マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#24 未完の大器

(1)

 

「祐巳ちゃん、今日は来てくれてありがとう」

 

「いえ、とんでもないです」

 

改まってお礼を述べられた祐巳は、この方にそんな事をされることに恐縮してしまう。

 

「いいえ、言わせてちょうだい。そもそも引き受けてくれたこと自体ものすごく感謝しているのよ」

 

ここはとある大学の広い講堂の中。

そして、先ほどまで私…というより実質的には側に控えるスタッフとマネージャーに対して細かな設備の説明をしていたのは

この大学に通っておられる一学生。とは思えないほど貫禄のあらせられるお方。蓉子さま。

 

「ステージとしては、問題ありませんね。機材はそちらで用意が出来るということでしたが…。私どもの方で提供させていただきます」

 

祐巳と蓉子さまが話す間。何やら真剣な面持ちで室内を見渡し、スタッフと相談を交わし合っていたマネージャーが蓉子さまへと言葉を放つ。

 

「それは、有難いのですが、『ユミさん』の出演以外にもここを使用しますので…」

 

蓉子さまは言いにくそうに答えたのだが、それで察したマネージャーは断りが入る前に言葉を続けた。

 

「ああ、構いません。当日は学園祭前に我々が機材を設置いたしますし、必要でしたらスタッフも配置いたします。こちら側からの提案ですので、ギャラの心配はしないで下さい」

 

ギャラ…。

一応プロとしてお仕事をさせてもらっている立場上、仕方ないのだが、祐巳にとっては身内ともいうべき相手に対して、生々しい話が繰り出されるのは、聞いていて気持ちのいいものではなかった。

私は無償でも良かったのに…。

ただ、祐巳が動くためには、その陰で支えてくれる幾人もの人たちの存在が不可欠で、自分一人のことではない以上、そこに口を出すことは出来なかった。

 

……一週間ほど前。

 

祐巳の家に蓉子さまからの電話がかかってきた。

めずらしいことに少し驚きつつ、何かあったのかもしれないと気を引き締めて伺った用件。

それは、『ユミ』に大学の学園祭にサプライズ出演して貰えないだろうか?というものだった。

蓉子さまの大学は年に二回学園祭を行うらしく

その一回目が六月の中旬に開催される。

そして彼女は、学園祭実行委員で責任者なのだとか。

そのお姿が容易に想像できる当たりさすが蓉子さまである。

元々出演が予定されていたアーティストが、今になってどうしても都合がつかなくなり、ステージに穴ができてしまったらしい。

 

『ごめんなさいね。本人に直接頼むなんてずるい手段だと分かってはいるのだけれど…』

 

祐巳はむしろ頼りにされたことがうれしかったのだけど、一人で決めていいことではないのは確かだったため一度保留にして、翌日マネージャーに相談してみた。

すると、話はすぐに高岡さんにまで上がり

その日のうちに、受ける方向で話が進む。

 

『一度現場を確認して、特に問題なさそうならいいよ』

 

まあ、高岡さんなら許可するだろうとは思っていたけど。

それも楽しそうに、ニヤニヤと。

 

そうして現場の判断を任されていた人たちからも

先ほど許可が下りたようなので、これで決定だ。

 

学園祭ライブ…!

 

久しぶりに人前で歌うことにドキドキする。

でもそれは緊張や不安だけではない胸の昂ぶりだった。

 

ここ最近の祐巳がレッスン以外に何をしていたかというと。

 

主に頭を使うことが多かった。

書き上げた歌詞を元に作曲家と意見を交換し合って

イメージに沿った曲を模索したり、歌詞の微調整を行ったり、

映画の制作サイドとも話し合ったり…

それはそれで、創り上げていく楽しさはあったのだけど

どうしても発散できない想いが溜まっていくのを感じていた。

 

そこに…ライブだ!

 

スタジオでカメラに向かって歌うのにはまだ不安が残るけれど

自覚したばかりの歌へ対する溢れる気持ちを人に伝えたかった。

そしてその喜びを共有したかった。

 

「蓉子さま!こんな機会を与えて下さってありがとうございます!」

 

私に任せてくれたことへの感謝とめいいっぱい頑張りますという決意が伝わるよう、言葉に力を込めた。

 

「ふふっ。いいえ、こちらこそ。学園祭が楽しみね」

 

 

(2)

 

学園祭実行委員。

 

いかにも私らしいと思われるかもしれないが…

いや事実、それを知った聖や江利子に言われたのだけど。

 

「蓉子ってほんと人の世話を焼くのが好きよね」

 

「よくそんな面倒くさいことやろうと思えるね」

 

なんて言葉とともに。

 

一つ言い訳させてもらうなら、なにも自分から進んで参加したわけではないのだ。大学の友人に誘われたのがきっかけで…それで受けてしまったのは私の性と言われてしまえばそれまでなのだけど。

ただ、やる気になったのには理由もある。

 

去年のリリアンの学園祭。

劇で見た祐巳ちゃんと体育館中を一つにした歌。

そこに、山百合会と生徒たちの垣根はなく

私が理想とした、祐巳ちゃんに託した景色が広がっていた。

 

そんな光景を見てしまったからー…。

もちろん嬉しかった。私の孫がちゃんと遺言を守ってくれたこと。

そして同時に熱い思いが蘇った。

私の代では成し遂げられなかったことに、未練があったのかもしれない。

 

だから、またこんな学校行事になんて関わってしまっているのだ。

その上ステージ企画の責任者として。

 

こういう仕事に慣れているというのもあって、企画の準備は順調だった。

そして、さてこれから告知や広報が始まる!という学祭ひと月前になってのアーティストからのキャンセル。

それは今回の企画の目玉といって良かった。

けれど、もう今更他のアーティストを呼ぶには時間がなかった。

何かないのか、代わりではなくちゃんと目玉となれる何か…。

 

浮かんだのは、『ユミ』ちゃん。

彼女の名はこの大学でも耳にした。まだデビュー間もない彼女。

けれど、話題性も印象も抜群だった。

 

ダメでもともと。彼女に連絡をとってみた。

すると予想外に早く返事が来たのである。それも了承の。

 

事務所の関係者だという方々と一度視察に訪れた祐巳ちゃん。

来てもらったのは休日だったけれど、それでも構内にはそれなりの学生たちがいる。実行委員の方からも警備のために数人を用意したのだけど、"芸能人"という響きに敏感な学生たちは、いつの間にやら集まってきて、移動中の私たちを遠巻きに眺めていた。

でも祐巳ちゃんは

 

「やっぱり共学だと雰囲気違いますねー」

 

ほえーと周りを見渡しどこかズレている発言をした。

たぶんこの子は、何かをとらえる時、そこにマイナス感情を挟むということをあまりしないんだろうと思う。

…まあ、姉、私の妹とのことに関しては色々と敏感なのだけど。

 

そんな祐巳ちゃんの変わらない様子に安心した。

 

それでもやはり、社会人の大人たちに囲まれて会話を交わし合う姿やふとした瞬間に見せる真剣な表情に、彼女はまた大きくなろうとしているのだと感じたのだけど。

 

———と。

そんな物思いに耽っている間に、講堂の裏手

 

私の眼の前へとバンが到着したのだった。

 

 

(3)

 

祐巳ちゃんを入り口から楽屋まで案内する。

周囲にバレないよう最新の注意を払って。

 

といっても、すでに先日の目撃情報から、学祭に出るのではないか?

という噂が出回っているためサプライズにはならない。

これは彼女を待ち望む学生たちに取り囲まれないための措置だった。

 

そして、楽屋の扉を開ける——

 

「……!」

「あっ!」

「うわっ!」

 

妙に軽く、その頼りない感覚に思わず体を引いてしまった

——のだけど…後悔した。

 

「祐巳ちゃん!」「ユミさん!」

 

蓉子の目の前を通り過ぎたかたまりが、その勢いのままに

私のすぐ後ろにいた祐巳ちゃんへとぶつかって、倒れゆく……。

 

ゆっくりと、その一連の動きは脳に映るのだけど

体はまったく反応できなかった。

 

どしん。

 

「え!?」

 

え?

扉の奥から幾人かの声が重なる。

蓉子は不審とともに中の光景へと目をやった。

 

「なんで、あなたたちがいるのよ……」

 

けれど、その衝撃とも呆れとも取れない思いをいったん押し込め

急いで祐巳ちゃんの無事を確認する。

 

「大丈夫!?」

 

華奢な祐巳ちゃんへとのしかかる塊は随分と見覚えのある人物で

私より先に咄嗟に助けに入ったマネージャーさんによって退かされようとしていた。

 

「う、う…ん?えっ!?祐巳さん?!大丈夫!??」

 

「だ、大丈夫です。お尻を打っただけなので——って、え!?」

 

祐巳ちゃんの様子に安堵し、心配の代わりに浮かんだ思い。

こういうのはデジャブとは言わないのかしらね……。

 

違うのは、私と志摩子の立ち位置と

—–祥子が…三奈子さんに化けたくらいか。

 

 

 

………

……

 

「…で?あなた達はどうしてここにいるのかしら?」

 

言いたいことは山ほどあったのだけど、ここでは人目につくかもしれないからと、体を起こした祐巳ちゃんを楽屋へと促し椅子に座らせた。

そして、改めて中の面々に顔を向け、説明を求める。

 

「なによ、蓉子が教えてくれたんじゃない。ねぇ?」

 

「うん。だからみんなも呼んで来たんだし」

 

まったく悪びれもせず、私のせいにするこの二人。

他の子たちは、最初から申し訳なさそうにはしていたけれど。

大方、この二人の勢いを抑えきれず…といったところだろう。

 

「…違うわよ。どうして、ここ(楽屋)にいるのかって聞いているの」

 

まったく。どんな手を使ったのだ。ここに許可なく人を通さないようあれだけ警備係に言い含めておいたのに。

 

「祐巳ちゃんに会うため!もう、そんなこと聞くなんて無粋だな〜」

 

ねえ〜?なんて言って、祐巳ちゃんに笑顔を向ける聖。

話をズラさないで欲しい。その隣でギロリと疑惑の目を向ける彼女のことを意識してくれないかしら。

祐巳ちゃんのマネージャー。彼女の信用を失ってしまう。

 

「ふふっ!蓉子さま、別にいいですよ。私はすごく嬉しいですし」

 

けれども、そんな祐巳ちゃんの態度に、彼女はため息をつきつつも

警戒を解いたようであった。

 

ふーー。とやっと話に入れるとでも言う様に、由乃ちゃんが息を吐き出し、緊張を解いた。

 

「祐巳!江利子さまなんかの策に乗ったのは不本意だったけれど、、本番前に会えてよかったわ!」

 

「祐巳、ごめんなさい。止めようと思ったのだけど…やっぱり私も会いたかったものだから」

 

続けて志摩子も祐巳ちゃんへと声をかける。

 

「祐巳ちゃんは学祭回れないし、会えるのは控え室だけだもの。仕方ないわ」

 

自分の行いの正当性を主張する江利子。

 

「申し訳ありません。どうせ止められないのなら近くで見守っていた方がまだマシかと思いまして…」

 

姉と私の板ばさみでオロオロと焦る令。

その反応の正しさに心が安らぐのはなぜだろう。

 

「あはは。ここにお姉さまもいたら本当に三年前の様ですね!」

 

祐巳ちゃんがとても楽しそうに、ニコニコと笑う。

でも…。その言葉からは、やはりいない存在を意識していることが分かる。

 

「…祐巳ちゃん」

 

「?…あっ、心配しないで下さい!お姉さまからは電話で充分励まされましたし!…見て欲しかったといえばそうなんですけど、お忙しいので、仕方ないです」

 

祐巳ちゃんは、皆んなの目線に気づいて、慌ててフォローした。

残念ではあるけれど大丈夫なのだと。その表情からも言葉通りの意味が読み取れるので、思ったほど心配は要らないようであった。

 

「乃梨子も、残念がっていたわ」

 

そこに、思い出したかのように志摩子が言葉を落とす。

 

「まあ、一番悔しいのは瞳子ちゃんでしょうけどね」

 

「土曜日にこれを企画した蓉子が悪いのよ」

 

「ああ、授業か。かわいそうに」

 

そして、また何故か私の責任だという話にもっていく。

 

「ええ、そうね」

 

もうこの二人を改めさせるのは放棄した。

無駄な労力と気づいて。

 

そして、先ほどから意外にも静かにこちらの様子を観察していたもう一人へと向きなおる。

 

「三奈子さんも、祐巳ちゃん目当てなのかしら?」

 

聞くまでもなかったのだが、これ以上何かをやらかすなという念押しも込めて。

 

「ええ、まあ。私の志望は知っての通り記者ですし、今新聞社でバイトもさせて頂いているので、祐巳ちゃんにインタビューを取りたかったんですけど、」

 

この光景を見てる方が楽しくてつい忘れていたのだとか。

 

「ライブの様子はレポートするでしょうけど、今は失礼致します」

 

そう言って、三奈子さんは楽屋を出て行った。

彼女はこの大学の学内新聞も担当しているため、学祭が終わればすぐにでも記事になることだろう。

 

「——すみませんが、そろそろ」

 

祐巳ちゃんのマネージャーがそっと、しかしはっきりとした意思を込めて、退出を促した。

 

腕時計を確認すると、確かにもういい時間だった。

これから着替えやセットを始めなければいけないのだろう。

この人数では、さすがにお邪魔だ。

 

「分かりました。では、時間近くになりましたら、また呼びに参りますので」

 

失礼します、と。私はこの懐かしいメンバーを引き連れて、その場を後にしたのであった。

 

最後に、

祐巳ちゃんの引き締まった表情を目に留めて。

 

 

 

 

 

 

(4)

 

ステージ際の暗幕のなか。

背後に感じる気配。

 

また、いつの間に来たのだこの人は——。

 

「ユミ、緊張してる?」

 

いつかも聞いたようなセリフを言う男。

 

「…はい、しています」

 

少女の応えはあの時とは違い

 

「そう」

 

それを聞いた男は満足そうに頷いた。

 

会場の照明が切り替わり、

その場の期待を煽るような音楽が流れる。

瞬間、どよめく空気。

 

祐巳の瞳はしっかりと観客を見据え

 

「ちゃんと、感じてきます——」

 

その足はステージを捉えていた。

 

「ああ、楽しんでこいユミ」

 

 

ステージの中央。

そこに立った瞬間、暗かった視界が真っ白に覆われる。

刹那——、沸き起こる歓声。

——っ。大丈夫、落ち着いて。祐巳は首元の『それ』にそっと手を当てた。

私の願いはお姉さまや瞳子へのもの、でも——。

 

歌のチカラは、歌を好きなこの気持ちは、

——皆んなへ伝えたいもの——!

 

あの男の子のように、私の歌に何かを感じてくれる人がいるかもしれない。

そのことを、聴いてくれる人たちを今度はちゃんと意識するんだ。

私の想いとここにいる一人一人の想いとが通じ合うように!

 

「———————っ」

 

視える。一人一人の顔、それぞれの表情……。熱い視線を、高まる熱を、感じる——。

私も、返したい。応えたい。

 

学生と目があう…また…あの人も…あの子も…その子も

 

共有する刻と想い——。

楽しい!

鼓動が強く胸を打つ。

 

 

 

 

 

『ユミ』の持ち歌は今はまだ三曲。

 

全然足りない——っ!

 

まだ、歌いたい——。

 

……

 

…………

 

……………

 

…………

 

……

 

 

「——ありがとうございました——!」

 

終えるころには、興奮し、息があがり

 

祐巳の想いはピークに達していた。

 

最後に、ホールの隅々までもう一度見渡して

 

「ユミ——————!!」

 

その余韻を胸に、ステージをあとにした。

 

 

 

言葉では伝えきれない、感情の波が押し寄せていた。

これは歓び。私の心が、身体中がうち震えている。

 

「——っ。……祐巳ちゃん…泣いてるの…?」

 

蓉子さまに言われて、頬に手をあてる。

 

暖かい液体が私の手に触れた。

 

本当だ…涙。

 

でもこれは、歓びのしずく。

 

 

……(ァ…コ……ル)……

 

それは、歓声の波からぽつりと

 

………アンコール………

 

何処かから、声が上がり

 

…ーーアンコーールーー…

 

その声にまた声が重なり

 

———アンコーーール———

 

質量を持って膨れ上がる

 

 

〈〈〈()()()()()()()()()()()()()()》》〉〉〉

 

 

「……。———っ高岡さん!」

 

祐巳は胸がいっぱいだった。泣きそうに叫ぶ。

あの想いに応えたい——と。

 

「…何を歌うの?」

 

もう全部披露してしまった。

でも、ある。一つだけ。———歌えるものが。

 

「ふっ。…その音源は今はないよ」

 

高岡さんの言葉は否定。でも、顔を見れば分かる。

私のやろうとしていることに期待している——。

 

「それなら、大丈夫です」

 

祐巳はそう言って、再びあの場所へ。

その足取りに迷いはなく、その瞳は爛々として。

 

……ーーッワァァァァアアアーーーーー!!!!

 

「——聞いて下さい。『ひこぼし』——」

 

 

 

 

 

 

 

(4)

 

ーーー……。

 

 

祥子も…やっぱり見に来れば良かったのに。

 

目の前の光景を見つめながら、妹を想う。

 

あの子は、祐巳ちゃんのことをとても心配していた。

でも私は、祐巳ちゃんを思う余りに自分自身を追い詰めてしまうきらいのある彼女の方が心配だった。

 

最近はなにやらとても忙しそうなのだけど。

祥子もこれを見れば少しは安心出来ただろうに。

 

「…祥子。祐巳ちゃんはーーー…」

 

その呟きは、会場の歓声のなか

あまりにも儚く、掻き消えたのであった。

 

 

 




三奈子さまは蓉子さまと同じ大学ということになっております。

祥子さまもいて欲しかったですね…。
別にずーと忙しわけでもないのですが、この日は外せない用事があったようです。

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