マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#05 紅薔薇の開花

 (1)

 

 「えええっっ!!むりっ!むりだよそんなの~~」

 

 早朝の薔薇の館に祐巳さまの叫びがひびく。今日は新入生歓迎会当日。余裕をもって準備していた甲斐もあって、前日の最終確認ではすべて完璧ということだったのだが。

 

 「だって!仕方ないでしょう。乃梨子ちゃんが風邪でお休みしちゃったんだからっ」

 

 「だからって!!なんで私なの??私特技なんてなにもないよぉ」

 

 予定では、新入生歓迎会の催しで、乃梨子が琴を演奏し、それに合わせて志摩子さまが日舞を披露するはずだった。しかし、今朝になって乃梨子から熱が出て動けないと連絡があったのだ。

 

 「ごめんなさいね。乃梨子が迷惑をかけてしまって」

 

 「仕方ないわよ。それにしても、張り切りすぎて倒れるって乃梨子ちゃんもかわいいところあるじゃない。そんな健気な乃梨子ちゃんのためにも頑張ろうって気にならないの?祐巳さん」

 

 由乃さまが祐巳さまを追い詰める。

 

 「…うっ。で、でも…何を…」

 

 「ふふふ。だ~~いじょうぶっ!祐巳さんなら何やったって喜ばれるんだから」

 

 「っそ、そんなぁ~~」

 

 祐巳さまは「助けて」という瞳で瞳子を見つめる。うるうるうるうる…。

 

 「…はぁ~~。それでしたら、お歌を歌ってはいかがでしょうか?」

 

 「えっ!?うた?」

 

 「はい。去年、曾お祖母さまの誕生会で歌われていたでしょう?心がこもっていればいいんです」

 

 「…うーーん。そっかぁ…」

 

 祐巳さまは目をつぶってなにやら考えていた。

 

 「―――っあ!じゃあさ、瞳子が伴奏してよっ!それなら私やるよ!」

 

 そして、楽しいこと思いついたと言わんばかりの無邪気な表情で瞳子を巻き込む。

 

 「ちょっ!お姉さま、何を」

 

 「あら!それいいじゃない?!」

 

 「ありがとう。祐巳さん、瞳子ちゃん。お願いするわ」

 

 「私も楽しみですっ!お二人とも、頑張ってください」

 

 瞳子が反論する間もなく、決まってしまった…。

 

 

 

 お御堂では、三人の薔薇様が新入生ひとりひとりの首におメダイをかけてゆく―――。緊張と期待でドキドキしているのが伝わってくる。ある子は顏を真っ赤に染め上げ、ある子はふるふると震えながら。瞳子は祐巳さまの後ろでアシスタントをしながら、新入生の様子をうかがっていた。薔薇さま方に熱ーーい視線を送る新入生たち。その瞳に浮かぶのは尊敬と憧れ。瞳子はこの後に控えた歓迎会のことを思って少々気が重くなる。大丈夫だとは思うが、はっきり言って歌も演奏もレベルの高いものではない。紅薔薇さまを盲信している子たちが、がっかりしてしまわないのを祈るのみだった。

 ―――最後の子におメダイをかけ終える。いよいよだ。祐巳さまと私以外の山百合会幹部が袖へと下がってゆく。

 

 「それでは、これより新入生歓迎会を始めたいと思います。どうか皆様、紅薔薇姉妹の共演をお楽しみください」

 

 そのあいさつが終わるや否や、新入生たちの歓声と拍手が鳴り、瞳子はピアノへと―――祐巳さまはステージ中央へと向かった。

 祐巳さまが、胸の前で祈るように両手を握り合わせ、「ふぅーーー」と心を落ち着かせるように息を吐いたあと、瞳を閉じる。

瞳子は、祐巳さまの準備が整ったのを確認すると両手を鍵盤へと添える――――――お御堂にピアノの旋律が紡がれる。祐巳さまはゆっくりと瞳を開け、息を吸う―――そして、その口が一音目を発したその瞬間から、二つの音が絶妙なバランスで重なり合い、お御堂に響き渡る。二人が生み出した音楽は、『マリア様のこころ』。

 祐巳さまの最後の一音が空間に溶け込むように消えてゆく―――それに合わせて、瞳子は鍵盤からそっと両手を離す。二人は余韻に浸り、しばらくは無言のままだった。瞳子の胸はいまだ興奮でドキドキとしていた。こんなに気持ちよくピアノを弾いたのは初めてだった。―――それに、と隣のまばゆい存在を見遣る。祐巳さまのお歌はここまで素敵だっただろうか。去年の夏、避暑地のパーティで同じ曲をお歌いになった時も祐巳さまの心のこもったお歌に感動はしたが、それとは次元が違う。何が変わったのだろうと瞳子が思考に没頭していると祐巳さまが、話しかけてきた。

 

 「瞳子。なんかすごく気持ちよかった」

 

 「私もです。お姉さま」

 

心からの返事だった。そのまま二人で見つめ合う…………。

 

 

 「「「「「―――――――っわーーーー!!」」」」」

 

 

——気付けば、止まっていた時が動き出したかのように、鳴りやまない歓声と拍手が二人に送られていたのであった。

 

 

 (2)

 

 あの奇跡のような演奏を披露してから、紅薔薇姉妹の人気はうなぎ上りだった。リリアン瓦版には、『紅薔薇の祝福』なんて題で取り上げられ、祐巳さまの歌声は『天使の歌声』だとまで評されていた。直接聴くことのできなかった二年生と三年生のお姉さま方からは、また別の機会にぜひ披露してほしいという要望が多く山百合会に寄せられていたし、一年生は―――祐巳さまのファンクラブでもできそうな勢いだ。瞳子はあの時のことを思いだす―――あれは、不思議な感覚だった。二人だけの世界―――いや、二人の音で空間を支配していた。でも―――実際には、瞳子も支配された空間の一部だったのだ。祐巳さまに包まれている感覚―――ただただ、その温かさに酔いしれ、自身を委ねていた。―――祐巳さまは…単に歌が上手いとか、そういうことではない。祐巳さまのお口から発せられるのは、器官を通り、義務的に出す音ではなくて、身体の内、いやもっと根本的な祐巳さま自身から生まれ出るもののように思う。やはり、上手くは説明できないのだけど…。瞳子は教室の席で、ぼうっと祐巳さまのことを考えていた。

 

 「…と……さん、と…こさ…、……瞳子さんっ!!」

 

 「~っえ!?あぁ、はい!なんですの」

 

 「あの…紅薔薇さまがいらしてますわよ?」

 

 級友の声で我に返り、慌ててドアの方を見る。すると、先ほどまで思考の中にいた方が身を乗り出し、こちらへ手を振っていた。教室中が彼女の訪問にざわついている。瞳子は急いで祐巳さまのもとへと向かった。

 

 「お姉さま!もう少し、紅薔薇さまらしくして下さい!」

 

 「えへへ。ごめんごめん。怒らないで」

 

 そういって、祐巳さまは瞳子の顏を覗き込むようにしてほほ笑む。……また、背が伸びている…。瞳子は祐巳さまの顏を見上げながら、少しの寂しさを感じつつも見惚れてしまう。廊下や教室の中からは「きゃあ~~~」なんていう黄色い悲鳴が聞こえてくる。

 

 「もう、いいですから。それより、何かご用事がお有りなのでわ?」

 

 そんな状況に恥ずかしくなって、つい、ぶっきらぼうに答える。

 

 「そうそう!あのね、もうすぐ夏休みでしょ?今年もまた、お姉さまと別荘に行くことになったんだけど、瞳子も一緒に行かない?」

 

 「でも…よろしいのですか?祥子さまとお会いするのは久しぶりですのに…二人だけの方が」

 

 「何言ってるの!二人より三人の方が楽しいに決まってるよ!お姉さまとお会いできるのもうれしいけれど、お姉さまと私と瞳子、紅薔薇家三人で夏休みを過ごせるなんて素敵だと思わない?ねっ!」

 

 祐巳さまが瞳子の両手をにぎりしめ、その瞳と瞳がじーーっと合わさる…………。

 

 「~~~そういうことでしたら、ご一緒させていただきますわ」

 

 「ほんとっ??やったぁーー!!あ~楽しみだな~~」

 

 「ちょっ!お姉さま。もう少しお静かに!!」

 

 こうして、夏休みはまたあの別荘へ行くこととなった。今度は三人で。

 

 

 (3)

 

 期末考査も終わり、待望の夏休みに入った。電車がホームへと到着する。もうお二人は来ているだろうか?瞳子は改札を抜けると腕の時計を確認する。まだ待ち合わせまでは時間があったけれど、祐巳さまは兎も角、祥子さまはもういらしているかもしれない。少し急いで駅の外へと出る。

 

 じりじりとした日差しがアスファルトで照り返し、むわっとした暑さが体にまとわりつく。瞳子は目を細めて辺りを見渡した。―――まだ、誰も来ていない…か。そう思った瞳子だったが、視界の端にちらっと何かが揺れた気がして、そちらへ視線を戻す。―――祐巳さまのツインテール。その前に男が立っていた。あれは誰だろう。祐巳さまと何か話しているように見える。少しすると男は祐巳さまに何かを手渡し、去って行った。すると、遮るもののなくなった祐巳さまと瞳子の目が合う。

 

 「瞳子!!」

 

祐巳さまが瞳子を呼ぶ。瞳子は急いでそちらへと駆け寄った。

 

 「祐巳さま!お早いですね」

 

 「な~に?意外だとでも言いたいの?」

 

 「いえ、別に。」

 

 その通りではあったが、はぐらかす。

 

 「ところでお姉さま。さきほどの方はお知り合いですか?」

 

 「ん?ああ。違うよ?なんか『一人だと寂しいでしょ。一緒に遊ばない?』って言われて、でも私はこれから旅行に行くから、そういったの。そしたら、『じゃあ暇なときはいつでも言って、付き合ってあげるから』って電話番号渡されて……世の中そんな親切もあるんだね~」

 

 思わず、唖然とした。あほうなのだろうかこの方は。瞳子は訳のわからない嫉妬に頭がむしゃくしゃとする。

 

 「祐巳さまっ!その紙渡してください!!」

 

 「えっ!?何。別にいいけど…」

 

 その言葉を聞き終えるや否や、彼女から紙を奪い去り、びりびりに破ってゴミ箱へ捨てた。

 

 「あ~~~~~!人の善意をそんな風にしちゃうなんて……」

 

 (イラッ)

 「こんなもの!善意ではありません!本気で言っているのでしたら瞳子は呆れてものも言えません!!」

 

 爆発してしまった。けれど祐巳さまは目を白黒とさせているだけ。もう一言二言いって差し上げようと口を開きかけたところで、祥子さまが来られた。

 

 「あっ!お姉さま!!」

 「……祥子お姉さま。おはようございます」

 

 「おはよう。久しぶりね二人とも」

 

 祥子さまはとても優しいお顔を向けてくる。瞳子も祐巳さまも自然、顏がゆるむ。

 

 「お久しぶりです。会いたかった…お姉さま」

 

 「祐巳…。私もよ」

 

 そういって、祥子さまは祐巳さまへと歩み寄り髪を撫でる。

 

 「―――――あなた。背が伸びたわね。それに、なんだか…きれいになったわ」

 

 「えへへ。でもお姉さまよりは小さいですよ?」

 

 「当たり前よ。少し合わないうちにそんなに大きくなっていたらショックだわ。これでもとても驚いているのに」

 

 祥子さまはしばらくの間、祐巳さまを見つめていた。いつもそばで見ている瞳子でさえ、祐巳さまの成長に驚くことが多々あるのだから祥子さまはよっぽどだったろう。

 

 「……お姉さま?」

 

 「…ふぅ。私が見ていないところで祐巳はどんどん成長していくのね―――――」

 

 「お姉さま…」

 

 「ふふ。そろそろ行きましょうか」

 

 三人は道路脇に待たせてあった小笠原家の車に乗り込むと、別荘へと出発した。

 

 

 (4)

 

 車中では、祥子さまと久しぶりにお会いしたこともあり、会えなかった間のできごとをお互いに話していると、あっという間に避暑地の別荘だった。

 車から降りれば、都会とは違った心地よい風が肌に気持ちいい。強い日差しも木々の葉にさえぎられ、柔らかな木漏れ日となって降り注いでいた。

 玄関で、沢村さんご夫妻が出迎えてくれる。

 

 「お帰りなさいませ。お嬢さま」

 「祐巳さまも瞳子さまも、ようこそいらっしゃいました」

 

 「今年もよろしくね!」

 「お久しぶりです。キヨさん!源助さん!」

 「お世話になります」

 

 軽く挨拶を交わし中へ入る。私たちはとりあえず荷物を置くため二階へと上がった。

 

 「ここはちょうど三部屋あるから、奥から私、祐巳、瞳子ちゃんってなっているのだけれど、何か不都合があったら言ってちょうだい」

 

 「不都合はないですけど、一人で寂しくはありませんか?」

 

 「ふふっ。祐巳ったら。同じ家の中にいるのだから、寂しくなんてないわ」

 

 「そっ、そうですよね~。あはは」

 

 「それじゃあ、また後で」

 

こうして、波乱の一週間の幕が開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 瞳子語りなので祥子さまの心境をダイレクトに描写できないのが残念です。次回からは話が動きます。シリアスな要素が増えてくると思います。

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