魔獣が去って一時間が経過する頃、辺りの調査を終えた騎士団が集結し、砦復興の為の計画を立て始める。
森の中に消えた魔獣はその後、忽然と調査隊の追跡をかわし姿をくらました。足跡すらも発見できずに彼らは戻ることを余儀なくされる。
仲間を呼ぶにしてもいずれはまた相対するかもしれない。その時はその時として今は復興に専念する事にした。
現場を整地する手伝いに奮闘していたエドガー達も途中で作業をやめて帰還しても良い、と通達を受けた。
「ご苦労であった。もうすぐ日も暮れる。君達は戻った方がいいだろう」
「はっ」
と、礼儀正しく敬礼するのは『エドガー・C・ブランシュ』と『ヘルヴィ・オーバーリ』と他の
★
エドガー達が帰ろうとした、正にその時――タイミングを見計らったように辺りが一気に暗くなった。しかし、空はまだ赤みを差したばかりだ。ではなんだ、と周りに居た人間達は慌てふためく。
最初にそれに気づいたのはシズ――
正しくは最初から分かっていた、となるけれど彼らには窺い知れない事だった。それに事前に通告する義務も無かったし、する気も無かった。
「そ、空です。空を見てください」
エルネスティが空に向かって指差す先には黒い塊があった。
「……あれはさっきの魔獣か!?」
「形状が違う気が……。あ、あれはまさかっ!」
エルネスティは先ほどの魔獣の姿と見えている
物の形について違いを見極める事に自信があった彼は空から降って来る予定のものが先ほどの魔獣ではないと感覚が伝えてきた。それに距離から算出すれば先ほどの黒い魔獣よりも大きい。
相当な質量を持った何か。
「え、エル……。逃げたほうがいい?」
「……おそらく無駄かもしれません。聞いた通りの大きさであれば……それほどの質量が落下した場合、相当な範囲が甚大な被害を被る事になります。早い話し……、あれが……仮に近くに落ちようものなら……。いくら僕でも助からないと思います」
「エルく~ん! 急いで逃げようよ~!」
逃げたいのは山々なんですけどね、とエルネスティは震える自分の足に気付いた。
この状態では走って逃げる事は難しい。であればどう対処すべきか。
今動かせるのは頭だけ。
魔法はスズメの涙程度の役にしか立たない気がする。それは感覚的に標的が自分達の居る場所を狙っているように見えたから――
それに何やら赤っぽい。明らかに危険だと身体が訴えている。
まるで既に『死』が決定付けられているかのよう――
(周りの
折角、新たな計画を立てたばかりだというのに、もう人生が終わってしまう。
それはそれで実に腹立たしいとエルネスティは唇を強く噛みしめる。
自分の予想が正しければ落下してくるのは師団級魔獣。
噂に聞いた『
トゲトゲの甲羅が見えてきたので。
★
現場が上空から襲ってくる脅威に気付いてくる頃、どう対処すればいいのかフィリップは辺りに居る者達に尋ねまわった。
戦っても無駄。
逃げても無駄。
黙っていても無駄。
しかも、落下してきたら確実に大都市ヤントゥネンどころかフレメヴィーラ王国そのものが崩壊するかもしれない。
それはエルネスティの試算だが、伝え聞いた大きさがそのままであればそうなってもおかしくないと言っておいた。
これが決闘級程度であれば多少大きな穴が地面に出来るだけで済む。ただ、街に落ちればただでは済まないけれど――
しかし、百メートル超えの隕石のようなものになると破壊力は指数関数的に増えてしまう。
尚且つ、今から撤退するとしても熱波と衝撃波とその他諸々によって吹き飛ばされる。――馬車に乗り込んでいる学生などは一瞬で全滅――そんな事がありえる
魔法による攻撃で破壊する、という案はそもそも採用できない。何故なら――
仮に通用するとなれば一斉砲撃して砕き切る――ただし、それを成すにはいくらかの条件が必要だ。
「……落下まで時間がありません。おそらく十分程度……。遺書も書いている暇も無く……」
というより届けられる者は居ないし、自分達の家ごと吹き飛ぶ可能性もある。
だが、無駄死にはしたくなかった。
「全
「多少は軽減できるかもしれませんが……。少なくとも僕達は確実に死にますよ。……他の街の為に殉じるのも
大切なものの為に死ぬ。それはエルネスティにとって実にバカらしいと思っている概念だった。
死んだら終わり。何も残らないんですよ、と。
ならば死ぬ前に足掻けるだけ足掻き尽くすべきだ。
「というわけで僕に
「……こんな時だから……。そんなことを言っても許可できるわけがない」
真面目なエドガーに聞いたのが間違いだったと思い、ディートリヒに同じことを言ってみた。
こちらはすんなりと譲ってくれた。
後輩の為ならば一肌脱ぐことも吝かではない、とかなんとか言っていたけれど、エルネスティは無情にも彼の厚意を無視した。
今は無駄に使える時間が殆ど無い。
★
そんなエルネスティの行動に呆れつつも『アーキッド』と『アデルトルート』は自分達に何が出来るのか懸命に考えた。
エルネスティほど賢くはないけれど、何か出来ないものかと。
「守護騎士団の諸君! 落下地点に集まるんだ! 我々の全力の防御魔法によって少しでも衝撃を殺すんだ!」
「おおっ!」
「了解です、団長っ!」
故郷に生きて戻れそうにないけれど、自分達はここに確かに存在し、
声に出して自分に活を入れていく騎士団達は
その落下予想地点は現在自分達が居る地域だと別の者が報告に来た。
「……
操縦桿をいじっていたエルネスティが呟いた。既にあちこち引き剥がされている。
最期だからとディートリヒは彼の行動を観察してみた。しかし、何をやろうとしているのかさっぱり分からない。
自分だけ逃げるつもりか、とも思ったけれど――
既に残り時間も差し迫っている。その中で逃げ切れるとは思えない。
「ああ、クソ……。僕はまだやりたいことがたくさんあるのに……」
死を感じ取ったエルネスティは涙を流した。それを見ていたディートリヒはそんな彼をあざ笑うような真似はしない。
まだ中等部一年だから、というのは甘いかもしれないけれど――
見た目どおり、まだ子供らしさを残す彼ならば好きに泣けばいい。――そう思っているディートリヒ自身も泣けてきた。
死が確定しているような状況だ。男らしく振舞えるわけがない。
本当の危機に対し、強がりを見せる余裕などありはしない。
「ディートリヒ先輩。そこに居ると危ないので降りて頂けると……」
「そうかい? 作業の邪魔か」
「はい。とっても邪魔です。あと時間もありませんので、さっさとお願いします」
泣きながらとはいえ
この危機的状況でも諦めを見せない姿勢は尊敬に値するし、見習うべきところでもあった。
★
ディートリヒが
出来る事は限られている。何をしても無駄かもしれない。けれどもやらないよりはマシだと自分に言い聞かせる。
(……どの道、この状況を打開できたとしても僕はきっと死ぬ。または生きながら死んでいるような状態……でしょうかね)
持ちうる全
共に一緒に死にましょう、なんて言えるわけもない。
(残り三分ほどですかね。……ではもう無駄な時間はありません。解析開始)
折角借り受けた
だが、彼の乗る『グゥエール』の全能力を使ったところで短時間の停止が精々。
他の
大質量を小さな存在が受け止めるのだから、その反動は甚大である。
確実な死。
それでも少しでも誰かの役に立ちたいと思う事は悪い事か、と。
自分には家で待つ家族が居るのだから。少なくとも彼らの悲しむ顔は見たくない。そう思う心がある。
(……駄目だ。集中が乱れて……。
残り一分を切った。その焦りがエルネスティを失敗へと導いてしまう。
起死回生の一手が打てない。それはそのまま全滅を意味する。
「諦めるのですか?」
嫌に冷静な言葉が外から飛び込んできた。
聞きなれた声の持ち主は『シズ・デルタ』であった。
地表へと迫る落下物の影響で上空から物凄い圧力が迫ってきている。もはや逃げる事は出来ない。
それにもかかわらず冷静な声を発するのは信じられない。
「……正直に言えば否定したいです、けれど……。僕の出来る事はここまでのようです。というか、アイデアが欲しいです。とても。性急に。今すぐっ! 僕に寄越せっ! 早く!」
両の拳を操作盤に叩き付けながらなりふり構わず絶叫するエルネスティ。
友人の怒声にアーキッド達は諦め模様の中、彼の行く末を見守る事にした。何が起きても恨まないと――
(ちきしょう、時間切れ……)
その言葉の後で身体になにやら浮遊感が襲ってきた。
それはまるで落下による衝撃波の到来のように――とても嫌な感覚に――感じた。
「でもまあ、酷な言葉ですよね。……エチェバルリア君。君に時間があれば果たして解決できたのですか?」
「時間があったらみんなで逃げますよ」
言いながらも辺りを見回して原因を探る。
正直に言えば出たくなかった。大好きな
「一緒に死ぬなんてバカらしい。……でも、逃げて助かるのであれば、それで結構なのですが……、それが出来ない場合は……諦めるか……。玉砕覚悟で何かしますよ。ええ、なりふりかまわず。犠牲もいといませんとも」
制限時間は既に一分以上は過ぎている。一体何が起きたというのか。
伝令管からの音声も聞こえてこない。
外の様子を映し出す
「……そういえば……。外に出て実際に確認してみるといいですよ」
「……出たくありませんが……。仕方ありません」
自分で試算した時間はとうに過ぎている。それと先ほどまで感じていた重圧が治まっている事に気付いた。
★
シズに言われるまま外への脱出口から恐る恐る頭を出せば巨大な物体が目に入った。
さすがに消滅はしていなかったようだが、どういうことなのか。
更に頭を出して観察してみる。地上スレスレまで来ていた事は確実で、それがどうして轟音を響かせて落ちなかったのか。
(空中で停止しているわけではない? 少しずつは降りている……。これはどういう現象なのでしょうか。空気の魔法? それでも大質量を支え切るには相当数の
見えている限りにおいて、落下物足るものの正体は予想していた『
全高五十メートル。全長百メートルほどの巨体は想像以上の大きさに見えた。
涙で濡れていた顔を一度、手の甲で拭って改めて観察してみる。
「……エル君。あれ、途中で勢いが消えてね、ぐすっ……。それであんなことなってるの」
学生とアーキッド達はそれぞれ涙を拭うのに必死なようだった。
尋常ではない災害から助かったとはいえ、確実な死の体験はエルネスティとて泣いてしまうほど。だからこそ誰も彼らを笑う事はしない。
「……まさかシズさん、の魔法とか?」
「どうだろう……。私達は泣いててよく見えなかったけれど……」
というか声を届けたシズの姿が見えない。
すぐさま視線を彷徨わせると別の
今の声は伝令管からだったようだ。いや、外から声は出していたが今しがた
そんな事は今はどうでもいいか、とエルネスティは余計な考えを振り払う。
必要な情報のみ今はとても欲しかった。
「……ところであの『
「生きている……、らしい。身体が僅かに動いているのが確認された。だが……様子がおかしくてな。攻撃の意志は感じられない」
それも地面に完全に落ちきれば反応があるかもしれない、ということだった。
現在、空から落ちてきた『
急停止した謎はまだ解明されていないが危機の一つは解消された、と思って良いだろうと――それでもまだ安全は保証されていない。
それから、落ち着きを取り戻した騎士団やエドガー達が集まってきた。
高さ的に地面に落下しても多少の地響きだけで済むと試算され、街や国への被害は最小限に抑えられる事が判明してくると、それぞれほっと一息つく音――声が聞こえてくる。
★
あられもない怒号を響かせたエルネスティは恥ずかしがるどころか、緊張を保ったまま下に降りつつある『
大質量の自由落下を防ぐ手立ては現時点の自分達には持ち得ないもの。それが分かって悔しい気持ちを抱いた。――多少の失禁は他のみんなも同様だったので誰も何も言わなかったし、どうする事も出来ない。
急ピッチで風呂場の用意と着替えを今まさに整えてもらっている最中だ。
子供だからという理由で嘲笑できる者は現場には居ない。エドガーもヘルヴィも等しく全て、だ。
例外が居るとすればシズだけ。
彼女だけは平然としているし、何の支障も報告してこない。我慢しているわけではなく、本当に何も起きていない。
あの危機的状況下で唯一冷静さを保ち続けた存在だった。
(可能性があったなら僕は絶対に失禁なんかしてなかったです)
肉体年齢の都合もある、とエルネスティはやむを得ず納得しておく。
逃げ道を防がれた危機的状況は経験が無い。
(人間、確実な死を体感してしまうと全てにおいて諦めてしまうもののようです。……でも、アディ達も一緒ですし、笑われないだけマシですよね。あとこれは母様達には内緒ですね、絶対)
家に帰った後の家族の反応がとても怖い。
(可哀相に、とか言われて毎日添い寝を強要されたりしそうです。過剰に護衛は付かないと思いますが……。子供扱いが一層酷くなるのは勘弁願いたいところです)
(みんな仲良くズボンを濡らして帰ったところを見られたら……。確実に本家に笑われる)
(ここにステファニア姉様が居なくて良かったのかしら? 居ても同じか……)
(……身動きが取れなかったとはいえ、何たる無様な格好か)
(みんな生きているだけで我慢できるさ。たかが失禁程度……。国が滅びる事に比べれば……)
(……あたしは比較的軽微なのよね。でも、みんなと一緒ってことにしましょう。……なんだか可哀相だし)
それぞれ色々と思う事があるようだ。
そして、風呂場の設営が終わると一斉に駆け込むこととなった。
★
しばしの風呂場タイムにより、現場が落ち着く頃、問題の『
湯船を少し揺らした程度で、その後は大きな音も反応も報告されない。
「無事に生き延びたようですね。ゆっくりと身体を休めておきなさい」
施設の外からシズがエドガー達に声をかけてきた。防音機能が備わっていない簡易的な建物のようだ、とそれぞれ理解する。
男女別とはいえ――どちらも内部構造は同じ――女湯をヘルヴィとアデルトルートの二人だけで利用するのは――面積の余裕から見て――とても贅沢であった。
シズが使わないのは大人として現場に残って監視するため。ヘルヴィ達が出てきたら交代する予定になっている。
「なんでエル君、女子と一緒に入っちゃ駄目なんですかぁ?」
「……アディ。何を当たり前の事を……」
男用と女用は互いに声が聞こえる位置に併設されている。話すだけなら何も問題は無い。
覗こうにもテントに穴でもあけるか、外に出るしかない。当然、それを許すほど監視役の騎士団は甘くない。
「今だからこそ聞きたいが……。あれはやはりそのまま落ちれば助からなかったのか?」
半身浴のように浸かりながらエドガーは尋ねた。
今から思えば実は被害はそれほど大きくなかったのではないかと。もちろん結果論であることは分かっている。
無駄に慌てて取り乱しただけ、というのは面白くない。
「少なくとも僕らの居る地域は灰燼と化すほどの熱量は発生するでしょう。その規模は数百メートル……。単なる小石を落とすのとは違います。色んな運動エネルギーをまとって落ちてくるのですから」
特に質量が一定以上の物体ともなれば発生する熱だけで人間は焼死する。次いで発生した衝撃波によって人体の殆どを破壊されてしまう。これは現場に近ければ近いほど甚大だ。
更に言えば地上に降りた
――もし、途中でバラバラになり、多くの肉片が燃え尽きてくれれば――と思ったところで終わった事だ。改めて考えるべき事は別にあるような気がした。
「……つまりどの道、僕らは死にますし……。避難活動していた他の学生も相当量は衝撃波によって吹き飛ばされていたことでしょう。……
森が『防風林』の役割を果たさないか、というエドガーの疑問に銀髪の少年は首を横に振る。
「落下によって大地は確実に抉れ飛びますので……。
淡々と被害規模を告げるエルネスティ。
今だからこそ冷静な思考が出来る。それを聞かされるエドガー達は総じて顔を青くしていた。
風呂場だからこそすぐに身体に熱が与えられる。
「ついでに落下による地震発生にて各地の街も結構な被害を被ると思いますよ。石造りが中心の我がフレメヴィーラは殆ど……。建物崩壊によって少なからず犠牲者は出ますが……。全滅まで行くかは……」
「……聞けば聞くほど恐ろしいな」
「だが、それは本当に起こりうるのか? 地面に穴が出来るだけってことはないか?」
「大きくて深い湖にでも落ちればありえたかもしれません。でもそれは希望的観測に過ぎません」
それに落下予想地点の殆どが森。
衝撃を吸収出来そうな地域は何処にも見当たらない。
ついでに森林火災も追加しておく。
★
風呂場から上がり、替えの下着を着用して服を着れば元通り。
服の殆どはシズが洗ったと報告された。
それぞれ恥ずかしがったりしていたが見た目には新品同然の美しさがあったので気にしない事にした。
「途中で落下が軽減された事で被害は最小限に抑えられたようですが……。どういう原理が働いたのか、とても興味がありますね」
それをなしたのがエルネスティの予想ではシズしか思い当たらない。
あの緊迫した現場において唯一冷静だった人物――とても怪しい。犯人にしか思えない、と。
自分の手持ちの魔法で想像しても荒唐無稽なのは確か。
人間一人がどう頑張っても師団級規模の質量を受け止める事は不可能である。――反発する力を発生させるとしても同等規模の負荷が身体に加わるはずなので。
――それこそ師団級規模の
(……例えそれでも無傷はありえない)
分析を続けるエルネスティに対し、シズの表情はいつも通りだった。
大人として冷静な対応を維持してくれるのは混乱した現場において、とてもありがたい存在だ。しかし、興味の方が強いエルネスティは犯人と決め付けるように表情をきつくして彼女を見つめる。
(仮に『犯人ですね?』 ……と、聞いたところで『……まあ、そうですよ』と返されそうですが……)
こちらの駆け引きに対して一切揺るがない鉄仮面。
動揺を誘うのは並大抵の事ではない、とエルネスティは感じていた。
★
辺りが闇に包まれるころ、命の危機から辛くも抜け出た面々は騎士団の厚意により避難先の都市ヤントゥネンまで案内される事になった。
内部を壊されたグゥエールの修理も必要なので。
それから気が付けばエドガー達三人とシズ以外はぐっすりと眠り始めていた。
次の日の朝方に避難していた学生と合流し、互いに生還した事を喜んだ。
(頭もだいぶ冷静さを取り戻してきましたね。その結果……更なる不信感が湧きました)
帰り支度を整える中でエルネスティは改めて分析を始める。
狙われた事を想定するならばどの道、逃げる事は無駄であると。
現行の材料で被害を食い止められなかったのか、という疑問に関しては家でじっくりと考えなければならない。
台風や火山などの自然現象であればすぐに避難するだけで良かった。
空から降って来るものが噴石であったら規模にもよるけれど
衝撃を緩和、または無にする程の強さを発生させる事は出来ない。
(……これだけの大事件で犠牲になった人数が少ないのは僥倖……? それとも……)
何にしても生きている事に深く感謝しなければならない。
これでまた自分の
熱い望みを胸に秘め、『ライヒアラ騎操士学園』へと向かう。
★
学生たちが帰還して数日後、安全であると事前調査で確認したのにもかかわらず、国家を揺るがす大きな事件が起きた、という報告をフレメヴィーラ王国の国王『アンブロシウス・タハヴォ・フレメヴィーラ』は自身の執務室にて受け取り、難しい顔をしていた。
信頼ある騎士団の団長『フィリップ・ハルハーゲン』の署名入りの書類を疑うわけではないが、不可解極まりない。
理路整然としていない事態ばかりではないかと憤慨した。しかし、フィリップはありのままを書き記して提出した。
国王の側には各地の領地を納める領主が控えていた。
一人はセラーティ侯爵領を預かる『ヨアキム・セラーティ』公爵。ステファニアとアーキッドとアデルトルートの父親である。
他の領主達の視線を受けつつ直立不動の姿勢を保つのは書類を直接持参したフィリップ騎士団長。
「これをそのまま鵜呑みにすれば……、実に不可解極まりないな」
「……しかし、現実に起きたことでございます。調査結果が出るのは……また後日となります」
「ご苦労」
壮年の男性である国王は重々しく騎士団長を労う。しかし、表情は堅かった。
予想される被害規模が未定であることを除けば現場で何が起きたのか、全く想像できなかった。
森の一角が吹き飛ぶ程度だと試算する領主も居れば、師団級によって破壊される規模が大きいことで顔を青くする領主も居る。
「……して、現場に残っている
「動きが無い内に解体に入っております。仮死状態のようなものと報告を受けておりますが……、油断なきようにと通達は済ませております」
抵抗の兆しが無かったのが不気味でしたが、とフィリップは呟く。
落下の影響でどのような事が起きたのかは今後の調査で明らかになっていく。
「砦の被害はそれで良いとして……。子供による
「それに関しては大目に見ていただきたく……。あの状況下で抗おうとした男の行動は誰にも責められません」
それに自分で修理すると言っていました、と付け加えておく。
不可解な事の連続だが学生の多くは無事に帰還を果たしている。まずはそれを喜ぶ事にした。
師団級魔獣がどのような理由で進撃してきたのか。それと森の中に去ったという未知の魔獣の正体もアンブロシウスは気にかかると呟いた。
とりあえず、危機は去った。それで一先ずの決着とする。
続いて、現場に同道していたシズの扱いについての報告が上がる。
「……おお、かの堅物の娘か……。名を継承する文化を持つとか……」
アンブロシウスは先ほどまでの沈痛な面持ちから太陽が照ったような笑顔に変わる。
自分がまだ学生であった頃の同級生が老年のシズだった。
ここしばらく音沙汰が無くて心配していた、と。
「当時のあやつと瓜二つの容姿と聞くが……。性格も似ていたりするのかな……」
「長年ライヒアラ騎操士学園に務めてきた功績を讃えたいのですが……。どのように取り計らえばよろしいでしょうか?」
「勲章か、それとも娘が興味を示しているという
報告を終えたフィリップは一礼して退出していった。
国王の抱える案件は無数にある。脇に並ぶ領主達もそれぞれ必要書類を持参し、提出して退出する。それが日常であった。
★
更に数日後、エチェバルリア家の自室にこもって
彼の容姿の殆どは母親から受け継いだもの――。美しいと評判の色々なものは母親も同様であった。
育ち盛りなのに低い身長を気にする息子の事を心配しつつ、生きて戻った事に大層と喜んだりと表情が良く変わる人物でもある。
「終わった事なのにエルは勉強熱心なのね」
「流石に今回は命の危機を感じました。その上で自分に何が出来たのか復習するのは基本だと思います。……それとケーキ、ありがとうございます」
家族だろうとエルネスティは敬語で話す。それは厳格なエチェバルリア家だから、というわけではなく自然とそうなってしまった。
父親の『マティアス・エチェバルリア』も学園長である『ラウリ・エチェバルリア』もエルネスティには優しくしてしまう。――一人息子であり孫でもある、という理由も関係するのかもしれない。
(あの時、落下による衝撃、または爆風を回避するとしても助かるのは自分だけ。ここはどうしても変えられない)
あえて衝撃を受け、流されるままに身をゆだねる方法ならば、あるいはと思った。
実際にそうなっていたら卑しい人間として嘲笑される人生を送る事になっていた、かもしれない。
後に残る残骸は
――実際に肉片として残るものなのかは怪しいか、とエルネスティは溜息をつく。
(経験した事の無い甚大な被害というものは人間の想像を遥かに上回っているものです。だからこそ安易に希望を抱いてはいけない)
それはそうなのだが、と思いつつケーキを一口食べる。
糖分補給をしながら懸命に頭を働かせる息子の姿がセレスティナには輝いて見えていた。
(野外合宿で色々とあったようね、エル。でも、詳しくは聞かないわ。貴方が無事である事が母さんの幸せよ)
(それにしても母様はずっと僕を見つめていますね。……正直、思考の邪魔なのですが……)
微笑む
少しだけ無言の戦いがあったが、独りで考え事をするのはそろそろやめた方がいいとエルネスティの方から折れる事にした。
★
床にまで散らばる書類を拾い集めるセレスティナと共に自分も手伝う事にした。
そして、随分と自分は多くの時間を反省に使ってしまったのだと改めて反省する。
「どうにもならないことをどうにかするにはどうすればいいのでしょうか? 絶対に何か方法がある、という確定された概念とか知りたいです」
息子の突然の質問にセレスティナは軽く唸る。
人生経験は彼より豊富ではあるけれど、賢さまでは自信がなかった。
自分はただ当たり前の事を言うだけ。それ以上は彼が研鑽してきた事だから。その彼が困ってしまうことに対して言えることなどあまり無い。
「そうね~。絶対って言われると困ってしまうけれど……。方法は経験の積み重ねで生まれるもの。それが無ければどうしようもないし、仮に方法があるとしても、その知識を有していない人には手が出せないものよ」
その、手が出ない方法を無理矢理に叩き出そうとする息子に言える事は考える事だけ。
試行錯誤の繰り返し。最初から解答があると分かっていれば誰も困らない。
分からないから誰もが困っている。
「……もし、あの魔獣が急停止しなかったら……。僕はこの世に居なかった。それどころか母様達をも失う結果になっていたかもしれない」
なぜ、急停止したのか、それは未だに分からない。
手持ちの魔法でそれを可能とするものに心当たりはなく、可能性の話しの中でならありえるかもしれない、というだけだ。
理論的には可能な筈だ。
勢いを殺すには相殺すればいい。出来るだけ相手と同等の力が望ましい。そうではない場合でも被害を少しでも軽減できるかもしれない。
実際にそれを成すには多くの助力が必要だし、あの短時間で出来る事はそれほど多くない。
「現状では存在しない方法なのかもしれません。ならば開発すればいい。……しかし、母様……」
「な~に?」
「あの差し迫った時間の中で僕はベストを尽くせたのでしょうか? ただ喚き散らして何も出来なかった……。ただ死を待つ恐怖……。あれは……本当に怖かった」
自分の身が子供だからではない。大人でも怖いと思う。
理不尽で大きな力が空からいきなり降ってくるのだから。
事前に対策が打てる魔獣討伐とは訳が違う。
セレスティナは震える息子を優しく抱き止めた。自分に出来る事は彼の恐怖を和らげること。
尋常ならざる経験をしてきたエルネスティに余計な言葉は要らない。
ただ、お帰りと言ってあげる事こそが最上の解答である。そうセレスティナは思った。