神殺しの刃   作:musa

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終  懲りない愚者たち

 真夏の日差しが照りつけるナポリのガリバルディ広場は、今日もまた人でごった返していた。とりわけ、革命の英雄ジュゼッペ・ガリバルディの彫像に見守られた駅前広場は、観光者だけでなく近隣への交通の要所である関係から、地元民も足を運ぶ人気の通りになっている。

 だからこそ、その二人は行き交う通行人たちの関心を集めた。

 真夏にも拘わらず、着崩れなく上質だと一目で知れる紳士服(スーツ)を完璧に装着した、黒髪で銀縁の眼鏡かけた知的な風情の青年と、いかにも普段着然としたラフな格好をした、黒いケースを肩にかけた能天気そうな雰囲気を湛えた美貌の青年。

 まるで高級官僚と遊び人、といった感じの対照的な組み合わせは、どうにも他者の注意を惹いてしまうものらしい。

「では答えてもらおうか、サルバトーレ・ドニ。貴様、どうして私から逃げずにまだナポリに留まっている?」

 黒髪の青年が、細面の眉間に深い皺を寄せて銀縁の眼鏡の奥から、金髪の青年――サルバトーレ・ドニを睨みつける。

「細かいことを気にしちゃいけないな、アンドレア」

 にこにこと笑いながら、ドニは自身の側近兼世話係――アンドレア・リベラの詰問をはぐらかす。

 この程度の問答など毎度のことゆえに、いちいち気にするアンドレアではない。が、いまのドニから何やら不穏な気配が漂っている気がしてならない。魔術師としての霊感ではなく、この馬鹿との長年に渡る付き合いによる経験則から来る直感である。

 サルバトーレ・ドニは物凄く機嫌がよい。とはいえ、こうなったときのこの男は、むしろ普段よりも手のつけられないほど危険だと、アンドレアは承知していた。

「――貴様、今度は何をやらかした?」

 アンドレアの鋭く質す声に、だがドニは笑ったまま答えない。まるで直ぐに解ると言わんばかりに。

 それを見て、“王の執事”は心中で盛大に舌打ちした。間違いなくこの男は、何かとんでもないことを仕出かしたに違いない。

 本来、一度面倒事を起こしたならば、アンドレアが現場に駆けつけるのに先んじて、いち早く何処かに姿を眩ますのが、この馬鹿の今までやり口だった。

 だが、今回はそれをしていない。おそらくは「何か」を待っているのだろう。

 ……胃の腑がきりきりと痛む。帰りたい。その「何か」が起こる前に、アンドレアは家に帰りたかった。

 心配のあまり胃痛を患っていたアンドレアは、不意に微かな呪力を感じて頭上を仰ぎ見た。

 鳥だ。おそらくは白い(からす)……

 その白鴉は、ドニとアンドレアの頭上を旋回するように飛び回ると、静かに舞い降りる。そうして白鴉は、そのままドニの眼前で翼を羽ばたかせながら滞空した。

「おい、馬鹿。これは貴様の知り合いか?」

 白鴉を凝視したままアンドレアはそう揶揄する。この男に限るならば、どんな“知り合い”がいたところで驚くに値しない。

「……えー、白い鴉なんて知り合いは、いなかったはずだけどなぁ」

 アンドレアは、ドニが僅かに考える仕草をしながら、答えたことを見逃さなかった。まさか、似たような知り合いならいるというのか?

 いや、考えまい。この男と長く付き合う秘訣は、深く考えないことに尽きる。

 ともあれ、さっきのドニの言葉に嘘はないだろうと、アンドレアは思っている。

 もちろん、ドニの言葉を信じたからではない。なぜなら、そもそもこの白鴉は生き物ではない(、、、、、、、)

 おそらくは、魔術によって創造された疑似生命体。ホムンクルスの一種だろう。つまりは魔術師の使い魔である。

 それにしても、見れば見るほど精巧な作りである。羽一枚一枚まで繊細に作られた表現力。翼が羽ばたく度に力強く動作する筋肉の躍動感。真に迫ったすべての要素(パーツ)が渾然一体となって、この白鴉をまるで本物の生き物のように見せている。

 アンドレアが正体を看破できたのは、ひとえに卓越した魔術師の直感と洞察力の賜物である。賭けてもいいが、傍らで白鴉を物珍し気に見入ってる馬鹿は、絶対に気づいてないに違いない。

 この白鴉は、もはや魔術による芸術品の域に達している。間違いなく超一流の魔術師の手によるものだろう――

 白鴉に関する考察を済ませたそのとき、アンドレアは脳裏に電流のような閃きが過った。

 疑似生命体の使い魔……そう言えば極東にある、とある国の呪術体系に、即製のホムンクルスの生成に特化した術式がありはしなかったか。

 そうだ。たしかその術式の名は――式神。その呪術体系の総称は――陰陽術。その呪術が発展している国の名は――日本。

 そこは、剣術と呪術を極めた八人目のカンピオーネが坐する地!

「――ドニ! その鳥は危険……」

 アンドレアの警告の声は、だが少しばかり遅すぎたようだ。

 ドニが見守る中、白鴉はまるで燃えるように赤く輝くや、瞬時に輪郭を歪ませて、赤い刀身へと形を変えて、彼の額へと突き込んだ。

 衝撃のあまり首をのけ反らせるドニ。それは二重の意味であり得ない光景だった。

 対魔力に優れたカンピオーネが、外部干渉による直接的な魔術攻撃を受け付けたことも驚きであるが――、

「ああー、びっくりした」

 幾何学的な紋様を浮かんだ額をごしごしと撫ですさりながら、ドニは驚きの声を発する。

 ――何よりもそれを防ぎきるのに、あの“剣の王”が『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』の権能を使わざるを得なかった事実が信じられない!

 流石にドニに攻撃を入れた瞬間、術式は崩壊して赤い刀身は四散したものの、先の魔術は大騎士たるアンドレア・リベラをして瞠目するほどの驚愕の手並みであった。

 まごうかたなき、陰陽術の妙技というところだろう。

(火剋金――火は金を溶かす、だったか)

 『鋼の加護』を宿したドニの肉体は、必定、常時強い金気を帯びている。そこに火気を含んだ刀身型の式神を生成してぶつければ、なるほど、ただ闇雲に魔術を叩きつけるよりは、よほどダメージが見込めるかもしれない。

 つまり、さっきのは対ドニ用にアレンジされた攻性呪術。その現実に、アンドレアは暗澹たる思いに囚われる。

 現在のナポリにその東洋の呪術を行使でき、かつ“剣の王”に戦いを吹っ掛けてもおかしくない人物など一人しかいない。

 そして――

「やぁ、来たね。待ちくたびれたよ、宗一郎!」

 アンドレアは、純白の呪術装束を身に纏い、総身に甚大な殺意を滾らせた、一人の少年を見咎めた。

 

 

                 †          ☯

 

 

 太陽が中天に昇った昼のナポリの繁華街をそぞろ歩きながら、草薙護堂は開放感に胸一杯になった。

「あ~、やっぱり自由って素晴らしいな!」

 両腕を天に突き上げて盛大に伸びをする。

 ついさっきまで、窮屈な病院暮らしを強いられてきた護堂としては、自由を満喫できるこの瞬間が嬉しくてたまらない。寝たきりよりも動いている方が性に合っているせいだろう。

「何を大袈裟な。病院に担ぎ込まれてから、せいぜい半日くらいしかいなかったでしょう」

 そんな護堂の傍らで、エリカ・ブランデッリは呆れたような眼差しを送ってくる。

 護堂がペルセウスに負わされたダメージは、間違いなく重傷であったものの、カンピオーネの生命力はその傷を僅か半日足らずで治癒してしまった。

 治癒魔術の助けを借りたとはいえ、そのデタラメぶりには、我がことながら呆れるしかない。どうやら自分は本格的に人間を辞めつつあるらしい。

「草薙さん、まだ病み上がりなのですから、ご無理は禁物ですよ」

 万里谷裕理も苦言を呈してくる。

「解っているさ、万里谷。それに俺だって昨日の今日で何かをする気なんておきないぞ」

 あっさりとそう答えた護堂に、本当かしらと言わんばかりに疑わし気な眼差しで見てくる女二人。

 護堂は背中に冷や汗を掻きながら、努めてそれを無視した。少なくない「前科」のせいで、さしもの護堂も強くは出られないのだ。ここは戦略的撤退を決め込む。

「……まぁいいわ。それで護堂、今後の予定はどうするつもりかしら。やっぱりこのまま日本に返る?」

 どうやら見逃してもらえるらしい。ほっと安堵しつつ護堂は、質問に答えた。

「いいや、そんなつもりはないぞ。まだ夏休みは余っているんだ。せっかく外国に来たんだから、目一杯まで遊ぶつもりだ」

「流石は護堂ね。あんな事があった後なのだから、ここは故郷に帰ってゆっくり静養する、というのが普通でしょうに……」

 エリカは、呆れ半分感心半分の面持ちで護堂を見つめた。裕理の方といえば……こちらは完全に呆れていた。

「そうか?」

 そんなに変なことだろうか? 護堂からすればごく普通のことを言ったつもりだったのだが……

 それにもし仮に日本に帰ったとしても、護堂の場合はゆっくり静養できるという保証など何処にもない。これまでも日本にいたところで、勝手に厄介事の方から来襲してきたのだから。

 あらためて思うと何だか悲しくなってくる護堂だった。

「それでは草薙さん、このままナポリで残りの夏休みを過ごされるおつもりですか?」

 問いかけてくる裕理に、護堂はかぶりを振った。

「いいや、そのつもりはないさ。アテナの方は、しばらくの間はちょっかいをかけてはこないだろうけど。このナポリには、神無月の奴がまだいるんだからな。出来る限り連中とは離れて行動するつもりだ」

 過去、同族と遭遇した結果、引き起こされた惨状に思いを馳せれば、当然すぎる配慮だった。

「そうね。たしかにそれがベストな判断でしょうね。……それで何処に行くつもりなのかしら。考えはあるの、護堂?」

 エリカも同感だったのか納得してくれた。

「……一応、サルデーニャ島に戻ろうと思っている」

 そして、あの年齢不詳のグラマラスな美女に、一言文句を言ってやるつもりだった。どうせ相手は何の痛痒も感じはするまいが。

 どうやらエリカは護堂の心中を見抜いたらしい。無駄なことを、と呆れられてしまった。

 ばつの悪い気分で頭を掻いていると護堂は、そのとき人混みの中から見知った銀髪の小柄な人影を見出した、

「あれ……ひょっとして、リリアナさんか?」

 呟きを聞きとがめたエリカは、護堂の視線を追いかけて目的の人物を見つけ出す。

「あら、本当。たしかにリリィね」

 どういうわけか、遠目にも彼女は相当焦っているように見える。何かを探しているのか、きょろきょろと四方に目をやっている。ところどころ「本当にこちらの方角であっているのか、……耶!」と荒げた声が聞こえてくる。

「……また何かあったのでしょうか?」

 不安げな口調で裕理が呟く。

 無理もない。あの銀髪の女騎士は、ここ欧州においてはエリカにも匹敵する天才だ。その彼女が我を忘れている。何かとんでもないことが起きた可能性は充分にあった。

「本人に訊いてみれば解ることでしょう。護堂、構わないかしら?」

「ああ、ぜんぜん良いさ」

 律儀に主の許可を取ってくる赤い騎士に向かって、護堂は当然だとばかりに頷いた。

 あの女騎士には、つい先月の際には、裕理を助けるために尽力してくれた。のみならず、ここナポリでも大変お世話になってしまった。

 なのに、護堂はろくに礼もしていないのだ。この辺りで少しでも借りを返しておかなければ、男が廃るというものである。

 護堂は念のために裕理を一瞥すると、媛巫女は顔を強張らせながらも頷いた。

 意思を共有した三人は、人混みをかき分けて銀髪の騎士の許へと足早に近寄る。ところが、流石はエリカに匹敵する騎士である。彼女は自身に接近する気配に気づいたらしい。

 護堂たちが声をかけるのに先んじて、リリアナは三人を見て驚きと焦りの声を上げる。

「エリカに万里谷裕理、それに草薙護堂! ――まさか彼女は彼の許ではなく、最初からこのために……っ!?」

「リリィ、どうやら余程のことがあったみたいね。それで一体何があったのかしら?」

 目を細めて旧友を醒めた眼差しで見遣るエリカに、護堂は驚いた。

 そこには以前見た、からかいながらも古なじみ故に懐いていた、彼女に対しての親しみは一切なかった。むしろ今のエリカは、銀髪の騎士を明確な「敵」として見ているかのような態度である。

 そんな赤い騎士の様子にいち早く気づいたリリアナは、旧友(エリカ)を一瞥するなり無言で睨みつける。

 赤と青の騎士は、ともに揺るがぬ意志を込めた視線を交差させた。

「……そう、やっぱりあなたは、そっち側(、、、、)についたというわけね、リリィ」

「ああ、その通りだ」

 どうやら二人にとって、互いの近況を把握するのに、それのみで事足りたらしいが、何のことかまったく解らない護堂と裕理は、いきなり険悪な雰囲気になったエリカとリリアナに唖然とするしかない。

 少なくとも護堂と裕理にとって、この二人は何だかんだで仲の良い「親友同士」だと認識していたために、唐突なこの展開についていけなかった。

(本当に一体なにがあったんだ?)

 しきりに首をかしげる護堂とは裏腹に、裕理の方はしばらくして「まさか……」と口元に手を当てて驚愕に目を見開いてリリアナを見つめた。

「ふふ、なるほど、これが宿命のライバル同士の対決というものですか。熱血に青春! 正直に言ってお二人が羨ましく思います」

 何処からともなく響いてくる愉し気な声とともに、青い騎士の傍に白い人影が現れた。

 驚きと共に見入る護堂と裕理。そして、警戒に身構えるエリカとリリアナ。この場に居合わせる全員が、その人物の正体を知っていた。

「神無月佐久耶、戯れ言を言うな! それより、あなたはまたしてもわたしを謀ったな!」

 真っ先に彼女に目を向けた途端、激昂して詰め寄るリリアナに、はて何の事でしょう、と言わんばかりに白々しくとぼける佐久耶。

「決まっているだろう! わたしを『主』の許ではなく、草薙護堂のところへと導いたことだっ!」

「ああ、そのことですか。それなら、これこそがリリアナさまのご希望に叶うものと判断したからです」

「ふざけるな、これの何処がわたしの希望だというのだ!」

 ますます激昂するリリアナに、だが佐久耶はまったく意に返した風もなく微笑みを浮かべたまま先を続ける。

「もちろん、リリアナさまの希望ですとも! では、伺いますがリリアナさまは、我が兄とサルバトーレさまの決闘を本気でお止めしたいのでしょう?」

「無論だ……!」

 護堂たちを完全に蚊帳の外に追いやったまま、会話なのか、口喧嘩なのか判断しかねる行為を続けるリリアナと佐久耶。

 だが護堂たちは、神無月の巫女の台詞に到底捨て置けない言葉を聞きとがめて、揃って息を呑む。

「神無月とドニが決闘するってのか!?」

「まったく呆れるほど闘争心の旺盛な方々ね!」

「そ、そんなまさか、ここナポリで……っ!」

 そんな護堂たちに気がついたのか、リリアナは苦り切った面持ちで顔を向けてくる。

 その表情で何となく護堂は、この青い騎士がその情報を自分たちに知られたくなかったのだと察した。

 リリアナはしばし悩んだ末に護堂に訊ねた。

「……草薙護堂、つかぬことをお聞きしますが、今後の御身のご予定などをお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「え、これからの予定? それはまぁ、さっきまではサルデーニャ島に戻るつもりだったんだけど……」

 唐突な質問に戸惑いながらも護堂は正直に答えた。聞いたリリアナは、ほっと安堵の溜息をつく。

「では、草薙護堂。僭越ながら、今すぐにでもナポリをお立ちになられた方がよろしいかと思われます。きっとこの時期のサルデーニャ島は美しい景色が堪能できるでしょう!」

 リリアナは、いきなりサルデーニャ島の観光大使に就任したかのように、ハイテンションなノリで護堂にナポリを出てサルデーニャ島に赴くことを推し進めてくる。

「……」

 往々にして察しの悪い護堂であったとしても、この青い騎士が彼女なりに言葉を弄して、自分をナポリから追い出したいということが、切々と伝わってくる。……それも何というか痛ましいほどに。

 とはいえ正直な話、護堂としてはもう少しオブラートに包んで表現して欲しかった、というのが本心であった。人間、あまりストレートに物を言われると、流石に傷つくものである。

「な、なんだ! なぜあなたたちは、そんな憐れむような眼でわたしを見る!」

 どうやら護堂だけでなく、他の女性陣全員が同じ想いであったらしい。皆一致団結して生温かい視線でリリアナを凝視する。

「はぁ……リリィ、あなたはもう一度、一から弁論術を学び直した方がいいみたいね。護堂に限らず人を思い通りに誘導したいのなら、事前に会話の流れを予測して、それに適した言葉を選ばないと不可能よ?」

「だ、黙れ、エリカ! もうわたしは、あなたの指図は受けないぞ!」

 先刻までの険悪な雰囲気が嘘のように、彼女たちは幼馴染の頃の気安さをみせ始める。そうしたエリカとリリアナをもう少しばかり見てみたかったものの、護堂は会話の方向を軌道修正する。

「それで一体どういう事情で、あいつら――神無月とドニは決闘する話になったんだ?」

 そう問いかける護堂に、リリアナと佐久耶は視線を交し合う。

 一瞬のうちの何らかの合意に達したのか、リリアナが一つ頷くと、護堂を見据えて口を開いた。

「草薙護堂、すでにご存じのことだと思われますが、御身がまつろわぬペルセウスを撃破したように、神無月宗一郎もまた、まつろわぬヘラの撃退に成功しました」

 たしかにその話なら、エリカから報告を受けていた。

 まつろわぬヘラ。その威名と波止場の折に垣間見た圧倒的な神力。間違いなくアテナにも匹敵する存在だろう。

 神無月宗一郎はその女神を撃退した。――そう、あくまで撃退である。撃破ではない。

 だがそれは、別段珍しい話ではなかった。ともにゴキブリ以上の生命力と生存力を有するカンピオーネと『まつろわぬ神』の戦いは、そう簡単に決着がつくものではないからだ。

 実際、護堂とてペルセウスを撃破したのではなく、撃退したに過ぎないのだから。

「ああ、そこまでは知っているよ。でもその話が、何で神無月とドニの決闘に発展するんだ?」

 そもそも聞いた話では、昨夜までイタリアの魔術界の盟主サルバトーレ・ドニは、行方不明だったはずである。なのに、なぜそんな展開になるのか?

「その事についてですが……」

 青い騎士が顔を曇らせつつも、その理由を説明してくれた。

 彼女の話によると、神無月宗一郎がヘラを撃退した後、当のヘラが逃走したちょうどその場所に、サルバトーレ・ドニが居合わせたらしい。

 それが、ドニの天文学的確率を引き当てる強運によるものか、未来予知に等しい直感の成せる業なのかまでは不明である。

 しかし、たしかな事実として“剣の王”は、そこにいた。そして、まつろわぬヘラを斬殺するに至った――とのことである。

「……」

 説明をすべて聞き終えた護堂たちは、重たい沈黙に包まれた。

 なるほど、決闘騒動にまで発展するわけである。横から無断で敵を掻っ攫われては、カンピオーネ随一の平和主義を唱える護堂だって、あまりいい気はしない。

「サルバトーレ卿は、四年前のヴォバン侯爵のときと同じことを、またやらかしたわけね」

 うんざりした口調でエリカが発言し、同じようにうんざりした顔つきでリリアナがそれを補足する。

「正確には少し違うだろうな。前回の卿の目的は侯爵が招来した『まつろわぬ神』だったはずだ。しかし、今回のケースは、むしろ神無月宗一郎に対する挑発が目的だろう」

 そういう事情なら、むしろ護堂の場合と被るかもしれない。

 今から数か月前サルバトーレ・ドニは、護堂と決闘を行うため、事実上エリカを人質に取ることで護堂の闘争心に火を灯し、まったく決闘に乗り気ではなかった当時の護堂を強引に決闘場へと登らせたことがある。

 どうやらドニの馬鹿は、相棒(エリカ)を取ることで護堂の闘争心に火を灯したように、女神(えもの)を獲ることで宗一郎の闘争心に火を灯したようだ。相変わらず、妙なところで知恵の回る男である。

 リリアナはこほん、と可愛らしい咳払い一つして話を総括しようとした。

「草薙護堂、そういった事情なので一刻も早くナポリを離れ――」

「リリアナさん、悪いけどそれは出来ない」

 断固とした口調で、護堂はリリアナの言葉を遮った。

 「はぁ」と天を仰ぐエリカ。「やはり」と俯いて小さく呟く裕理。瞳を輝かせて熱く護堂を見つめる佐久耶。そして、絶望のあまり顔つきをますます曇らせるリリアナ。

「……ちなみに、『なぜ』とお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あのはた迷惑な連中を止めるのは、もう俺の義務みたいなものだからだよ」

 そうだ。あの我がままな王様気取りの奴らには、人様に迷惑をかけるのが、どれ程罪深い行為なのか誰かが言ってやる必要がある。そして、この場で今それが出来るのは、同じ『王』と呼ばれる自分以外にはあり得ない。

 ならば、後は考えるまでもない。いざ征かん――馬鹿どもを止めるために!

 

 

 その後、佐久耶から魔王二人の居所を教えられた護堂は、自分に付き従う二人の乙女たちとともに、一路、ガリバルディ広場へと向かった。

 その彼らの遠ざかる後姿を見送りながら、リリアナは皮肉に口元を歪めながら呟く。

「これで何から何まであなたの思惑通りというわけだな、神無月佐久耶」

「さっきも言いましたが、わたくしはただ兄さまとサルバトーレさまの決闘をお止めしたいという、リリアナさまのご希望を叶えて差し上げただけですよ」

 リリアナの非難を、さも心外だとばかりに一蹴する佐久耶。

「それが、わたしをガリバルディ広場へと導かず、草薙護堂の許へと誘った理由だと?」

「はい、その通りです。兄さまとサルバトーレさまの決闘を止める――それを唯一叶え得るかもしれない御力をもつ草薙さまの許へ!」

 にこにこと、まるでいい仕事をしたと言わんばかりに微笑みながら佐久耶は嘯いた。

 そんなわけあるか! 草薙護堂が赴いたところで、どうせ魔王三人でまたぞろ馬鹿騒ぎ(バトルロイヤル)を始めるに決まっている……

 そんな言葉が喉元から出かかったが、すぐに飲み込んだ。非難なぞ無意味である。なぜなら、この女狐はすべてを承知の上での行動なのだから。

「神無月佐久耶、以前から思っていたのが、あなたは神無月宗一郎の行動を諌めるつつも、時にはその無軌道を煽るような行動を取る。一体どちらが本心なのだ?」

「ああ、そのことですか。――リリアナさま、わたくしは兄さまが自分の目の届かない場所で愉しそうなことをするのが堪らなく嫌なだけです」

 神無月の巫女は実に清楚で清らかな笑みを溢しつつ、そうのたまった。

 つまり、今まで彼女の無軌道に暴れる兄を諌める言葉の数々の裏には、自分のいない間に好き勝手に暴れるんじゃない。見物できなかっただろうが!――という意味が込められていたと?

 この女、最低だ! ぜんぜんまったく微塵も大和撫子ではない。というか、あのエリカ同様の完全な快楽主義者ではないか。

 仰ぐ御旗を同じくしなかったが故に、赤い女狐とは決別を果たしたというのに、まさかその新たな地で白い女狐に深く関わってしまう、どこまでも不幸なリリアナであった。

 

 

               †          ☯

 

 

 舞台は戻って、再度ガリバルディ広場――

「やぁ、来たね。待ちくたびれたよ、宗一郎!」

 金髪の青年のどこまでも能天気な口調に、神無月宗一郎は激しく苛立つ。

 怒りが溢れる。殺意が抑えられない。いや、そもそもどうして抑える必要がある? この許されざる大罪人相手に!

「一つ訊きます――サルバトーレ・ドニ。どうしてあんなことをしたんですか?」

 低く感情を押し殺した声色ながらも、対峙する者には、その宗一郎の秘めた殺意のほどは一目瞭然だったのだろう。

 感極まったかのような極上の笑みを浮かべて“剣の王”は――

「君にそういう殺意()をして、僕を見て欲しかったからさ!」

 ――そう放言した。

 刹那、宗一郎は背に負った鞘から長刀を抜き放つ。それと同時に、ドニもまた肩にかけた黒いケースを投げ捨てて、抜き身の長剣を閃かす。

 互いに得物を構えて対峙する宗一郎とドニ。向かい合う両者の殺意と闘気は、瞬く間に広場の空間を支配した。

 最初通行人たちは、突然、前時代的な武器を携えた黒髪の少年と金髪の青年を、ぽかんと呆けたように見つめるだけであった。しかし、二人の剣士から放射される殺気は、彼らの原始的な本能を刺激したのだろう。蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

 あっという間に人通りが絶えた無人の広場にて、尚も変わらず対峙する宗一郎とドニ。

 凍える殺意を湛えた黒眼と熱波の如き熱い闘気を宿した碧眼が交差する。もはや交し合う言葉などありはしない。両者ともに後は敵を斬り捨てるのみと思い定めている。

 飽和する殺意と闘気はついに臨界に達して、弾け飛ぼうとした刹那――

 

 

「おまえら、いい加減にしろよ……!」

 

 

 宗一郎とドニは声の発生源に視線を向けた途端、少年は不審げに眉根を寄せて、青年は歓喜に顔を綻ばせた。

「護堂、君も来てくれたんだね! 流石は僕の親友だ」

「ふざけんな。誰が親友だ、この馬鹿!」

 咄嗟に言い返した護堂だったものの、とはいえ今はそんなことを言っていられる状況ではない。護堂は剣を手にした二人を睨みつけながら詰め寄ると、早速口を開いた。

「こんな事はもうやめろ! お前らの中には、人様の前で真剣でのチャンバラ勝負をしてはいけない、って言う最低限の常識すらないのかよ!」

 護堂の抗議の声を、だが宗一郎はきっぱりと無視して、先刻から懐いている疑問をドニへと投げかける。

「草薙さんが親友……?」

「そう、強敵と書いて『親友(とも)』」と呼ぶ。僕と護堂はそういう関係さ! でも安心していいよ、宗一郎。僕と君だってもう立派な親友だよ」

 恍惚な笑みを浮かべて、ドニはそう言い放った。きっと彼は“親友”が増えて嬉しいのだろう。

 とはいえ、宗一郎はドニの言葉の後半部分をきっぱりと聞き流して、護堂に何かを探るような眼差しを向けた。

「待て、神無月! 信じるなよ、ドニの奴が適当に言っているだけで、俺とあいつは親友でもなんでもないからな!」

 なぜか必死に弁解を始める護堂だったが、このとき彼は、決定的に宗一郎の視線の意味を勘違いしていた。

親友(トモ)と書いて親友(グル)と呼ぶ。つまり草薙さん――あなたもまた彼同様、僕の女神を奪った卑劣な男というわけですか.……っ!」

 屈辱に身を震わせながら、宗一郎はまるで血を吐くように慟哭する。

「は……? ちょっと待ってくれ。神無月、お前は色々勘違いしている上に、ルビの振り方を致命的なまでに間違えているぞ!」

「何を訳の分からないことをっ。この卑劣漢どもめ!」

「卑劣漢……!? ――違う、だから俺は無関係だ!」

 宗一郎のあんまりな勘違い具合に、護堂は目を剥いて断固抗議する。が、その声は当然、宗一郎には届かない。

「あなたが本当に無関係だと言うのなら、この場に現れる必要などないはずでしょう。ですが、あなたはこの場に来た。それは何故ですか?」

 冷ややかな眼差しで護堂を見据えて問いかけてくる宗一郎に、当の護堂は我が意を得たとばかりに自信満々な面持ちで口を開く。

「俺がここに来たのは、お前らの争いを止めるためだ」

僕たちの争いを止める(、、、、、、、、、、)……ですか」

 目を細めて宗一郎は剣呑な雰囲気を纏わせて呟いた。が、護堂はそれに気づくことなく説得を続ける。

「ああ、そうだ。だから、こんな馬鹿なことは今すぐにやめろ!」

「ええ――構いませんよ」

「え……?」

 まさか、自身の提案がそんなにあっさりと肯定されるとは思わず、護堂は面食らう。

「草薙さん、何を不思議そうな顔をしているんですか? 僕たちの争いを止めるなんて、実に簡単なことじゃないですか」

「……それじゃあ、神無月。ドニと戦うのは止めるんだな?」

 何か不穏な気配を感じて、咄嗟に護堂は身構えた。

「ふふ――もう一度聞きますが、草薙さんは僕たちの争いを止めたいんですよね?」

「ああ、そうだ」

 護堂はきっぱりと言い切る。そんな彼を見据えながら、宗一郎はうっすらと微笑み、宣告した。

「ならば、話は簡単です。草薙さん、僕に黙って斬られなさい」

「なんでそうなる! お前、ちゃんと俺の話を聞いていたのかよ!」

 吼える護堂に、宗一郎はさも心外だとばかりに眉を顰める。

「もちろん、聞いていましたよ。僕たちの争いを止めるとは、つまりは、僕と草薙さんの戦いを止めるということ。即ち――あなたが今すぐ僕に斬られれば、争いは終わります」

 何か間違っていますか? そう言って、宗一郎はますます冷たい微笑を深くする。

「間違いだらけだ。なんだ、そのデタラメな三段論法は! それに俺が言っている争いは、お前とドニのことだよ!」

 あー、話がまったく通じないと、護堂は頭を掻き毟る。

「ハハハハハッ、確かにそれなら戦いはすぐに終わりそうだね。でも護堂、頼むからそんなつまらない死に方はしないでくれよ」

「するわけないだろう!」

 大笑するドニに、怒る護堂。自身の提案が受け入れられそうにないと悟り、残念がる宗一郎。

「では、仕方ありません。あなた方二人とも、僕がまとめて殺して差し上げます」

 宗一郎は刀身に火炎を宿させて、

「はは、そうこなくちゃね。さあ、二人とも熱く激しく戦い合おう!」

 ドニは長剣を白銀に染めて、

「……くそっ、結局こうなるのか。でもいくら俺だって、黙って殺されてやるつもりはないからな!」

 護堂は大猪の召喚に入る。

 

 

 かくして、愚者たちの饗宴は始まった。古都ナポリの悪夢は、いまだ覚める気配をみせない。

 


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