神殺しの刃   作:musa

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一話 幸運な一人&不幸な二人

 昼頃に魔女たちと連れ立って歩いたナポリの地下遺跡を、サルバトーレ・ドニは夜間に独り闊歩していた。

 地下空間は、薄気味悪いほどの静謐さを湛えていた。

 すぐ直上の街の喧騒が微塵も響いてこない。無音である。静寂である。この地下遺跡は外界と完全に隔絶した、一種の異界と化しているのではないか。訪れるもの悉くに、そんな馬鹿げた疑念を懐かせるほど、この空間は一切の人間を拒絶していた。

 だが、そんな真っ当な感受性など元来陽気過ぎる青年であるドニにとっては無縁の代物だ。それどころか、今夜はいつにも増して、屈託のない笑顔を浮かべていた。

 とはいえ、そんなドニであるが、最近まで退屈を持て余していた。それはここ数か月ばかり闘争の場から遠ざかっていたからだ。

 これはドニ自身の自業自得も絡んでいるのだが、どうしても、フラストレーションが溜まっていくのは止められなかった。

 サルバトーレ・ドニは、カンピオーネである。

 神を殺してその聖なる王権を簒奪した魔王である。

 魔術師たちから“剣の王”と称されるドニにとって、神々との闘争は剣の道を窮めるための手段だ。

 もはや自己鍛錬だけでは、ドニの超人的な剣の技量を維持するだけで限界なのだ。

 故に、ドニがそれ以上の境地に至らんと欲するならば、彼に匹敵するかそれ以上の強敵たちとの実戦以外にあり得ない。

 そう、師に諭されてから、ドニは忠実にその教えを実行に移してきた。現在の行動もまた例外ではない。

 今日の昼に魔女たちと下見をしたこの地下遺跡の最奥には、大地母神の神具であるヘライオンが安置されていた。

 ヘライオンとは、ギリシアの女神ヘラの聖なる印のことである。

 ギリシア神話での女神ヘラの役割は、神王ゼウスの妻だ。だが、この女神はもともとペロポネソス半島の地母神だった。そこにゼウスの原型となる天空神を崇めるインド・ヨーロッパ族系騎馬民族が侵入し、征服者となる。以後、ヘラはゼウスに従属する女神とされたのである。

 ここまでが昼に魔女たちから聞かされた話であった。とはいえ、ドニは神話学に関心はない。どうせこの知識も明日の朝には忘れているだろう。

 だから、ドニが覚えておく必要があるのは、女神ヘラがギリシアの戦女神アテナに匹敵するほどの古い地母神であることであり、ゴルゴネイオンが女神アテナを引き寄せたように、ヘライオンもまた――女神ヘラを招き寄せる可能性があるという知識のみ、である。

 それ以上の知識など必要ないし、そもそも要らない。

 女神アテナは“親友”草薙護堂に譲りはしたが、今回ばかりは誰にも渡さない。そう強くドニは決意していた。

 もちろん、神具とはいえ必ずしも『まつろわぬ神』を招き寄せるとは限らないことは、ドニでも知っていた。が、ドニの直感は今夜戦いの気配があることを鋭敏に察知していた。

 ドニは自らの勘に絶大な信頼を寄せていた。故に、戦いは必ずある。

 問題は敵が「何者」であるか、である。

 ドニ程度の頭で予測出来るのは、やはり昼間に見せられた神具ヘライオン所縁ある神々のみであるが、彼はその事に多少興味を持ったものの、それ以後一切気にしなかった。

 この“剣の王”にとっては、歯ごたえのある敵と戦えるだけで充分なのだ。

 故に、わざわざ神々の出自など考える必要はないし、それどころか戦う相手が神である必要すらない。

 そう、たとえ剣の向く先が同族であるカンピオーネであったとしても、技の冴えが鈍ることなどなく、それどころか嬉々として振りぬくのだ。

 それがサルバトーレ・ドニという剣士、いや“剣鬼”の本性なのだから。

 そうこうする内に、ドニは地下遺跡の最深部に足を踏み入れた。

 黒曜石に似た、美しく光沢のある黒い石材で造られた円柱(オベリスク)。古代の採掘場だった遺跡に存在するその円柱が、明らかに人造物ではないことは一目瞭然だった。

 それは黒い円柱は何者かがこの遺跡の最奥に据え置いたのではなく、まるで樹木のように床面から生え伸びていたからだ。

 表面にびっしりと刻まれている、とぐろ巻く大蛇の絵画は、稚拙ながら何処か神秘的だ。そして、昼に見た時とは変わらず、滔々と神力を垂れ流している。

 だが、ドニはそんなこと(、、、、、)には、まったく気にも留めなかった。

 ドニが注目したのはただ一点。昼の地下遺跡には存在していなかった筈の異常。黒い円柱の前に佇む白い戦装束を身に纏い、背に優美な長刀を背負った人物のみだった。

 ()はドニの気配に気がついたのか、ゆっくりと振り向いてくる。

 我知らず“剣の王”の口元に昏い笑みが刻まれる。

 

 

 失態だった。地下遺跡の階段を全力で駆け降りながら、リリアナ・クラニチャールは胸中で毒ついた。

 事の始まりは《青銅黒十字》に所属するナポリ在住の魔女から、ある要請を受けたリリアナが、イタリアの魔術界の盟主であるサルバトーレ・ドニに、急遽嘆願を申し立てたことから端を発する。

 それは幸い直ぐに受け入れられ、今日のいや――もう昨日になるのか――昼のナポリで彼と顔を合わせることに成功した。

 そこで突然呪力を蓄えだしたヘライオンの件について相談するため、この地下遺跡の最奥まで彼を案内したものの、結局のところ、対応についてその場で上手いアイデアが出ずにまた明日、という感じで流れたのだが、その帰り道にてドニから不穏な気配を察したリリアナはある決意を固めていた。

 それは来たるべきドニの来襲に備え、地下遺跡の入り口付近においてリリアナ自身が寝ずの番を敢行することであった。

 だが、深夜0時過ぎにいったん小休止を取るため喫茶店(バール)に赴いたのが不味かったようだ。

 サンタ・ルチア地区。

 ナポリ湾に面し、サンタ・ルチア港や卵城などの観光名所を擁する区画。その片隅にある古着屋に地下遺跡の入り口は隠されていた。

 どうやらドニはその古着屋の施錠してあった筈の鍵を器用にこじ開けて、店内に侵入、店主であるでっぷりと太った魔女が気絶させ、地下遺跡に侵入してしまったようである。

 リリアナとは完全に入れ違ってしまったのだ。

 彼女の計画では、古着屋の前でドニを捕まえて、説得する手筈だった。深夜とはいえ、まだこの界隈から人通りが途絶えたわけではない。いかに彼といえども無茶な真似はするまいという読みだったのだが……

 結果は見事に失敗した。こんなことになるのなら、彼の行動をある程度とはいえ制御できる唯一の人、アンドレア卿に連絡を取って協力を乞うべきだった。

 あらためて胸中で臍噛むリリアナであったが、走る速度をまったく緩めることなく薄暗い階段を駆け抜けていくと、派手な柄のシャツに黒いケースを肩にかけた金髪の青年の背中を発見した。

 見つけた! 間違いなくサルバトーレ・ドニだ。

 リリアナはほっと安堵の吐息をついた。

 彼がまだ黒いケースを持っているということは、昼に話していたヘライオンを斬る、などという馬鹿げた計画はまだ実行に移してはいないらしい。

 もっともそれは時間の問題かもしれないが、これは最後のチャンスだろう。

 自分のミスで二千数百年にも及ぶ古都ナポリの繁栄を終わらせるわけにはいかないのだと、意気込むリリアナの視界にドニの奥、ヘライオンの石柱の前に立つ白装束を身に纏った少年の姿を見咎めて、騎士は比喩ではなく魂から凍り付いた。

 事実、リリアナの両足は彼らから数メートル後方で完全に凍り付いたかのように動きを止めてしまった。

 静かに向かい合う金髪の青年と黒髪の少年。

 リリアナにとってソレは受け入れがたい、悪夢の如き光景だった。本来こんなところで出会う筈のない二人。

 この地上で最も強大な力を有する八人(、、)の超人たち。

 魔王、ラークシャサ、デイモン、混沌王、そしてここイタリアでの呼び名はカンピオーネ!

 まるで世界全体が凍り付いたかのようにピクリとも動かない三人。リリアナには永遠にも思えたのだが、当然、そんな筈もなく、ほんの刹那の出来事に過ぎなかったのだろう。

 最初に動いたのは白装束の少年――神無月宗一郎だ。

 典雅な美貌を少し傾け、金髪の青年を超えてその背後、リリアナに視線を向けた。

「おや、そこに居られるのは、リリアナさんではないですか。お久しぶりです。こんな処でお会いするとは、驚きました」

 本当に驚いたとばかりに目を瞬かせる宗一郎。

 それに反応したのかドニも、肩ごしにちらりとリリアナを見やる。

「やあ、リリアナ・クラニチャール。どうして君がここにいるのか解らないけど……どうやら君は彼が何者か知っているみたいだね?」

 口元はへらへらと笑いながらも、瞳には有無を言わせぬ昏い光が灯っていた。

 リリアナはそれを見て背筋を凍らせる。その瞳には決して虚言は許さぬ、と語っていた。

「は……っ! おそらく察しておられると思いますが、彼の名は神無月宗一郎。サルバトーレ卿の同族の方。即ち八人目のカンピオーネであらせます」

「へえー、やっぱりね! そうじゃないかと思っていたんだ。立ち姿からしてただ者じゃなかったし、それにアンドレアから聞いていた通りの容姿だったからね」

 そう言って、ドニは黒い円筒型ケースに手をかけた。

 蓋を開け、中の得物を鞘ごと取り出し、ケースは投げ捨てる。そして、右側から円を描くようにゆっくりと歩を進めた。

 宗一郎もそれに応じてドニを必ず正面に捉えるようにして後退していく。

 目の前の金髪の青年から「何か」を感じ取ったのだろう。鞘越しとはいえ剣を持つドニを容易に近寄らせない。

 やがて二人は黒い円柱を中心に、その少し前の位置にて、五メートルの距離で対峙する。

 自分の位置が定まったことに満足したのか、ドニは鞘から剣を抜き、これまた鞘を地面に投げ捨てた。

「サ、サルバトーレ卿! 何のおつもりですか!?」

 ここでようやくリリアナは声を張り上げた。

 そう言うもののリリアナには、彼が何をするのかはっきりと解っていた。

「何って、それはもちろん決闘だよ。僕の勘が言っているんだ。彼と戦うのはきっと最高に愉しいんだってね!」

 あっさりと物騒なことを陽気に言いながら、ドニは剣を持つ右手をぶらりと下げる。

 力のない構え。だが知る人ぞ知る、この構えこそが、あの剣鬼正調。

 宗一郎はその構えに、明確な危険を見出したのか、警戒するように漆黒の瞳をすっと細める。

「くっ」

 もはや自分の言葉では止められぬ悟り、歯噛みするリリアナ。

 こうなった“剣の王”は目的を遂げるまで誰にも止められないと解っているが、ナポリの地下、それも神具の間近でカンピオーネ同士の決闘など、断じてやらせる訳にはいかない!

 火薬庫の中で火遊びをするようなものである。正気の沙汰ではない。まさに狂気の所業だ。しかし、リリアナに止める手段はない。

 実力行使? まさか論外だ。一瞬で叩き出されて終わるだけである。他に何かないか? 何かもっといい手が……

 だが――

「……何やら僕を蚊帳の外に置いて話を進めているようですが、そもそも僕はその決闘とやらに応じるつもりはありませんよ? えっと――」

 リリアナの助け舟は、まったく彼女の期待していなかった方角から飛来した。

 宗一郎は最後に少し言い淀みながらドニを見る。

 そして、リリアナは気づいた。おそらく、宗一郎は今にも自身に襲いかかりそうな風情である、金髪の青年の名前を知らないのだ。

 積極的に同族の調査をするような几帳面な性格ではない以上、それは当然といえば当然のことであった。

 どうやら神無月佐久耶は不在であるらしい。ならば、現在それを教える立場にあるのは、リリアナ以外にはいなかった。が、彼女はそれをパニックですっかり失念していた。

「ああ、ごめんごめん。そう言えば自己紹介がまだだったね。僕の名前はサルバトーレ・ドニって言うんだ。よろしくね。……でも、君の方から決闘を断ってくるとは思わなかったな。君は護堂よりはコッチの話が通じ易いと思っていたんだけどな」

 剣を少し持ち上げて、ドニは少し意外そうな表情で宗一郎を凝視する。

「それは、申し訳ありませんでした。これが普段なら受けても構わなかったんですけど、今夜はどうしても外せない用事がありますから、遠慮させていただきました」

 そう言って宗一郎は、晴れやかに――嗤った。

 典雅な美貌をより際立たせる涼しげな微笑。だが、リリアナはその笑顔の中に、尋常ならざる昏さを見咎めて背筋が粟立った。

 アレは狂笑だ。断じて常人が浮かべる貌ではない!

 そして、リリアナは神無月宗一郎がこの地下遺跡に、いや正確にはここナポリにいる真意(、、、、、、、、、、)を悟った。

 そもそも彼が故郷から遠く離れた地に来る理由など、たった一つしかあり得ないではないか!

「ふーん、用事ねえ。ちなみにそれが何なのか聞いてもいいかな? 残念ながら、僕に会いに来てくれたわけじゃあないみたいだけど、すごく興味があるな……」

 宗一郎の狂笑と同質同等の昏さを瞳に宿して、ドニが問いかける。

「ええ、構いません。僕の妹がね、視たらしいんですよ。――この地に『まつろわぬ神』が降臨する予兆を! だからこそ、僕は倒さなければならないんです。彼らを一体残らずにね」

 宗一郎の全身から殺気の嵐が吹き荒れる。

 地下遺跡の深奥の空間が殺意によって塗り潰される。リリアナの身体は寒さで震え上がる。

 物理的に気温が下がったわけではない。ただ若き神殺しが引き起こしている濃密な『死』の気配に身体が反応しているのだ。

 カンピオーネたるドニに、剣先を向けられたにも拘らず、終始無反応だった少年が、まだ見ぬ『敵』の存在に思いを馳せただけでコレである。

 この場所に赴いたのが自分一人でよかったと、リリアナは安堵する。まだ年若い従者がこの殺気に当てられたならば、即座に気を失っていただろう。

 リリアナはドニの方を凝視する。すると彼はまるで新しい玩具を与えられた子供のように、気色満面な笑顔を浮かべ、宗一郎を陶然と見つめている。

 いまのこの場において、世界の法則が逆転した。 

 世界が裏返る。

 世界が崩壊する。

 常人が狂人に堕し、狂人が常人へと還っていく。

 今この空間に置いて、本来常人であったリリアナ・クラニチャールのみが狂人であり、本来狂人であった神無月宗一郎とサルバトーレ・ドニこそが常人なのだ。

 それでもリリアナはこの異常な空間でも正気――いや「狂気」を保ち、宗一郎の言葉に希望を視る。

 『まつろわぬ神』がナポリに降臨するというなら、あるいはこの決闘、流れるかもしれない。無論、『まつろわぬ神』がナポリを来襲するという事態は、到底楽観視できる話ではないが、ナポリの地下でカンピオーネ同士が決闘するよりは遥かにマシだ。

 二人の有する権能を知るリリアナからすれば、もし実際に地下で戦われでもしたなら、冗談抜きで地盤が崩壊してナポリが地面に沈みかねない。

 それならいっそのこと、地上で神と戦ってくれた方が被害は少なくて済むかもしれない。

 とはいえ、その『まつろわぬ神』がここのヘライオンが触媒となってこの地下遺跡で降臨するのであればかなり問題なのだが……

 それはあえて考えないようにする。

 いま重要なのは、この二人がすぐに決闘を取りやめ、さっさとこの地下遺跡から出ていって貰うことだった。

(理想なのはサルバトーレ卿が神無月宗一郎の話を信じて、剣を収めくれることだな。それから二人とも地下遺跡を出て、地上にて『まつろわぬ神』の到来を待つ……)

 自分で考えておいて何だが、そのあまりにも希望的観測が過ぎる願望に、リリアナは眩暈がしてくる。

 だがその「願望」が叶わなければナポリは崩壊しかねない。しかも、それには幾つもの障碍が立ち塞がっている。

 まずは、ドニが『まつろわぬ神』が今夜降臨するという宗一郎の話を信じてくれるかどうか、であるがリリアナはこの件について心配していない。

 カンピオーネという連中は、理屈や論理よりも直感や本能で行動を優先させる生き物だ。特に戦いの気配には敏感だとか。ならば、サルバトーレ・ドニもまた宗一郎の話から戦の臭いを嗅ぎ取るかもしれない。

 果たしてドニは、

「……神さまがナポリにねえ。不思議だね、君が言うのなら本当にそんな気がするよ。うん、僕は信じるよ。神さまがここに来るってね!」

 リリアナの推測通り信じた。

 あまりのあっさり具合に、この展開を予期していた筈のリリアナですら呆気にとられた。本当に信じたのか? 思わずそう疑ってしまうほどの気安さである。

 とはいえ兎にも角にも、これなら決闘は流れるかもしれない。リリアナはますます希望を見出した。

「それはありがとうございます、サルバトーレさん。僕は神を相手にしなければいけませんから、貴方との要件はまた後日ということでお願いします」

「いやだなあ、サルバトーレさんだなんて他人行儀に呼ばないでくれよ、宗一郎。壁を感じちゃうよ。僕と君との仲じゃあないか、ドニでいいよ。でもまあそれは兎も角、ここに現れるっていう神さまだけどさあ――何も君が戦えるとは決まっているわけじゃないだろう?」

「……?」

 何を言われているか解らずに戸惑う宗一郎。

 リリアナも同様だった。一体彼は何を言っているのか。にも拘らず、彼女はイヤな予感がしてたまらない。魔女の直感が、これ以上あの男を語らせるなと、しきりに訴えている。

 だが、そんなことは物理的に不可能だ。故に、ただ無言で聞くしかない。それがリリアナに出来る唯一の事なのだから。

「だって当然じゃないか。この場には君と僕。つまりカンピオーネが二人いる(、、、、、、、、、、、)んだよ。ならその神さまと戦うのは、僕であってもいい筈だよね? だってここは僕のホームグラウンドなんだから、むしろ僕の方が君よりずっとその権利があるはずさ」

 サルバトーレ・ドニはそう嘯いた。

 

 

「……それはつまり、サルバトーレさん。貴方は僕の獲物を奪うつもりだと?」

 

 

 ドニの言葉の意味するところを理解した瞬間、宗一郎の殺気が変化し、膨れ上がる。今まで無法図に垂れ流していた殺意に明確な志向性を与えて――ドニへと注がれる。

 金髪の青年は、それをまるで慈雨を浴びたが如き恍惚の表情で受け入れた。

 さもありなん、それは神無月宗一郎が初めてドニを「敵」と見定めた証なのだから。

「――いいや、だからさあ、それを決闘で決めちゃえばいいんじゃないかな? 君だってこのまま僕を放っておいて折角の神さまとの戦いを邪魔されたくないだろう? 勝った方が神さまと戦える権利を持つってことでどうかな?」

 ここでサルバトーレ・ドニは悪魔(デイモン)の如き奸智を見せた。

 これが狙いだったのか! リリアナは愕然と目を見開く。

 彼は普段間違いなく馬鹿でどうしようない阿呆であるが、ときに恐るべき知恵を巡らすことがある。

 それが今だ。宗一郎との会話から決闘を受け入れられない理由と彼の神と戦うことに関しての並外れた執着を感じ取り、それを奪う、と宣言することで宗一郎の闘争心に火を点けたのだ。自分との決闘を実現するためだけに!

 “剣の王”の行動を論理的に考察すれば、そういうことになるのだろう。

 無論、頭で考えたことではなく、本能で行動した結果だろう。サルバトーレ・ドニという男は、何が自分にとって有利に働くのか感覚的に理解しているのだ。

 そして、神と戦う権利を得るため、などと嘯いて決闘を持ちかけているが、それは必ずしも真実とはいえまい。

 勿論、彼は宗一郎との決闘に勝利したのなら、いずれ顕れるだろう神に嬉々として向かって行くに違いない。が、いまドニが何より優先するのは宗一郎との決闘の筈だ。

 ドニは宗一郎と違い、戦う相手が神である必要がない。そんな勿体ないことなどしない。

 同族であっても一向に構わないのだ。ドニという剣士が敵と闘う基準はただひとつ――強さのみ。

 故に、サルバトーレ・ドニがいずれ顕れるという神などより、目の前の同族に闘争心が向かっていくのは至極当然の結果だった。

 そして、宗一郎もまたドニの決意が揺るがない以上、決闘に応じざるを得ない。彼にとって何より重要な神殺しを邪魔する障碍は、等しく排除する対象でしかなかった。

「――いいでしょう。神と戦うために体を温めておくのも悪くありません」

 つまりオマエは準備運動だと、そう言って背から長刀を抜き放ち、構える。

 剣士正調、青眼の構え。

 事此処に到って、リリアナの「願望」は夢と散った。

「ははは! そうこなくっちゃあね!」

 それを合図にドニは心底愉しげな笑みを浮かべて――軽い足取りで前へ踏み出した。

 ドニ独自の玄妙な足運び。相手の意識の間隙を突く幻惑の歩法。

 この歩法はドニの動きを集中して見ようとすればするほど嵌る。むしろそれを回避するには、獣じみた直感さを発揮するか、視界を一点に集中せず、広い視野で大まかな動きを捉えるしかない。

 そして、宗一郎は“心”の目まで鍛え上げた練達の剣士だ。“生”の目の修練を怠る道理がない。

 宗一郎の間合いに侵入し、剣を振るうドニ。一流の武人でも幻惑されるドニの足運びを、だが宗一郎は目で確実に捉えていた。

 逆袈裟懸け切りの斬撃、かつて草薙護堂に言った「三十年も剣の鍛錬を続けているおじさんも真っ二つに出来る」と豪語した一の太刀を、迷うことなく弾き返す。

「やるねえ! でも、まだまだこれからだよ!」

 ドニは弾き返された剣を持ち上げて、袈裟懸け切りで再度強襲する。一の太刀にも劣らぬ――どころか更に鋭い。剣先は大気の壁すら易々超えて宗一郎に迫る。

 その刹那、剣光が閃いてドニの剣を絡めとり、剣速をそのままにベクトルだけを狂わし、逸らしていく。剣の勢いに流され、崩されるドニの重心。

 それを可能にしたのは、中華武術の妙技たる『化勁』。その術理は『合気』として日本にも伝わっている。その要諦は柔よく剛を制する――それは最小の力で最大の効果を得ることに他ならない。

 宗一郎は敵の体勢が崩れたと見て取るや、長刀の切っ先を翻しドニの首へと閃かせる。重心を乱されたドニに逃れる術のない一撃。手加減などまったく考慮しない、確実に敵が絶命し得る必殺の一刀。

 だが――宗一郎は知らない。サルバトーレ・ドニの権能の正体を。

 賢人議会が『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』と名付けた権能は、すべての物理攻撃を無力化する。剣士殺しの至高の鎧。

 なのに、ドニは何故か上半身を反らし、太刀の切っ先を躱す。既にドニは神懸った早さで重心の安定を取り戻していたのだ。

 それのみならず、ドニは回避と同時に左手を柄から放し、右手一本で下方に流れていた剣を跳ね上げ、横薙ぎの一閃を宗一郎の胴に叩き込む。これを宗一郎は極まった軽功でまさに風と化して後方に離脱することで躱す。

 それを見咎めて、ドニは愉しげな笑みを溢した。ドニが権能を行使せず、回避行動を執ったのは理由がある。

 ドニにとって純粋な剣の技比べなど久しくなかったことだ。こんな機会はそうそうない。だからこそ、もうしばらく愉しむ算段だった。

 もはや両者ともにリリアナのことなど意中にない。ただあるのは敵の撃滅のみ。

 ドニは双眸に昏い光を益々輝かせ、軽やかに歩む。この戦いの果てに更なる境地に至ることを願って。

 


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