待っていて頂いた方(いらっしゃるか分かりませんが…)心よりの謝罪とお礼を申し上げます。いや、本当にありがとうございます。
(1)
自分に割り当てられた部屋の隅。
瞳子は荷物の整理をしながら思案していた。
さて、これからどう過ごそうか。
祥子お姉さまが、到着初日は夕方までお休みになられることは知っていたし、普段ならば瞳子が休暇を別荘地で過ごす際の行動は祥子さまと大して変わらず、読書をしたり、宿題をしたりしつつ、ゆったりとした時間を送るのだがーーーやはり、気になるのは隣の祐巳さまの様子であった。
「お姉さま、」
瞳子は整理整頓をあらかた終えると、祐巳の部屋の前まで足を運びドアをノックした。
「瞳子です。入ってもよろしいでしょうか」
「あれ、瞳子どうしたの?」
すると、扉はすぐに開かれ、中から祐巳さまがちょこん、と顔を出して尋ねてくる。
扉を押さえていない方の祐巳さまの手には文庫本が収まっていた。
「あ、いや、お姉さまはこの後どう過ごされるのかとおもいまして」
「ちょうどテラスで読書でもしようかと思ってたところなの!夏休みの宿題の読書感想文用のね」
まあ、手に握られた文庫本を目にした時点で予想は出来たものの、それは瞳子にとって意外だった。祐巳さまなら有名な観光地を巡るか、一緒にゲームでもしようと誘ってくるのではと予想していた。
顔には出していない自信があったのに、どうやらその思いが見透かされてしまったようで、
「ふふん。本は宿題用以外にも持ってきているし、英語や数学の課題もあるわ!夏休みの後半は学園祭の準備で忙しくなるから、今のうちにやっておかないといけないのよ!」
なぜか得意げに語られる。
「…さすがですね。お姉さまのことだから、昨日は楽しみで楽しみであまり寝付けず、宿題のことなんてサッパリ忘れてしまわれていると思っていましたのに、それどころか学園祭への配慮も考えておいでとは!多少なりともお姉さまと観光地を回って遊ぶことを考えていた瞳子は愚か者です。申し訳ありません、紅薔薇さま」
調子に乗っているお姉さまに向かって、少々芝居がかった褒め方をして弄る。
途端に、祐巳さまが慌てて弁解しだした。
「と、瞳子!ああの、ね、私も実は瞳子と観光地デートしたいなって思ってて!でも、瞳子もお姉さまと同じ様に、休暇中はゆっくり別荘地で過ごす派だと思ってたから、それに!さっきの台詞、実は去年お姉さまがおっしゃったことなの…だから、今年は準備に抜かりがなくて…あの、だから、本当は、一緒に遊……っ」
「お姉さま!」「っっえ!!」
だんだんと尻すぼみになっていく祐巳さまの言葉を最後まで待たずに、瞳子は思わず彼女に抱きついていた。
恥ずかしさから、しどろもどろになりながらも、頬を赤らめて一生懸命にしゃべる姿が可愛らしくも、焦ったくて我慢が出来なかった。
天然人たらしめ。わざと苛めたくたるのも仕方ない。
「ふふ、一人ならば大人しく過ごしますが、お姉さまとでしたら外に観光に出るのも楽しそうですわ。ーーそれに、去年別荘で退屈そうにしているお姉さまを目撃してましたもの。分かっていますわよ」
「そういえば、瞳子も去年こっちにいたんだった。見栄を張るだけ無駄ってことね」
祐巳さまはバツが悪そうにそうおっしゃると、ふっと微笑んで瞳子の頭を撫でる。
「じゃあ、明日は一緒にお出かけしてくれる?」
自分より少し高い目線から掛けられる柔らかで少し甘える様な声と優しい眼差しに瞳子の胸は幸福感で満たされる。
「もちろんですわ、お姉さま」
その後は、どうせならと祐巳さまと共にテラスで読書をし、夕方になると起きてこられた祥子お姉さまも共にキヨさん特製の夕食をいただいて、夜には、大勢の方が楽しいから!と祐巳さまにねだられた管理人夫婦も一緒になりゲームに興じる。
めったに見られない祥子お姉さまのリラックスした笑顔、それを向けられてだらしなく顔が緩む祐巳さま。そんな様子を微笑ましく見つめるキヨさんと源助さんーーー。
一日目は、こうして暖かで穏やかに過ぎていった。
(2)
二日目。
昨日の夜はゲームに夢中になるあまり就寝時間が遅かったため、いつもの時間になると勝手に身体が目覚めたものの、少しの気だるさと休日だから、という甘えによって、再び目を閉じた瞳子は見事に寝入ってしまった。慌てて飛び起きたのは部屋の外から祐巳さまの声が聞こえたからであった。
「ーー姉ーーま!……さま!お姉さま!起きて下さい!!!」
瞳子が瞼を擦って体を伸ばし、時計に目をやると、時刻は八時。
なるほど、少々寝過ぎたが許容範囲内だろう。自分で目覚めたのだからーーーと、未だ祥子お姉さまを起こすことに四苦八苦している祐巳さまがこちらに来る前に、服を着替え、部屋を出て、顔を洗う。
そして階下におりて、キヨさんに朝の挨拶をするが、まだ祐巳さまも祥子お姉さまの姿もない。仕方ない瞳子も手伝おう、とまた二階へ上がり祥子お姉さまの部屋のドアを開けて、固まった。
「ん?あれ、瞳子起きたの?おはよう」
「あ、もしかして手伝いに来てくれた?ありがとう〜」
「ところでさ、見てわかると思うけど助けてくれる?」
「?ねえ、瞳子どうし「何をやってらっしゃるんですか!!!!」
「!!?ひえっ?」
あぁ、わかっている、わかっていますとも!!情けない顔でこちらを見つめる憐れな祐巳さまには何の罪もない。だから、私が怒っているのは、祐巳さまを抱き枕に、我関せずの狸寝入りを決め込む祥子お姉さまの方だ。
「ぁ、あのねお姉さまが起きてくれなくてね、気づいたらこんな状態に、、でもあまりに気持ち良さそうな寝顔を見ていたら起こせなくなって…ええーと、ごめんね?」
何やら必死で言い訳を始めた祐巳さまを放って、私は祥子お姉さまへと声をかける。
「祥子お姉さま?そろそろお戯れはお止めになって下さいませ」
「…あら、おはよう。瞳子ちゃん。祐巳?」
「え、あ、おはようございますお姉さま?」
私の剣呑な眼差しを全く気にした素振りもない祥子お姉さまは、きょとん?とする祐巳さまに極上の微笑みを向けてから、漸くその体を解放した。一応、ハッと気付いた祐巳さまが「起こすだけで一苦労です」とかなんとか言っていたが、全く怖くない、どころかその表情はまんざらでもなさそうだった。
祐巳さまは最終的には祥子お姉さまのなさることならなんでも許してしまうのではないだろうか。
「…ずるいです」朝食の準備を手伝うと言って、先に下に降りていった祐巳さまの後に続こうと部屋を出る前に、小さな声でそう呟くと、返ってきたのは「あら、あなたは今日一日祐巳を独り占めするのだから、これ位は許してちょうだい」といったなんとも開き直った言い分であった。
(3)
「んん〜〜おいしー!」
朝食を食べ終え、直ぐさま出掛ける支度を整えた私と祐巳さまは観光地として有名な商店街のメインストリートをぶらぶらしていた。
コーヒー専門店の前を通った時、祐巳さまがソフトクリームを食べようとおっしゃったので、現在いるのは、そこの喫茶店の中であった。
見ているこちらにまで美味しさが伝わる表情でソフトクリームを口に含み、満足げな祐巳さま。
(こんな姿を見られるのは妹の特権ですわね…)
と、いまやリリアンの下級生から熱烈な視線を集める彼女について考える。まあ、式典や行事の際しか触れ合う機会のない方々からしたら祐巳さまは高嶺の存在になるのも分かる。
紅薔薇さまとしての彼女は、凛々しくも可憐で、厳しくも優しい。普段とのギャップに瞳子でさえ見惚れてしまうのだが、それを指摘した時に「気を張っているだけだよ」と慌てて否定された。人を惹きつけるカリスマ性など、気を張っただけで得られるものではない。彼女の本質的なものだと瞳子は思っている。
「あ」
コーヒーを啜りながら某っと物思いにふけっていると、窓の外にチラッと見覚えのある人物を見つけた。
「どうかしたの?瞳子」
祐巳さまが首を傾げて尋ねる。
「たいしたことではないのですが、お姉さまに声をかけた忌々しいナンパ男を見かけまして、少々驚いたのです」
一瞬だけだが、昨日の駅でみた男だったと思う。祐巳さまの視界に入れるのも嫌で、何でもない風に話を切り上げたかったのだが、彼女は思いもよらない発言をした。
「ナンパ?あ、あの子!リリアンの一年生の子だ」
瞳子は焦る。
「え?あの男の隣にいるのはリリアンの生徒なのですか?」
「うん。そーいえば隣の人は昨日の駅で会った人だね、知り合いかな〜?」
「見逃すわけにはいきませんわ!お姉さまは少々こちらでお待ち下さい」
驚く祐巳さまを置いて、瞳子は喫茶店を飛び出した。そして先ほど目にした彼を慌てて追いかける。
普段あまり走ることのない瞳子が全力疾走で追いつくと、息も絶え絶えに叫んだ。
「あなた!その子から離れなさい!!」
振り返った男と少女は困惑の表情で瞳子に目をやる。
「それと、あなたも。リリアンの生徒がこんな男と何をしているの!」
「へっ?」
応えない男に焦れた瞳子は少女の方へも声をかけるが、その瞬間少女が発した驚きの声は、どちらかといえば瞳子の後方に向けて発せられたものだった。
「ごめんなさい」
男と少女の視線を追って瞳子も後ろを振り返ると、そこには二人に向かって頭を下げて謝罪する祐巳さまの姿があった。
(4)
「申し訳ございませんでした」
瞳子は丁寧に彼らと祐巳さまに謝罪した。
「人の行き交うメインストリートでは目立つから」と取り敢えず二人を伴い喫茶店へと戻ることを提案する祐巳さまに従い、男と少女、祐巳さまと瞳子は四人で一つのテーブルを囲んだ。祐巳さまは店の方にも頭を下げて、先程のテーブルに二つ椅子を足してもらった形だ。お姉さまに迷惑をかけたことで、瞳子は己の短慮な行動を後悔していた。
「謝罪は結構ですよ。誤解を生む行動をとった俺の責任が大きいですから」
そんな瞳子へと男は気まずげに声をかける。
そう、そもそもこの男の昨日の行動が問題だろうと瞳子は思った。
まず、席に着いて初めに行ったのは各々の自己紹介。
この男と少女の関係は年の離れた兄と妹だった。
「俺は高岡 涼平。で、こっちが妹の高岡 綾芽」
そして、妹の方は所在なさげに縮こまって俯いているのだが、時々、祐巳さまの方を盗み見ては顔を真っ赤に染めている。祐巳さまが覚えていたのは、新学期早々に写真を撮って逃げた子だったからだそうだ。そういえばそんな事件もあったなと思い出す。
しかし、祐巳さまをナンパしたことには変わりないし、妹の方も盗撮逃亡犯であることを思うと釈然としない気持ちが残る中、男は続けた。
「昨日渡した名刺を見て貰えば、俺の簡単なプロフィールは分かると思うんだけど」
(「あ」)
(「あ」)
その時、瞳子と祐巳さまは同時に顔を見合わせ、同じ表情を浮かべていた。
「その頂いた名刺なんですけど、、、あの後風に飛ばされてしまいまして…」
祐巳さまが心底申し訳なさそうにバレバレな嘘を吐く。
(ああ、祐巳さま、瞳子のために有り難いですが、顔が真実を語ってしまっています!)
「はははっ」
すると男が突然笑い出した。
「いいよいいよ、捨ててしまったんだろ?まっ!俺の口説き方がナンパ風なのが悪いよな!肩書きがなけりゃただのチャラいナンパ野郎だ」
「じゃあ改めて自己紹介するよ」
そう言って男は名刺を差し出した。
今度はしっかりと受け取った名刺を拝見する
『株式会社ユニゾンプロダクション代表取締役社長』
「「エッ!!!??」」
またも瞳子と祐巳さまは共鳴した。
だって仕方ないだろう。誰が軽いナンパ男を社長だと思おうか?
しかも、ユニゾンプロダクションといえば業界大手の芸能プロダクションだ。誰でも知っている有名な会社。特に瞳子は家の影響で経済や政治にも多少明るいため、その会社の社長が最近交代したことを知っていた。その時、名前と人物写真も見たはずなのに、言われてみるまで全く気づかなかったのだ。
「高岡 涼平。若干二十七歳にして高岡グループの芸能部門を任される。その才覚は本物で、これまでは同部門で、放送作家、総合プロデューサー、作曲家etc全てにおいて第一線で活躍してきた……確かに、髪の毛を整えて、スーツを着て、顔付きを引き締めれば写真と同一人物ですわね…私としたことが……」
瞳子は自身の不甲斐なさに項垂れるしかなかった。
「はははっ!流石!松平家のお嬢ちゃんは詳しいな!」
そう言って、男は心底楽しそうに笑みを浮かべるのだった。