あ、あと『ドジッ子』も出ますよ。
では、どうぞ。
「……五月雨さんは神林提督の初期秘書艦で、響さんも初期のメンバーなんですよね?」
「えぇ、そうですね」
「そうだね、かなりの古株に入るんじゃないかな」
場所は舞鶴鎮守府の休憩室。
そのソファに座っていたのは神林艦隊所属の『響』『五月雨』と宮林艦隊所属の『雪風』だ。
それまでは他愛も無い雑談をしていたのだが、唐突に雪風がこんな事を聞いてきた。
特に隠すような事でも無かったので、五月雨達は素直に肯定する。
「そう、ですか……」
「……?何か聞きたい事があるって顔だね。聞きにくい事なのかな」
小さく頷く雪風の様子に、響が首を傾げる。
「い、いえ、そう言う訳じゃないんですけど……」
「まぁ、『過程』は兎も角、こうして知り合った訳だし、答えられる範囲でなら答えるよ。五月雨は?」
「えぇ、せっかく仲良くなれたんですから。何でも聞いてください!」
冴香の査察で、雪風と摩耶が舞鶴に来て暫く経つ。
何度かの悶着こそあったものの、それ以外は割と問題なく消化されていた。
因みに先日の『執務室での一件』以来、響は雪風の世話役(兼監視役)となっている。
また五月雨も宴会以来、雪風と概ね良好な関係を築けていた。
※また余談ではあるが、響の宴会での『諸々』は本人にとって『無かった事』にされているらしい。
理由は推して知るべし、である。
暫く言葉を探していた雪風だったが、腹を決めたのか顔を上げて五月雨達に問う。
「その、お二人は……恐く、無いんですか?」
何とも抽象的で、要領を得ない質問である。
だが五月雨と響は、雪風の言葉を誤解することなく理解していた。
『何を』、いや『誰を』なんて、聞くまでもなかった。
雪風は、気付いた。そして、改めて恐ろしくなったのだろう。
五月雨達の『司令官』が抱えている『何か』が。
ちらり、と響は五月雨の方を見て、小さく頷く。
恐らく、『此処は君の方が適任だ』という意味なのだろう。
五月雨も頷き返した後、雪風を見ながら応える事にした。
「今は恐くはないですよ……まぁ『恐いと思った事は無い』と言えば、嘘になりますけど」
「今は……ですか?」
雪風の言葉に、頷く。
「着任当初の提督は……もうちょっと『隠すのが下手』だったんですよね」
そう言って苦笑しながら、五月雨は着任して間もない頃にあった出来事を思い出した。
○
―――神林艦隊の初期秘書艦として着任してしばらく経ったある日の事。
その日の執務を終え、自室に戻っていた五月雨だったが、ちょっとした用事を思い出した。
時刻は夕方。少々薄暗かったが、まだ神林は執務室に居るだろう。
……いま思えば、さて何の用事だったのか、と思う程度の些細な用事である。
だが兎も角『思い立ったがなんとやら』という訳で、五月雨は神林の執務室に向かった。
そこで何時ものように執務室に入ったその時。
部屋の中に、『ナニカ』が居た。
いや、其処に居たのは五月雨の司令官で間違いなかった。
しかし、彼の纏っている『空気』がまるで違っていた。
普通に考えれば、空気など目に見えない。透明だからだ。
だが五月雨には、神林の周りに『何か』が纏わり付いているように見えた。
―――何処までもどす黒い、感情の、思念の、奔流。
一瞬、声を掛けるのを躊躇った。
五月雨の中で、何時もの『彼』と目の前の『ナニカ』が結びつかなかったのだと思う。
彼は、心此処にあらず、という感じだった。考え事をしている様だった。
片手で顔を覆っていたので、表情を伺う事も出来なかった。
ふと、『ナニカ』が此方に気付いて顔を向けた。
そして、五月雨と『ナニカ』の目が合った。
掌越しに見えたその目は、黒くて、暗くて、虚ろで、空っぽだった。
刹那、五月雨の心にある感情が浮かぶ。
―――怖い。
―――恐ろしい。
―――なんだあれ。
思わず後ずさり、何かに引っかかって尻餅をついた。
いや、恐怖の余り足がもつれただけなのかもしれない。
元々頭に描いていた執務室に向かう『用事』など、頭から吹き飛んでいた。
その時は只、目の前に居る『化け物』から離れたくて必死だった。
そう。化け物だ。
あんな目をした人間など、知らない。見たことも無い。
尻餅を付きながらも後ずさったが、そんなに広くない部屋だ。
早々に壁に背中が付いた。
まるで、息の仕方を忘れたかの用に、苦しかった。
息が出来ない。声も出せない。
視界が歪む。其れが自身の涙なのか、呼吸困難に因る意識の混濁なのか。其れすらも分からなかった。
ふと、目の前の『化け物』が立ち上がる。
視界が歪んで良く分からなかったが、窓から差す夕日で逆光となったその姿が、酷く恐ろしかった。
次第に近付いてくるそれに、いよいよ意識を手放しそうになったその時。
五月雨の体を、暖かい何かが包んだ。
―――驚かせてしまってすまない。
―――私は君を傷付けたりはしない。
―――私を、信じて欲しい。
そのまま聞こえてくる声に従うように深呼吸をして、五月雨が落ち着いた頃、漸く自身が神林に抱きしめられているのだと気が付いた。
「その後、改めて謝罪を受けて。……それからは、提督が恐くなくなりました」
最後に、五月雨は『あの日』あった事をそう締め括った。
其れを聞いた二人は―――
「……司令官に抱きしめられるとか何それ羨ましい」
「えっと、響?」
同僚のあんまりな第一声に、引き攣った笑顔を浮かべる五月雨。
「……済まない。本音が漏れた」
「あ、いや、別に良いんだけどね?」
「それにしても、そんな事があったんだ。知らなかったよ」
「……どうも、提督も慣れない環境で戸惑ってたんだそうです。
『その時』は……昔を思い出して少し気が立っていたとか。
それ以降は意識して『隠してた』ので、皆さんも気付かなかったと思いますよ」
「……確かに、司令官って隠すの上手いからね。成る程、そういう事だったのか」
尤も、五月雨の時程では無いにしても、感情の起伏で何かしらが漏れる事はあるのだが。
「五月雨さんは、それを信じれたんですか?」
雪風の言葉に、五月雨が首を傾げる。
「……信じられませんか?」
「……少なくとも、雪風には無理だと思います」
素直に否定した。
五月雨の話を聞く限り、その時の『彼』は本当に恐ろしかったのだろう。
何しろ、艦娘がパニックを起こすほどだ。生半可な事ではない。
そんな恐怖心を、一度の謝罪で払拭できるものなのだろうか?
着任早々の出来事だ。信頼関係も薄かったに違いない。
幾ら抱きしめられたと言って、其処まで簡単に……待てよ?
「……もしかしたら、それが神林さんの目的だった?」
「どういう意味ですか?」
「ほら、『吊り橋効果』って言うじゃないですか」
『吊り橋効果』
カナダの心理学者が発表した『生理・認知説の吊り橋実験』によって実証されたとされる学説。
『恋の吊り橋理論』とも呼ばれている。
『生理・認知説』は、人は生理的に興奮している事で、自分が『恋愛している』という事を認識する。
つまり、外的要因の生理的興奮(恐怖や緊張も含む)を恋愛に因る『ときめき』だと誤認するのだ。
恐怖心を、抱きしめる事により自身への恋慕へと誤認させる。
手っ取り早く信頼を得るには中々有効であると思う。
まさか其処まで考えて―――
「あ、そんな小難しい事、提督は考えていないと思いますよ」
と邪推した雪風の仮説を、『それをされた本人』が否定した。
「結果的にそれっぽい雰囲気にはなったかもしれないですけど、提督が狙ってやる事は無いと思います」
「確かに、『そういう事柄の機微』って疎いよね、司令官」
「というか、その辺の感情すっぽ抜けてるんじゃないでしょうか?」
「それは流石に……在り得るね。認めたくないけど」
先日、どこぞの誰かが『色々と』言うまでも無く、彼女達は薄々感づいていたのだ。
我らが上司の、恋愛沙汰に関する『しょっぱさ』に。
「そ、それじゃあ、一体何が五月雨さんを?」
「う~ん、そうですねぇ……」
釈然としない雪風の様子に、五月雨は眉間に指をあてつつ考える。
いざ、言葉で説明するとなると難しい。
兎も角、あの日のことを思い出す。
「あえて言うなら……必死さ?いや、ちがうな……もっと、こう……」
「必死さ?」
「いや、後で提督に謝罪を受けた、って言ったじゃないですか。
そのときの雰囲気が、なんていうんですか、必死……とは、また違うんですよねぇ」
腕を組んで、考え込む。
そう、もっとこう、単純で、子供っぽい……ん?子供?
そう、子供。その単語が浮かんだとき、五月雨の思考が晴れた。
「それです」
「な、何がです?」
ぽん、と手を叩いて結論に至る。
「その時の提督の雰囲気です。子供っぽかったんですよ」
「子供っぽい?」
首を傾げる雪風の言葉に、五月雨は頷く。
「そうです。まるで、女の子をうっかり泣かせてしまって焦る男の子、というか。
もっと言えば、泣いてる妹を何とかあやそうとするお兄ちゃんって感じで。
それを感じたとき、何だか恐がってた自分が馬鹿馬鹿しくなっちゃったんですよね」
確か、堪え切れずその場で笑ってしまった気がする。
そしてそれを見てきょとんとしている神林を見て、更に可笑しかった。
「あの方は、きっと色んな事を知らずに来ちゃったんだろうな、って。そう思えたんです。
確かに途轍もない事をして来て、色んな物を見てきたんだとも思います。
でも、あの方はきっと、どこかが『子供』なんですよ」
そう言って微笑む五月雨を見て、少し考えながら響が同意した。
「確かに……司令官ってちょっと子供っぽい所あるよね。変な事で拘ったり」
「そうそう、それに意外と考えている事が顔に出ますよね」
「あの人は否定するけどね。実際分かりやすいよね」
「ですよね!それで、割とどうでも良い事を考えているときは……」
「「目線がちょっと上にあがる」」
声を揃えてそう結び、互いに笑い出す響と五月雨。
どうやら、神林が思っている以上に艦娘達は彼を見ているようだ。
そんな二人の様子を、なんともいえない顔で見つめる雪風。
言っている事は理解できなくはないが、納得も出来ない……そんな顔だ。
「……君には分からないと思うよ?」
暫く笑った後、落ち着いた響が雪風を見ながらそう締めくくる。
その目には、様々な感情を宿していた。
「此処に来て日が浅いってのもあるから、仕方ないとは思う。
まぁ、理解しようとする姿勢は評価するけど……無理だと思うよ。今のままじゃ、ね」
「今のまま……ですか?」
「そう。少なくとも……司令官を『伝説の死神』として見ているうちは、絶対に無理だ」
死神―――その言葉に、雪風の顔が強張る。
「響も『生き遺った側』の艦だからね。
『駆逐艦雪風』がどんな目で見られていたのか……ってのは理解できる。
『死神』って呼ばれてたのも知ってるさ。
でもね、それと司令官を『同じ』に見られるのは……ちょっと不愉快だな」
ざわり、と響の体から感情があふれる。それは果たしてどんな感情か。
『お喋りな誰かさん』のお陰で、神林の抱えている一端を知ることが出来た。
彼がどういう風に呼ばれていたのか、理解した。
それを踏まえても、響の心にあった想いは一つ。
―――それがどうした?だからなんだ?
あの人はあの人だ。
響の中では、何一つ変わっていない。
―――победа к вам.(貴方に勝利を)
そう。あの日胸に抱いた誓いは、何一つ変わっていないのだ。
只々、勝利を。自身を必要としてくれるあの人の為に。
「そもそも、『今の』私達は『軍艦』じゃない。『艦娘』だ。
『昔の』事なんて、此処では関係ない。
私は『駆逐艦娘の響』で、君は『駆逐艦娘の雪風』なんだから。
それに、『沈まない』事は、響たちにとって特別な事じゃない」
そういって、響は両手を広げる。
「だって、響達の艦隊は編成以来、一隻も沈んじゃいないんだから。
そういう意味なら、神林艦隊は『不沈艦隊』なんだよ」
勿論、敵は倒す。深海棲艦は、沈める。
それは、自分達が存在する理由だから。
だがそれはあくまでも前提に過ぎない。
深海棲艦は沈める。でも、自分達は沈まない。なぜか。
―――神林司令官(あのひと)が、それを望むからだ。
あの人が其れを望み、導いてくれる限り、私達は決して沈まない。
そう思う。そう信じれる。そう想うと、『こころ』の奥で、凶悪な程の『なにか』が溢れ出る。
これは、『狂気』に近いんだと思う。『妄信』と言われても否定は出来ないとも思う。
でも、これが『神林艦隊』に所属している私達の『特権』だとも思う。
そう、だから―――
「『外側』からでしか響達を見れない雪風には、絶対に分からないよ。絶対に、ね」
そう言って笑う響を、どこか『眩しそう』に雪風は見るのであった。
ちょっと短いですが、此処までで。
提督サイドも書こうと思ったんですが、長くなりそうだったので別枠に。
所でこの作品では、結構頻繁に艦娘の神林提督に対する『盲目的』な面を出しています。
でも実際、ゲーム内で『それっぽい』発言してる艦娘って多いんですよね。
好意的、と言えば聞こえは良いですが、どうも提督(プレイヤー)のやる事に疑問を感じていないというか、何と言うか。
実際、システム的にも『捨て艦』を始めとしたブラック運用が可能な訳ですし。
尤もそれを『やる側』が罪悪感を感じない限り、ですが。
まぁ『ネタにマジレス』と言われれば、其れまでなんですけれども。
そういえば、以前活動報告にも書きましたが
『筆者艦隊に所属していない艦娘の出番は基本少ない』
というスタンスを本作品では取っています。(※詳しくは当該活動報告にて)
そして、その活動報告を載せて時は経ち。
現在の筆者艦隊には雪風さんが配属されております。
……つまり、そういう事ですね。
お楽しみに。
あ、次回は提督サイドです。