(1)
花寺学院高校。
私立リリアン女学園と同じ丘の上に立つ名門男子校。
残り五日となった夏の休暇を惜しむいとまもなく、
その門の前に並び立つのは、晩夏の暑さに項垂れる青少年たち。
彼らは健気に待っていた。
薔薇の乙女たちが到着するのを——。
今年も両校の学園祭を手伝うことになる花寺とリリアンの生徒会メンバーは、先立って行われる花寺のため、余裕を持って話し合いの機会を設けていた。
今回は花寺の生徒会室を借りる形である。
山百合会の面々は、リリアンの門の前に集合していた。
由乃さまと菜々ちゃんが連れ立って到着したところで全員が揃い、
別荘地ぶりの再会に皆んなのテンションが上がる。
そんな中でも瞳子の心中は複雑だった。
今日の日程を決める際の連絡で、祐巳さまから電話をいただいた時——。
『この日に話があるから、その後の予定を開けてほしい』
こんなお願いをされたから。
何の話か、というより何の報告か、言われることは分かっていた。
祐巳さまから聞いたわけではない。もちろん祥子さまからも。
けれど、最近の出来事を踏まえても、祐巳さまの声や表情からも、察しはついてしまうのだ。
祐巳さまが決められたのなら、もう受け入れるしかないのかもしれない。きっと祥子さまは反対はしないはずだ。
せめて、自分が祐巳さまの負担にならないように……。
花寺へと向かう道すがら、瞳子は学園祭の打合せよりもその後の予定に意識を飛ばしていた。
「瞳子?あんたちょっとおかしいよ、大丈夫?」
乃梨子のそんな失礼な言い草も聞こえない。
「ねえ瞳子、聞こえてる?」
ああ、前を行く祐巳さまは志摩子さまと楽しげに談笑されている。
見る限り、お顔はすっきりとされていて憂いもなさそうだ。
「暑さで頭でもやられてんじゃ…「ああっもう!聞こえてますわよ!」
何なんですの!人が真剣な思考に没頭している時に!
大方、志摩子さまが祐巳さまに取られてしまって暇なのだろう、そうでしょう!だからと言って、同じく私も暇なのだと思わないでもらいたいですわ!
「あ、いつも通りだね」
「……ッ」
おちゃらけた乃梨子に対して、沸騰した怒りをぶつけると、頭を巡る物寂しい思考も一緒に吹き飛んでいた。
「もう、なんなのですか…」
そんな風に言いながらも、瞳子は少しだけ乃梨子に感謝する。
この一見冷めていそうな少女は、案外おせっかいで瞳子の機微にも鋭いのだ。紛れもなく瞳子にとって大切な友人となっていた。
こうして多少なり前向きに気持ちを立て直せた頃、ちょうど花寺の門が近づいて、生徒会の面々とまみえたのであった。
「よ、祐巳」と祐巳さまの弟君である祐麒さんが声をかける。
祐麒さんは現在の花寺の生徒会長である。大好きな祐巳さまと似ているのでつい親しみを持ってしまう。優お兄さまも彼を相当気に入っているし、どうも、私たちの血筋は福沢家に惹かれるらしい…。
瞳子はずらっと並ぶ顔を見渡す。
何人かは薔薇さま方や乃梨子と面識があるようなので、きっと去年から生徒会にいらした方達なのだろう。花寺との合同行事に初めて参加する瞳子にとっては、祐麒以外は初顔合わせであった。
「ようこそ、お越し下さいました。早速、生徒会室へ案内いたします」という言葉とともに、祐麒さんの先導について行く。
「なんか祐巳ちゃん変わったね?」
メガネをかけた男の方が祐巳さまに親しげに話しかける。
「はあ?どこがだよ小林」
それに対して祐麒さんが素っ気なく返すが、まるで女の子みたいに可愛らしい男の子が小林さんに追随した。
「ユキチは毎日見てるからわからないんじゃないの?祐巳さん可愛さに磨きがかかってるわよ。嫉妬しちゃう」
「アリスまで…何言ってんだよ」
喋り方も名前も女の子らしかった。けれどとても彼に合っている。
「お、俺も思うけどな!」
「…おい。高田はそれ以上近づくな…」
とても逞ましい筋肉と日に焼けた肌の男性が、急に頬をポッと赤らめて言葉をこぼす。祐麒さんは怪訝な顔をして、祐巳さまに近づけまいとする。
瞳子も瞬時に彼を威嚇したのだが、当人には気づかれていないようであった。
祐巳さまはと言うと。
「えへへ、アリスに言われるとうれしいなあ」
「祐巳さんは磨けばもっと光ると思うよ。あとでオススメの美容法教えてあげる」
「と、ところで…祥子さまはお元気?」
「うん!この前も会ったよ!あのね——」
アリスさんと仲良くお喋り中である。
そうして到着した生徒会室では、改めての自己紹介から始まった。
まずは花寺。
年の順ということで、祐麒さんから。
「花寺学院高校三年、生徒会長の福沢祐麒です。もうご存知かとは思いますが、そこにいる福沢祐巳の弟です」
「同じく三年、副会長の高田鉄です。身体の鍛錬はあれからも徹底しており、昨年よりもいい仕上がりになっていると実感しております!いかがでしょうか」
あ然とした。
そのままいろんなポーズを披露し出した高田に、空気のみならず、その場にいた皆が固まる。
「…え、ええ」耐えかねてか、祐巳さまが応えた。
さすが祐巳さま。よかった。これで次へと進む。
「三年、会計の小林正念です。受験のために数学以外もがんばってます」
そこで薔薇さまと乃梨子がクスリッと笑う。瞳子にはよく分からなかった。
「三年、有栖川金太郎です。書記です。アリスって呼んでください」
アリスが本名ではなくあだ名だったことには驚いたが、どちらにしろ覚えやすい。
そしてそこからは、新たに加わったという二年生の面々だった。
緊張しているのか先ほどから会話もなかったのだが、その紹介はそれぞれかなり個性的で、花寺の生徒会に対する瞳子のイメージは、オモシロイで定まったのであった。
次はこちらの番。
祐巳さまから順に紹介して行く。
「リリアン女学園三年の福沢祐巳です。紅薔薇をやらせていただいています。祐麒の姉です」
そう言って、これで終わりと思いきや。
「今回はちゃんと」
と、瞳子にとっては謎の一言を付け加えた。
ふふん、と得意げな祐巳さま。笑いも起きている。
「ふふふ、前回は違ったものね」
そんな由乃さまの言葉に菜々ちゃんが驚く。
「え?何か複雑な事情があるのですか!あ、、無神経ですね…」
そしてしまった!とばかりに顔を青ざめさせたのだ。
…っ…ふ…ふふ、ぷっはっ、あはははっ!
由乃さまが噴き出した。それをきっかけに、志摩子さまも乃梨子も花寺側からも堪えきれないというふうに声が上がる。
そして、祐巳さまは。
「また、もっていかれた」
と、それはそれは残念そうに呟いたのである。
スムーズに、とはいえないが、和やかな自己紹介は終わり、全体の雰囲気も良い中で、学園祭の話し合いは順調に進んだ。
「——じゃあ、よろしくお願いします」
その言葉とともに解散する。
門から出ると、皆はそれぞれの家路へと向かう——。
けれど、瞳子にとってはここからが今日の本番だった。
「…ん?祐巳。帰るんだろ?何ぼけっとしてんだよ」
一向についてくる気配のない祐巳さまに、祐麒さんが振り返って訊ねた。
「…ごめん祐麒。用があるから先に帰ってて」
私と祐巳さまは門の前で立ち止まり、ただ静かに佇んでいる。
祐麒さんは些か訝しんだものの、祐巳さまが瞳子を見やったのを見てか、すぐに了解した。
「…わかった。あんまり遅くなんなよ」
そう言って、ぶっきらぼうながらも姉に注意する様子からは、この姉弟の仲の良い関係がうかがえる。
どちらが年上なのか分からないそのやり取りが微笑ましかった。
祐麒さんが去ったあと、祐巳さまと共に駅までの道を歩く。
普段は近くのバス停からバスで駅まで向かうのだけど——
大切な話があったから。
「瞳子」
「…はい」
瞳子はそう返すのがやっとだった。
束の間、沈黙が落ちる。
何を話せばいいのか分からない。いつもは側に居られるだけで幸せな気持ちになれるのに。
会話のない時間が気まづかった。
「…あなたが反対なのはわかっているけど」
瞳子はまだ口を開かない。
祐巳さまも続けない。瞳子の反応を待っている。
でも。
また、静寂が訪れる。
紅い紅い空。
いつもより大きな夕陽から射す光はまぶしい。
日中の暑さはずいぶんと弱まって、気持ちのいい夕暮れだった…。
ざわめく木々。帰路につく、人の雑踏。どこからか漂う食欲をそそる香り。
電線にとまる鳥たちが
一斉に羽ばたいた時———
「お姉さまは自由です」
何にも縛られることなく、自由に、思うままに、進んでくれればいい。
祐巳さまの選ぶ道は、きっと、光に満ちるはずだから。
まだ、振り切れない思いは残るものの、
瞳子は己の姉を信じる選択をしたのであった。
(2)
お姉さまは、「応援するわ」と言った。
瞳子は、「お姉さまは自由です」と言った。
そうして二人とも背中を押してくれた。
私が何も語らなくても、説得する間も与えずに。
どうしてこんなにも理解してくれるのだろう。受け入れてくれるのだろう。
私はそんなに出来た人間ではないのに。
だからこそ、新たな一歩を踏み出すんだ。
——そんな決意も胸に、
祐巳が対面するのは、母と父、そして祐麒である。
福沢家の一階リビング。
普段は過保護なほどに甘い父親が、厳しい顔つきで祐巳の話を聞いている。そしてそんな父と私を心配気に交互に見やる母。
いつもと逆の光景だ。
祐麒は、顔は真剣そのものだが、何を考えているかまでは分からない。客観的に場の状況を見極めんとしているように見えた。
「認めてくださいッお願いします…ッ!」
あらかたの経緯と祐巳の気持ちを最後まで言い終えて、深く頭を下げる。
祐巳には緊張が走る。
「——だめだ」
父親の第一声はそれ。
祐巳はきゅっと膝の上でこぶしを握る。
「祐巳ちゃんが思うほど、甘い世界じゃないぞ」
「わかってる…それでも…ッ」
——必死だった。
「これは、私にとっては成長するチャンスなの!逃したくない!」
「活躍しているのはほんの一握り。それもいつ、どうなるかわからない」
「そうね…」
しかし、父は譲らない。
隣で聞いていた母も父の意見へと同意する。
「私は、祐巳ちゃんには普通に幸せな生活を送ってもらいたいのよ。わざわざしなくていい苦労を背負いに行かないでちょうだい」
茫然と目の前が暗くなる。
どう、すれば、納得してもらえるのか。
祐巳は溢れそうになる涙を口を引き結んで堪えていた。
「…ちょっといいかな?」
そんな時、ずっと黙っていた祐麒が声を上げる。
「父さんたちの意見はもっともだと思う。俺も心配だし」
吐き出された言葉に祐巳はますます絶望する。
「——けどさ、祐巳がこんなに必死なのは、強い想いがあるからだろ?簡単に諦められるとは思えないんだよね」
しかし、祐麒の言葉は祐巳をフォローするものだった。
そこに少し希望が見える。
父も母も不満げにしながらも耳を傾ける。
「何度もあるチャンスでもないし、やめることはいつでも出来るんだから、しばらく見守ってやったら?」
「最悪、勝手に契約しちゃうかもしれないよ?」最後の文句が強力だった。両親はぎくっと驚きに目を見開き、祐巳も、あ、そういうこともできるのか!と少々まぬけだが感心してしまった。そしてそんな祐巳を見た両親が、マズイと思ったのか、この話はいったん保留ということになる。
賛成でも反対でもない。一応は。
「その高岡という男に会わせてくれ」
話はそれからだ、と。
男にして祐巳と間違われるほど似ている祐麒って美少年だと思うんです。しかもこの話だと祐巳はかなりの美少女なのでハンパないです。
タイトルは両親の目線からつけたものです。
両親は祐巳の歌ってる姿とか知りませんから
彼らからしたら青天の霹靂です。