マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#20 初めての迷い

(1)

 

「こんにちわー」

 

「おう、ユミちゃん。いよいよ明日だもんな!がんばれよ!」

 

——

 

ここは、一番リリアンから通いやすい位置にあるオフィスのスタジオ。

半年ほど前——、高岡さんのところと本契約を交わした頃から、デビューへ向けて通い詰めた場所。

だから、勝手知ったるなんとやらで…ここの人たちとは大分打ち解けていて、居心地がいい。

 

——

..

 

————ーーー〜〜〜—

 

………♩…。

 

 

「ユミ。お疲れさま!今日はこれで終わりにしましょう?」

 

「でも、まだ…!」

 

私のボイストレーニングにいつも付いてくれている先生。

この方、今では優しく接してくれるけど、初めの頃の厳しさといったら…元々そんなに高くない祐巳の自信を木っ端微塵に撃ち砕いたのだ。まあ、最初は一曲歌い切るだけでも息が続かなくて、声量が足りない!音程がブレてる!と散々に言われ、体力と肺活量を鍛えろ!とトレーニングメニューを出されたものの、腹筋さえ20回と保たなかった私が悪いのであるが……。運動と言ったら授業の体育くらいしかない日頃の怠慢を呪ったものだった…。

 

「もう十分よ。明日に備えて喉を休めないと」

 

明日、歌番組で初めて生歌を披露する日。

だからこそ、少しでも不安を解消したかった。

ユミのシングルは二週目にはオリコンTOP10入りも狙えるほどに伸びている。有り難い、うれしい、でも。そのことが、明日へのプレッシャーとなって祐巳にのしかかっていた。失敗できない、と。

番組を視聴する多くの人たちの目。そんなものを意識してしまったのは初めてだった…。

 

「不安…なんです…」

 

周りには私より経験も実力もある人たちが集まる。

 

「ユミ…あなたもちゃんと上手くなってるわよ。それにね、結局は技術じゃない……私はあなたを見てると特にそれを実感するわ」

 

先生の優しい励まし、それになんとか納得して、これ以上駄々をこねるのも迷惑をかけると思い、練習を切り上げる…。

 

家まで送り届けてくれると言うマネージャーに従って、オフィスの出口へ向かう——と、その途中のレッスンスタジオの扉から、丁度誰かが出てくるところだった。

 

「……?」

 

綺麗な人——。けれど、普段からそんな綺麗な人たちに囲まれている祐巳。だから、目を留めたのはそれが理由じゃなくて、見覚えがあったから。

でも、——なんでここに?今まで一度だってこの場所で会ったことはないし、正式な挨拶もまだなほどなのに。

 

「—?あなた…ユミさん…ね?」

 

すると、目が合った彼女の方から声をかけてきた。

祐巳はハッとして、慌てて応じる。

 

「——っ、はい!初めまして。ご挨拶が遅れて申し訳ありません……莉音さん…」

 

「…あら、初めましてではないわよ?去年の夏に、会ったでしょう?」

 

——去年の夏。別荘地のことだ…。

けれど、その時の彼女は歌ってすぐに帰ってしまったし、見ていたのだって、こちらから一方的にで。祐巳が認識されているとは考えてもみなかった。

 

「——いつもと違う仕事内容だったから、受ける前に社長に聞いたのよ。何かあるんですか?て…」

 

祐巳の疑問が伝わったのか、莉音さんが詳しく教えてくれる。

 

「そしたら楽しそうに笑って、見つけた!だから協力してくれて言うのよ。気になったから参加したのだけど…あなたの歌うところは見そびれちゃった」

 

でもそれでなんでその相手が祐巳だと分かったのだろう?

まだ、祐巳は難しい顔をしている。

 

「ぷくっ。ユミさんて分かりやすいのね。パーティ会場で社長が熱い目で見てたから。ああこの子が目的ねってすぐ気づいたわ」

 

全く、私が歌ってる最中もユミさんしか見てないんだから、失礼よね?と祐巳としてはなんとも答えにくい問いを投げかける。

 

「わ、わたしなんて、そんな…!」

 

「謙遜する必要なんてないわ…既に今年の新人賞の有力候補でしょ、あなた」

 

三年前のあらゆる新人賞を総なめにしたこの人に言われるのは、恐縮だった。

 

「…今日、たまたまこの辺で仕事だったから、寄ってみたんだけど。良かったわ、あなたに会えて。明日の番組、私は出ないけど、見に行くから」

 

祐巳は思わず目を見開く。

 

「期待してるわよ?」

 

 

 

(2)

 

そんな事のあった後の車内。

 

「………ぁ〜〜…ぅ〜〜…」

 

祐巳は窓側に体を預け、どこを見ているのか、うつろな瞳で奇声を発していた。

 

「…。ユミさん、そんな思い詰めなくても…」

 

なんの慰めにもならないマネージャーの言葉。

 

「…莉音、さん…も……見てる……わたし…を…?……」

 

なんで?どうして?どうしよう?と祐巳の頭はパニックだった。

今まで自分はどうやっていたのだろう。

気付いたら歌っていた。ただ願いと思いを込めて。それが周りの人たちに伝わればいい、と。

他人からの評価なんて意識すらしていなかった。表に立てば、それが当然だというのに。

 

「いやいやユミさん。あなたこの前すごく堂々と歌ってたじゃないですか、街中で」

 

…歌ってた。けど、だからアレは、ほとんど覚えてないんだって…。

 

「…ぅ……ぅ…ぅ〜〜……」

 

そして結局、マネージャーの言葉が祐巳を立て直すことはできず、家にまでたどり着き、不安のままに翌日を迎えたのである。

 

 

 

(3)

 

「…おはよう」

 

「あら、早いわね?」

 

考えすぎてろくに寝つけなかった。

そして、そのことに更に後悔するという悪循環。

 

「お、祐巳ちゃん!誕生日おめでとう!」

 

ああ、父のキラキラした顔がまぶしい。

そういえば、今日は誕生日だっけ…。瞳子が昨日電話で予定を聞いてきたのはこの為だとやっと気付いた。週末に会う約束をしたのだけど。

そしてそこで、祥子さまにも思い当たる。

ここ二週間ほど、会うどころか電話もしていない。

お忙しくなるとは聞いていた。……私の誕生日どころじゃない…か、

と。またも新たな負の感情に襲われる。

 

そんななか、二階から下りてきた祐麒が佇む私にギョッとする。

 

「…ッ!?祐巳、お前顔死んでるぞ?大丈夫か?」

 

「大丈夫…」

 

じゃない。

今日は万全のコンディションでいないといけないのに、寝不足だし。

生放送は夜からだから時間はあるけど、それまでに不安が拭えるとは思えなかった。

でも、芸能界入りを反対していた両親の前で弱音を吐くことはできない。

 

「祐巳ちゃん、大学お休みしたら?今日は大事な日でしょう?」

 

けれど何も言わなくても、祐巳の顔は正直で、結局心配をかけてしまっている。

 

「準備の時間を含めたってマネージャーと合流するのは午後からでいいし、午前中はちゃんと講義受けてくるよ」

 

「…そう?無理はしないのよ?」

 

そして、なんだかんだで過保護な親により、車で大学まで送迎されたのであった。

 

 

 

「…ありがとう…じゃあ行ってくるね」

 

「あっ、祐巳ちゃん!帰りは…」

 

「マネージャーさんが迎えに来るよ。そのまま仕事」

 

そう言って別れる。

 

ただ黙々と歩き、教室に入る。一通り見渡すが、環はまだ来ていないようであった。

仕方なく空いていた席に適当に座り、ぼーと窓の外を眺める。

 

(「…どうする…?」)

(「…声かけてみようよ…」)

(「…え、でも緊張する…」)

(「…四人でいけば大丈夫だって…」)

 

祐巳の周囲でヒソヒソと囁かれる会話も、心ここに在らずの本人は全く気づかない。

やっと、気配に振り向いた時には、すでに周りを四、五人に囲まれていた。

 

「あの、祐巳さん、今日のあの番組出るんですよね?」

 

それは今一番聞きたくない話だった。

 

「私、絶対見ます!楽しみにしてるんで」

 

私も私も、と賛同する女の子たち。気が重かった。

 

「…ありがとう」

 

けれど、彼女たちの善意からの言葉であろうから、微笑みを浮かべて返す。

 

「///…」

 

心なしか顔が赤くなったなあ、と思った次の瞬間、

 

「あああの!握手!握手して下さい」

「私、サインが欲しいです!」

「え、ずるい、私も…」

「今度、一緒に写真撮ってもらえませんか!?」

 

一気にまくし立てられる。

声が重なり、どれが誰だか分からない。

握手、サイン、写真…この子たちは、私を学友としては認識してくれないのかな…。元々、落ち込んでいた祐巳の心は、いつもは気にしないことも、ネガティヴに反応してしまう。

 

「え、と」

 

対応に困っていた、そんな時に。

 

「はいはーい!祐巳ー遅くなっちゃった〜」

 

そんな明るい言葉とともに現れたのは環だった。

「ん?」どうしたの?といった顔で、私たちを見回し、そろそろ教授来ちゃうわよ?と不思議そうに女の子たちに言い放つ。

 

「あ、うん…」と呆気にとられた彼女たちは、静々と引き下がっていった。

 

「…タマちゃん、さすがだね」

 

「ん?なにが?」

 

こういうところが。

 

環のおかげでその後は平穏に過ごし、午前中の講義を終えた祐巳は、足早にマネージャーの待つ車へと向かう。

途中出くわした由乃と志摩子に「待って、誕生日…」と声をかけられたのだが、急いでいたため、すれ違いざまに「ありがとー」で済ませてしまった。

時間に余裕がないわけではなかった。元々は。だけども不安に駆られる祐巳は、早く入って練習にあてたかったのである。

 

「お帰りなさい、ユミさん。早かったですね?」

 

「お願いします。早く向かって下さい!」

 

マネージャーの言葉にも、とにかく急かして返す。

彼女は訝しんだ顔を見せるが、とりあえず車を出した。

 

局のスタジオに到着し準備したのちに、リハに入る。

 

「ーーーーー……」

 

「ーーーーー…ーーー」

 

声が出ている気がしなかった。いや、出ている、練習通りに。でもそれはただの音でしかなかった。

自分の想いが、感情が追いつかない——。

 

「ユミさんそろそろ時間です」

 

スタッフに、促されてしまう。次が控えていると。

祐巳は仕方なく、その場のスタッフや関係者の方達に頭を下げ、楽屋へと戻ろうとした——

 

「……これって、ユミさんの本気?」

 

——ハッと顔を向ける。

 

そこに居たのは、莉音さんだった。

今のを、聴かれてしまったのなら仕方がなかった。

けれどその言葉は、祐巳の耳に痛く響く。

 

「…ごめんなさい」

 

「別に謝らなくてもいいわよ。本番がんばってね」

 

そう言って私の隣を通り過ぎた。

 

本番までの待ち時間の間、ユミはレッスンスタジオにいた。

喉はもう十分温まっているし、開いている。けれど、不安で、悶々として、どうしてもここから離れられずにいたのだ。

自分の本気とは何だろう?ずっとその問いと向き合っていた。

 

「ユミさん…そろそろ行かないと」

 

マネージャーが気遣わしげに声をかける。

 

「分かりました」

 

時間切れだった。

気の乗らない足取りで、スタジオの裏へと向かい、スタンバイする。

祐巳の曲順は、一番目。始まってすぐ。

もう本当にあと少し。

周りを見れば、祐巳だって知っている歌手やバンドの面々。

この人たちにも、失望されてしまうのだろうか、そもそも期待されてもいないか、と自分が本当にちっぽけに思えて、萎縮する。

 

———そんな時。

 

 

「…祐巳」

 

 

 

 

 

 

え。

 

 

 

 

 

 

その声は、祐巳の大好きな

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さま!?」

 

心細さのあまり祐巳の作り出した幻覚ではないのか。

 

「驚いた?」

 

声が返ってくる…夢じゃ、ない。

 

「…はい、どうして…」

 

祐巳は半ば呆然として訊ねる。

 

「ここの局の番組を提きょ……ふふ、まあ難しいことはいいわ!とにかく、私は観覧できる立場にあるのよ。小笠原のお陰でね?」

 

祐巳が難しい顔をしたためか、祥子さまは説明を省いた。

 

「は、はぁ…」

 

「だって、今日は祐巳の誕生日でしょう?会わないなんてあり得ないわ」

 

そう言って、急に距離が縮まったかと思うと、瞬きの間に祐巳の体は祥子さまの腕のなかにいた。

 

「…お姉…さま」

 

「祐巳、おめでとう。あなたは私の全てよ。生まれてきてくれて、本当にありがとう」

 

祥子さまのお声…心の底から溢れくるような慈愛に満ちている。

祐巳は、胸が締め付けられるほどの幸せを感じた。

目頭がキュッとなる。

 

「祐巳、今泣いてはダメよ。せっかくの綺麗な顔がぐちゃぐちゃになっちゃうわ」

 

そう言って優しく覗き込んでくるお姉さま。

 

「…それと、あなたネックレスはどうしたの?」

 

ネックレス…祥子さまからいただいたお揃いの。

 

「本番では外すように言われたので…バッグのなかです」

 

祐巳は申し訳なく思いながら答える。

すると、祥子さまは祐巳からいったん手を離して、そのままご自身の首の後ろに回したかと思うと、んっという声とともに首元のソレを外した。

それから祐巳の首元に回る手。

くすぐったくて、声が漏れてしまう。「ふふっ」

 

「祐巳、じっとして」

 

祥子さまに怒られ、なんとか動かないように我慢する。

懐かしさが、込み上げる——それは、高等部の時、何度も繰り返された動作…タイを直す祥子さまの手…。

 

「…はい、これでいいわ」

 

その言葉とともに祐巳の首元を見つめる瞳。

祐巳も祥子さまの視線の先を追って顔を下げるーー…祥子さまのネックレス…祐巳の片割れの。

 

「お姉さま…」

 

「終わったらちゃんと返すのよ?だけど今は——」

 

 

——「私がそばにいることを忘れないで」——

 

 

——「はい!」——

 

もう、先ほどまでの不安も焦りも負の気持ちの一切が吹き飛んでいた。

祐巳は、その表情も、佇まいも、見違えていた。

 

 

 

 

首元に手を当て、マイクの前に立つ。

 

スタッフがカウントを取っている——五秒前、四…三…二…

 

 

ズンッ とカメラが寄る

 

 

——それは、どこまでも、無垢で…美しく可憐な少女。

 

イントロが終わり、『ユミ』がそのヴェールを外した——。

 

 

「—————————!」

 

 

 

 

 

その歌声は、聴く者の胸に、切なさと愛しさを運ぶ——。

 

忘れかけたはずの熱い想いが込み上げる——。

 

『ユミ』の歌が、訴えてくる——。

 

この想いはなんだろう——。

 

私はここにいると——。

 

あなたの——そばに、ずっと——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(4)

 

「…うちのスタイリストがあとで怒るよ?」

 

スタジオの隅で、祐巳の姿を見守っていた祥子の隣に、どちらかというと苦手な人物が寄ってきた。

 

「私に、ここに来るよう呼んだのは、あなたではありませんか」

 

祥子も言われずとも来るつもりではあった。

ただ、本番前に声をかけたのは、この男が励ましてやってと言ってきたから。これまでどんな状況も乗り越えてきた祐巳。むしろ励まされたのは自分で。だから、祐巳はきっと大丈夫だろう、と思ってしまっていた。

 

「ユミはさ、今はまだ、不安定なんだよ」

 

男が話す『ユミ』のことを。

 

「レコーディングの時に気付いたんだけど、気持ちが乗るスイッチが必要みたいで」

 

どうしてこの男に教えられなければいけないのか。

 

「特にこんな、業界人に品定めのように観察されてる状況だとさ」

 

私の方が祐巳のことを知っている。

 

「そのスイッチが私ですか?」

 

分かっている。これはただの嫉妬。この男は憎たらしいが悪い人ではない。それでも、言葉に剣が出てしまう。

 

「うん、歌手になった一番の理由が、君とずっと一緒にいたいから。だしね?」

 

その言葉に嬉しいような、切ないような、複雑な感情が込み上げる。

 

「…でも俺は、いずれユミ自身がここにいる意義と楽しさを見出してくれることを願ってるよ」

 

「…そう、ですか」

 

祥子は曖昧に答える。

 

「…君たちは何を企んでるのかな?」

 

一瞬ドキリとする、が、なんとか態度には出していない。

 

「なんのことだか…」

 

高岡は、ふーと息を吐き出した。

 

「君とはいつまでも協力関係にあれることを祈るよ」

 

そんな言葉とともにその場を後にした彼。

 

 

 

祥子はただ無言でその背中を見送るのみだった——。

 

 

 

 

 




当時のオリコンTOP10は今より全然すごいんですよね。


祐巳、今回は祥子さまパワーで乗り切りました。
この話し書きながら、なんだかなと思い、投下しようか迷っていたので、もしかしたら読者さまも同じような感想を抱いていたら…ごめんなさい。
もっと精進いたします。

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