オートマトン・クロニクル   作:トラロック

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#028 安全性の落とし穴

 

 王国が誇る騎士団『アルヴァンズ』の精鋭七機と学生騎操士(ナイトランナー)を含めた寄せ集めとの戦いが始まった。

 一気呵成に攻めず、まずはお互いの出方を窺う。戦闘に置いて無謀は命取りだ。時には戦略として有効だとしても。

 大型幻晶騎士(シルエットナイト)『サイドルグ』がまずは突貫。――武装は騎乗槍一本。

 防御と機動力が段違いなのでそう易々とは撃破されないと見越した上だ。相手方も想定していたようで混乱は認められない。ただ――人馬型(サイドルグ)の背中には銀髪の少年エルネスティ・エチェバルリアの機体(スケアクロウ)が騎乗していた。

 人間の時であれば不思議は無いが幻晶騎士(シルエットナイト)として騎乗行為をされるのはアルヴァンズにとって――観戦席に居る者達にとっても目新しい光景に映った。

 

(股関節が柔軟でなければ馬に(またが)るなど)

(実際にやられると驚かされる。いやはや人生において珍しい光景が見られて幸運だ)

 

 驚きはしたもののアルヴァンズの中では好印象だった。

 スケアクロウ乗せたサイドルグの速度は一向に落ちない。それだけ強靭な金属内格(インナースケルトン)になっていることである。

 

「キッド達はこのまま突貫してください。それと……重圧軽減の魔法は()()()忘れないでください」

 

 背後からエルネスティの声がサイドルグに乗っているオルター弟妹に伝えられる。

 人馬は二人乗りである。下半身をアデルトルート。上半身の制御はアーキッドが担当している。

 

「了解」

「りょ~か~い」

「では、行きますよ。僕とキッド達の合体技を。吸気圧縮開始……」

「対気圧防御確認っ!」

「対気圧防御っ! 確認しま~す!」

 

 エルネスティの言葉に即座に応答するオルター弟妹。

 身体に受ける圧力を軽減する為に自身に空気の魔法を展開する。

 勝ち目を無視して新型幻晶騎士(シルエットナイト)の能力を見せつける。それには衝撃が必要だ。

 アーキッドとアデルトルートが魔法の展開と同時にいくつかの操作を始める。外側では脇に装着した補助腕(サブアーム)がスケアクロウをしっかりと挟み込む。

 サイドルグの補助腕(サブアーム)――脇腕(サイドアーム)――は既存の関節を無視した動きを見せた。

 

刮目(かつもく)せよ! これぞ疾風怒濤っ! 魔導噴流推進器(マギウスジェットスラスタ)起動っ!」

 

 勢いに乗る時は大きな声を出す。それだけで気持ち的にも前向きになれる。

 スケアクロアの保有する魔力(マナ)の残量が勢いよく減っていく。彼の想定では半分ほど持っていかれる。

 エルネスティの機体(スケアクロウ)の背面から青白い炎のような魔力光が吹き出し、駆けているサイドルグは更なる加速に見舞われた。

 

「なんだ!?」

「馬ごと突進する気か!? 回避っ!」

 

 人馬の駆ける四本の脚が地面から離れた瞬間に物凄い速度で――文字通りに幻晶騎士(シルエットナイト)が飛んだ。

 エドガー達がまだ駆けているというのに。

 魔導噴流推進器(マギウスジェットスラスタ)は残念ながら他の幻晶騎士(シルエットナイト)には実装されていない。改良案については試合に間に合わなかった。

 

(単なる案山子というのも味気ないですからね。……無力ながらも一泡吹かせないと僕の存在価値が無くなってしまいます)

 

 身体にかかる感覚から機体に異常は認められない。

 急加速してきた人馬にカルダトア・アルマが一機、かすった。風圧も加わり、あっさりと吹き飛ばされる。ただ――

 敵陣地目掛けて突貫したサイドルグが方向転換しようと、急停止に入った途端に脇腕(サイドアーム)があっさりとへし折れ、しっかりと掴んでいた筈のスケアクロウは人馬の頭を強打しつつ地面に向かって投げ出された。

 一度地面にぶつかり、そのまま競技場の壁に衝突。

 

「あっ!」

「エ、エル君!? 大丈夫っ!?」

 

 自分達は急停止する前に大気衝撃吸収(エアサスペンション)を前面に展開して衝撃を緩和した。しかし、スケアクロウは壁に穴をあけるほどめり込んでいる。それによって自分達が使った技がいかに強力なものであったか思い知る。

 エドガー達のみならずアルヴァンズの面々も思わず立ち止まるほど。

 魔法文化があっても慣性の法則に逆らえない。これは良い教訓となった。特に遠くに居たディートリヒは思わず感心した。

 エルネスティの事は心配だが試合は続いている。少し戸惑いつつ双方が動きを再開する。

 

(……発明は見事だが……、使い方に問題があるようだ。……全く動かなくなったが大丈夫かの)

 

 国王アンブロシウスはエルネスティを気にしつつ試合の経過を眺める。安全面に気を使っている筈だ、ということを信じて。――念のために何人かの作業員に様子を見るように通達する。

 

        

 

 銀髪の少年は調子に乗った。そのツケが今の現状である。

 理論は完璧。何度かの試験でも結果を出した。その上で自身は忘れてしまった。

 成功した時に起こりうる慢心というものを。

 壁に激突したスケアクロウは改良された装甲によって大破は免れている。そう簡単に壊れないように皆で造りあげた幻晶騎士(シルエットナイト)だ。その自負もある。それなのに――この(てい)たらくは何だと自分を叱りつけたい。

 

(……僕は生きているよう……ですね。全身が痛い……。戦闘は……。試合はまだ……)

 

 機体の中で懸命に動こうとする少年。スケアクロウが今どういう体勢になっているのか内側からは分からない。分かるのは壁に激突した事だけ。

 慣性の法則により、サイドルグから投げ出された。ぼんやりとそんな状況を思い描く。

 懸命に頭を働かせるものの身体は一向に動かない。正しくは大きく動かせない。

 

「……う、あ……?」

(……幻像投影機(ホロモニター)が赤い……)

 

 外の様子を映し出す装置が真っ赤に染まってて地面がどこにあるのか分かりにくい。ただし、機械自体が壊れていないのは分かった。

 それよりも機体内部の惨状が酷いと言うべきか、と。

 考えたくないが避けて通れる問題ではない。

 エルネスティは現実に向き合う事にした。助けを呼ぶ時間を確保しなければならないので。

 

(自分で言っておいてエアバッグ(大気衝撃吸収)を忘れるとは……。とんだ間抜け野郎じゃないですか)

 

 急停止によって操縦席に(くく)り付けたシートベルトが凶器となって内臓を圧迫。それと壁への衝突も加わり尋常ではないダメージが騎操士(ナイトランナー)に直接襲ってきた。

 結果、大量の吐血で内部は真っ赤に染まり、意識を保っているのが不思議なほど。

 機体が壊れていないので戦闘が出来るかもしれないが、確認する気が起きない。

 

(……大きな声が出せない程……。現実のロボット戦闘ではこういう事が起きるんですね。都合の良い科学は存在しないと……)

 

 無ければ作るしかない。次はもっと安全に配慮した――

 身体が千切れ飛んでいない事が幸運とでもいうように。自分はまだ生きている。それが分かっただけ安心出来た。

 もはや勝利は諦めてもいいとさえ思うほど。さすがにここまで酷い状態になってまで部品の為に命は懸けられない。

 

「……はぁ、はぁ」

(……あの急加速の後……、どうやらブラックアウトしたようですね。ということはキッドとアディも同様!? ……いえ、サイドルグは……僕が指示した事を真っ当に実行していると思います。……情けない)

 

 身体にかかる圧力が強ければそれだけ何がしかの影響が出る。それゆえに安全対策は万全を期さなければならない。

 しかしながらエルネスティはアニメや創作物(転生前の文化)の都合の良い部分ばかり見てきたので色々と失念していた。特に実際に乗った事が無い乗り物の常識などは。

 人体を模倣する幻晶騎士(シルエットナイト)が音速域に到達すればどうなるか。身体中の血管が騒ぎ出す。それも悪い方へ。

 よく眼球が飛び出なかったものだ、と。いや、片方は飛び出ているかもしれない。先ほどから片目でものを見ている、ということを今更ながら思い出す。

 戦闘音が聞こえてきた。鼓膜は無事。試合も継続中。

 断片的に外の様子が分かった。

 

(魔法には自信があると言っても慢心まではどうすることもできません。……父様から騎士としての訓練をもっと受けておくべきでした)

 

 身動きが取れないまま数分が経過。おそらくエドガー達は健闘している筈だ。そう易々と倒されるような機体は作っていない。根拠はないが自信があった。

 次第に音が小さくなり、代わりにスケアクロウの起動音が大きく聞こえてきた。

 停止させようにも身動きが取れない。どういう体勢なのかもよく分からない。――少なくとも頭に血が上るような感覚は無いのでひっくり返っていない事は理解した。

 うつ伏せでもない。

 おそらく一回転でもして尻もちをついたような状態だろうか、と。

 

(……自身を使った衝撃実験はやりたくないですね。……専用の人形を作らいなと……。意識が朦朧としてきた!? 早く誰か助けてくださ~い。……声を出そうとすると痛みが強まります)

 

 冷静に物事を考えられるからこそ痛みから逃げられない。

 手足は震えている。想像以上に血を流し過ぎた可能性がある。

 こういう時に救助信号を出せるような仕組みが必要だと脳内にメモする。

 外部から脱出口を開ける事が可能であったはず。それにかけて出来るだけ動かないように心掛けた。

 

(……ああ、僕はここで死ぬんですか……。判断力の低下……。これはいけません)

 

 本来の予定では華麗な動きを見せる筈だった。しかし、やはり巨大人型兵器を常日頃から扱った事が無いエルネスティにとって、それは夢想の存在でしか無かった。

 いくら感覚的に操作できるとしても第三者の視点で動きを見ているわけではなく、自分の視界はそれほど広範囲では無かった。

 二次元と三次元の戦闘は違う。まして機体性能が想定通りだと思っても体感的な差というものがどうしても存在する。それこそが練度と言われる概念だ。

 エルネスティはまだ現実との差を埋め切れていなかった。

 

        

 

 スケアクロウが行動不能に陥っている間、戦闘は実のところすぐに中断した。エドガーとディートリヒは割合健闘したもののヘルヴィと巨大人馬型を操るオルター弟妹が戦闘に集中できなかった。

 アルヴァンズとて戦意を消失した者を無理に追い詰めようとは思わず、武器を置いて停止した。

 先程からエルネスティに呼び掛けているのに全く返答が無い。伝令管が破損しているのか、エルネスティが意識不明に陥っているのか。

 体勢が全く変わらない幻晶騎士(シルエットナイト)の側に駆け寄る事にした。

 

「おいおい、エルネスティの奴……。急停止の作法を忘れたのか?」

「……あるいは思いのほか高出力だったとか。想定外の事態に対処しきれなかった可能性もある」

 

 冷静に判断するエドガー達。

 爆発炎上こそしていないが黒い煙が立ち上っているのは確認できた。ただ、それは小さなもので機能の一部が壊れた程度だと思われる。

 王国側の担当者が何人か近づき出入り口を外部から開けようと工具を持ち寄った。

 

(……歳相応の無茶ぶりよな。些か拍子抜けしたわい。……だが、あの巨体ごと飛んだのは見事だ。もう少し研鑽の時が必要であったやも知れぬが)

 

 国王は冷静に事態を見守っていたが貴族達からは不満が漏れ出ていた。やはり子供が作ったものはろくでもない。真っ当な騎士なら壁に激突するような間抜けな事はしない、など。

 言い分は理解できる。しかし、新型機のみならず見たことも無い武装まで用意していた事は評価しなければならない。

 そもそも数百年規模の工程によって作られる幻晶騎士(シルエットナイト)を短期間で建造し、更に様々な武装の発明を成し遂げたのだから。それを無視する事は国王とて出来はしない。

 

(気丈に見えて様々な問題が蓄積しておったのかもしれぬ。……腑抜けになったのではなく……、な)

 

 ただひたすら幻晶騎士(シルエットナイト)の事だけを考えていれば良かったところに未曽有の大災害。いや、その前に新しい家族だ。浮かれたり恐れたり感情が様々に襲ってきた筈だ。少年とは言え多感な時期にまとめるには無理が過ぎたかもしれない。

 それでも――国王は一人一人の事情まで把握することは出来ない

 端的に得た情報の中での感想である程度の同情はするが、それだけだ。

 

        

 

 試合は中止になったが悪い事ばかりではない。

 安全第一を信条としていた筈のエルネスティ自ら証明して見せた。

 自分達が作る兵器の危険性を。

 恐れる者は騎操士(ナイトランナー)にならなければいい。それはそれで命を長らえさせる。

 恐れない者は無謀な者――命の大切が分からないという意味で。

 どちらが王国の騎操士(ナイトランナー)に相応しいかと言えば愚問であろう。

 

「……エルネスティが死んだ?」

「い、いいえ。心停止の状態でございます」

 

 操縦席が血まみれ。運び出すのも憚れるほどの惨状と血の匂いに救助班が思わず呻いた。

 呼びかけに全く応えない。生きているのかも怪しいという報告に国王は思わず声に出して物騒な事を言ったので声を聞いたエドガー達は大いに慌てた。

 特にアデルトルートは叫びつつ幻晶騎士(シルエットナイト)から飛び降りて控室を目指した。彼女の後をアーキッドが追う。

 

「ただ……、中が酷い状態にもかかわらず幻晶騎士(シルエットナイト)や操縦席はそれほど損傷しておりません。それが少し不思議でした」

(確かに。壁に激突した割に形は保てている。歪みも遠目ではあるが認められない)

 

 それなのに搭乗者だけが酷い状態というのはどういう事なのか。

 身に着けている装備が同じアデルトルート達は攻撃に参加した筈なのに平然としている。

 急遽アーキッドを呼び戻す様に命令する。アデルトルートでは喚くばかりだと判断した。

 

「せっかくアルヴの里より呼び寄せたアルヴァンズの皆には期待外れな戦いを()いて悪かったな」

「いいえ。我らも新型機に乗り、戦う機会を(もう)けていただけで……」

「あの人馬型には我らも驚かされました。更に空まで飛ぶとは……」

 

 学生が開発したと侮れない驚きを得て、それぞれ表情が笑みで満たされていた。実に面白いものでした、と。

 軽くしか手合わせできなかったがエドガー達の機体の性能も決して悪くなかったと褒めた。

 制式量産機であるカルダトア・アルマに比べればクセの強い幻晶騎士(シルエットナイト)だが、お互い新型機という条件で戦ったにしては苦戦した方だった。

 学生相手に精鋭が苦戦した。それは紛れも無い事実だとして彼ら(アルヴァンズ)は認めた。

 

「一番にあの小童(こわっぱ)が退場するとは……。わしも想像外の事に驚きを禁じえんぞ」

 

 挨拶担当の代表者でもあるエルネスティが居ないのでリーダー格のエドガーが恭しく(こうべ)を垂れる。

 無謀とはいえ当初の予定ではしっかりと安全対策が取られ、サイドルグの脇腕(サイドアーム)が折れる事も無かった筈だ。だが、想定外の高出力と慣性の法則の相乗効果の前には無力であった。いや、サイドルグが止まれたのは巨体の重量のお陰かもしれない。そうでなければ共に壁に激突していてもおかしくなかった。

 同じ慣性の法則に囚われた筈なのに人馬の四足の脚は健在である。

 

「貴族の印象は最悪になったやも知れぬ。だが、だからとて学生が作りし機体を否定する事は出来ぬ。あの者抜きで試合を再開する事も出来るが……、辞退するか?」

「未熟者の我らに機会を与えて下さり、汗顔の至りですが……」

「折角の機会を逃す気か? 我らが胸を貸すと言っているのに」

 

 アルヴァンズの一人がエドガーに言った。ここで引いては勿体ない、と。

 他の面々も学生達に笑顔を向ける。

 正式な騎士ではないエドガー達にとっても悪い話しではない。だが、仲間が大怪我をしたことが引っかかって意欲が湧かない。

 ディートリヒは全然戦っていないのでお願いします、と即答した。ヘルヴィは二人の様子を窺いつつエドガーがやる気になれば受けるし、そうでなくてもどちらでも良かった。

 

(あの子はアディちゃんに任せればいいじゃない)

(……しかし、勝手に再開していいものか)

(真面目ねー。でも、あたしたちの目的は新型のお披露目よ。彼が居ようが居まいが関係ないじゃない。スケアクロウは整備不良……。ただそれだけ。トライドアーク共々新型の性能を貴族達に見せないとお金が入ってこないのよ)

 

 そう、小声で捲くし立てるヘルヴィ。

 貴族に良い印象を与えないと学園の援助金が増えない。資金が増えないと物資を買うお金が足りなくて何もできなくなる。

 工房にある資材もタダではない。

 壊れたら補修しなければならないし、その資金は騎操士(ナイトランナー)が自前で用意しているわけではない。

 エルネスティも発明品のいくかを資金に出来ないか理事長に打診している。一方的に物資を寄こせとは言わないし、言っていない。

 流用できる発明品の資料の束を国機研(ラボ)に送りつけたり――彼なりに資金稼ぎはしていたのだ。

 使えないものに金は出せない。国庫は無限ではない。その事も踏まえてエルネスティは資料作りにも時間をかけた。

 学生身分なのに大人顔負けの営業姿勢に理事長であるラウリは大層驚いたものだ。そうでなければ孫の無茶なお願いを受理などしない。いくら可愛い外見だとしても。

 エルネスティ以前の資金稼ぎは主に魔獣討伐で手に入る触媒結晶などの売買だ。後は商人の護衛。

 

        

 

 ケガ人の為の医務室に運ばれたエルネスティの容態はとても悪かった。内臓の損傷と大量の吐血による血液不足。意識は既に朦朧としていた。

 近代科学の医療技術が無いフレメヴィーラ王国では手の(ほど)しようも無いほどの重傷と判断された。

 早い話しがいつ死んでもおかしくない。

 うわ言を呟いているが既に聞き取れない程に弱々しい。家族を呼んだところで間に合うかどうかも。

 ここまで深刻な状況なので国王や学生達に告げるのは躊躇われた。今は絶対安静とだけ伝えている。

 そこへ――彼を心配したアデルトルートが駆け込み、必死に助けを請うた。

 

「お願いします。エル君を助けてください、お願いします……」

 

 無茶だと本人も分かっている。けれども言わなければ気が済まない。

 エルネスティの惨状は入った瞬間から理解した。手遅れなのも――

 明らかに顔色は土気色だ。露出させた腹が異常な凹みを見せている。

 担当医も返答に苦慮していた。おそらく何を言っても無駄だと分かりつつもアデルトルートを宥める事しか出来ない。

 夢に向かってひた走る姿しか知らなかった。そんな彼が夢半ばで退場しようとしている。それを認める事は出来ない。

 魔力(マナ)の訓練方法を教えてもらい、学園では彼に並ぶ実力者にまで成長した。の恩を満足に返していない。

 付き合い自体は長い。けれども理解できない事は多々ある。だからこそ――毎日が楽しかった。

 (めかけ)の子として居心地が悪い生活から抜け出そうとした時に出会った希望。――殆どは自分達の思い込みだった。父親であるヨアキムは彼女達を厄介者として扱ったことは無い。真面目な顔が少し怖い程度で話しを聞かないことは無く、態度は父親らしい真摯さがあった。他の兄姉達――特に兄――からは当たりが強かった程度。

 彼女の願いを叶えられる存在はこの場は居ない。ただ虚しく時間ばかりが過ぎていく。

 

 奇跡は何度も起きはしない。まして、安売りする程には――

 

 医務室の扉が急に開き、入ってきたのは赤金(ストロベリーブロンド)の髪の女性――ではなく頭部を黒いベールで隠した長身のメイド風の人物だった。

 何の前触れもなく勝手に現れた闖入者。それにまず驚いたのは医療担当者。けれども謎のメイドが軽く手を振ると担当者は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 叩いたわけではなく、何らかの方法で眠らされたような――

 

「あらあらまあまあ。ご友人がいらっしゃったのですか? わん」

 

 はっきりとした物言いで疑問を呈するメイド風の人物。

 胸の大きな女性という事までは分かるがアデルトルートの記憶には全く出てこない謎のメイドの登場に驚いた。

 いくら泣き顔で汚くなった顔だとしても幻を見るほどに取り乱してはいない。

 

(だ、誰!?)

 

 肌の露出が全くない不思議なメイド服を身に着ける女性。しかし、頭部の形状は人間には見えない。いや、そこだけ見ないようにしていた様な――明らかに人間ではない。

 現実逃避する程には意識は保っていた筈だとアデルトルートは自身を叱咤しつつ改めてメイドに顔を向ける。

 布製のベールで隠しているのは顔の上半分ほど。鼻から下は見えていた。

 突き出した口。飛び出た鼻。それを人間というには形状が一致しない造りだ。

 

(い、犬!? 犬が喋った!? それとも作り物かしら? ……全くそうは見えないんだけど)

(もうこの人間は死ぬようですね、わん。……しかし、この者を助けるのは些か不味い気がいたしますのに……。将来の敵は早めに摘むべし、ではなかったのですか、わん。……と、ナーベラル・ガンマが騒いでおりましたよ、るし★ふぁー様)

 

 死に(たい)のエルネスティを眺めつつ犬頭のメイドは小首を傾げ、物思いに(ふけ)る。しかし、それはほんの僅かな時間だ。

 命令は遂行しなければならない。だからこそ余裕のあるうちに思索する。ただそれだけだ。

 

(私としては子供の新鮮なお肉を丸かじりにする良い機会だと思いますが……。人間主体の世界ではそんな機会には中々巡り合えません、わん。……先日のヒエタカンナスという女の人間は少々硬く、火を通すことである程度は食べられる食材になりましたが……)

 

 少年を眺めつつメイドの頭の中は食べる事ばかり。それもその筈、このメイドの種族の特性が原因だからだ。特に自由に好きなものが食べられないストレスのようなものが溜まっていて食材確保を定期的に打診している。それほど()()()()()に飢えていた。

 無機質や毒物でもない限り好き嫌いは無い。けれども好みはあるようで若くて新鮮な人間はご馳走であると信じて疑わない。その事に関して至高の存在は調達に苦慮している。

 そして、今――目の前には彼女のお眼鏡にかなった食材(エルネスティ)が横たわっている。まるで、どうぞ食べてくださいと言わんばかりだ。

 

        

 

 頭部を隠している――隠しきれていない――メイドの名は『ペストーニャ・(ショートケーキ)・ワンコ』――ただし、オリジナルから何世代にも経ている個体の一体である。

 多くの彼女達はそれぞれの場所でメイド達の指導に当たっている。至高の存在からは癒し要員として徴用され、長年愛されてきた。思考や理念は大体他の個体と同じだ。アデルトルートの側に現れた彼女は()()食へのこだわりが強いようだ。

 完全に同一個体というのは作りにくく何かしらの個性が備わっており、それは育った環境や時代背景が関わる事なので希望通りの存在とはいかない。それもまた――変化を楽しむ上で重要な事だと認識していた。もちろん、それは至高の存在が感じる事である。

 食への熱望と至高の御方の命令を天秤にかければ重く傾くのは至高の存在の方だ。いくら彼女とて彼らが見守っている原住民を勝手に殺したり食すことは出来ない。もちろん、それらの欲求に抗う為の都合の良いアイテム(維持する指輪など)は既に貸与されているので問題は無い。

 それでも『食べたい』という欲求はある程度出てしまうのは致し方ない。それだけ食べる事が好きな個体なのだから。もちろん、人間以外の肉も食べる。

 黙って彼らを見ていると涎が零れそうになるので意識を現実に引き戻す。

 

(……目撃者に見られても良い、ということでしたが……。この方がアデルトルート・オルター。では、もうすぐ来られる方がアーキッド・オルターですか。……この出会いは本来ならばあり得ない筈……。彼はここで死ぬべきではありませんか? 何故、()()()()()()のですか、わん)

 

 彼女の疑問に答えられる者は現場には居ない。自己判断しなければならない事態はペストーニャにとって――(今代)の彼女にとって困難を極める。

 運命干渉系。そんな単語を思い浮かべる。それはどういう事だったのか、思い出そうとするも何も出てこない。という事は思い出す事ではないと判断する。

 そもそも自分(ペストーニャ)はオリジナルではない。であればどうすべきか。

 当初の予定に必要な思考が急に転換し、余計な思考に染まる。

 おそらく勝手に発動した食――特に人間――への渇望が原因だと分析する。

 

「私の存在は早めにお忘れください。他言無用に願います……わん。……それとそちらの方は強く叩けば起きますのでご心配なく」

 

 場の空気を全く考慮しないペストーニャの気軽な発言。横では今にも死にそうな少年が少しずつ呼吸を荒くしているというのに、()()()落ち着いた佇まいの犬頭の存在にアデルトルートは言い知れない恐ろしさを感じた。

 危害を加える意図は無さそうだが急に現れた怪人物に混乱する頭のアデルトルートはただひたすら思った。願ったともいえる。

 

 誰でもいい。化け物でもエル君を助けて。

 

 言葉としてすぐには出なかったが涙ながらにペストーニャを見つめた。身長差から見上げた、というのが正確か。

 身長だけで言えば確かに彼女は長身である。――二メートルは無いとしても。

 

「ああ、それから……。二人分の食事の用意を……。私の分ではなく……。……ということで少しの間、この部屋から退出していただけると非常に助かるのですが……、わん」

「……は、はい。エル君をお願いします。助けて……ください」

 

 言葉から助けてくれそうだと思ったアデルトルートは泣きながらペストーニャの言葉に首肯した。本当は全く違う意味だった、という事などは考えず。

 けれども、それは杞憂に終わる。何故なら、思考の存在はエルネスティの死を望まなかった。シズ・テルタの懇願とはまた違う意味で、だが。それらを現地の人間が知るのは今ではない。

 食事の用意と聞いてペストーニャが食べる分だと思った――思い込んだアデルトルートが部屋を出るとアーキッドと鉢合わせになった。そこで部屋に入らないように厳命する。それはもう緊急事態で人命救助に大切な事だからと大声で捲くし立てながら。

 それと急いで食事の用意をしなければならない、と言い張った。

 

「落ち着けよ、アディ」

絶対に中に入らないでっ! 食事が出来るまででいいから。お願い」

「……分かった。俺は扉を守っているよ。それくらいは良いだろう?」

 

 扉を守っていると中に居るペストーニャが出てこれない。かといって誰にも近づけさせない事はおそらく出来ない。

 何らかの医療行為が(おこな)われるならば別に構わないのか、と混乱する事態の中で懸命にアデルトルートは考え、アーキッドの意見を聞くことにした。それでも何度も中には入らないように、と言いつける。

 

        

 

 扉の外の事は中に居るペストーニャの耳にも聞こえてきた。なにやら人間が騒ぎ出したので早めに処置に取り掛からないと面倒な事になりそうだ、と。

 もうすぐ死ぬ予定の食材を目の前にしてお預けを食らった犬のように残念がりつつ――

 念のためにエルネスティの状態を診る事にした。のんびりしている内に死んでくれた方が手っ取り早いのだが、それはそれで様々なところで叱られてしまう。そんなことを考えながら。

 

生命の精髄(ライフ・エッセンス)病気診断(ダイアグノース・ディジーズ)

 

 信仰系の魔法を唱え、まず最初に生命力の残量を。続いて軽く病気について診断する。

 現地特有の風土病があればついでに治す予定だった。

 彼は自分達の仲間では無いので『状態確認(ステータス)*1』という魔法は控えられていた。気に掛ける少年なのに何故、と疑問を抱かないわけではなかったが――深く追求する気も無かった。

 ()()()()()()()()()の事を戦闘メイド――の端末――が気にするのは全体秩序の乱れの原因でもある、と苦言を呈したかった。しかし、(こと)(ほか)至高の御方はまんざらでもないらしく、今に至る。個人的には全く理解できない。

 ペストーニャから見てエルネスティはどう見ても食材より上には見えない。

 

(押せば死ぬほどに弱っていますね。病気は特に無し。内臓などが損傷している以外は取り立てて問題はありませんね、わん)

 

 人間の内臓はしっかりと火を通せば珍味に類する貴重な部位。それが潰れているのは実に勿体ないと思わず想像して(よだれ)が少し出た。

 彼女の空腹を満たす方法はあるにはあるが天然ものに憧れがあり、量産品とつい比べたくなる。実際には味の違いはほぼ無い。単に熟成具合などは気分の問題だ、と料理に詳しい至高の存在の言葉を思い出す。だが、けれども、それでも、と。

 実際に食べ比べしたくなるのは己の欲望の(さが)である。

 

影の悪魔(シャドウ・デーモン)。……例のものは持ってきましたか?」

 

 彼女が言うと足元の影が数個に分裂し、大きな物体がせり上がった。

 それは人間一人を充分に納められる大きな円筒形のガラスの容器。所謂(いわゆる)『保存容器』だ。それが彼女の要望で数個部屋に並べられる。

 大きい物体なのでいくつかは影の中に戻してもらった。

 

「よろしい」

(報酬として……。保存用、調査用、食用、愛玩用……。後は……繁殖用ですか……。それほど時間をかけることも出来ませんから、その辺りで妥協いたしましょう、わん)

 

 口元を歪ませ、目の前の獲物を食らおうとする野獣の様な笑みを浮かべ、何処からともなく大きな刃物を取り出した。――それは大型の獲物を解体する道具のような。決して手術用の器具には見えない。とても物騒極まりない――

 至高の御方やオリジナルのシズ・デルタからは決して死なせてはいけないと言明されている。それ以外では方法は問わないと――どのような形、または形状になっていたとしても生きてさえいれば命令は遵守された事になるのだから。

 半死半生の少年は密室の中で死よりもなお辛い体験をすることになるが――運がいい事に体感的な痛みは軽減されているので実感自体は伴わなかった。

 もし――意識がはっきりと残っていれば――この世の地獄を満喫する事が出来ただろう、というのは想像に(かた)くない。

 それほどに彼女(ペストーニャ)が取ろうとする方法は現地の人間には耐えられないものだった。

 

 

*1
これら三つの魔法の詳細は『ギルガメッシュ(小説ID:146408)』の『疫病魔法』の付録を参照。


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