西方暦一二七四年。
『シズ・デルタ』は六十代という
多少の不整合は女性という立場で誤魔化すことにしている。
城塞のような壁に囲まれたライヒアラ騎操士学園にはフレメヴィーラの各所から学生たちが集まるので、遠距離から来る者の為の寮が存在する。
それらの生徒達の間を縫うように巨大人型兵器の搬入などを
入学式の為にシズ・デルタも新入生たちに挨拶しながら登校していた。
知らず知らずの内に『鉄仮面』という声が聞こえる。それはおそらく彼らの親からの伝聞が伝わっていると思われる。
どう呼ばれようとシズは気にしない。むしろ溶け込んでいる証拠だ。
また一年新入生の教育に従事する日々が始まる。それはシズにとって毎度の行事となっていた。
各都市から『
それはおそらく
振りは出来ても心の底からの喜びというものは至高の存在からのお褒めの言葉でもない限り、全く一切湧かないものかもしれない。
そして、それを悲しいと思うこともない。
多くの新入生は講堂に集められ、学園長である『ラウリ・エチェバルリア』のありがたい話しが始まる。
白銀の髪に老齢に差し掛かった風貌を持つ男性。シズ・デルタにとっては既に見慣れた存在となっていた。
最初の頃より老けているのは時代の流れ。しかし、老いという概念は見た目の変化程度にしか感じられないシズにとってどうでもいいことのように思えた。
休眠期間を迎えれば住人の顔が全て変わっている、ということもありえるので。
出会いと別れは日常的なものに過ぎない。
「鉄仮面は今年も微動だにしないな」
「……失礼ですよ」
周りの意見に従い、行動を変化させるのは怪しいと思うので一度確定された自分の行動は基本的に変えない事にしていた。けれども指摘を受け入れる用意は整えている。
数十年にも及ぶ学園生活においてシズの地位は年々高くなっていた。
いずれ次期学園長という噂もあるくらいだ。ただ、本人は教師の仕事以外に興味を示していない。
★
長い話しを終えた後は解散となり、学園内にある食堂に殺到する事態が発生する。
混乱を避ける為に生徒達を誘導するのも立派な仕事だ。
それは毎年恒例のイベントのようなもの。
「慌てず、落ち着いて行動するように」
シズは鉄仮面と呼ばれているものの威圧的な言動は無く、また恫喝もしない。
淡々と作業をこなすところは一流の職人と遜色がない。それに六十代に差し掛かっているはずなのに老いを感じさせない美貌は男女共に定評がある。
仕事一筋の彼女に何度か婚約の話しがあったとか。
少なくとも貴族が声をかけない訳がない、と言われていたが時代と共に人数は激減した。
断りの文句は『仕事一筋なので結婚は辞退します』とシズは繰り返し言い続けた為だ。
「今年も多くの生徒に恵まれましたな」
「そうですね」
相手からの声かけに対する返答も随分とこなれてきた。
当初は何度も見当違いを指摘されたものだ、と感慨深げにシズは口元を緩める。
けれどもやはり人間と明らかに違う点がある。
完璧な生物ではない。
身体の中身を覗けば一目瞭然の真実が現れる――かは闇の中。
仮に
無理に抵抗するのは
「今年の生徒達の中からどれだけの
「才能も大事ですが……、最終的には本人のやる気です」
無難な相槌を打ちつつシズ・デルタは多くの生徒達を眺める。
これらの内、何割かはどうしても
無駄に命を散らすだけ。ならば別の道を指し示す事も教師の仕事だ。
人間的な思考によってシズは思ったわけではない。確率論に基づき、結局のところ自分自身の保身による結論――
長い年月で積み重なった方法論とも言う。
ようは敵をいかに作らないか、だ。
★
入学式は滞りなく終わり、本格的に授業が始まるのは翌日からだ。
まず最初に
シズ・デルタが今年担当する学科は決まっていないので、各学科を一つずつ見学するところから始まる。
既に殆どの学科を担当した彼女には毎年一年間受け持つ学科を選ぶ権利が与えられている。
国に貢献する若者の育成が目的なので細分化された多用な専門分野がある。
「シズ先生は今年の担当はまだ決めていなかったのですね」
「一通り担当しましたので」
他の教師から見れば珍しい事だった。
彼女が
シズとしては迷っているわけではない。次の定時連絡の為に時間が空いていて正直に言えば
確かに一通りの学科を担当し、次の学科を決めあぐねているのは事実だが。
つまり結局のところ『迷っている』のと何が違うというのか。
本人は迷っていないと
「シズ先生。その手に付けているものは何ですか?」
そう言われてシズは自らの手を相手に見えるように掲げた。
手の甲の部分に魔法触媒を括り付けた手袋である。
魔法触媒――または触媒結晶とも呼ばれるそれは魔獣の体内にあったり鉱山から採取する宝石に似た結晶体だ。
「少し前に立ち寄った店で作ってもらったものです」
魔法を扱う場合は基本的に手に持つ杖が必要だ。
一般的に杖の材料として魔力を通し易い性質がある木材『ホワイトミストー』がよく使われる。
それを板状に加工し、更に出来るだけ薄く削っていく。しかし、出来たものは紙のように薄くは出来なかった。
多少の厚みはあるものの、その板状のものを細かく分割し、糸のように編み込んで手袋にする。だが、そのままではまだ硬いので手を傷める事になるから既存の手袋の上に被せる形にしてもらった。お陰で細かい作業には不向きな厚手の大きなものになってしまった。
「魔法触媒を手の甲か
一般人にとっては木の皮などはちゃんと研磨しないと手に当たる皮膚を傷つけるおそれがある。もちろん、シズにとっては何の支障も無い事だが。
これを作らせたのは暇つぶしであった。というのはもちろん、
周りには別に何か目的があったわけではない、という人間的な振る舞いを見せる行動によるもの。
「
「あらら」
「時代と共に変化すべきものがあってもいいのでは……、と……」
何の意味も無く変化を切望したわけではない。
シズが立ち寄った店では既存の常識を覆す事態が起きている、という情報から探りを入れる意味で様子を窺ったまで。
変化する事については別に悪い事ではないし、咎める意図は無い。
時代が動くのはいつだって目立たないところからだ。
シズの知識では時代の変革を『パラダイム・シフト』と呼称する。
★
魔法の手袋は今はただの装飾品に過ぎないもので、発展については考えていない旨を伝えた。
アイテムに頼る魔法は実に不便だ、と本来ならば言うところだが常識の違う世界では無意味なことかもしれないので口をつぐむ。
教師と別れたシズは初等部を一つずつ眺めていった。
今年の新入生に磨けば光りそうな人間が居るのか、と期待を胸に秘めて。
教師という職についている以上、生徒の未来に楽しみを覚えるのが一般的と言える。
中には無能は要らない、という厳しさを持つ者も居るかもしれない。
「シズ先生」
不意に声をかけられたがシズの感覚では数十メートルの範囲であれば索敵は容易で驚くに値しない。けれどもここではあえて驚く
ここでは
「学園長。おはようございます」
「おはよう。……教室を見ていたようですが……、今回は珍しくまだ決めあぐねているのですか?」
「あ、はい。どの学科も担当しましたので……」
シズの答えに満足したのか、ライヒアラ騎操士学園の学園長『ラウリ・エチェバルリア』は声に出しつつ微笑した。
年齢で言えばシズとは同年代。付き合いの長い友人という感覚があるのかもしれない。けれどもシズはあくまで彼を職務上の上司であるという以外の感情は持ち合わせていない。
「早めに決めていただかないと後から教師の変更は出来かねますぞ」
言葉としては厳しいがラウリはシズに対して咎める意図は無く、世間話し程度の気持ちしかなかった。
昔から変わらぬ美貌を持ち、老いを知らぬ仕事熱心さに憧れさえ感じていた。
「承知しております」
「どの教室でも良いのだが、一週間以内には決めていただきたい」
「はい」
「……しかし、今回は迷うほどの事情がありましたかな?」
一通りの授業経験を積んだ今は改めて一巡しようとは思っていない。
単なる予定外の休暇のようなもので、シズとしても返答が難しかった。
困難な状況はいつだって自分の想定を超えたところにある。だからこそ学ぶべきところがたくさんある。
★
取り留めの無い会話の後で二人は別れ、シズは一つずつ教室の様子を窺っていく。
今回は他の教師と合同になっても良い、と通達が成されており、既に説明に入っている教師の大半は事情を察していた為に混乱は起きなかった。
シズが見た限り、気になる生徒は見当たらず、黙って退屈な説明を聞いている
入学初日は
全てに平等に道が指し示されることは無く、卒業する頃には自分の適性を見極めて行くものだ。それになによりも
巨大人型兵器の製造は国家事業と言われている。それと技術面での増産が難しく製作費用も嵩む。
学園で出来る事は教育を施すこと。それ以上の希望を指し示せないのももどかしい問題となっていた。
「エチェバルリア君。君に足りないのは基礎学力と身長だ」
とある教室で教師に指摘されていた生徒が居た。
似た名前に聞き覚えがあった程度だが。
問題の生徒は年の頃は十代未満に見え、艶のある紫がかった銀髪。青い瞳。そして、指摘されていたように他の初等部の生徒に比べれば低い背丈の人物だった。
髪の色について、金髪と黒髪が多い中で鮮やかな銀髪が一人いるのは結構目立つ。
少女のような可愛らしい容貌もまた注目を集めるのに一役買っているような気にさせる。
「僕は早く
教師に臆する事無く言い切る少年。
声質からは男性だと思われる。
「勉学は一日にして成らず。それは他の生徒も同じ事だ」
楽して
子供の夢としては及第点だが生徒としては落第点だ。
自分勝手の我侭な生徒に手を焼いている、という困った顔をしながら教師はシズに顔を向けてきた。
貴女ならばこの場合どうしますか、と無言で問いかけてきた。
教師の様子を察したシズは早速行動する。その辺りの機微を読むのも長い期間の調査の
「
と、鉄仮面というあだ名を付けられているシズがその名に恥じない冷徹な意思でもって生徒に言った。
「みっちり三年間は基礎。次の三年間で……」
「僕は既に基礎を習熟しています。魔法だって
シズ相手でも臆する事なく言い切る。
こんな生徒はシズにとって珍しくはない。
聞いた分で判断するならば彼の言葉には力がこもっていた。それは素直に認める。もちろん教師としての立場で。
彼は本気だという事も理解した。だが、しかしながら、言葉では何とでも言える。だからこそシズは慌てないし、意外だとも思わない。
彼のような
「学園で教えられる事は結局のところ座学だ。実戦で役に立たないものは死んで終わりだ。それを分かっているのか?」
「確かに死んでしまえば終わりです。けれども僕はまだ生きています。何も挑戦していません」
彼のような発言を『向こう見ず』と言う。
実際に挑戦して失敗して挫折して学園から去る生徒をシズは実際に目にしている。
それほど騎士への道は険しい。
魔法が使えるからといって誰でも
人型兵器に乗る為にはまだ乗り越えなければならない問題が山積みだ。
乗れなくても
「ここは君の実力をひけらかす場所ではない。一人の暴走が多くの仲間に迷惑をかける。この時点で君は落第だ」
シズの言葉に今度こそエチェバルリアは唸った。
自分ひとりではどうとでも出来る自信がある彼でも仲間と言われれば黙るしかない。
多くの人々が関わっている問題だからだ。
★
シズとしては教師としての意見を述べたに過ぎない。けれども周りは何故か意表を突かれた、という雰囲気に支配されていた。
それだけ目の前の生徒が特別な存在なのか、それともシズに対して何か驚くような事態などを感じたのか。
「……どうかしたのか?」
「あ、ああ、いえ……。全く物事に動じないところが……。なんでもありません」
横に居る教師が尻すぼみな発言をするので益々疑問に思う。
簡単な例では
見たことも無いものもまた同じ。
人間とは違い、空想する概念が無いので無から新しい物を創造する能力は人間に劣る。
「……それで、エチェバルリア君」
「は、はい」
「言いたい事はそれだけか?」
生徒の意見を封殺する気は無い。
自分の意見があるならばどんどん発言するべきだ。そこはちゃんと尊重する。
シズとて自分の意見を押し通す気は無い。もちろん教師としての責務で時には厳しいことを言う。
どんな言葉が厳しいのかは今いち理解出来ないけれど。
「いえ、先生の言う通りだと思います。けれども僕は諦めません」
「誰も諦めろ、とは言っていない」
「……そ、それはそうです……ね……。失言でした。申し訳ありません」
素直な対応にシズはどう切り返せばいいのか分からず、首を傾げた。
自分の意見が正しいのかは自信が無いが相手が納得しているようなので間違ってはいなかったと思うことにする。
人間という生き物は同じ言葉でも受け取り方で笑ったり、泣いたり、違う反応を見せる。
それは一人ひとりの性格や個性の違いだと思うのだが、それらを把握するのはシズにとって
非効率的な事柄は
「……それで、話しが済んだのならば……。次は何をするのですか?」
シズは側に居る教師に尋ねた。
「この後、生徒達の魔力測定に入ります。……一緒に見学されますか?」
「担当教室が決まらないので……。そうですね。それも大事な事なのでしょう」
困惑していた教師に作り笑いを見せるシズ。
もちろん本人は喜怒哀楽の変化を意識して調整しているのだが、これが意外と好評であった。鉄仮面というあだ名の影響も関係していると思われるが本人には窺い知れない事だった。
★
一旦、教室を出たシズは自分が入った教室がどんな所なのか改めて確認する。
入る前から分かっていたのだが、少し手間をかける方が
騎士学科の初等部一年。
今期最後の仕事として、高等部より賑やかで新しい風を感じられそうだと思い、この教室に決めようと思った。
場合によれば延長が認められるかもしれない。
(……延長かは生徒次第か……)
いや、そもそも延長しなければならない理由は無い。
規程の調査を終えれば次の時代まで休眠する。それはいつもやってきた事だ。
この時代だけを特別視する理由は何処にもない筈だ。
(……それでも場合によれば見逃してしまう希望とやらがあるかもしれない)
とはいえ、帰還作戦に関わるような事態は未だに覚えがない。
そもそもの話しで言えばシズ・デルタの本来の目的は現地の資源を確保すること。
主の退屈を紛らわせる為の話題収集。これは知識の収集と同義である。
立ち寄った未知の文化を献上する為に。
知的生命体が文化を持つ以上、この星を接収する計画は立てられない。
星々を旅をする上で決められた絶対命令の一つだ。
数分の思索の後、生徒達が廊下に出始めた。
向かう先は魔法を使う為の試験場。
「シズ先生も来られますか?」
「はい」
彼女の返答に担当教師は心底安堵したようで、深く息を吐き出した。
ほぼ一方的に相手側がしゃべり続ける形でシズ達は外へと向かう。
ライヒアラ騎操士学園は石造りの無骨な城壁のような壁に囲まれている。生徒程度の魔法ではびくともしない堅牢ぶりを誇っていた。そうでなければ魔獣から生徒を守れない。
それと
廊下を歩く生徒の多くが入学したての子供。当たり前かもしれないがシズの本来の姿と大差が無い背丈の者達ばかり。
偽装を解けば彼らの中に混じっても違和感が無いほどだ。
そんな生徒達を眺めつつ目的地である修練場に向かう。