マリア様がみてる~"アポロンの薔薇"~   作:穂高

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#10 きっかけの別荘地5

(1)

ーーー西園寺家の邸宅へと向かう車内。

 

瞳子の隣では、白いフレアのワンピースを見に纏った祐巳さまが絶賛自己嫌悪に落ち入っていた。

せっかくの可憐な出で立ちから放たれるのは、残念な暗いオーラ。

本来ならばその装いに見惚れていたいところなのだが、そうもいかない。

 

「祐巳!潔く諦めなさい!」

 

祥子さまからゲキが飛ぶ。

何を諦めるのかというと、それは歌のことであった。

結局、二曲目の『あなたがいるから』は納得のいく状態にまでは到達せず、『マリア様の心』のみにしようということになったのだ。

まあ、瞳子もバイオリンで加わるのだから去年と全く同じわけではないし、あまり気にすることはない。

しかし、その原因たる祐巳さまはそう簡単に割り切ることも出来ないようでーー。

 

「う…スミマセン」

 

こんな遣り取りは、

住人の性質を表したかのような絢爛な建物の前に車が停まり、玄関の前に立ったところで、

「曾お祖母様に楽しんでいただければそれでいいのよ」という根本を指摘する言葉に祐巳さまがようやく気持ちを切り替えるまで続いたのであったーーー。

 

祥子さまが呼び鈴を鳴らす。

さて、今年はどのように迎え入れられるのだろう?と少し緊張した面持ちで待っていると、中から扉を開けて現れたのは西園寺ゆかりさまとそのお母さまの西園寺夫人。

 

「まあ!祥子お姉さま、瞳子さん、祐巳さま。ようこそいらっしゃいましたわ」

 

「あらあら、祐巳さんは一年ぶりね。今日お会いするのを心待ちにしていたのよ?」

 

「お久しぶりです。お招きいただきありがとうございます」

 

「招待状を送ったのは曾お祖母さまだけれどね。祐巳さんの歌を楽しみにしてらしたから、今年もぜひ歌ってちょうだいね?」

 

「はい。恐縮ですが、披露させていただきます」

 

表面上は一応歓迎の意を表しているものの、彼女たちの言葉にいちいち含みがあるのは気のせいではないだろう。

特に祐巳さまに対する態度は分かりやすい。

 

「まあ!良かったわ。曾お祖母さまが一番楽しみにしておられるものだから、貴女達をトリにしたいのよ!」

 

「いいかしら?」と伺いを立てる形を取っているのだが、立場上、私たちが断れるはずもない。それを分かっていて提案して来るのだから、怪しさ満載である。祥子さまの機嫌もみるみる下降しているのが顔を見ずとも伝わる。

 

「わざわざ、私たちにそんな美味しい立場を与えてくださるなんて、本当によろしいのですか?」

 

「ええ、もちろんよ!」

 

祥子さまは言葉にトゲを含ませるが、西園寺夫人は怯むようすもない。わざとらしいほどニコリと微笑むと余裕の返事を返した。

祥子お姉さまに対してこの態度ーーー。度胸があるのやら、単に鈍いだけなのやら。

 

そうこうしていると、奥から車椅子の老婦人が現れた。

 

「あなたたち、いつまでお客さまを足止めしておくつもりかしら?」

 

老いてはいても、その芯のあるお言葉は、愉しげに私たちと向き合っていたお二方を急速に青ざめさせる。

「失礼いたしましたわ」と申し訳程度に呟くと一瞬、憎々しげにこちらを振り向いて、場を辞していった。

 

「ごめんなさいね。あの人たちのことは気にしないでちょうだい?」

 

そういってこちらに柔らかな微笑みを向けられたのは、西園寺家の曾お祖母さま。約一年ぶりの再会であるが、去年よりお元気そうに見受けられた。

 

「お久しぶりです!お会いできてうれしいです!」

 

祐巳さまが無邪気に喜びを露わすと、曾お祖母様も目を細められ、とても優しい顔つきで声をかけられる。

 

「それは私のセリフよ。あなたにもう一度会えて本当にうれしいわ」

 

「曾お祖母様。今年は初めから参加されるのですね?」

 

祥子さまの質問に「ええ」とうなずきを返すと私たちに真剣な眼差しを向けられる。「こんな私でもいないよりは悪さを防げるかと思ってね、それにーーー」

 

「最近は、こういう場も楽しめるようになったのよ」

 

はっきりと言われたわけではないが、その言葉はたしかに「あなた達のおかげでね」と告げられているような気がした。

 

 

 

そうしてやっとパーティ会場の広間へと足を踏み入れると、去年の倍近くの人数が集まり歓談しているーー。

なぜ、今年は規模が大きくなったのだろうと訝しみながら辺りを観察していると、これが曾お祖母様のお力だろうかーー。

去年のように、根も葉もない噂を囁かれることも、祐巳さまに対して明らさまな蔑視の目を向ける者もなかった。

ーー代わりに、下心のある視線をちらちらと向ける輩は沸いていたのだが。

 

「あ、柏木さん」

 

ーーーと、祐巳さまがよく見知った人物ーーー優お兄さまを発見された。

会場に設置されたバーの側で、こちらからは顔を伺うことができないのだが、どこかの紳士と談笑中のようである。

 

瞳子たちの視線に気づいたのか、優お兄さまがこちらに向かって手を挙げる。そして、お兄さまに吊られるようにしてこちらへと振り返った話相手ーーーその顔を見た瞬間、瞳子は衝撃を受けた。

 

「えっ?高岡さん?!」

 

そう素直に声を上げる祐巳さまを見て、当然のごとく祥子さまが怪訝な顔をする。

 

「祐巳?なぜ、彼を知っているの?」

 

こんなことなら、彼と顔見知りになった事実だけでも祥子さまに伝えておけば良かったーーーと、瞳子が内心後悔しているうちに彼らは近くに寄ってきていた。

 

「やあ、さっちゃん達も来たんだね。こんばんわ」

 

「ええ、優さんもいつこちらに?…高岡さま、お久しぶりですわ。父がいつもお世話になってます」

 

「ああ、久しぶりだね。こちらこそ先日は妹をどうも」

 

祥子さまは、祐巳さまを問い質したいであろう気持ちをグッと堪えて、失礼に当たらないよう直ぐに彼らに対応した。しかし、高岡に向ける視線には少々猜疑の思いが含まれている。

高岡さまはそんな眼差しに気付いているのかいないのか、軽く応じて、祐巳さまへと声をかけた。

 

「祐巳さん、また会ったね。この間は綾芽が喜んでたよ。仲良くしてくれたみたいで、ありがとう」

 

「いえ、そんな!高岡さんも曾お祖母さまをお祝いに?」

 

「まあそんなところ。ここには俺もそれなりにお世話になっている人達が多いからね」

 

高岡ほどの男が祐巳さまと親しげなのが気になるのか、チラチラと好奇の眼差しが集中しているのを感じるーーー。

そのまま祐巳さまと話し込みそうな勢いの高岡を止めたのは祥子さまであった。

 

「高岡さま。いつ私の妹とお知り合いになったのですか?」

 

「ちゃんと知り合ったのは四日前かな、それは偶然。ね、瞳子さん?」

 

ここで私に話を振るのかーー。仕方ないが、思った通り祥子さまから鋭い視線が飛んでくる。伝える機会はあったのにそれをしなかったのは態と隠したように見えるかもしれない。

 

「…ええ。その節は本当に失礼いたしましたわ」

 

祥子さまからの不審の表情に若干背筋が寒くなっていたところ、それは瞳子にとっては天恵のようなタイミングで始まったーーー。

 

「皆さま、お楽しみ頂けていますか?それでは、本日のメインイベント!今年も曾お祖母さまへささやかな音楽祭をお贈りいたしましょう!」

 

その司会の言葉とともに会場は先ほどより照明が落ち、ファンファーレのような太鼓のリズムが刻まれる。

ーーーやはり、今年は些か大仰すぎではなかろうか?

瞳子がそう考えていると、フッと舞台上に光が集まった。

 

「それではまずは、小さな有志たちによる合唱をお楽しみください」

 

そこに立っていたのは、数人の可愛らしい子どもたち。

知らない子もいるが、おそらくは会場のどなたかのお子さまたちなのだろう。

そんな微笑ましい光景に頬が緩んだのもつかの間ーーー。

ピアノから奏でられた前奏は、

 

『マリア様の心』であったーーー。

 

 

「ワァーーーーーー!」

 

あちらこちらから暖かな拍手が送られる。

子どもたちの合唱はとても心がなごむものだった。

あの子たちにはなんら邪な心がないのだから当然だろう。

ーーーしかし、この選曲が明らかにこちらを意識したものなのは疑いようもない。

その証拠に、歌の合間にさえ、私たちを伺い見る嫌な視線を感じたのだから。

 

「当てつけ…ですわね」

 

「祐巳、気にすることないわ。私たちは私たちらしい演奏をすればいいのよ」

 

「…そうですよね」

 

祐巳さまは少し呆気にとられていたものの、祥子さまの励ましになんとか持ち直した様である。

瞳子が憤りながらも内心で焦りと不安が渦巻く中、次々と奏者は変わってゆく。しかし未だ、あの従姉妹殿たちは何もしていない。

 

まだ何かあるかもーー?そう警戒を強めたまさにその時、全くのノーマークだったはずの瞳子の側から声が上がった。

 

「それじゃ、そろそろ俺の番かな」

 

「何を…?」

 

「何って、俺は今日そういう仕事でここにいるからね」

 

そういうと、高岡は呆然とするこちらを意に介す素振りもなく颯爽と舞台へと躍り出たのである。

 

「では皆さん。クラシカルな雰囲気とは多少異なりますが、これより私どもの会社で勢いのある若手歌手のバラードをお楽しみ頂きたいと思います。ーーー莉音」

 

今までどこで待機していたのか、高岡に呼ばれ出てきたのはエンタメに疎い瞳子でさえ認識している人物であった。なぜーー?いくら金を出されたからと言ってこんな場に軽く登場させるものでもない。高岡もそう考えるはずなのにーー。

 

会場が一斉に沸いたーーー。

 

『RION』

どこで?とまでは言えないがその曲はどれも聞き馴染みのあるものだった。

その迫力ある歌唱力と情緒の溢れる表現力、遠くまで響き渡る美声に広い音域ーーー、それに外国の血が入っているのだろうか、彼女の聖像のように美しい容姿も相まって、そこにいる全ての者が彼女の創り出す劇的な雰囲気の中へと飲まれていた。

 

 

三曲歌い終えたところで、『RION』は静かに頭を下げる。

曾お祖母さまと何やら笑顔で言葉を交わすと、忙しいのか、程なく会場から姿を消した。

 

西園寺、京極、綾小路の令嬢方は勝ち誇ったようにこちらに視線を寄越している。

この後に歌え、とーー?

 

 

徹底的に祐巳さまを潰す気か。

 

なんて、愚かで可哀想な人たちーーー。

こんな事をすれば、あの人たちが憧れる祥子さまだって恥を掻く。

しかし彼女たちは祐巳さまを陥れる事に必死で、そんな幼稚な行いの裏に、小笠原を陥れたい大人たちの思惑が隠れていることには気づかない。彼女たちはただの憐れな駒だ。

こちらに同情的な視線を向けるその仮面の下、ほくそ笑んでいるものは一体何人いるのだろうーーー。醜い。浅ましい。

激しい嫌悪感と怒りで、瞳子は我慢の限界であったーーー。

もうこんな茶番に付き合う必要はない、

祐巳さまを連れて帰ろうーーー。

 

 

(ーーーーーーっ!)

 

突然。

視界が遮られ、瞬間、驚きで身体が竦む。

 

ふわ、とあたたかいものが体を包んだーーー。

そのお日様の様な香りーー。

肌に感じる心地よい温度と柔らかな感触ーー。

 

それは瞳子の大好きな人のものだった。

 

荒んだ心が一瞬にして安らいでゆく。

 

「…お…ねえさ…ま」

 

 

 

そっと、仰ぎ見た祐巳さまは、もしかしたら本当に天からの使いなのかもしれないーーー。

瞳子がそんなありえない錯覚を覚えてしまう程、視界に映ったその表情は清らかで美しかった。

なぜ、こんな空間でこんな風に立っていられるのだろう。

 

「瞳子」

 

瞳子が落ち着いたのを確認したのか、祐巳さまは回していた腕をゆっくりと解くと、姿勢を戻して、一旦祥子さまの方へと向き直る。

 

「お姉さま」

 

ーーーそして、その透き通った眼差しで私たち二人を見据えた。

 

「私は、三人の絆を会場中に見せつけられることが嬉しいです。ここにいる誰よりもこの瞬間を楽しみましょう」

 

そうして祐巳さまは迷いなく舞台の方へと歩みだす。

 

私と祥子さまはハッーー、と惚けた状態から慌てて立て直し、祐巳さまの後に続く。

歩みを進めながら祥子さまが訊ねた。

 

「祐巳、曲はどうするの?」

 

「『あなたがいるから』です」

 

 

 

 






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