※内容は特にバレンタイン仕様ではありません。季節も夏です。
お楽しみいただければ幸いです。
(1)
暫くして、目の前の男、高岡の正体の衝撃から立ち直った瞳子の頭に重大な疑問が浮かんだ。
「高岡社長、一つ質問してもよろしいでしょうか」
「そんな堅苦しい呼び方やめて欲しいな〜」
高岡はにこやかな笑顔でそう返すが、目では瞳子をしっかりと見据えていた。
「では、高岡さん。はぐらかさないで答えて下さい。お姉さまーー福沢祐巳様にお声をかけた目的は、一体何でしょうか?」
ーーフッと高岡の口から小さく息が漏れると、その目つきが先ほどより鋭くなった。
「瞳子さん、でいいかな?その質問には答えるよ。ーーーただし、それはきみに、ではなく、」
態度や喋り方まで変化し、一瞬呆気にとられていると、瞳子から視線が逸らされ、まるで獲物を射抜くかのような眼差しが祐巳さまへと向けられた。
「ーーーあなたにだ。福沢祐巳さん」
「は、はい!」
祐巳は、男が大きな会社の社長だ、ということに驚きはしたものの、実のところ瞳子と高岡の会話には全く耳を傾けていなかった。
平々凡々な自分とはさして関係のない話が展開されると思っていたし、それよりも、男の隣に座る少女の方に興味があった。この機会に話しかけるタイミングを見計らっていたところ、祐巳にとっては突然、あらぬ方から話しかけられてしまったのだ。
「えーーっと?」
(え、え、え、何?なんか睨まれてないかな…?私何かした??瞳子〜〜〜〜)
祐巳さまの縋るような視線に応えてあげたい気持ちは山々であったが、とりあえず今は、この男が話し出すのを待つしかなかった。
もう彼は、祐巳さまとしか向かい合う気がないようであったし。
「祐巳さん、俺がきみに関心を抱いたのは妹がきっかけなんだ」
「どういうことでしょう?」
祐巳さまは、彼の妹、綾芽ちゃんが絡んできたことで話に興味を持ったようだった。
「綾芽は、高校からの外部受験でリリアンに入ったから、」
そう、高岡グループのお嬢様がリリアンに入学した、という情報なら聞き及んでいた。顔と名前が一致したのはつい先ほどだが。
「リリアンの特殊な制度は綾芽にとって新鮮で、毎日その日の出来事を俺に報告してくれたんだ。俺も綾芽も育った環境のせいか、変わったことや新しいことが大好きでね、その中でも特に祐巳さんの話は興味深かった」
「私??ですか…?」
「うん。最初は、綾芽の話に一番登場するし、綾芽が一番興奮して話すから覚えたって程度なんだけど、ある日綾芽が写真を見せてきた」
「写真っ」
祐巳さまが小さく声を上げる。
「俺が適当な相槌で『見てみたいな〜』て言ったのを間に受けてね、まあ、そのお陰で俺はきみに興味を持ったし、逸材を見逃さずに済んだんだけど。アレ、許可得てないよね、ごめんね」
「ほら、綾芽も謝る」「ご、ごめん…なサイ」
兄に促された綾芽ちゃんは蚊の鳴くような小さな声で謝罪した。
あの盗撮にはそういう経緯があったのか、と瞳子は胸の内で納得する。祐巳さまも消化出来ずにいた疑問が解けて心なしかスッキリしたようだった。
「祐巳さん。俺はね、美しい容姿を持つ子や、人より秀でた技術や頭脳を持つ人、そんな人たちをたくさん見てきたし、関わってきた。けれどその中でも抜け出る人っていうのは、圧倒的に他を惹きつけて巻き込む力がある人なんだ。計算じゃなく自然とね」
「俺が求めてるのは自然体のままで発せられる魅力がある人。だから、綾芽の盗撮写真は衝撃だったよ」
祐巳さまが被写体の写真が魅力的なことは痛いほど分かる。そこに高岡が言わんとする人物のまさにそのままが映し出されていたことも。
祐巳さまは、急な展開に動揺しているようであったが。
「で、実際会って、話してみたくなったわけ。声をかけた目的はこんなところ」
「これからまた会う機会もあるから、今日はこの辺でいいかな。あーあと昨日のセリフは全部本気だよ。俺と綾芽が焦がれてるもの。多分きみもいずれ自覚する時が来ると思うよ」
「きみからはいつでも連絡していいよ。破いて捨てたりしないでね」
そう言い残して高岡の兄妹は喫茶店を出て行った。
高岡の話は、核心には触れていなかった。わざとだろうけれど。瞳子は胸に何かが痞えたような焦燥と不安に駆られていた。
「お姉さま…」
「ん?」
祐巳さまは先ほどから何かに気を取られているようだった。それがますます瞳子を不安にさせる。
「お姉さまは、あの男の話に…芸能界に惹かれましたか?」
「うん?芸能界?には興味ないよ。私には遠い世界の人たちだし…………でも、」
その後に祐巳さまの言葉が続けられることはなかった。
結局、祐巳さまが胸の内で何を考えているのか分からないまま、けれど瞳子はそれ以上踏み込む勇気もなく、この話は終わった。
「ずいぶん長居しちゃったね。そろそろ帰ろうか」
「そうですわね」
祐巳さまに従って、瞳子も席を立つ。
帰り道は言葉数も少なかった。それでも、「瞳子、手繋ごう?」といって差し出された手、それを握り返した時に自分へと向けられるお日様のような笑顔は、瞳子の心を暖かくしてくれる。
(この手は絶対に離さない)
瞳子はその日、強く己に誓ったのであった。
(2)
三日目。
昨日は長く外にいたこともあり、今日は皆、屋内でまったりと過ごしていた。
テラスで読書感想文の下書きをしていた祐巳さまは、集中が切れてしまったのか、手を止めて、隣で読書をしておられる祥子さまへと声をかけた。
「そういえばお姉さま、今年も従姉妹の方々はいらっしゃるのですか?」
「そうねえ、こちらには滞在しているようだから、その内訪ねてくる可能性が高いわね」
祥子さまは眉を下げて、申し訳なさそうにしていた。あの子たちの場合、祐巳さまに意地悪をしたり冷たい態度なのは、祥子さまへの憧れや好意からくる嫉妬なので、彼女を慕ってやってくる従姉妹達をあまり邪険には出来ないのだ。
「私のことなら心配要りませんよ。あの子たちに嫉妬されるほど、お姉さまと一緒にいられて幸せですし」
「訪ねてこられた時くらい、お姉さまを譲って差し上げます」
「祐巳、ありがとう」
祐巳さまの言葉に感謝しながらも、祥子さまの瞳には切なさが滲んでいる。恐らく、自分がいなくても一人で立っていられる祐巳さまの成長に寂しさを感じるのだろう。自分も似たようなところがある為、どうも瞳子は祥子さまの気持ちが分かりすぎてしまう。
「私も彼女たちには好かれていないですし、その時には瞳子もお姉さまと一緒に退散いたしますわ」
そうとは分かっていても、瞳子は祥子さまへ追い打ちをかける。
気にしていられないのだ。瞳子が最も優先させるのは祐巳さまであり、彼女は一番のライバルなのだから。
ーーーちょうどそんな話をしていた時、小笠原の別荘にくだんの訪問者たちがやってきた。
綾小路菊代、西園寺ゆかり、京極貴恵子の三令嬢だ。
私と祐巳さまは、礼儀として軽く挨拶を済ませるとさり気なく場を離れた。さて、どうしようか?と、二人でしばし思案していたところにキヨさんがやって来た。
「お二方宛に絵はがきが届いておりましたので」
そういって手渡されたのは二枚の絵はがき、宛名を見るまでもなく差出人は予想できたが、案の定、山百合会の面々からだった。
一枚は志摩子さまと乃梨子から。京都の仏像の写真と共に添えられた文面は、
『暑中お見舞い申し上げます
私たちは今、京都の仏像を巡る旅行へと来ています
こちらは盆地のため、暑さが少々堪えます
滞在期間は残り二日ですので、葉書が届く頃には手持ち無沙汰にしているでしょう 志摩子、乃梨子』
そしてもう一枚は由乃さまと菜々ちゃんから。こっちには支倉家の道場で剣道着姿の令さま、由乃さま、菜々ちゃんの写真。
『暑中お見舞い申し上げます
私たちは夏休みだというのに、毎日毎日剣道の練習です
剣道バカの姉妹を持つと大変です
剣道着の中は蒸し暑く、心身ともにリフレッシュしたい所存です
そちらの涼しい気候の中過ごしたいものです
追伸 祥子にもよろしく伝えて下さい
由乃、菜々、令』
それぞれ二組の個性が発揮された内容となっており、瞳子と祐巳さまは思わず吹き出してしまった。
「まるで示し合わせたかのような内容ですわね」
「あははっ!令さままで!この三人の方は露骨だもんね」
この葉書は明らかに、皆んなでそちらにお邪魔していいか?と尋ねる内容のものだった。
「あとでお姉さまにお見せしよう!」
「そうですね」
祐巳さまの声はとても弾んでいた。斯く言う瞳子にしても久しぶりに皆で集まれるという期待に、綻ぶ表情を隠しきれてはいなかった。
その後の二人は、祐巳さまの部屋でしばらくお喋りをしたりボードゲームをしたりして楽しく過ごしていて、時間の経過を忘れていた。
いつの間にやら三令嬢はお帰りになったらしく、祥子さまが祐巳さまの部屋まで報らせに来てはじめて気づいたのだった。
帰り際、祥子さまは、今年も例のごとく、西園寺ゆかり様からパーティの招待状を受け取ったらしいのだが、差出人を見るとなんと西園寺家の曾お祖母様直々のご招待だった。その上、メッセージも直筆で、祥子さまは当然として、祐巳さまに向けてもしたためられていた。
「祐巳、あなた曾お祖母様に相当気に入られたみたいね」
「懐かしいですね〜、『来年も是非来てね』って言って頂けたのがすごく嬉しくて、今年もお会いしたいなあと思っていたんです」
「ふふっ。今年もまた、祐巳の『マリア様の心』を聴くことができるのね」
祥子さまはメッセージを覗き込みながら楽しそうにおっしゃった。
「うっ。そんな大したものじゃないのに…お姉さまも伴奏でご一緒してくれるんですよね?」
「そういえば、瞳子ちゃんも新入生歓迎会で祐巳の伴奏をしたんだったわよね。それも聴いてみたいのだけど、どうしましょうか」
さすがの瞳子も祥子さまを差し置いて祐巳さまの伴奏をするのには気が引けたため、反射的に首を横にふってしまう。
「きっと曾お祖母様は、去年のようにお二人が共演することを期待しているでしょうし、私は遠慮いたします」
そういったのだが、
「せっかくなら三人で何かしたいです!」
という祐巳さまの一言により、当日までに何か考えるということで落ち着いたのだった。
「それにしても、今日はよく手紙を受け取る日ですね〜」
話がひと段落したところ、祐巳さまがのほほ〜んとおっしゃった言葉は、瞳子に祥子さまに尋ねるべきことがあるのを思い出させた。
「お姉さま、その私たちの受け取ったものを祥子お姉さまにお見せするのでしょう?」
祐巳さまにそう促すと、途端にあたふたと慌て出す。顔には「忘れてた!!」と思いっきり書いてある。瞳子も人のことは言えないのだが、祐巳さまの焦るさまを観察するのはとても面白かった。
「祐巳、私は逃げないから落ち着きなさい」
祥子お姉さまはそんな祐巳さまを微笑ましげに見つめている。年々頼もしくなっているとも思うのに、こんなところはいつまでも変わらないのだ。
焦っているからだろう、机から葉書を取り出し、祥子さまに渡すという簡単な動作のはずが、やけに無駄が多くせわしない。
ようやく祥子さまへ葉書を渡すことができた時には、少々息が切れているのだから、普通なら呆れるところだ。
だというのに、祐巳さまに限ってはただただ愛おしさが溢れてくるのだからどうしようもない。
そんなこんなで葉書に目を通した祥子さまは、
「楽しくなりそうね」
と、いたずらな微笑みを浮かべるのであった。