機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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ヘリオポリス蠢動

 オーブ。ウナト・エマ・セイランの私邸。

 応接室に通したウナトの友人は、元より老境にあったのではあるが、その表情には年齢以上の疲れを滲み出させていた。病的にやつれたその身体をソファに沈ませているその姿は、死人のそれと言っても過言ではない。

 彼は、その顔に皮肉げな笑みを浮かべ、手にした水割り入りのグラスを掲げて、嘲笑混じりに言った。

「ヘリオポリスの住民は、外患援助の罪で起訴されたよ。君と話が出来るのも、ここに警察が踏み込んで来るまでだ」

 彼はヘリオポリスの住人。襲撃があった後、命からがら逃げ出してきた普通の市民……その筈だ。

 しかし今、彼と彼の家族は、政府と国民によって罪人にされようとしていた。

「それを笑わせてはくれないのだろうな」

 ウナトは苦い物を噛んだ様な表情を浮かべる。

 外患援助……国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。そういう法律だ。

 本来は敵との内通者を裁く法であり、敵の侵攻を受けて降伏した国民を裁く為の法ではない事は言うまでもない。しかし、降伏して無抵抗である事が、敵に軍事上の利益を与えたという理屈が通っていた。

「つまり、ヘリオポリスの住民は全員、最低でも二年は牢に入れられ、最悪では殺されると言う事か? 馬鹿げている!」

 ウナトは怒りと苛立ちを露わに、手に持ったグラスを強く握りしめる。友人は肩をすくめながら答えた。

「裁判所がそれを認めたならな。何にせよ、全員が拘置所送りなのは間違いない」

 もっとも、代表首長が罪人だと言えば、捜査も逮捕令状も無しに対象を逮捕出来るような国なのだ。裁判所に司法の独立と法の平等を期待出来るかは疑問だった。

「これは政治的粛正だ……ジェノサイドだ! まともな国のすべき事じゃない!」

 ウナトの怒声に、友人の返す視線は冷め切っている。『ここはまともな国なのか?』と問いかける様に。その答えを知る一人がウナトではなかったかと。

 ウナトは怒りが冷めていくのを感じた。かわりに深い失望感が取って代わる。

「知っているかね? 陸戦協定違反の便衣兵については、オーブ政府はその罪を認めない……アスハ派はプラントに対し、オーブ国民は皆兵であり、全国民を正規兵と見なして構わないと啖呵を切るつもりだ。狂っている」

 議会でアスハ派閥の議員がそのように働きかけていた。現状、それを止めようとする声は小さく、無力も良い所だった。

 国民皆兵自体は忌むべき事でもない。国家を守る為ならば、その選択は十分に有り得る。

 だが、今の流れは違う。オーブ政府が国民全てに守らせようとしているのは、オーブの理念というお題目だ。国家と国民を危機に追いやってでも、オーブの理念を守ろうとしている。そこに今のオーブの異常性があった。

「既に国民の軍事訓練の義務化と、軍事予算の大幅増が提案されている」

 アスハ派議員が、軍拡路線を強力に推し進めようとしている。国民皆兵は名ばかりではなく、実際に全ての国民を兵士として扱うつもりらしい。

 理論的には、そんな急拵えの兵士に意味がない事は分かり切っていたが、議員も世論も「大事なのは理論ではなく、理念なのだ」と盛り上がっている。

「くくっ……あっはっはっはっは! はーっはっはっは! 牢獄の中で死ねる私は幸福かも知れないな」

 友人は笑い出す。以前、ウナトが最上のジョークを聞かせた時も、これほどには笑わなかった。

 もしこれが、舞台の上で行われているのならば、ウナトも大いに笑っただろう。しかし、この愚劇が行われているのはオーブという国の中であり、ウナト自身もまた演者の一人ときている。

 このままでは、権力を握り、危なげなく国を守りながら小狡く金を貯めて、引退して孫でも見ながら悠々老後を過ごすという、ささやかな夢すらも叶えられそうにない。

 何とかしなければならないのだが、ヘリオポリス襲撃事件以降の状況の流れは速すぎ、ウナト等セイラン派閥は後手に回っていた。

 まあ、それでも希望が全くないわけではない。

「もっとも、ウズミはそのどちらにも反対している。これは通るまいな。残された希望がウズミだと言うのが皮肉なものだが」

 アスハ派の首長であるウズミ・ナラ・アスハは、現在の急進的とも言える動きに慎重な対応を求めていた。

 ウズミは軍縮論者だ。非現実的な非武装中立論者ではないが、軍事力には常に縮小を求めてきた。

 MS開発を許可したのも、軍事産業方面での旨味の他に、既存の兵器よりも高性能なMSならば、より小規模な軍隊が実現出来るといった思惑がある。もっとも、ウズミにとってMS開発の重要さは、土壇場で無かった事にしたがった程度でしかないのだが。

 ともあれ、乗り気だった頃のウズミは、究極の超高性能機を作り、その一機のみでオーブを守るといった夢想を漏らしていた。実際には一機のみという事はないだろうが、これから先は少数精鋭の小規模な軍隊を目指したいのだろう。軍拡の流れはこれに反している。

「どうかな? “姫獅子”は、軍拡の必要性を煽っている様だが?」

 友人が、部屋の片隅にあるテレビにチラと視線を向けた。今はスイッチが入れられていないが、言いたい事はわかる。

 ウズミの娘、カガリ・ユラ・アスハはこの所、テレビに出ない日はないというくらいの人気ぶりだった。彼女はヘリオポリスの悲劇を語り、その悲劇を防ぐ為として国民の軍事訓練の重要さや軍拡の必要性などについて語っている。

 当初は、オーブの理念の重要さを語る娘に好意的だったウズミも、カガリが自分の政治に反し始めた事で、対応に苦慮しているようだった。

「ウズミには頭の痛い問題だろうが……いや、大きな問題はあるまい。所詮、もてはやされて増長した子供だ」

 カガリは、実際には背後にいる何者かの傀儡に過ぎないとウナトは考えていた。恐らくは、軍拡路線をとなえる急進的なアスハ派が背後にいるのだろう。敵がわかっている以上、背後のアスハ派にのみ気を付ければ良い。

 しかし、友人は意見が違う様だった。

「どうかな? 怖いのは、むしろ国民だ。今の熱狂ぶりを見たかね? あの姫獅子が命じれば、殺人とて喜んで行われるだろう。彼女はオーブの理念という神に仕える異端審問官で、国民は邪悪な魔女を捜し求めている」

 実際にカガリによって断罪されたヘリオポリス市民……彼自身と家族は、政府と国民によって罪人として殺されようとしている。だからこそ言えるのかもしれない。

「オーブは国民の声が政治に及ぼす影響は小さい。氏族の力の方が大きいからな。しかし、氏族とて国民だ。この熱狂は氏族にも影響を及ぼすだろう」

「なるほど……忠告として受け取っておく」

 ウナトは友人の言葉を真摯に受け止めた。友人は、ウナトの言葉に初めて穏やかな笑みを浮かべる。

「そうか、これで君に一つ、餞別を残せたという物だ」

 友人のその台詞に、ウナトは言い返そうとした。しかしその時、応接室のドアがノックされる音が響く。

「旦那様、警察の方がお見えです」

 ドアの外から、使用人が言う。

 時が来た……だが、友人は取り乱す事はなかった。

「ウナト。最後に乾杯をしようじゃないか」

 言いながら、空になっていた自分の手のグラスに酒を注ぐ。それから、ウナトが急いでグラスを空けるのを待ってから、ウナトのグラスにも酒を注ぎ入れた。

 ウナトは、友人が注いでくれたグラスを持ち、乾杯の口上の為に口を開く。

「君と君の家族の安全を祈って……」

「いや」

 乾杯を言いかけるウナトを、友人は止めた。そして、彼が替わって乾杯の口上を述べる。

「オーブの未来に」

「……オーブの未来に」

 二人はグラスを掲げ、一息に中身を飲み干した。別れの杯を……

 その数日後、ウナトは友人の死を知った。

 警察での取り調べ中の心臓発作と発表された彼の死体が遺族の元に返ってくる事はなかった。

 

 

 

 ヘリオポリス襲撃から十二日が経った二月六日。ユウナ・ロマ・セイランは、民間商船に乗ってヘリオポリスを来訪した。

 民間商船は、港外で駐留ZAFTによる臨検を受け、武器類の持ち込みが無い事が確認された後はすんなりと通される。

 ここに駐留するのが実戦部隊であり、こうした臨検などに慣れていないのが幸いだった。乗客の身分の照会などされていれば、ユウナの場合は多少面倒になったかも知れない。もっとも、ZAFTからの情報提供の求めにオーブ本国が応じるとも思えないのだが。

 ともあれ船は港へと着き、乗客の下船が許可された。

 このヘリオポリスで降りるのは、ユウナの他、セイラン派が用意した調査員と支援スタッフ。短時間で良くも集めたものだと感心する位には居るが、その数は決して多くはない。

 そして船は、乗客の他に積荷を下ろし始めている。

 積荷は食料や医薬品などの支援物資で、全てセイラン家が私財で購入した物だった。今のオーブに、ヘリオポリスの支援をしようと言う声はほとんど存在しない。戦って死ねば困窮はしなかったろうと言う、乱暴な声はよく聞かれたが。

 何にせよ、ヘリオポリスは完全に見捨てられた土地となっていた。いや、むしろ堕落と腐敗の象徴として、誅罰の対象となっている。

 ユウナが地球を立った時に既にそうだったのだから、今はどうなっているのか知るのが楽しみだ……と、ユウナは思っていた。知る為には、まずは長距離通信設備が要るだろう。

「カガリは、頑張っているかなぁ」

 今日も演壇の上で糾弾の声を上げているだろう少女の事を思い、ユウナは薄い笑みを浮かべる。

「いっぱい頑張って、凄い輝いて欲しいな。その輝きを消す瞬間が……スッとお腹を開いて、ピンク色の……おっと。うふふ」

 幸せな妄想に浸っていたユウナは不意に前屈みになり、微妙な足取りで船を下りていった。

 

 

 

 敵がいない。敵を探せ。

 思考はただそれだけを繰り返す。

 先ほどまでモニターを埋め尽くしていた敵の姿を求め、トール・ケーニヒは灰色のモニターを見つめていた。その瞳は散大し、意思の光を宿しては居ない。ただ、敵の存在を求める一つの部品であるかの様に。

 ハッチが開かれて、暗いコクピットの中に光が差し込む。トールはその光にも反応しない。操縦桿を握る手は、敵の出現を警戒して、硬く握られたままだ。

「お兄ちゃん」

 コックピットの中に入ってきた何かが、軽く背伸びをしながらトールの唇にキスをした。

 柔らかな感触……誰かの声がトールの頭の中で響いた。

『好…………ール。……な時……ど……こん……だ…………せて。好き……ト………………時で……私……っと一緒……………………』

 みつからないからだのぶひんくろこげでばらばらになったほのおのなかできりさかれるわらっていたはしっておちてくるせんとうきが…………み……り……ぃ。

 声は苦痛の記憶を呼び覚ます。その記憶は、苦しみ無き忘却の彼方に消えたトールの自我を強制的に引き戻した。無から狂気の中へ。

 トールの無機質なその瞳に、僅かに意思の光が灯る。

 そしてトールは、キスをしてくれた少女に微笑みを向けた。

「ああ、ミリィ。どうしたの?」

 ミリィと呼ばれた少女、エルは寂しそうに微笑む。

「……お兄ちゃん、朝ご飯の時間だよ? 一緒に食べよう?」

 ヘリオポリス地下の秘密のシェルター。そこでトールは少しずつ壊れていく。

 壊れたトールは、新型試作MAミステール1のシミュレーターを動かし続けた。食事も、睡眠もとらなくなり、ただただモニターの中の敵機を破壊する事に集中する。それも肉体的消耗が激しい高G環境型シミュレーターでだ。

 おそらく、そのままであったならトールはすぐに死んだ事だろう。

 その命を繋いだのは、エルという少女だった。

 エルは、起きている間はずっと、トールがシミュレーターに入らない様に気を付け、食事と睡眠を取らせる様にした。

 しかし、エルが眠っている間に、トールはシミュレーターに入ってしまう。その度に、エルはシミュレーターを止め、今の様にしてトールをシミュレーターの外へと連れ出した。

 エルと一緒にいる間、トールは普通の暮らしが出来る。少なくともそう出来ているように見える。エルの事を、死んだ恋人のミリアリアだと思い込んでいる事以外は。

 エルがどんなに話しかけても、トールはエルではなくミリィを見て、ミリィに話している。自分がトールの前に居ない様で、エルは少し寂しかった。

 それでも、エルはトールと一緒にいようとする。そうしないとトールが死んでしまうから。そうなれば、本当に一人になってしまうから。

 このいつまで続くかもわからない、シェルターでの二人だけの生活を、出来るだけ長く送れる様に……エルは頑張っている。

 シミュレータールームから居間へと移り、二人は朝食に保存食を食べていた。

 と……エルが不意に箸を止め、トールに話しかける。

「……ねえ、お兄ちゃん」

「何、ミリィ?」

 食事を止めて、そう返したトールの前、エルはまた寂しそうな笑みを浮かべた。そして僅かに黙り込み、それから意を決した様に言葉を続ける。

「エルって呼んでくれないかな?」

「どうして? あだ名か何か? でも、俺にとってミリアリアはミリィだし」

 理解出来ない様子でトールは首をかしげた。ミリアリアのあだ名はミリィで良い。

「ああ、さては何かに影響されたんだろ? しょうがないな、ミリィがどうしてもって言うなら……」

「ううん、いいよ。やっぱり、呼んでくれなくて良い」

 エルは顔を伏せて、トールにそう返す。伏せられた顔の下、膝の上にポタポタと涙の滴が落ちた。

 ミリィをエルと呼ぶのではなく、エルをエルと呼んで欲しい。その思いはトールへは伝わらない。

「え? ミリィ、泣いて……」

 涙を見てトールは慌てふためいた。何故、エルが泣くのか、トールにはわからない。狂った心では、わかるはずもない。

「どうしたんだ、ミリィ? えと……ごめん、俺、何か言ったか? 泣いてちゃわかんないからさ」

 それでも、何とかしてあげたくて、トールは必死でエルに話しかける。しかし、その言葉はミリィに向けられた物だ。エルを傷つけている事に、トールは気付けない。

 救われない少女と、救えない少年。そんな二人だけの世界に、いきなり土足で踏み込む者が現れた。

「おや、女の子を泣かすなんて良い趣味をしてるじゃないか。良いよね、女の子が震えながら涙を落として命乞いする所とか。その後は、少し希望を見せてあげて、それから絶望に落っことすとまた……」

 エルの泣き声に割り込んだ喜悦混じりの声。居間のドアを開け放って、いきなり現れたユウナ・ロマ・セイランは、初対面の二人に遠慮無く話しかける。

「良いなぁ。僕も混ぜてくれないか? ああ、もちろん食事の方にね」

「……あんた誰だよ?」

 驚きに泣きやんだエルを背にかばいながらトールが言った言葉は、されて当たり前の質問であった。

 

 

 

 オーブ宇宙港。宇宙から降りてきたそのシャトルは、無事に滑走路に着陸した。

 ヘリオポリスから降りてきたシャトルにはマスコミがすかさず食いつき、何処で聞いて集まってきたのか民衆が取り囲んで罵詈雑言を浴びせるという様な展開が当たり前だったのだが、このシャトルにはそういった事は起きていない。

 かわりに黒塗りの高級車が一台止まっており、その横に一人、軍服姿の男が居る。

 シャトルのドアが開けられ、タラップが下ろされた。軍服姿の男……レドニル・キサカ一等陸佐は、すかさずタラップの下へ行き、直立不動の姿勢で待機する。

 すぐに一人の痩身の中年男がシャトルの中から姿を現した。彼は、眼鏡の奥の目を日差しの眩しさに細め、それからタラップを降りてくる。

「やあ、キサカ君。オーブの潮の匂いが混じった空気も、久しぶりに嗅ぐと良い物だね」

「プロフェッサー・カトー。ご無事で何よりです」

 タラップを降りきって親しげに声をかけてきたカトーに、キサカは敬礼で返す。それを受けてカトーは、苦笑いで答えた。

「無事だけど苦労したよぉー。宇宙はサハクの目があるからね。まくのに随分と遠回りをしてさ。シャトルの居心地は上々だったけど、何せ狭くてねぇ。風景も代わり映えしないだろう? 飽きちゃった。しばらくは宇宙はこりごりだね」

 そんな事を言いながらカトーは勝手に車を目指して歩いていく。キサカはそんなカトーを追い抜き、先に車につくと後部座席のドアを開けて中へ誘導した。

「ああ、ありがとう。悪いねキサカ君」

 カトーは導かれるまま車に乗り込み、座席に腰を下ろす。

 キサカはドアを閉めかけ、ふと気付いた様にその手を止め、カトーに聞いた。

「プロフェッサー、手荷物などはございませんか?」

「ああまあ、着の身着のままで逃げたからね。そうそう、荷物と言えば、アストレイはサハクの手に落ちた様だよ。とは言え、彼らに出来るのはそこまでだろうね」

 キサカに聞かれた事から話がそれて、カトーは何やら話を続ける。キサカは慌ててそれを遮った。

「プロフェッサー。ここでその様な話は……」

 人払いはしてあるが、防諜が万全の場所というわけでもない。あまり、不用意に発言をされては困る。

「あー、そうか。ごめんごめん。内緒だったね、アレ」

 カトーはペコペコ謝った後、自らの頭を指で突いて見せ、ニヤと笑った。

「重要な物は全てここにあるから大丈夫だよ」

「了解です」

 キサカはドアを閉め、それから自ら運転席に回りハンドルを握る。

「では、まいります」

 車は走り出した。宇宙港を抜け、何処かへ向けて……

 

 

 

「僕はユウナ・ロマ・セイラン。職業は自宅警備員だ」

 トール・ケーニヒとエルが住む秘密のシェルターに突然現れた男は、自分の事をそう紹介した。

 その自宅警備員様が何をしているかというと、居間のビデオデッキを駆使してビデオのコピーを大量生産している。何のビデオなのかはわからない。

「本当は、大学通ってたんだけど……“美味しそう”な娘がいてさ。僕は婚約者一筋なんだけど、ちょっと“浮気”しちゃってね。まあ、僕は浮気性みたいで、ちょいちょい“浮気”をしちゃうんだけど。いや、ともかく」

 ユウナは、訝しげな表情を浮かべているトールとエルを前に、作業の手の傍らペラペラと恋愛体験談を話していた。元は、自分の正体と何故ここにやってきたのかを話すはずだったのだが、すっかり話が変わってしまっている。

「夏期休講の一ヶ月を二人きりで過ごしたんだけど、楽しかったなぁ。特に彼女の“手”料理は最高だったよ。ピアニスト志望だっただけあって、なかなかに繊細でね。いつも二人で食事をしたな。美味しく料理を食べる僕を見る彼女の目は今も忘れられない」

 思い出しつつユウナは思わず舌なめずりをする。

 食事で大事なのは、料理の味ばかりではない。やはり食卓を共に囲む相手というのも重要だ。ただ、ずっと一緒にいたいという願いが叶わないのが少々問題だった。カガリとはずっと一緒に居る事に決めているので、同じ楽しみ方は出来ないだろう。

「彼女が無くなった時には、寂しくて涙が出たな。思い出と“彼女の欠片”を海に撒いて、それで僕の一夏の恋は終わったわけだけど……でも、その彼女の事でちょっと周りが騒がしくなってね。煩わしさを避けて、休学する事にしたんだ」

 その話を聞いたトールとエルの、ユウナと“恋人”は死別したんだなという理解は正しい。状況を正確に把握している訳ではないが、結論としては。

 ともあれ、ユウナはそれを良い思い出であるかの様に語った。それからユウナは、最後に肝心な所を全部飛ばして締めにする。

「次の恋と婚約者への愛を思いながら実家を守っていたら、今回のヘリオポリスの事件があってね。で、暇をしているならって事で、父に命じられて、僕はここに来たと」

「……あんた、本当に誰で、何しに来たんですか?」

 トールが訝しげな表情を崩さずに聞く。何せ、ユウナはまだ名前以外に何も言っていないに等しい。

 そんなトールの問いにユウナは作業の手を止め、苦笑を浮かべて答えた。

「セイランの名を出した時に気付いて欲しかったなぁ。ほら、氏族のセイランだよ。僕はそこの不肖の息子」

 エルが、セイランと繰り返されたのを聞いて思い出す。

「あ……パパの偉い人?」

「パパ?」

「あの……」

 問い返したユウナに、エルは自分の父親がヘリオポリスの行政官だった事を説明した。

 エルの父親であるヘリオポリス行政官が所属した政治派閥はセイラン派であり、つまりセイランは父親が仕えた人物だと言う事となる。

「そうか、行政官殿の……そう言えば、エルちゃんには昔、会った事があるね。ずっと小さい頃だから憶えてないかもしれないけど……セイラン派閥の集会にご両親と一緒に来ていた君は、妖精の様に可愛らしかったよ。僕は憶えている……」

 クスクスと笑いを混ぜながら記憶の中から過去を掘り出したユウナは、エルを嘗め回す様に見つめる。あの時は、ちょっと手を出そうか迷ったものだ……

 何となくその視線に嫌な物を感じて、エルはトールの背後に隠れた。それを見てユウナは、表情を変えて朗らかに笑って見せる。

「恥ずかしがり屋さんだなぁ。大丈夫だよ。僕は婚約者一筋だからね」

 先ほど、ちょいちょい浮気をすると言った人物の台詞ではない。

「まあともかく僕がセイランである以上、このシェルターの間借り人としての資格はあるってわけさ。ここなら、ホテル代が浮くしね。それより、君達の事を教えてくれないか? なぜ、君達は二人きりでここにいるんだい? 特に……君」

 ユウナはトールを指差す。エルは、行政官の娘という事で、ここにいる理由は理解出来た。しかし、トールの事はまだ何も聞いていない。

「ああ、俺はトール・ケーニヒ。カレッジの学生で……」

 トールは自分の事と、何故ここにいるかの説明を始めた。それには、あの惨劇の日の事を語らなければならなくなる。

 アスハの演説。市街で始まった戦闘。そして戦闘の中に渦巻いた人々の狂気……

「……そうして、俺は父を殺した」

 呟く様に言ってから、トールは黙り込んだ。

 狂気に囚われた父親を殺した事……やはり、その事を口に出すのは辛い。もっとも、まだ口に出せる程には軽い出来事であったのだとも言えるのだが。

「……続けて」

 ユウナは内心ではこの生々しい証言を喜んでいたが、それを隠して先を促した。

 トールは頭を振って、父の死に様を頭の中から追い出し、話を続ける。

「街を脱出した俺とミリィは、壊れた車を見つけて……中にミリィと彼女のお母さんが居て……」

 それでどうなった?

 ミリィは車の中にいて、でもミリィは一緒にいて医者を呼びに、車の中のミリィのお母さんを救う為に、でもミリィのお母さんはMSに轢かれて磨り潰されて……ミリィは……ミリィが……

 記憶が錯綜する。

「あれ? 思い出せないな」

 トールは表情の全く消えた顔で呟く。

「でも、気がついたら、このシェルターに向かっていたんだ。ミリィと二人で」

「へぇ……ミリィねぇ?」

 ユウナは、トールの説明がおかしい事に気付いていた。ミリィという少女とエルが、トールの中で混じり合っている。

 問いつめてみても良かったのだが、トールの様子から狂気の匂いを感じたユウナは、敢えてその事に触れるのは避けた。

「エルちゃんの話も聞いてみようかな。いや、ミリィちゃんだっけ?」

「ミリアリア・ハウです」

 トールは、ユウナが親しげにミリィと言った事が気に障って、少し強い口調で彼女の名を訂正する。

「うんうん、良い名前だ。でも……」

 本当の名前じゃあない。

 ユウナは、トールの軽い嫉妬混じりの言葉を聞き流しながら言いかけた台詞を途中で切った。エルが、名前の事が話題になった途端に、辛そうな表情を浮かべたからだ。

 話題を続けて、その表情をたっぷり楽しみたいという欲求はあったが、それで話が進むとも思えなかったので諦める。

 そして、情報を整理すべく少し考えた。

 何があったのかは知らないが、トールにとってエルは、ミリアリア・ハウという少女の代わりになってしまっているのだろう。

 そして、こんな状況だ。エルの方は、ただ一人の同行者であるトールに頼らざるを得なかった。例え、自分に他の人間を重ねて見られていたとしても。

 その辺りの細かい事情は、エルの話を聞けばわかるだろう。

 ただ、エルとしての話を聞くには、エルをミリィだと思っているトールの存在は邪魔になりそうだった。

 エルの話は、エルがミリィではない事実に基づくだろう。トールはそれを理解する事を拒むだろうから、恐らくはトールの中だけの真実に基づいて口を挟んでくる。事によっては話を止める為に実力行使をするかもしれない。

 エルに話を聞くなら、トールが居ない時が良いだろう。きっとその内、チャンスはあるはずだ。そう判断してユウナは、話の流れを変える為に冗談めかして言った。

「トール君には焼き餅を焼かれてしまったみたいだね。こりゃあ、お邪魔虫はあまり余計な事はしない方が良いかな」

「え? いや、そんなつもりじゃ!」

 トールは慌てふためきつつ照れている。この反応だけなら、思春期の少年そのままの微笑ましさだ。背後には、狂気に犯された本質があるにしても。

 ユウナはそんなトールに笑う。これは随分と面白い物を見つけたものだと、内心で喜びつつ。

 ユウナのその笑みを見て、エルは強い不安が沸き起こるのを感じていた。

 それは、少女の勘だったのかも知れない。エルにはユウナが、自分とトールを再びあの地獄の様な戦場に連れて行く存在のように思えたのだ。

 

 

 

 次の朝、エルは一人、ベッドの中で目覚めた。隣のベッドに寝ていた筈のトールの姿は無い。これはいつもの事だ。

 エルは起き出してすぐ、身支度も調えずパジャマのままスリッパをつっかけて部屋を出た。着替えなどは、トールを“起こして”からでも出来る。

 ただ、途中で洗面所によって歯を磨く事は忘れなかった。トールが気にするとも思えないのだが、やっぱりエル自身が恥ずかしいかなと思うので。

 エルはその後にシミュレータールームへと向かう。トールはそこでシミュレーターを動かしているはずだった。それをエルが止めて、それから二人の一日が始まる。

 それがいつもの事。しかし、今日は違った。

 シミュレータールームの扉が開いた直後、エルの耳に大きな音が飛び込んでくる。

 砲声と爆発音の入り交じる暴力的な音。そして、その音の中から、一つの声が届く。

「おはよう、エルちゃん」

 シミュレータールームの中、コントロール卓に座るユウナ。彼の前にある大型モニターが映像を映し出しており、エルが聞いた音はその映像に合わせて発生していた。

「これを見た事はあるかな?」

 ユウナは、入り口で足を止めて不安げな表情を浮かべるエルにモニターを指し示す。

 コントロール卓を弄った事はないので、モニターが映っているのを見るのは初めてだ。

 モニターに映し出されていたのは宇宙だった。そして、星の海を飛ぶ、鋼の蜘蛛の如き試作型ザクレロ・ミステール1。その姿は、格納庫で見た物と同じ。

「トール君だよ」

 ユウナはモニターを見つめて薄く笑う。

 モニターの中でミステール1は戦いを続けていた。

 MSジンの放つ銃弾を装甲ではじきながら高速で宙を突き進み、擦れ違いざまにヒートサイズでジンの胴を薙ぐ。直後に放ったビームが、ミステール1を狙撃しようとしていたもう一機のジンを貫き、火球に変えた。そしてミステール1は、加速してその場を離れていく。

 目標は、眼前に浮かぶZAFTのナスカ級。ミステール1は、対空砲火を受けて装甲表面に火花を上げながら高速接近し、艦の直前で対艦ミサイル四発を放った。迎撃しようも無い距離で放たれたミサイルは、次々に艦に突き刺さって爆発する。

「おっと、ナスカ級じゃあトール君に失礼だったか」

 ユウナは言いながら、手元のコンソールを弄くる。

「じゃあ、これはどうかな? オーブの最新鋭艦だ」

 オーブ軍イズモ級宇宙戦艦が、撃沈されたナスカ級の向こうに現れた。直後、猛烈な砲撃と迎撃のMAメビウスの群れがミステール1に襲いかかる。

「お兄ちゃん!?」

 エルは思わず悲鳴の様な声を上げた。そんなエルに、ユウナの笑み混じりの声がかけられる。

「大丈夫だよ。これは現実じゃない」

「お兄ちゃんに意地悪しないで!」

 ユウナを睨み付け、エルは言った。ユウナはエルのその怒りを、笑顔で受け流す。

「意地悪じゃないさ。それより……ちょうど良いや。君からも話を聞こうと思っていたんだ。トール君の居ない所でね」

「え?」

 トールの居ない所でと言われ、エルは戸惑い、怯えて後ずさった。ユウナは、悪意のない事を示す為に両腕を大きく開いてみせる。

「何もしないよ。今はね。ともかく……トール君から事情を聞いたけど、エルちゃんに遇った辺りから彼の記憶が歪んでいるね? 君をミリィと呼んでいるのもおかしい。違うかい?」

 ユウナに問われ、エルは少しの沈黙の後に頷いく、そのまま口をつぐんだ。

「事情を聞かせてくれないかな? トール君は普通の状態じゃない。このままにしてはおけないだろう?」

 利用するにせよ排除するにせよ。そう続く所をユウナは敢えて言わなかった。

 助けるとか治療するとかいった考えはない。しかし、ユウナの台詞に、エルはそれを期待したのだろう。

 だから、エルは重い口を開いた。

「お兄ちゃんは……ミリィって言う人を殺されちゃったの」

 そしてエルは、トールを襲った悲劇と、エルとエルの母親に起こった出来事を語り出す。

「……あの日、家でママが私を呼んだの。パパの所に行くって」

 

 

 

 あの日……エルは自宅の居間のソファに身体を預け、テレビのリモコンを片手にチャンネルを回していた。楽しみにしていたアニメが入らないかと思ったのだが、どの局も同じ映像しか流していない。

『みんな、本当に大事なものが何かを考えて欲しい!

 オーブの理念が失われようとしてる今、私達は何をすべきなのか。

 このまま、オーブの崇高な理念が失われるのを見ていて良いのか!

 心あるオーブ国民のみんな、私達と共に戦おう! オーブの理念を守る為に!』

 テレビの中、カガリ・ユラ・アスハが強い言葉で訴えかける。エルはそれに興味を持てず、退屈さに溜息をついていた。

 そんなエルとは裏腹に、家の中は騒がしい。母親や使用人達が、かなり慌ただしい様子で家の中を歩き回っており、時折、電話をしては声を荒げている。

 そんな状況ではあったが、最初のMS襲撃があった後の事であり、一時とはいえシェルターに逃げ込むなどの騒ぎがあった後なので、騒がしいのも仕方がないとエルは思っていた。むしろ、それを理由に仕事から帰って来られない父親の方を心配していた。

「エル……」

 身体を揺すられ、エルは目を覚ます。ソファの上で、少し眠っていたらしい。

 目の前に母親が居た。泣いた様に目を赤くした彼女は、エルをソファから立たせながら言った。

「あのね……今から一緒に出かけるの」

「? 何処に?」

 問い返すエルに、母親はエルのお気に入りのリュックを背負わせながら答える。

「パパが作った秘密の場所よ。ほら、地図もあるわ。エルのリュックに入れておくからね? もし私に……ううん、一緒に行きましょうね」

 そう言って、母親は最後に首を横に振って自分の言葉を打ち消した。そして、一枚の紙をエルのリュックに入れる。

 リュックは何が入っているのか、かなり重い。エルは後で知った事だが、リュックにはディスクがたくさん入っていた。

「ねえ、秘密の場所にはパパも来る?」

「!」

 エルの無邪気な問いに、母親の表情が強張る。そして、その両目に涙の滴が浮かんだ。

「……ええ、そうね。パパも待っているわ」

 言いながら、母親はエルを抱きしめる。エルは……何となく、父親に何かあったのだと悟った。

「ママ? パパに……」

「奥様! お嬢様! お急ぎください!」

 問いを重ねようとしたエルだったが、それは部屋に踏み込んできた老執事の声によって妨げられる。

「来ました。連中は、奥様やお嬢様までも手にかけるつもりです。お嬢様、失礼」

 老執事は、そう言いながらエルの身体を抱き上げ、足早に歩き始める。母親はその後について歩き出し、流れた涙を指で拭き取った。

 三人は家のガレージへと向かう。普段、外出の時は家の入り口まで車を回してもらうのだが、今日はそうではないらしい。それに、ガレージには車があったが、運転手の姿が無かった。

 老執事はそこでエルを下ろし、先に立って車のドアをあける。

「どうぞ」

「……貴方は?」

 車を前に、母親が聞いた。それに答え、老執事は笑う。

「別に逃げさせていただきます。ご安心を」

「……」

 老執事の言葉に、母親は何かを悟ったのか沈黙し、ゆっくりと首を横に振った。

 そんな母親に、老執事は笑顔で別れを告げる。

「奥様には、御本家の頃からお仕えさせて頂きました。今思い返してみれば、こんな老爺にはもったいない、本当に充実した日々でした。残念ですが……これにて、お暇を頂きます。さあ、奥様、お急ぎください」

「……ごめんなさい。ありがとう」

 母親は俯きながらそう言って、逃げる様に車の運転席へと乗り込んだ。

 エルはそんな母親と老執事のやりとりを黙って見ていたが、母親が車に乗ったのを見て、自分も助手席へ乗り込む。

 老執事は、運転席と助手席のドアを閉めて回り、それから深々と頭を下げた。

「行ってらっしゃいませ」

「いってきまーす!」

 いつもの様に、エルは出立の挨拶をする。

 走り出す車を、老執事はいつになく晴れやかな笑顔で見送っていた。

 車はガレージから出て庭を駆け抜け、正門ではなく裏門へと向かう。そして、車が門をくぐって屋敷の外へと出た時……タタタタンと言う弾ける様な連続した音が、屋敷の方で鳴ったのをエルは聞いた。

 母親が身を強張らせ、アクセルを踏み込む。車は加速し、街の郊外へと向かって走り始めた。だが……その背後に一台の車が迫ってきたのは、まだ走り出してからそう時間の経たぬ内の事だった。

 それは、軍用エレカ。高機動車というオフロード車に似たタイプの物で、屋根の上に軽機関銃が設置されており、屋根に空いた穴から身を乗り出した男がそれを構えている。軽機関銃は、エルと母親の乗る車に向けられていた。

 母親は、それに気付いてすぐに車を加速させる。しかし、軍用エレカは全く遅れずについてくる。

 その時のエルは、母親の強張った表情と、背後にぴったりと付けてくる軍用エレカの関係はわからなかったが、何か怖い事になっているのだとは悟り、助手席で震えていた。

 やがて、車は街を出る。この先は開発地域とやらで、何もない平原や森が続き、外壁に当たるまでは何の施設もない。

 車は、郊外の森の側を抜けていく。と、そこに来た時、エルはふと窓の外を見上げた。

 空から下りてくる人……MSジンの姿が見える。

 直後、背後から、先ほど屋敷を出る時に聞いたのと同じ連続音が響き、車がいきなりスピンを始めた。エルは助手席にシートベルトで留められたまま振り回される。

 ――僅かな時間、エルは気を失っていた。

 目覚めたエルは、まっさきに母親がいる運転席を見る。母親は……右肩を鮮血に染め、ハンドルにもたれる様に身体を倒していた――

 

 

 

 過去を話すエルは、堪えきれぬ涙を滴にして落としていた。

 トールとミリアリアとの出会い。母親の死。そして、対MS用ホバークラフトの墜落とそれによるミリアリアの死。それ以降、エルの事をミリィと呼ぶ様になったトール。

 シェルターに逃げ込み、そしてそこで出会ったMA。シミュレーターの虜になり、エルが呼び戻さなければずっと戦い続けるトールとの生活。

 それが、エルの体験した全てだ。

「……辛い話をさせたね」

 内心、最高のジョークを聞いた様な浮き立つ気分が湧いていたが、ユウナはそれをおくびにも出さず、エルに優しく言ってやる事に成功した。そっと指先で涙を拭いてあげる仕草など、実に絵になった事だろう。

「そうだ、君のママが持たせてくれたディスク……後で見せてくれないかな? きっと、大事な物が入っていると思うんだ」

 言われて、エルは素直に頷いた。

 ユウナが思うに、セイラン派にとって隠蔽したいが消す事は出来ない何かしらの資料か、今回の事件の裏事情の記録か何かだろう。何にせよ、回収しておく必要がある。

「ありがとう。じゃあ、トール君のシミュレーションも終わった様だし、みんなでご飯にしようか。トール君を呼んできて欲しいな」

 それからユウナはそう言って、シミュレーターのコックピットを開放する操作を行う。

 シミュレーションは既に終了していた。連戦であったが為、さすがにイズモ級とその麾下のMA隊を撃破する事は出来なかったか、ミステール1はモニターの中で撃破された瞬間のまま停止している。

 どうも、メビウスの編隊から対艦ミサイルの飽和射撃を受けたらしく、全身を爆炎に包まれていた。さしもの怪物も、数十倍という数の差の前には苦戦するらしい。それとも、トールがまだミステール1の真価を発揮出来ていないだけか……?

 ともあれ、トールの方はまだシミュレーターを続けるつもりの様で、先ほどからコンティニューを選択し続けている。

 だが、それはユウナが止めていた。

 幾ら何でも身体に負担がかかるシミュレーターをやりすぎだと感じたし、ユウナもそろそろ朝ご飯を食べたかったのだ。

 シミュレーターのアームに振り回されていたコックピットが停止して、ハッチが開く。それを見て、エルは小走りにトールの元へと向かった。

 コックピットに身体を入れて何事かをしているエルを見ながら、ユウナは僅かに口元に笑みを乗せる。

 ユウナは、トールとエルの話を聞いて理解していた。地獄と化したコロニーを逃げまどい、幾多の死に関わった果て、恋人の死によって心を壊したトール。そして、エルの事を。

 エルの母親は、暴徒に襲われたのではなく、軍に襲われたのだろう。

 恐らくは父親である行政官も、同じく粛正の対象となっている筈だ。カガリの“公式発表”では、戦いを前にして逃げた事になっているが、何処にも逃げ場のないコロニーから何処に逃げるというのか? また、逃げるとしても妻子を置いて逃げるものか?

 彼らが消された理由は、恐らく「オーブの理念に反する」という理由。ただ、それは現場の人間に与えられた大義名分であり、本当の理由はカガリの演説とその後の武装蜂起を阻止される事を事前に防ぐ為だろう。

「しかし、酷いなぁ」

 ユウナの口から呟きが漏れる。

 最後の対MS用ホバークラフトの墜落の下りがエルの証言通りだとするなら、彼らは意図して避難民の真上に墜落したという事になる。

 その理由もまた、恐らくは「オーブの理念に反する」というものだろう。今のオーブで叫ばれているオーブの理念に対する観点に立てば有り得るし、逆にそれ以外で避難民を殺す理由は思いつかない。

 なるほど、彼らはオーブの理念に殉じた英雄というわけだ。ユウナ自身。自分がサイコパスである自覚はあるが、それでもそこまで狂っていない自信がある。

 ユウナが、見つからない様に色々と気配りして、やっと一人ずつ殺してると言うのに、彼らは堂々と数十人数百人を殺してみせた。しかも、ユウナは見つかれば縛り首だが、彼らは英雄としてもてはやされている。

「本当、酷い不公平だ。あやかりたいねぇ」

 ユウナは喉の奥で笑い、そうなった時に自分が楽しめるかどうかに思いをはせた。

 国民の前で、ユウナは賞賛を一身に浴びながら、全てを失って絶望に沈むカガリに緩慢な死を与える。そして、その死体を保存し、ユウナという一人の英雄を讃えた永遠のオブジェとするのだ。全国民がカガリの死体を侮蔑する中、ユウナだけがそれを愛し続ける。

「……おっと」

 その想像に熱い物がムクムクと頭をもたげてきた感触を感じ、ユウナは少し前屈みになりながら想像する事を止めた。

 トイレで発散出来る程度ならまだ良いが、ここで堪えきれなくなると少々困る。ここにいる二人は、ユウナにとって重要な存在となりそうなのだから。

 シミュレーターの中から出てくるトール、彼を気遣うエル。ユウナは、このシェルターには寝床と作業場を求めて来ただけだったのだが、思いもかけない拾い物をしたらしい。

「狂気に囚われた少年と、正義の名の下に父母を奪われた少女……か」

 ああ、随分と楽しめそうじゃないか。ユウナは内心に沸き立つ物を感じていた。

 

 

 

 ヘリオポリス市街。ZAFTの襲撃から二週間が経った今でも、戦場となった市街には戦いの傷跡が深く残されていた。

 弾痕の刻まれた建物や焼け焦げた建物が未だ残り、崩壊していくままに放置されている。

 死体などは、人々の回収作業により見える範囲では全て回収されていた。だが、未だに見つけられず、埋もれている死体も多いと推測される。

 建物から出た瓦礫や戦闘に巻き込まれて破壊された車などのゴミは車道からどけられ、かつて歩道だった部分に積み上げられていた。

 道は狭くなったが、何一つ問題はない。今のヘリオポリスを歩く人はほとんど居ないし、走る車も緊急車両以外は見かける事もないからだ。

 ZAFTが出した治安維持の為の外出禁止令は解かれていたが、外へ出ても商店も職場も開いていないので何もする事がない。ゆえに誰も家の外に出ようとはしない。

 数日前までは復興に向けた動きがあり、アルバイトやボランティアとして参加した人も多く、破壊された市街にもそれなりに活気があった。

 また、商店などは営業再開に向けて働き始めていたし、企業でも瓦礫の中から書類を掘り起こしてでも仕事を再開しようと努力していた。

 失われた物への悲しみを振り切り、破壊されたヘリオポリスを元に戻そうという熱意がそこには見られた。

 しかし今、人々は重苦しい諦観に沈んでいる。

 『オーブ本国が、ヘリオポリス市民を断罪しようとしている』この事実が伝わってしまったのだ。自分達にオーブ国民としての未来がない事を知った人々からは復興の熱意は完全に消えてしまった。

 それは、ヘリオポリス市庁がオーブ本国との超長距離通信を復旧させた頃から、通信技術者とその上司、さらにその通信によって得た情報を渡された議員達、そういった人々から少しずつ漏れ出ていた情報ではあった。

 しかし、それはまだ一部の人々以外には噂の段階でしかなかったのだ。

 状況を決定的にしたのは、オーブ本国での放送を収めたビデオ。

 今のヘリオポリスでは視聴出来ない本国の放送である以上、外部から持ち込まれた物である事は確実である。極僅かな人数であるがオーブ本国から自主的にやってきた、復興支援スタッフの誰かが持ち込んだのだろう。それも意図的に。

 ビデオはヘリオポリスにある民放テレビ局へと送りつけられた。また、市街のあちこちで、何者かがビデオを置いて回ってもいる。

 全ての情報を隠す事が出来なくなり、ヘリオポリス市庁は本国との通信によって得られた情報を含めて全てを公開した。

 すなわち……ヘリオポリス市民には最早未来を生きる事は許されていないのだという事を。

 

 

 

 オーブ本国。その日、プラントより、ヘリオポリス襲撃事件とオーブの中立違反に対する交渉が持ちかけられた。

 オーブに突きつけられた条件は以下の通り。

 

・中立違反に関わる連合加盟国と取り交わした約定や協力内容等の情報開示

・連合加盟国との協力関係の即時停止

・上二件の遂行を確認する為の査察団の受け入れ

・中立違反に対する賠償金の支払い

・ヘリオポリスの領土割譲

・ヘリオポリスに現住する全オーブ国民の移住

 

 以上を受け入れれば、オーブの中立の維持を認める。ぬるい条件だった。

 これは、この機にオーブが連合軍として参戦してしまう事を恐れた為だろう。

 オーブは、ZAFTにとって重要な地上拠点であるカーペンタリア基地への格好の橋頭堡となりえるし、宇宙に軍を上げる為に必要なマスドライバーを有してもいるからだ。

 幾ばくかの賠償金を取り立て、何人かのスタッフを送り込んで中立を維持させれば、プラントとしては十分に利益が出る。オーブにはコーディネーターも多いので、同族殺しを嫌った事もあるかも知れない。

 オーブとしては、中立維持の為に連合を売る事に躊躇はない。情報開示と協力関係の停止は喜んでやるだろう。査察団の受け入れも大した問題ではあるまい。

 問題は別にあった。それは、ヘリオポリス自体だ。その事で、オーブ国会は紛糾した。

「『他国の侵略を許さず』オーブの理念をお忘れか? ヘリオポリスはオーブ領だ。プラントによる占領を許してはならない!」

 議員の多数を占めるアスハ派議員が声を上げる。それに対して噛みついたのは、別のアスハ派議員だった。

「占領!? ヘリオポリスは未だ継戦中だ。オーブは、他国の侵略を許さない」

「では、オーブとプラントは戦争中か? ならば、中立違反の賠償を支払う意味は何処にある?」

 アスハ派議員及びそれに従う氏族の派閥の議員達が声を上げ合っている。他の派閥の議員には、発言の機会すら与えられない。発言を行おうとする議員の挙手に、議長は無視を決め込んでいる。

「プラントに、ヘリオポリスの無償での即時返還を求めよう。それが、オーブの理念的に正しい対応というものだ!」

「それを聞き入れる理由がプラントにあるのか!」

 痺れを切らした他派閥の議員が、席を立って声を荒げた。議長がその議員を咎めるが、その議員は言葉を並べ続ける。

「プラントに賠償金なりを払ってヘリオポリスの返還交渉を行うべきだ!」

「賠償金を支払うという事は、プラントの侵略行為とその結果によりヘリオポリスが奪われ、プラントの物となったと認める事だ。侵略を許した事になる!」

 そうだそうだと、議場を割れんばかりの賛同の声が埋め尽くす。

 その勢いに黙り込み、発言していた他派閥の議員は、憮然とした表情でそのまま議場から出て行った。その後に、何人もの議員が続いて出て行く。正直、馬鹿らしくて議論を続ける気にもならなかったのだろう……どうせ、何を言っても無駄なのだ。

 他派閥の議員の多くが消え、アスハ派を中心とする主流派と呼ぶべき議員だけが残り、邪魔は居なくなったとばかりに議論は弾んだ。主に、オーブの理念を守る為にはどうするかという方向で。

 許されるなら、尻尾を振って見せてでも、中立国としての座に戻りたいのがオーブの隠す事なき本心だ。しかし、ヘリオポリスの存在が、プラントとの対立を自国の戦争としてしまう。

 オーブの理念『他国の侵略を許さず』により、ヘリオポリスへの侵略を許すわけにはいかない。侵略を許す事になるプラントへの領土割譲などもってのほか、プラントと戦ってでも奪い返すより他に道はないのだ。

 しかし、オーブより遙かに強大な連合軍が苦戦するプラントを相手に、オーブ軍の勝算は無いに等しい。

 連合軍に参加して助力を得るという手段も、『他国の争いに介入しない』というオーブの理念によって使えない。

 今となっては、ヘリオポリスはオーブにとって厄介物だった。

 もし、ヘリオポリス襲撃時に、ヘリオポリス自体が破壊されていればこの様な事はなかっただろう。

 失われた地を取り戻す事は出来ない。対応は賠償問題とならざるを得ないのだ。それならば、中立違反との相殺を計る事も出来ただろう。賠償をプラントが拒否しても、『他国の侵略を許さず』と拳を上げつつ地道に賠償を求めていくというパフォーマンスが出来た。

 しかし、ヘリオポリスは存在している。

「ヘリオポリスさえ無くなれば問題は無くなるのですよ!」

 誰かがそう叫んだ事に、議場は大いに喝采した。

 とはいえ、それで何か決まるわけではない。結局、プラントに対する返答に猶予はまだある事から、この議論は持ち越しとなった。

「……くだらないな」

 議場を去ることなく、一人の観客として眺めていたウナト・エマ・セイランは呟く。

 どうして、現実に即した対応が出来ないのか? むしろ、現実をオーブの理念にあわせて曲げようとするのは何故なのか? 問いたいが、問うても答えは返らないだろう。答えではなく、オーブの理念のお題目が飛んでくるだけだ。

 ウナトは呆れながら、酷い議論の飛び交う議場を見渡した。その中、ウズミ・ナラ・アスハの渋面を見つけて、ウナトは意図せず眉を寄せる。

 どうやら、この議論はアスハ派が中心となってはいるが、ウズミが中心という訳ではないらしい。アスハ派の中で派閥の分裂でも起こっているのだろうか? では、ウズミに対立する、もう一派は何なのか……カガリを担ぎ上げている者達なのは確実だが。

 ウナトが考え込んでいる間に議題は次に移っていた。

 次に議題にかけられたのは、現在ヘリオポリスに住む市民への対応。プラントからの要請にもあった「ヘリオポリスに現住する全オーブ国民の移住」の件だ。

 しかしこれは、プラントからの要請とは関係なく議論される事になる。

「次に……ヘリオポリスの反逆者の件です」

 議場がざわついた。

 平然としている議員が多い様だが、驚いたり不快げにしたりしている議員も少数だが居る。ざわめきは、後者が起こしたものだ。

 それら後者の議員はウズミを中心に座っている。彼らは生粋のウズミ派という事だろう。

 しかし、その数は少ない。恐らくは、個人的にもウズミと親しい者……つまり、ウズミの思想を直接知る者だけなのだろう。

 それ以外の者達は、オーブの理念を守る事こそを重要と考えているという事だ。

「ヘリオポリスでは、軍民問わず決死の抵抗運動が行われた事は周知の通りです。しかし一方で、恥ずべき事ながらオーブの理念を守るという国是に従わず、ヘリオポリスを明け渡した者達が居る事もまた事実です」

 議題を述べた議員が、議場のざわめきを無視して言葉を並べる。

「彼らオーブの理念への反逆者は、未だヘリオポリスで罪に問われる事無く、生き延びています。これは、命を賭して戦ったヘリオポリスの真の国民達への裏切りでもあり、決して許されない事です」

 その議員は言葉を止め、改めてはっきりと言い放つ。

「全ヘリオポリス市民を逮捕拘束し、オーブ本国へ移送。厳正なる司法の場で裁きを行う事を提案します」

 言い終えるや、あらかじめ決められていたかの様に拍手喝采が巻き起こる。誰もが賛同している様だ。

「……なるほど、生け贄が欲しいか」

 唸る様にウナトは言った。

 ヘリオポリス市民の抹殺に等しい行為を行う意図は、恐らくは単純な事だ。

 見せしめと、自らの正当性の宣伝。

 つまり、オーブの理念にさほど熱心ではない者には、オーブの理念を守らなければヘリオポリス市民同様に扱われるのだという恫喝となる。

 一方、オーブの理念を守らない事を犯罪として裁く事によって、自分達、オーブの理念を第一に掲げる者達を法に認められた正義と印象づける効果もある。

 なるほど、素晴らしく効果的だ。しかも、今の流れならば、それは正義の行いとして讃えられる事だろう。

 ウナトは吐き気を覚え、席を立つ。これ以上、愚劇を見続けるのは苦痛以外の何物でもない。

 去り際にウナトは、ウズミの席に目をやった。

 ウズミは苦悩しているかの様に両手で頭を抱え込み、じっと何かを考えている。

 やはり、この流れはウズミが作った物ではないのだろう。ウズミが糸を引いていたのなら、彼はもっと堂々とし、さらには事態の前面に立っているはずだ。彼の娘のカガリが、今まさにそうしているように。

 ウズミとは一度会って、腹を割った話をしてみるべきかもしれない。今の流れを何処かで変えないと、自分にとってもウズミにとっても望まぬ結果に導かれるだろう。

 ウナトは、ウズミと会見の機会を得る事に決めた。

 そうしてウナトが去った後、その日の議会は「残留するヘリオポリス市民の即時回収」「その為のオーブ宇宙軍の派遣」を決定して終了する。

 それは、戦地にある国民を保護するという名目ではなく、外患援助の罪を犯した犯罪者の逮捕という側面に重きが置かれていた。

 

 

 

 ウナトは自らの屋敷の隠し部屋に入り、そこに置かれた超長距離通信機の前に座って、へリオポリスにいるユウナに連絡を取っていた。

 通信は連合の衛星を介して厳重に秘匿しており、オーブの他氏族に漏れる心配はない。情報をやりとりする以上、それだけの用心をする必要があるとウナトは判断していた。

「……と言うわけだ。そちらに、市民を逮捕すべくオーブ軍が派遣される」

『へぇ~? なりふり構わないものだねぇ』

 へリオポリスのシェルターの中に用意された通信室にいるユウナが、ウナトの連絡にニヤつきながら答える。そんなユウナに、ウナトは任務を任せた事への若干の不安を感じながらも、質問を返した。

「お前の方の首尾はどうだ?」

『MAとシェルターは確保したよ。色々と情報も仕入れた。やっぱり、行政官殿は降伏の準備をしていて……オーブ軍に抹殺されたらしいね』

「ほう? それが明らかになれば……」

 ユウナの返事に、ウナトは興味を持って身を乗り出す。しかし、ユウナは肩をすくめて首を横に振って見せた。

『残念、この情報は、オーブ本国では意味がないよ。オーブの理念という大義名分の前じゃあね。売国奴は皆殺しって雰囲気でしょ?』

「むぅ……」

 ユウナの言うとおりなので、ウナトは呻いて黙り込む。

 行政官が謀殺されたと発表しても、その理由がヘリオポリスの降伏工作を進めていた事だと言われれば、行政官が一方的に悪にされかねない。

 へリオポリスでの情報収集にはウナトも期待していたのだが、そう簡単には都合の良い展開にはならないようだ。

「まあ良い。MAを回収出来ただけでも成功だ。お前は、MAをシャトルに積んで脱出しろ。オーブ軍が来る前にな」

『ああ……その事だけどね』

 ユウナは、まるで今思いついたのだとばかりに軽く言い放つ。

『連合軍とのコネを紹介してくれないかな? 政治にも関われるような、出来るだけ偉い人が良いや』

「な!? 何を言ってるんだ?」

 突然の申し出に戸惑うウナトに、ユウナはまるで何でもない事の様に言う。

『んー、へリオポリスの住人が反逆者だって言うなら、もっと本格的に反逆者にしてやろうかと思ってね。父さんもほら、無実の市民が麦みたいに首を刈り取られる所なんて見たくないでしょう? だったら協力してよ』

「それは……だが、お前は何を望んでいるんだ?」

 ウナトが、確実に賜れるだろう市民の死を避けたいのは事実だ。

 しかし、それを避ける為に何をしようと言うのか? 背筋に寒い物を感じつつ、ウナトはユウナに聞く。今は、息子である筈のユウナが全く理解出来ない。

 ユウナは、実に晴れやかに笑う。

「僕が望むのは、カガリだけだよ」

 ユウナは笑っていたが、その目だけは暗い光を宿していた。

 

 

 

 ユウナ・ロマ・セイランは、ヘリオポリスのシェルターの通信室で、オーブ本国の父ウナト・エマ・セイランと超長距離通信を交わしていた。

 話は、ヘリオポリス市民収容の為の部隊がアメノミハシラから発進したという事。

 聞き終えてユウナは、苦笑混じりに言った。

「急いだんだね。もっとぐずぐずすると思ったけど」

『連合軍第8艦隊が、ヘリオポリスに向けて進軍中だ。ヘリオポリスが主戦場になる可能性もある。それに巻き込まれる事を恐れたのだろう』

 ウナトは、彼なりに掴んだ情報からの推測を述べる。

 第8艦隊の動きは、地上からも観測出来る。オーブ軍がその動きを知らない筈がない。

 そして、連合製MSがヘリオポリスでZAFTに奪われている事を知る者ならば、第8艦隊の目的が連合製MSの奪還だと想像する事は容易い。となれば、第8艦隊がヘリオポリスに攻撃をかける可能性は予測出来る。

 連合ZAFT両軍が戦う中、市民の逮捕などという作業が出来るはずもない。ヘリオポリス自体が戦闘に巻き込まれて破壊されてしまう事も有り得る。

 そんな状況である事を考慮すれば、戦闘が始まる前に全て終わらせてしまおうとするのは当然の結論だ。

「なるほど……で、急遽用意したのがネルソン級一隻分の戦力に、コロニー建設の時の大型輸送船と」

 呟く様に言ってからユウナは、ウナトに別の問いを向ける。

「わからないな。どうしてそんな大型輸送船を使うんだろうね?」

『ヘリオポリス市民を収容する為だろう。確かに、あれならば一隻で全員を収容出来る』

 ウナトの返答は、オーブ軍が公式に説明した物と同じである。

 一隻でヘリオポリス市民を収容するには大型船の方が都合が良く、色々な兼ね合いから古い大型輸送船を使う事に決定したと。

 しかし、ユウナはそれを否定するかの様に言った。

「普通の輸送船を数隻使っても同じ事が出来るよ。あんな骨董品を使うより安全で仕事が早く安上がりだ」

 単純な話、貨物船数隻で十分な仕事に、巨大なタンカーを持ってきたような物だ。

 確かにそれでも仕事は出来るが、過剰な輸送力を得た代償に、大質量を動かす為の莫大な燃料消費、巡航速度の低さからくる移動時間の増加、大型船故の操作性の悪さから来る作業効率の低下など問題が多く発生する。

 そして最も不可解なのは、オーブ軍がわざわざこの大型輸送船を整備までして持ち出した事だ。事情があって急ぐと言うのなら、通常の輸送船を掻き集めた方が早かっただろう。

 何故、整備という手間と時間をかけてまで、大型輸送船なのか……

「僕なら、船倉に棚でも作って、捕らえたヘリオポリス市民をそこに並べて寝させるね。それなら普通の輸送船一隻でも十分だろうし」

 そもそもの目的が犯罪者の収監なのだから、輸送中に自由に動き回らせる必要はない。

 ならば、奴隷貿易船か絶滅収容所のように、船倉の容量を有効に活用してギチギチに詰め込んでおけばいいのだ。閉塞された環境はさぞかし心身に悪いだろうが、輸送中に死ぬ人間が出ても、今のオーブならば誰も気に留めまい。

『提案するなら、私ではなく、オーブ軍の方に直接言ってくれ……いや、冗談だ。本気にして、連絡を取るなよ。お前ならやりかねんからな』

 ウナトは悪態をついた後、少し慌ててユウナに釘を刺した。

「信用がないなぁ」

 ユウナは苦笑してみせる。

 無論、今のユウナにとってヘリオポリス市民を手にかける事に意味はない為、発案を実行に移す事はない。

 無数の人間が苦悶する姿を観察するというのも面白そうだが、やはり愛した相手と楽しむのとは比較にならないと思えたし、そもそもそういった事は敵を使ってやれば良いのだ。利用価値のある駒を遊びで無駄にするわけにはいかない。

 と、そんな事をとりとめなく考えたユウナは、もう一つ、無駄に出来ない者の事を思い出した。

「そうだ、父さん。信用のない息子からの忠告だけど……そろそろオーブから逃げないと、一族郎党皆尽く死ぬ事になるよ」

 ユウナの忠告を聞いた途端、通信モニターの向こうでウナトが目を剥きだして叫んだ。

『何をする気だ!?』

「いや、僕が……ってだけじゃなくてね」

『だけじゃないって事は、やっぱりお前も何かしでかす気か!?』

 自らの信用の無さを改めて知ってユウナは苦笑が大きくなり、乾いた笑い声を漏らす。

「ははは、しばらく僕は表舞台には立たないから、安心して良いよ」

 ひとしきり笑ってからユウナは、声音を真面目な物へと変えた。

「それより……このままだと父さんは、オーブと対立する事になる。そうなった時、敵が何であれ手段は選んでくれないよ? コロニー一つ、葬り去る事に躊躇のない連中だからね。脱出の準備は進めた方が良い」

『ヘリオポリスの様に……か』

 ユウナの言う事に間違いない事は、ウナトにもわかる。

 ヘリオポリスというコロニー一つが、オーブの敵として葬り去られようとしているのだ。元々国民に人気のないセイラン家など、葬り去るのは容易かろう。

『そうだな。最悪に備え、一族の者だけでも逃がす準備はしておく。だが、私が逃げる事は難しかろうな』

「父さんは仕方ないか……でも、セイランは小悪党の家系なんだから、父さんも生き足掻いてみてよ。死んだら、小銭を数えるどころじゃないよ?」

 ウナトの返答に、ユウナも諦めを露わに淡々とした口調で言った。

 ウナト自身が逃げ出す事は難しい。政治を司る氏族としての義務があるし、そう簡単にオーブでの既得権益を放り出すわけにもいかない。いよいよダメだとなれば逃げる努力はするが、その時には包囲の輪が狭まってきている事だろう。

 ぐだぐだやった上で、逃げ切れなくて捕まるか殺されるのが落ちか……

 だが、一族の子女やセイラン系統の氏族を逃がす準備をしておくのは悪くない。彼らが生き残れば、最悪でもセイラン家が全滅するといった事は防げる。

『ユウナ。お前も今回の一件が終息するまでは、オーブに帰らぬ方が良いな』

「そうだね。しばらくは帰れないかな。でも、何時か必ず帰るよ。オーブにはカガリが居るからね」

『お前はまたそれか』

 ユウナの浮かれた様な答えに、ウナトは呆れた様に溜息をついた。そんなウナトを見ながら、ユウナは一瞬だけ口端を歪んだ笑みに曲げる。

 ウナトは戯言と思ったのだろうが、ユウナは本気で帰るつもりだった。何時になるかはわからないが……遠くない未来に。

 その為にも、今は幾つか成功を積み上げていかなければならない。

「そうそう。逃げるタイミングだけど……ウズミ・ナラ・アスハが権力の座から落とされる事があれば、それが最後の警鐘だと思う」

『まさか、それはあるまい。ウズミは、今のオーブでは絶対だ』

 ユウナの言葉に、ウナトは首を横に振って答えた。

 今の状況は、オーブの理念を神の啓示のごとく掲げる事で動いている節がある。では、そのオーブの理念を作ったのは誰か? ウズミなのだ。ならば、ウズミを排斥する筈がない。教典を守って神を排するようなものだ。

 現状、ウズミにとっては暴走気味な情勢を制御しかねているようだが、それも初期の混乱だろうとウナトは考えていた。

「でもさ、それなのにウズミが排される……なんて事になったら、それこそ天下の一大事って奴じゃない? そりゃあもう、逃げ時ってものでしょ」

『確かにそうだが、有り得ない事を想定してどうする。やれやれ、そんなではお前に私の後を次がせる事など出来んぞ』

 軽い口調で言うユウナに、ウナトは渋面を作る。そして、思い出した様に言葉を続けた。

『そうだ、ユウナ……お前に頼まれていた連合とのコネだがな。かなりの大物と連絡をとる事が出来た。お前が何をするのか知らんが、この際だ、思い切りやってみるがいい。ただ、通信には立ち会わせて貰うぞ』

 ウナトの答えに、ユウナは有りがたいと思いつつも、父の甘さに内心で苦笑した。

「……何も聞かないで、そんな大物と引き合わせてくれるのかい?」

『今の情勢では、何時、私に何かあるかもわからん。お前には早く一人前になって貰わねば困る。これも、獅子のごとく、子を千尋の谷に突き落とすくらいのつもりだ。しっかりやり遂げて、私を安心させてくれ』

 やはり、甘い。千尋の谷とやらを全部お膳立てして、子が滑り落ちぬ様に手を差し伸べる用意までして、獅子のつもりとは。

 ユウナは、そんな父に心の底から感謝している。ウナトは知る由もないが、この甘さがあればこそ今まで“恋愛”を幾つも重ねて来られた。そして、これから始めるカガリへの言わば“プロポーズ”にしてもこの甘さは十分に利用させてもらえるだろう。

「ありがとう、父さん。必ず、やり遂げてみせるよ。それで……誰と話をさせてもらえるのかな?」

 ウナトと繋がりがある中で、かなりの大物と言うのだから、恐らくはロード・ジブリール辺りだろうとユウナは推測していた。ブルーコスモスのナンバー2であり、かなりの影響力を持つ人物だ。

 繋がりがあると言っても、それほど強い結びつきがあったわけではない。きっと、相当の苦労をしてくれたのだろう……ユウナはそう考えたのだが、父ウナトはユウナのそんな推測を覆す努力を見せてくれた。

 通信機の向こうで、ウナトは自らの仕事を誇る様に小さく笑い、その人物の名を告げる。

『ロード・ジブリール殿に話を付け、口を利いていただけてな。ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエル殿と繋ぎがとれた。政財界は元より、連合軍にも強い影響力を持つ盟主殿ならば、お前の目的にもかなうだろう』

「なっ……!?」

 ユウナも流石に声が出ない程驚いた。その顔を見て、ウナトは嬉しげにニヤリと笑う

『さしものお前も驚いたか。お前のそんな顔を見るのは久しぶりだな。苦労した甲斐があったというものだよ』

 

 

 

 ヘリオポリス厚生病院、その敷地内に建てられたプレハブ病棟。戦闘直後は喧噪が満ちていたこの場所も、かなり落ち着いてきていた。回復出来た者が去り、重篤者が病院内に改めて収容され、死にゆく者が死んだ事によって……

 プレハブ病棟に残された者達は、回復に長い時間を必要とする者か、永遠に癒えぬ傷を負った者達。そして、帰るべき家や迎えてくれる家族をを失った者だ。

 カズイ・バスカークは、母のベッドの脇に腰を下ろしていた。

『オーブ政府により、ヘリオポリスに残された市民の皆さんの保護と、本国への帰還事業が実施されます。市民の皆さんは、オーブ本国への移住の準備を行ってください』

 遠く、声が聞こえる。

 病院に設置されたスピーカーを通して、ZAFTが放送を行っているのだ。

 有線放送や街宣車などを使って連日の様に同じ放送を繰り返しているので、話の内容は既にヘリオポリス市民全てが知っていた。

 そして……オーブ政府が行おうとしている事が、保護や帰還事業などと言う様なものでは無い事も、ヘリオポリス市民のほとんどが察していた。それは、本国へ帰れば、犯罪者として扱われる事が確定しているからだ。

 オーブ政府はヘリオポリス市民に対し、罪を認め抵抗せず逮捕される事を求めている。抵抗する者へは、武力鎮圧を持って対処するとの恫喝もあわせて告げられた。

 これらのオーブ政府の決定に対してヘリオポリス市民は何が出来たのか……

 命を賭して抵抗するべく抵抗組織が結成されたとの噂は幾つも流れていたし、決起を促す檄文が街角に貼られた事も何度かある。

 しかし、雑多な小火器を持った程度の市民達にとって、オーブ軍は遙かに強大だ。また、ZAFTが治安維持の名目でオーブ軍に協力するだろう事も確実。コロニーという環境では逃げ場も隠れ場所もない。外からの補給も援軍もない。

 そんな勝利の有り得ない抵抗の先に何があるのか? 未来を見いだせない事に、多くの市民は抵抗を諦めていた。

「カズイ……」

 ベッドの上、四肢が失われた身体を包帯に覆われた母がカズイの名を呼んだ。

「私、お父さんと一緒に残りたいわ」

 カズイは、今までに何度か繰り返された話に、全く同じ答えを返す。

「……置いては行かないよ」

 牢獄で生かされるくらいならば、夫と息子との思い出が満ち、そして夫の死した地であるこのヘリオポリスに残していって欲しいと母は願っていた。もちろん、残して欲しいという願いは、母が自ら死を選ぶ事を意味している。

 だからカズイは決めていた。その時には、母を背負ってでも連れて行くと。犯罪者としての日々の果てに死刑が待つとしても、母を自分の意思で見殺しにする事は出来なかった。

「そうだ……父さんは共同墓所から返して貰ってきたから、一緒に行けそうだよ。あと荷物だけど、現金とか通帳とか保険証とかアルバムとかは持って行くよね」

 カズイは、話題を変え、そして一緒に逃げるのだと言う考えを母に強調する為に、逃げる準備の事を話し始める。

「それから日用品とか必要そうな物をまとめておくよ。宇宙をしばらく旅して、それからシャトルで降下だって話だから、何日分か着替えとかもいるだろうし……そうそう、僕のゲームと漫画は諦めたよ。荷造りしたけど、あれじゃ重くて持てなくってさ」

 荷造りは進んでいない。

 思い出の染みついた家。思い出の品々。全てを捨てて、未来無き旅に出なければならないのだ。気付けば、荷造り中の荷物に囲まれながら、幸福だった頃の記憶を思い返している自分が居る。

 ゲームや漫画などには何の価値もない。母への台詞は、変わらない自分を見せたいが為の冗談だ。

 本当は……出来るならば、家の全てを持って行きたい。母と、父との思い出があふれる家を。いや、それよりも出来るならばいっそ、あの頃の幸せをそのままに。

 荷造りの作業の最中に囚われる、やるせない思い。それを思い返していたカズイの胸に、重苦しい悲しみが迫り上がってくる。

 それを感じてすぐにカズイはその場所から立ち上がり、母に背を向けた。

 母を心配させるわけにはいかない。涙を見せるわけにはいかない……

 悲しみが胸につかえて、声を出せばそのまま嗚咽になってしまいそうだったが、それを無理に抑えてカズイは母に言う。

「さ……さあ、荷造りしに帰らないと。ハハハ、忙しいから困るよ。見舞いには、またすぐに来るから」

 カズイはそう言い残して歩み出す。声の震えは、母に気取られてはいないと信じた。

 

 

 

 ユウナに、シェルターの居間に呼び出されたトール・ケーニヒとエル。不安そうなエルの肩を抱きながら、トールは半ば警戒した様な目でユウナを見つつ聞いた。

「ユウナさん、話って何ですか?」

 ユウナが奇妙な人物である事は、出会ってからの数日でトールもエルも理解している。

 何か直接的な危害を加えてくる事はないのだが、いきなり猟奇的な事を言い放ってエルを酷く怯えさせる事があった。トールだって正直な話、そういった話は遠慮願いたい。

 だから、ユウナの話の内容によっては、トールはエルを連れて逃げる気でいた。

 しかし、ユウナはいつもの軽薄な態度はそのままだが、口調だけは真面目に話を始める。

「ここに来た理由をはぐらかしてきたけど……そろそろ説明した方が良いと思ってね。良いかい? ここに来たのは、このヘリオポリスで何が起こっているかを確認する為。そして、セイラン派にとっての力を確保する為だ。君達も見ただろう?」

「ミステール1……ですか?」

 力と言われ、トールは直感的にそれが何なのかを悟った。ユウナは、トールの答えに満足そうに頷く。

「そう。連合軍最新鋭の大型MA。ザクレロ試験型ミステール1。あれはセイラン派……僕の父の派閥の持ち物なんでね。取り返しに来たんだよ」

 このシェルターの格納庫に置かれている一機のMA。セイラン派が連合軍から譲り受けた、ザクレロのテストタイプ。ユウナは、それを手に入れに来た。

「あれは……俺のMAだ! オーブには渡さない!」

 ミステール1がユウナに奪われる……そう悟ったトールは、ユウナに向けて声を荒げる。だが、ユウナはそんなトールの反応を見越していた様で、面白がる様子で口端を笑みに曲げて言葉を返した。

「へぇ? 君に所有権は無い筈だけど……まあ良いか。それより、理由を聞かせて貰っても良いかな? どうして、あのミステール1が欲しいの?

 格好良いからかな? そうだよねー、男の子ならMAとか憧れちゃうもんな。でも、あれは玩具じゃなくて、本物の兵器なんだ。軍隊ごっこは、プラモデルか超合金でやって欲しいな」

「俺がやりたいのは軍隊ごっこなんかじゃない!」

 トールの怒りの声が部屋の空気を震わせる。

「俺は……あのミステール1で!」

「ダメ、お兄ちゃん! あんなのに乗っちゃダメ!」

 トールの身体に縋り付く様にしてエルが叫んだ。

「ねぇ……ダメだよ。お兄ちゃん。あんなのに乗らないで!」

 涙をこぼし、縋り付いたまま見上げる様にしてトールの顔を覗くエル。そんな二人を眺めるユウナの表情に愉悦の笑みが混じる。

 ああ、やはりこれは最高だ。実に楽しませてくれる。

 トールはエルを扱いかねている様だった。意思は変わらないのだろうが、エルを無碍に突き放す事も出来ないのだろう。

 ユウナは、そんなトールに助け船を出す事にした。

「トール君が望むのは復讐……そうなんだね?」

 その囁きにも似た問いにトールはハッとして顔を上げ、ユウナを見た。

 それから、トールはぎゅっと歯を食いしばり、意を決した様子で改めてエルに視線を落とす。

「ミリィ……でも、俺は! 俺は許せないんだ! オーブの理念は……いや、それを掲げた奴等が皆を殺した! 父さんを! 母さんを! それに、ミ……」

 激情のままに続けようとした言葉が途切れた。

 トールの頭の中に、閃光が瞬く様に記憶の断片が浮かんでは消える。炎の中の影。走る少女。黒焦げの破片。キス。顔がない死体……

「お兄ちゃん?」

 ループした思考は、エルの声で再び動き出した。

「あ? ああ、ミリィ……」

 そうだ、ミリィはここにいる。ミリィはここにいる。ミリィはここにいる……

 断片的に蘇った記憶が、再び心の闇の中に消えていく。そして後には重苦しい怒りと身を焦がす様な憎悪だけが残る。

「ともかく、俺は許せない。全てを奪った連中を……オーブを! オーブの理念を! オーブの理念を掲げて正義を嘯く全ての奴等を! 殺してやる! 殺してやるんだ! その為には力が……ミステール1が必要なんだ!」

「……お兄ちゃん」

 トールの怒りと憎悪に彩られた叫びを聞き、エルは恐怖に身を震わせながらトールに預けていた身体を退いた。何かとても冷たい物に感じられて。

 一方、同じくトールの叫びを聞いたユウナは、素晴らしい演奏か何かを鑑賞した後の様な満足げな笑みを浮かべていた。

「わかった。トール君にミステール1を託そう」

「……え?」

 ユウナの発言に、エルは小さく悲鳴にも聞こえる声を上げて、途方に暮れた様な表情でユウナを見た。

 そんなエルに嗜虐心をそそられながら、ユウナは精一杯、申し訳なさそうな顔を作ってエルに話しかける。

「トール君から、戦う事を奪えるか? 答えは否だね。君がシミュレーターに乗るトール君を止められなかった様に、僕も彼を止める事は出来ない」

 エルは努力してきた。トールが戦わない様に……シミュレーターにも乗らない様に。しかし、その努力は全て失敗に終わっている。エルに出来なかった事を、ユウナが出来るわけが無いと言われれば、エルには返す言葉はない。

 だが、エルは考えていた。シミュレーターに乗せる事は防げなくても、あのミステール1に乗せない事は出来るのではないかと。

「ユ……ユウナさんが、あのMAを持って行ってくれたら」

 あのミステール1が無ければ……武器がなければ、トールも戦う事を諦めるのではないか? そんなエルの願いにも似た考えを、ユウナはゆっくり首を横に振って否定する。

「武器がなければ、トール君は素手でもかまわず戦おうとするんじゃないかな? なら、強力な武器を持たせてあげた方が、生き残る可能性は大きくなる」

 ユウナはその視線をトールに向けた。エルも、つられるようにトールを見上げる。

 トールは二人の視線に気付くと、迷いもなく首を縦に振った。

 そんなトールに満足げな表情を浮かべてユウナは、トールがMAが無くとも戦う事を肯定した事にショックを受けて泣き出しそうなエルに向けて、更に切り口を変えて話を続ける。

「それにね。僕がMAを持って行って、トール君が戦わずに残ったとしても……ここでの生活も何時かは終わってしまうんだ。ヘリオポリスは遠からずプラント領になるし、オーブはヘリオポリス市民全員の強制収容を決定したからね」

「強制収容?」

 シェルターに隠れていたトールとエルは、今何が起こっているかをほとんど知らない。酷く物騒な言葉に、トールが思わず反応して聞き返す。

 ユウナは呆れを表す為に、軽く肩をすくめて見せた。

「字の通りだよ。ヘリオポリス市民全員を捕らえ、“オーブの理念を守らなかった裏切り者”として裁くつもりだ」

 その答えに、トールは内心の怒りを沸き立たせて顔をしかめる。エルは不安そうにトールに寄り添い、彼の服の裾を指先で摘んだ。

 そんな二人を見ながら、ユウナは二人を更に追いつめるかのように言葉を並べ立てる。

「プラントはオーブの中立維持と占領地からの旧住民退去の為、この強制収容に協力している。つまり、このヘリオポリスでは、君達は見つかり次第、捕まってしまう。そして、オーブに罪人として送り届けられる。

 ここは隠しシェルターだから、そう簡単には見つからないだろうけど……それでも、最長で一年少々かな? 備蓄食糧や燃料が尽きるから、隠れて生きていく事は出来なくなる。

 その時にどうする? 大人しく捕まるかい? そうなれば結局、君達は離ればなれだ。

 共に居たいなら、戦って、生きる場所を自分で確保するしかない。わかってくれるかな?」

「……わからない。そんなのわからないよ」

 エルは、駄々を捏ねるように言い返しながら、首を横に振った。それを見て、ユウナは少し困ったように微笑みながら、静かに語りかける。

「そう……でも僕は、君にはトール君を支えていて欲しいと思うのだけどね。トール君一人では戦い続ける事は出来ないのだから」

「一人でも、ミステール1があれば……!」

 ユウナのその言葉に、トールは反論する素振りを見せた。ユウナは、仕掛けた釣り針に獲物がかかったとばかりに一瞬笑みを浮かべ、畳み掛ける様に話し出す。

「ミステール1で出撃する。戦う。問題はそれ以外だよ。

 戦闘後には整備補修が必要だけど、トール君にはそれが出来るかな? 戦えば弾や推進剤を消費する。補給しなきゃならないけど、トール君はそれを手に入れられるかな?

 オーブと戦うならオーブ本国へ行かないとならないけど、移動するには船が必要だね。船を手に入れて、そして操縦するのは誰かな?

 敵の情報を知れば効果的に戦える。戦闘前にそれを調べる事をトール君は出来るかな? 戦闘中は僅かな時間で状況が激変する。そんな戦闘中の情報収集は誰がする? 情報を元にして、効率的な戦い方を考えてくれる人はいるのかな?

 君を支え、戦場に送り込む者が必要だ。共に戦い、サポートしてくれる仲間。戦いを継続する為の資金や補給物資。的確な戦略、戦術、戦闘指揮。生きて戦い続けるには不可欠な物だけど、全てトール君には無い物だ。

 ここまで聞いても、君は一人でも戦えると思うかい?」

「…………」

 トールは愕然とした様子で俯き、ユウナから目をそらした。戦う力だけでは、戦う事は出来ない。それは、トールが想像もしなかった現実だった。

 アマチュアは兵器を語り、プロは兵站を語る。ほんの少し前まではただの学生だったのだから、こういった錯誤は仕方のない事だと、ユウナは理解していた。

 だからこそ、トールを自分の下に取り込む余地がある。

「僕が全て用意しようじゃないか」

 ユウナは、魂の契約を迫る悪魔の様に、親しげな笑みで申し出た。

「僕はこれからオーブを打倒する。ヘリオポリス市民を守り、ヘリオポリス市民を組織する。ヘリオポリス市民の手でオーブの理念の虚構を暴き立て、その信者達を完膚無きまでに叩き潰す。復讐を望むトール君にも意味のある戦いになるだろう」

 ユウナは笑みを少しだけ人悪げなものにして、右手を握手の為に差し出す。

「どうだろう。一緒に戦わないかい?」

 

 

 

 夜半。トールは一人、寝室のベッドに身を横たえていた。

 いつもならばシミュレーターに向かっている時間。しかし今日のトールは、ベッドの中で、じっと考え事に耽っている。

 考える事は一つ。ユウナの差し出した手を取るか否か。とは言え、思考のほとんどはそれをどう断るかに費やされていた。

 あれこれ考えた挙げ句、断る理由が無い事に気付く……そんな事をずっと繰り返している。

 別に、ユウナが悪い訳ではない。断る理由の最有力候補として「ユウナは得体が知れないから」という理由は厳然として存在していたが……他の誰に誘われても、同じように迷った事だろう。

 断りたい本当の理由は、単に復讐を自分の物としたいだけだと言う事に、トールは気付いていた。

 理性を持って考えれば、ユウナの言う通り一人で復讐を行う事は不可能とわかる。

 迷いと呼べる物ではなかった。答えは出ているのだ。ユウナの手を取るより他にない。

 トールの中で、復讐の達成に重きが置かれていたなら違ったのだろう。あらゆる手段を用い、最後に復讐が果たされている事だけを目標に出来ていたら。そうだったなら、成功の可能性が大きい方を選ぶ事が出来たはずだ。

 しかし、感情と狂気は復讐を他人に委ねる事を拒絶する。

 自分の手で、自分の力だけで全てを成し遂げたい。全てを滅ぼしたいと。

 あらゆる物を失った今、復讐だけはトールだけの物だった。

 トールの復讐は、怒りも、憎悪も、狂気も、全てを呑み込んで煮えたぎる坩堝の様な物。単純に狂気の産物なのだとも言える。

 怨嗟と狂気の叫びを上げながら、自らの肉体と魂が滅びるまで戦い続ける……トールの中の復讐とはそういった物だ。

 それは目標の無い空虚な物でもある。オーブの理念を復讐の標的に置いているが、何処まで戦い、殺し、破壊すれば復讐が果たされた事になるのか、トールは考えた事すらない。きっと、トールの復讐心……いや、狂気が導く全ての標的を破壊するのだろう。

 ユウナの手を取るという事は、その復讐の一部……ひょっとすると大部分を、ユウナなど他の人間に委ねる事になる。

 狂気が導きのままに戦う事など出来るはずもない。望みである所の、肉体と魂が滅びるまで戦い続けるという事さえも叶わなくなるだろう。そうなってしまっては、トールの復讐は本来の姿を失ってしまう。

 では、復讐の達成が彼方に遠のこうとも、復讐を自ら遂行する事を選ぶか? トールの中に考えが渦巻く。

 ミステール1で飛び立ち、オーブ国防宇宙軍の本拠地であるアメノミハシラを目指す。宇宙空間である以上、最初の加速に成功すれば、推進剤を使わずに移動は出来るはずだ。

 単機で攻撃を仕掛けてアメノミハシラを落とす。その後、可能なら奪った物資で補給して、大気圏突入を行い、オーブ本国を……

 そこまで考えて、その荒唐無稽さにトールは苦笑した。それで上手く行くなどありえない。

 しかし、それでも良いのかも知れないとトールは思う。復讐を自分だけのものとし、その復讐に身を捧げる事が出来る。万に一つの可能性でも成功すれば良し、死んでもトールに後悔する暇など無い。肉体も魂も砕けて燃え尽きるだけ……

 トールは、試験型ザクレロ・ミステール1という一匹の魔獣になりたいのだ。闘争に明け暮れ、全てを滅ぼしていく魔獣に。

 そうならなかったのは、トールを人として繋ぎ止めたものがあったから……

「……お兄ちゃん?」

 不意に声をかけられ、トールは寝室のドアが開いている事に気付いた。

 暗闇の満ちた寝室、壁を四角く切り抜いたように、廊下の光が中へ差し込んでくる。そこにトールは、エルの姿を見た。

「ミリィ? どうしたんだ?」

「お兄ちゃん……」

 俯き、強張った表情で居たエルは、トールの声に泣き出しそうな声で応える。そして、ベッドに歩み寄ると、少し逡巡してから聞いた。

「今日は一緒に寝ても良い?」

 トールの答えを待たず、エルはベッドに上がりトールの横に身を横たえる。エルの背後で寝室のドアが僅かな隙間を残して閉まり、寝室を再び闇で満たす。

 暗闇のベッドの上、ふわりと少女の甘い匂いがした。

「ミ……ミリィ? えと……」

 トールは、同じベッドの中のエルの存在に戸惑う。

 トールと“ミリアリア・ハウ”の年齢ならば、一線を越える事もありかもしれない。

 だからトールが、エルがベッドに入ってきた事を、そう言う事なのかと思ってしまったのは仕方のない事ではあった。

 とは言え、即座に手を出せる程、欲望に素直なわけもなく、心理的に追いつめられてるわけでもなければ、根性が座っているわけでもない。

 しかし、この行為は誘っているのだろうなぁと勘違いしたままトールは、とりあえずエルの小さな身体を抱き寄せた。

 壊れてしまいそうな程に柔らかで華奢な身体がトールの腕の中に収まる。

 そして……トールは、はたと困り果てた。ここからどうしたものか、経験がないばかりに判断がつかない。手を出したいかと言えば出したいのだが、変な事をやって嫌われるのは怖く、判断に困るのだ。

 困ってはいるのだが、腕の中の柔らかな感触はしっかりと感じられているし、少女の香りも存分に吸えているわけで、幸福感は怒濤のごとく押し寄せてくる。

 しばらくはこれで良いかと、ぼんやりと考え込んでいたトールに、腕の中のエルが不意に囁いた。

「お兄ちゃん、一人で戦いに行かないでね?」

 エルは、その身体をトールの胸に預け、潤む瞳でトールを見つめながら続ける。

「ずっと考えてたら、怖くなったの。お兄ちゃんが……お兄ちゃんが一人で居なくなっちゃうんじゃないかって。そして、戦って死んじゃうんじゃないかって」

 エルのその言葉に、トールの中から浮ついた気持ちが消え去る。そして、エルが来る前の迷いの時と同じ重苦しさが戻ってきた。

 つい先ほどまで考えていた妄想の通りじゃないかと、トールは自嘲しながら苦々しい思いで奥歯を噛みしめる。

 一人出撃し、無為に戦い、死ぬ。トールが考えた通りの事を、エルは心配していた。

 トールは復讐の中で戦い、死ぬ時には後悔と怨嗟を叫びながら砕け散る事が出来るのかも知れない。だが、残されたエル……トールにとってのミリィはどうなるか?

 このシェルターに残れば、ユウナの言う通りの最後が待っているだろう。何時かは捕まり、オーブの理念を理由に裁かれる。

 それは許せなかった。これ以上、オーブの理念の下に人が傷つけられる事を看過する事は出来ない。それをさせない事は、トールの復讐にもかなう。

「守るよ。ミリィを。もう二度と、ミリィを殺させはしない」

 膨れあがった憎悪と怒りに押し出されるかのように、意思はそのまま言葉となって漏れ出た。

 しかし、その言葉では、エルにとっては話の意味が繋がらない。だから、エルはもう一度、トールに訴えかける。

「でも、それでお兄ちゃんが一人で戦って、死んじゃったら……嫌だよ。何処にも行かないで? 一人になんてならないで」

 エルは、トールの冷たく凍った表情を暖めようとでもするかのように、トールの頬にそっと手を添えた。

「どんな時でも、私がずっと一緒にいるから」

「!?」

 偶然にか、聞き覚えのある言葉……

 それを聞いた時トールは、エルに重なって、走り去っていく少女の後ろ姿が一瞬だけ見えたような気がした。

 行かせてはならない――

 何故かそう思えて、トールはエルの身体を強く抱きしめる。

「お……お兄ちゃん? 苦しいよぉ」

「……ごめん。ミリィが消えていくみたいに思えて……ごめん。俺は……もうミリィを一人にはさせない」

 トールは今、喪失感を思い出していた。何を失ったのか、それはトールにはわからなかったが、何かを失ってしまった事による、激しい喪失感の記憶だけが蘇ってくる。

 ほんの少しの間、触れ合えない距離に居ただけなのに、もう会う事は出来ない。

「……どうしたんだ? 手が……身体が震えるんだ。ミリィが居なくなるって思っただけなのに」

 喪失への恐怖で震えだしたトールの腕の中で、エルは静かに目を閉じる。

 エルには想像がついていた。トールが震えているのは、きっとあの日に死んだ本物のミリィの為だろうと。

 なら……ミリィとして、トールにしてあげられる事はある。

「お兄ちゃんが守ってくれるって言ってくれるなら、それを信じるよ。お兄ちゃんが、私を一人にしないって言うなら、それも信じる。だから……お兄ちゃんが守ってくれて、一緒にいてくれるから、私は何処にも行かないよ」

 エルは瞳を開き、それからトールの唇に自らのそれを押し当てた。

 温かいキス。

 トールの中に一瞬、誰かの笑顔が蘇る。誰なのか……今のトールにはわからない。

 ただ、キスを切っ掛けに、トールの心の中に渦巻いていた物が静かに退いていった。

 落ち着いてからトールは、顔を退いてエルとのキスを解く。

「ありがとう……ミリィ」

 感謝の言葉を囁きながら、今度はトールからエルにキスをした。ミリィの名を呼びながら……

 トールとキスを交わすエルの目から、一筋の涙が流れ落ちる。

 暗闇に満ちた寝室の中、それに気付いたのはエル自身だけだった。

 

 

 

「……残念。今日はハズレだったか」

 トールとエルの寝息が聞こえ始めたのを確認し、ユウナは手に持っていたビデオカメラのスイッチを切り、トールの寝室のドアを閉めた。

 そして、大あくびを一つしてから自分の寝室へと、いそいそと帰っていく。

 色々と期待していた様な展開にはならなかったが、それでも別の意味で収穫は大きかったので、ユウナとしては満足していた。

 確信が持てたのだ。トールとエルを、自分の手駒とする事が出来ると。

「怒りと憎悪……そして無自覚な後悔か」

 ユウナはニヤと笑いながら小さく呟く。

 怒りと憎悪は見て簡単にわかる。トールはそれを隠す事もなくさらけ出すからだ。

 そして、無自覚な後悔。トールは気付いていないのだろうが……“もう二度と、ミリィを殺させはしない”と言った意味。つまり、一度は守る事が出来なかった事実があると言う事……それは確実に、トールを縛るトラウマとなっている。

 その辺りを弄くるのが、トールを上手く動かすコツだろう。

 ユウナにとってミステール1は持ちうる最大の戦力だ。それをトールに渡す理由は、九割方「その方が面白そうだから」という理由で占められているが、もう一つトールのコントロールが容易だと想像出来たからという事がある。

 シミュレーションを見た所、トールの腕前は申し分ない。とは言え、父ウナトの部下や、傭兵ならばもっとMAを上手く使える者が居るだろう。

 しかし、トールならばその生死を含めて、ユウナがコントロール出来る。これは、他の誰かを駒にした時には得られない利点だ。

 トールには、自身の命以上に優先される狂気がある。狂気の発現とそれが向かう方向を誘導してやれば、トールは死を厭わずに力を振るうだろう。

 それでいてトールは他の狂気の者と違い、なかなか暴走しない。エルが……いや、ミリィという少女の幻影が、トールが復讐の獣と化す事を防いでいるのだ。

 トールの狂気と、エル。この二つを握れば、トールはユウナにとって絶対の信頼を置ける駒となる。狂気を孕むトールを単純に信用する事が出来ない今は、そんな無情な関係の方が信頼が置ける様に思えた。

 ただ、その状態のままであって良いというものでもない。別の形で信頼関係を築く事も必要だろう。だから、ユウナは今のところ嘘偽り無くトールやエルと接しているし、トールを戦力として搾取するのではなく与えられる物は全て与えようとも考えている。

 他にも、もっとフレンドリーな関係を目指してみるのも良いのかも知れないと少し考えた。

「それにしても、トール君は意気地がないな。あの場面は、一気に押し倒して良い場面の筈だ。もっと積極的じゃないと女の子を逃してしまう……これは、少し教授してあげた方が良いかな?」

 ユウナは自分の考えを口に出し、深く納得した様子で何度も頷く。

 こう言った人生の先達としてのアドバイスは、トールとの関係を良くしてくれるだろう。トールとエルが急接近し、その影にユウナが居ると知れば、エルの心も変わるはずだ。

「まずは手錠を使えって所からかな。縄の方が見栄えはするけど、やっぱり手錠の方が初心者向きだし」

 ユウナはアドバイスの内容を考えながら、自らの寝室へと消えていった……

 

 

 

 軍事宇宙ステーション“アメノミハシラ”。オーブが宇宙に所有する最大の軍事拠点。

 そこから、ヘリオポリス市民の逮捕とオーブ本国への送還という任務を負った、オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦が出航していく。

 そして、ネルソン級の後には、一隻の大型輸送船が続いていた。

 大型輸送船はコロニーの部品すら運べる様な超巨大な物で、輸送力は極めて大きい。確かに、この大きさならば、一隻でヘリオポリス市民全員を収容して余りある。

 だが、当然の事ながら人を乗せる様には出来ていない。ヘリオポリス市民は、船倉の中に放り込まれ、まさしく貨物の様に輸送される事が決まっている。

 また、この大型輸送船はヘリオポリス建造時に活躍した船なのだが、その後は大き過ぎるという事もあって使用される事がなくなり、宇宙に放置されていた。

 今回の任務に就くに当たって、オーブ軍の手によって整備されているが、故障の心配がないとは言えないと、オーブ軍の整備員がわざわざ公式に記録を残している。

 総じて人を人とも思わぬ酷い扱いだが、ヘリオポリス市民は犯罪者扱いされているので、それでかまわないという判断なのだろう。

 なお、この大型輸送船は民間船である事から、乗組員は全て民間人だった。

 あの日にヘリオポリスから脱出した民間宇宙船のオーブ人乗組員が、強制的に集められてその任務に就かされているのだ。

 任務が終われば、彼らもオーブ本国の牢へと送られる運命にある。しかも、ネルソン級の砲の一つは常に大型輸送船を狙っており、逃げる事は出来ない。

 この無惨極まりない囚人船は誰にも見送られる事無く、宇宙の漆黒の中へと消えていく。ヘリオポリスへと向かって。無論、その行く先には絶望の他はない。


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