マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#16 epilogue —子羊たちはかく語りき—

(1)

 

SIDE:—かつて薔薇さまだった者たち—

 

「……圧巻、ね」

 

「…ええ、そうですわね」

 

「そんなこと言って、あなた、全然動じていなかったじゃない」

 

「それは、以前身をもって体験いたしましたから」

 

 

山百合会主催の演劇が盛大な拍手と共に幕を下そうという時。

その舞台上の紅薔薇を見つめながら話すのは、去年と一昨年の紅薔薇さま。

 

「少し前までは、ほんの小さなつぼみだったのに、いつの間にあんなに立派になったのかしら」

 

己の孫の成長に、柄にもなく熱いものがこみ上げる。

 

「…祐巳は、最初から、特別でしたわ」

 

「ふふ、あなたにとってはそうでしょうね」

 

少し拗ねながら、それでも自身の妹へと注ぐまなざしは逸らさない。

 

「…私は、祐巳の姉として、相応しくあれるでしょうか」

 

「あら、あなたらしくない。弱気な発言ね」

 

わざと少し挑発をかける。

けれどそれは、普段強気で負けず嫌いな彼女が

姉の前で見せる彼女なりの甘えだった。

 

そでへと捌けた役者たちが、体育館へと降りてきた。

 

「ほら、行かなくていいの?」

 

「応援するって決めたんでしょう?」

 

妹の背中をそっと押してやる。

 

「いってきます」

 

そう言って駆けていく妹と

それに気づくなり、満開の笑顔を浮かべる孫。

 

二人の行く先が幸せに溢れることを祈った。

 

 

 

(2)

 

SIDE:—写真部エースのその日—

 

その日の忙しさと言ったら、過去に類を見ない。

と、自信を持って言えるだろう。

 

何せ心躍る被写体が次から次へと現れる。

学園祭という行事には必ずどこかで何かが起こるのだ。

あるところには、仲良くデートするスール。

そして、あるところには、今まさにスールにならんとする者たち。

それどころか、思わぬ人物、例えば歴代の薔薇さま方が出現したりする。

写真部エースの名に懸けて、そんな素敵な一瞬を逃すわけにはいくまい。

彼女の脳裏には、悔やんでも悔やみきれない二年前がよぎる。

現在、自身が一番胸高なる被写体の祐巳さんと祥子さまがスールとなった日。

なぜあの時あの場に居合わせなかったのか!

その瞬間を残せなかったのか!

 

その想いを胸に、蔦子はなんぴとも撮り逃すまいと、あっちへ行きこっちへ行き、かと思えば、はたまたあちらへというように、セカセカと動き回っていた。もちろん撮った後は本人にも見せる。許可がなければ公開はしない。

 

——と、ここまでならば例年通り。

 

 

ところが今年は大きくそれを上回る。

 

何が起こったのか。

 

そう、それはもう、すごかった。

 

その時そこにいられたことを、マリア様に感謝した。

 

 

 

リリアンの体育館。

 

雷鳴の轟くその中で、奇跡は起こる。

 

それはまるで天使の祝福。

 

リリアンの誇る紅薔薇が可憐に咲き誇った瞬間。

 

あろうことか、照明が戻っても蔦子は惚けていた。

 

けれども祐巳さんの妹の台詞にハッとして、

 

慌ててシャッターを切った。

 

劇が終わるやいなや、急いでその場を飛び出して、部室に向かう。

 

すごいものが撮れた、と。

 

きっとこれは伝説になる、と。

 

すぐに噂は駆け巡り、週明けのリリアンはこの話題に沸き立つだろう。

 

幸運にも居合わせた者は胸ときめかせて。

 

見られなかった者たちは打ちひしがれて。

 

そしてそんな生徒たちは待ち望んでいる。

 

この写真と、それから、新聞部の号外を。

 

 

(3)

 

SIDE:—新聞部部長の多忙なるその後—

 

——スクープだ!!

 

記事になるネタはたくさんあった。

 

どれを一面にするか悩むほどに。

 

けれど、それは先ほどまでの話。

 

これを見た瞬間、他のすべては吹き飛んだ。

 

真美の頭はフル回転。

 

着実に予定を組み立てる。

 

週明けに間に合わせたい。何としても!

 

そして一番に向かったのは写真部の部室。

 

彼女は持っているから、その決定的瞬間を。

 

彼女に一声かけると急いで新聞部の部室の方へ。

部員たちは招集するまでもなくすでにほとんどが集まっていた。

みんな考えることは同じだったようで。

現像を待つ間に記事を書く。

祐巳さんが帰る前に、許可がいるから。

山百合会の人たちは最後までいる。だから、期限はキャンプファイアーが終わるまで。

それはまるでアシュラのごときだった、だとか、部長が五人いた、だとかはのちに部員たちから言われた言葉である。

 

 

(4)

 

SIDE:—リリアンの乙女たち—

 

山百合会の劇。

それは、彼女たちが最も楽しみにしていたものだった。

誰かがいち早く手にした情報で、今年の演目が伝わる。

『王子とこじき』らしいですわ、と。

そこから導き出されるのは主演の二人が誰であるか。

賢い彼女たちはすぐに気づいた。

紅薔薇さまが主演。しかも男装だ。花寺の弟さんとの共演が見られる。

そんな噂は瞬く間に広がって、用事がない者たちはほとんどが体育館に詰めかけた。

 

舞台上の薔薇さまたち、それと秀逸なストーリーに

見惚れ、入り込んでいた。そんな時——。

ハプニングが起きた。不安と恐怖にかられる。

けれど、それも束の間で。

雷鳴とともに現れたのは——、天使さまだった。

 

劇のあと、皆んなが口にするのは祐巳さまの話題。

『リリアンの奇跡』『マリア様の使い』『紅薔薇の天使』

口々に、様々な通り名で広がっていく。

けれど、それが大げさだとは誰も思わなかった。

いくつもの呼び名があるのは、どの言葉でもあの感動を表現し切れないもどかしさから。

 

そんななか迎えた週明けの『リリアン瓦版号外』

そのタイトルは——、

 

『ロード・オブ・ローズ〜紅薔薇のキセキ〜』

 

一面には劇での写真。これを撮った写真部エースに皆が思ったことだろう。「よく、やった」と。

 

そしてその分厚い号外には

当時、紅薔薇の蕾であった小笠原祥子さまのスールになった頃からの祐巳さまの特集。

始まりは、祥子さまにタイを直されるお姿の写真から——。

祐巳さまのキセキ。

号外は、新聞部が何度も何度も重版しなければならないほどの人気で。

それは、自分の分のみならず、中等部の妹や卒業した姉のため、はたまた保管用、と皆が競って手に入れたがったからであった。

 

そして、いつしかその見出しがもじられて

祐巳さまは、

『ローズ・オブ・ローズ』薔薇のなかの薔薇、とまことしやかに囁かれるようになったのである。

 

 

知らないのは当の本人のみだとか。

 

 

(5)

 

SIDE:—とある日の三薔薇—

 

「ねえ、」と。

それは由乃さんのそんな一言から始まった。

 

「私、前々からずーーっと!言いたかったことがあるの!」

 

学園祭も終え、次は体育祭へと備える話し合いの合間。

妹たちには外への用事を頼んでいた。

だから、いまこの薔薇の館には、由乃さんと祐巳さんと私の三人だけ。

同級生で、同じ薔薇さまで、信頼する仲間、なのだけれど、

クラスが違うこともあって、この三人だけになるという機会は

実はそんなに多くはなかった。

 

「なに?由乃さん」

 

うん?と首を傾けて訊ねる祐巳さん。その仕草は幼くてかわいい。

 

「それっ!」

 

「ええっ?なに?!」

 

応えた祐巳さんに勢いよく指を指して叫ぶ由乃さん。

けれど、私もちょっとよく分からないわ…?

 

「違う!そっちじゃなくて、そのあと!」

 

「はぃ??!」

 

早く!と急かすように迫る由乃さん。

祐巳さんが混乱して、目をぱちくりさせている。

 

「由乃さん。それは私も分からないわ」

 

祐巳さんが少しかわいそうに思えたので、フォローに入る。

けれど、由乃さんは今度は私の方へと身をのりだした。

 

「だーかーらー。それよっ!!」

 

それ、今の会話で祐巳さんと私に共通するそれって何かしら?

と考えて、すぐ気づいた。

 

「もしかして、『由乃さん』?」

 

「そうっ!」

 

うれしそうに正解だという由乃さん。

 

「え?なんで『由乃さん』?』

 

祐巳さんは頭上にはてなマークをたくさん浮かべている。

そんなもの見えるはずがないのだけれど、祐巳さんを見ていると本当にそういう表現がぴったりなのだ。

 

「もう!祐巳さんにぶいっ!」

 

ぷんぷんと怒り出してしまった由乃さん。

たしかに、自分から言い出すのは恥ずかしいかもしれない。

なぜなら私も一度は考えたことがあったから。

けれどその時は、もし二人が気にしていなかったら?

と思って遠慮してしまったのである。

 

「うーん、由乃さん…由乃さん……由乃さん?」

 

「ああああ!だから!それを!直そうって言ってるのに!!

連呼しないでよ!」

 

…由乃さん、直そうとは言ってなかったわ。けれど、ごめんなさい祐巳さん。火に油を注ぐことになるから、私は何も言えない。

 

「由乃さんを…なおす…………!!」

 

あっ!と祐巳さんがやっと気づいたようだった。

ここで気づいてくれてよかった。これ以上とぼけたら由乃さんがどうなるかわからない。

 

「やっと…まあいいわ。気づいたのね!」

 

「うん。呼び方だよね?」

 

「そうよ!令ちゃんも祥子さまも、あとその前の薔薇さまたちも、ついでに瞳子ちゃんと乃梨子ちゃんだって呼び捨てなのよ?」

 

「いいの?私たちはこのままで?」

 

ねえ?と由乃さんの視線がこちらにも飛んでくる。

そう、私たちの学年以外は皆んな呼び捨て。

呼び方で何がどうなるというわけでもないけれど、やっぱりその方が親しいように感じる。

 

「それは、私も考えたことがあったわ」

 

ただ、呼び慣れてしまったものを変えるのは少し勇気がいるけれど。

 

「やっぱり!そう思うわよね?祐巳さんは?」

 

「んー言われてみれば〜」

 

「よし!じゃあ決まり!今日から私たちは呼び捨てよ!」

 

由乃さんが多少、いや、かなり強引に決定を下した。

 

「ええっ急にはムリだよ〜由乃さ「はい!ぶーー」

 

「これから、さん付けには応えません!」

 

「ええーーー!そんな横暴な……ねえ、志摩子さん?」

 

祐巳さんが私に助けを求めている。

由乃さんはまた、さん付けしたことにご立腹のようだ。

 

「まあ、そうねえ…。……………祐巳?」

 

「……へ?」

 

その時の祐巳さんの顔は一生忘れないだろう。

まんまと私に裏切られてしまった彼女はもう逃げられない。

 

「ほら!志摩子も賛成なんだから、あとは祐巳だけね?」

 

「ゔっ」

 

彼女はとても自然に私たちを呼んでみせた。

「ほらほら」と追い詰める由乃さんに窮地に陥る祐巳さん。

 

しかし、そんななか妹たちが帰ってきてしまう。

 

「ただいま戻りましたーー!」

 

どうしたんです?と訊ねる乃梨子に知らぬふりをして。

 

「ふふ、なんでもないわ」

 

祐巳さんはほっとしているけれど、それでは甘い。

きっと由乃さんは逃すつもりわないわよ?

と、少しわくわくとしながら思った通り。

 

その後由乃さんは祐巳さんが話しかけても一向に応じず。

そんな企みに私も乗っかったものだから、

これでは、会議が進まないと悟った祐巳さん。

 

妹たちが不思議な顔で見つめるそんな中。

 

 

 

 

 

 

「…………よ、由乃……し…まこ……」

 

 

それはそれは真っ赤に顔を赤らめて、小さく小さく呟いたのだった。

 

「ふふ」

 

「なーに?祐巳?」

 

二人の声が意図せず重なった。

 

 

 

 

それは、まだ少し気恥ずかしくて、

けれどほんのりと心があたたかくなるものだった。

 

 

 

 




次回、新章『舞い降りた天使の行方』始まります。

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