マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

23 / 31
#23 アルタイルの輝き

(1)

 

週初めの打ち合わせ。

まず、告げられたのはこれからの方針だった。

 

『今はこれ以上の露出は控える』

 

高岡さんによると、とりあえずは2ndシングルをリリースするまで。

メディア、特に映像媒体へは出演しなくていいと言われた。

2ndのリリース予定は八月。準備期間を入れれば六月辺りまでは手持ち無沙汰になるのかなと聞きながら思案していた。

周囲からは反対の声が上がる。

 

「なぜこの勢いに乗らないのですか」

 

せっかく念入りに準備して来たものが上手くいき波に乗れそうなこの時期に、ということらしい。

 

皆が口を揃えて言ったこと。

 

でも、高岡さんは譲らなかった。

曰く、この先にもっとでかい波に乗れるのだと。

今も確かにいい流れが来ているけど、乗り手がそのスピードに流されてしまうから…ダメなんだと。

 

つまりは、祐巳の成長が置いてきぼりになるのを防ぐため。

今は我慢の時期。ゆっくりと経験を積んで、確かな実力を備える時期。

そうすれば、無理をせずとも然るべき時に自ずと波に乗ることが出来るから。

 

祐巳はそれを聞いて納得した。成長を待ってくれること、猶予の期間があることに安堵した。そして安堵してしまったことを情けなくも思った。

でもそれが今の自分だということにしっかりと向き合わなければいけない。

 

「それと、今度は映画とのタイアップになるから、その準備はしっかりしておいて」

 

どんな準備をしたらいいのか?と考える仕草をとる祐巳。

そこに、高岡は一冊の本を差し出した。

その本を不思議に眺める。

 

「映画の原作小説。まずはこれをしっかり読んで」

 

そんな祐巳に投げられた答え。

うん、この作品世界に歌という少なくない影響を与える立場で関わらせてもらうのだから当然だと、その本を受け取るために手を伸ばす。

が、高岡の話はそこで終わりではなかった。

 

「それで、ユミが感じたままに歌詞を書いてくれればいいから」

 

祐巳の手が止まる。

ギギギ、とぎこちない動作で高岡に目線を合わせる。

 

「…へ?」

 

祐巳にとっては、まさに寝耳に水。

歌詞など知っての通り今まで一度も書いたことはない。

国語の成績も中の中だった。

とてもではないが、自分にそんなセンスがあるとは思えない。

なぜ?1stシングルは曲も歌詞もプロが書いたのに。

その形で行くのだとなんの疑いもなく信じていた。

それがたった今、高岡の一言で驚愕と共に崩れ去った。

 

「期限は、六月までかな」

 

呆然と縋る祐巳の瞳にも

返されたのは、「じゃあよろしく」というこの話を締める言葉。

一度放たれたものが元の鞘に戻ることはなかったのだった。

 

ただ、そのまま放置された訳ではない。

その打ち合わせの後、今週の予定に山形合宿が入れられた。

理由は山形が原作の主人公が暮らす舞台だから。

作品の世界に触れれば何かが見えるかもしれないのと、静かな自然あふれる土地ならば、周囲を気にせずリラックスできるだろうという私への配慮も込められている。

確かにこのところ、気が張る状況が続いていたけれど。

 

山…形…。

 

沸き立つ困惑の思いはぬぐえない。

しかしこちらも決定事項。

そのため、祐巳の華の大学生生活初のゴールデンウィークの予定は

山形合宿というなんとも青くさいものとなった。

元々、仕事が入るだろうからと空けてはいたのだけど。

 

 

(2)

 

「んー〜!やっぱり空気が澄んでますね!」

 

東京駅を出てからおよそ三時間半。

新幹線を降り、用意されていた車に乗り込み

到着した、目的の場所。

祐巳はマネージャーと数人のスタッフを伴い降り立った。

 

合宿と言っても、高岡系列のどこかしらが所有しているらしい施設なので、祐巳が予想していた「なんとか少年自然の家」的な建物とは全く違った。

二階建てのウッド調のペンションハウス。

パッと見ただけでも祐巳の家より大きい。

その内装は洗練されたモダンな感じ。

中の設備も恐ろしく整っていて、温度湿度ともに快適な室内環境。

広いバスルームにシステムキッチン、二階には天体観測スペースまで設けられていた。

 

もちろん一応歌手としての合宿地。

メインはもっとすごかった。

 

寝食のスペースとは隔てた廊下の先。

そこには日本の電機メーカー高岡の誇る先端の音楽創造環境が用意されていた。

音響特性に優れたスタジオでレコーディングも行うことができる。

 

今回の目的はレコーディングではないため使う必要もないのだけど、

それはそれでもったいなくて、この場所をたった数日とはいえ占有するのは悪い気がした。

 

「ユミさん、部屋に荷物を置いたらまたこちらに集合して下さい」

 

マネージャーに声をかけられる。

それに了承し、簡単に支度を整えて、すぐ戻る。

 

「では、行きますか」

 

時刻はまだお昼前。

こんな早くにここまで来たのは、ちゃんと目的がある。

一日では回りきれないほどの小説ゆかりの地を訪ねるためであった。

 

 

まずは、主人公の生まれ育った街を見て回る。

そこは郷愁の漂う港町で、美しい木造倉庫群とそれらを潮風から守る巨大な欅並木の風景はとても印象的だった。主人公はなにかに悩むたびこの一本道を走り抜けるのだ。

少し行くと、日本海に面した港に辿り着き、そこでは漁師のおじさんが魚の水揚げをしていた。

ここは初めて来たところなのに、ただじっとそこにいたいと思える居心地の良さがあった。

こんな素敵な街で育ったならきっと、純朴で情のある青年に成長することだろう。

 

次に寄ったのは、主人公の通っていた中学校。

休日ではあるけど、運動部の生徒の掛け声がこだましている。

学校には予め連絡を取っていたため、来賓用の入り口から入り、そこで待ち構えていた教員の方に案内を任せる。

祐巳は、少し胸が高鳴っていた。

共学の公立学校。祐巳にとっては未知の世界。

ただ、大型連休に加え時間もそろそろ夕刻というころ。

普段の授業風景や休み時間の光景が見られないことが残念で仕方ない。

 

ふと、思いついたことを言ってみる。

 

「…陸上部の生徒の方と話がしたいです」

 

すると、案内の先生は申し訳なさそうにする。

 

「陸上部は、この近くの競技場で練習することがほとんどなんです。それに、明日大会があるようなので、今日の練習はもう終えていると思います…」

 

すみません、という言葉を添えて。

だけどそれを聞いた祐巳は、期待に胸が膨らんだ。

陸上の大会がある!それこそこの物語の肝。

祐巳の一番目にすべきものだった。

とっさにマネージャーを見やる。想いを込めて。

彼女はやれやれという仕草をしながらも

 

「わかってますよ」

 

やはり信頼すべきパートナーであった。

 

日暮れ前にはペンションに帰り着く。

今日はもう特にやることはなかった。

与えられた一室で、一度読み終えた原作のページを捲る。

主人公の男の子、それとヒロイン。彼らが打ち込む陸上競技。

話の起点であり、肝であり、その疾走シーンの緊張と駆け抜ける爽快感には何度も胸が熱くなった。

 

明日の大会。

それは、物語上でも重要な全国大会の県予選としての役割も持ったもの。これを見ないうちには考えもまとめられない。

 

決して、やりたくない事を明日に回したわけではないのだ。

最良の選択の結果と言っておこう…。

 

 

(3)

 

次の日。

 

「うわ〜すごい!間近で見るとこんな速いんですね!」

 

朝早く。

祐巳はウキウキと支度を済ませてマネージャーに声をかけた。

 

「準備万端です!早く行きましょう!」

 

ところが共有のリビングで寛いでいた彼女は、怪訝な顔をした。

 

「まさか、最初から全部見るつもりですか?」

 

祐巳にはその言葉の意味がよく分からなかった。

普通、見に行くといったら始まりから終わりまでいるものではないのか?頭に浮かぶのは、テレビで見るサッカーとか野球の観戦。

祐巳はキョトンと首を傾げた。

 

「〜〜。ユミさんのその仕草ズルいですよね」

 

そんなことを言ってなぜか溜息を零した後、説明してくれた。

陸上競技の大会は一日でいろんな種目を行っている。

しかも、今日の大会はたった一日で全ての競技の予選決勝まで行うらしく、開始は午前九時半、終わりは午後五時半。

全て見るのなら本当に一日を要する。

それ以外の娯楽も特にない野外で。

 

「見るのは決勝からでいいのでは?」

 

それでも祐巳は見たかった。ちゃんと予選から。

今はとにかく何でもいいからヒントが欲しかったのだ。

歌詞を書くための。

 

「いえ、今から行きます。…一人でも」

 

そう言うと、マネージャーは静々と付いて来て

いまここに至る。

……

..

 

「私!こんなに速いのも、跳ぶのも、投げるのも初めて見ました!」

 

リリアンの体育祭でも、クラスの代表によって行われるリレーには興奮する。でも、全然違うのだ。その熱量が。

ここに賭ける、想い、緊張と熱気と周囲の必死の声援。

心からの喜び、悔しさ、涙。勝者と敗者が同時に生まれ、それでもそこには清々しさが残る。

自分より年下の中学生の彼らに心が動いた。

 

能力や才能だけじゃない。

その無駄のない体からも分かる圧倒的な努力と想い。

 

みんな本気なんだ。

 

本気と本気のぶつかり合い。

 

いくら小説の中の主人公とヒロインが惹かれあっていても

その気持ちだけで、この中で競い合って勝ち抜いて行くなんて出来ない。

二人とも陸上が好きなんだ。

そのことが実感を伴って理解できた。

 

最後のリレー決勝を見届け、その興奮覚めやらぬ中

マネージャーに促され、席を立つ。

客席を抜け、階段からロビーへと出る。

すると、そこに居たジャージ姿の男の子が、急にハッとこちらを見て固まったかと思うと、気づいたように駆け寄ってきた。

 

「あの、『ユミ』さんですよね」

 

少し声を落として尋ねてくる。

正直、こちらに滞在中は全く気づかれることがなかったから

全然知られていないんだと思っていた。

 

「おれ、あ、えと僕、ファンで。いつもCD聴いてます」

 

嬉しかった。初めて訪れた地で初めて会った子にこんな風に言ってもらえるのは。

 

「今日も、朝聴いてきて、励ましてもらって、あの俺、」

 

男の子の様子が変わる。瞳が涙ぐんでいる。

 

 

 

「全国行けるんです!ありがとうございますユミさん!」

 

 

 

続いた言葉は衝撃だった。

 

それだけ伝えると、満足げにどこかへと向かっていった彼。

 

わたしのうたにはげまされて?

そして私に送られた感謝。

でもその歌は、その歌詞は私が書いたんじゃない。

 

喜びと、しかしそれを大きく上回る焦りがよぎった。

1stシングルへの評価。

でも、もし、次。私の歌詞のせいで気に入られなかったら?

 

私は、どうしたら応えられる?

 

 

ペンションに着くやいなや、部屋にこもった。

目の前には真っ白な紙。

その周りには丸めたゴミくず。

 

映画の主題歌。

だから、この映画のこと、その内容の魅力も伝えないと。

考えて考えて考えて、でも全然いいと思えるものが浮かばなかった。

書いているうちに、ただの説明や感想のようになってしまう。

 

「はぁ」と思わず出た溜息。

 

 

これでは埒があかない。

 

 

祐巳は二階のウッドデッキに出た。

煮詰まった考えを新鮮な空気が流してくれる気がして。

その手には、小説を抱えたままだけど。

側にあったイスに腰をかけ、広がる自然に意識を飛ばす。

 

綺麗だった。

遮るもののない空。夜は海との境界が分からない。空と海が繋がり、どこまでも続く世界。雄大で、広く、深く、包み込む。

こんな風景を見て育った主人公なら

その精神の気高さや強さにも納得ができた。

 

一息つくつもりが、手に抱えるもののためか

浮かぶのはやっぱりこの物語のこと。

 

陸上競技を通して描かれる男女の純愛青春ストーリー。

二人が初めて出会ったのは、中学一年生の時。

毎年八月に行われる陸上競技の全国大会。

その一日目、運命の出会いを果たす。

お互いの走る姿に目を奪われて。

主人公の男の子が暮らすのは山形。

ヒロインの女の子は広島。

とても会いに行ける距離ではなかった。

そんなまだ幼い彼らが会えるのは一年に一度。

陸上競技の全国大会の日。

それは二人の約束。

今年もあの場所で待っている、と。

 

競技に真剣に取り組む二人。

日々の苦しい練習も、その約束と競技への熱い想いが支えとなる。

夏のたった三日間。

そこに全てを賭ける二人の想い。

 

 

『織り姫と彦星』みたいだ。

 

こぼれ落ちてきそうなほどの満天の星空を見上げながら、浮かんだのは年に一度の七夕。天の川を越えて巡り合う二人。

 

祐巳は、自身の今を顧みる。

 

自分もこの選んだ道の先に望むものがある。

だけど私は、この主人公たちの様に選んだ道自体も大切な夢として捉えていたろうか……。この子たちにとって、陸上に打ち込むことと二人が会うことは同義だけれど、たとえ望む人にあえなくとも、走ること、陸上への熱い想いは変わらないのだろう。

両方大事にしているからこそ、お互いに切磋琢磨して想いにも夢にもいい影響を与え合っている…。

私は……私の歌うことへの気持ちは…。

歌は手段だった…最初の私の動機だと、そうなってしまう。

でも…。

振り返ると、なぜ歌だったのだろうと思う。

そこに躊躇いはなかった。

芸能界は少し不安だった。なのに歌手になることは自然と受け入れていた。

それは…なぜ?

 

思い出す。

まだ、お姉さまも高等部だったころ。

初めて人前で歌ったのは、あの別荘地のパーティで。なんの気負いもなかった。楽しくて、気持ちよくて。その頃には歌は人の心に想いを届けることが出来ると無意識に信じていたから。人が奏でる音…紡がれるメロディ…祥子さまとの共演は…その時が初——っじゃ…ない…?…。

 

———。

 

引き出された大切な思い出は徐々に鮮明さを取り戻す。

懐かしい風景…ひとりポツンと、その静けさに何か共が欲しかったのか、なんとはなしに鍵盤に触れた…祥子さまとのことに思い悩んでいたから…純粋に憧れだけで見つめていた時の、お御堂で聴いた音色を紡いでいた…

ただ、ぼうと。

それが突然、あの方が現れて、慌てる祐巳を促したんだ。一緒に弾きましょう?と。

重なる音。驚いて、焦って、でも嬉しくて、わくわくした。

グノーのアヴェマリア。——そうだ。あの連弾、ひどく拙くて、それもほんの数小節。それでも、あの時がたぶん初めて祥子さまと何かが通じた瞬間だった。

思考の渦に灯った閃めき。

 

……そっか、だから私は…

——音楽の力を信じているんだ。

 

 

そしてそんな音楽が、歌うことが…好き…なんだ——。

 

 

気づいた想い、祐巳の胸の内に押し込まれていたなにかが

一気に芽生え溢れ出した——。

 

これは、祐巳の想いの欠片たち。

 

身の内では収まらなくて、外に出たいと騒ぎだす熱。

開いた唇から次々とそれらが零れ落ちた……

 

「—————–っ」

 

 

 

高い空 澄んだ空気に始まりの音

 

風を切り 現れたのは まぶしい光

 

初めて見つけた ぼくの気持ち

 

 

そこにある光 追いかけて追いかけて

 

掴もうとするけど まだ届かない

 

ぼくの汗は 夢への架け橋

 

 

上がる鼓動 吐いた息は夜空に溶け行く

 

映るのは 輝く星々 きらめく流星

 

待っていて 必ずぼくも向うから

 

 

そこにある光 追いかけて追いかけて

 

踏み出した一歩目 近づく距離

 

ぼくの夢は 光への架け橋

 

 

駆け抜けるのは 数多のキセキ 銀の河

 

ぼくのキロクは 夢の道筋

 

幾つもの 宙(ソラ)を越えた その先に

 

 

やっとたどり着いたね

 

ぼくらの誓い

 

約束の場所

 

 

 

 

 

 

翌日。

東京に帰ってきた祐巳からほとばしる気。

走り書きした想いの羅列は、合宿の報告とともに高岡に提出された。

 

曲名は『ひこぼし』と記されて。

 

それはその場ですぐに採用される。

目にした高岡は、いつもとは違い分かりやすく顔に喜びを浮かべて。

 

 

 

『ユミ』 彼女は

歌手として大切な何かを掴み始めていた。

 

 

 

 

 

 

 




今回はほぼ祐巳一人の話でしたので、
物足りなさがあったかと思います。
次からはまた他のキャラ達とのやり取りが見られる予定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。