マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#18 静かなる予感

(1)

 

『祐巳の鮮烈なデビュー』

それより時は少々遡る————。

 

それは入学式の翌日。

つまりは、CMの流れ始めた次の日。

 

 

 

「———福沢祐巳………。………」

 

——次の授業にと、サッと荷物をカバンにまとめ、早々に移動しようとした。——そんな時。

よく知った、大事な——。私にとっては初めてできた親友の。その存在を示す言葉に、体が反応した。

それだけならば、そんなに気にすることではなかったかもしれない。

けれど、今ここにはいないはずの彼女の名前は、私が驚きと疑念を持って振り向くに足るものだった。

 

祐巳、の話題。

それはリリアンならば日常茶飯事で、むしろ本人がいない所で為されることなど当たり前。けれどもそれは、『祐巳さまが…』『紅薔薇さまは…』とトキメキに胸高鳴らせた少女たちの声で、親愛と憧れと尊敬の表れだった。

決して、こんな、まるで重大な秘密を暴露するかのような興奮を持って、語られていたわけではない。

だから、由乃は思わず耳を傾けたのだ。

傾けずとも聞こえたかもしれない、と思うほどに、その声は大きかったのだけれども。

 

話の内容は、こう。

——芸能人がこの大学にいるらしい——。

由乃はミーハーな女子たちの情報網をなめていた。

だってまだ、CMが始まったのは昨日で。…それでも彼女の簡単なプロフィールくらいなら調べれば出てくるのだから、不思議はないのかもしれないけれど…。

由乃は急激に祐巳のことが心配になった。…今、彼女は大丈夫だろうか、と。

 

 

 

(2)

 

……「はぁ…」と。

静かな図書館の片隅で。祐巳は思わずため息を吐いていた。

それは、先日出来た友人たちから思わぬ質問攻めを受けたから。

 

『…ねぇ祐巳。あのCMの歌うたってるの、祐巳って本当?』

 

一限目の教室に入って座席に着いた途端、私の前方に陣取っていたアリサたちが振り向いた。

その勢いに驚きはしたものの、「ごきげんよう」と言いかけて、あ、もう違うんだった。と言葉を飲み込んだ隙に放たれた問い。

祐巳は一瞬ビクリと反応して、逡巡した。

どう言ったものか。否定したところで、すぐ分かることだし、嘘はつきたくない。それにしてもこんなに早くバレてしまうとは思わなかったから、戸惑ってしまったのだ。

 

「う、うん…。あの、でもね…」

 

「〜ッきゃあーー!!!ほら!やっぱり本当だった!!」

 

祐巳が、あまり言い触らさないでほしい旨と気にせずにこれからも接してほしいことを伝える間も無く。

彼女たちが興奮して騒ぎ出してしまった。

うるさかったのだろう。他の学生たちもこちらを気にして意識を向ける中での重ねられる質問。祐巳はそのほとんどを曖昧に応えて流すだけだったのだけど、もうきっと広まるのも時間の問題だった。

別にそのことは覚悟していた。でも、せめてあと一週間。本格的に活動するまでの間は平穏に。大学生生活を満喫したかったのである。

最初は、歌手としてのユミではなく、ただの福沢祐巳として知ってもらいたかった。ここでは。

 

「やっぱり、気にしないでっていうのもムリなのかな…」

 

午前中のことを振り返りながら、

ポツリとそんなひとり言をこぼしてしまう。

 

「あら、何を気にしないで欲しいのかしら?」

 

へ?と。

突如、背後から放たれた言葉に細胞が反応した。

 

「ッお姉さま!」

 

すると、一瞬幻かと疑う祐巳を尻目に祥子さまは少し眉を寄せる。

そこでやっと気づいた。ここは図書館なんだった、と。自分は静かに落ち着きたかったからここに避難したというのに失念していた。

 

「祐巳、となりのカフェに行きましょう?」

 

ここではなんだから、と付け足した祥子さまは、図書館と同じ建物に併設されたカフェへと祐巳を促した。

もちろん祐巳は素直に着いて行く。

 

「お姉さま?どうしてこちらに?」

 

道すがら、祐巳は疑問を訊ねた。

 

「ちょっと調べものをしてたのよ、そしたら祐巳がいたものだから」

 

図書館で会うとは思わなかったわ?と少々お顔に笑みを含んで祥子さまが返す。……確かに祐巳は祥子さまのような真面目な理由で図書館に来たわけではない。だからいつもの祐巳なら今日ここで会うこともなかった。それだけで先ほどまでの出来事が全てこのための布石に思えるのだから、現金なものである。

 

そうこう歩いているうちに目的の場所に到着する。

先に席を取っておいてと言われたので、祐巳は自分の分の注文を祥子さまにお願いして席に座っていた。

そんなに待たずに祥子さまもやって来る。

 

「お姉さま、ありがとうございます」

 

そう言って、財布からお金を出そうとしたところ、祥子さまに首を振って止められる。しかも、祐巳がすぐに引かないであろうことが分かっているのか、こういう時は姉を立てるものよ?と言われてしまう。

そんな風に丸め込まれてしまっていいのかと思わなくもないけれど、あまり言うと不機嫌になる可能性もあるため、ここは甘えさせてもらった。

 

「…ところで祐巳?何を悩んでいたの?」

 

ふーっとキャラメルラテを一口、口に運んだところで、祥子さまから質問がきた。

 

「…うーん、悩んでいたというか…少し落ち込んでいたと言いますか…」

 

祐巳は祥子さまに隠し事はできないため、あらかたの経緯と事情を説明した。祥子さまは要領の良いとは言い難い祐巳の言葉にも、途中で話を遮ることなく、全て言い終えるまで静かに聞いてくれていた。

 

「…そう。それで?祐巳は諦めるの?」

 

「——いえ、時間はかかるかもしれませんが、そのうち本当に私を見てくれる人たちが増えるように私は私らしくあろうと思います」

 

——これが結論。

弱気にはなっていたが、諦めたわけではないのである。

ここでもちゃんと自分で自分の居場所を作る。そうでなければ、芸能界で自分を鍛えたいなど言っていられない。

 

「ふふ、心配する必要なんてなかったわね」

 

そう言った祥子さまは一瞬だけ寂しそうに見えたのだけど、祐巳は気にしないように努めた。祥子さまはまだ不安なのだろう。それは自分が頼りないせいでもある。だからこれから示していけばいい、祥子さまが安心して見守れる姿を——。

 

その後、学校や授業のたわいない会話を交わしていたのだけど、そろそろ次の講義に向かおうかというところで祥子さまが切り出した。

「実は話しておきたいことがあるの」と。

その少々気にかかる言い方に祐巳も身がまえたところで、祥子さまが話し始める。

 

「……これから、忙しくなるわ」

 

今までもかなり忙しい身だったとは思うのだけど、祥子さまによるとそんなのは大したことがないらしい。

 

「私も今年で成人を迎えるでしょ?だから、今までより小笠原の仕事に関わらせてもらえるのよ」

 

小笠原グループ。

創業は明治。

主に建築、不動産、貿易、食品の分野で事業を展開している、らしい。

それだけでなく、傘下には様々な業種の企業をも抱え、その全貌は祐巳には到底把握できない。

そんな凄いという言葉では足りないほどの名家。そこの一人娘であらせられる小笠原祥子さま。……本当に。本来ならこうして祐巳が親しく話しているのも不思議なくらい雲の上の存在、だったんだよなぁ〜と自身の境遇と幸運に感謝する。

 

「…では、なかなか会えなくなるのですね…」

 

それは分かっていても、どうしても落胆は隠せない。

それなのに、当の祥子さまは——

 

 

「………それは…、どうかしら——?」

 

不明瞭な言葉と意味深な表情を残して、席を立ったのであった。

 

 

 

 

(3)

 

祥子は自分が特別な立場にあることを自覚している。

 

だから、普段から自分に集まる視線にも、好ましくは思わないものの、慣れたもので、ほとんど気にはならない。

けれど先ほどのカフェ。そこでチラチラと向けられる好奇の目は、祥子だけに捧げられてはいなかった。明らかに祐巳を意識したもの。こうなることは予想の範疇。しかも当人は、直接的なもの以外には気づいていない。

祐巳が落ち込んでいた理由を聞きながら、それなのにこの視線は気にならないのね?とどこか抜けている妹を案じていた。

 

そんな危なっかしい祐巳を次の教室まで送り届けたあと。

私が向かうのは正門近くの駐車場。そこに小笠原家の車を待たせてあるから。今日は午後からの授業は履修していなかった。

 

「待たせたわね、松井——」

 

「いえ、お帰りなさいませ、お嬢さま」

 

「早速なのだけれど、出発してちょうだい」

 

乗り込んで早々に運転手の松井を促し、私が向かった先——。

それは、優さんの実家。柏木家であった。

 

古き良き和風建築と情緒を解した庭の広がる邸宅。

その一室で、わざわざ私を呼び出した男性と向き合う。

 

「待ってたよ、さっちゃん」

 

「…それは、優さんもお忙しいのに、お待たせして失礼いたしましたわ」

 

微笑みとともに私を写す眼差し。なんでも見透かされているみたいなところが気に障って、つい嫌味を返してしまう。

けれど今日ここを訪れたのは、こんな応酬をする為ではなくて。

昨日の夜。優さんが電話で気になることを言ってきたから。

 

『僕を手伝う気はない?』

 

優さんの手伝い。それだけならば特に否も応もない。

私より一つ上の従兄で元婚約者。お父さまが婚約者に選んだことからも分かるように、この男は腹がたつほど優秀で、まだ学生でありながら、任される仕事の重要度も高い。

そんな優さんの誘い…。

 

『さっちゃんの不安が解消できるかもしれないよ?』

 

半信半疑ではあるが、この言葉が気になってしまった。

まだ手伝うとは決めてないけれど、とりあえず話は聞いてみることにしたのである。

 

お手伝いさんがお茶を用意して辞したのを見届けると

優さんが本題を切り出した。「さっちゃんも知ってると思うけど」と。

 

「小笠原グループの関連事業には、広告やサブカルの分野もあるよね。——けれど正直に言うと、まだまだ弱い」

 

そこで頷く。事実だから。

でも、だからと言って、弱点になる程でもないのだけれど。

出来れば膨らませたい分野ではある。

 

「僕は、そこを強化したいと思ってるんだ」

 

優さんが手を出すと言うのなら、反対はない。それくらいには彼のことを信頼している。

 

「…それで?どうして私の手伝いが必要なの?」

 

謙遜でもなんでもなく、己の能力がまだ足りていないことも、勉強中の身であることも分かっている。手伝うと言ったって、大した足しにはならないだろうに。

 

「それはね、さっちゃんがそう望むと思ったからだよ」

 

また、よくわからないことを言う。

焦らさないで早く教えてくれればいいのに。

顔に不満が表れていたのか、ごめんごめんと謝りながら、彼は言葉を続けた。

 

「…広告、サブカル、放送、そこにはもちろん芸能分野も含まれる。別にタレントを自社で所有する必要もないけど、どこかを吸収したり強力なコネを築くのはアリかもね」

 

その言葉に祥子の視界が開けた。

 

「はは、まあそれは気が早いけど、その分野を広げることは、必然的に祐巳ちゃんに関する機会も増える」

 

明確に「祐巳」の話題を出して、一旦話を区切った彼。

どうかな?と。それはもう祥子が了と応えるのを確信した顔で。

一応の確認でしかなかった。

 

………。

 

「喜んで、承りますわ」

 

優さんに心を読まれているのは癪だけれど…。

それは祥子の望みに適った、まさに心から欲する役割。

これからも祐巳の助けになることが出来る。

私には手の出せない世界に行ってしまったと思っていた。

でも違う。離れてしまうなら私から祐巳を追いかければいいのだ。

何かあれば手を差し伸べられる距離にまで——。

 

 

 

 

 

 

 

 




旧財閥の実態など把握はしておりませんが、
小笠原グループは私の中で中堅財閥のイメージで話を進めています。

祐巳は祐巳で祥子さまを思うゆえに必死ですが、祥子さまも余裕があるようでない方なので、必死です。

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