神殺しの刃   作:musa

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第一章
序   二度目の依頼


 七雄神社――芝公園と東京タワーの程近くに細々と建立された、全国津々浦々どこにでも点在しているような、ごく普通の神社仏閣のひとつである。

 一見して特徴らしい特徴はないが、あえて述べるなら木々に囲まれた場所、その独特の清涼な空気が参拝者に心地よく感じさせるところだろう。

 また、優に二百段はあろうかという階段も、参拝者の気力を確実に削いでくれるに違いない。

 そんな階段をヒョイヒョイと気軽に登る一人の青年の姿があった。

 今は六月初旬の昼下がり。この日は春を越えて初夏に入ったものの、傍迷惑にも季節違いの暑さを記録していた。

 そんな日に、心臓破りの階段を汗一つ流さずに苦もなく登るその男の姿は、明らかに普通ではなかった。だが彼を知る者たちならば、この程度の芸当に驚きはしないだろう。

 彼の名は甘粕冬馬。日本呪術界を総括する正史編纂委員会に所属する忍者にして、東京支部長の側近という立場の人物であった。

 甘粕は階段を上がりながら深々と息を吸った。途端、澄んだ空気が肺を満たす。心労が重なった今の身にはそれが心地いい。

 甘粕自身この階段を登るのは、これで二度目であった。

 一度目は一週間と少し前だ。あのときのことを考えると、さしもの忍者の末裔といえども憂鬱になる。

 なぜなら、甘粕が初めて七雄神社を訪れた数日後に、日本を揺るがす大騒動が起こったからだ。いや、こういう言い方は語弊があるな、と甘粕は反省した。あの事件の元凶は七雄神社でもなければ甘粕でもないのだから。

 原因は全く別の場所で、別の人物から持ち込まれたものであった。とはいえ、甘粕にとっては此処から始まった感があった。

 今より一週間前、日本の首都である東京に『まつろわぬ神』が降臨した。

『まつろわぬ神』とは、禍つ神、荒ぶる神とも呼ばれる存在である。一度解き放たれるや、世界に災厄を振り撒かずにはいられない、天災に等しき恐るべき存在。それが『まつろわぬ神』である。

 それが東京のど真ん中に顕れた。この事態に日本の呪術界を取り仕切る正史編纂委員会は、震え上がった。

 荒ぶる神の強大な神力は大都市すら壊滅させることも有り得るのだ。

 だが幸いにして東京は無事であった。いや、被害は確かにあったものの、当初の予測を超えて軽微であった。

 それはなぜか? 『まつろわぬ神』が撃退されたのだ。

 ひとたび、神々が降臨すれば民衆はただ怯え、猛威が終わるその時まで耐え忍ぶことしか叶わない筈の、強壮にして無双の神が!

 それこそが、人類が神々を相手に決して無策ではないことの証明であった。

 そう、人類には切り札があるのだ。

 神を殺して、その絶大の権能を簒奪した、人類を代表する戦士。

 魔王、ラークシャサ、デイモン、混沌王、そしてカンピオーネ。数々の魔神の呼び名を冠せられる『まつろわぬ神』と戦う偉大な闘士。

 そして、ここ日本にもその神殺しの系譜に連なる者が存在した。

 名を草薙護堂という。日本出身の七人目のカンピオーネである。彼の存在故に、まつろわぬアテナは撃退された。

 だが正史編纂委員会の仕事は、それだけでは、終わらなかった。

 神は確かに撃退された。が、東京で派手に行使された神力の発露である異常現象までは、都合よく消えてはくれない。

 当然であるが、神々が実際に存在している事実は一般に流布されているわけではない。正史編纂委員会はあの夜の出来事を、ただの自然現象であったことにするために、事件の収拾を計るべく総出で奔走する必要に迫られた。

 もちろん甘粕も例外ではなく、ここ一週間ばかり碌に休息をとっていない。

 にも拘わら、災厄の原因であり、その災厄を払ってくれた救世主でもある当の草薙護堂は、愛人でありもう一人の元凶たる美少女を侍らせて日常を謳歌しているらしく、その影で巻き込まれただけの正史編纂委員会は、未だ徹夜漬けで働いているのだから世の中間違っていると甘粕は思う。

 件の魔王さまはあれで平和主義を標榜しているらしいが、正史編纂委員会の面々からすれば立派な災厄の魔王そのものであった。

 ―――以上の事柄が、甘粕冬馬が一週間ばかり前に七雄神社を訪れた際に起こった事件の顛末である。そして、これで二回目。訪ねる人物も同じ。そして訪問の理由もまた前回と“同じ”であった。

 さて今度はどうなるやら、と内心でぐちると甘粕は最後の段を登り切り、神社の鳥居を潜って境内に足を踏み入れた。

 すると、甘粕の視界に入ってきたのは、一人の巫女装束の少女が境内の参道を箒掃除している姿だった。

 少女はまだ甘粕に気付いておらず、箒で石畳みをさっさっと掃いている。真面目な性格なのだろう掃除の仕方はとても丁寧でそれでいて早い。

 後ろ姿だがこの少女が甘粕の訪ね人だと一目で解った。後姿だけとはいえ、なかなか忘れられそうもない少女だったから間違いないだろう。

 甘粕は意識して足音を立てて少女に近付いた。いきなり声を掛けて相手を驚かすのは、甘粕の本意ではない。向こうから気付いてもらおうという意図だった。

 果たして、少女は甘粕の気配に気がついて、栗色の長髪を揺らしながら体をこちらに向けた。咲き揃う桜のような可憐さを湛える美しい少女だった。整った顔が甘粕の存在を認めて驚いたように目を見開く。

「まさか甘粕さん、ですか……?」

「いや、名前を覚えていて下さいましたか。ええ、そうです。正史編纂委員会の甘粕です。

 万里谷裕理さん。また頼みたい案件がありましてね。それで参った次第でして」

 頼みたい案件と聞いて少女――万里谷裕理は明らかな動揺を示した。だが、それも直ぐに治まる。彼女の顔には苦笑さえ浮かんでいた。

 甘粕は裕理の心情を痛いほど理解できた。以前に甘粕が頼んだ依頼は『神』と『王』に関わる依頼であったからだ。

 そのために、彼女は命の危険にさらされる羽目になったのである。そのことが脳裏に過ぎったのだろう。そして、それを直ぐに打ち消したのだ。

 神々や魔王の事件はそう頻繁に起こるものではない。特にこの日本では。考えすぎだと自分を笑ったのだろう。

 だが、甘粕は心苦しいが彼女の期待を裏切らなければならない立場だった。心中で謝罪を述べつつ、口から出たのはまったく別のことであった。

「お察しだと思いますが、実はまた鑑定の依頼をお願いにきました。とある人物がカンピオーネであるか否かについて、あなたに真贋を見極めてほしいのです」

 いっそ冷酷とも思える口調で甘粕は少女を地獄へと突き落とした。もちろん、比喩である。だが、気分的にはそんな感じだった。

 今度こそ麗しの媛巫女は凍りついた。愕然として体は震え、たちまち顔色も青くなる。

 心苦しい。それは本当に心苦しい。こんなことを押し付けた上司に文句を言ってやりたい。甘粕とて一応は真っ当な男である。こんな可憐な少女を怯えさせて喜ぶ趣味はない。だが、悲しいかな宮使いの身の上、仕事は果さなければならない。

 何より霊視に長けたこの媛巫女は、今回の依頼を完遂する上で最適の人材なのだ。私情だけで外すわけにはいかなかった。

 しばらくして、ようやく裕理は重い口を開いた。

「そ、それは草薙さんではないのですね。つまり別の人物がこの日本に……」

 さすがは聡明な少女である。動揺しても物事の本質はきちんと掴んでいる。

「はい。草薙護堂さんは晴れて本物のカンピオーネだということは、まつろわぬアテネとの戦いで証明されました。万里谷さんに確認してもらいたいのは『八人目』の人物です」

「そんな……! 八人目と仰るのなら草薙さんの後に誕生した方なのですね? そんなにも早く? それもまたもやこの日本で! そんな偶然が……」

 媛巫女が驚きは当然だ。

 賢人議会の報告を信じるのなら、草薙護堂が神を殺めて七人目のカンピオーネと成って、まだ3ヵ月と経っていないのである。

 これ程の短い期間で新たな魔王が誕生するのは異例中の異例だろう。それも同郷の人間が……となると尚のことである。

 歴史を紐解けば世界でも百年に一人いればいい方なのだ。それを考えれば今世紀はまさに異常ともいえる豊作の時だろう。最も『八人目』が本物であるのならば、であるが。

「ええ、驚かれるのも無理はありません。ただ必ずしも、偶然であるとはいいきれないかもしれませんがね・・・・・」

 甘粕は語り口にいろいろと含みを持たせて裕理に投げかける。

「どう言うことです? 羅刹の君と成られる方は、途方もない運命が生み出した偶然の産物のはず。それが必然などと、あり得るはずがありません!」

 裕理は、屹然と問いかける。

「それが有るかもしれないのです。……神無月家。勿論、聴いたことがありますよね?」

「!!」

 敢えて確認するまでもなく、彼女の反応でそれが既知であることが知れた。

 神無月家―――

 日本呪術界でその名を知らぬものはいない。古来より呪術界に厳然とした権勢を持つ四家のような権力を握り続けたわけではない。そもそも国に仕える『官』の術者の家系ではなく、権力とは無縁の『民』の一族である。

 にも拘らず、日本にその雷鳴が轟いているのは、かの一族が数百年に亘って、ある“秘儀”の研鑽を積んでいたことに他ならない。

 その“秘儀”の名を、神殺し生誕法といった。人為的に魔王カンピオーネを生み出す恐るべき儀式である。

「神殺しを人為的に生み出す……。そんなことが本当に可能なのですか?」

 裕里は緊張を含んだ硬い声で言う。

「まあ、『王』を生み出すとはいっても、要するに、神を無理やり招聘して、神無月家の術者がそれを倒すというモノなのだと思われます。成否は兎も角、それだけならば、決して珍しくはありませんよ」

 飄々とした声色で、甘粕は言った。それは貴方もご存じでしょう、と言外に祐理に告げる。

 そう、彼女は四年前に欧州で実際にその儀式を経験しているのである。

 魔王の一人である東欧の老王が引き起こした“ジークフリート招聘”の儀式は、その驚天動地な顛末とともに日本でも今尚語り継がれている。

「コーンフォールの黒王子も、その儀式関連の末にカンピオーネに成られたとか。勿論、細かい術式などは違うのでしょうが、大筋では差異はないでしょうね」

 裕里は何故人がそんなことをするのか理解できない、とばかりに首を振る。甘粕も同意するように頷いた。

 神などというものは、好き好んで近付くものではない。ましてや、それを倒そうなどとは考えるだけでおぞましい。

 だからこそ、それを成し遂げた『王』を、ヒトは『愚者』と呼ぶのだろう。

 すると、何かに気付いたように裕里は眼差しを甘粕に向けた。

「……先程甘粕さんは八人目の方と草薙さんが関係あるかのように言われましたね。それはどう言う意味で?」

「ああ、それですか。いやね、これは上司とも議論して推測した事なのですけどね」

 そして甘粕は勿体つけるように咳払いを一つして説明を始める。

「神無月家は数百年に亘って神殺しの誕生を目指して一途に努力をしてきました。それがですね……神無月家としては何処の馬の骨ともわからない無名の日本人が、神殺しを成し遂げてしまったという事実は、あまり面白くない事態なのではないかと思いまして。それで儀式を強行したのではないかと考えてみたわけですよ」

 甘粕の説明に裕里は呆れた様子を見せた。勿体つけたわりに馬鹿馬鹿しすぎると思ったのだろう。

「幾らなんでもそんな子供じみた理由で、あれ程危険な大呪を執り行うはずがあるはずありません」

 この媛巫女らしい控えめな苦言を呈した。だが、儀式の経験者として含蓄のある発言だった。

 甘粕も苦笑して応える。

「もちろん、当初の予定通りに儀式を執り行った可能性はありますが、なんと言っても七人目と八人目の可能性のある人物との期間が短すぎるのが、気になりましてね。何か因果関係があるのでは、と上司も考えているわけですよ」

 これには裕理も沈黙した。魔王の誕生期間が短すぎるのが不審だという考えは否定できないのだろう。

「もっとも、こればかりは幾ら推測を巡らしても答えが出ない問いでして。さて、どうでしょう。そういう次第でして八人目の真贋、見極めてもらえないでしょうか」

 話を締めくくるように甘粕は裕理に問いかけた。返答は直ぐに来た。

「わかりました。お引き受けします」

 その声には、もう震えはなかった。恐怖はあるだろう。あの事件を思えばなお更だ。だがそれを押しのけて使命感が先に立った。つまるところ、万里谷裕理とはそういう少女なのである。

 甘粕は礼を言って頭を下げた。

「それで、視るのは何時頃になりますか?」

 裕理は静かな面持ちで問いかけた。

「それは草薙護堂氏の予定によりますかね」

「は……? なぜ草薙さんのお名前がここで?」

 裕理は困惑の態だ。七人目のカンピオーネの名前を此処で聞くのは不思議だったらしい。だが、正史編纂委員会としては譲れない一線である。

「万里谷さんがお会いになられる人物は、八人目のカンピオーネかもしれない方です。しかも、性情も定かではない人物。護衛くらい必要なのは当然ですよ。恥ずかしながら我々では役に立ちませんからね」

「しかし、草薙さんのときは……」

「あの時と今は別ですよ」

 以前、正史編纂委員会は万里谷裕理を草薙護堂と対面させた。だがそれは草薙護堂の身辺調査を済ませた後であったからだ。調査報告を吟味して媛巫女に危険なし、と判断したからこそである。

 その調査も草薙家が一般人の家系だったからこそ出来たことであった。神無月家のような一般人と隔絶された術者の家系ともなると、そう簡単ではない。

 甘粕はその事情を裕理に伝えると、彼女は納得してくれた。

「草薙さんからは了承を得られたのですか?」

「いえいえ、それはこれからです。むしろ万里谷さんからお願いしてもらおうと思いましてね」

 えっと驚く裕理に頓着せず甘粕は続ける。

「なに大丈夫ですよ。草薙さんは仁義に熱い方のようです。一度懐に入れた相手を容易く見捨てたりなんてことは、なさらないでしょう。それによほど無理難題や道理に反していない限り、こちらの頼みを引き受けてくれそうな気がしますしね」

 甘粕はまだ草薙護堂と面識はない。が、彼の調査報告の資料は目を通していたし、まつろわぬアテナの事件のおりの行動を考慮すれば充分可能なように思われた。

 裕理も同感なのか、考えるような仕草を見せた。

「……わかりました。わたしから草薙さんにお願いしてみます」

「重ね重ね、ありがとうございます。と……」

 甘粕の懐の携帯電話が、交渉の終了を図ったようなタイミングで鳴り響いた。液晶画面に表示された名前は、上司のものだった。裕理に携帯を取る旨伝えて、甘粕は少し距離をとって通話ボタンを押した。

「甘粕です。どうしました?」

『やあ、甘粕さん。すまないね。裕理との交渉中だったかな』

「いえ、こちらは丁度終わったところです」

 甘粕は上司――正史編纂委員会東京分室の室長である沙耶宮馨の美声を聴きながら、彼は眉を顰めた。心なしか上司の声に、何時もより覇気がないような気がしたのだ。

『そうか、それは良かった。こっちはとんでもない事件が起きて混乱中でね。……神無月家の監視班から連絡が入ったんだ。なんでも、神無月家の屋敷から途方もない呪力が放出されているらしい。分析班は何かの儀式魔術を施行していると結論を下している』

「―――!?」

 神無月家は正史編纂委員会の作成しているブラックリストの上位に名を連ねているため、常に監視対象とされていた。特にこの三ヶ月で監視班はさらに強化されていた。

 その監視班が危険な兆候を感じたのなら、由々しき事態である。

「まさか招聘の儀式をもう一度……!?」

 家が家なので真っ先にその可能性が思い至る。実際に前科があった。三ヶ月前に神無月家の屋敷から『まつろわぬ神』の存在を感知したのである。

 驚くべきことに草薙護堂が七人目と成って一週間と経っていなかった。だが、それも一日を経たずして消滅してしまったが。

 だからこそ、正史編纂委員会は八人目の存在を疑っているのだ。

『解らない。あの儀式は星辰の配列や地脈の流れが多大に影響するみたいだからね。理想的な環境が整うのに、後3ヵ月は必要らしいよ。もっとも、それをいうのなら3ヵ月前のときもそうだったはずだからね。ひょっとしたら神無月家は星辰や地脈の力を借りずに神々を召喚する術を持っている可能性がある』

 普段、顔色にも声色にも感情を用意に察せない隙のない男装の麗人も、この時ばかりは苦い口調を隠せなかった。甘粕も沙耶宮馨の言葉に戦慄していた。

 上司の動揺も当然だ。

 彼女の推測が正しいのならば、神無月家の気分次第で日本に幾柱もの神々を降臨させることが出来るのだ。

 もし実現したら最悪の……いや地獄の如き光景であろう。一瞬でも想像してしまった甘粕は身震いを抑えられなかった。

「……幸いまだ『まつろわぬ神』の出現報告は聴かない。しかし、予断は許されない。状況次第では神無月家に強行突入もあり得る。最悪の事態を想定して草薙護堂氏の協力要請もこちらから取り付けるから、甘粕さんは至急戻ってきてくれ」

 甘粕は解りました、と答えて電話を切った。万里谷裕理はこちらの緊迫した状況を雰囲気で察したのか緊張の面持ちで待っていた。

 甘粕は簡潔に状況を説明して、今回の依頼の件はまた後日という旨を伝えると、挨拶もそこそこに慌てて七雄神社を辞した。

 

 

 結局のところ、簡潔に言うと正史編纂委員会は、この時の状況を正確に把握することはまったく出来なかった。

 正史編纂委員会が事件の詳細を把握するのは、魔術結社《青銅黒十字》に所属する大騎士リリアナ・クラニチャールの賢人議会に提出した、とある報告書を目にするまで待たなければならなかった。

 


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