の壁に置かれていたMSの作業用ツールボックスだけを無造作に手に取った。

 そして格納庫の搬入口へと向かい、そこの扉に手をかける。

 MSとの力比べになど対応していない扉は、シグーの手に押されて悲鳴のような軋みを上げながらシグーの前に道を開いた。

 外に出るまでに扉はまだ何枚もあるが、シグーを止める事は不可能だ。おそらく、誰かがそう判断して、施設の被害を減らそうと考えたのだろう、シグーが前に進むと残る扉は勝手に開いていく。

 そして、シグーのコックピットには強制割り込みの通信が送られて来た。

『こちら、ZAFヘリオポリス守備隊! シグーのパイロット、応答してください!』

 通信オペレーターの泣き出しそうな声にレイは、人差し指をそっと唇に添えて考え込む仕草を見せ、それから綻ぶように笑んで見せて通信に答える。

「ヘリオポリスの名において」

 これで良い。

 正直に「ギルバート・デュランダルの身内です」と言う訳にもいかないのだから、オーブ市民の抵抗勢力がMSを奪取したとでも思わせておけば──

 

 

 

 守備隊司令室。通信機から返った声にクルー達が騒然となる中、デュランダルはその動揺を押さえ込むのに何とか成功した事を安堵していた。

 オーブ人の少女にMSが奪取されたと騒いでいるクルー達と違い、デュランダルにはわかる。当たり前だ。あんな愛らしいレイの声を聞き間違えるなんて事があろう筈がない。

 あの天上の楽の音もかくやという愛らしく美しい声。

 もうちょっとしたら、声変わりしてしまうのだろうなと思いつつも、老化抑制剤の効果がいつまでも続く事を願わずには居られない。

 いや、刹那の輝きだからこそ美しいのかもしれないな。

 短い時間なのは彼が背負った宿命として受け入れ、それでもなお最後の一瞬まで、レイは美しくあって欲しい。可憐な時期が過ぎても、次にはまた別の美しさをまとう事が出来るはずだ。

 どうしようか、そろそろZAFTに入隊させるためにも普通の少年らしい言動を身につけさせようと思っていたが、計画を路線変更するのもやぶさかでは……

「シグーが宇宙に出ました! 敵MAの方向に向かいます!」

「な、何だと!?」

 オペレーターの声が、デュランダルを現実に引きずり戻す。

 そうだ、レイは何のためにMSに乗ったのか? それはデュランダルの為だろうと予測はつく。ならば何を? まさか、あのミステール1を?

 虚空に浮かぶ間中の姿が脳裏に浮かび、心身を凍えさせる。馬鹿な、アレには勝てない。

 思考が最悪の展開を予想するが、それをオペレーターの報告が覆した。

「敵MA、動きません!」

 

 

 

「凄い。宇宙に敵意が満ちている……」

 宇宙を飛びながら、レイは何かを感じ取っていた。

「これは怒り? 恨み? 絶望?」

 宇宙。星の光満ちる空間。

 だが、そこに佇む一機のMAから放たれるソレが宇宙を染め上げていく。世界全てを焼き払っても拭えそうにないそれは……

「まるで、お兄ちゃんみたい」

 レイは愛おしげにそう言うと、空を抱きしめる様に胸の前で腕を重ねる。

 兄、ラウ・ル・クルーゼもまたこんな感覚をまとった男だった。世界への憎悪に身を染めた男。しかし、その内にあるのが生まれ故に背負った孤独なのだともレイは察していた。

 故に、レイは兄と同じ感覚を放つMAを愛おしく思う。

 モニターの中央に浮かぶMA……ミステール1に腕をさしのべる。

「抱きしめてあげたいなぁ」

 

 

 

 トールは戸惑っていた。

 ヘリオポリスの港口から飛び出したシグー。敵を探していたミステール1は、その存在をとらえた。

 それは敵の形をしている。だが、“これは敵ではない”そう感じてしまう。

 敵意も、恐怖もない。貪るべき物が何もない。これは餌ではない。まして敵であろう筈がない。敵とは……

 おかしな思考が巡る。

 ZAFTのMSは敵じゃないのか? トールの知識はそう訴えるのだが、まるで別の誰かが遠く声を上げているかのようで、思考には影響を及ぼさない。

 思考は、接近してくるシグーを意識の片隅においたまま、再び希薄となってモニターの向こうに広がる宇宙に注意を戻させる。

 敵は何処だろう? 餌は何処だろう? 爪で引き裂きたい。牙で焼き滅ぼしたい。

 そんな思考に沈んでいくトールの目の前、モニターに何かの映像が割り込んできた。

 荒廃したヘリオポリス市街。疾走する一台のエレカと、それを追う三両の装甲車。

 それを見た瞬間、トールの口元に笑みが乗った。

 ──ああ、そこに居たのか。

 認識するが早いか、トールはミステール1を駆って走り出す。敵のいる、ヘリオポリスへと……

 

 

 

 ミステール1は、レイが乗るシグーを完全に無視して、ヘリオポリスの外壁へとまっすぐに突っ込んでいくと、採光部のガラスを体当たりで砕いて中へと飛び込んでいった。

 レイは、ヘリオポリスの側で漂う様に宙に浮かぶシグーの中で、安堵の息をつく。

「味方を助けに行ってくれた?」

 敵と思われないよう武器は持ってこなかったが、当然のように攻撃される事も覚悟の上だった。しかし、攻撃はなかった。その事への安堵である。

 ミステール1に送りつけたヘリオポリス内の追走劇の映像を見て、仲間の危機を優先してくれたのだと、レイは思い込んだ。

「間に合うかな?」

 レイは、ちらりと大型輸送船の方を見る。ミステール1と比較できる程ではないとはいえ、それも着実に接近しつつある。

 しかし、ミステール1が居なくなり、ZAFTがタグボートや作業用MAを派遣できる様になったので、状況は少しはよくなるだろう。実際、港口の方で既にタグボートが動き出している。

 後は……と、レイはシグーを動かして、ミステール1の後を追う。

 ややあって、盛大に空気を吐き出す採光部の真新しい破口に辿り着くと、レイはシグーにそこをくぐらせた。

「邪魔な人たちは何処かな?」

 レイは、ヘリオポリス内で放送されているニュースをモニターの片隅に映し、それを手がかりにヘリオポリスの中を見渡しながら高度を下げていく。

 ヘリオポリス側との協力。それは降伏の後になるのかもしれないが、邪魔となるだろう守備隊司令はその前に排除しなければならない。

 とりあえずミステール1を焚きつけてはいたが、レイ自身が手を下すのが早ければ、それをするのに躊躇はなかった。

「ん……あらら、二輛はあそこね」

 市街で黒煙が上がっている。

 街路に無数の人々が集まり、その中に装甲車が二輛、取り残されているのが見て取れた。装甲車の一輛からは黒煙が噴き出している。戦闘が行われている様子はないが、そこで何が行われているのか詳しくはわからなかった。

 それは重要ではないし知らなくても良い事だと思い直し、レイは再度辺りを見渡す。

 モニターのニュースでは、まだカーチェイスは続いているとの事だった。

 ならば、それは何処で……

 と、その時、モニターの中を巨大な影が掠めた。

 モニターは自動的にその影を追う。大写しになったそれはミステール1。

 ミステール1も、レイと同じく空中から敵を探していたのだろう。その急降下する先には、道を外れて止まるエレカと、それに迫ろうとする装甲車が見えた──

 

 

 

 上空から地上に墜落する様な勢いで振ってきたミステール1は、装甲車とエレカの間の地面にその身を叩きつける様に着陸した。

 エルは、突然現れたミステール1に驚き、その瞬間に過去の恐怖の中から解き放たれる。

 靄が風で払われる様に鮮明になった思考が、今の状況を正確に把握させた。

「あ……トールお兄ちゃん? ユウナさん!?」

 エルは、運転席にいるユウナ・ロマ・セイランに改めて気付き、そのドアに手をかける。ドアはあっさりと開いた。そして、タイミングを合わせたかの様にユウナは目を覚ます。

「つぅ……酷い目にあった」

 言いながらユウナはシートベルトを外し、よろめきながら運転席の外に出て、それからミステール1の姿に気付く。

「……エルちゃんが呼んだのかい?」

「え? そんな事……してない」

 ユウナの問いに、エルは戸惑いながら答えた。もちろん、そんな事がエルに出来る訳がない。通信機も持っていないのだから。

「そりゃあそうだ。ともかく、ここを離れよう」

 エルの手を取り、ユウナはそう言ってミステール1から離れるべく走り出す。

「え? トールお兄ちゃんは……」

「装甲越しに話は出来ないし、何より近寄れば戦いに巻き込まれる。通信機を手に入れるしかないよ」

 ユウナがそう言うのを待っていたかのように、ミステール1はスラスターを一瞬だけ噴かし、装甲車に突っ込む様に躍りかかった。そして、ヒートサイズで装甲車を抱え込むと、空へと再び飛び上がる。

 直後そこに吹き荒れた噴射炎の爆風は、離れたところにいたユウナとエルを吹き飛ばして地面の上を転がさせた。

 ユウナはまだ倒れる程度で済んだが、体の軽いエルは文字通りに転がされて、なすすべもなく二転三転する。

 と、そのすぐ側にMSシグーが静かに降り立った。

 エルはシグーの足に体をぶつけ、転がるのを止められる。

「助けに来ましたー!」

 シグーから振り降りたのは、その威容からは程遠い快活な声だった。

 その声にエルが頭上を仰ぎ見れば、コックピットハッチから身を乗り出して微笑むドレスの少女。

「君はZAFTかい?」

 問いながら、いつの間にか側に歩み寄ってきていたユウナが、腕を引いてエルを立ち上がらせる。

 無貌のマスクで顔を隠しているが、その声はいつも通りに飄々として、値踏みするかのような色すら感じられた。

 ユウナは、目の前のMSとパイロットを敵だと見ていない。少なくとも、今のこの段階では。

 殺すつもりなら、遠慮なく踏みつぶせば良い。そうせずにパイロットが姿すら見せたという事は、こちらに何かを期待しているという事なのだろう。

「違いますよー。私、ヘリオポリスの協力者で、名前はレイです」

 パイロットのレイはそう言うと、一瞬だけ空を見て、それから地上のユウナに話しかけた。

「あの……ZAFTの戦力は、この盗み出したシグーで最後です。抵抗勢力も、あのMAがやっちゃってくれると思います。今はそれよりも、外で起きている……」

「衝突コースにある大型輸送船の話だね。わかってる──手伝ってもらえるって事で良いのかな? ヘリオポリスの協力者君」

 問いを返されてレイは笑顔で頷いた。

「はい、もちろんです」

「よし、じゃあ取りかかろう」

 指をパチリと鳴らし、ユウナは傍らに立たせていたエルを体の前に持ってきてシグーの方へと身を押す。

「まず、僕らを乗せて欲しい」

「はい?」

 思いもしない提案だったのだろう。上擦った声で聞き返すレイに、ユウナは続けた。

「トール君と……ミステール1と通信したい。その為にエレカを走らせていたけど、この有様でね。かといって、通信機のある場所までマラソンしてたんじゃあ、手遅れになるかもしれない」

「あ、そういう事ですか。わかりました。今、リフトを下ろします」

 そう言ってレイがコックピットの中に手を伸ばして操作すると、コックピットの脇から一本のワイヤーが下ろされる。

 これはMS乗降用の簡易リフトで、ワイヤーの先には足場となるフックがついており、そこに足をかけてワイヤーの握り手をつかめば、スイッチ一つでコックピットの位置まで引き上げてもらえるという代物だ。

「失礼、エルちゃん」

「きゃ!?」

 ユウナはワイヤーを片手でつかんで引き寄せると、残る腕にエルの体を抱え上げた。

 そして、フックに足をかけ、握り手についているスイッチを握り込む。ワイヤーはすぐに巻き上げられ、ユウナとエルの体は遙か上にあるコックピットを目指した。

 コックピットまで上がってすぐ、ユウナはエルの体をレイに預ける。

「いらっしゃーい」

 レイはエルを受け取り、膝の上にのせるようにしてパイロットシートに座る。

 ユウナはそれを見守ってから、コックピットの隙間に無理に体をねじ込む様に入った。

 MSのコックピットは一人用の空間であり、三人もが入る事は想定していない。エルはもちろんレイがまだ小柄であったとしても、十分に狭かった。

「おや、君は男か」

 ユウナは、収まりの悪い隙間に体を上手く填め込もうと身を揺すりながら、レイに向かって僅かに驚きを見せて言う。

「すごーい。よくわかるね」

 デュランダルによるレイへの“仕込み”は完璧で、事情を知らない者から見破られた事は今までになかったのだけど……と、レイも少し驚いたように言葉を返した。

「え? 男の人? 女の子みたいなのに……」

 エルが一番大きく素直な驚きを見せる。そんなエルにチラリと視線を向けてから、ユウナは薄く笑ってレイに答えた。

「“中身”には詳しいんでね」

「? あ、もててたんだ」

 レイは、ユウナの答を、“服の中身”つまり女性の体をよく知っているからという意味でとる。それでレイは、ユウナとの雑談を軽く流した。

 それが言葉だけなら正しく、意味には大きな隔たりがある事に気づかないまま。

「通信機はすぐに使えるけど、少し近寄ってからの方が良いかな……って、あ、レンズを口紅で潰しちゃったんだ」

 レイはそう言いながらポケットからハンカチを取り出し、通信用カメラのレンズを擦った。厚く塗られた口紅はハンカチに削り落とされるようにしてレンズから離れるが、残る赤い色を完全に拭い去る事は出来ない。

「ああもう、洗剤とかじゃないとダメ。ねえ、映像は使えないけど良い?」

「……元より、声だけで何とかなると期待してるんだけどねぇ」

 問われて初めて、ユウナは苦々しい笑みをマスクの下に浮かべた。

 エルがトールを呼び起こす時、エルは声かけと接触……手や唇での接触と言っておこう。それを行っている。最初の内は、接触が不可欠だった。

 最近は、声だけでも応じるようになったので、通信でも時間をかければいけると踏んだ。

 しかし、状況は最初の想定よりも悪くなっている。

 最初の想定では、オーブとZAFTが出してくる兵器全てを蹴散らした後には、降伏勧告やその受理などの政治的な時間が訪れ、トールを呼び起こすのにエルが働く時間があると思っていたのだ。

 まさか大型輸送船が突っ込んでくるとは、ユウナですら読んでは居なかった。

 だが、今後のヘリオポリス市民の人心掌握の為にも、何もしなかったという結末は許されない。ミステール1にはもう一働きしてもらう必要があるだろう。

 トールがキレている間は、戦闘以外はままならないので、大型輸送船の対応をさせるには何としても覚醒してもらわなければ困る。

「……そうだ、話は変わるけど。君のMSは、ミステール1と同じ空に居たのに攻撃された様子がないね。隠れるのが得意かい?」

「え? ううん、そんな事はないけど……あれ? どうして攻撃されなかったのかな?」

 レイは、ユウナの突然の問いに困惑しながら首をかしげた。

 宇宙に居た時は距離をとっていたからと判断していたが、ヘリオポリスに入ってからはそうではない。

 空から装甲車を探している間、シグーとミステール1は同じ空域にいた筈なのだ。

「特に何もしていないのに攻撃はされてない……非武装だからかな? 何にしても、それなら一つ、手を打てるかもしれないぞ」

 何故はわからないが、トールがこのシグーを敵と認識してない事は間違いない。そう察したユウナは、まるでそれがトイレの後で手を洗うくらいの簡単な事であるかのように言った。

「ミステール1のコックピット側まで行って張り付き、手動でハッチを開放して、中にエルちゃんを放り込もう。大丈夫、戦闘状態にならないならいけるさ」

 

 

 

「ひっ……あっ……ぅあああああああっ!?」

 激震に揺れる装甲車内。ガンナーシートに座った守備隊司令は、モニターに映し出されるミステール1の単眼センサーを魅入られたかのように見つめ返しながら、裂けんばかりに開かれた口から悲鳴をあふれ出させ、機関砲のトリガーを引き続けていた。

 ガンナー用のサブモニタには既に、弾切れを示す警告が、鳴り響く警告音と共に示されている。それでも、守備隊司令はトリガーにかけた指から手を放す事は出来なかった。

 ──死ね。死ね。どうして死なない?

 凍り付いた頭の中に、そんな言葉だけがぐるぐると回り続ける。

 ほんの少し前まで、彼は狩人だったはずだ。哀れな獲物を追い詰め、銃を構え、引き金に指をかける側だった。

 だが、今は違う。彼はそれを認めまいと、狂気にすがった。

「あー──っ! ぉああああああああああああああああああっ!」

 死ね。死ね──

 指がへし折れるほどに力を込めてトリガーを引く。そうする事で悪夢を殺す事が出来るのだとばかりに。それが全く無意味な事だと気づかぬまま。

 ガンナーシートの背に車内を転がってきた兵士の体がぶつかり、重く鈍い音を立てる。

 それは守備隊司令に席を譲った砲手。車内に立っていた彼は、先ほどからずっと車内を転がっている。その体のあちこちをあり得ない方向に曲げ、戦闘服を点々と赤く濡らした砲手は、恨めしげにガンナーシートの背を抱いた。

 しかしそれも僅かな瞬間の事。止まる事のない振動に砲手の体は引きはがされ、後部の兵員収容スペースに転がり落ちていく。その後に、他も兵士達の悲鳴が僅かに上がった。

 兵員ベンチに体を固定した兵士達に、勢いをつけて転がってくる重たい死体を避ける事など出来ない。肉の塊をたたきつけられ、苦痛に悲鳴を上げる。

 まだ兵士のほとんどが死んではいない。だが、それは幸福ではなかった。先に死んだ砲手こそが、最も幸運だったと言えるのかもしれない。

 モニターに映っていたミステール1が不意に消えた。

「やった! 殺した! 殺したあ!」

 守備隊司令が狂喜の声を上げる。

 彼は気づいていなかった。モニターはゆっくりと、遠い位置にある地面を映し出そうとしている事に……

 

 

 

 ミステール1は、装甲車をヒートサイズで抱え込んだまま一気に空へと上がっていた。

 そこでトールは、地上に何もない事を精査したあとに装甲車を手放す。

 コロニーの特性上、上空は重力が小さい。だがそれでも、装甲車はゆっくりとその前面を地へと向けながら、高度を落とし加速していく。

 ヒートサイズで引き裂く事も、ビームで焼き貫く事も出来た。だが、トールはそれをせずに、装甲車を地面に投げ落とすという選択をする。

「ダメか。戦いが長引けば、君を感じられると思ったのに」

 モニターの中の装甲車はゆっくり落ちていく。それを見守りながら、トールはうつろに呟いた。

 戦いの中で“あの娘”の存在を感じられるなら、少しでも長く戦いを続けたい。そう思って試してみたのだが、どうやらこんなつまらない事をしても無駄らしい。

 装甲車はくるくると錐揉みしながら落ちていく。

 トールは既にそれへの興味を失い、空にミステール1を止めた。

 

 

 

「ころひた……ころしゅた……」

 激しく回転する装甲車の中で吐瀉物をまき散らしながら守備隊司令は呟く。振動で舌を噛み砕かんばかりに何度も噛んでいたが、言葉にならずとも呟きを止めない。

 彼の背後、兵員収容スペースではもう音は聞こえない。

 跳ね回って兵士達を叩き潰した砲手の死体は、最後にパイロットシートの背もたれを運転手の首ごとへし折ってから、メインモニターに突き刺さって燃え燻っていた。

 一人生き残った守備隊司令は呟く。

「私の手柄だ……」

 最後に何を思い浮かべたのか。

 守備隊司令が僅かに笑みを浮かべた瞬間、地面に叩き付けられた装甲車は中に詰まった肉と共に粉々に砕け、自ら発した爆炎の中に消えた──

 

 

 

 シグーが飛び上がった時には既に装甲車は地面で燃え上がり、ミステール1は空で沈黙を保っていた。

「ああっ! やっぱり凄いよ。あのMA!」

 レイが嬌声を上げて身をよじる。

「?」

 エルは、お尻の下で何か堅い物が持ち上がり、座り心地が急激に悪化したのを感じた。

 お尻を動かして持ち上がりつつある突起をどうにか出来ないか試してみるが、堅く大きくなる一方なので、あきらめて押さえ込むようにその上に腰を据える。

 レイはそんなエルを気にする事も出来ない様子で、顔に喜悦をにじみ出させながら言葉を紡ぐ。

「憎悪が……満ちてる」

「……なるほど、これは変わってるな」

 ユウナは興味深げにレイを観察して頷いた。

 “恋愛”は有り得ないにしても、このレイを身内に引っ張り込めば楽しくはなりそうだ。

 そんな事を考えつつも、今はそれにかまっている時間がないと判じて、ユウナはレイの肩を叩いて注意を引きつつ言った。

「背面前方。だいたい頭頂部の辺りにコックピットがハッチがある。まず、取り付けるか試してみてくれ」

「あ、はいっ」

 色々と没頭していたらしいレイは身を跳ねさせるようにしながら返事をし、そして上気した頬を自らの手で軽く叩いた。

「降伏信号を発してるんだから、問答無用とかやめてね」

 言いながらレイは慎重にシグーをミステール1へと向かわせる。何か動きがあれば、すぐに回避運動をとれるように操縦桿を握って。

 だが、空に止まるミステール1は、ゆっくりと向きを変えてシグーを見たもののそれ以上の反応を示す事はなかった。

「受け入れてくれてる?」

 何となく、そんな気がする。レイは嬉しくなってシグーの速度を上げた。

「あぁっ! 大好きになっちゃいそう!」

 シグーはまるで恋人に抱きつく少女のようにミステール1の鼻先に飛びつく。そして直後に、レイはシグーのコックピットハッチを開放し、膝の上のエルをしっかり抱えるとミステール1の装甲の上に飛び移った。

「ひゃっ。ひやあああああああああっ!?」

 エルが悲鳴を上げる。

 ミステール1の背中は広いとはいえ、空中に支えもなく止まっているMAの上である。決して安定しているとは言えず、僅かに揺動してさえいた。

 その上をレイはエルを抱えたまま危なげなく走り、ミステール1のコックピットハッチに駆け寄る。そしてレイは、エルを抱えたままその脇に寝そべると、そこにつけられたパネルを開き、中のコンソールを素早く操作してから解放レバーを引き下ろした。

 その操作でコックピットハッチは強制解放され、幾枚もの装甲板が動いてコックピットへの道……位置的には穴にしか見えないそれを開く。

「がんばってね?」

「え? あ、あの? きゃあああっ」

 そう言ってレイは、エルをその穴の中に滑り込ませた。

 悲鳴を上げてエルが落ちていったが、どうせたいした深さはない。レイは、笑顔でエルを見送ってから、再び立ってシグーへと駆け戻って行った。

 

 

 

 遠く地上に踊る炎。墜ちた装甲車が発する炎。トールは、ただそれだけを見ていた。そこにあの娘が居るような気がして。

 モニターには警告メッセージが踊り、コックピット内には警告音が鳴り響いている。接近してくるMSの事を報せているのだが、何故かまるで気にならない。

 一応、向きを変えて相対してはみたものの、それ以上の事をする必要を感じなかった。

 敵ではない。何故かそう思う。

 敵意も恐怖も感じられないのだから……

 感じられない? そもそも、どうやったら、そんな事を感じられる? そんな疑問をふと抱いたが、その疑問に答えを見いだす事のないままに、疑問を抱いた事さえもが意識の中から消え去っていく。

 感じない。恐怖を感じない。

 餌が居ない。敵が居ない。贄が居ない。

 トールは飢餓感と言っていいほどの現状への物足りなさを感じた。

 探すべきか? どうやって? 巣穴を焼き払えば、土虫だって飛び出して来る。

 あの娘に会えるかな? 破壊し尽くし、焼き尽くし、殺し尽くせばきっと、あの娘はずっとずっと側に居てくれる。そうかな? そうしたら言いたい事が……

「きゃあああっ!?」

 そんな思考を、トールの頭上から落ちてきたものがいきなり中断させた。

「痛ぁ……あ、お兄ちゃん」

 それは、トールの膝の上で身を起こすと、トールの両頬に手を添え、引き寄せるようにして唇を重ねる。

 柔らかな感触。そして……知っているようで知らない少女の姿が脳裏をよぎり、トールの意識を狂気の淵から引き上げた。

 ぼぅっとしていたトールの目に光が戻り、そして目の前に居る者の事を思い出す。

「あれ、ミリィ?」

「お兄ちゃん!」

 エルはトールの体にすがるように抱きつく。その体を抱き返してやりながら、トールは通信が送られてきている事に初めて気づいた。

「うわ、いけない」

 すぐにトールは通信機のスイッチを入れる。通信モニターには赤く滲んだ映像が映り、そしてユウナの声が飛び込んできた。

『上手くいったみたいだね』

「あれ、ユウナさん? どうしてミリィが……そうだ、作戦は終わったんですか?」

 まだ混乱しているトールに、ユウナは静かに話した。

『いや、もう一仕事して欲しいんだ。まずは、コックピットハッチを閉じてから聞いて欲しい。何せ、これからまた宇宙に出てもらわないとならないからね』

「宇宙へ?」

 言われるまま素直にコックピットハッチを閉じ、トールは聞き返す。

「あの……ミリィは? 下ろさないと」

『もう戦闘は無い筈だから、今はそのままで。それにすぐに理解すると思うけど、今はヘリオポリスに残るよりも、君と一緒にミステール1の中にいた方が安全だ。

 この通信が終わり次第、通信チャンネルをヘリオポリスの公共放送に合わせて。事情は、繰り返し放送されてるからそれで察してもらうとして……目の前に居るシグーは敵じゃない。今から先導するから、ついてきて欲しい』

「了解しました」

 トールは、言われたとおりに目の前に居るシグーの後を追う様に操縦を始める。

 降伏信号を出しているとはいえ、敵機にこんな近くまで寄られて気づかないなんてと不思議に思いながら。

 そしてトールは、ユウナに言われた通りに通信のチャンネルをヘリオポリスのテレビ番組に合わせる。するとそこには、宙を進む一隻の大型輸送船が映し出された──

 

 

 

 今は、ZAFTで会計などやっていて、任地を飛び回る日々だが、子供の頃は、工場の側に住んでいた時がある。プラントでは珍しくもない事だけど。

 朝、工場が動き始めると、金属のぶつかり合う音が響いてうるさかった。

 その音が聞こえると、布団の中に頭を突っ込んで騒音に無駄な抵抗をした後、ついには負けてベッドから這い出て、それから食卓のある居間へと向かう。そこに、一足早く出勤した母の用意した朝食があるのだ。

 ああ、音が聞こえる。もう起きないと……起きないと……

 頬に感じた固い感触に彼女は違和感を覚える。ここはベッドではない。でも、工場の音は聞こえる……いや、ここは?

 夢の中から急速に現実へと引き戻された彼女の意識は、すぐに現状を把握した。

 ここは装甲車の中。装甲車は……そうだ、外で凄い音がしたすぐ後に、ガタガタと揺れて……記憶はそこまで。彼女自身は兵員ベンチに座したまま、頭を垂れさせていた。

「う……」

 小さく呻き、頭を上げる。途端に、身体に軋む様な痛みが襲う。シートベルトで締め上げられた所が特に酷い。擦り傷になってないと良いのだけど……と、場違いな事を思いながら装甲車の中を見やった。

 装甲車の中、兵士達の多くは兵員ベンチにシートベルトで固定されたままでいる。身じろぎしたり、呻きをあげている者が多く、動かない者もいたが気絶しているのか……それとも、死んでいるのか? 見ただけでは判別はつかなかった。

 そして、既に何人か動き出している者も居て、彼等は一様に強ばった表情で銃を固く握りしめ、一方を見据えている。操縦席の方を。

「……どうなったんですか?」

「事故を起こしたんだ……見ない方が良い」

 シートベルトを外し、彼女は聞く。聞かれた兵士は苦々しくそう言って立ち上がり、その身で視線を遮って操縦席を隠そうとした。

 それでも彼女は、何も知らない事での不安から、兵士の肩越しに操縦席を覗く。

 操縦席は、ビルに突っ込んだ後にその崩落に巻き込まれ、前後と上下に潰れていた。

 ひしゃげて中の機械類を吐き出した操縦席と、天井を破って落ちたビルの破片と、そこにいた筈のパイロットとガンナーが混じり合い、赤黒い奇妙なオブジェと化して、血混じりのオイルの池を広げている。

「!? ……ぅぐっ」

 その悪夢の様な光景と、血とオイルの混じる匂いに、彼女の胃の中の物が全て喉に迫り上がり、溢れだそうとした。

「大丈夫か!? 見ない方が良いと言っただろう!」

 気付いた時、先程の兵士が彼女の目線に割り込み、車内備え付けのエチケット袋を彼女の口に押し当てていた。

 彼女はその袋を奪う様に受け取り、何も出なくなるまでその中に吐き出す。いや、何もなくなってもなお、吐き気が止む事はなかった。

「座るんだ。今は、救助を待つしかない」

「外は……外はどうなってるんです?」

 彼女は兵士の指示には従わず、銃眼の一つに取り付く。

「よせ! 見るんじゃない!」

 兵士は制止の声を上げる。だが、彼女は外の光景を見てしまった。

 立ち上る黒煙。そして、まるで祭りの日の群衆の様に楽しそうに街路にひしめく人々……いや、暴徒。その暴徒達の中に取り残されたもう一輌の装甲車。

 横腹に大穴を開けられて燻っているその装甲車には暴徒達が取り付き、何やら蠢いていた。何をしているのか……?

 暴徒達は、装甲車の穴から中に入り、何かを運び出している。その度に暴徒達は沸き立ち、歓声や怒声、銃声を響かせた。夢の中で聞いた工場の音は、暴徒達が掻き鳴らすその音か。

 そして装甲車側の街灯。暴徒達はそこに縄をかけた何かを吊り上げていき、先に吊ってあった物の仲間入りをさせる。一端に縄を掛けられた、細長くて途中から四本に枝分かれした形の、赤黒く汚れた……

「っ!?」

 それが、首に縄をかけられたZAFT兵の成れの果てだと気付いた時、彼女は恐怖に銃眼の前から後ずさった。

 吊られたのが誰なのかなどわかりはしない。人の形をしてるから人だとわかるだけで、殴られ、蹴られ、撃たれ、刺され、切られ、焼かれたそれは男女の区別すらつかなかった。

 そして、吊り上げられた後もなお、それは棒で打たれ、銃で撃たれ、石をぶつけられ、力無くゆらゆらと揺れている。

「そ……外のアレ……みんなを……つ、吊るして……」

「わかってる。黙ってくれ。どうする事も出来ないんだ」

 兵士は、彼自身も吐き気をこらえる様な苦痛の表情で言う。

 暴徒を攻撃して止めさせる程の戦力はない。ほとんどの兵士が怪我を負って動けないし、砲塔を動かすガンナーシートは潰れている。

「わ……私達も……あんな……吊ら……吊られて……」

「だ、大丈夫だ! この装甲車はまだ装甲が保たれている! 中なら、外の暴徒の攻撃も効きはしない」

 兵士のその言葉は、自身に言い聞かせている様なものだった。

 確かに、暴徒達がこれ見よがしに持っている銃器による攻撃は効かない。破壊された車輌前部は瓦礫に埋まっていて、そこが弱点となることもないだろう。

 しかし、ロケットランチャーやミサイルの様な対戦車火器が無いという保証はない。現に、一発はあったのだから。

 それに、ハッチは全て外部から開く事が出来る。戦闘時の即応性や、緊急時の脱出などの必要から、ロックなどはされていないのだ。そもそも装甲車には、停車した状態での籠城戦など求められてはいないのだから。

 つまり、相手が小銃しか持っていないとしても、接近されてしまえばそこまでだ。

「奴らが来るぞ!」

 別の銃眼から監視をしていた兵士が叫んだ。

 もう一輌の装甲車の“中身”の処理を終えた暴徒達は、次の仕事に取りかかろうとしていた。

 最初は数人、吊り上げられた死体に集っていた群れの中から外れ、こちらにふらりと足を向ける。それに従う様に更に何人かが動く。その動きがより多くの暴徒を動かし……群れが動き出す。

 一人が走り出せば、後は全員が走り出す。群集心理に突き動かされ、ただ獲物を求めて、暴徒達は走り出す。

「動ける奴は銃眼から撃て! ハッチを開けられたら終わりだぞ!」

 装甲車の中、兵士が叫んで銃眼から銃を撃った。

 迫ってくる暴徒が数人倒れる。暴徒達は攻撃を受けた事で、恐慌を来して逃げ惑う者と、狂気に駆られて応射する者とに別れた。装甲車の表面で幾つもの銃弾が跳ねる。

 装甲車の中、頭を抱えて震えていた会計の彼女は、雨音の如く響く着弾音に大きく身を震わせた。

「応戦しろ! おうせ……がぁっ!?」

 後部ハッチ。運悪く銃眼から飛び込んだ銃弾に貫かれ、兵士が装甲車内に倒れ込み、床を転がった。その兵士は胸の辺りから血を溢れさせながら体を大きく震わせる。その溢れさせた血は、彼女の前へと飛び散り、流れた。

「ひっ……ああ……」

 赤い血。流れる血の赤さだけが彼女の目に残る。

 赤……赤い血。世界から、それ以外の色が失われた様に感じた。

 目線を上げると、灰色の世界。空虚で、現実感の無い……現実。

 ――ああ、ここは私の居る場所じゃ無い。

「帰る……」

 彼女はふらりと立ち上がり、後部ハッチへと歩いた。

「何してるんだ!?」

 別の銃眼で外に応射していた兵士が声を掛けてくる。彼女は、ハッチの開閉バーに手を掛けた。

「帰ります」

「何を言ってる!? ダメだ! 外に出たら殺されるぞ!」

 兵士が制止の声を上げる。だが、それは彼女の耳には届いても、本当の意味では伝わらなかった。

「私、会計ですよ? お仕事が残ってるんです。こんな……こんな所に居たくないの! お仕事をさせて……」

 恐怖に心を乱された彼女は、妄言を吐きながらハッチの開閉バーをひねり、ハッチを押し開ける。

「だってこんなの! こんなの私の仕事じゃない!」

 悲鳴の様に声を上げ、彼女は全てに目も耳も閉ざして走り出した。銃撃を行う暴徒達の前へと。

 が……その時、取り囲んでいた暴徒達が一斉に空を見上げ、彼女への攻撃はなされなかった。

 彼女は仲間が居る装甲車から一人離れ、そして気配を感じて振り返り、空を仰ぎ見る――

 

 空を覆うモノが居た。天空より睥睨する鋼鉄の蜘蛛。その姿を目に留めた一瞬の時が、意識の中で永遠に引き延ばされる。

 逃げる事は出来ない。彼女は察した。

 何処に逃げ場があると思ったのか? 何処に行けると思ったのか? そこにはもう絶望しか無いというのに。

 それを魔獣が教えてくれる。狂気が――喰われる。

 

 直後、魔獣から放たれた閃光が装甲車を貫き、彼女は襲い来た爆風に煽られて意識を失った……

 

 

 

「何故、攻撃を?」

 シグーのコックピットの中、ユウナ・ロマ・セイランは通信機に向けかって聞いた。

 通信機の向こう、ミステール1からはトール・ケーニヒの平坦な声が返る。

『敵ですよ?』

「……敵ねぇ」

 少し、影響が残っているか? シミュレーターでは散々見た異常な戦闘能力を発揮する状態のトールだが、それを実戦に使ったのは初めてだ。エルを使って戻したと思ったが、戻しきれなかったのかもしれない。

 しかし、“敵”とは……

 ユウナは無貌のマスクの下で微かに笑みを浮かべた。

 今の状況を見るに、装甲車は暴徒の襲撃を受けていただけだ。戦闘能力などなかっただろうから、装甲車の中の彼らが素敵なショーに招かれるのは時間の問題だった。

 いささか風情が無くて参加したいとは思わないが、こういう祭りを眺めるのも心が沸き立って楽しいもの……と、思考が脇道にそれた事を悟ってユウナは頭を切り換える。

 さて、その実態を知っても、果たしてトールは彼らを敵と呼べただろうか? それとも、敵と定められたもの全てを無慈悲に敵と呼ぶだろうか? 本来はもっと単純に、戦う必要のある相手のみを敵と定めて欲しい所なのだが……

「感情で敵を定めると苦労するぞ、トール君。それとも、君は“敵として存在する全て”を敵と見るのかな?」

 誰にも届かぬ様に口の中で呟いたその言葉が終わるや、それを待っていたかの様に通信機がコール音を鳴らした。通信を繋げっぱなしにしていたトールのミステール1が相手ではない。

 パイロットのレイ・ザ・バレルがそのコールサインを確認して、ユウナに告げる。

「ZAFTヘリオポリス守備隊指揮所からだね。たぶん、降伏の申し出かな」

「そうか……ま、受けようか。エル様も無駄な戦いは好かない。返信できるかい?」

 ユウナはそう返しつつ、返信をレイに促す。

「通信機はMAに繋いで置いた方が良いんでしょ? じゃ、発光信号が良いかな? モニターしてると思うし」

 レイはユウナの指示に従って、シグーに装備されたライトを点滅させるべく操作する。その動作を見ながらユウナは、思い出した様に皮肉げに呟いた。

「それにしても……通信がもう少し早かったら、あの装甲車の諸君は生き延びたかもしれないのに。惜しいねぇ」

 

 

 

 全身に感じる熱さと痛み。遠ざかっていくざわめきを耳が拾う。

 ZAFTの会計の彼女は、ミステール1のビームの一撃を受けた装甲車が起こした爆発に煽られて倒れ、今は瓦礫と破片の転がる路面に空を見ながら倒れている。怪我はしているが、生きていた。

 これで暴徒達の手にかかれば、彼女の運命は先に死した者達を羨む様な悲惨なものとなっていただろう。だが、ミステール1は、暴徒達にも大きな影響を与えていた。

 ビーム一発とは言え、圧倒的な破壊を至近で見せつけられた暴徒達は、まるで魂を抜かれかのた様に呆然とし、その後は一人二人と櫛の歯が抜ける様に散り散りになっていく。倒れる彼女が動かない事もあってか、注意を向ける者は一人として居なかった。

 しかし彼女は、生き延びたその喜びを感じず、死した仲間達を思って悲しむ事も無い。ただ、彼女は恐怖に震えていた。

 頭上を擦過し、装甲車にビームを打ち込んだほんの一瞬。その一瞬に見たミステール1。その姿に彼女は震える。今の彼女の中には、恐怖しか残ってはいなかった――

 

 

 

「タグボートとMAを全て出動させろ! パイロットが足りないなら、オーブ人に渡してもかまわん!」

 ZAFTヘリオポリス守備隊指揮所。ギルバート・デュランダルは指示を下す。

「しかし、非武装の作業用MAでも戦力になります」

「とっくに負けた戦闘だ! それより手の確保を優先しろ!」

 通信オペレーターが心配そうに声を返すのに、デュランダルは敢えて厳しい言葉を発する。

 オーブ人に渡した物が戦力となって自分達に向けられる事を恐れているのだろうが、そんなものは敗北した今となってはどうでもいい話だ。ザクレロの圧倒的な戦力が背後にある以上、オーブ人が棍棒を振りかざして襲ってきても大した違いは無いのだから。

「降伏の信号は確実に打ったのだろうな!?」

「は、はい! 通信の他に、発光信号でも降伏を申し出ました!」

 デュランダルは守備隊司令戦死の報告の直後に降伏を指示していた。確認しなければ、敗北を認めたくない兵に勝手に握りつぶされかねない……何処まで信用できない軍隊なのだと、デュランダルはZAFTの歪さに苛立つ。

 幸い、この通信オペレーターは仕事をした様だ。

「返答は?」

「まだ……いえ、たった今、鹵獲されたシグーから発光信号を確認しました。『降伏を受諾する』以上です」

「シグーから?」

 あの子……レイ・ザ・バレルはどうやら当たりを引き当てたらしい。抵抗勢力の中枢に接触が出来たか。

 デュランダルは、レイの無事と勝利への安堵と、手塩にかけたスペシャルな子のレイならばそれくらいはして当然と誇る気持ちで頷く。

「いや、状況は把握した。降伏が受諾されたなら問題無い。後は全力で、接近しつつある大型輸送船に対処しよう」

「あの、装甲車で出撃した仲間は……」

 今、このヘリオポリスに突っ込んでくる大型輸送船よりも気になるのか? いや、気になるのだろう。通信オペレーターが不安をはっきりと顕わにしながらデュランダルに聞いた。

「きゅ、救出や支援は……」

「そんな余裕は無いよ。今は無事を祈ろう」

 装甲車三両が全て撃破された事は、港湾ブロックから市街を眺める望遠映像からでも察する事が出来た。ただ、撃破されたそこで何が起こったかはわかっていない。

 デュランダルは、彼らが悲惨な末路を辿っただろうと確信を持って言えたが、それを言えば降伏に反対する人間を増やすだけだと考え、確信があるとは言え予想に過ぎない事を語る事は止めた。

 予想? 予想に過ぎないだと? 先のZAFT襲撃の前後に何が行われたのかを知っていれば……

 いや、今はそれを考えるべき時では無い。デュランダルは、不快な確信を頭の中から追い払う。

 それよりも今は、目の前に迫った現実的な脅威の対策に当たらなければならなかった。

 

 

 

 宇宙。ヘリオポリスへと突き進む大型輸送船。その船内。

 開け放たれた整備ハッチから伸びたケーブルが通路を長々とのたくり、別の整備ハッチへと飛び込む。それが無数になされている光景は、通る者を捕らえんとする地蜘蛛の巣を思わせた。

 仕組まれたバグによりコンピューターでの制御が行えないスラスター。それを強引にでも動かす為に、ケーブルで無理矢理つないでいるのだ。

 ケーブルによって船内の既存の回線は複雑に繋げ合わせられ、その末端にある全スラスターのon/offを、機関室に置かれた、丁字の棒が生えた箱形の押し込みスイッチ一つに集約させていた。

 スイッチとその前に待機した機関員を見ながら、機関長は通信機を使って船橋にいる船長に最終報告を行う。

「船長! 準備完了です。いつでも行けます!」

『……転進開始!』

 返事には僅かに躊躇の間があった。それもそうだろう……これは賭けなのだから。

 失敗しても、座して見送っても死を免れない賭け。成功のみが生へと繋がる賭け。それでも、躊躇しないわけが無い。自分のみならず、全乗組員、そしてヘリオポリスに住まう全ての人々の運命のサイコロを振る事に。

 だが、船長は指示を下した。

「了解、転進開始! コンター――クっ!!」

 機関長は船長の意を汲み、決めておいた声を無心で上げる。船長の意思は、迅速に遂行されなければならない。彼の数瞬の迷いと、それを断って下した決断に応える為にも。

「コンタクっ!」

 機関員が応え、全身の力を込めてスイッチを押し込む。一抱えほどの大きさがあろうと、船全体に比べればあまりにも小さなスイッチを動かすだけ……しかしその直後、大型輸送船左舷前方と右舷後方のスラスターが爆発した様に火を噴いた。

 圧倒的な力が船体を激しく軋ませ、その音は船内に大きく響き渡る。

 船体も激しく振動し、乗員のほとんどが揺れに姿勢を崩して宙に足掻いた

 これで、船体がへし折れれば、船に乗る者達はもちろん、大質量の破片を浴びる事になるだろうヘリオポリスも終わる。

 地震に見舞われたかの様な船内で、船員達は祈っていた。

 ――神がいないこの世界で、何に?

 その答は誰も知らない。

 船内には重苦しい沈黙が満ちる。誰も話す言葉を持たないかの様に。

 いつ船体が崩壊するかわからない。それを免れたとしても、回頭が間に合わずヘリオポリスに衝突する事になるかもしれない。押し潰される様な不安の中、船内に居る者達には無限とも思える時間が流れる。

 実際にも、相当の時間が経った。大質量の大型輸送船が回頭を開始するのには時間を必要としたのだ。

「回頭開始!」

 船橋。激震に揺れる中に響くオペレーターの報告に、船長は僅かに頷いた。

 大型輸送船は前進を続けつつも、その向く先を変えつつある。しかし、慣性は前進を続ける事を強いる為、その進路はなかなか変わらない。まして、大型輸送船の質量ならなおさらだ。

 そう、進路は変わりつつある。だが、それでもなお……

「本船は依然、衝突コースに有り」

 進路をシミュレートしていたオペレーターが、落胆と憔悴の色に染まった報告をあげる。

「機関室! 出力はどうか!?」

『最初から全力だ!』

 即座に船長が送った問いに、機関長が悔しげに答える。もともと機動性など有って無い様な船だ。仕方が無いでは済まされないとはいえ、限界はどうしてもある。

 早くも手が尽きたか……歯噛みする船長の耳に、オペレーターの声が飛び込んだ。

「ヘリオポリスから、タグボートやMAが本船に向けて集結中です!」

「今から押して動かすつもりか!?」

 宇宙を映すモニターに数多の光点が表示されている。その全てが、接近しつつあるタグボートやMAのスラスター光だった。それらは大型輸送船に衝突する様な勢いで突っ込んできて、船体左舷前方を中心に取り付き、その持てる推力の全てを大型輸送船の回頭の為に費やす。

 大型輸送船が持つスラスターに比して極小と言わざるを得ないそれらタグボートや作業用MAのスラスターだが、それでも数がそろえば効果が無いわけではない。

「回頭速度が先程の予想値を上回りました!」

 オペレーターが、手元に表示される数値の変動を報告した。

「再計算中。後続のMAやタグボートが全部手伝ってくれれば、予想が変わって衝突コースから外れるかも……」

 僅かな期待を逃すまいとする様に、オペレーターの手がコンソールの上を素早く動き回る。

 船長、そして全ての船橋要員はオペレーターの再計算を固唾を呑んで見守っていた。

 ――が。

「ダメだ……まだ、足りない」

 手を止めたオペレーターの声が、死刑宣告の様に船橋に冷たく響く。

 船橋が絶望に沈む。そんな船橋の沈鬱な空気を大きな警告音が引き裂いた。

「何だ!?」

「これは……大型MA、高速接近! さっき軍を蹴散らした奴です!」

 そしてオペレーターは、先程から響いている警告音の意味を告げる。

「しょ、衝突します! いえ、今……衝突!」

 オペレーターは報告を上げるが、MAの衝突といえど船橋までは何の影響も及ぼさない。だが、オペレーターの手元のモニターには、船体が受けたダメージについて、ある程度の報告が上げられてくる。

「外壁が歪んで空気の漏出が始まりました! 通路を三カ所で封鎖、気密は守られてます! あ……それと……」

 オペレーターの声に、僅かな期待の色が点る。

「回頭速度が更にアップしました。再計算を開始します」

 

 

 

 ヘリオポリスから、つい先だって自らが採光部のガラスに開けた穴を通過して改めて宇宙に出たミステール1。そして、それに随行するシグーは、そのまま大型輸送船へ直行した。

「大型輸送船がヘリオポリスに突っ込んでくる!? ちょ、大事じゃ無いですか!」

『だから出てきたんだよ。座標データを送るから、対象をモニターで確認してみてくれ』

 ユウナの通信に添付されてきたデータを使って、トールはモニターに大型輸送船の姿を映す。未だ遙か遠くにあれど、宇宙空間では至近距離と言っていい位置にあるその大型輸送船にトールは背筋を寒くした。

「こ……この距離で衝突コース?」

 最初にこの大型輸送船の随伴艦を撃破した時に比べ、大型輸送船はかなりの距離を詰めてきている。まだまだヘリオポリスまでは距離があるとは言え、衝突を回避するというのならもうギリギリの距離の筈だ。

「と……止めないと」

 焦るトール。そんなトールを見て、そしてモニターの中の大型輸送船を見、エルは聞いた。

「後ろで火を噴いてるのは止められないの?」

「メインスラスターを止めても、慣性で直進するんだよ。船の方は回頭しようとしてるみたいだけど、回頭してもメインスラスターが無いと進路は変わらないから、避ける為には止められないんだ。学校で習っただろ?」

 スラスターを止めたら大型輸送船も止まるのではと言う単純なエルの発想にトールは軽く説明して返す。それから、トールはユウナに聞いた。

「それで、どうしたら良いんです? あんな大きい船、壊しても……」

『どうって、押すのさ』

 ユウナは事も無げに返した。

「押すって……あんな大きい船を!?」

 いかにミステール1が強大な推進力を持つ戦闘用大型MAだからといって、大型船を押し退ける事が出来るとは思えない。

『なーに、僕らだけで動かそうってわけじゃ無い。タグボートやらMAやらを総動員して押させてもいるみたいだしね。僕らは更にもう一押ししてやるだけさ』

 通信機の向こう、ユウナは気楽そうに言ってのける。

 これが賭だという事は言わない。成功する方にユウナは賭けるしかなく、エルやトールやこのヘリオポリスにいるほとんど全ての人間にとってもそうであり、賭けをしないという選択は存在しないのだから意味が無い。

 幸い、関わった誰もが事態を何とかしようとしている様で、当の大型輸送船はもちろん、意外な事にZAFTの動きも良い。タグボートやMAを差し向けたのは良い判断だ。無駄に戦いたがる馬鹿ばかりでは無かったらしい。

 後は、ユウナやトールも出来る事をするだけだ。

「わかりました。やってみます」

 ユウナの気楽な様子に釣られた訳では無く、トールは自分の成すべき事を成せば良いと理解した事で肝が据わった。

「ミリィ。ちょっと荒っぽい運転をするから、補助席に移って。足下の床を開けたら、そこに隙間があるから」

「え? う、うん……」

 トールに言われてエルは、トールの体に掴まりながら体の上下を入れ替え、トールの脚の間に上半身を突っ込む様に移動させる。

「うわ、ミリィ! ちょ、前が見えない!」

 エルのスカートがふわりと広がり、トールの視界を遮っていた。

 視界の全てがエルのスカートの中身、健康そうな細い足の間に垣間見える小さな布きれの事で一杯になって、トールは慌ててスカートの布地を押さえて視界を取り戻す。

「ご、ごめんなさい。でも、お兄ちゃん、補助席あったよ」

 エルは、自分が見せていた姿の意味には気付かないまま、純粋にトールの視界を遮った事だけを詫びる。そして、操縦席足下の床板を開けて、そこに開いた穴を覗き込んだ。

 中は非常に狭い空間で、一応はモニターやコンソールがついているものの、操縦桿の様な物はついていない。これは、機体の試験中にエンジニアが機体の状態をチェックをする時などに使われていた名残であり、ミステール1の運用には本来不要な席だった。

 エルはトールの体の上を這う様にして再び体の向きを変え、トールの足下の補助席へとその身を滑り込ませる。下に降りた反動で捲れ上がったスカートを脚の間に挟む様に押さえつけてから、エルは補助席のシートベルトを締めて体を固定した。

「い、いいよ。お兄ちゃん」

「しゃべったり動いたりしないで、じっとしていろよ」

 頭上を見上げると、フットペダルに置かれたトールの脚の間から、エルの方を伺うトールの顔が見える。トールはエルに頷き、それから目線を上げて、操縦桿を握り込む。

 そしてトールは、チラとヘリオポリスに目をやった。

 そうだ……あそこは。

 一瞬、脳裏にヘリオポリスでの思い出がよぎる。子供の頃、家族と――カレッジに進学して友人達と――そして、ミリアリア……

 美しい思い出が、赤黒く爛れた記憶に浸食される。忌まわしい記憶が、美しい思い出を塗り潰していく。

 そうだ……あそこは……あそこは……

 断片的な記憶の中、少女の破片が微笑むのが見えた気がした。

 そうだ、あそこには、きみがいた……

「ミステール1。行きます」

 トールが抑揚の無い声で呟く。そして、フットペダルを強く踏み込んだ――

 

 

 

 ミステール1が行く。大型輸送船へ向かって。そしてそのまま、ほぼ減速もせずに船体へと突っ込んだ。

「僕らが利用するんだから、あまり傷はつけないで欲しかったなぁ」

 ミステール1が突っ込んだ辺りの外殻が大きく歪んだのが、後続のシグーのモニターを見てもわかる。ユウナは苦笑いをしながらそんな事を呟いた。それを聞いて、レイが悪戯っぽく笑いの色を含めて問う。

「私達もやります?」

「やめてくれ。こっちには補助シートなんて無いんだ。僕が血達磨になっちゃうよ」

 軽く返すユウナ……と、その眉間に皺が寄った。

「逃げる?」

 ユウナが見たのは、小魚の群れに大魚が飛び込んだかの様に、ミステール1が突っ込んだ周辺のタグボートやMAが動揺を見せ、その場から逃げようとする様子さえ見せた所だ。

 ミステール1が加わっても、他の連中が抜けたのでは意味が無い。それは誰にだってわかるはず……いささか過激な出現だったのは認めるが、果たして逃げなければならない事なのか?

 ユウナがそんな疑問を抱いたその時、通信機からトールの声が溢れた。

『――逃げるな! 押せ!』

 逃げ出す者が表れたのを見て、共用回線でとっさに叫んだのだろう。とは言え、そんな事で、一度逃げようとした者が戻るはずも……

 そんなユウナの考えは、その予測が外れた事によって中断させられた。逃げようとしていたタグボートやMAの内の何機かが、まるでぶつける様な勢いで再び船体へと取り付き、そのスラスターを今まで以上に噴かし始めたのだ。

 

 

 

 彼はZAFTの港湾要員だった。

 このヘリオポリスの危機にMAでの出動を命じられ、ミストラルを駆って大型輸送船を押しに来ている。

 中途半端な気持ち出来たわけでは無い。ヘリオポリスには、ZAFTの同僚はもちろん、、同胞であるコーディネーターも多数居るのだ。彼らを救おうという気持ちはあった。

 しかし……それが現れた瞬間、そんな気持ちは崩壊する。

 大型輸送船の船体を通して伝わった衝撃、その衝撃を起こした存在を見ようとモニターを切り替え、そして彼はそれを見てしまった――ミステール1の姿を。

「ひっ!?」

 その存在自体に心が締め上げられる。果たさねばならない任務も、守るべき同僚達の事も一切が彼の中から消え去った。

 残ったのは恐怖のみ。彼はとっさにその存在から逃れようと、無意識にMAを操作する。が……それは果たせなかった。

『――逃げるな! 押せ!』

 MAが船体から離れた直後、通信機から声が届く。その声は、恐怖心に縛られた彼の心を捕らえた。

「あ……ああ……」

 脚は踏み抜かんばかりにフットペダルを踏み込む。操縦桿に掛けた手は強ばって動かず、その行く先を大型輸送船へと向け続けていた。

 恐怖で真っ白になった心に、魔獣からの命令だけが響く。

 押さなければ…………押さなければ……押さなければ!

 機体内に警告音が響いている。スラスターのオーバーロードを知らせる音だ。止めなければ大変な事になると心の中の冷静な部分が囁く。

 ああ……でも……押さなければ……………

 彼はフットペダルを更に強く踏み込み――直後に起こった爆発の中で千々に砕かれた。

 

 

 

「何だ? 連中の反応がおかしい?」

 考えられない反応だ。ユウナは思考を巡らせ、モニターの中に映るタグボートやMAを見る。そんなユウナとは違い、レイは喜悦の情を顕わに叫んだ。

「怯えているんだよ! アレは、とても怖いモノだから!」

「怯え?」

 確かに、最初の動揺も、そして今見せている船を押している必死な動きも、恐怖から来るものだと言われれば納得できない事も無い。だが、それほどの恐怖をミステール1から感じるのか?

 ユウナが考え始めたその時、大型輸送船の表面でMAが一機、閃光に変わった。残された機体の残骸と煤が、そのMAが今その瞬間まで押していた船体にべたりと張り付き、そこで何があったのかを教える。

「爆発した……まさか、オーバーロードで自爆したってのかい?」

 スラスターの限界以上に船を押し、オーバーロードを起こして自爆。だが、その理由が、自己犠牲の精神からだとはユウナには思えなかった。何せ、ついさっきは逃げようとした機体なのだ。

 理解が出来なくて困惑するユウナに、レイは艶言めいた口調で声を投げる。

「わからないの? 宇宙に恐怖を撒いているのが!」

 シグーも大型輸送船へと辿り着き、こちらは緩やかな速度で接して船体を押し始める。

「恐怖だって? 君は何を言って……いや、君には何が見えているんだい?」

「宇宙を塗り潰すほどの憎悪と狂気……それが……んっ……」

 レイは操縦桿から片手を放し、その手を自分のスカートの中に入れた。レイの荒いだ息づかいの合間に甘い声が混じる。

「ぁっ……ダメ……凄く感じる……のぉ……」

「……トール君の事か!?」

 ユウナには、レイの言う事は理解できなかったが、何を指しているのかは察する事が出来た。

 この場で狂気を放つものなど、ユウナは彼の他に知らない。

 とは言え、トールの狂気とて、自身や周囲の者を破滅に引きずり込んでいく程の“ありふれた”狂気でしかないと考えていた……実際、戦渦に巻き込まれたヘリオポリスにも同程度の狂人は居るだろう。

 では、彼らとトールは何かが違うのか? それともその程度の狂気でも宇宙は塗り潰されてしまうのか?

 と、ここまで考えた所で、ユウナは思考を改めた。全ては単にレイの妄言であり、タグボートやMAの異常な行動には何か別の妥当な答があるのかもしれない。実際、そう考える方がまともだろう。

 だが……ユウナはそんな“まとも”な考えを一笑に付し、喉の奥で笑う。その押し殺した笑いは、すぐに哄笑となってコックピットの中に響いた。

「いや、何だかわからないけど、そういうのも面白いぞ! 宇宙に恐怖を撒くもの。宇宙を憎悪と狂気で塗り潰すものか! 良いじゃないか! 僕にお似合いのメルヘンだ!」

 トールが宇宙に恐怖を撒くというのなら、自分が導いて恐怖を色濃く撒かせたらどうだろう。

 トールの憎悪と狂気が宇宙を塗り潰すというのなら、自分が手を貸して更にそれを塗り広げてやればどうなるだろう。

 そんな考えでユウナは、モニターに映る星空を見渡す。この全てが恐怖で満ち、憎悪と狂気に彩られるのだ。

 星を眺めて夢を見るなんて、まるで子供じゃないか。ああ、でも、それも悪くない気分だ。

 ユウナは、宇宙の漆黒に見た夢想に心を躍らせながら、大型輸送船を押すミステール1を見遣る。

「これじゃ、もったいなさ過ぎて、なおさらこれで終わらせるわけにはいかないな。頑張ってくれよ、トール君。ヘリオポリスが守られないと、お話は始まらないんだから」

 逆に言えば、全てはここから始まるのだ。

 

 

 

「い……行ける。もう少しだ……良いぞ……あと少し!」

 大型輸送船の船橋。オペレーターが一人、うわごとの様に言葉を紡いでいる。

 他の者は誰一人口を開かない。ただ声なき祈りのみが船内を支配する。

「い……行け! 行け!」

 オペレーターの言葉が興奮の色を帯びていき、そしてそれを最高潮に達させて彼は叫んだ。

「越えたぁ!!」

 ――――っ!!

 船橋に――いや、船内全ての場所で人々が歓声を上げ、それ船体を通じて船を押す者達にも通じるのではと想う程に響く。

 階級も役職も何も無く、ただ人々はその事実に喜び、感謝し、それを言葉にならぬ声で現して叫んだ。

 大型輸送船はついに、ヘリオポリスへの衝突コースから外れた。ヘリオポリス市民と、なによりこの大型輸送船の乗組員達の命は守られたのだ。

「後は停船させるだけだ。それで、全て終わりだ!」

 船長は、喜びの中で叫ぶ。

 何も知らずに。何も理解せずに。

 まだ何も終わってはいない……むしろ、ここから始まるのだという事を。


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