機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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ヘリオポリスに迫る悪意

 ヘリオポリス外壁の一角。

 それに気付いたのは、ミステール1の戦闘を撮影していたテレビクルー達だった。

 オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦とその艦載戦力であるMAメビウス五個小隊。そして、ZAFTのMSジン六機を相手にした戦闘を終え、ミステール1が停止したのを確認し、他にカメラを回す余裕が出来て初めて大型輸送船もカメラに捉えられる。

「……なあ、これ点滅してないか?」

 ディレクターがそう言いながら、手元のモニターに映る接近中の大型輸送船を指差した。

 画面の中の大型輸送船はまだ遠く映像は明瞭ではないが、確かに何かチラチラと明滅してるような感じがする。

 大型輸送船を撮影していたカメラマンがさっそくカメラを超望遠に切り替えた。

 モニターの中の大型輸送船は、どんどんその姿を大きくしていく。すると、船橋の窓の光が明滅している事が、はっきりと確認された。

 間隔を置いて、光り、消え、光り、消え……

「……何かの信号?」

 カメラマンの呟きを受け、ディレクターはモニターを睨む。

 短・短・短・長・長・長・短・短・短

 他の幾つかのパターンに挟まり、一定の間隔で繰り返されるこの信号について、ディレクターは知識があった。

「おい、こいつは救難信号だ!」

 すかさずディレクターは、宇宙服に内蔵された通信機を動かし、有線中継器を介して局に通信を飛ばす。

「戦闘シーンに続いてのスペクタクルだ! 局の中でモールスわかる奴を探してくれ! また大ニュースなのかも知らん。急いでくれよ!?」

 

 

 

 テレビ局。スタジオの中、エルからの市民への呼びかけはまだ続いている。

 それをエルの背後で見守っていたユウナ・ロマ・セイランであったが、不意にフロアの一角が音もなく騒然とし始めたのを見て、静かにエルの背後を離れた。

 カメラマンが、ユウナの動きに反射的に反応するが、今の主役はエルであるため、カメラを動かす事はしない。

 エルは、ユウナが離れた事に気づいた様だが、ユウナが突然に変な行動をする事は当たり前と認識していたので動じる事もなく、与えられた役割を演じ続けていた。

 カメラの前を離れたユウナは、フロアの一角へと進む。

 そこに何人か人が集まって慌ただしくしていたが、撮影中だけあって、誰もが音を殺していた。話し声も小さい。撮影に影響はないだろう。しかし無視出来ないほどに、何かが起きている事を如実に示していた。

「どうしたんです?」

 ユウナは囁く様に問う。聞かれてスタッフの一人が、フロアの天井近くに開いた窓……副調整室のある所を見上げて、小声で答えた。

「……撮影スタッフが何かとんでもない映像を撮ったって話で、モールス信号に詳しい奴が居ないかって。ああ、場合によってはこの放送を中断する事になるかも……」

 緊急事態なら番組の変更の可能性はある。その事を断ろうとしたスタッフを、ユウナは手を挙げて止め、そして答えた。

「モールスならわかるよ。役に立てるはずだ」

 ユウナにとってもかなり大事なこの放送を、本来ならばその終わりまで不測の事態など無き様に見守るべきなのだが、今は好奇心が勝った。なにやら、酷く面白くなりそうな匂いがする。

「案内を頼めないかな?」

 ユウナにそう頼まれ、スタッフは頷くと先に立って歩き出した。

 ユウナはその後について歩きながら、カメラの前にいるエルを見やる。

「アスハが正義を掲げ、私達を誅殺しようとするならば、私達は私達の正義をもって抵抗しなければなりません。

 私達の掲げる正義。それは、本来ならば誰もが持っているもの……生存権です。

 私達は、生きて、未来を掴む権利を持っています。その権利を奪おうとする者に、私達は抵抗します。

 アスハは、理念を正義として、私達の権利を奪おうとしている。ならば私達は奪われようとしている権利を正義として、アスハの理念を打ち砕く。

 その為の力はあります。今、宇宙に在るミステール1に。そして、他でもない皆さんの手に!」

 つたないながらも、懸命さに溢れる演説が続いていた。

 とはいえ、この演説を聴いて、エルにカリスマを感じる者は居ないだろう。そう思わせるにはエルは幼いし、言葉が如何にも借り物に過ぎる。

 しかし、エルの背後に力を感じてくれさえすればいいのだ。エルを動かし、あのミステール1を動かし、そして今、ヘリオポリスの住民を動かそうとしている力在る存在を。そうなれば、住民は間違いなく動く。

 その力在る存在というのがまやかしであり、実際の背後には徒手空拳と言って良いくらいのユウナただ一人が居るだけだとしても。偽りであっても、人が動けばそこに力は生まれるものだ。

 それに、カガリ・ユラ・アスハの扇動に乗って起こった悲劇の記憶は、一人のカリスマに従う事を拒絶するだろう。エルをお飾りとしてトップに置けば、それがユウナとヘリオポリス市民達との間で緩衝材になるとの期待も出来た。

 エルは想像以上に上手くやってくれており、任せても大丈夫。そう考えて、ユウナは無貌のマスクの下で笑った。

 本当にエルは良くやってくれている。ただ一人の……自分を見もしない少年の為に。

 

 

 

 副調整室。無数のモニターと、機械機器とそれを操作するコンソールの集合体。そして、壁一面を占めるがごとき窓からは、撮影中のスタジオを見下ろせる。

 ここは番組制作用機器を操作し、音声、映像等を調整するための部屋。つまりここには、撮られた映像の全てが集まってくる。

 そこのモニターの一つに、ヘリオポリス沖の大型輸送船の映像が映し出されていた。

 その大型輸送船が発する発光信号を見て、ユウナは淡々とその意味を語る。

「SOS信号。そして、大型輸送船が今、通信不能、操縦不能状態でヘリオポリスに向かっている事を伝えてるね。つまり、このままなら衝突するって事を警告している」

 伝えられたニュースに、副調整室に集まっていたスタッフ達がざわついた。

「オーブ軍を退けたのに、こんな事故が起きるなんて……」

 誰かが漏らした言葉に、ユウナはスタッフ達を振り返り見て言う。

「事故じゃない。これは攻撃だよ」

 スタッフ達は、ユウナのいきなりの発言に怪訝な表情を浮かべていた。そんな彼等を前にし、ユウナは芝居の役者の様に大仰に、手を天に向かって差し上げながら肩をすくめる。

「市民移送に大型輸送船が選ばれた。本当に輸送だけが目的なら、通常サイズの輸送船を何隻か使った方が効率が良いにもかかわらず。

 その理由がわからなかったけど、今わかった。大型輸送船の欠点は、効率だけじゃない。例えば……そう、“衝突事故が発生した場合に確実にヘリオポリスを粉砕出来る”。

 いわば大型輸送船を弾頭に見立てたヘリオポリスへの攻撃。攻撃をしたのが誰かは……言うまでも無いだろうね」

 たっぷりと含みを持たせて言い終えたユウナの前、誰もが沈黙していた。彼等は言葉を探して視線を彷徨わせた後、一人がおずおずと口を開く。

「ま、まさかそんな……ヘリオポリスはオーブのコロニーだぞ」

 その台詞を待っていたとばかりにユウナは饒舌だった。

「今、オーブにとってヘリオポリスは存在自体が理念に反する物なんだよ。

 ヘリオポリスは他国に占領されているオーブ領だ。つまり、この占領状態を放置すれば、オーブへの侵略を許さないという理念に反する事になる。かといって、オーブはプラントとの戦争を起こしてヘリオポリスを取り返す事も出来ない。

 どうせ、ここにいるのはZAFTと、オーブの理念に反した罪人のみ。なら、“事故でも起こって、綺麗さっぱり無くなった方が良い”と言うわけさ」

 もし仮に、ZAFT襲撃の後にヘリオポリスが崩壊していれば、オーブはずっと心穏やかでいられただろう。領土の奪回などという難題を抱え込まず、被害者として振る舞う事が出来る。“遺憾の意”でも示しておけばいいのだから簡単なものだ。

 現実にはヘリオポリスは占領されており、オーブの理念に従えば失地回復の為に動く事が必要となる。だが、それは容易ではない。ならば簡単な解決方法は?

 ヘリオポリスを壊せば、領土を取り戻す必要はなくなる。無論、正面から攻撃は出来ないから、事故を装って……

 ユウナはそこまで読みを組み立てた。

「どうやら、宣戦布告は先を越されたようだね」

 なるほど、予想以上だ。そこまではしないと思ったが、見損なっていた。いやはや素晴らしい。オーブという国家に宿る狂気がこれ程とは。

 全く、これ程の狂気に、ユウナ個人の狂気でもって挑むなど、まさに狂気の沙汰だ。

 スケキヨのマスクの下、ユウナの口端がぐっと吊り上がり、凄惨な笑みとなる。そしてユウナは、自らの内奥を睨み付けるかのように胸の辺りに視線を落としたまま言葉を紡ぐ。

「良いだろう。戦争開始だ」

 ゲームを始めるとでも言うかのように軽くそう言うと、ユウナは鋭く“命令”を発した。

「より詳しい情報が知りたい。輸送船と連絡をとろう。ただ、向こうは、通信不能の状態にあるようだから、こちらも発光信号を使う。

 撮影スタッフの内、何人かをコロニー外壁の管理スペースへ。そこからなら外壁の赤色灯をコントロール出来るから、手動で明滅させて発光信号で通信を。モールス信号は、誰か別にわかる者を探して。

 得た情報は全てこの局へ。頼むよ?」

「え……? あ、はいっ!」

 ユウナに指さされたスタッフが、我に返った様に返事をして、通信端末へと駆け寄る。コロニー外壁にいる撮影スタッフに連絡を取るのだ。

 そう動いて当然とばかりに、ユウナは動き出したスタッフに全く興味を示さず、次のスタッフを指差して言葉を続けた。

「ヘリオポリス市庁と警察消防に通報を。

 とはいえ、現在の市庁は人手不足で実行力が無いから、即応は期待出来ない。市民への説明や避難誘導は、このTV局で担うくらいのつもりで居ようか」

 通報を指示した後も、ユウナは自分の考えを続ける。そうする事で、行うべき事をスタッフ達に確認するように。

「そして至急、放送作家を集めてニュース原稿を作って貰おう。基本の筋は、現在入っている情報に忠実に、ただしオーブによる攻撃という事を織り込んで欲しい」

 素早く命令を並べたてながら、ユウナは手元の適当な紙に凄い勢いで文章を書いていく。そして、その紙を放るようにコンソールの上に投げ置いた。

「ざっとまとめるとこんな感じでね」

 紙には、大型輸送船がオーブ軍による攻撃であるという前提に立った上で、ヘリオポリス市民でも知りうる情報からそれが真実であると考える事が出来るように理屈を組み立てた文章が記されている。

 ユウナが書いたのは味も素っ気もない文章だが、放送作家がそれを飾り立ててくれる事だろう。劇的なニュースになるはずだ。

 このニュースが真実であるとする証拠や証明など何もない。だが、それは何の問題にもなるまい。ヘリオポリス市民は、オーブの悪意を知っている。故に、受け入れがたさと戸惑いはあるだろうが、オーブによる攻撃なのだと言われればそれを疑いはしない。

「それから、このニュースを市民に伝える時には、エル様にもお言葉を頂く事。エル様に市民を慰撫してもらう。良いね?」

 既にスタッフ達のほとんどは、ユウナの命令に従って動き出していた。残っているのは、番組制作に重要な役割を果たす者達ばかりだ。彼等はユウナの命令に傾注し、部下に指示を出す者としてその意志を実現しようとしている。

 これは、別にユウナの能力やカリスマに従っているわけではない。

 自信満々に指示するユウナに、現状への対策を持たないスタッフ達が思わず従ってしまったというだけの事に近いのではあるが……加えて、ミステール1という力の存在が大きな影響を及ぼしている。

 ミステール1の圧倒的な力を見たが故に、この危機的状況下で無意識にその力が解決してくれる事を期待してしまい、ミステール1に関わりのあるユウナの声に従っているのだ。

 発言者がユウナではなく、エルであったとしても彼等は従った事だろう。年端もいかない少女に従うという事の異常性に気づきもせずに。

 とはいえ、彼等が従ってしまう状態になるよう用意して演出したのはユウナである為、ユウナの能力が全く無いという訳ではない。

 ここでは、大型輸送船という危機が現れた事で急速に効果を現したが、そう長い時を経ずに全ヘリオポリス市民に同じ様な影響が出たはずだ。

 ユウナはそうなるように仕向け、そして今も行動を続けている。ヘリオポリス市民の心を掌握する為に。それにはここで、もう一度の活躍をしておく必要があった。

 今、ヘリオポリスを砕かれては、全てがお終いになる。

「さて、エル様に関してだけど……」

 衝突を防ぐ為、有効な手段となりうるのはミステール1を動かす事。だが問題はそこにある。

 この危機がなければ、ミステール1は放送終了後にでもゆっくりと呼び戻せば良かった。だが……今はミステール1に、新たな命令を伝えなければならないわけだ。

 先の戦闘での獣じみた動きを見るに、ミステール1パイロットのトール・ケーニヒは、シミュレーションでも見せていた戦闘に没入した状態になっているのは間違いない。

 この状態、肉体の限界がくるまでずっとシミュレーションを繰り返したように、戦闘なら放っておいても続けてくれるので、新たな敵の出現は問題ない。一度出せば、自分が死ぬまで敵を探して殺し続ける、狂戦士か自動殺戮機械といった所だ。

 しかし、戦闘ではない作業的なミッションを与えるなら、トールにはこの状態で居て貰っては困る。命令を理解して貰わなければならないし、戦闘最優先の状態で居られると作業を行わせる事が難しいからだ。トールには覚醒して貰う必要がある。

 そして、この状態のトールを覚醒させられるのは、エルの声だけ。つまり、トールに対してエルから呼びかけをさせなければ命令変更は出来ない。

 だが、ニュートロンジャマーの電波障害を振り切って無理矢理通信を行うような設備は民間にはない。つまり、ミステール1に新たな指示を与えるには、エルをミステール1との通信が行える場所に連れて行かなければならない。つまり隠れ家のシェルターへと。

 いや、テレビ局とシェルターは回線で繋がっているので、エルを残してユウナだけが戻り、テレビ局からシェルターを中継してミステール1へと通信をつなぐ事も出来る。

 出来るが……それでは、ユウナがエルを動かす事が出来ない。まだエルに自ら動く事を期待するのは酷だろう。やはり、エルはユウナの手元に置くしかない。

 今行っているエルの放送は中断してしまう事になるが……どうせ、すぐに緊急速報が始まって、放送は中断せざるを得なくなる。

 問題の解決に際して、迷うような事はなかった。

「エル様は一時本拠にご帰還願う。この未曾有の驚異に、対処して頂く為にね。

 さっき言ったエル様からの慰撫は、本拠から通信で送るよ。今やっている番組は即中断。一刻も惜しいから、僕はエル様とすぐにこの局を出る。その辺りの仕切は任せた。

 さあ、行動を開始しよう」

 そう言いきり、ユウナは自らも動き出す。立ち上がると、副調整室の窓から下のスタジオで語りかけ続けているエルの姿が見えた……

 

 

 

「え?」

 カメラの前、エルが読み上げているプロンプターに映されていたメッセージが急に変わった。

 エルは戸惑いを見せつつ、そのままメッセージを読み上げる。

「……市民の皆さん、新たな脅威が迫りつつあります!」

 戸惑いの表情と声の震えが、意図せずその脅威を一層恐ろしげな物に強調した。エルはその事に気づく事もなく、言葉を並べ続ける。

「その脅威が何かについては、時をおかず皆さんに報される事でしょう。それは数刻を待たずしてやってくる死であり、破滅です。

 ですが、安心してください。あのミステール1が、必ずやその脅威を取り除くでしょう。皆さんに見せたあの力を信じて、心安らかに居られますよう。

 私は行きます。ミステール1と共に有る為に」

 エルはプロンプターの横に立つユウナに気づいた。スケキヨのマスクを被りっぱなしなので表情はわからないが、何やら楽しそうだと感じる。

 そして、そんなユウナの横でプロンプターは最後のメッセージを表示した。

「私は、ヘリオポリス行政官の娘としてお約束します。私とミステール1は、ただ皆さんを守る為に力をふるう事を」

 プロンプターに一礼するよう指示が出ていたので、事前にユウナに指導された通り、昔話の姫君の様にスカートをつまんで優雅に一礼する。

「OK、終了でーす!」

 撮影スタッフ達の中で声が上がり、スタッフ達は一斉に安堵の息を吐いた。そしてそのまま、次の撮影の準備の為、忙しく動き始める。

 そんな中、礼をした顔を上げて取り残されたように立ちつくしていたエルの元へと、ユウナが歩み寄った。

「エルちゃん。今、君が話した通り、このヘリオポリスに脅威が迫っている」

「はい……あの、何が?」

 聞き返すエルを、ユウナはそっと肩を抱くようにして歩かせる。

「詳しい話は移動しながらするよ。今は急がないと」

「急ぐって……何処へ?」

 戸惑いながらも、足を速めていくユウナについて行くエルは、スタジオから外に出るタイミングで聞いた。

「一度、隠れ家に帰るんだ」

 テレビ局の廊下を急ぎ進みながらユウナは答える。詳しい説明はしなかったが、エルはそれ以上を求める事はしなかった。

「あの、着替えとかは」

 エルは、体にまとわりつくドレスや手足で重い音を立てる鎖を不安げに見て聞く。

 テレビ局の衣装なので返さなければと純粋に思ったのが半分、そして急ぐユウナについて行くのに邪魔となるので脱ぎたかったのが半分。

 だが、ユウナは足を止めずに首を横に振る。

「いや、その暇はないよ。僕も衣装を脱げないくらいだからね」

「…………」

 エルは言い返す事はしなかったが、ユウナの衣装というのはマスクだけと言ってしまって良いわけで、そんなのは一分とかからずに脱げるだろうに、それを脱がないのは単に脱ぎたいと思ってないだけじゃないのかと思わないでもなかった。

 ともあれ、ユウナには脱ぐ気も、エルが衣装を脱ぐのを許す気も無いらしい。そう察してエルは、衣装を邪魔に思いながらもユウナの後を必死に走って追いかける。

 二人はテレビ局の廊下や階段を駆け抜け、正面玄関へと向かっていた。

 

 

 

「気付いてくれ……頼む……」

 大型輸送船の船橋の中、船長は手を合わせて遠いヘリオポリスを見つめていた。

 船橋の中は明かりが明滅を繰り返している。無論、故障ではない。

 船橋の片隅。照明の配電盤のケースがこじ開けられ、そこに電気技師が取り付いている。

 また、作業用の投光器から懐中電灯や卓上ライトに到るまで、持ってこられる灯りは全て掻き集められ、各々に人が付いてスイッチに手をやっていた。

「点けて! ……消して!」

 彼らに指示を出すのは通信員の仕事。

 操縦及び通信の復旧が不可能……少なくとも衝突前までにはと察した彼らは、何とかしてヘリオポリスにそれを伝えようとした。

 最終的に衝突するとしても、ヘリオポリス市民が避難するだけの時間……あるいは最後にハウメアへと祈りを捧げる時間位は稼ぎたい。

「いや……ハウメアはオーブの神か」

 船長席で全ての作業を見守っていた船長は、そう呟くと皮肉げに笑みを浮かべた。

「船長、何か?」

 船長席の傍らにしゃがみ込んで、卓上スタンドを五つばかり並べて器用にそのスイッチをオンオフさせていた若いクルーが、船長の独り言に気付いて卓上スタンドから目を離さないままに船長に問う。

 船長は、自分の言葉が漏れていた事に苦笑を深めながら答えた。

「何でもない。ただ……我々は何に祈るべきかと思ってね」

 オーブから捨てられた者は何に祈るべきか? いや……この世界に神は既に居ないのだったか。今、オーブにあるのは、“オーブの理念”という“神”であり、その残酷な神は神罰を下そうとしている。

 意味のない思考だった。答を本当に求めているわけでもない。だが、若いクルーは作業を止めぬままに船長に答えて言った。

「あのMAに祈ったらどうですか? あいつ、凄かったじゃないですか。俺達が逆らえないと思っていた物を全部ぶっ壊しましたよ」

「この困難も打ち砕いてくれるか?」

 そう言って船長は、船橋の窓に目をやる。距離がある為、肉眼で見る事は出来ないが、そこにミステール1が居る筈だ……そう知って見ていると、他と何も変わらぬ筈の宇宙が、そこだけが何やら闇の深淵に繋がっているように感じられた。

 神でなくても良い。救いをもたらしてくれるならば。

 船長は苦笑を浮かべようとしたが、何故か上手く出来なかった。

 漆黒の宇宙。深淵に住まうモノが自分を見ている。不意に、そんな幻視にも似た感覚に襲われ、船長は窓から目をそらす。

 妄想の産物である事は理解しているのだが……

「……へ、返信来た! ヘリオポリスで発光信号!」

 船長の思考は、コンソールのモニターに取り付いていた観測員の上げた声に中断させられた。

 船橋内のスタッフが期待にざわめく。船長自身も、思わず身を乗り出して観測員の手元のモニターを遠くから覗き見る。

 ヘリオポリスの外壁に付けられた赤色灯の内、大型輸送船に最も近い位置の一つ……宇宙船の接触事故を防ぐ為の物で、コロニーの位置を知らせる為にかなり遠距離からでも視認出来るそれが、本来ならば有り得ない定期的な明滅を繰り返していた。

 と、通信員がモニターに取り付き、船長の視界を遮る。

 モニターをじっと見ていた通信員は、ややあってから船橋内に響く声で伝えた。

「ヘリオポリスより、『信号受信。状況を詳しく伝えられたし』です!」

 

 

 

「――ギルぅ!」

 執務室のドアを開けたギルバート・デュランダルを出迎えたのは、甘えと歓喜をたっぷりと含んだ可愛らしい声と、白とピンクで彩られたフリル過剰なドレスをまとった小柄な人影によるタックルであった。

「おっ……おっと、レイ。お転婆さんだね」

 軽い驚きを見せながらも優しく受け止めたデュランダルに、レイは表情を曇らせて言う。

「ご、ごめんなさい……ギルが来てくれて、嬉しくて」

「良いんだよ。私を好きでやったのなら、私にレイを責める理由なんて無いさ」

 デュランダルはそう言って、腕の中のレイを優しく抱きしめた。

「ギル……」

 デュランダルの腕の中で、レイは頬を上気させながら幸せそうに瞳を閉じる。そんなレイを見るデュランダルは、全ての厭い事がかすんでいくような気分になり、その安らぎを一時であっても確かに受け止めようとレイを抱きしめる腕に力を入れる。

「ギル……」

 レイの声に、デュランダルは微かな苦痛の色を聞き取り、力を入れすぎていた事に気づいてその腕の力を抜いた。

「すまない。レイがあまりに可愛すぎるものだから、つい。許してくれるかい?」

「うん……もっと、ぎゅっとして良いよ」

 拘束から解き放たれて微かに息をつくも、今度は力が緩んだ事に不満の色を見せて、レイはデュランダルの胸にぎゅっと体を押しつける。

 その愛らしく愛おしい姿に、デュランダルは己の幸福を感じ取り……同時に、この子の兄とも言える男の事を少しだけ思い出していた。

 このレイは、デュランダルが親友であるラウ・ル・クルーゼから預かった子供であり、色々とその出生に不幸な所がある。

 デュランダルは、その不幸を埋めるに足るだけ幸せを注ぎ込もうと、愛情を注げる限り注ぎ込み、出来る限りの教育を施してレイを育て上げた。今日のレイの姿は全て、デュランダルの努力と愛情の賜物である。

 アカデミーに入れてやりたいので、もう少ししたら人前での立ち居振る舞いを教えなければならないが……いや、このレイを人に見せることなく、完全に自分の前だけのレイに出来ると考えればそれも喜びか。

 ともあれ、デュランダルは心血を注いでレイという原石を磨き上げた。そして今、レイはデュランダルの懐で他の何にも負けぬ輝きを放っている。

 だがそれなのに、レイを預けていってしばらく経ってから再会したクルーゼは、あの男にしては珍しく泣きながらデュランダルを殴りつけた。

 ……いったい、何が理由だったのかは、デュランダルにとっては定かではない。

 「よくもレイをこうも育ててくれた!」とか言っていたが、あれは賞賛の言葉だろう。レイは何処に出しても恥ずかしくないレディとして立派に育てた。だが、人を賞賛しつつ泣くほど怒るというのはどういう事か。

 まあ、彼は変わり者だったし。

 クルーゼとデュランダルとの関係は、その後に何とか修復されたものの、あの事件については二度と触れられる事はなかった。今はクルーゼが世を去り、あの大激怒の真相を知る事は永遠に出来ないと思うと、それも寂しいものだ。

「ギル、どうしたの? 悲しいの?」

 胸の奥に差した陰りを感じ取られたか、デュランダルはレイに問われた。

 クルーゼは、レイが兄と慕った相手。隠すべきでも無いだろうと、デュランダルは素直に心中を語る。

「……ラウの事を思い出してね」

「おにいちゃんの事?」

 レイは少しだけ寂しげに……そしてそれ以上に気遣わしげな表情を見せた。

「ギル……慰めてあげる」

 レイはギルの腕の中で身をよじり、少しだけ身を離すと、デュランダルの首を掻き抱くようにして抱き寄せる。

 前屈みのような姿勢でレイに抱きしめられたデュランダルは、少しの間……有り体に言えば不自然な体勢に腰が悲鳴をあげるギリギリまで、レイの柔らかな抱擁に心を癒された。

「……不思議だね? レイの方が悲しんでいたと思ったのに。私の方が慰められてしまった」

「え? うん……」

 デュランダルは、惜しみつつもレイの抱擁をほどいて身を起こす。そして、ふと感じた疑問をそのまま口にした。

 クルーゼの死の報告があった時、誰よりも悲しんだのはレイだった。しかしそれが……ヘリオポリスに来てからは、そんな素振りを見せなくなっている。立ち直ったのかと思わないでもないが、レイはそれほど強くないと言う事をデュランダルは誰よりも知っていた。

 レイはデュランダルの問いに、少し迷いを見せてから返す。

「おにいちゃんが……死んだって思えないの。死んだって聞いた時は、そりゃあ驚いたけど……でも感じなかった。ここに来たら、おにいちゃんが死んだって納得出来るかもって思ったけど、むしろ逆で……」

 レイはそっと目を閉じ、祈るように手を握り合わせた。

「おにいちゃんが生きてるって、そんな気がするの」

 直感的な物らしい。そういえば、二人は何かしら通じ合ってるような所があった。

「……レイが感じるなら、そうなのかもしれないね」

 デュランダルはそう答える。

 レイが悲しんでいないのに、デュランダルが悲しむわけにはいかない。レイがそう信じるのならば、レイと同じようにクルーゼの生存を信じようとそう決めた。

「なら、悲しむのは止めよう。それより、レイとの一時を楽しむ事にするよ」

「え……もう、ギルったらぁ」

 気分を切り替えて執務室の中へと足を踏み入れるデュランダルの笑顔の台詞に、レイは恥ずかしげに顔をそらしながら、デュランダルのその後を追う。

 デュランダルは、現状の仕事からくる疲れをレイに癒してもらう気満々でいた。

 とりあえず、執務机に制服の上着を投げ置いて、レイが甲斐甲斐しくそれを拾って背広掛けに掛けながら「だらしないよ?」なんて叱ってくれるのを楽しもう。

 それから、応接セットのソファに腰をかけ、レイにお茶を頼もう。そしてお茶の支度が出来たら、レイを膝の上に乗せて二人でお茶を楽しむのだ。

 そこまで素早く計画を組み上げ、デュランダルは制服を脱ごうと襟元に指をかけた……が、その時、机の上の通信端末が内線通信を受信したと、遠慮無しの呼び出し音を鳴らす。

 全ての計画が延期……いや中止にすらなりかねないその呼び出し音に、デュランダルは秀麗な眉目をしかめた。が、まさか無視するわけにも行かない。デュランダルは通信端末に指を走らせ、通信回線を開く。

『こちら守備隊指揮所! あ、あの……大変です! オ、オーブの船が……』

 回線を開いてすぐ、向こうから慌てた声が叩きつけられてきた。オペレーターだろうまだ若い女の声がうわずって話そうとするのを止め、デュランダルは慎重に話す事を促す。

「落ち着いて。ゆっくり話してかまわないよ?」

『は、はい……』

 通信端末の向こうでオペレーターが深く息をつく音が聞こえる。それから、オペレーターはさっきよりも落ち着いた口調で話し始めた。

『先のオーブ軍とMAの戦闘終了後、ヘリオポリスの赤色灯が定期的な点滅を開始した事を確認。調べてみると、オーブの大型輸送艦と発光信号で通信を行っている様でしたので、内容を傍受した所……』

 そこまで言って、オペレーターは緊張の為に唾を飲み込む。それから、緊張を抑えて話を再開した。

『オーブの大型輸送艦が操縦不能状態にあり、ヘリオポリスとの衝突コースを現在も進み続けている事がわかりました。こちらで行ったシミュレーションも、大型輸送船が大幅な進路変更を行わない限り、衝突は免れないとの結果を出しています。

 衝突まで、時間はまだ少しあるんですが……』

「っ!?」

 その報告に、デュランダルもさすがに表情を険しくする。

「至急、対策を練らなければ……守備隊司令は何と?」

 状況が状況だけに、ZAFTの協力は必要になるだろう。そう当たり前のように判断したデュランダルは、当然情報は行っているものと考えて守備隊司令の見解を聞こうとした。

『は、はい……それが……』

 オペレーターは言い淀む。その反応を聞いた瞬間、デュランダルの中に嫌な想像が膨れあがった。

「まさか!?」

『し……司令は、戦闘可能な兵を集め、装甲車で出撃しました! 作戦行動中は、通信封鎖して一切の連絡を絶っています。それで……』

 オペレーターは泣きそうな声を上げる。

「……やってくれたな」

 ZAFTお得意の抜け駆け。手柄を立ててしまえば何でも許されるという風潮を放置し、それに無能が加わればこんなものだ。

 デュランダルに呼び戻されないよう通信封鎖までしているという念の入った愚かさに、デュランダルは沸き上がる怒りを止める事が出来なかった。

『あ、あの! どうしたら良いんでしょう!? 指揮所にも、新兵しか残されて無くて……誰も判断出来ないんです』

 オペレーターが、悲鳴のような声でデュランダルに問う。

 なるほど新兵ばかり。どうりで通信が覚束ないわけだと納得したが、そんな事で納得出来てもしょうがない。

「そうだね。まずは、保有するタグボートや作業用MAを確認。出港準備を……いや、その前に、ヘリオポリスのMAはどうしているかな?」

 タグボートや作業用MAを出して牽引して大型輸送船の進路を変更するという、ごく普通の対応を指示しようとして、デュランダルは突然、ザクレロの事を気にした。

『え? えと……戦闘終了後に動きを止めてそのままです』

「まだ、宇宙にいるか……ならば、ダメだな」

 オペレーターの答えに、デュランダルは与えようとした指示を取り止める。

「守備隊が交戦中である以上、タグボートや作業用MAであっても、戦場に送り込めば敵と見なされかねない」

 普通に考えれば、基本的に非武装であるタグボートや作業用MAであっても、今現在において戦闘中である敵が送り込んできた物であれば警戒をするだろう。撃墜される可能性もあるし、そこまで行かなくとも作業を拒絶される事は十分に考えられる。

 ヘリオポリスの勢力と協力して対策を行う事が出来れば最良だったろうが、無論、それが許される状況にはない。一方で戦闘しながら、一方で協力を呼びかけるなど通じる筈もないからだ。

「……全て、守備隊司令殿がぶち壊しにしてくれた訳だ。ここは彼を呼び戻す事も含めて、対策を検討しなければならないな」

 怒りを吐露する自分をまだ若いと思いながらも、デュランダルはそう言わずにはいられなかった。

 いっそ、守備隊司令が“戦果”を上げる前に、首根っこを掴まえて引きずり戻す事が出来れば、対策の執り様もあるのだが……前提として、通信封鎖している装甲車を呼び戻す手段なんて物があればの話だ。

 付け加えれば、向こうはこちらから呼び戻される事を当然の様に想定していて、それを完全に無視する気でいる。装甲車は動く密室だ。通信封鎖さえしてしまえば、見たくない物を見ず、聞きたくない事を聞かない事は容易かろう。

 呼び戻すなどという悠長な事ではなく、力尽くで引きずり戻せれば楽なのだが。

「ともかく、これから指揮所へと戻る。情報収集の継続と、動かせる人員と設備装備のリストアップをしていてくれたまえ」

『了解しました!』

 オペレーターの返事を聞きながら、デュランダルは通信を切った。

 それから、傍らにいるレイに向き合い、心の底から申し訳なさげに笑いかける。

「すまないレイ。君との一時を楽しむ事は出来なかった」

 軽く詫びてから、執務室を出ようとするデュランダル。そんな彼の背に、レイは静かに問う。輝く様な笑顔で。

「その、装甲車で出た守備隊司令さんをどうにかすれば良いの? そうすれば、ギルの仕事がしやすくなるんだね?」

「ああ、そうだとも。頭痛の種という所さ」

 笑いを含みながら言い返して、デュランダルは振り返る事もなく執務室を出て行く。

 残されたレイは、笑顔のままでデュランダルを見送り、それから少しの時間を見計らってから自らも執務室のドアに駆け寄った。

 そっとドアを開ける。隙間から頭だけを出してキョロキョロと見回し、誰もいないのを確認してからレイは執務室を出た。

「ギルのお手伝い~」

 スカートを翻し、レイは廊下を駆け出していく。その向かう方向には、ZAFTの駐留する港があった。

 

 

 

 ユウナとエルが辿り着いたテレビ局の玄関ホール。そこには、一人の若いスタッフが待っており、二人の姿を見るや声を上げる。

「出てすぐの所に車用意しておきました! キー刺さってます!」

「ありがとう!」

「あ、ありがとう……」

 ユウナとエルは、お礼を言いながらそのスタッフの前を走り抜け、玄関ドアをくぐって外へ出た。そこにはエレカが一台止まっており、更にご丁寧な事にドアまで開けられて乗客を待っている。

 迷うことなくユウナが運転席へ、エルが助手席へと飛び込み、音を鳴らしてドアを閉めた。

「さ、行こうか。シートベルトを……」

 言いながらユウナはルームミラーの向きを調整し……その手を止める。

「これは参ったな。読みが外れた」

 ルームミラーの中、テレビ局前の道路が映り込んでいた。

 路肩に壊れた車やビルの破片が点々と転がり、路面にも瓦礫や小穴が散見される、廃墟同然にも見える路上には、他の車どころか歩行者の姿もない。

 しかし、遙か遠く、こちらに向かって走ってくるZAFTの装甲車があった。

 その数、3両。兵員輸送タイプ。砲塔に機関砲付き。何の為に出てきたかは、想像に難くない。

 理性的な者なら、ミステール1との戦力差を思い知れば降伏の一択しかないと考えていたのだが……どうもコーディネーターは、彼等が宣伝する程に理性的な存在ではないようだ。

 それでも、たいした問題ではない……ユウナとエルが、ZAFTに見つからなければ。

 ZAFTのテレビ局襲撃は有り得ると事前に考えて、テレビ局内からの脱出路は有る程度考えていた。見つかっていない内に逃げ出して、市街に紛れれば逃げ道は幾らでもある。テレビ局が破壊されても、それはユウナの失点にはならない。反撃は悠々出来たろう。

 しかし今、ユウナとエルのいる場所はテレビ局の外で、しかも装甲車は明らかにその速度を上げてきていた。

「見つかったかな」

 ユウナは呟く。とりあえず周囲に目を走らせるが、自分達の存在以外に装甲車が加速する原因となりそうな物はない。

 着替えもさせずにエルを連れ出したのが悪かったか……拙い所を見られた。

 ZAFTの敵となったミステール1の背後にいる組織の首領と見なされる少女が逃げようとしている。どうするか? まず、追いつめて捕らえるなり殺すなり。

「……エルちゃん」

 ユウナは、助手席で衣装と鎖に邪魔されてシートベルトを付けるのに手こずっているエルに優しげに声をかけた。

「ジェットコースターとか好きかい?」

「え? ジェ、ジェットコースターですか?」

 訳もわからぬ様子で聞き返すエルの腰の辺りで、シートベルトの金具がはまるカチリという小さな音が鳴る。

「うん、好きなら良いんだけど」

 ユウナは言って、いきなりアクセルを踏み抜く。急発進の反動で座席に沈み込むエル。その喉から漏れる小さな苦痛の呻きをご褒美に、ユウナはエレカをトップスピードに叩き込む。

 エレカは弾かれるようにテレビ局前から走り出し、荒れた路面の上にその車体を滑らせた――

 

 

 

 路上。急旋回から走り出し、一気に加速するエレカの助手席で反動に揺さぶられるエルは、太鼓の音を聞いたと思った。ドドドッと腹に響く連続音。

 しかし、直後にエレカの隣にあったビルの壁が砕け、破片を降らせるにあたり、自分達が銃撃されているという事に思い当たる。

「っ!」

「大丈夫、威嚇射撃だ! 外してくれてる!」

 エルが悲鳴を上げようとした気配を察して、ハンドルを握るユウナ・ロマ・セイランは言葉を短く切りながら叫んだ。

 本当に威嚇射撃なのか、それとも単に狙いを外しただけなのか、ユウナにわかる筈もなかったが、エルを落ち着かせる為の方便だ。エルが怯える様は美味しいが、それはもっと落ち着いた環境で楽しみたい。

 それに、威嚇射撃だろうと、単に外しただけだろうと大差ない。自分たちがまだ粉々になっていないという事実があるなら、それで十分だ。

 装甲車の砲塔につけられた機関砲……口径12.7mmか20mmか。何にせよ、エレカとその中の乗員を粉砕してお釣りが来る威力がある。苦しまずにミンチになると思えば、随分と味気ない。

 軍人さんは無粋だから、楽しむ事を知らない――そんな事を考えながらユウナは、ハンドルを切ると最も近い曲がり角にエレカを突っ込ませる。

 エレカが角を曲がってタイヤを滑らせた直後、角にあったビルの壁が砲弾に砕けて爆ぜた。

 当てに来たか? 瞬間、そんな疑念を抱きつつ、ユウナは次に曲がる道を探して道路に目を走らす。

 一見、通れそうな曲がり角は幾つもある。しかし、ここはかつて戦場になった場所だ。復旧作業はされていたが、それでも大穴や瓦礫で通行不能になった道は幾らでもある。

 普段、使っている道を使えれば楽なのだが、その道はほぼ直線で道幅も広い。敵に追ってきてくださいと言っているようなものだろう。

 そんな事を考えている間に、バックミラーには装甲車が先程の角を曲がってくるのが映っていた。

「ずるいな。性能が段違いだ。せめて、スポーツエレカなら勝負になるんだけど」

 ユウナは、舌打ち混じりに呟く。

 趣味人用のスポーツタイプならともかく、一般用のエレカなど、それほどスピードの出る物ではない。狭いコロニーの中では、さほどスピードは必要とされないのだ。そこそこのパワー、そこそこのスピード、燃費最優先でバッテリー長持ちというのが基本。

 一方、相手は軍用車。装甲と武装で重いが、動力のパワーは桁違い。それはスピードにも反映される。

「でも、重い分……小回りはどうだい?」

 ユウナは急ハンドルを切り、エレカを直角に近い角度で右折させた。タイヤが悲鳴のように軋み、路上に黒く四本の弧を描く。そしてエレカは、そこにあった細い脇道へと車体をねじ込んでいく。

 ビルとビルの狭間でしかないその道は掃除などされているはずもなく、小さな瓦礫を踏みつける度にエレカはガタガタと車体を揺らした。

「これでも、安全運転主義なんだけどなぁ。金免許狙ってたのに」

 揺れるエレカの中、ユウナは苦笑を浮かべる。

 ユウナは常に安全運転を心がけていた。何せ、法定速度を守っている車のトランクを開けようとする警官はいない。

 まあ、そんな安全運転主義も今日は返上だ。ユウナは、脇道から本道に走り出ると同時に、エレカをスピン気味に滑らせて方向を変え、速度を落とさずに本道を走り出す。

 と、直後に、出てきたばかりの脇道からコンクリートの破片を撒き散らしながら装甲車が飛び出して来るのが、バックミラーに映った。

「壁を削りながら抜けてくるなんて、ガッツが有るじゃないか」

 そんな台詞を言える程の余裕など無かったのだが、それでもユウナは肝が冷えていく感覚から無理にでも気を紛らわせようと無駄口を叩く。

 それから、ハンドルをねじ切らんばかりに回して、一番近くにある角を曲がった。

 その道は、隠れ家へは通じていないが、今はとにかく逃げなければならない。

「いやぁ、スリル満点だ。楽しんでるかい、エルちゃん……エルちゃん?」

 隣に座るエルに声をかけ、ユウナは彼女の異変に気付く。

 エルは、顔を蒼白にして、恐怖に震えるというよりも痙攣でも起こしているかのように身を震わせていた。

「あ……ママが……ママが……あの時も……こ、こんな……」

 エルは、説明にならぬ言葉を短く繰り返す。

 それでも何とかユウナが察する所、エルにはこの状況はトラウマ直撃だったらしい。

 そう言えば、エルは母親と共に逃走中、オーブ軍に追い立てられて最後には母親を殺されたのだったか。

 ユウナはそう思い返しつつも、エルを哀れむではなく、沸き立つ衝動を楽しんでいた。

 実に良い。そそり立つ。これで「命だけは助けて」とか言われたら、パンツの中にぶちまけてしまうかも知れない。

 だが、今はお楽しみタイムとは行かないのが難点だった。

「大丈夫だよ、エルちゃん。大丈夫……」

 宥めようと声をかけ、それで言葉に詰まる。今、事態を好転させる材料はない。

 背後に迫り来る装甲車の気配に、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、ユウナは明るい声を出して言った。

「きっと、御加護があるさ」

 何の加護なのかは、そう口走ったユウナにもさっぱりわからなかったが、その言葉を聞いてエルは顔を上げる。

 彼女のその視線の先には、宇宙空間に漂うザクレロ。トールのミステール1が居るはずだった。

 

 

 

 ヘリオポリス厚生病院。混み合った待合室の一角に座っていたカズイ・バスカークは、他の患者や見舞客、看護婦など待合室に居合わせた他の者達と共にテレビを見ていた。

 オーブ軍による強制収容を受ける支度をして、母親を見舞いに来て偶然に見たもの……それは、オーブ軍を蹴散らすMAの姿。

 更に続けて、ZAFTのMS部隊をも一蹴したそのMAは、続く放送でその姿を現した少女の配下なのだという。少女は、そのMAがヘリオポリス市民の為の力なのだと言った。

 人々は喝采した……となれば良いのだろうが、実際はそうはならず、カズイも含め、人々はあまり大きな反応は見せず、ただテレビを食い入るように見つめてる。

 熱狂しやすい人間は大概がアスハ派として骸になっていたし、残されたのは国家に裏切られて何かを信じると言う事に疲れている者がほとんど……故に、反応は今ひとつ盛り上がらないのだ。

 自分達を救う為にオーブ軍と戦ったMAがあったという事には、絶望しかなかった未来に道が拓けたかのような思いでいる。その事に対する感謝の思いもある。だが、それでも心が動かぬ程、人々の心は疲弊していた。

 それに、オーブ軍が撃退されたのは良いが、状況が大きく変わりすぎていて、次に何をしたら良いのかなどがサッパリわからない。強制収容を受ける為の準備が無駄になったとわかるくらいだ。

 だからこそ、今は熱狂するよりもテレビに集中して、情報を得ようとしているのだ。

 何をしたら良いのか、それを探る為にも。

 そこへ、次のニュースが飛び込んできた。

 画面には、廃墟に近い位に壊れたヘリオポリス市街を疾走する一台のエレカと、それを執拗に追うZAFTの装甲車が映し出される。市街カメラの映像だろうそれは少し掠れていたが、逃走劇の緊迫感を伝えるには十分な迫力があった。

 アナウンサーは、先程の少女がZAFTに追われているのだと緊迫感を持って実況する。

 それを聞いて、流石に人々に動揺が走る。

 せっかく、助けとなる人物が現れたのに、それが奪われようとしていた。喪失しようとして初めて、人々は危機感を感じたのだ。

 待合室内にざわめきが起こる。囁きあい、呻き、嘆き、そしてそのままテレビに視線を戻す。だが、幾人かは立ち上がって待合室を出て行った。

 提示された希望は夢だったと割り切って、日常の作業に戻るのかも知れない。

 だが、そうでない者もいるのだろう。

 カズイは、待合室を出て行く者達の背を見送って、そんな事を思った。

 怖いと思う。

 ただただ、そう思う。

 あの日の戦争を忘れてはいない。いや、忘れられない。

 死ぬのだ。戦場では誰彼の一切の区別無く死ぬ。

 そんな戦場に向かうであろう人が居る。理解は全く出来ない。

 カズイの父の様に凄惨な死を遂げるのか、あるいは生きても母の様に手足をもがれ全てを失う事になるのか。カズイはそれが怖くてならない。

 戦争とは、空を飛ぶ鳥の様な物だ。人は、地べたを這いずる虫けらに過ぎない。空から降りてきてついばまれればそこで全てが終わる。

 頭を隠し、地に潜り、戦争が何処かへ去るまで隠れていればいい。なのに、どうしてわざわざ、空の下へと這い出ていくのか? 全くわからない。

 だが一方で、戦いに向かった人を笑う事など出来ない……いや、そんな資格はないのだという事も、カズイにはわかっていた。

 彼らを非難出来るのは、何か戦う以外の他の手を打つ事が出来た者だけだ。戦う勇気もなく、かといって他に何も出来ず、テレビの前で不安に苛まれているだけカズイにはそんな資格はない。それくらいの事はわかる。

「情けないな」

 呟きが漏れた。

 今のカズイには、重傷の母を支えるだけで精一杯だ。他の事にはとても手が回らない。

 そんなカズイの周りで、様々な事件が起こっている。その一つ一つがカズイのこれからに大きな影響を及ぼすもので、座視してて良いものでは決してない。

 今日のこれも、きっとそうなんだろう。

 でも、それでも、立ち上がる事は出来なかった。

 カズイはいっそ逃げ出したかったのだ。何もかも……全てを捨てて。逃げ場所がないので逃げ出せないだけで、カズイは逃げ出したかった。全てから。

 

 

 

「可愛い子だったねぇ」

 テレビ前に置かれたソファに座り、太めの中年女性が一人、テレビに向かって呟く。

 緊張した面持ちで、歳に合わないドレスを着た少女……エルが、熱心に台詞を語るのを見て、彼女は僅かに微笑んだ。その微笑みは酷く久しぶりのものであったが。

「昔の、あの子みたい」

 娘が子供だった頃を思い出す。学芸会で舞台に立つ、幼い少女だった頃の娘。

 中年女性は視線を僅かに動かし、部屋の片隅に付いたドアに目を向けた。

 娘はそのドアの向こうにいる。ドアの向こうの子供部屋が、娘の宝箱へと変わっていく時を共に過ごした。

 あの日、流れ弾を受け、そのドアの向こう側は、娘もろともこの世から消えてしまったけれど。

 中年女性は目を閉じ、視線をテレビに戻した。

 いつの間に時間が経っていたのか、テレビは先程の少女の演説とは違う映像を映している。

 どうやら、何かがあって少女は外へと出たらしい。そして、ZAFTに追われている様だ。

「……あらあら。あれは何処へやったかしら」

 中年女性は苦笑めいた笑みを浮かべると、ソファの前のテーブルに乱雑に積まれたチラシの山に手をやった。

「あの子がいないと、片づかないから……本当、ダメね。あ、これよこれ」

 チラシの山から一枚の紙を引っ張り出して、中年女性は満足そうに頷く。

 その紙には『携行対戦車誘導弾取扱説明書』とあった。

 

 

 

 装甲車による追撃は順調だった。

 敗北主義者の政務官ギルバート・デュランダルを出し抜いた甲斐があったと、車列先頭を走る装甲車の兵員収容スペースのベンチに兵達と共に腰掛けて、守備隊司令はほくそ笑む。

「殺すなよ? 生け捕りにして、たっぷり締め上げねばならんからな」

 通信機のマイクを取って、余裕たっぷりに指示を下す事も出来た。

 通信は、短距離通信のみを許可している。港湾部にある指揮所からの通信は排除した。

 誰も邪魔をする者は居ない。いや、誰にも邪魔できるものか。獲物は最早手の中にあると言っても良いのだから。

 反乱勢力の首魁は必死に逃げようとしているが、ちゃちなエレカで逃げ切れるものではない。生け捕りの目論見がなければ自ら砲手か運転手を代わりたいと思う位に基地司令は高揚していた。

 が……その高揚を冷ます音が突然に響く。

 カーンと高い、装甲を叩く音。

 最初はそれが何かわからなかった。しかし、続けて一度、二度と鳴るその音に、守備隊司令は問う。

「何だ、この音は!?」

「銃撃されてるんです。ご安心を。装甲車は安全ですよ」

 問われた兵士は、何でもない事の様に答える。その兵士は、装甲車を使ったパトロールで何度か銃撃を受けた経験を持っており、そしてそれに効果がない事を知っていた。

 先のZAFT襲撃時、オーブ軍は市民にまで武器をばらまいた。また、戦闘終了後には、かなりの量の遺棄武器がヘリオポリス中に落ちていた。

 それらは、アスハ派によるZAFTへの抵抗活動や、反アスハ派によるアスハ派狩りなどに使用されてきたのだが、使用される事もなく秘匿されていた物が今日になって引っ張り出されてきたのだろう。

 装甲車の真正面に躍り出る様な者はおらず、建物の角や窓から散発的に銃撃が行われる。

 しかし、拳銃や自動小銃程度では、装甲車をどうにか出来るはずもない。装甲車の表面で火花が散って終わりだ。

「愚かなナチュラル共が、無駄な攻撃を」

 守備隊司令は、その抵抗を蔑み笑う。そしてわざわざベンチから身を起こし、後部ハッチにつけられている銃眼から外を覗き見た。

 すぐ後ろを走行する装甲車二両。その表面で時折、火花が散るのが見える。それが弾着の証なのだと察して、守備隊司令は満足げに頷きつつも、侮蔑の笑みを更に深くした。

 自分達に刃向かう者は全てナチュラルだ。ナチュラルなのだから、愚かで脆弱で当たり前なのだ。

 無力すぎるナチュラルを意にも介さず、反抗の首魁を討つ。思い描くそんな姿に、守備隊司令は自身のヒロイズムを満足させた。

「たわいのない。こんな連中を恐れる、政務官殿の気が知れないな」

 

 

 

 彼女は、車列の最後尾を行く装甲車の中にいた。

 ZAFTには長く勤めている。だが、兵士と言えば格好は付くだろうが、所属は会計課であり、軍務にまつわる書類仕事が任務だ。

 歩兵としての訓練も受けた事はある。しかし、それは戦えるという事を意味しない。それなのに、守備隊司令の命令で動員され、歩兵として装甲車に乗せられてしまった。

 そんな自分が纏うヘルメットと、握りしめる小銃が重い。

 装甲車に同乗しているのは、ほぼ全員が彼女と同様の立場の人間であり、つい先程までは戦いに赴く事など考えても居なかった者ばかりだ。誰もがその顔に不安を露わにしつつ、小銃を持て余し気味に抱え込んでいる。

 基地にいたほんの僅かな本当に戦える兵士達は全員、守備隊司令の装甲車に乗っていた。

 戦えない兵士ばかりを詰め込んだ装甲車……出撃前に、敵はナチュラルだから戦闘になっても鎧袖一触蹴散らせると勇ましい言葉を嘯かれてはいたが、それを信じていても怖いものは怖い。

 戦いの不安から逃れようと、別の事を考えようとする。

 今日、ついさっきまで手がけていた書類……補給に関する申請書で、今日中にまとめてデータ化してプラントに送らなければならないが、間に合いそうにないなと。

 残業かな? ああ、手当が出るわけでもないのに。

 休みが欲しい。次の休みは何時だっけ? プラントに帰りたい。

 お母さんが、子供を作れる相手を調べて結婚しなさいって言ってたっけ。こんな事やらされるなら、言う通りにしておけば良かった。

 いや、これが終わったらZAFTを辞めて、お母さんの言う通りに……

 

 

 

 街路の角で、廃ビルの窓で、残骸の影で。誰と言える程、人々は統一されてはいない。老若男女関係なく、ただ銃を持ち、恐怖に怯える事無く、されど狂気に陥る者無く、ただひたすらに銃撃を行う。

 戦いが日常の中に忍び込み、恐怖は慣れが麻痺させていた。

 未だ失うモノを持つ人はまだ正気で居られたのだ。全てを失った人には何も残らなかった。狂気に到る心さえ残っては居なかった。

 何でも良かったのだ。ただ、理由があれば良かった。それは、アスハ派狩りと言われた殺戮も同様だったのかも知れない。

 戦う事にだけ意味を見出す事が出来た。死ねば解放されるし、殺せば自身の失われたモノへの手向けとなる。

 襲撃に加わる全ての人の中に、歓喜の情があった。戦いは「祭り」に等しかった。

 拳銃、自動小銃、機関銃。雑多な火器が用いられ、装甲車の表面で弾ける。

 車列二番目の装甲車に、長く尾を曳く炎が突っ込んでいった直後、その装甲車は突然横腹に爆発を起こし、その衝撃で路上を横に滑った。

 更にそこへ後続の装甲車が突っ込んで互いを弾き飛ばし合う。

 体勢を完全に崩した状態で追突される形になった前の車両は、跳ねる様に宙に浮き上がり、横転して地面に叩きつけられる。

 後続車は衝突の衝撃で進路を曲げ、街路脇に積まれた瓦礫の山に突っ込んで、その身を埋める様にして動きを止めた。

 何が起こったのか?

「テレビで見てたんだよ!? 何だい、相手は子供じゃないか! あんたら、子供を虐めようってのかい。みっともない!」

 街路の端、太めの中年女性が道の脇に仁王立ちになり、空になったミサイルランチャーを片手に怒鳴っている。そして、気持ち良く怒鳴り終えると、ランチャーを持ったまま、集合住宅らしきビルへと入っていった。

 中年女性が去って僅かな間を置き、街路には方々のビルから人々が出てくる。大方は、その手に銃を持っており、彼らが今まで装甲車に攻撃をかけていた市民だというのは明らかだった。

 街路には、動きを止めた二両の装甲車。

 周囲を囲う市民達の中、誰かが装甲車に向かって一歩、足を進める。他の誰かも追随する。誰かが走り出す。誰かが雄叫びを上げる。

 皆が走り出す。雄叫びが怒号に代わる。

 

 

 

 目の前の出来事だった。

 一発のミサイルを浴びた装甲車が破壊され、もう一両もそれに巻き込まれて大破する。

 その光景が、どんどん遠くなる。と……その光景が遠くなる速さが鈍った。

「な、何をしている!? どうして止める!」

 破壊された後続の装甲車を為す術もなく見ていた守備隊司令は、自分の乗る装甲車が止まろうとしているのだと気付いて声を上げた。

「停車して、仲間の救出を」

「こ……ここで止まっては、敵を逃がすだろう!」

 守備隊司令は、兵士からの進言にヒステリックに叫び返す。

「そ……装甲車なら、中にいれば安全だ。敵を倒した後でも、十分に救出出来る」

 横腹に大穴を開けて横転している装甲車があるというのに、安全も何も有りはしなかった。

 ちらりと銃眼に目をやる。今まで隠れて戦っていた市民達が街路に溢れ出て、動かない二両の装甲車を取り囲もうとしているのが見えた。

 装甲車の中、兵達がどんな状態であるかは知れない。無傷とはいかないだろう。

 それに、攻撃を受けた車両には、戦闘員とは言い難い兵……守備隊司令が出撃時に掻き集めた後方要員達が多数を占めていた。

 救出に行かなければ、彼らは非常に危険な状況に陥る事となる。

 装甲車の機関砲を撃ちながら飛び込んでいってあの領域を占拠。兵を出して、二両の装甲車から負傷者を救出する。それは十分に可能な筈だ。

 だが、ミサイル攻撃があるかも知れない……つまり、敵が自分を殺す手段を持っており、自分が無敵ではないのだという事を知らされた今、敵の群れの中に飛び込む事は恐ろしかった。

 ……恐ろしい? コーディネーターの自分がナチュラルを怖がっているのか?

 守備隊司令が自分の考えに愕然とした時、脳裏にチラと宇宙の映像がかすめた様に感じた。虚空に殺戮を為すモノ……

「ひっ……」

 何故か、それ以上に思考をする事は出来なかった。

 だが、心の奥底から沸き上がってくる恐怖感は変わらない。

 戻って兵を救出するという指示は出せなかった。

 それを、敵の首魁を抑える事こそが至上なのだと理屈をつけて合理化する。

「は……早く追跡を再開しろ! 遅れれば、その分だけ味方を救出する時間が遅れるぞ! 早くしないか!」

「……了解しました」

 兵士は一瞬、抗弁する気配を見せたが、怒りを溜息と共に吐き出して命令に従った。

 仲間を見捨てろと言う命令を、安全な所から喚くしか能がない男に言われれば、そんな反応を見せもするだろう。

 それでも、従って見せたのはその兵士の矜持からだけなのかもしれない。他の兵士達も反抗の兆しを見せていたが、その兵士が従って見せる事で各々感情を抑えた。

 装甲車は再び速度を上げ、ユウナとエルの追跡を開始する。

 

 

 

「あっはっはっはっは! やるじゃないか、ヘリオポリス市民も!」

 装甲車に対する攻撃があった事は、爆発音とバックミラーで知る事が出来た。

「このコロニーに澱の様にへばりついた狂気! それに蝕まれた最高に素敵な人達だ。こうなったら、彼らを絶対に手に入れるぞ!」

 ユウナは高揚して声を上げつつ、装甲車の追跡を振り切る為に折り返しを繰り返していた進路を改め、進路をまっすぐに隠れ家としているシェルターへと向ける。

 エレカは修復が進んだ大型道路に出て、スムーズに街を走り抜けていく。

 巻き込まれなかった装甲車が止まろうとしている所までは見ていた。

 普通ならそうする。当たり前の判断なら、止まって味方を救出するだろう。そして救出した味方の治療の為に帰還する。そうユウナは考えた。

 だが、その考えは覆される。

 エレカが街を出ようとしたその時、装甲車はエレカの後方に姿を現した。

「な……見捨てた!?」

 時間的に考えて、それしか有り得ない。ユウナは、ZAFTが味方の兵を見捨てて追撃してきた事を悟り、白面のマスクの下の顔を青ざめさせた。

「しまった。あいつ等、馬鹿か、そうでなけりゃ英雄だ」

 エルとユウナを捕まえて、それで味方を見殺しにした罪に問われれば馬鹿。捕まえた功績で上手い事やれれば英雄。何にせよ、普通じゃ無いらしい。

 だが、それが解った所でどうしようもなかった。

 エレカは今、街を抜けて開発地域とされている平原に飛び出してしまっている。ここでは、身を隠す場所もありはしない。

「あ……ああ……ここで……ここでママが……ママが……」

 助手席のエルは、恐怖に目を虚ろにさせて譫言の様に呟いている。

 どうやら、過去のトラウマと、自分達の境遇が見事に重なっているらしい。

「冗談じゃないぞ」

 ユウナは、ハンドルを握る手に力を込めた。

 エルが壊れかけている。さすがに母を殺した状況の再現は、精神に過度の負担となったらしい。

 しかし、現状ではその再現を止めるわけにはいかなかった。

 遮る物のない開発地域。追ってくるのは、性能的にも戦力的にも段違いの装甲車。捕まればそこでお終い。

 とりあえずユウナはアクセルを目一杯踏んでエレカを走らせるが、装甲車との距離は縮まるばかりだった。

「お……にいちゃん……トールおにいちゃん……」

 助手席から、祈りの声が聞こえる。

 その声を聞きユウナは、恐怖に縮こまっていた竿がぐんといきり立ったのを感じた。

「ふ……ふふぅ」

 エルは、宝石の様に輝き、蜜の様に甘い、とても素晴らしい少女だ。“浮気”しないように我慢しなければならない辛ささえもが甘美なのだ。

 それを、こんな所で、あんな連中に壊されてたまるものか。

 ユウナは、そんな思いからエルを守ろうと頭を働かせる。恐怖に鈍っていた頭が、素早い回転を取り戻した。そして……

 その明晰な頭脳が弾き出した答は、『これは詰んでるんじゃないか?』だった。

 直後に、装甲車が放った機関銃弾がエレカの周囲を耕し、数発の弾丸がついでとばかりに運転席側の後ろ半分をもぎ取った。

「きゃあああああああっ!」

「ぐっ…………!?」

 振動。そして、回転する車体にユウナとエルは翻弄される。

 そしてエレカは、道から外れて止まった。かつて……エルの母が死した時と同じ様に。

 

 

 

 エルはずっと震えていた。その間はまるで、夢を見ていた様にも感じる……

 やがて、車は街を出る。この先は開発地域とやらで、何もない平原や森が続き、外壁に当たるまでは何の施設もない。

 車は、郊外の森の側を抜けていく。と、そこに来た時、エルはふと窓の外を見上げた。

 空から下りてくる人……MSの姿が見える。

 直後、背後から、先ほど屋敷を出る時に聞いたのと同じ連続音が響き、車がいきなりスピンを始めた。エルは助手席にシートベルトで留められたまま振り回される。

 ――僅かな時間、エルは気を失っていた。

 目覚めたエルは、まっさきに“母親”がいる運転席を見る。“母親”は……ハンドルにもたれる様に身体を倒していた――

 逃げないと……

 そう考えてエルは、エレカのドアを開けて外へと出る。

 それから、ふらつく身体を必死で動かして、運転席の方へとまわった。

「ママ! ママぁ!」

 運転席を開こうとするが、開かない。呼びかけても、中の“母親”は動かない。

 エルは必死で呼びかけながらも、その光景を何処かで見た様に感じていた。

 一度見た光景。一度繰り返した行動。そう、そして……確かこの後に……

「トー……ル……?」

 誰かが来てくれる。そんな気がした。

 

 

 

「ははっ……やったぞ!」

 守備隊司令は装甲車の中で一人喝采を上げた。

 装甲車はついにエレカを追いつめ、機関砲を浴びせて停止させるに至ったのだ。

「つ、続けて撃て! 殺せ!」

「今なら逮捕が容易に出来ますが?」

 守備隊司令の命令に、兵士が言葉を返す。

 相手には恐らく武器もない。容易く取り押さえる事が出来る。

 その進言に守備隊司令は少しだけ頭を働かせる。

 逮捕するのは良い。そっちの方が手柄が大きくなる。何か情報でも引き出せれば、さらに手柄となるだろうが、それには生かして捕らえる必要がある。

 捕らえる為には何をしなければならないか。兵士達を向かわせる。それは良い。兵士達が戦ってくる分には、何も恐れる事はない。

 兵士達を向かわせるにはどうしたらいいか? 装甲車のハッチを開けて……

 そこまで考えた所で、守備隊司令の中に恐怖が沸き上がった。

 ハッチを開けるという事は、守備隊司令自らが外敵に姿をさらす事になるではないか。それに逮捕なんて悠長な事をしている間に、またミサイル攻撃を受けたらどうなるか……

「ダ! ダメだ! 危険だ! さっさと殺してしまえ! 終わらせて、基地に帰るぞ!」

 敵が狙っているのだ。自分を。

 心の奥底から、何かが這い出てくる気配がする。

 恐怖の魔獣は、その無機質な目で虚空から獲物を見つめている。

「あ……安全な場所へ。早く……見つかる前に……」

「守備隊司令殿?」

 兵士は怪訝な表情を浮かべて首を傾げた。

 幾ら何でもおかしい。常に冷静であるコーディネーター……プロパガンダに過ぎないのだとしても、これ程に取り乱す事があるのか?

 無能が服を着て歩いている様な人物が自分達のトップだという事を認めたくない気持ちはあるが、それにしてもこれはあまりにも常軌を逸しておかしいのではないだろうか?

「何かあったのですか?」

 兵士は以前に一度だけ見た、ナチュラルの新兵が戦闘の恐怖で恐慌状態になっている様を思い出した。あの時は笑ったものだったが、守備隊司令の様はあの時の新兵の様だ。

「う……うるさい! 早くしろ! いや……私が。私がやる。退けろ!」

 守備隊司令はわめきたて、兵士を押しのけると操縦席に隣接するガンナーシートに歩み寄る。そして、そこに座していた砲手を押しのけて、自分が座った。

 目前のモニターには、サイトと大破したエレカが映っている。手元には、機関銃の操縦桿。それを強く握り、トリガーに指をかける。

 守備隊司令の身体の震えが移って、モニターの中の映像が細かく揺れた。だが、この距離で動かない目標が相手ならば、多少の震えなど大した影響でもない。

「ははは……私を煩わせるからだ。死ね!」

 守備隊司令は、操縦桿のトリガーを引こうと……

 

 ――それはやってきた。

 

 直後、装甲を貫いて届く轟音と振動。そしてモニターには、冷徹な光を宿す単眼と鎌状の腕を持つ鋼鉄の魔獣が映り込む。

「は!? ひっ……ひぃいいいいいいっ!?」

 それが何なのか脳が理解するよりも早く、守備隊司令は悲鳴を上げていた。

 ――それはやってきた。

 喰らう為に。滅ぼす為に。屠る為に。

 心の底が理解する。魔獣が来たのだ……

「ふ……ふわっ! くひゃあああああああああああっ」

 意図してではなく、反射的に握り込んだ手が操縦桿のトリガーを引く。

 機関銃弾は眼前の魔獣の身体の上で弾け、全身を炎の粉で彩る。

「止めろ! 止めてくれ! 何だ? 何なんだお前は!? 何故……何故、私の所に」

 守備隊司令はトリガーを引き続けながら叫ぶ。だが、魔獣は答えない。

「何故……」

 直後、魔獣は装甲車に飛びかかった。モニターの中の魔獣の姿が一瞬で大写しになり、そして装甲車の中は激震に呑まれる――


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