神殺しの刃   作:musa

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六話  分かれた枝の浅瀬

 神無月宗一郎は現在の状況に大いに不満であった。結局、妹と女騎士の力を借りざるを得なかったからである。

 妹である佐久耶はまだいい。神仏必滅は神無月家の悲願である。だがそれも、リリアナ・クラニチャールにはまったく関係ない話である。

 だと言うのに、どうして佐久耶は彼女と共闘を持ちかけたのか? そして、リリアナはなぜそれに応じたのか? いや、思い返せば、あの女騎士は妹が共闘路線を口にする前に、協力したいと訴えてきたではないか。……西洋の術者というのは、神無月家のように神と相対すれば戦わねばならぬ、という風習でもあるのか。

 それを確かめようにも、当の女騎士と妹はしばらく前に分かれたきりである。

 そう、宗一郎はひとり深緑の森に踏み入れていた。周囲は薄暗いが、行軍に困るほどではない。このまま順調に戦場へ辿りつけるだろう。

 クー・フリンの予期せぬ来訪を受けて、すでに数時間――今は朝日が昇り始めたところ。約束された再戦の刻限まであと僅かであった。

 あらためてそう思いながら、宗一郎はリリアナ・クラニチャールの参入に意義があったことを認めざるを得なかった。

 いま宗一郎が踏み入れている森は、ダブリンから数十キロは離れている。碌な移動手段を持ち合わせていない宗一郎が、こんな遠地に来ようものなら相当難儀していただろう。

 おそらくは、眠る間も惜しんで強行軍を敢行しなければならなかった筈である。そうして今ここに来ているころには、疲弊した状態でクー・フリンとの戦いを余儀なくされたに違いない。

 だから、彼女には感謝している。その思いに偽りはない。故に、この憤りは己に向けてのものに他ならない。

 些細な事態で他者の力を借りる。こんな有様では、神無月家の使命を果たし続けることなど到底叶うまい。万難を独力にて排さなくて、どうして神を殺し続けるという覇道を歩めようか。このままでは、どこかの戦場で無様に果てることになりかねない。いや、間違いなくそうなる。

(強くならなくては……!)

 そのためには、必要なのだ。

 血反吐を吐き骨に刻むような修練が――

 強敵との命を競り合うような実践が――

 その果てに更なる高みへと至るのだ。すべては神々を打ち滅ぼすために。

 宗一郎にはそうしなければならない義務があった。

 彼という完成体を生み出すために、数百年一族が流し続けた血の量に報いるためにも、神々を殺し続け“最強”たることを証明しなければならない。

 神無月宗一郎が最強でなければ、彼を生み出すために散っていった先祖たちの人生は石ころほどの価値もないということになる。

 そんな事実は到底認めるわけにはいかない。そう、たとえどんな手段を用いても、宗一郎は勝利しなければならないのである。

 ならば、やはりあの騎士には感謝するべきであろう。いまこうして宗一郎が目的地に向かって悠然と歩を進められるのは彼女の助力ゆえなのだから。

 宗一郎は万全な戦支度を整えて、この場に臨んでいた。血で染まった衣は脱ぎ去られ、もとの白地の衣に着替えていた。三十以上あった傷は既に塞がり、完全に治癒している。

 これも、リリアナがホテルの自分の一室で休息をとらせてくれためである。神殺しの治癒力と霊薬の助けがあれば、重症と言えど数時間程度(ひとねむり)で快癒してくれた。

 つまりそれは、戦えると言うことだ。かの魔槍の英雄と何にも煩わされることなく十全に死合えるのだ。ならば、それで十分ではないか。

 宗一郎は微笑を浮かべながらも、歩みは止めない。ザックザックと規則正しい歩調で歩み行く彼の意中には、先程まであった葛藤は最早ない。いま彼を駆り立てるのは、身の内から滾々と湧き出る闘志のみ。

 敵が近くにいる―――理屈ではない本能でそうと解った。もう慣れ親しみつつある感覚である。天敵に近づいているのだ。

 宗一郎の全身を武者震いが駆け抜ける。が、歩調を早めるようなことはしない。そうするのは些か見っともなく思えたのだ。

 それに獲物を前にして興奮のあまりがっつく様を晒しては敵を喜ばせるだけだろう。宗一郎としては敵の嘲弄の種になるつもりはなかった。

 故に、王者に相応しく威風堂々と進む。すると、とりわけ開けた場所に出た。広場は草地で覆われており、中央には広場を両断するように浅い川が静かに流れている。

 その向こう岸にクー・フリンが飄然と佇んでいた。背に携える六尺に及ぼうかという真紅の槍が朝日を受けてこちらを威嚇するように輝いている。

「よう。待ちわびたぜ、神殺し」

 クー・フリンはそう言って不敵に笑った。

「それは申し訳ありませんでした。ならば、早速始めるとしましょうか」

 その言葉と同時に宗一郎は、背から長刀を抜き放つや、剣術の基本たる青眼に構える。と同時に、白刃が赤い輝きに覆われ、瞬く間に紅刃と化した。

 刀身の周囲がゆらり、と陽炎が生じている。刃が超高熱で熱せられている証だ。再び、人刀が神刀へと変化したのである。

「……ほう。この期に及んで、なお斬り合いを選ぶか。それが貴様本来の性質というだけじゃなく、奪い取った権能事態が少ねえからか。ひとつということはあるまい。

―――ふたつと見たがどうだ?」

 クー・フリンの鋭すぎる頭脳が刃のように閃いて若き神殺しの戦力を解体する。

 あるいはクー・フリンの真の脅威とは、その武功ではなく、また権能でもなく、この知性なのかもしれない。

 クー・フリンの推測は正しい。宗一郎の権能の数はふたつ。

 ひとつは、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)から得た、浄化の権能。もうひとつは、とある豊穣の女神から簒奪した権能である。

 その能力の特性上、宗一郎は永遠に使用を禁じると己に固く誓った権能であった。と言っても、もともと戦闘用の能力ではないため、戦力的に期待できなかったが。

 つまるところ、宗一郎は実質たった一つきりの権能で、幾つのも超常の特権を有する戦神に挑まなくてはならないのである。

 これに、宗一郎は臆することなく挑戦する。

 もとより、唯人であった頃より、神に挑み、勝利を手にしているのだ。若き神殺しには、神を滅ぼすのに妖しき超権など必要としない。一振りの剣さえあれば事足りる。

 ―――否、たとえ剣がなくとも、五体が健在ならば、いや、首一つになったとしても、その喉笛を噛み千切り、神を滅ぼしてこそ神殺しというものであろう。

 だが、こちらの戦力事情を大人しく教えてやる理由はない。宗一郎は沈黙を通した。

「フ―――まあいい。どちらにしろ、オレもそういうのはキライじゃあない」

 そう嘯くや、クー・フリンは背後に庇うように手にしていた長槍を持ち上げ、ブンと風車の如く振り回す。

 来るか―――警戒して身構える宗一郎。が、彼の予想とは裏腹に、クー・フリンは槍をぶん回すとそれで満足したかのように、穂先を地面に突き刺しただけで仕掛けてこない。

 にも拘らず、魔槍の英雄の全身から吹き上がる闘気に衰えるどころか、ますます膨れ上がっていく。

「実のところ、オレもそうしたいのは山々ではあるんだが、それじゃ兄弟たちが納得してくれなくてな。悪いが神殺し、こっちの流儀に付き合ってもらおうか……!」

 言下と共に、渦巻く呪力の奔流と同時に、神々しく輝かんばかりの豪奢な二頭立て戦車が踊り出る。

 四対の蹄が雄々しく地面を踏み締め、二対の双眸は復讐に燃えて、熱く煮えたぎっていた。二輪戦車は剛勇な英雄神が駆るに相応しい華美さと威厳に溢れており、両側面に固定された巨大鎌は相変わらずの禍々しい威圧感を醸し出していた。

 クー・フリンは満面の笑みを浮かべながら、二頭の愛馬に歩み寄り御者台へと飛び乗る。

「待たせたな、兄弟たちよ。今度こそオマエたちの全力を神殺しに魅せてやろう!」

 主の声に答えて、当然だ、といわんばかりに興奮して嘶く神馬たち。

 それを宗一郎は厳しい面持ちで見ていた。最早常態になりつつあるのか、宗一郎にはまたもやクー・フリンの意図が掴めない。

 宗一郎の疑問は次の一点に集約した。つまりは、なぜ再び二頭立て戦車を使用してくるのか、である。

 戦車の能力は既に知れているし、対処も可能だということも示した。

 確かに、不可能だと思われた神速からの精密攻撃、そこからの慮外な戦車制御力による質量攻撃。奇手奇策に翻弄されはしたが、いずれも切り抜けている。たとえ他にも手練手管の芸を持っていたとしても、対処する自信が宗一郎にはあった。

 二頭立て戦車、いや、神速の権能では宗一郎は倒せない。無想の境地に達し、心眼を開眼させ得た彼にとって、究極の速力といえど恐れるに足りない。

 クー・フリンとてそれが解らない筈がない。それとも、その認識は宗一郎の一方的な思い込みであって魔槍の英雄の考えは違うのか。

 あくまで神速を恃みとした奇手奇策でもって宗一郎を倒せると確信しているのか? あるいは、公園の戦闘の際に、一敗地に塗れて猛っている神獣(ペット)の屈辱を晴らしたいだけなのか?

 ―――否。そのどちらでもない、と宗一郎は直感した。

 敵は万夫不当の主たるクー・フリンである。軽挙妄動は厳に慎むべきだろう。何かがあるに違いない。必ずや神殺しである己を仕留められる算段があるのだ。

 ―――ならばそれは、権能によるものに他なるまい。認めたくはないが、神と魔王の真の闘争とは超常の力のぶつかり合いに他ならないのだから。

 どうやらあの戦車の能力は神速のみではなかったらしい。それとも、クー・フリン自身が手ずから芸を振るうつもりなのかもしれない。

 とはいえ、宗一郎はそれが何であるかなど考えない。予知能力でもない限り、解りようもない答えを自己の中に求めても無意味でしかない。

 ここは相手の出方を待ってから次の行動を決めるしかないであろう。

 宗一郎から仕掛けることは論外であった。かの戦車が神速の権能をも有している事実を忘れてはならない。機動力に優れているモノが常に攻撃の優先権を占有しているのだ。

 そうなると、先の戦いと同じく守勢に回らざるを得ないことは明らかであった。

 宗一郎は一層気を引き締めて、紅蓮に燃え盛る灼刀を握りしめた。

「さて、神殺し。悪いが始める前に相談したいことがあるんだがな……」

 そう言いながらも、さして悪びれた様子もなく肩をすくめるクー・フリン。

「ああ、あなたのお知り合いのことですね」

 宗一郎は皮肉に唇を歪める。

 クー・フリンが言っているのは、昨夜の戦いの際に乱入してきた謎の『まつろわぬ神』のことだろう。

 神でありながら天敵である宗一郎を無視して真っ直ぐにクー・フリンに向かって行ったところを見ると、彼と所縁のある存在なのだろう。それもあまり上手くいっていない関係に違いない。

「おいおい。そう責めてくれるなよ。前の戦いが不本意なのはお互い様だ。それにもうコリゴリだってことでも同じらしいな。とはいえ、オレが原因のコトでテメエだけ手を煩わせるのも気が引ける。そこで、だ。厄介者に邪魔される心配がない、イイ手があるんだが、乗る気はないか、神殺し」

 クー・フリンの言う宗一郎の“手”とは、佐久耶とリリアナのことだ。あらかじめ佐久耶が卜占を執り行い、凶兆の兆しが出た方角に向かって移動していたのである。

 占いによれば、そこから「厄介者」が来るらしい。

 無論、目的は足止めである。倒すことではない。と言っても、相手は『まつろわぬ神』である。容易に事が運ばないのは道理で、生命の危険もあり過ぎるほどあった。

 兄としては当然妹が心配であった。佐久耶が生身ではなく幽体であることは決して安心材料にはなり得ない。神ならば幽体から肉体を破壊する術など幾らでもあるだろう。

 幽体での唯一の利点は、戦線離脱を容易にすることである。何しろ本人の意思ひとつで瞬時に意識は数万キロ離れた肉体へと還るのだから、逃げ足の速さときたら、神速にも劣るまい。

 もっとも、妹の性格からいって、轡を並べた女騎士を見捨てて、一人で逃げるとは思えない……かどうかは解らない。あれでも一筋縄ではいかない性格をしているのである。

 それでも、宗一郎の心配の種は尽きることはない。

 だが、クー・フリンにも対応策を講じる用意があるのなら、妹の危険を軽減できるかもしれない。聴いてみる価値はあるだろう。

「……いい手とは何です」

「―――結界を張る。しかも、かなり強力なシロモノだ。オレでも破壊するのは難しい上に、解呪するのも面倒なヤツをな。まあ、オレたちの戦いが終わるまでは持つだろうさ」

 その言葉通りに受け取るなら、確かに強力な結界だ。

 無双の武術の神が振るう武力に屈さず、狡猾な魔術の神が編む魔力に惑わされないのだから、最高の守りと言ってもいい。

 それが事実であったのならば、であるが。

 宗一郎はクー・フリンの言葉に極めて懐疑的であった。『まつろわぬ神』の行動を長時間に亘って封じ込める結界をぱぱっと一瞬で構築するということが、容易に可能だとは思えない。

 術法に優れる妹ですら、周到で膨大な準備を敷いて、ようやく神の足をしばらく止める程度なのだ。

 それとて驚異的なのである。それをあろうことかその足止めを、長期に亘って維持できるなど、まったくもって法螺話にしか聞こえない。

 ―――だがそれが事実であったとしたら?

 もしそうであるのならば、あのクー・フリンは魔王すら一撃で屠る凶悪な攻撃能力を有するのみならず、神の怒りすら耐え抜く堅牢な防衛手段をも持っていることになる。

 冷たい戦慄が宗一郎の全身を駆け抜ける。それが真実ならば、宗一郎がかつて対峙した如何なる神々をも凌駕する強大無比な神ということになる!

「クク。そう身構えるな、坊主。それに、そんなに大きな話じゃあない。

オレの張る結界とは、動けない領域を守る、動かない境界線の事だ。まあ、言ってみればココら一帯を城壁(ウォール)で囲んじまおう、てワケだ。

 戦闘用の(シールド)のように小回りが利かない上に、一度張っちまうとオレでも外せないし、出られない。しかも使用に制限までありやがる」

 なあ、大した事ないだろう、と魔槍の英雄はそう言って肩を竦めた。

「……」

 十分大した話である。それでも、納得は出来た。

 クー・フリンの構築する結界とは、発動条件が設けられた特定状況下でのみ発動する権能なのであろう。

 ならば、『まつろわぬ神』の猛攻にすら長時間耐えられるという話も満更法螺でないかもしれない。

 この種類の権能は、使用に制限が設けられているが故に、強力な場合が多い。しかも、条件が厳しければ厳しいほどにより効果が向上する傾向にある。

 一度発動すれば本人ですら出ることが叶わないのも、制限のひとつなのだろう。おそらくは、虚言を弄している訳ではあるまい。

 そして、はた、と宗一郎にあることを気付かせた。

(……敵が出られないということは、当然僕も脱出できない。つまりそれは、限定された空間内に敵意ある者同士が残されるということ!?

ならば、この権能の発動条件とは、そして、それの意味するところは―――!)

「ほう。気づいたか、神殺し。そうだ、この結界の発動条件とは貴様の同意のみ。その用途は何者にも邪魔されない、一騎打ちの場を創り出す事だ。

 名を――『分かれた枝の浅瀬(アトゴウラ)』という」

 その結界()を聴いただけで、宗一郎の全身に武者震いが駆け抜ける。

 誰にも妨害されないことのない一騎打ちを開催してくれるとは、なんとも粋な権能ではないか!  それが事実とすれば、性分から権能を忌避している宗一郎とて、是非とも欲しい能力である。

 とはいえ、相手は曲者のクー・フリンである。額面通りに受け取る訳にはいかない。

 おそらく『分かれた枝の浅瀬』とやらは、クー・フリンが語った通りの能力はあるのだろう。が、果たしてクー・フリンは、本当に一騎打ちを行いたいがために、結界を張る提案を持ちかけてきたのか。その裏には目に見えない意図が隠されているのではないのか。

 つまりは―――罠。実際、宗一郎の本能は警鐘を鳴らしていた。

「どうした、神殺し。貴様が、勇者か、それともただの、臆病者か。試されているぞ」

 宗一郎の逡巡を見たのか、クー・フリンの挑発が飛んでくる。

 この提案を蹴れば、オマエは臆病者だ、と言わんばかりの言葉に、無視を決め込んでも宗一郎の誇りを刺激せずにはいられなかった。が、思慮を欠いた行動を執らせるほどではなかった。

 宗一郎は、自分とういう存在を解っていた。否、神殺しとは如何なる存在であるかを識っていたのである。

 つまるところ、神殺しとは勇者の心と臆病者の心、双方合わせもつ存在なのだ。獅子の暴力と狐の智慧をひとつの肉体に同居させた存在なのである。

 とはいえ、魂に二匹の獣をただ飼えばいいというわけではない。獅子の領域が大なれば、敵の狡猾な罠から身を守れず、狐の領域が小なれば、敵の暴力から身を守れないであろう。

 故に、真に強大で完成された神殺しとは、二匹の獣を高いレベルで調和した者をいうのである。 

 故に、いま臆病者の心が危険を察知して警鐘を鳴らし、狐の智慧がクー・フリンの提案に乗ってはならぬ、と告げていた。

 宗一郎とてそれは解っている。だが、『まつろわぬ神』と対峙する佐久耶の存在が若き殺しの判断を鈍らせた。

 神々さえ攻勢に二の足を踏ませるほどの大結界を展開すれば、必然、妹と女騎士もまた無理をする必要性が減少するだろう。妹の身を案じる宗一郎としては、これは大きい。

 やってみる価値はある。だがそれは、敵の罠に自ら掛かりに行くに等しい、度し難い愚行である。調和のとれた完全なる神殺しの決断ではありえない。

 だが、宗一郎は動く。

 愚行、未熟は、承知の上でなお罠に飛び込む。たとえ、罠が待ち受けていようとも、獅子の暴力を以って、敵の智慧を打ち砕く!

 本末転倒甚だしいが、そちらの方が今のところ宗一郎の性分に合致していたのだから仕方ない。何より、妹のために、そして……後は女騎士のためにもやむを得ない決断であると宗一郎は信じた。

「いいでしょう、クー・フリン。一騎打ちの誘い、受けて立ちましょう―――!」

 宗一郎は御者台に立つ“浅瀬の守り手”へ宣戦布告を叩き付ける。

「ここに誓約は成った……! 何者をも我らの聖なる戦いを邪魔すること能わず。たとえ、

神々といえどもこの誓いは破れない!」

 高らかに『分かれた枝の浅瀬(アトゴウラ)』を発動する言霊が唱えられる。

 瞬間、森の広場の四隅から幾何学的な文字の群れが爆発するように吹き上がる。数千数万にも及ぼうかという赤く輝く魔術文字は、四方を巨壁の如く埋め尽くす。

 あまりにも魔術文字の数が多すぎるために、もはや赤い壁としか認識できない。また壁の高さときたら、あたかも果てがないかのように伸びに伸びている。

 まさか成層圏にまで届いていないと思うが、外から見れば、宇宙にも届かんばかりの赤い巨大な石柱が急激に生えてきたように見えただろう。

「オレは、貴いタラの石にかけて誓おう……! 貴様の心臓を射潰し、首は斬り落としてから戦車の飾りにせんとする事を―――!」

 やおらクー・フリンは大胆不敵な勝利宣言を謳う。不敵な笑みとともに、宗一郎を見据える。

「ならば、僕も宣言します。あなたの腹を裂き、右手を斬り落とし、その宝槍を奪い取る事で、勝利の証としましょう―――!」

 負けじと宗一郎も応えて、睨み返す。

 ぶつかり合うふたりの視線。交錯する黒色の瞳と虹色の瞳。

 虹彩は違えども、闘争を欲する色では両者全く同じであった。もはや、ふたりの戦いを邪魔する者はいない。躊躇する理由もない。故に両者がぶつかり合うのは至極当然の理であった。

「先手はオレが取らせて貰うぞ―――神無月宗一郎」

 傲然と言い切るクー・フリン。

「ええ、受けて立ちます―――クー・フリン」

 だが、既に待ちの一手と決めている宗一郎に異論はない。

「よくぞ、言った! その剛毅さ、流石は、神を殺めし者。ならば、オレも遠慮なく行かせて貰おう!

 御者の王よ、狩りの兄弟よ。かつて傲慢なる女王メイブの軍勢を蹴散らしたように、いままた、我が眼前に立ち塞がる敵を共に滅ぼそう、我が御者ローグよ!」

 言霊が迸るや、御者台の上、魔槍の英雄の横に黒い人影がゆらりと現れた。

 影としか表現できないのは、全体的な姿形がはっきりと視認できないからだ。まるで影だけが実体化したかのような、なんとも奇妙な存在。

 しかもなお奇妙なのは、神なのか神獣なのか判別できないことであった。神殺しならば、本能で判別できる。が、本能から還ってきた返答は微妙だった。また、神獣とも断定しがたい。輪郭は人の姿を模っているのだから。

 身長は宗一郎と同じ程か。長身のクー・フリンと並んでいるとより矮躯が強調される。無論、ただの小男ということあるまい。おそらくは、従属神の一柱。不完全の姿形は、神格の一部のみを召喚したからだろう。

『我が名はローグ。狩りの兄弟からの召集により、共に荒野を駆け抜けん!』

 『影』から放たれる言霊にて、あらゆるすべてのコトが変わり始めていく。

 まず、戦車が虚空に溶けるように消えていく。それに引きずり込まれるように、御者台に乗る二人の男たちも姿を消す。尚も消失現象は止まらない。次に大型車両に繋がれた轅が消え、最後に二頭の神馬たちもまた見えなくなる。

 あれ程までに強烈な威圧感を放っていた二頭立て戦車は、まるで最初から存在しなかったように、完全に消え失せた。

「こ、これは……!」

 宗一郎はこの光景の意味することを直ちに悟った。

 敵は瞬間移動したのではない。気配を完全に遮断したのだ。それも姿さえ見えなくなるほどに! 

 完全気配遮断能力。これがクー・フリンの切り札。あの小男―――ローグの能力『隠蔽』の権能!

 そして、宗一郎は二頭立て戦車のもうひとつの能力(、、、、、、、)を思い出し、全身が悪寒に総毛だった。逃れられぬ死の濁流が宗一郎を飲み込もうとしていた。

 


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