実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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諸事情によりエター。
使う予定だったパーツを載せておきます。


アクタージュ2(未完)

 

 

 --1

 

 今でも思い出す、子供と大人の入り混じった多感な年頃の話だ。

 子供ながらに絶対的な自信を持つ俺を心配したのだろうか、両親は仕事を禁じた。

 日本にある父方の親戚へと預けられた俺は、しかし、自分の才能を浪費するだけの環境に怒りばかりを溜め込んでいた。

 一人前の役者だと、強く思い込んでいた矜持を、親に傷つけられた気すらしていた。

 子役としての旬が過ぎようとも、役者としての才能だけを便りに突き進むのだと信じ切っていた。

 メディアに映る役者たちを、無能だと嘲りながら何もしない、何もできない。

 自分のほうが優れている、自分だったらこうするのに、と。

 才能のない人間に価値などない、そんな思いを募らせる。

 

 燻る日々の中、どこから漏れたのか、マスコミが俺を嗅ぎ付けた。

 強い自尊心を持つ俺は、それに喜んだ。

 日本にいるだけでもこれだけ望まれるのだ、と。

 マスコミと、ミーハーな何も知らない民衆に囲まれた日々は、すぐ空虚を醸した。

 ふとテレビを見れば、何もしていない自分が注目されていた。

 嘲り嗤った役者よりも何もしていない自分が、間抜けな面で笑っていた。

 何もしていないのに注目される、ならば本当に自分は才能があるのか。

 忘れつつある自身を取り戻そうと仕事を望めば、断りの連絡が積み重なるのみ。

 そう時を置かずに疑念へと変わっていった。

 

 飽きた人々は俺を忘れ去った。

 何もしない人間に価値などない。

 何もできない人間に価値などない。

 俺に残ったのは、奇妙な焦燥感だけだった。

 

 そんな間隙を縫うように、小説家を名乗る男と出会った。

 久しぶりの理解者に出会ったような気分だった。

 聞かれるがままに答えた。

 望まれるがままに振るった。

 誰も寄り付かない空白にぽつんと現れた男は、尊い物に見えた、見えてしまった。

 

 人生の転機だった。

 

 男は俺に気付かせた。

 男は俺に教えてくれた。

 男だけが俺を才能がないと断言した。

 

 

 

 

 

 両親が俺を呼び戻した。

 俺を主演に、新しい映画を撮るのだという。

 それは遭難した少年が自然の中で逞しく生きる手堅い作品だった。

 孤独の日々を、都合のいい自然やなぜか友好的な動物との交流が癒すだけの凡作。

 焦りが増すだけだった。

 

 撮影に向けて、撮影地へと入った俺は様々な役者に話を聞き続けた。

 その様を見た両親は、熱心だと笑った、空白期が貪欲な心を作ったのだと。

 深く暗い森を背に、原作を読み込んだ。

 そうして、俺の疑念を確信に変えつつあった。

 原作は、肉親を失った少年が自然の中を必死に生きて、熊と闘い、一人前の狩人になる物語だった。

 全てがあまりにも違いすぎた。

 

 誰にでもできるよう加工した作品を演じるという事実が、自分の才能が無いという裏付けのように感じてしまった。

 

 

 

 才能が無かったら、俺を誰が見る。

 誰も見るはずがない。

 才能が無かったら、俺に何ができる。

 何もできるはずがない。

 

 焦燥感が俺を駆り立てた。

 思い出すのは、役者たちの言葉。

 演じる役が自分そのものになる幸福。

 役を演じたまま死ねる役者は幸福だという小説家の男の言葉。

 使い方の知らない銃を鞄に入れ、鉈を手にしていた。

 子供の手には、それらはあまりにも大きかった。

 

 あらゆる全てを失いかけていた。

 そう思い込んだ俺は、見えない何かに突き動かされていた。

 だから森へと入って行った、暗く深い森の中に。

 

 

 

 捜索で駆け付けた大人たちは、死にかけた俺を幸運だと言った。

 違うと叫んだ。

 ぐずぐずに切り裂かれた顔で、指の減った手で、血を流す五体で、何も成せていない。

 役に成れず、役に成り切れず、役に成って生きていない。

 

 救助のヘリが到着するまでの時間、俺はベッドから抜け出した。

 看病してくれている母は疲れからか眠っていた。

 外に出れば、捜索のためか、撮影のためか、篝火が焚かれていた。

 動いたために、再び顔から流れ出す血を鬱陶しく思った俺は、火掻き棒を手に取った。

 赤熱した薪は、動かすと空気を取り込んでより赤く輝いた。

 

 周囲がざわついていた。

 俺が抜け出したことに気付いたのだろう。

 兄と父が、遅れて姉が、駆けつけてきていた。

 傷口を焼く。

 これで血が止まる。

 これでまた役者に成れる。

 

「見ろ! 俺を見ろ! 本物に成る俺を見ろ! はははははははははは!!」

 

 俺は高らかに笑い声を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

 --2

 

 自身の琴線に触れる役者の居ない舞台稽古に、黒山は小さく舌打ちをした。新入りの噂を聞いて駆け付けたが、完全な無駄足だった。既に色の付いている演技ばかりだ。

 僅かな苛立ちを誤魔化すために、目を瞑って理想を描く。目を通した作品を振り返りる。合致した『本物の役者』は未だに見つからなかった。足掛かりさえも。

 今現在、活躍している俳優にその片鱗を持つ者はいない。

 完成図は思い描ける。だが、それだけだ。役者ではない黒山が、理想に足りる技術を知ることはない。求める演技や演出はわかるが、『本物』へと至る道程には靄がかかっていた。ともすれば、理想に至る始点すらもわからない可能性があった。その始まりがわからなければ、これまで行ってきた発掘とも言える作業に割いた労力は無駄でしかない。無駄でも構わないが、それが『本物の役者』と出会えない可能性に繋がる事実だけは認めることは出来ない。だからこれからも徒労を繰り返す。自身がそういう生き物であることを、黒山は当然のように理解していた。

 万が一無駄だとして、何を指針とすればいいのか。

 

「あれ、黒山さん。天球の稽古を見てるなんて珍しい」

 

 そんな言葉が黒山に届いた。舞台稽古が行われていようとも、混ざることもなく、紛れることもなく真っ直ぐに。それは若く張りが有り、滑舌も非常に良い滑らかな言葉だった。穏やかで深い特徴を持つ声だった。思考や、心の奥底に沈み込む音だった。

 誰もが好意を持つ音を、誰もが聴きやすい早さで再生したのならばこの声になるだろうか。意識しなければ、紡がれた言葉の全てを無意識の内に受け入れてしまう音だった。

 あまりにも自然すぎて、逆にわざとらしさすら感じる。

 

「お前よりは珍しくねぇから。むしろなんで居るんだよ」

 

 そう答えながら閉じていた目を開く。誰もいない。舌打ちを一つ、視線を舞台袖に走らせる。

 声の主は舞台の袖幕から身を乗り出していた。

 

「……いや、遠すぎだろ」

 

 一階席の中央かつ前列、いわゆる鉄砲と呼ばれる席に座る黒山の言葉が届くはずもなく。縁日で売られているヒーローの面で顔の半分を隠した男は首を傾げていた。

 

 

 

 黒山の座っている座席から一つだけ空けて、男が座った。背の丈が百八十を超える男が近くに座ったというのに、意識しなければわからないほどに気配が薄かった。

 

「おはようございます、黒山さん。天球の稽古を見てるなんて珍しいですね」

 

「それさっき聞いたから」

 

「相変わらず地獄耳ですね」

 

 これが地獄耳ならば、とんだ地獄もあったものだ。男の言葉に苛立ち、眉間に皺が寄る。分かりきっていたことだが、待望の『本物の役者』は見つからなかった。そもそも、今回の目当であった役者は十分な舞台歴を重ねていて、独自の色を持っていた。劇と自信に染まりきっている。黒山が望む『本物の役者』になれるとは到底思えない。

 どうせこの男ならわかっているであろうことを揶揄われて、黒山の機嫌は悪くなる一方だった。

 

「お前の声がうるせぇだけだ。まずその媚糞(こびくそ)笑顔と洗脳ボイス辞めてから話しかけてこい」

 

 普段も愛想が良いとはお世辞にも言えない声が、さらに低くなる。

 不機嫌さを隠すことすらしない。

 

「お仕事モードだからイヤでーす。外面が良いだけで嫌われず、良い物を纏うだけでお金にすり寄って、学歴で一目置かれる。持ってる物を使うだけで生きていけるんだから得じゃないですか」

 

「しょうもない仕事して何になるんだっての」

 

「お金と信頼とコネになるんですよ。自分が笑顔になれば相手も笑顔になるんです」

 

 誰もが好感を抱くであろう爽やかな笑みを浮かべていた男が、自身の両手の人差し指で口角を上げる。そうして、にっこりと子供のような笑顔を作って見せる。どちらも極限まで減点を排除して作り出された、自然でありながら人工的な笑顔だった。

 人差し指で僅かにヒーローの面が持ち上がっていた。隙間から見える皮膚には大小様々な傷痕があり、そこから伸びるように首の皮膚が火傷によって変色していた。黒山が知っている限り、隠れている半分の顔全体にも同じような傷と火傷の痕がある。詳しい話は知らないが、役を演じた頃に自傷したらしい。調べたこともあるが、何せ外国の、それも落ちた役者の話で、信ぴょう性は低い噂ばかりだった。

 それを隠すためなのだろう、ヒーローの面をちょうどいいと男は過去に言っていた。こういった小道具は、業界人が身に着けているだけで、ファンが仲間だと思って喜ぶのだとも。

 わかりやすい欠点は同情などを抱かれやすく、嫉妬されにくいとも。

 

「言ってろ。で、お前こそなんでここに?」

 

「車が故障しました。外車ってホントだめですね。日本人のメンテしない性分を遥かに上回る駄々っ子ですよ」

 

「……それで? 用事があるんだろ」

 

 故障しないのもありますけど、と呟く男に先を促す。面倒な建前を長々と話されて煙に巻かれても面白くない。

 噂に乗せられ、目的を達するには外れた時期に現れた黒山と、本当に偶然会うような男ではない。偶然を装ってばかりだが、実際の要件は別にあるのだろう。

 

「えー? そうですね……。まあ、近くだったんでちょうど良かったって話なんですけどね。他の劇団で燻っていた役者をここに紹介したので、その新入りが馴染んでいるか様子見してました。動く死体の匂いがするって杖投げつけられてないかの。ここのジジイとその孫、頭おかしくてめっちゃヤバいじゃないですか」

 

 「動く死体の臭いってヤバくない?」と他人事のように尋ねる男を無視する。黒山が人の事を言える人間では当然無かったし、この男もまた同様のはずだった。

 それよりも、重要なのはこの男が役者を紹介していたということだ。有望な新人を獲得していたのなら、黒山にもわかる程度の水面下でざわつきが広がっていたはずだ。僅かな噂程度しか話題に上がらなかったことから、本当に役者の紹介だったのだろう。目的を果たすため、という意味では全くの無意味になってしまった。

 業界が水面なら、まるで考えなしとばかりにとぼけた顔で森で拾った物を投げ入れて小さな波紋を作る男だ。実際には、間もなく波紋は消えるが、泳いでいる魚と、それを食べた川岸に住む人間を抹殺している。そして、わざとらしく山に生息する毒を投げ入れた者が何処かにいると主張する。

 すでに色がついた役者を移しただけのことだろう。この場に限って言えば、だが。

 

手前(てめぇ)が言うなよ。つうか他の劇団からってことはたち稽古から居たってことだよな。完全に無駄足になっちまった」

 

「そういうこともありますよ。まあでも新入りがなかなかいい演技をするって話なんで見てけばいいんじゃないですかね」

 

 噂の出処の紹介者が他人事のように言う。事実、他人事だろうが、同時に黒山の望む『本物の役者』を理解しているはずでもあった。

 それでこの振る舞いなのだから、面の皮の厚さは相当な物だろうか。

 

「染まりきった水に興味ねぇな。透明な水が欲しいんだよこっちは」

 

「砂漠でも彷徨ってるんですかね。でも染まっていても水には使い道くらいありますよ。むしろ色に染まりきって抜けないほうがいい」

 

 隠しきれないとばかりに、にやりとした笑みが男に浮かんでいた。

 演出としては有り得る話だった。濁った役者を踏み台にすることで、確かに主演は輝くだろう。

 使えなくなった役者は仕事を失って消え、売れ残っていた役者に席が空く。演技が上手くなったように見える主演は自信を付け、仕事や露出が増える。屑が生み出す循環だ。

 

「趣味が悪い」

 

「そうですか? それくらいのほうが月の影が綺麗に栄えるんですよ」

 

 循環を作らなくとも、使い方次第でどうにでもなるのだと男は言っている。しかし、それは黒山の求める物とは正反対だった。

 何にでも染まり、何にも染まらない『本物の役者』。

 映画を役者に合わせるのではなく、映画に合った役者を求めている。

 

「まあ俺にはそういう風流を理解する感性が無いので何も協力しませんけどね。それはそれとして、今日は舞台稽古を見てるんでアンダーを漁りに来たのかと思いましたよ。あ、砂漠に行くために会いに来たって話なら飛行機のチケットくらいとれますよ」

 

 無駄足だった徒労感と、いい考えでしょうと煽る男に、黒山は苛立ちが募る。

 アンダー、アンダースタディー、スタンドバイ。主要キャストが何らかの形で舞台に立てなくなった際の代役を指す言葉だ。代役のための念入りな稽古があるわけもなく、それを目的に見学するのは余程の酔狂か身内くらいだろうか。舞台稽古が行われるのは、劇団の規模にもよるが、二か月近くだ。既に稽古も佳境に入っている。ここまで来ると、公演してから観劇したほうがキャスティングに役立つ。

 それをわかっていて煽る男は、怒りの沸点を計る自由研究でも始めたのか。黒山の脳裏に怒りを通り越して疑問が浮かぶ。

 

「黒山さんも笑顔を振りまいたらお仕事貰えるんじゃないですかね。」

 

「俺の笑顔は『本物』を見つけた時のために取ってあるんだよ」

 

「またそれですか。個性の強弱と得手不得手が違うだけでみんな本物の役者ですよ。劇には劇の、映画には映画の、個人は歯車、チームで平等、みんなで仲良く、笑顔でお仕事です」

 

 穏やかな人好きのする笑みを浮かべながら男が言ったが、黒山はそれが建前だろうとわかっていた。

 参加した作品にほとんど口を出さず、安穏としていてやる気の欠片も見せない。だが、本当に必要な時だけは口を出す。隠しきれていない性分は、まさに見たことの無いものを求めるエゴの塊。同類でしかない。

 その中でも、人の道を率先して外れている。直接見たことのある、そして伝え聞くだけでも十分なほどに奇行が多い。

 

「しかし、俺は優しいので恩を売ってあげますよ。スターズの新人を発掘するオーディション、毎年やってるやつ、あるじゃないですか。あれの審査員を譲ってあげますよ」

 

「面倒だって愚痴ってたやつじゃえねぇか」

 

 「そんなことないでーす。未来の卵を最初に見つけられなくて悲しいでーす。あ、話を通しておくので、後で電話してあげてください。俺の名前を出せばすぐです。これがコネの力です」と男が連絡先の書かれたメモを差し出しながら、上機嫌な様子で言った。面倒ごとを押し付ける先が見つかったのが余程うれしいらしい。

 スターズのオーディションといえば例年で応募人数は三万人を超え、虱潰しに見知った場所を練り歩くよりは希望が見える。同時に、当然ながら玉石混淆。ふるい落としたとしても、屑は擦り抜ける物だ。それらを弾く作業を手伝わなければならない。面倒なのも理解できる。価値のある玉から見極めたいのが本音だが、そううまくはいかないのが道理というものだ。

 問題はスターズとの折り合いが、黒山自身あまり良くはないことだ。目の前の男は社長からの覚えがめでたい。こうなると、壁として利用するしかないだろう。何より、会話していて若干ムカついたので面倒ごとを押し付けるには都合がいいとすら思えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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