実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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原作:ペルソナ3 頼れない大人がいるP3

4月9日

 

 

--1

 

 両親に連れて来られた”そこ”は見たことも無い機械に溢れる部屋だった。

 両親と同じように白い服を着た大人が甲斐甲斐しく歩き回っていた。

 大人が何かを互いに言い合っているが、難しい言葉ばかりでわからなかった。

 ちんぷんかんぷんな私の様子に気付いたのか、両親が苦笑いとともに部屋の外へと連れ出してくれた。

 右手に父、左手に母、両手が温かくてとても嬉しい。

 いつも忙しくてあまり相手をしてくれないのに、今日は仕事に連れてきてくれた。

 

 白い廊下、ガラス張りの壁、誰もいない外の風景。

 両親と私の三人が鳴らす足音がだけが響いていた。

 扉の前で止まると、父がノックした。

 中から返事とともに、十秒ほどで扉が開いた。

 私よりも年上、小学校の高学年か中学生くらいの男の子だった。

 父と母が男の子に何か耳打ちする。

 男の子は目を逸らしながら首裏を掻き、その後に頷いた。

 両親は楽しそうに笑っているだけ、男の子は困ったように首筋に左手を当てている。

 なんだか仲間外れにされたようだ。

 男の子は私と父、母へと順番に視線を向けたが、諦めたように溜息をついた。

 そして、屈むように背を曲げをゆっくりと曲げて私と目線を合わせて口を開いた。

 

 「えっと…はじめまして」

 

 呟くような優しい声だった。

 はじめまして、私が答えると嬉しそうに微笑んだ。

 その柔らかな微笑みは父と母に似ていると思った。

 

 「俺の名前は■です、よろしくね」

 

 彼の、名前は■。

 ……?

 名前は……。

 彼の名前は……なんだっけ……?

 まあ、いい……のかな。

 なんか大事なはずなのに。

 何故か思い出せない。

 

 その後は彼に続いて確か私も自己紹介をした。

 ……はずだ。

 

 「ご丁寧にありがとう。それでね……」

 

 そうだ。

 私が名前を告げると彼は嬉しそうに笑ったんだった。

 それで……。

 

 「俺と友達になってくれると嬉しいんだけどなぁって。どうかな?」

 

 彼はそう言うと恥ずかしそうに目を逸らした。

 私はあまり表情に出ない子供だったから、たぶん顔に変化は無かったのだろう。

 ただ、嬉しかった。

 確か嬉しかった……気がする。

 友達はいなかったし、両親も忙しかった。

 親戚は遠くに少しだけ。

 近い人はいなくてさびしかった。

 嬉しかった。

 だから、どうだったっけ……。

 

 「うん、ありがとう。よろしくね」

 

 そうだ、彼と握手したんだ。

 ■の大きな手と握手した。

 繊細な物を触るように、私の手を優しく握る手。

 父と母とは違う冷たい手だった。

 父のように大きくて少しごつごつしていて、母のように優しい。

 

 「……結城先生たちと同じ、優しい手だ」

 

 彼が呟いた。

 私も何か言葉を返すと、少しだけ目を見開いた。

 が、すぐに細めるように笑っていた。

 

 「そうか、うん、ありがとう。……ついでにハム子ちゃんって呼んでいい?」

 

 それは駄目。

 即答した。

 でも意味なかった、気がする。

 うん、意味なかった。

 なかった、はずだ。

 

 

 

 

 

 --2

 

 父と母は仕事で忙しい。

 職場に連れてきてくれるけど、遊んではくれない。

 ■と過ごすばかりだ。

 仕方なく■の相手をしてあげるけど、ちょっと寂しい。

 それに■は私の事をハム子と呼ぶ。

 嫌だって何度も言ってるのに聞いてくれない。

 いつも言うことを聞いてくれるし、話も聞いてくれるし、宿題も手伝ってくれるのに。

 

 そういえば両親はここで研究しているから忙しい。

 なら研究が終わったら一緒に遊べるのかな、そう■に聞くと曖昧に笑うだけだった。

 私は■がここで寝泊まりしているのを知っている。

 彼も研究しているのだろうか。

 だったら私も研究したい。

 だって両親と一緒にいられる時間がもっともっと増えるから。

 ■は私の頭を撫でるだけだった。

 困ったり、言葉を失ったら■が何時も行う癖だ。

 

 私は彼を困らせてしまったみたい。

 小さく謝ると髪を梳くように優しく撫でてくれる。

 誰よりもずっとずっと優しく……。

 

 でもやっぱり気になって、■がここにいる理由を聞いてみた。

 他に彼や私と同じくらいの年の子供がいないから、気になっていた。

 ここは大人ばかりだ。

 私が遊びに来るまで、いつも彼は白い部屋に閉じこもっている。

 

 「ここに俺がいるのは研究のお手伝いだよ。……施設も色々と余裕が無かったからちょうどよかったし」

 

 偉い人が長く生きるために時間を操る研究をしていて、その手伝いなんだと■は教えてくれた。

 誰もが知らない生み出された時間を操る術を、探しているのだと。

 時間は止まらない。

 流れている。

 可笑しな話だ。

 きっとそう、変わらないことなんてない。

 私も、■も。

 ■が色々と教えてくれたけど、覚えていない。

 覚えているのは……

 

 「人の心は見えないけれど、何処かで確かに繋がっていて、元型を共有している。元型には時間や人の生き死にも繋がっていて、その繋がりを操ることで時間を支配しようとしているのかもね。で、行っている実験は繋がりである”集合的無意識”を人から取り出して、集めて制御しようとしているんだ。俺の場合はまた異なるモノが出てしまったけどね」

 

 俺だけが、違ってしまった。

 ■はぽつりと呟き、遠い目をしていた。

 窓の外を見ているはずなのに、何処も見ていないようだった。

 握りしめられた手からは血が流れ出ていた。

 確か、それに気付いた私は驚きながら手を治療した。

 治療と言えるほど綺麗な処置では無かったけど、ハンカチを巻いた手を見た■は嬉しそうだった。

 ■が笑うと私も笑いたくなった。

 笑えなかったけど、心では嬉しかった。

 今は笑えるのに、どうしてこの時に笑えなかったのか。

 逆だったら良かったのに……。

 

 

 

 

 

 --3

 

 ■が眼鏡をかけていた。

 目が悪くなったのかと心配すると、そうではないのだと苦笑いを浮かべた。

 ただ、曇って見えるようになってきたためにかけているのだと教えてくれた。

 霧がかかったように見えるのだとも。

 変な話だと私は思った。

 空は晴れているし、空気だって澄んでいる。

 廊下だって鬱陶しいくらいに白い。

 なのに、■は霧で前がよく見えないんだって、そう言っていた。

 だから眼鏡をかけているんだと教えてくれた。

 ■がかけているシルバーフレームの眼鏡はただの眼鏡にしか見えないのに、霧が晴れる特別製なんだって。

 

 ちょっと貸してもらったけど、特に変わったところは無かった。

 伊達だったし、何が特別なのかな。

 よくわからないのだと■を見つめると、何が楽しいのかにこにこと笑っていた。

 まあ、でも、私に似合ってると言って褒めたからってなんてことないけど、えへ、ふへへ……んんっ、まあ、眼鏡も偶にはいいと思うよ。

 だけど、昔だったから表情も乏しくて本当に可愛くない子供だった気がする。

 それでも相手してあげたのは……相手してくれたんだっけ?

 どっちだっけ。

 まあ、いいか。

 それでも一緒に過ごしていたのは嫌われてなかったから……だったはず。

 

 

 

 眼鏡を返した後、静かに私はお菓子箱を取り出した。

 中身は母と作った大福だった。

 クッキーとかケーキとか、それっぽいのにしようかと思ったけど、母は和菓子が得意だった。

 だから大福を作った。

 無理して失敗するのも嫌だったし、大福だったら中に包むだけで簡単だと思ったからだ。

 

 中身は苺とか蜜柑、桃、メロン、栗、パイナップル、プリン、バナナと色々だ。

 私が作ったのだけを■は食べてくれていた。

 そのときは無表情とは裏腹に心が通じ合ってるなどと能天気で都合のいいことを考えていたけ。

 けど、今見たら形が歪んでいて大小様々だ、母と私の大福の違いは一目でわかる。

 彼はバナナの大福が好きだった。

 ああ、そうだ。

 ■はプリンとバナナが好きだった。

 カップケーキとかクレープとか、作って持っていくと黙々と頬張っていたのが懐かしい。

 美味しいよね、私も好きだもの。

 いや、このときの私はそんなに好きじゃなかったかもしれない。

 バナナを避けて大福を食べ、お腹いっぱいになって手を止めた私と、嬉しそうに頬張り続けている■。

 いつから好きになったんだっけ……。

 

 そういえば■の髪の毛が長くなってきた。

 細いからちょっと女の人にも見えるかもしれない。

 切らないのかな……。

 長いままだった気がするなぁ。

 なんで長かったんだっけ……。

 

 

 

 

 

 --4

 

 父と母が■の誕生日に耳かけ式のイヤホンをプレゼントしてあげていた。

 とても嬉しそうだったが、ちょっと耳が赤くなっていたので恥ずかしかったのかもしれない。

 私はフルーツケーキを作った。

 バナナを多目にいれたので、全体的に白と黄色が強い配色となったのだけど。

 ■は静かにずっともぐもぐしていた。

 私たち家族が一切れか二切れで満足した後もずっともぐもぐしていた。

 気に入ってくれたようで安心した。

 

 

 

 やっぱり■の髪の毛がとても長いのが気になる。

 もう目も隠れてしまいそうだ。

 それを指摘すると困ったように■は頬をかいた。

 

 「あれ、もしかしてダサい? 泣きぼくろがあると悲しみに涙を流し続けるっていうし、伸ばして隠そうかなって」

 

 そう言うと、■が右目の眦の下にある泣きぼくろを擦った。

 ダサくないけど、髪が長いとちょっと陰気で暗い感じになるのが気になっただけだ。

 嫌いじゃない。

 良いと思うよと告げると、ちょっとだけ笑みを浮かべた。

 何時もと違う、透明な笑い方だ。

 今にして思えば空虚にも見えた、だけど意味は無いのだろう。

 昔の私と今の私は違うのだから。

 昔の私と入れ替わりたいと思っても、変わることもできない。

 せめて声だけでも、そんな祈りも届かない。

 いいよね、と同意を求めた父と母も目を細めて寂しそうだった。

 

 なんだか嫌な空気だった。

 髪の毛について、話題を振るのは控えるようになったのは、たぶんこの空気のせいだろう。

 

 

 

 

 

 --5

 

 ■の長くなった髪の毛は、右目を隠すほどになった。

 光の角度によって群青色にも見える髪の毛が綺麗だし、とても似合っているけど、なんだか不満だ。

 髪に閉ざされた目が、私との壁に思える。

 眼鏡もかけているから更に倍だ。

 イヤホンをしているときなんて音も閉ざしているから、もう倍率は不明だ。

 私が遊びにきてあげたときか、実験のとき以外は、髪の毛、眼鏡、イヤホンで外界をシャットダウン!みたいな。

 そりゃあ、白い部屋にばかりいたら気が滅入るよね。

 外に行かないかと誘っても断られた。

 

 「何が起こるかわからないからなるべくここにいるんだ。ハム子ちゃんも危ないから来ないほうがいいんだけど……」

 

 またハム子と呼んだことに、無表情ながらもぷんすかした。

 それに、危ないから来ないほうがいいだなんて言い出したのでさらにぷんすかである。

 そろそろ私がぷんぷん丸デビューしてしまっても■はいいのだろうか。

 今までで何も起こってないんだから問題ないじゃない。

 そもそも外に出たら起こる何かって何?

 何が危ないの?

 お父さんとお母さんが遊んでてもいいと言ってるのに、■がそんなんじゃダメだもの。

 

 もっと自信を持った方がいいのよと髪の毛を掻き分けて頬をぐにぐにする。

 私の癖っ毛と違ってさらさらな髪だ、うらやましい。

 頬も無駄にさわり心地がいい。

 ■はなんだかくすぐったそうに笑った。

 それを見て私も嬉しかったけど笑えなかった。

 

 なんで私は私じゃなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 --6

 

 母が■に、可愛らしくラッピングされた箱を渡していた。

 中はチョコの入ったどら焼きだ。

 私も隣でチョコバナナ大福とプリン大福を作ったからわかったの。

 お母さんのどら焼きは形もきれいに整ってたし、味もすごく美味しかった。

 ふわふわの生地で手作りの生チョコとあんこをバランスよく包んだどら焼き。

 ■は笑顔だ。

 最近は表情が曇っていたから心配だったが一安心だ。

 でも、笑顔にしたのがお母さんで不満もあった。

 私が先に渡したらそれでも笑顔になったのかな。

 なんだか恥ずかしくて、リボンをラッピングした箱は背中に隠したままにしてしまった。

 前よりはマシになったとはいえ、綺麗ともいえない大福だし。

 

 その日は渡せなかった。

 翌日も、その翌日も。

 結局、固くなったそれは自分で食べた。

 無表情だし、あんまり感情の起伏もなかったはずだけど、涙だけは流れた。

 

 

 

 

 

 --7

 

 ■が実験のための彼の力で作った特別な髪止めをくれた。

 ⅩⅩⅡのような形をした簡素だけど綺麗なシルバーのヘアアクセサリーだ。

 実験で作ったというのがよくわからなかったが、凄く嬉しかった。

 けど、先月のお返しとしてお母さんにも何かを渡していた。

 それを見て、なんだか落ち着かなくなった。

 結局私は何も渡していないし。

 

 もやもやとした気持ちを抱えていると、お母さんに連れられて、仕事場の裏にあるキッチンに連れてかれた。

 材料はあまりなかったから少ないけど、カップケーキを作った。

 用意しておいたバナナも入れたから大丈夫だと思う。

 

 

 

 お返しを手に■の元に向かう。

 部屋に入ると、■は窓の外を見ていた。

 髪の毛に隠されていない左眼が、遠くを見ているような、それでいて何処も、何も捉えていないようにも見えた。

 ■はよく窓際に座って外を眺めていることが多くなった。

 また離れてしまった気がしてひどく寂しい。

 どうしてもそれが嫌で、横から■の視線に割って入った。

 眼鏡の奥では驚いたように、薄い青にも見える黒い瞳が見開かれていた。

 その目がしっかりと私を映していることに、ほっと息を吐いた。

 

 カップケーキは好評だった。

 ■は食べるのが好きだ。

 仕方ないから私も一生懸命料理を覚えてあげている。

 喜ばせてあげるのが友だちだもの。

 

 数が少なかったから半ぶんこにしようというのはわかるけど。

 その、スプーンは変えた方が……。

 あー。

 や、やっぱり変えないほうがいいよね。

 洗い物、増えちゃうし!

 後ろで笑っているお母さんをなるべく視界に入れないようにした。

 

 

 

 

 

 --8

 

 ■の真似をした、というわけではないけれど、私も髪を伸ばすことにした。

 お母さん譲りの癖っ毛だから、綺麗なストレートにはならないけど、髪止めが使いたかった。

 それに、■は癖っ毛が好きらしいし、それを纏めた髪型も好きなんだって言ってた。

 別に関係ないけど、伸ばそうと思った。

 そういえばお母さんも癖っ毛を結っていたり、伸ばしたままにしてたりと色々だった。

 ■はお母さんが近くにいると、よく緊張していた。

 

 たぶん、好きなんだろう。

 しっくりきた。

 ここで■に優しくしてくれる大人はお父さんとお母さんだけだって言ってた。

 身近な大人の女性だもの。

 惚れてしまうのもしかたないだろう。

 私から見ても綺麗で穏やか、自慢のお母さんだ。

 誇らしいけど、なんだか変な気持だった。

 なんだかちくちくするし、ときどきズクンともなる。

 寂しい。

 そう寂しいんだ。

 

 

 

 

 

 --9

 

 母の真似をするようになった。

 別に代わりになりたいわけではない。

 いつかは母よりも大人の女性になって振り向かせるんだ。

 お父さんに相談して、お母さんにはお父さんがいるから大丈夫だよって教えてもらった。

 だから負けることはないって気づいた。

 まだ私は小学生だし、■だって年上だけど大人ってわけじゃない。

 ゆっくりでもいいから、前に進むって決めたんだ。

 

 でも……

 

 「対シャドウ特別制圧兵装ラストナンバー、七式■■■■であります。掃討が任務でありますが、■さんの護衛も兼ねています。よろしくであります」

 

 ■の近くに女性が増えたんだよね……。

 うーん、うまくいかないなぁ……。

 女性というかロボットらしいんだけど、自分で考えて動くことができるとか。

 ガイノイドが一番近いのかもって■が教えてくれた。

 それって身体が機械で出来ている以外、人間と何が違うのかな。

 

 

 

 

 

 

 --10

 

 ■が構ってくれなくなった。

 あ、違う。

 構ってあげようとしているのに、■■■■の相手ばかりしている。

 前はお父さんとお母さんの職場に着いたら、ずっと遊んであげたのに、今は■■■■のめんてなんすとかいうので時間が減った。

 なんだかもやもやする。

 お母さんの時と同じ気持ちだ。

 

 ■■■■は、お母さんのようにお父さんがいない。

 ■が■■■■の、お母さんにとってのお父さんみたいなことになるかもしれない。

 それはだめ。

 ■は私が相手してあげているんだし、友達だから勝手なことは駄目なんだもの。

 

 私もめんてなんすしてほしいって頼んだら、■はキョトンとした後に笑っていた。

 ぷんぷん丸が降臨する予感、なんて思ってたら私は■の膝上に乗せられて、ゆっくりと髪を撫でられた。

 折角まとめた癖っ毛がくしゃくしゃになっちゃったけど、久しぶりで気持ち良かったから許してあげた。

 その流れのままに■が私の髪止めを外した。

 留めておいた髪がふわっと広がったが、■はもふもふして気持ちいいとちょっと楽しそう。

 なんか嬉しいけどちょっと違う。

 複雑だなぁ……。

 

 私の前に■は手を回し、髪止めを布やよくわからないチューブから出てきた液体で丁寧に磨いた。

 ポケットから取り出したと言っていたが、いつもいろいろと入れているのだろうか。

 お蔭でシルバーがピカピカに輝いていた。

 

 その後は櫛で優しく髪を梳いてくれた。

 癖が強いのに絡まずに。

 ■はちょっと小器用すぎる気がするけど、まあいいかな。

 ■に髪を触られると気持ちいいし、褒めてあげる。

 

 「わたしの時間なのに■さんを取られました。公子さんは駄々っ子であります。駄々っ子、我が儘、なるほどなー」

 

 めんてなんすを終えて放置された■■■■が私を見ながら何か言っていた。

 知らないフリをする。

 見ても代わってあげないから。

 よくわからないことを言う■■■■なんて絶対にぽんこつだよ。

 

 無表情ながらも不機嫌な私に、■が笑った。

 だって怒り方も笑い方もわからないからしかたないじゃない。

 それを察したのか、■が私の口の端を、人差し指で優しく押し上げた。

 「笑うのはこんな感じだよ」と同じように笑いながら。

 いや、■のほうが自然とずっと綺麗だ。

 一緒にいたくなるような穏やかな笑顔……。

 

 

 

 

 

 --11

 

 実験が長引いて、帰るのが遅くなると言われて待っていた。

 ■だけでもいいけど、■■■■も一人だと寂しいだろうから一緒にいてあげた。

 夜は好きじゃない。

 みんな寝てしまう、一人になってしまうから。

 それに、■はこの白い部屋に一人で寂しいだろうし。

 ■■■■もいるときといないときがある。

 私が■■■■ならずっといてあげるのに、やっぱり■■■■よりも私の方が■にしてあげられることが多いよ。

 

 ふふん、と視線を向けると■■■■は良くわからなそうに首を傾げていた。

 人間っぽいのに人間じゃない。

 銃だって撃てるし、力も凄く強くて車だって持ち上げられるかもって言ってた。

 ■■■■ってちょっと不思議だよね。

 

 ■を見てみる。

 ボーっと月を眺めている。

 何が楽しいのだろう。

 いや、楽しくなくてもそうしているんだ。

 ■は植物になりたいって言ってた。

 何も考えず、何も感じずに済むからって。

 変だよね。

 食べるのが好きなのに植物だなんて。

 植物は光と水しか食べないのよ?

 教えてあげると、■はくすくすと笑いながら「ハム子ちゃんは賢いんだね」って撫でてくれた。

 ハム子ちゃんは嫌だって言おうと思ったけど、撫でられててあげる、だって私はもっとお母さんに近づくんだもの。

 ■は眼鏡をかけている。

 前は外している時間も長かったけど、最近はずっとだ。

 すごく霧が濃いんだって。

 ■■■■もちょっと不思議だけど、■もちょっと不思議だ。

 眼鏡を外した■を見たいときは邪魔だなって不満に思う。

 

 眼鏡を外すいたずらをしようかと近づいたら、勢いよく■が振り向いた。

 わ、私はまだ何もしてないよ。

 そう告げたが■は険しい顔をしていた。

 怒られるのかと心配していたが、なんだか違うらしい。

 何時もと違う鋭い目で扉を見つめた後、私を抱えて走り出した。

 

 「■■■■、おかしい。霧が濃すぎる。外に出るからカバーを頼む」

 

 ■の言葉に「了解であります」と即答した■■■■が後ろに着いて来た。

 慎重に扉を開け、何度も警戒しながら廊下に出る。

 何も変わらない何時もの廊下。

 少し静かすぎる気がした。

 いつもと同じだった、■に驚かせないでよと告げようと見上げる。

 ■の顔色がひどく悪い。

 汗もかいている。

 体調が悪いのだろうか、だったら尚更静かに寝ていないと……。

 

 「まずい……。シャドウを管理している区画の方が霧で真っ白だ……」

 

 

 

 ■が呟いた後、とてもうるさい警報音が鳴るとともに赤いランプで廊下が真っ赤になった。

 遠くでばたばたで慌てる足音が聞こえる。

 何かが起こっている。

 よくわからないけど、大きな事故とかだろうか。

 お父さんとお母さんは大丈夫かなって心配して、■の白い服にしがみついていると、足音が近づいてきた。

 違う、足音じゃない。

 何かが這いずるような、気持ちの悪い音。

 それが外から聞こえたの。

 窓の、外から。

 

 眩しい光とテレビで聞いたような銃弾の音が響いて、窓ガラスが割れて吹き飛んだ。

 ■■■■が■に目配せし、外に飛び出していった。

 何かがいるんだ。

 よくわからない何かが。

 怖くなってしがみついていた手に力が入り、皺がよる。

 お父さんとお母さんを探さないと、でも、■■■■が。

 ■はどうするのって聞こうとしたけど、すごく真剣な顔だったから何も言えなかった。

 

 ぱたぱたと足音が聞こえた。

 びくりと背筋が震えた。

 ■■■■が追いかけたさっきのが来たんじゃないかって。

 ■が背中を撫でてくれると少しだけ安心できた。

 私の名前を呼ぶ声に振り向く。

 お父さんとお母さんが、肩で息をして汗を流しながら来てくれた。

 良かった。

 とても良かった。

 

 ■と一緒に逃げるべきだったのに、私は馬鹿で、私と私は代わらない、代われない。

 時間は戻らないんだもの。

 ~してあげるだなんてませたこと言って、ほんとは全部してもらっていたくせに。

 貰ってばかりだ。

 何も返していない。

 何もかもが、■からの貰い物だ。

 

 

 

 

 必死に走って駐車場に辿り着いた。

 「なんとか処理してきます」って■はお父さんとお母さんに伝えて離れようとした。

 一緒に逃げようって言ったけど、曖昧に笑うだけだった。

 「みんなにはお世話になったから……」って呟きを残して、掴んでいた手を優しく解かれた。

 指が折れようとも掴んでおくべきだったのに、私は私だったから。

 必死じゃなかった、必死になれなかった。

 ■は一度だけ私たちに手を振って走り去った。

 

 車が走り出した。

 逃げるように、いつもよりずっと速く。

 何から逃げるというのだろうか。

 ■はお世話になったからと言っていた。

 大人には研究以外であまり接することはないんだと寂しそうだった。

 あそこで■が一緒にいたのはお父さんお母さん、■■■■、それに私だ。

 ■■■■はお世話しているようだった。

 なら、たぶんきっと私たち家族だけだ。

 じゃあ、■が逃げないのは私たちの……私のせい?

 私たちのせいなのに、逃げている。

 ■から、■■■■から、大切な友達から私は逃げていた。

 なんで、どうして。

 

 

 

 私が愚かだから、逃げている。

 何も知らず、逃げている。

 知ろうともしないで、逃げている。

 目を背けて、逃げている。

 ずっとずっと、逃げている。

 

 

 

 

 

 --12

 

 横倒しになった車が燃えている。

 お父さんは、お母さんはどうなったの。

 身体が痛い。

 すごく熱い。

 這いずるように、光が見える外に出る。

 外も燃えていた。

 揺らめくように、炎が広がっている。

 

 炎による熱のせいか、傷のせいか、視界がぼやけている。

 なんとか必死に立って捉えることができたのは、頭や腕から血を流している■と至るところが罅割れた■■■■だった。

 周りには■■■■に似たモノたちが転がっていた。

 ばらばらになって、ガラクタのように。

 それを成した何かがいる。

 嫌だ。

 何かが■と■■■■を襲っている。

 黒くて、怖い、影のような何か。

 

 嫌だ。

 凄く嫌だ。

 覚えている。

 忘れているけど、私は覚えている。

 凄く嫌な思い出だ。

 

 ■の胸元辺りで、白く輝くカードのようなモノが浮かんでいた。

 綺麗な純白だ。

 だけど、それがよくない気がする。

 それを使うから■は……。

 

 ■がカードを握りつぶした。

 飛び散った破片が、煌めいている。

 どこか幻想的で、ひどく儚い。

 

 「イザナギ」

 

 ■が呟いた。

 ■■■■に似た、機械のような何かが■の背後から現れた。

 白く輝いている姿から気品を感じられた。

 守護霊だろうか。

 それなら■を守ってくれてもいいはずなのに。

 祈っても変わらない。

 私は私じゃないから。

 でも、私が私だとしても、何もできなかった。

 

 

 

 

 

 

 --13

 

 イザナギと呼ばれた機械のような守護霊と■■■■の呼び出したパラディオンと呼ばれる槍を突きだした何かが何度も黒い影に攻撃する。

 ■と■■■■が互いを補うように戦っている。

 黒い影は強かった。

 二人が協力してなお手に余るほどに。

 それでも決着は付いた、息のあった■と■■■■のコンビネーションが終に勝利を収めた。

 

 ……かのように見えた。

 

 

 

 弱ったように見せかけていた黒い影が、急に機敏に動き出してイザナギの腕を刎ねた。

 ■がうめき声を挙げていた。

 そちらに視線を向けると、中から爆発したかのように、■の腕がひどい傷を負っていた。

 ■■■■が駆け寄ろうとするが、■が怒声で留めた。

 隻腕となったイザナギが黒い影を抑えつけている。

 イザナギが抵抗で傷つく度に、■から血が噴き出る。

 

 

 嫌だ。

 ■が傷ついているのが嫌だ。

 ■■■■を忘れるのが嫌だ。

 友達がいなくなるのが嫌だ。

 でも止まらない。

 過去は変わらない。

 

 

 「■■■■、捕食する。けど、俺だとこいつの七割程度しか取り込めないんだ」

 

 「では、わたしにも」

 

 「■■■■は機械だから無理……。いや、パピヨンハートに封印させればもしかして……。■■■■、すまないが……」

 

 二人が話し合っている。

 黒い影が薄れていく。

 炎に照らされた■と■■■■はひどい姿だ。

 ■の血が道路を赤黒く染め、■■■■の部品がそこら中に散らばっている。

 

 「あと一割……」

 

 ■が悲しそうな顔で私を見た。

 その顔に見覚えがあった。

 研究の話を聞いた時も同じような顔をしていた。

 最初はわからなかったけど、わかるようになった。

 だって友達だもの。

 ■が悲しむのはいつだって私のせい。

 友達なのに、悲しませてばかり。

 今だって握りしめた手から血が滴っていた。

 

 「ごめんね、公子ちゃん。先生にもお世話になったのに、友だちなのに、こんなことに……」

 

 ■が泣きそうだった。

 折角ちゃんと名前を呼んでくれたのに、それじゃ台無し。

 男の子なのに、■は泣き虫だからしたかないね。

 いつだって心配になる。

 でも、それもしょうがない。

 彼が、■が泣きそうになる原因の多くが私だったから。

 

 --ごめんね、髪で隠したのに泣かせちゃったね

 

 そう告げると、彼の涙が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 覚えているのはここまでだ。

 ここまで忘れている。

 忘れたくないのに、忘れてしまう。

 なんで私は忘れてしまうのか。

 

 

 逃げたから。

 逃げているから

 だから大切な物を失った。

 すべてを忘れた。

 逃げ続けているから。

 

 きっとそうだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 -- PERSONA 3 --

 

 

 

 

 

 

 

 --1

 

 夢を見ていた気がする。

 思い出せなくてもやもやするけど、凄く大切な何かを。

 ……。

 ……思い出せないのならどうでもいい夢だったのだろう、そう無理やり自分を納得させる。

 

 よくあることだ。

 腑に落ちないけど。

 もしかしたら病気なのかもしれないが、病院に行く気には全くならなかった。

 病気だと少しですら認めたくない、そんな気持ちがなぜか強かった。

 

 

 

 首を回し、凝った筋肉をほぐす。

 耳元で嫌な音が聞こえるので、もう少しゆっくりとした早さに調整した。

 アナウンスが聞こえてきた。

 巌戸台駅までもう少し。

 遅延のせいで、0時近くになってしまった。

 

 人の疎らな車内を見回す。

 誰も私に注目していないことを確認し、窓に顔を向ける。

 そして指で頬を上げて笑顔を作る。

 手を放してもう一度。

 昔、誰かが教えてくれた。

 誰だったか思い出せないけど、私は笑顔を作ることができる。

 そう、”作る”ことができる。

 

 

 元気な雰囲気の準備は完璧、必要とあれば演じられる。

 --こんな雰囲気が好きだって、誰かが言ってた。

 

 笑顔は作った。

 --教えて貰ったから、誰かに。

 

 長い癖っ毛を纏めた髪型は今日も完璧だ。

 --見てもらいたくて、誰かに。

 

 昔は輝くようなシルバーだった髪止めが、今はくすんだ鈍色をしている。

 --誰かに磨いて欲しくて。

 

 なぜか欲しくなった古い型の耳かけ式のイヤホンを首から下げている。

 --真似をしたかった、誰かの。

 

 どうしても、忘れたくなかった。

 --誰かを。

 

 

 

 誰かって、誰なのだろうか。

 

 

 

 

 

 --2

 

 0時を過ぎた。

 駅の改札口を出れば、いつもの光景が広がっていた。

 輝く月に照らされ、見渡す限りが不気味な青緑色となっていた。

 さきほどまでは人であった棺桶。

 電気は止まり、音もなく、風もない。

 いつも通りの奇妙な世界。

 

 そんな世界で、動くモノがあった。

 全てが静止するこの時間に動いているモノを私は初めて見た。

 緊張で、心臓が高まる。

 だが、何か期待しているような気持ちもあった。

 なんだろうか。

 わからない。

 混ざった感情が私を堪らない気持ちにさせる。

 

 徐々に近づいてくる。

 車椅子に座った青年、それを押す少女。

 どうやら人間らしい。

 ほっと息を吐く。

 車椅子を押していた少女が口を開いた。

 凄まじいほどに整った顔立ちだった。

 

 「はじめまして、であります」

 

 ずきりと頭の奥が痛んだ。

 はじめまして……。

 なんだか嫌な気分だった。

 

 「対シャドウ特別制圧兵装ラストナンバー、七式アイギスであります」

 

 ななしき、あいぎす。

 彼女の名前だろうか。

 前半部分がよくわからなかったが、どうやら言葉が通じるらしい。

 外国人の少女だろうか、青緑の世界なのに、金色の鮮やかな頭髪が輝いている。

 耳元は赤いヘッドフォンがあり、彼女の趣味なのかもしれない。

 纏っている丈の長いワンピースはとても彼女に似合っていた。

 ただ、なんだか彼女を見ているともやもやする。

 何かが取られたようで、気分が悪い。

 

 「こちらは奏さん、有里 奏さんであります。私と彼が貴女を寮まで案内いたします」

 

 アイギスが名前を告げても青年は何も言わなかった。

 その濁った瞳にも、何も映っていなかった。

 変わらない表情は能面のようだ。

 

 「歓迎する、奏さんはそう言っています。良かったでありますね」

 

 ずきりと再び痛みが奔った。

 今度はさっきよりもずっと痛い。

 頭も痛かったが、それよりも胸が痛かった。

 そして何かを無くしたように寂しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 --予告

 

 無数の腕の複合体のようなシャドウ。

 中心の腕には青い仮面が握られており、額にはⅠの数字が識別できた。

 仮面を持つ手以外には鋭利な刃物が握られていた。

 

 不気味な音を鳴らしながら近づくそれが、車椅子へと近づいていった。

 身を挺してなんとかしようとして、奏という青年の胸元で輝くカードが見えた。

 どこか懐かしいそれは、弱い輝きを放つどす黒く濁った歪なカード。

 

 違う。

 何が違うのかわからないが、違うことだけはわかった。

 そんなカードじゃない。

 ほんとはもっときれいで……。

 

 

 

 気だるげに青年がカードを握りつぶした。

 車椅子の陰から、コールタールのように真っ黒な影が現れた。

 それは人型を成したが、人間に近いのは形だけだった。

 泥とヘドロの継ぎ接ぎ人形、そんな姿だ。

 醜くて、汚らしい。

 誰もが目を背けたくなるような、壊れた人形だった。

 

 「マガツイザナギ」

 

 少年、奏さんが呟いた。

 醜い泥人形の名前だろうか。

 ぐちゃり、と擬音を鳴らしながら、人間でいう頭部の位置に穴が開いた。

 マガツイザナギと呼ばれたそれの穴から響き渡る、不協和音。

 ひどく不安を煽る。

 

 気持ちが悪い。

 いや、あれだけのせいではない。

 なにかもっと、何かが違う。

 致命的に違うんだ。

 

 

 

 何かに縋るように、奏さんを見る。

 無表情だ。

 だけど、血の涙を流していた。

 

 泣かないようにするために髪を……。

 思い出せない何かが私の奥で痛みを発する。

 だけど、何もわからない。

 だから意味が無い物だと思い込む。

 

 

 

 だってしょうがないじゃない。

 何時もなんだもの。

 いつも、いつも、わからないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




つづく。



■(奏)
シャドウの研究のために集められた孤児の中でペルソナが唯一発現した。人工ペルソナ使いでは無く、シャドウ抽出時の最古参。研究所で優しくしてくれた結城家のために奔走したが失敗し、失意に暮れた。
ペルソナは『イザナギ』。実験の結果、ワイルドが変質してペルソナやシャドウを捕食して取り込むことができるようになった。

有里 奏
エルゴ研で起きた事故の際にデスの多くを取り込んだ。また、自棄になってタルタロス攻略や代償行為として人工ペルソナ使いの暴走したペルソナを捕食し続けたために、心の許容量が限界となっている。いわゆる表面張力で溢れずに留まっているコップの水状態。
ペルソナは複合ペルソナ『マガツイザナギ』。特殊能力は捕食だが、あと一人か二人分食ったら死ねる。やったぜ。



ちなみに、こいつはハム子やその両親がいなかったら五割くらいデスを取り込んで、バックれます。
その結果が『頼れる大人がいるP4』展開です。
デスの影響でペルソナ関連を忘れますが、天性の才能が輝いています。

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