親殺しのパラドックスと云うモノがある。
自分が生まれる前に時間移動をした人間が、自分の親を殺した場合(生前の十月十日以内に父親を殺した場合を除く)は如何なるのか?
当然親を殺す筈の自分が生まれず親は殺されない。しかし親が生きていれば親を殺す自分が生まれて結局親は殺され――と矛盾が生じる。
ではこの矛盾を発生させない為にはどの様な理屈、否、屁理屈が必要か。
一つは、『どうあっても親を殺せない』、と云うモノになる。”子”と云う結果が在る以上、”親”と云う過程を消す事は出来ないと。
もしくは『親が死に子が生まれない世界が、正史から乖離する(並行世界の発生)』と云う離れ業が考えられる。『もう一つの、在り得たかも知れない世界』と云うヤツだ。
まぁ何にせよ机上の空論、もとい屁理屈である。『時間遡行が可能であるとして、当然発生するであろう矛盾をどう解決すれば良いか?』そう云うお題に対する気の利いた回答の内二つ。そんなものだ。
実際に時間遡行すると、現世には一切干渉出来ない幽霊の様な存在と化す。
それが、二一〇二年から一九九九年に時間遡行を行った、リィン・スプリングフィールドの実体験だった。
これで悲劇を回避し世界を救うのだと意気込んで、結果誰にも話し掛けられず、物も持てず、鏡にも映らない意識だけの存在になった。成程確かにこれならば歴史の改変は不可能であり、矛盾の発生しようが無い。遣り切れない思いと共に、何処か納得する自分が居た。
百年を遡行する前、実験的に五日遡った時には問題無かった。物を持て、体が透けたりはしていなかった。
だがもし五年前に戻っていれば、自分の体はその当時の、七歳児相当にまで縮んでいたのだろうと推測される。そして実験時はその時間帯に居る筈のもう一人に決して会わない様に気を付けていたが、実際には会おうとしても会えなかったに違い無い。あの時、五日前の自分は五日後の自分に『塗り替えられて』いたのだと、この状態になった今なら分かる。
歴史の改変は不可能ではない。但し変えられるのは、生まれてからの自分に関わる事だけだ。自分が生まれる前に遡行出来るのは意識だけなのだ。
彼女はその法則を朧気ながら理解し、絶望した。このまま居れば、およそ九十年後には赤子として復活出来るだろう。ただ、その間に狂わずいられるのか?九十年間、ずっと孤独なままで。悲劇に突き進む世界の流れに干渉出来ず、見るだけしか無い状態で。
彼女は四、五日呆然としていたが、取り敢えずは当初の予定通りにと麻帆良へ行ってみる事にした。自分の祖先であるネギ・スプリングフィールドを見たかったからであるが、彼は今の時期は未だ英国である。気付いたのは麻帆良行きの列車に乗った後だった。
別に列車から飛び降りた処で如何と云う事も無いのだが、まぁ良いかと空席に腰掛ける。
それが、彼女の運命を変えた。
*****
「ええと……アイランズさんと
他にも忍者や狂科学者、格闘家や社長令嬢等が存在しているが、一応裏の事情を知らない一般人ではある。”裏の裏”を知っているのは自分と近衛、田上茶屋町の四名……否、ネギ、絡繰を入れた六名か。それだけだと鈴原
「クラスの三分の一が非一般人だものね。と言うか担任からして英雄?だし、貴方だって道士じゃない」
そう言えばそうですよねとネギ・スプリングフィールドが苦笑する。
学園長が所有するダイオラマ魔法球内。仙人見習いたる道士達が集まり、その技術の習熟度を確認したりぶつけ合ったりする場所である。毎週末に行われており、ネギと鈴原は初参加であった。
初参加である為特に模擬戦等は組まれておらず、場の雰囲気に慣れるようにと連れて来られただけである。現在は模擬戦も終わって道士同士の交流時間となっていた。
「あとは
「ああ。そう云う括りも有ったんですよね。外国人の僕には馴染みが薄いので忘れていました」
「欧州にも吸血鬼とか狼男とかが居るでしょ?」
「居る――と言うか伝承には有りますけど、日本で言う妖怪じゃなくて、モンスターって括りになります……と言うか、皆さんはそれぞれ何の妖怪なんですか?」
それは、と言い掛けた処でネギの後ろから誰かが現れ、鈴原が言い掛けた言葉を続けた。
「あかんえネギ君。妖怪に正体尋ねるんはタブーやで?」
「
日本妖怪の総大将であるぬらりひょんの孫、近衛木乃香。”普通”の妖怪と魔法使いが『冗談だろう?』と思わず呟く妖気と魔力容量を誇る、大妖と退魔師の
但しこの仙人・道士が集う中で唯一”魔法”の存在を知らぬ道士でもある。これは親である退魔師、近衛
尚、木乃香はこの空間を”ダイオラマ魔法球”ではなく”天狗の箱庭”と云う物だと教えられている。
兎も角、そんな彼女にネギは訊く。
「そうなんですか?」
「そうや。妖怪は弱点持ちが多いからなぁ。吸血鬼って知られただけで大蒜と十字架で対策されるやろ?」
「ああ。そう云う事ですか」
実の処、道士ともなればそんな弱点など克服出来るのであるが。但し道士に成れない一般妖怪に関して言えば、正体を知られるのはよろしくない。そう云う意味では木乃香の忠告は正しかった。
「それで椿、何の話をしよったん?」
「ウチのクラスには妖怪とか魔族とかが多いなぁって話よ」
「あー……まぁ一箇所に纏めた方が護り易いからなぁ」
違う学年、違う学校の妖怪・道士・魔法生徒も一クラスに纏められている。警備上の問題なので仕方が無い――と言っても特に不満は無いが。強いて言うなら護る立場の教師が自分達の遥か格下だと云うのがそうか。
そんな事を考えていると、ネギから質問された。
「ところで鈴原さんは今年から道士になられたんですよね?それって、修業によって霊格が上がったからですか?」
「ん。まぁそんな処かな。あ、修行方法は秘密だから。訊かないでね」
「はい……師匠、その内霊力修行を付けてくれるとは言うけれど、聞いた限りだと死にそうな修行ばかりなんですよね……」
「は、ははは……」
暗い表情で言うネギに、顔が引き攣るのを感じる。
実を言えば、鈴原椿は修行の結果で霊格が上がったのではない。事故で生死を彷徨い、と云うのでも。
彼女の霊格が上がったのは、ネギ・スプリングフィールドの霊格が道士相当だと判明した所為なのだ。
鈴原椿。彼女の本名はリィン・スプリングフィールド。未来から来たネギ・スプリングフィールドの子孫である。
*****
四年前の話だ。
麻帆良へと着いたリィンは即座に捕縛された(無賃乗車の容疑)。それを理不尽だと思うよりも先ず、自分を認識してくれる存在に歓喜し感涙を流した。その為取り調べ――と言うよりは自供と云う名の独白――は順調に進んだ。
彼女が過ごした百年後の世界。それは、これからおよそ十年以内に起こる魔法世界の崩壊に端を発した、第三次世界大戦により荒廃した世界であった。魔法世界と云う人造異界が消え去る事によって、そこに住んでいた六七〇〇万人の魔法使いが現実世界に流入。魔法の使えない一般人をマグルと呼称し蔑む彼等と地球側との戦争が始まった。相容れぬ存在同士が引き起こした未曾有の混乱・恐怖・飢餓は一世紀も続く。リィン自身は魔力も無く魔法も使えない体質であったのだが、施された人物の肉体と魂を喰らって膨大な魔力を引き出す”呪紋回路”なるものに依って魔導兵器に改造されていた。次々と仲間が倒れていく中、聡明な彼女は気付く。この戦争は終わらない。この悲劇を避ける為には過去に遡り、戦争の原因を取り除かねばならないと。リィンは死に物狂いの努力で時間遡行技術を開発。戦前に戻って資金を得、魔法使い六七〇〇万人を受け入れられるだけの準備を整えようと考えた。
だが結果は前述の通りである。幽霊と化した今、悲劇を繰り返さない為には貴方達の力が必要だと必死に訴えた。
それを聞いた学園長は会議を開いて意見を募った。
当時彼女は麻帆良に居る魔法使いによるものだと思っていたが、これは仙人道士による会議であった。当然人の手では考えついても実行出来ない意見がポンポンと飛び出し――物凄まじく突飛な案が採用された。思わず三度も訊き返した程である。
そしてその場で自分は幽霊ではなく妖怪になったのだと告げられた。
妖怪”未来人”。新種だった。
鉄鼠や清姫など、人間から妖怪化した存在も少なくない。期待の新妖怪だと言われた。
過去の全てを知り未来の事が分かる。”未来”から来ているのだからそれは当然の
更に言えば、ネギ・スプリングフィールドの子孫、呪紋回路と云う個人的な特質も影響している。
そもそもリィンが居た未来とこの過去は、完全に同一ではない。理論上は同一世界で、実際にこの世界の時間軸を短い間隔で移動出来ている(妖怪として成長すれば、もっと移動間隔が長くなるだろうとの予覚は有る)のだが、何故か未来の世界とこの世界は全く異なる。
先ずリィンが居た世界(便宜的に
しかしその過去である筈のこの世界(WB)はかなり勝手が違う。ナギには二人の息子が居り、莫大な魔力を持つのは兄のグージーだ。そしてネギに魔法は使えない。精霊より霊格が高いと云う理由で、だ。あくまで教育実習生であり、この歳で教師に成る事は無い。”闇の福音”ことエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは封じられてなどおらず、百歳下の天然吸血鬼と結婚していた。現在専業主婦である。リィンが時間遡行をしていなかった場合、六七〇〇万は仙人達によって秘密裏に始末されていた可能性が高い。彼等に戸籍は無いので殺害した処で罪にはならない。人界の法律に抵触する事は禁じているが、同時にバレなきゃイカサマじゃないとも言うのが仙人と云う存在である。思考が人間とは異なるのだ。
兎も角、WAとWBは全く異なる世界である。にも関わらず、主体がWAに在る筈のリィンはWBの影響をモロに受けて妖怪化し、更には”道士たるネギの子孫”と云う事実が影響して道士の資質を手に入れた。呪紋回路は『肉と魂を喰らう』と云うデメリットを外され(妖怪には肉体が無い所為だと思われる)、ここに魔法を使える二人目の仙道が生まれた。
一体何が如何なっているのか。リィンには分からない。分かるのは、この世界では『WAの第三次世界大戦は起こらない』と云う事くらいである。
『時間遡行中に、グージーの願いに因って世界が書き換えられた』などと云う真相は、誰が如何考えた処で辿り着けるものではない。
*****
「で、ネギ君は今どんな事やんりょるん?」
「先日、漸く獣化魔術で合格点を頂きまして。今は漸く大気魔術の取っ掛かりですね」
「ほへー。早いなー。修行始めて未だ五日……六日目やろ?ウチ、爺ちゃんが満足するレベルになるまで一ヶ月は掛かったで?」
感心した様に木乃香が言うが、ネギはその言葉に驚き目に見えて落ち込んだ。
「……僕、時間操作が可能な……天狗の箱庭を使ってたんで、実質的には六年掛かってるんですけど……」
「そ、それは……」
流石に時間が掛かり過ぎだろう。実はあまり才能が無いのか?技術習熟速度はそのまま仙人道士としての資質に関わるので、それが遅いと云う事は、イコール才能に乏しいと云う事になる。
しかし彼の資質を受け継いだ筈の自分は、獣化魔術を二十日程度で習得出来ている。何か可怪しいと椿は首を傾げた。
「ま、まぁ…………あ、爺ちゃんの要求するレベルと創始者が要求するレベルやからな!大分ちゃうと思うで!」
ああ、と得心する。成程要求レベルの差か。初めて出来た弟子にあの男が興奮し、色々詰め込んだと云う可能性は高い。
「ウチは、アレや。至近距離で銃弾を撃たれても、皮膚を硬質化して弾けるレベルやったな」
「私もそうだったわね。って、師匠が同じだから当たり前か」
近衛木乃香は椿の姉弟子に当たる。エドガーも鼎遊教主の弟子であり木乃香の弟弟子で椿の兄弟子に当たるが、その人並み外れた技術習熟速度は他の追随を許さず、僅か三年半で全ての技術を吸収していた。
その事に対して思う所が有るかと言えば、別に無いと云うのが仙道である。椿は道士となってからまだ日が浅いので、”人間”としての意識に引き摺られ勝ちではあるが。
「あ。やっぱりその程度が普通なんですよね。『全てを溶かす酸性雨になれ』とか『台風に変化しろ』ってのは、何か違いますよね?」
あとゴジラとか、とネギが呟く。
「あー…………何て言うか、それだけで仙人の試験に受かりそうなんやけど」
「ゴジラて……何分くらいで?」
あれだけのサイズである。もし自分が体長40mに変化するとしたら、五〇分以上は掛かるだろう。
「いや0.02秒ですけど」
「蒸着より早いな!」
木乃香が叫ぶが、ちょっと意味が分からなかった。素材の表面処理技術がどうしたと言うのか。ネギも疑問符を投げ掛けていた。
彼女はこちらの視線を誤魔化すかの様に咳払いしてから「最近の子はギャバン知らんか」と呟いた。彼女は戸籍上十三歳だった筈だが、実は年寄りなのだろうか。
「まぁ兎も角。エドガーさんの要求レベルが高過ぎっちゅうこっちゃな。そら六年掛かるわ」
「そうだね。酸性雨とか台風とか、私達じゃあ如何考えても無理だもの」
一度雨に変化したら戻れそうにない。と言うか、ゴジラに変身する状況って、どんなだ。
……まさか、両面宿儺と戦う時か?
と、そこに渡世真君を伴い鼎遊教主が近付いて来た。
「ふぉふぉふぉ。仲良くやっておる様じゃのう」
「あ。教主様」
平素通りに顎鬚を撫でながら、妙な笑い方をする老人。括れの剰り無い瓢箪の様な形の頭部も、慣れればそれ程違和感が無い――と云うのも彼の特性故か。ただ、後頭部の髪は剃った方が良いと思う。
隣の男は静かに苦笑している。身長 180cm強。常に眠たそうな目をした黒髪碧眼の中学二年生。顔立ちは整っている方だろう。十人中二人くらいは『まぁ、良いんじゃない?』と言うくらいには。如何見てもそうは思えないが、麻帆良最強戦力である。
「……エドガーさんとネギ君で、リアル『ゴジラVSキングキドラ』とかやれるんやろか?」
ボソッとそんな事を言う木乃香。それをやるとすれば、セット作りが物凄く大変になると思うけれど。
「師匠。やっぱり獣化魔術でゴジラは何か違うらしいですけど」
「……他所は他所。ウチはウチです」
彼のその宥め方も、何か違うと思う。まぁどうでも良いが。
何にせよ。
あの日見た悲劇は決して起きないだろうと鈴原椿は楽観している。