マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#30 マイプレシャス

(1)

 

翌日の大学。

 

二限を終えた後の教室で、環と由乃と志摩子、私の四人で集まりお弁当を広げている。

その見た目も中身もそれぞれ個性的だ。

環のお弁当には、毎回大きなおにぎりとぬか漬けが欠かさず付いている。作っているのは桃ちゃんと言う彼女の自慢の妹さん。

由乃のは、具材のバランスが完璧で、その上彩り鮮やか、くしや仕切りといった細かなところまで気が配られていて可愛らしい。言うまでもなく、これは令さまのお手製である。

そして、志摩子は、相変わらずの和の御膳。

今の時期はギンナンが旬だから、と嬉しそうにそれを口に運ぶ彼女。

昨日も入っていたけど…もしかして、これも学校の敷地で拾い集めたのだろうか……。

 

「祐巳…何かあった?」

 

祐巳が、面白いなあと思って観察しながら、

母の愛情が詰まった自分のお弁当に手を伸ばすと

環が私に話を振ってきた。

 

「…ん、へ?どうして?」

 

「だって、あの何かと祐巳に絡みたがる三人組が、今日はあなたを見るなりなぜだか畏まってたし…」

 

あー言われてみれば、今までに見た事のない態度をとられた気はする。でも、あまり昨日の事は知られたくないなぁ。なんか面倒くさいことになりそうだし。

ネックレスは昨日のうちにマネージャーさんがなおしに出してくれて、今は首元でいつも通りに光を反射している。

 

「…ん〜そうかなぁ〜」

 

祐巳は曖昧に誤魔化した。

 

「それに、なんというか、雰囲気が変わった気がして」

 

ねえ?と、環は他の二人を見やった。

すると志摩子と由乃も首を縦に振る。

 

「ええ、私も今朝からずっと思ってたのよ?」

 

「そうね〜。なんて言うのかしら、凛々しいというか、…絶好調な時の祥子さま?みたいな…」

 

「え?お姉さま!??」

 

それはちょっと言い過ぎである。確かに闘志は漲っているのだけど、祥子さまと比べるなんて畏れ多い。

 

「祐巳、嬉しそうね」

 

あれ、そんな顔をしているだろうか?

志摩子に指摘されて気づく。

 

「…祥子さまの話題に笑顔…もしかしてっ、祥子さまと仲直りした?!」

 

由乃が身を乗り出して尋ねてきた。

…仲直り、か。…あれは喧嘩というか、私が一方的に逃げたという方が正しい。

——それに、その事については、もう気持ちの整理が出来ている。

どうしたいのか、どうするべきか。行動に移すのはこれからだけど。

 

「…まだ、あれから、会っても話してもいないんだけど…」

 

そこで三人の顔が気遣わしげなものに変わったので慌てた。

 

「ち、違うって!…私が言いたかったのは、もう大丈夫ってこと。——離れていても、気持ちは何も揺るがないから」

 

力強く、はっきりと言う。この想いを口にすると無意識に感情が昂ぶってしまうのだ。

みんな些か間抜けにも見えるほど惚けた顔になった。

そして元に戻ったかと思うと、次々と口を開く。

 

「…あら、羨ましいほど強固な絆ね」

 

「あー、熱い。ただの惚気じゃない」

 

「ふふ、そちらの心配は要らないようね」

 

私たち姉妹のことでも随分、気を揉んでくれていたようだから、その懸念だけでも解くことができて良かった。

 

志摩子の「そちらの」という言葉に、まだ彼女達に潜む祐巳への気がかりについて考えてしまう。

 

正直、もう人から批難を向けられることが怖いとは思わない。むしろ直接私にぶつけてほしいとすら思う。そうしたら、私もその人に伝えられるから。誤解を解くにはいい機会だと前向きに捉えるようにもなっていた。

 

という事で、まあ、行き帰りの送迎もこの友人たちの日々の付き添いも、もう必要ないのだけど、今私から切り出したところで、聞き入れてはくれなさそうだし、不安だけを残したままにもしたくない。

だから、みんなが自然と祐巳は平気だと思えるように頑張ろうと心に決めた。必ず、そうなるから、あと少しだけ待っててね。

 

 

 

(2)

 

「高岡さん、今回の曲は、特にタイアップとかはないんですよね」

 

オフィスの会議室で行われる新曲に向けての打ち合わせ。

祐巳は開始一番に質問を投げた。

その表情は、今まで見てきたどれよりも真剣で、周囲も祐巳から溢れる気迫に目を見張った。

 

「——ああ、元々次は特にコンセプトとか決めずに、祐巳の感性を思う存分発揮してもらおうかと思ってたからね」

 

「…じゃあ、歌さえ完成させれば、リリース日を早めることも出来ますか?」

 

重ねられた問いに、高岡はピクリと反応した。

 

「……まあ、全てこちらの都合で日程を組んでるから、曲づくりの日数が縮まれば、その分を早めることは可能だよ」

 

今までの四ヶ月に一度のペース。それは、急ぎすぎず祐巳の成長を促すにも最適の期間と思って決めていたこと。

 

「…そうですか、では…これを皆さんに聴いてもらいたいんです」

 

良かったとつぶやきながら。

祐巳がおもむろにテーブルへと置いたもの。

それは、黒いレコーダーだった。

目線で、いいですか?と高岡の許可を求める祐巳。頷くと、その再生ボタンを押した。

 

意図を読んで、静まる室内。その場の全員の意識がレコーダーの一点に集中する。

 

・・・———————

 

室内に広がる、ただ唯一の音。

 

————————っ

 

———・・・・。

 

 

 

 

やがて、数分間空間を支配した音色は止み、ノイズだけが響いたところで、祐巳が停止を押す。

完全なる静寂。

誰も口を開かない。

言葉もないのは、感想に窮した訳でも、お互いに譲り合った訳でもなかった。

 

————。

 

未だ、漂うその余韻。いつまでも続きそうな留まる空気。

 

「……あ、の〜」

 

そこに遠慮がちに気落ちした小さな声が零れる。

先ほどまで、空間に満ちていた音と源を同じくするそれは、陶然とした人々をハッと引き戻した。

 

そして、バッと瞬時に祐巳へと集まる視線。

 

「…もしかして、、ぜんぜん…でしたか…?」

 

次の瞬間、それらの表情が一様にぽかんとする。

つられて、ぽかんとなる祐巳の顔。

 

そんな異様な室内。

そこにふと、空気の漏れる音がした。

 

ふ、ふっ、

 

「あっははは!ユミ!最高だ!!ふっはっははは!」

 

突如、快活に響き渡った笑い声。

 

「いいよ分かった!次のシングルの発売は、十一月の頭だ!」

 

祐巳の顔がぱぁと華やいだ。

 

「じゃあ!」

 

「うん、後はここに音を乗せれば完成だし、プロモーションのための期間が必要なだけだからね。——ユミ、すごいな。いつから取り掛かってたんだ」

 

「昨日です。…歌詞もメロディも伝えたいものがどんどん溢れてきたので……だめ?…でしょうか」

 

たった一日。祐巳の言葉に、その場が騒然とした。

 

「——は、はっ。…だめなわけないだろ!そっか、ユミは降りてくるタイプなんだな。——よし、これから忙しくなるぞ!」

 

高岡の掛け声を合図に、わっと盛り上がる室内。

みんなの表情が、期待とやる気に生き生きと輝く。

それを見た祐巳は、胸が熱かった。自分が受け入れられている。自分に全力で応えてくれる人たちがいる。だからこそ安心して目の前の壁に立ち向かうことができる。

 

「……っ。よろしくっお願いします!」

 

祐巳にはまだ大した作曲技術なんてない。

ただ、メロディを生み出して紡ぐことは、楽器がなくても、整った設備がなくても、その人の声さえあれば確かに出来る。それこそ自由自在に、趣くままに。——しかし、言うのは簡単でも、実際にそれが、人に聴かせられるものになるだけでなく、心に響く音になるなんて言うのは、間違いなく才能の為せる技であった。

 

だから、誰もが思ったのだ。

この才能を潰させはしない、大きく花開くその日まで支えるのは自分たちだ、と———。

 

 

 

 

(3)

 

——某局の一角にある喫煙スペース

 

ある男が、白いもやの広がる空間で、薄い唇の間に挟んだタバコをパッと離し、うまそうに煙を吐き出した。

天井の換気扇へと立ち上る紫煙を追いながら、目下の関心ごとについて思索する。

 

——ユニゾンプロダクション。

 

あそこは、あの高岡グループ系列の会社だ。

業界大手、有名タレントも多く抱える。

しかし、芸能部門は他の事業とは趣きを画していて、

プロダクションはプロダクションで独立した動きを取っている。

自社タレントのごり押しや、膨大な資金力で圧力をかけるということもしない。一種冷めているというか、そこに無駄に力を入れるということはしない姿勢のようだった。

そんななか、今から二年ほど前に高岡本家直系の長男がそこの社長に就任した。当初は焦った。今のテレビ局と芸能事務所のパワーバランスが崩れ、ユニゾンプロダクションが圧倒的な権力を握るのではないかと。

高岡グループが全面的にバックにつくならばあり得る事態だからだ。

しかし、確かに彼は仕事ができる男ではあったが、親族と不仲であるという噂はどうやら本当らしかった。

その証拠に、彼は高岡グループの権威を一切振りかざそうとしない。

私から言わせれば、理想主義の甘ちゃんだ。

というよりも、タレントは単なるPR戦略の内の一部で、たまに利用はしても、駒に肩入れはしないというのが、グループの総意、そしてかの青年だけが異端児のようであった。

 

だから、私はこれまで通りのやり方で、思うままに成功を手にし続けられることが確定した。込み上がる笑いが抑えられない。

 

なんて愉しい立場なんだ。誰もが私に媚諂い、私の望み通りに動く。

 

だが、あのクソ生意気な高岡の小僧は私の要求に応えなかった。

それと、あの少女…『ユミ』。すぐに折れると思っていたのに、意外と打たれ強い。…しかし、彼女のあの容姿と何とも言い難い清廉なオーラ、アレは必ず人気が出る。歌手としてだけでなく使いようは色々あった。——『ユミ』を私の思うままに動かしたい。

 

 

そして、男は携帯の通話ボタンを押す。

 

『——はい。どうされました?』

 

思わずニヤつくのを止められない。

 

「…ああ、またいいネタを提供してやろうと思ってな」

 

 

思い知ればいい。私に逆らうとどうなるのかを。

従わないなら潰れるまでだ。

 

ホラ、早く私に懇願して見せろ『ユミ』。

 

そしたら良いように扱ってやらないこともない——。

 

 

 

(4)

 

「ユミさん、来週は音楽特番が入ってますけど……いけます?」

 

いつものボイストレーニングと、作曲、編曲の詰めの作業、それから、プロモーションに関する打ち合わせを終え、気持ちの良い疲れとともに、帰路に着く車内で、予定の確認が行われる。

 

けれど、それはもう大分前から聞いていたことで、私も了承している。

にも関わらず、マネージャーはまだ心配が尽きないようだ。

噂の人たちも軒並み出るから、嫌なら断っても良いと、高岡さんにも言われた。でも、出演時間が被っている訳でもないし、そんな事を言っていてはこれからも私の活動に支障が出てしまう。

 

「ふふ。大丈夫ですよ。…それより、歌う曲の変更って出来ませんかね?」

 

番組からのオファーでは、『ひこぼし』をリクエストされている。

でも…私はやりたいことがある。

 

「変更…ですか?…話し合ってみないことには…」

 

「——私の言う条件を付け足してみて下さい。きっとオーケーしてもらえますから」

 

不思議な顔になったマネージャーに向けて、ずっと考えていたことを打ち明ける。

 

「ーーーーー……」

 

「…っちょユミさん!私には判断しかねます!社長に仰ってみて下さい!」

 

普段の彼女らしくなく、大慌てしだしてしまった。

 

「ぷっ。分かりました。そうします」

 

 

 

次の日。

 

毎日重ねられる話し合いがひと段落したところで、

さっそく言われた通りに、高岡さんへと私の希望を伝える。

 

「…まあ、それならむしろ番組側は喜んで食いつくだろうけど…いいのか?許可する以上は、遠慮なく突っ込まれるぞ」

 

「はい、むしろそれが望みですから」

 

「——そうか。……確かに、その方が良い方に転ぶかもな」

 

側に控えているマネージャーが、え?と思わず声を上げたのが聞こえた。彼女は厳しいようで、かなり私に対して過保護なところがあるから、内心承服しかねるといった感じなのかもしれない。

 

「例え、そうでなくても後悔はしません」

 

でも、私の決意は変わらないから——。

 

「分かった。ユミ、話は通しておくから、頑張れよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 

(5)

 

夜七時から始まる、四時間に渡る生放送の音楽特番。総勢30組のアーティストたちが、順番に楽曲を披露していく。祐巳の出番は八時。第2タームの初っ端だった。すごく良い時間帯だ。

 

「続いては、今年四月にデビューしたばかり!その純真な歌声は老若男女問わず人々を魅了する、今一番注目のアーティスト、ユミさんです!どうぞこちらへ」

 

「こんばんわ。ユミです」

 

「こんばんわー!ところで、ユミさんが披露してくれるのは、十一月八日にリリース予定の新曲なんですよね」

 

「はい。今伝えたいことが全て詰まった楽曲です。ぜひ皆さんに聴いていただきたくて」

 

「かけがえのない人への想いを歌った曲ならしいですが、…それはもしかして、噂のネックレスの相手…に関係してたりします?」

 

 

——少し、会場が騒めいたのを感じる。

 

 

「——はい。まさにその人へ向けて綴った歌です。きっと皆さんが想像している方々ではないのですが、私にとって何ものにも変えがたい大切な人です」

 

一番聴いてもらいたい人には、本番の前にメールを送った。

約二ヶ月ぶりに取った連絡。

お忙しいだろうから、この瞬間に聴いてもらえるかは分からない。

でも——、ここをスタートに伝え続ければ、必ず届くと信じている。

お姉さまだけでなく、聴いてくれたみんなに——!

 

「…恋人との実体験を元に創られたという事でしょうか?」

 

「いえ、恋人とは少し違うんですけど、愛には色んな形があるので、愛する人がいる全ての方に何処か共感できる部分があればいいなと思います」

 

少しも言い淀むことなく、すらすらと想いを口にすることが出来る。

それは、今、祐巳の心には『伝えたい』その一心で、余計な思考も感情も一切入り込む余地がないから。

 

「……分かりました…。…それでは、スタンバイの方お願いします」

 

「はい!」

 

 

視界に、広がるこの景色を——。

 

大勢の観客に囲まれて、ステージに立つこの感覚を——。

 

——久しぶりに感じる。

 

すごくすごくすごく、心が浮き立つ。

 

聴いてくれる、人がいる。伝えられる場所がある。

 

これから、歌える!そう思うだけで、興奮に胸が高鳴っていた。

 

『ユミーーーーー!』

 

どこからか、聞こえた声援を合図に、一際大きく鼓動が脈打つ。

 

どくん——と。

 

 

「それでは!ユミさんで今夜初披露の新曲『長春花』です。どうぞ!」

 

 

すっと熱い空気を取り込んだ——。

 

自然と浮かび上がる、凛とした意志の光。

 

 

『ユミーーーーー!わぁぁあああああ!!!………』

 

 

 

 

……ーーっ

 

 

巡る季節のその中で 変わらず過ぎる朝の庭

 

それはほんの気まぐれで

 

覚えていますか あなたのことば

 

爽やかな青い空の下 四季咲きの花に誘(いざな)われ

 

 

動き始めた私の世界

 

 

薄明り 空に浮かんだ白い月

 

見守る女神 あなたと私

 

繋いだ絆は 燃ゆる紅色

 

 

あなたと巡る花咲く季節

 

 

照れ笑いはにかむその日々も すれ違い泣いたあの時も

 

私を叱るあなたでさえ 幸せが胸に溢れるよ

 

 

包み込み守ってくれるあたたかさ

 

私は 支えになれていますか

 

 

何度季節を巡っても どんな姿のあなたでも

 

私も必ず見つけるよ

 

覚えていますか あなたのことば

 

澄み切った青い空の下 これは四季咲きの花だから

 

 

その顔も 髪も声も指先も

 

あなたの全てが好きだけど

 

外見だけが理由じゃない

 

 

私にとってのあなたもです

 

とびきりの愛しさ満ちるその日々は 特別でないただの一日

 

 

今日も明日も明後日も

 

今までもそしてこれからも

 

 

ずっと一緒にいて下さい

 

私はあなたが大好きです————

 

 

 

 

 

 

最後の一音、紡ぎ終えた『ユミ』は、見たこともないほど

 

美しく、満足そうに、微笑んでいた。

 

 

至福のとき——

 

まるで、愛の女神の祝福を受けたかのように——

 

 

 

「……祐巳ッ…!」

 

「ここまで振り切ってると、何か言う気も失せるよな…」

 

 

 

親愛、友愛、敬愛、慈愛、恋愛、ユミの歌は、そのどれかではなく、いずれをも包含していた。

そんな愛を歌うユミの姿は、清廉で純真で、無垢な光に包まれて、

そこからは、下世話なゴシップの片鱗すら感じることはない。

 

 

———っ!わぁぁぁぁああああああああ!!!!!!———

 

 

それまで、息をするのも忘れて聴き入っていた聴衆から

堰を切ったように送られる歓声と拍手。

 

この日は、『ユミ』が、『歌手』という肩書きのタレントから、

一人のアーティストとして、本人もそして世間も認識を新たにした始まりの一日となったのだった——。

 

 

 




祥子さまひっそり見に来てます。
なので、ここは某局なのですが、かのプロデューサーは特番には絡んでいません。
祥子さまと祐巳ちゃんの邂逅は、もう少々お待ちを。

歌詞ですが、祥子さまと祐巳ちゃんの名場面と名台詞を詰め込んでます。一番初めの言葉は「お待ちなさい」ですね。
「タイが、曲がっていてよ」も入れたかったのですが、泣く泣く削りました。笑

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