マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#19 無意識の才能と無自覚の日常

(1)

 

「——ユミ」

 

そっと、斜め後ろに立った男が祐巳へと声をかける。

商業ビルのエントランスに簡易的に設置されたステージ。

そのバックヤードで、外のモニターを少し不思議な面持ちで見つめる少女はその声に応えた。

 

「……高岡さん。来たんですね」

 

「ああ、俺が楽しみにしてた瞬間だからね。もちろん立ち会うよ」

 

そう、これは祐巳のために、高岡が念入りに企画し、用意したステージ。期待通り、CMの評判も上々で、世間はこの時を待ちわびている。

モニター越しに見る外の様子は、不自然に存在する簡易ステージに気を取られる者はいても、なんの告知もないためだろう、立ち止まる者は少数。

高岡の口角は自然と上がる。——あと数分後、この景色が一変し、新たなスターの誕生に人々が沸き立つさまを予見して。

 

「緊張してる?」

 

「——いえ、不思議と落ち着いてます」

 

強がりでもなく、祐巳の心は凪いでいた。

ただ、まるで現実感がなくて、今から自分がここで歌うという事実が、どこか夢のように感じていた。

 

「…ユミ、ちゃんと天から地に足を着けてね。これが君の新たな一歩だよ」

 

ぼうとする頭に届いた男の言葉をゆっくりと噛み締め、頷く。

 

「…はい、私の想いを、しっかりと——、」

 

外の大型街頭ビジョンが切り替わる。

 

「———伝えに行きます」

 

決意の言葉と同時に飛び出した少女。

その背中に男の声は届いていたろうか——。

 

「行ってこい。ユミ」

 

 

(2)

 

祐巳は、不思議な高揚感の中にいた——。

 

自分の歌。そこに込めた想い。それを自分自身で世界に表現できる。

溢れる想いのままに身を任せて歌うことが、気持ちよかった。

 

大勢の人たちに囲まれていることを意識したのは、内から溢れくるものを出し切った後のこと——。

 

「ユミーーーーー!!」と己の名前があちらこちらから叫ばれる。

そこでやっとハッとして、辺りを見渡した。

人、人、人———。老若男女問わず。祐巳と初めて顔を会わせる人たち。そんな彼ら彼女らが、一心に自分を見ている。真剣に私の歌に聴き入ってくれていた———。

 

その感動と感謝、もしかしたら安堵もあったかもしれない。

それらの気持ちが無意識に、瞳から溢れていた。

 

祐巳は少しの名残惜しさを感じつつ、深くおじぎをした。

頭を上げるまでに、涙を抑える。——そして、笑顔で。

 

「ユミです。今日は聴いていただいてありがとうございました」

 

 

——ワァァァァアアア——————っっっ!!!!

 

 

そのいつまでも届く暖かい声援に見送られながら、

祐巳は自分の選んだ道に自信を持って進み始めたのである——。

 

 

 

 

(3)

 

ーー翌日。

 

スポーツ紙、雑誌、テレビに『ユミ』の話題が取り上げられる。

同時に始まる、インタビュー、番組への出演依頼、ライブへの問い合わせ。

1stシングルは、その強烈な宣伝効果も影響し、発売初日から売り上げは好調だった。

 

 

「————」

 

「——では、ユミさんは勉学と芸能活動を両立して行くという考えなのですね?」

 

「はい、それが両親との約束でもありますし、私自身、学生生活も楽しみたいと思っています」

 

現在、祐巳は事務所の応接室で雑誌の取材を受けている。

学生生活を楽しみたいと言いながら、今日の講義をやむなく休んでいることに多少の罪悪感を抱きつつ…。せめてもの救いは出席の取らないものだったこと。

 

「———最後の質問ですが、なぜ歌手になりたいと思われたのですか?」

 

———……。

 

「……大切なものを、自分の力で手に入れるためです」

 

大切なものとは?と、最後と言ったのに重ねられた問いには、微笑みで返す。

 

「内緒です」

 

すると、どうしたことか、こちらを見つめたまま固まってしまう記者。

大丈夫か訊ねた祐巳に対し、ハッとしたように慌てて話を締めくくる。

 

「い、いえ、本日はありがとうございました」

 

「こちらこそ、これからよろしくお願いしますね」

 

祐巳はにっこりと丁寧におじぎをして見送る。

その来た時よりも若干挙動不審な背中を不思議に思いながら。

 

「……ユミさん、人たらしですね」

 

午前中は雑誌の撮影、午後からはラジオ、そして今日の最後にまた雑誌、その全てに付き添っていたマネージャーが、祐巳へと一日の総括とも言うべき感想を述べた。

 

「?」

 

きょとんとした表情を向ける祐巳に対し、なぜか呆れた顔をしてから、何でもないですと言って、別の話を切り出した。

 

「ところで、ユミさんって、通学どうしてます?」

 

「え、バスと徒歩ですけど?」

 

そして先ほどと同じ表情の祐巳。

 

「マスクとか…、してないですよね…」

 

マネージャーは「まじかー」と額に手を当てる。

 

「今まで支障とかなかったです?」

 

「なかったです」

 

その表情は変わらない。なぜそんなことを聞くのだろう?と。

 

「今日みたいに仕事の時は私が迎えに行きますけど、もし、朝も学校への送迎が必要なようならすぐ教えてください」

 

「え!?そんな申し訳ないですよ!大丈夫です!」

 

祐巳はそんなことを言い出すマネージャーに焦る。

そこまでお世話してもらう必要はないから。

「本当ですか〜?」と疑いの目を向ける彼女に首をこくこくと振って。

 

「まあ、いいです。それと、来週歌番組の出演が決まりましたので、しっかり体調管理して下さいね」

 

驚くことに、まだ発売二日目なのだが、CMの効果と昨日の話題性からか、早くも有名歌番組への出演が決まったのだ。

実は諸々の番組から出演依頼は来ているものの、高岡がその中から吟味しているだけだというのは、祐巳のあずかり知らぬことである。

 

 

彼女の言葉を真摯に受け止めて、

仕事漬けだった一日を終えた次の日——。

 

家から一歩出ると、昨日は顔をあわせる機会がなかったからか、道行く近所の人たちに呼び止められる。

「テレビみたよ」と。祐巳はそこまで意識していなかったのだけど、歌声だけが流れるのとはワケが違うらしかった。

『ユミ』の存在は、昨日一日で一気に広まり、周知のものとなっていた。

けれど、昔からの顔なじみの人たちが祐巳にかける声は暖かい応援だった。少し興奮しながらも自分のことのように喜んでくれたり、励ましてくれたり。

 

周囲の優しさにほっこりとありがたさを感じながら、バスに乗り、M駅で乗り換え、またバスへ。特に何事もなく大学にたどり着く。

いつも通り。

そのため、やはりマネージャーの疑いは思い過ごしだと再確認して構内を歩いていた。春の気持ちの良い陽気を感じながら。

 

そんな時、前方に見知った顔を発見する。

 

「祐巳!ごき…じゃなかった、おはよう!」

 

「ふふ、おはよう。祐巳」

 

由乃と志摩子。大学生らしい清楚な私服を着こなす二人は、いつ見ても可憐で目を引く。中身も見た目通りかは置いておいて。祐巳の自慢の親友である。

 

「おはよう!わ〜二人に会えて嬉しいよー」

 

この二人は同じ学科。祐巳だけが違うというのも寂しいものだが、学部棟は一緒なので顔をあわせる機会は結構ある。

そのまま三人で目的地へと向かう。

 

「祐巳、あんた凄いことになってるわよ」

 

「そうね、テレビをつけたら祐巳が表れたものだから、なんだか不思議な気持ちになったわ」

 

今日の会話は私のこと。

 

「うーん、でもあんまり実感が沸いてないんだよね」

 

確かにステージで歌った時は高揚したのだけど、夢みたいな時間で、その時の溢れる気持ちは思い出せても、記憶が曖昧だった。

それ以外の仕事に関しても、まだ祐巳自身は受け身でいればいいことが多くて、大変だとか、芸能人になったとかいう意識は薄かった。

 

「ええっ!?!この異常なほどの視線を浴びてて、何も感じないの!??」

 

由乃が、信じられない!と憤慨する。

 

「…祐巳に、それを言ってもムダよ。由乃…」

 

そして志摩子が由乃を宥める。

なんだろう。この二人だけ分かり合えていることが少し悔しい。

 

「なんでそこで悔しがるのよ!私の心配損じゃない!」

 

「なんの心配?」

 

祐巳の真面目な疑問に、由乃は「私はもう知らない」と言って、答えることを放棄した。

 

「ふふ。あのね、祐巳が好奇の目で見られたり、不躾な人たちが寄ってくるんじゃないかって、心配してたのよ…由乃は」

 

代わりに志摩子が答えてくれる。

それに対して「…志摩子も、でしょ」と抗議をする由乃。

二人とも優しいなあとは思うけど、取り越し苦労である。

時々、構内で数人に囲まれることはあっても、祐巳の予想より影響はなかった。

 

「…ありがとう。でも大丈夫だよ!今日ここに来るまでだって、全然いつもと変わらなかったし!」

 

これで安心だろう!と明るく言い放ったのだけど…。

 

「……まぁ…祐巳って高等部の時もそうだったものね……」

 

「……冒しがたいオーラがあるから、むやみに寄ってこられることはないんではないかしら……?」

 

なにやら二人でボソボソと相談を交わし始めたので、一人置いてきぼりを喰らう。

また自分だけ蚊帳の外なことにちょっぴり切なさを感じつつ、一応気をつけなさいよ!と念を押す二人と別れたのであった。

 

 

………

—–—

……

...

 

 

「……祐……祐巳……祐巳!」

 

っえ!?

 

祐巳はガバッと頭を上げた。

状況を把握しようと視線を巡らす。

誰も立っていない教壇、次々と席を立ち、去りゆく学生たち…。

どうやら、寝入ってしまっていたらしい。

不味い、ほとんど聞いていなかった……。

 

「…私、祐巳が『ユミ』だなんていまだに不思議だわ」

 

溜息を零しながらそう呟く祐巳を起こしてくれた人物。

彼女は最近仲良くなった友人。筒井 環。

高等部の頃は接点がなかったのだけど、志摩子とは同じ藤組だったために、交流があったらしい。

たまたま被っている講義が多く、どちらからともなく話しかけ、いつの間にやら行動を共にしていた。

そして、エンタメ情報にあまり関心のないらしい彼女は、昨日まで祐巳を『福沢祐巳』としてしか認識していなかった。

なのだけど、昨日祐巳がいない間にどこからかそれを知ったらしく、黙っていたことを謝る祐巳に放った言葉は、

 

『…へー』のみであった。

 

「……」

 

「…?いつまで寝ぼけてるの?置いてくよ?」

 

「…いや、変わらないな〜とおもって」

 

実は、祐巳が心安らかな学生生活を送れているのは、この友人の存在も大きい。

 

「だって、祐巳は祐巳で変わらないし、私が変わる必要ある?」

 

無意識に溜まっていたのであろう疲れも、彼女の言葉に晴れていく。

きっと彼女のような人も沢山いるはず。祐巳の友人作りの前途は明るかった。

 

「ないよっ!」

 

ぶんぶんと首を振り、顔にありったけの嬉しさを込めて答える。

 

「祐巳うるさい…」

 

そんなつれない態度でそっぽを向くものの、その口角がわずかに上がっているのはしっかりと拝んだ。

 

「ふふっ早く行こー!講義始まっちゃう!」

 

「誰のせいだと…!」

 

軽々と駆ける祐巳———。

 

 

踏み出した世界。動き始める周囲。集める視線。

 

 

それでも祐巳の日常は柔らかな笑顔と共にあった——。

 

 

 

そして、歌手としての『ユミ』

 

一週目から売り上げは好調。

評判が評判を呼び、伸びてゆく数字。

 

数日後に迫る初の歌番組生出演。

奇しくもこの日は祐巳の誕生日。

十九歳の門出を華々しく迎えることだろう。

 

輝かしい滑り出し。

けれどそれはまだほんの始まり。

彼女の瑞々しい感性は、何を吸収し、どんな成長を見せてくれるのか。

『ユミ』はもっと大きくなる。その期待を背に、羽ばたき続けられるのなら。

 

それは、予感、期待、願望。

歌の天使の出現に、業界は俄かに沸いていた。

 

 

 

 

 

 

 




祐巳の新たな友人の名前は、読者さまのご意見をお借りして、筒井環さんになりました。
知らない方のために。
彼女は原作小説『マリア様がみてる 私の巣』の主要登場人物です。
祐巳と同じ学年で、志摩子さんのクラスメイト。
パッとした美人の見た目に反して、中身はとてもユニークで、とても魅力溢れるキャラクターです。

祐巳の日常はそんなに心配しないで下さい、今のところ。というお話でした。

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