クシェペルカ王国は他の諸国に比べれば平和に胡坐をかいた弱小国家と言われてもおかしくない。けれども、エレオノーラ・ミランダ・クシェペルカにとってみれば――それでも自慢の故郷である。
暴力的なことが苦手で大型兵器である
防衛力はどの国も所有し、父親で国王のアウクスティも抑止力という観点から導入を決定した。
もし、これを否定した場合は早期に隣国に侵略を許していただろう、と。
敵はジャロウデクだけではない。
利権が絡む話しになるので今まで距離を置いていたが
犯罪組織というわけではないが友好的な雰囲気は無いと聞かされている。
「……もし、この国の技術がどこかで漏洩した事により、西側が活気づけば間違いなく我が国……、クシェペルカは……飲み込まれてしまいます」
留学生という立場なので国名についてはクヌート公爵は指摘しなかった。
彼女に相対する銀髪の少年エルネスティ・エチェバルリアは東側のことしか知らない筈だ。そう思うと怒りが自然と湧いてしまう。
だが、それを責めることは出来ない。
(フレメヴィーラの脅威は魔獣だけですから。我が国を救えなどと言えるはずがありません)
友好国であるから助力自体は可能だ。それでもエレオノーラが勝手に判断してはいけない問題だが。
祖国の未来を考えれば危機意識は自ずと強く出てしまう。
★
彼女の熱意のこもった訴えに対し、エルネスティは二つ返事で開発を止めます、とは言えないし、言う気もない。
熱意がある限り開発を続ける所存である。それが今を生きる自分の目的だからだ。
戦争の火種は望んでいない。彼女の言う通り、自分が原因で戦火が広がるのであれば責任を持つ覚悟はある。――取れる範囲によるけれど。
「……貴女の言い分では僕に何も作るな、とおっしゃるわけですね?」
「極論ではそうなりますが……。それは無理でしょう。すでに出来上がった技術は他の方が引き継いでいくでしょうし……。出来る事なら大人しくしていただきたい」
「はいそうですか、と従う気はありません。……確かに戦火の火種は僕も望みませんが……。そちらはそれほど切迫しているのですか? 世間知らずな部分があることは認めるところですが……」
「はっきり言えば……、はいと答えます。今も国境付近で小競り合いが続いていることでしょう。……もしここで敵側に革新がもたらされれば……、そう思うと安心できませんもの」
エルネスティは彼女の言い分に理解を示して頷いた。
本当に危機がすぐそこまで来ている。しかし、それを実感するには実際に現場に行かなければならない。
話しから彼女は隣国の友好国クシェペルカ出身であることは理解した。
(……賊がもしジャロウデクの手のものだとヤバイですよね。何の方策もなく他国に攻め入ることなどあり得るのでしょうか? というより隕石騒動があったにもかかわらず攻め込む元気があるとは意外です)
不謹慎だが苦笑を覚える事態だ。
西側とて無事では済まなかったはずの大災害である筈だ。敵国の復興の速さは異常ではないかと思わざるを得ない。それともそれをきっかけにしているから元気なのか。
「双方の言い分もあるだろうが……。エレオノーラ、少し熱が入りすぎですぞ」
クヌートが緩衝役を買って出て場を和ませようとした。隣に座っているイサドラも額に汗して語るエレオノーラが心配になってきた。
背後に控えているシズは無言のままおしぼりを差し出した。
「申し訳ありません」
「しかし、エルネスティは今のところ大人しく過ごしていると聞く。……現状ではこちら側の一方的な言いがかりである。……技術漏洩に関しては既に手を打ってあるが……、火消は無理そうです」
「でしたら、クシェペルカ側の戦力を上げれば良いのでは?」
「……結局はそこに行きついてしまうのですか? 私は暴力は嫌いです」
理想を語ることは自由だ。しかし、クヌートは理解している。それは何も知らない王族の戯言であることを。
現実は残酷である。強大な力を手にした国が大人しくしている筈がない。フレメヴィーラ王国ですら――いや、国王自ら望んでいるのだから。それが例え侵略目的が無いものだとしても。
(陛下は新しいもの好きであるからな。開発を停止させるような命令は出さないであろう)
対するクシェペルカは本当に平和を愛する大人しい国だ。それに付け込んで攻めるジャロウデクは覇権主義国家だ。
世界統一の野望を持つ。そういう国は中々和平案に応じない。
★
みんな仲良くすればいいのに、というのは誰もが思う。それと同時に世界を統一したい、と思うものまた存在する。
力は強大であればあるほど危険思想に染まりやすくなる。
(魔獣、隕石と続いて次は国家間の戦争……。不謹慎ですが、少し前なら面白くなってきました、と言っている所です。しかし、当事者からすれば面白くもなんともない。実際に国を焼かれる側からすれば……、たまったものではないでしょうね)
そんな焼かれる国を見てエルネスティが笑っている。新型を作って浮かれている少年を目にしたエレオノーラは当然のごとく怒り狂う。
声なき怒号が幻聴として聞こえる。
貴方のせいで国が焼かれるのですよ!
本当にエルネスティのせいかはおいといて。そう決めつけられても仕方がない結果を残してしまった。
フレメヴィーラの技術を手に入れればもっと国が焼ける、と知られてしまったようなものだ。
これを防ぐ方法は難しい。開発を止めればいい、というわけにはいかない。そうなると次は誘拐と国そのものに圧力をかける。
(クシェペルカは既に圧力を受けている。だから危機感を募らせている)
賊の正体を突き止めたところで相手国は認めない。証拠が全て揃っていようと。
そんな中で平和なフレメヴィーラに出来ることは静観だ。他国に干渉するわけにもいかないので。
心苦しいのは理解できるが実際問題として学生であるエルネスティに出来ることは多くない。
困っている国があるなら助けに行きましょう、と言って行ける訳がない。アンブロシウス国王がお気楽な性格だとしても即断即決はしないはずだ。
「貴方が作り上げた資料を私が全て理解することは出来ません。とても素晴らしい発明をなさったのですね、としか……。ですが、これは結局のところ兵器です。生き物を殺すための」
「自衛とは取られないのですね」
「取れるわけがありません。……そんな綺麗ごとを……」
大型人型兵器たる『ロボット』が平和利用されることは稀だ。エルネスティも認めるところである。
戦争は嫌いだが、などというのは彼女の言う通り綺麗ごとだ。いずれ人を殺すようになる。特に国が戦力を持つという意味でも避けられない問題だ。
将来的には大量破壊兵器が作られてしまう。これは必然と言える。
玩具の中だけで満足していればいいのに現実に影響を及ぼせば世界がどうなるか、エルネスティは改めて考える必要性に気付いてきた。
この世界では現実であるという事に。
★
フレメヴィーラではまだ魔獣相手に防衛が許された自衛手段として認知されている。西側はそうではなくて国家が保有する暴力装置だ。その機能を拡大していけば行くほどに泣く人が加速度的に増大する。
エレオノーラからすれば
だが、国家防衛の抑止力としての歴史がある以上は簡単に無くせないのも事実だ。
(彼女を説き伏せてもクシェペルカが引き下がるわけではありません。これはいわば国を相手にすることに匹敵します。こちら側は国王陛下でも持ってこないと解決には至りません)
「もし……僕に機会をくれたら……。平和への助力は惜しみません。ですが、
「兵器に人生をかけるのですか? ……失礼ですが……頭がおかしいと言われたことは?」
「よく言われております」
銀髪の少年はにこやかに誹謗中傷を認めた。それに対し、エレオノーラは少しだけのけぞった。
常ならばオルター弟妹達が助けてくれるけれど、今は助っ人が誰も居ない。
完全な『
「その前に軍備増強を危惧されているようですが……。
エレオノーラに尋ねると首を傾げられた。
フレメヴィーラに存在するいくつかの
「援助する者が居れば可能であるな。特に部品だが……。フレメヴィーラにある
「そのエーテルなんとかという部品は特別なものなのですか?」
「はい。国秘ゆえに詳細は教えられませんが……。一般には製造されておりませぬ」
クシェペルカの王女であるエレオノーラは元々
フレメヴィーラの資金源と言えるのは主に魔獣の素材だ。どの国もそれなりの資金源があって軍事費に費やす。単なる廃材からロボットを作るわけではない。
「新型こそ作っている我が国も絶対数自体はそれほど増えておらん。いくら数を増やそうとしても肝心の
魔獣対策の為に多くの
その説明を聞いてエレオノーラは改めて自分の無知さ加減に気が付いた。
エルネスティの技術は確かに脅威だが資金源まで考えが及ばなかったことに。ある程度の暴論部分を謝罪し、平和利用のための助力を
★
数年前であれば駆け出している所だ。
「新型開発は難しいですが……。改良ならば早い段階から着手することができます。というより他の国の
「お前に見せたら国問わず新型に挿げ替えられてしまう。そこは慎重に進めざるを得ない」
「……いくら僕でも新型をホイホイ作れませんよ。必要な材料があれば不可能ではない、というだけです」
案は確かにたくさんある。実用に足るかはまた別の話しだ。
クヌートにしてみれば簡単に作られては困る。自国も他国も脅威にさらされてしまうから。だからこそエレオノーラは危惧していた。
(同盟国が多ければエルネスティの希望は成ったやもしれぬ。だが、今はまだ敏感な問題なのだ。それをこの子供にどう教えればよいのか……)
「そうですか。時にエルネスティ様。この先のことはどうお考えであられます?」
「卒業した後のことですか?」
「はい」
「騎士団に入るか……、
優秀な頭脳は確かに有効的に使われるべきだ。彼がもし政治に関わればとんでもないことが起きそうな気がする。特に悪い方へ。
技術者として見るならばまだ飼い殺しが可能だ。この手の人間に権力を持たせるとロクなことがない。そんな予感を強く感じた。
「魅力的な条件を提示されればどんな国にも行かれるのですね」
「どんな国にも、というのは語弊がありますよ。……確かに条件次第では未知のクシェペルカにも行くかもしれませんし、ジャロウデクもありです」
「……では、後学のために教えていただきたい。エルネスティ様はどのような条件をお望みでしょう? 地位や名誉、金銭に領地……」
「適度な施設と資材があればどこでも構わないのですが……。少なくとも僕は……、家族や友人が悲しむ結果だけは選びたくありませんし、命を大切にしたい気持ちがあります。それと自由な研究でしょうか。今のところ大それた条件は思い浮かびません」
「家族や友人と引き換えに国が焼かれてもよいのですね?」
エレオノーラの言葉は意地悪ではあるが真理である。
何かを提示すれば他は犠牲になる。その極論をもって彼に尋ねている。
お前は
エレオノーラであれば国と家族と民は犠牲に出来ない。だから
しかし、それが本当に正しい選択かは分からない。もしかすれば取り返しのつかない事態になるかもしれない。
正しい選択とは何かも――
「犠牲を出さずに済む方法は無いと私は考えます。その上で尋ねます。エルネスティ様は何を犠牲にすれば世界を幸せにできますか?」
「極論でよいなら僕はこう答えます。生きとし生ける生命全て……。知的生物が存在する限り世界は決して幸せにはなれません。文明そのものが世界にとって毒だからです」
近代文明の功罪をエルネスティは転生前から知っている。
高度な科学文明は様々なものを犠牲にしてきた。そこに幸せなどあるわけがない。だからこそエレオノーラの疑問にはそう答えるほかない。
(極論に対し極論で即座に切り返す……。子供とは思えない思考を持っておるようだ)
(我々が世界の毒? つまり皆殺し……、というわけではないでしょうね。しかし、幸せになれないとは……)
エルネスティの思いもよらない答えに愕然とした時、背後に控えていたシズが優しく肩に触れた。
会話に参加してもよろしいでしょうか、と彼女にだけ聞こえる声で。
何にも
通常、メイドは会議の場で余計な口を開かないものだ。今までも彼女が会話に割り込んだ場面に覚えはない。それはこれからもずっとそうだと思っていた。
先のアンブロシウスの言葉からシズに対する印象がガラリと変わった気がする。
「メイド風情が口を挟むことをお許しくださいませ」
まずクヌートに軽く一礼し、断りを入れる。それに対し、彼は特に指摘しなかった。
続いてエルネスティに顔を向ける。
「知的生物が存在する限り世界が幸せになれないのは本当でしょうか?」
「知識としてはそうだと言えます。文明を築くのは基本的に人類ですし、便利を求めて自然を破壊しますから」
「……なるほど。しかし、世界を幸せにする、という条件であるならばその世界もまた知的生物に匹敵する存在ですよね? 幸福を感じるのは知的生物の特権である筈……」
「そうですね。概念的な話しになればどこまでも揚げ足取りになってしまうのですが……」
「知的生物を毒と定義するならば……、抗体と定義されるのは一体何でございましょうか?」
「この場合の条件でいえば……、人類の敵ですね。それは自然災害であったり疫病や魔獣……。外敵に類するものと思われます」
自然災害に満たされれば。疫病に満たされれば、世界は幸せになれるのか。
そもそも生物が住めない星は死んでいるのと変わらない。あるいは永遠の停滞こそが幸せの正体とも言えてしまう。
この場合、観測者がどう思うかで解釈が変わる。
★
メイドのシズ・デルタは自らの幸せについて聞かれた場合を脳内で想定する。
エレオノーラの言う幸せとは同義にならない。
エルネスティの言葉による幸せは文明の存在によって阻まれる。
しかしながらシズは幸せな世界に居た事を知っている。ただ、それを人類に告げる意味や理解されるのかは分からない。
至高の御方によって創造された世界に不満点があるのか、と尋ねられたら無いと即答する。
天上の世界は唯一ではないけれど幸せに満ちている。あれ以上を望む事は
(……ただ、思考力を奪っては意味がないので我々は物を考えることが許されている。漠然とした望みに対する幸せの解答は提示することが難しい)
もう少し具体性を持たなければ誰も納得しないのは理解した。
エレオノーラはその具体性を持っていない。それゆえに限界がある。
「貴族が願う幸せと平民が願う幸せもまた同義にはなりえません。個人の感想は千差万別……。これだ、という解答を僕が出しても、それは僕の意見にすぎません」
「……ですが、それは良い模範解答です」
「ありがとうごさいます」
シズから褒められるとは思わなかったエルネスティは素直に喜んだ。
しかし、側に控えるエレオノーラはまだ不安が拭えていない様子で、満足したとは言えないようだ。
「皆々様の意見を集約するに……。全ての世界に共通する敵がいれば良いのですよね?」
「……は?」
唐突に提示されるシズの言葉にエルネスティは思わず呆けたような言葉を発した。
褒められたばかりなのに何を言われたのか理解できなかった。
どこをどう集約したのか――
(世界共通の敵……? 敵は居ない方が……)
いや、確かに共通する敵という概念は有効だ。必要悪という言葉がある通り、バラバラな意見をまとめるにはうってつけである。
しかし、それはそれで更なる騒動の予感がする。
「例えば先の隕石……。国同士の争いよりも優先された一致団結のきっかけ……。その時は確かにあったはずです。人々の幸せの形というものが……」
大きな災害の時は戦争よりも優先される事がある。確かに言い分としては納得できる。
自分たちに被害が被るような大きなものほど協力関係は築きやすい。そして、その時は確かに平和という言葉が重みを増す。
略奪がないとは言わないけれど――
「そういう災害が何度も起きては人々の生活圏が
しかし、そういう時に使われる
もし、そうなればエレオノーラも不安には思わないはずだ。人の役に立つ
兵器開発は結局のところ不安要素の増大ばかり。平和利用に使うにしても今のところ用途が限られているのでどうしようもないのは認めざるを得ない。
★
用途に関して急な変更ができないし、専用の
新しいことをするにはたくさんの段階を経る必要があり、当然の帰結として他国に狙われる。
出せる情報があれば出したいがエルネスティの自己判断でできることは少ない。
「どの道、他の国々が兵器利用している限り抑止力としての
新型機の開発はすぐに出来ても総入れ替えは簡単には出来ない。この辺りは
都合の悪い時だけ時間がかかるという点が――
「それと大型兵器がなくとも騎士という概念があるので結局のところ争いを無くすのは難しいかと」
「確かに。それもまた真理ですね」
騎士という言葉でエレオノーラは自分の発言の不備に気が付いて申し訳ない気持ちになった。
「……申し訳ありません。気が
(……良かった。
エルネスティにとっては死活問題だ。
人生の意味を取り上げられるところだったので。それとシズの言葉にも助けられた形だ。もし、彼女がいなければずっと
ほっと胸をなでおろす銀髪の少年。だが、それで問題が終息したわけではない。
冷徹なメイドであるシズが残っている。既にイサドラは聞き手に回り、クヌートは必要な時以外は見守る役に徹していた。
(我が国だけであれば新型機開発についての
それに最近の彼は大人しく過ごしているし、意見を求めようになった。
勝手な振る舞いは無いが不安はまだ残っている。次にどんなものを作ろうとしているのか、だ。
戦争の道具ではなく人々の役に立つものとしてならば考えないこともないと公爵は考えた。
「お嬢様の不安が晴れたのであれば……、これ以上は何も言いますまい」
「い、いえ。シズにご足労をかけて申し訳ないと思っています。私はもう大丈夫ですから……」
「そうですか。皆様、メイド如きが生意気を口にして申し訳ありませんでした」
あっさりと引き下がるシズ。これにエルスティは呆気にとられた。
仕事に忠実であるという点でいえば何の問題もないのだが――
元のメイドとしての仕事に戻るとテキパキと必要な道具を用意し始める。
★
エルネスティから聞きたいことは大体聞いたので会談をお開きにすべきかエレオノーラはイサドラとクヌートに尋ねた。
二人は今以上の問題の発展を恐れたのか、特に意見は無いと答えた。
(……問題の先送りが精々……。私もいずれ
単なる兵器という枠組みにとらわれず、自身が願う平和や幸せをこれからも模索していかなければ。そう、エレオノーラは強く思った。
椅子から立ち上がろうとすると軽くめまいを感じた。思った以上に熱が入っていたためか、それとも頭に上っていた血が一気に下がったのか。とにかく、身体がだるい。
そういえば、と自身の両手を見る。
(……汗がこんなに)
さらに息が荒く、呼吸も苦しい。
紅茶を飲んでいたはずなのに軽い脱水症状に見舞われていたようだ。
いや、それだけ身体が熱くなっていた。
会談を終えて別室で横になったエレオノーラは過労で倒れたことを淡々とシズから説明を受けた。
慣れない興奮も加えて少し休めば大丈夫ですよ、と聞きなれた声に安心する。
(……シズが側にいるだけで心強い。もし、それが全て演技だとしても……)
小さい時からシズは側にいた。今から思えば容姿に変化が無いくらい。いつもと変わらぬ美貌を維持していた。
願望というものが無いのか、彼女から何かを
会談の場で急遽、エルネスティと相対したシズが人生で一番頼もしく見えた。
「……先ほどの問いですが……、世界を平和にする方法は本当にあると思いますか?」
「繰り返しになりますが……、エルネスティ・エチェバルリアが言ったとおりだと思われます」
横になっている主の言葉に即座に答えるメイド。
冷たい手ぬぐいの用意を整え、適度な時間にエレオノーラの額に乗せる。その冷たさが実に心地よい。
「……えーと、文明がある限り自然が破壊される? であれば我々がいなくなればいい、という?」
いや、違いますね、と訂正する。
知的生物を毒と定義する事だ、と。
世界にとっての本当の敵は自分たち自身。その敵が世界の幸せを願うという矛盾。
まだ少し理解できないクシェペルカの王女はしばらく考え続けた。そして、自分はあまりにも無知であることを知る。
王宮で何不自由なく育ったせいで世間がどうなっているのか、今一度学び直す必要がある、と。
それと魔獣の存在も無視できない。特にフレメヴィーラ王国はその脅威がある限り戦い続ける宿命にある。西側とはまるで常識が違う世界である事を忘れてはいけない。
「魔法や剣術も……習うことができましたよね?」
「ライヒアラ騎操士学園の教育課程に組み込まれております。ご興味があれば挑戦されてはいかがですか? 知識の拡充は将来の役に立つかと」
「……確かに。ここは敵地です。そして、一番の強敵はエルネスティ様。あの方から直接様々なことを学んでみましょうか。……ご学友ですものね」
「良い案ですが……、今は体調を回復さることに専念なさいませ」
「……はい。大人しくしておりますわ。……ありがとう、シズ」
「……いいえ、滅相もございません」
いつもと変わらぬ言葉のやり取り。シズはいつだって変わらない。
これからも、と思うと少し心苦しいが彼女が自らの望みを口した場合、出来るだけ叶えてあげたいと思いつつ仮眠に入る。
★
全ての
メイド服を着ていてもまっとうにメイドの仕事をしない彼女は学生に身をやつして人々の生活に同化していた。
エルネスティ達のやりとりもこっそりと把握している。
より正確には地上に派遣されている全てのシズ・デルタの行動。それはほぼ筒抜けであった。
元は自身から分かたれた分身体だ。しかし、本当の意味で全ての端末を把握することは理論上不可能となっているけれど。
数を制限して今に至る。
(……状況クリア。……かの者の危険度は本人の意思と関係なく増大する傾向……。あくなき探究心は時に衝突を生む。……だが、発展無くして文明は育たない)
この星の文明は遠からず疲弊する。機械文明が高度に発達すれば自滅へ進むのは必然。
緩やかな死に向かいつつあることをお節介にも教えてやる義理は無い。
至高の御方が何もしないのは目立つからだけではない。
数度の天災をもって星に警告を発する。その全てに打つ勝つ時、降臨の儀式は成る。
最初期にそういう想定を決めて地上調査に赴くのだ。
(……エルネスティ・エチェバルリアは世界全体のことは考えていない。……あくまで個人的な趣味に留めている。それに……大切なものの存在を認識した。……であればそれほど脅威というわけではないのでは?)
無自覚な害意や悪意ということもある。
今の進捗であれば遠からず世界全体が戦争に見舞われる。強大な力はどこかで発散させたいものだ。既に西方のいくつかの国々はその為の準備を整えている。
一つは領土の拡充。一つは利権。一つは単なる実験。
「……堂々巡りはこのことか」
功罪は大きいぞ、エルネスティ・エチェバルリア、とシズは小さく呟く。
だが、それとて必然だ。排除しても意味はない。だから、大切に扱わなければならない。
シズは
「……〈
こめかみに指を当てて魔法を発動する。
いくつかの中継地点を経由し、至高の御方に連絡を入れる。直通で繋げられるのはオリジナルのシズの特権である。
『……シズか。何かあったのか?』
「……お願いしたいことが……あります」
共通の敵という概念について。世界情勢について。各地に点在する
今まで本格的に干渉しなかったことを検討し直す形になってしまう。けれども、次に進むために。だが――
『僕はもうすぐ休眠に入る。そんな面倒なことはしない。というかお前は早く戻ってこい』
「……今少しの猶予を……」
『……愛着を持つほどのものを見つけたのか?』
「……はい。……申し訳ございません」
それでも一時間ほどの長考というわけではなく、すぐに返事が返ってきた。
お叱りは覚悟の上だが我儘に過ぎれば次の星に降りる許可が出ない可能性がある。それを今犠牲にするのもばからしいと思ったが――
『次の天災までだ。……その時はお前のお気に入りも死んでいると思うが……。罰として全ての部品を
それはつまり自身の本体をバラバラにし、そのすべてを半永久的に保管庫にしまわれることを意味する。
至高の御方から賜った自身の身体を新品へと取り換えることにシズは今まで抵抗していた。
つまりそれだけの価値があるのか、と問われている。これにはシズも即答を躊躇った。
「……彼は『特異点』となりうる存在でございます。……既にいくつかのパラダイム・シフトを確認しておりますから」
『……だろうね。典型的とも言えるし。何の疑念もない。はっきり言えば当然の帰結だ』
遠い場所にいるはずなのにガーネットは既にエルネスティについての評価を下していた。その結果はシズにとって驚くほど高いように感じた。
もし、そうであるならば排除すべき敵となってもおかしくない。今はそれだけは避けてほしいと思ってしまった。
可愛い男の子。新しい家族も増えた。観察対象の今後が楽しみで仕方がない。
恋愛対象ではなく愛玩動物として。
『何にしても僕は降りない。……となればるし★ふぁーに頼むしかないが……。それでも構わないか?』
「……る、るし★ふぁー様!? ま、まだ地上におられるのですか?」
『……連絡が行っていないのか。……ナーベラルはいつもの通りか……。報連相も出来ない連中だが……、頑張れ。僕はこっそりと応援する』
「……は、はい。……過分なご配慮に痛み入ります」
『……ああ、それともう一人二人来るかもしれない。そちらは観光気分だと思うから無理に接触しなくていい。……派手に立ち回るかもしれないけれど。不安を感じたら……早めに帰ってこい』
慈愛のこもった言葉を最後に連絡が切れた。
詳細については後日詰めることになっているけれど、予想外の事態に
自分だけの問題とするはずが想定以上の
特に至高の御方が巻き込まれるのは完全に想定外だ。端末だけであれば慌てたりはしない。
(……どうしよう。……調整する自信、無い。……せめてネイアを寄こしてもらわないと……)
一時期は教祖『顔なし』として歴史に名を刻んだかつての友人。今は精神的にどうなっているのか分からないが、人間としては――信頼はしていないが――信用に足る存在だ。
抱き枕レベルで。後、見ていると安心する顔立ちだ。――何故か、他の人間たちから忌み嫌われていたけれど。
気を取り直し、これから忙しくなるので計画書の作成や必要な物資の選定を始めなければならない。
世界平和のための共通の敵として。最初にすべきは――
東西に『
世界の果てにエルネスティが到達するかどうか。いや、きっとたどり着く。そうでなければ困る。
シズは未来を思い描きつつ各地の端末に新たな指令を送る。