敗残処理も終わり、ラインハルトがオーディンへの帰還の途についた。
それを受けて、ロイエンタールが地球へ総攻撃をかける部隊に合流すべく、オーディンから出立する最終準備に取りかかった。
「ロイエンタールは、処女専門だから。玄人女にはもてないのよ」
「カタリナ」
「……(反応し辛いなあ)」
不倶戴天の二人が、元帥府にやってきて、殺伐たる雑談を交わしていた。ただ雑談をするためだけに、ここに集まったのではなく、地球教徒殲滅に際して必要な公文書を”秘密裏”に手渡すために”わざわざ”カタリナが足を運んでくれたのだ。
公爵夫人にご足労をおかけしているという認識はあるので、彼らは黙ってカタリナの話を拝聴するしかなかった。
彼らとしては女王と女たらしには、早々に帰っていただきたかったのだが、カタリナがやってきたことを、中庭の警備についているケスラーが彼女に教えると「会いたい」と希望した。
彼女が会いたいと言った以上、彼らに選択の余地などない。
話を聞いたカタリナは「じゃあ、準備ができるまで待ってるわ。時間はあるから、気にせず納得出来るおしゃれをしてきてね」と、貴族の女性は身支度に時間が掛かることは、カタリナ自身、身をもって知っているので、ゆっくりとあせらずやってくるように告げた。
そして上記の会話だが、初めはフェルナーの見舞い客のリストを見たカタリナが「これは高級娼婦」「こっちは、あっちほどじゃないけど、それなりに高級娼婦」と、指さして彼らに教えてくれたことから始まり ―― いつの間にか、ロイエンタールの女癖の悪さについて、楽しげに語り出していた。
高級娼婦とフェルナーの関係や、カタリナがなぜ高級娼婦を知っているのか? リュッケは聞いてみたかったが、まずは黙った。
「だって、本当のことでしょう。フロイライン・某ダンネマンとか」
―― カタリナさま、まったく伏せられておりません。伏せるおつもりはないでしょうが
宇宙に出たファーレンハイトや、入院しているフェルナー、果ては中庭警備のケスラーをうらやましく思いつつ、彼らは黙って耳を澄ます。
キャゼルヌは一人、しなくても良い書類整理をしながら、安定の部外者面。
「女に不自由しないから、玄人には手を出さなくてもいいんでしょうけれどね」
「カタリナ」
「でもさ、普通に考えたら、素人でもつまらないわよ。記念日を大事にしろとは言わないけれど、こいつの誕生日を祝おうとした相手に”誕生日だと? 今日は俺という呪われた男が生まれた日であって、祝うべき日ではない”とか言っちゃうような男よ。細部は違うと思うけど」
ロイエンタールが言葉を失っている姿を前に、リュッケとキスリングが、いたたまれない気持ちで見つめる。
半分は暴露に対する憐憫だが、残りの半分は愛の告白など比べものにならないほど、恥ずかしい、子供じみた言い分を聞かされたことによるもの ―― 他人ごとなのに恥ずかしい。
「……(なんで、分かっちゃうんでしょう、キスリング中佐)」
「……(召使いとか召使いとか、まあ……)」
周囲に召し使いがいるような生活はしていないし、そんな日が訪れるなどとは思わないが、万が一にもそんなことになったら、発言には気をつけようと、キスリングは心に刻んだ。
「カタリナ、お前なあ」
「悪口を言う時は、より大きな声で……ビッテンフェルト家の家訓だったかしら。私あの家と親戚なのよね。でも、大声上げるなんて下品なことするくらいなら、本人の目の前で喋るわよ」
「発言の下品さは、いいのか?」
「下品なのは、あなたの下半身でしょう? ロイエンタール」
扇子を口元にあてて”くっくっくっ”と、押し殺した笑い声が漏れる。
それは常人の高笑いなど比べものにならないほど、迫力に満ちていた。
「同意いたします」
「オーベルシュタイン!」
「良い子ね、パウル」
―― 必要な書類受け取ったんだから、とっとと帰られたらどうだ、司法尚書閣下。ローエングラム公爵夫人は、閣下に会いたいとは言っていないのだから
キャゼルヌはファーレンハイトの官舎の手続きに関する書類をめくりながら、いつまでここにいて、暴露話のネタにされるつもりなのだろうか? と、子羊とは言いがたい、憐れな生け贄になりかかっているロイエンタールを”ちらり”と見た。
「カタリナさま、よろしいでしょうか?」
「なあに? パウル」
「カタリナさまと、ロイエンタール卿の不仲には、なにか理由でもあるのでしょうか?」
「個人的な理由はな……」
”ない”と言おうとしたロイエンタールの言葉を遮る。
「よく分かったわね、パウル。良い子よ」
「なにもないだろう、カタリナ」
嘘をつくなと形が良い眉の片方をつり上げて、はっきりと否定する。
語気がやや強めだったので、気が弱い女性ならば怯むところだが、相手が悪かった。
「この男ねえ、女と付き合っても、なぜかフロイライン・誰それ、って呼ぶのよ。別れるつもりであっても、付き合っている間くらい、名前で呼んでやればいいじゃない。で、この男、なぜか私のこと名前で呼ぶのよね」
「それは……」
ロイエンタールの言い分など聞くつもりはないと、カタリナはたたみかける。
「この男に憧れている、一部の頭悪い女たちが、カタリナと呼ばれているのに嫉妬して、うっとうしい陰口囁いてくれたわ。こいつのせいで、私は心に瑕を負ったのに、こいつは知らない顔をして漁色家街道を大手を振って歩いてるの。腹立たしいじゃない」
「そうですね」
―― 女王さまに向かって陰口……ああ、正面からは言えないから、陰口になるのか。でも耳に入ったら、余計ひどい目に遭いそうだが……いや、遭ったのか?
「そんなことがあったのか。ならば俺に言え……」
「あんたに言ってどうするの? あんた、なにかできるの?」
「注意をするが」
「意味ないし。これだから、女の感情の機微に疎い男って嫌だわ。黙ってても、もてる男って、こういうところが、無神経なのよね」
「……」
「とにかく、こいつは黙っていても、もてるから、まあ、残酷よね。女が勝手によってくる? だったわよね」
「……」
―― なにもしなくても、女に言い寄られるというところを、決して否定しないのは、お見事です。閣下
ロイエンタールに従い、出陣することが決まっているベルゲングリューンが、彼らしい態度を賞賛していた。
「さすがロイエンタール卿」
オーベルシュタインは真意がどこのあるのか、分かりづらい表情で、手を叩いて賞賛する。
―― それ以上、激しい突っ込みは
―― 女にもてる人って、想像以上に大変だなあ
「そうそう、ジークリンデを、あんたの女性問題に巻き込まないでよ。夫の女性問題に関する対処能力とか、いままで磨く必要がなかった子なのよ」
―― それは遠巻きに、フレーゲル男爵がもてなかったと、言っていらっしゃるのでしょうか? でも、浮いた噂がないのは仕方ないのでは? 奥さまはジークリンデさまですから
と、オーベルシュタイン
―― 顔は……ですけど、首から下は格好良かったですよ。騎乗姿は、勝てる気がしませんでした
と、フレーゲル男爵と同じく、馬術を嗜んでいたリュッケ
―― 顔……の造りなんて、多分飾りなんじゃないかなと
と、キスリング
ロイエンタールとは容姿才能とも、比べようもない男だが、未だに彼女が大切にしている人物なので、彼らとしてはフレーゲル男爵の容姿に関しては、無言を貫くしかできなかった。
それ以外のことでも、ほとんど無言だが。
そんな彼らの空気を察知して、カタリナは門閥貴族ならば大体の者は知っていることを、彼らに適当に語ることにした。
細かいことまで知りたくば、自分で調べろと ――
「せっかくだから、教えてあげる。心して聞きなさい」
「御意」
「貴族って、生まれる前に婚約が決まってることも、珍しくないのよ。だから、レオンハルトにも婚約者がいたのよ」
彼らはカタリナにも婚約者がいたのだろうか? と、想像して、その『逆玉の輿といっても過言ではない、幸運な男性』に対し ―― 逃げろ! 内心で叫んだ。
そして、この場にファーレンハイトがいたら、間違いなく微妙な微笑を浮かべたことであろう。
「レオンハルトの元婚約者は、ボルネフェルト侯爵令嬢フリーデリーケ。全名教えてあげてもいいけど、あなた達の人生に必要ないわね。このレオンハルトより三歳下の侯爵令嬢、性格が悪かったのよ」
―― 性格が良い貴族を捜すほうが難しいのでは?
ロイエンタールとカタリナを見つめる、平民のキスリング。
ちなみにキスリングの中では、彼女はもちろん貴族だが、それとは全く別の括りに入っている。
「性格の悪さには色々あるけれど、あの女の性格の悪さは陰湿で腹黒いタイプ。ちょっと容姿が良かったこともあって、涙を浮かべると馬鹿野郎どもはすぐに信じたわ。それがあの女のねつ造であっても、あの女が正しいと。ちょっと容姿が良いとは言ったけれど、私以下だから、あんた達はなびくどころか、視界にも入らないでしょうよ」
「同性はあの女の薄汚さに気付いたんだけど、男どもはねえ。馬鹿な男が吐いてくれる素敵な台詞”美しいから、女どもが嫉妬して、そんな噂を流しているんだ”とか”女は美しい同性をひがむから”とか、とか……女から見たら、馬鹿野郎どもが戯言を謳っていやがるわ状態よ。まあ、女たちも、そんな男を助けてやる義理もないから、放置してたわけ」
「フリーデリーケは当時、評判が悪かったレオンハルトを悪く言って、自分のことを良く見せていたのよ。レオンハルトも品行方正とはほど遠く、婦女子に聞かせられないようなこともしてたみたい。だからある意味、お似合いってところだったのよ。レオンハルトもフリーデリーケのことは嫌いだったけど、貴族の婚約なんて好き嫌いでどうなるものでもないし」
「そしてボルネフェルト侯。フリーデリーケの父親ね。この父親は娘の可愛らしさに脳みそ溶けてた、駄目親父でねえ。娘が言ったことを鵜呑みにして、レオンハルトとフリーデリーケの婚約を解消しようとするのよ。馬鹿な女よねえ。貴族社会で、レオンハルトほどの優良物件はないってのに」
「貴族社会で必要なのは血筋なのよ、性格なんて些細なことよ。馬鹿が馬鹿過ぎて、そんなことも忘れたみたい……でも、レオンハルトって権門の出じゃない。ボルネフェルト侯も簡単には婚約破棄はできなかったのよ。それを、どうもリヒテンラーデ公が耳に挟んで……。ここら辺に関して、私は分からないわ。いまここにいない、ファーレンハイトやフェルナーなら、事情を知っているでしょうね。知りたかったら聞いてみたら? あいつらが口を割るかどうかは知らないけれど。内務省社会秩序維持局長官でも、借りてきたら喋るかもしれないけど、あの小役人はジークリンデの部下に手を出せるほどの度胸はないしね」
「とにかく、対外的にレオンハルトはボルネフェルト侯爵令嬢なんていう、血筋だけで権門ではない家の娘と婚約を破棄し、帝国の実力者リヒテンラーデ公が、もっとも可愛がっているとされていた、姪の娘を娶るとなったのよ。これでフリーデリーケは婚約を破棄された可哀想なあたくしを演じられるし、ブラウンシュヴァイク公に対しては、甥によい縁談が持ち込まれたってことで、丸く収まったわけ……当初はね」
カタリナの笑顔が、殊更華やかになり、聞いている者たちは、本能的に身構えた。
「”美しいから嫉妬されている。僕たちが守らなければ”なエセ騎士どもに守られてご満悦な、ぎりぎり美女。それを冷ややかに見る女たち。女たちが冷ややかな視線を送れば送るほど、男たちは燃え上がり、フリーデリーケを褒め称える。見ているほうが馬鹿馬鹿しい状態だったんだけど、それを打ち破ったのが、レオンハルトとともに社交界に現れたジークリンデ」
ここからフレーゲル男爵の意識せぬ逆襲が始まる。
「稀代の美少女を連れて歩くレオンハルトの、間抜け面といったらなかったわ。それで、リヒテンラーデ公の姪の娘で、あれほどの美少女なら、乗り換えても仕方ないと、ほとんどの人が納得。そして、ジークリンデの身の上を心配したわけ。フリーデリーケが言うような男だったら、酷い目に遭うと。他の女だったら、フリーデリーケが言ったような状況になったかも知れないけれど、ジークリンデですもの、そんな目に遭うわけないじゃない」
「そして徐々にレオンハルトの性格が良くなっていくのよね。ジークリンデの努力の賜なんだけどさあ。まずは下睫が長くて多い、喀血しそうな若い下級貴族を部下にして、ブラウンシュヴァイク軍を鍛え出して、それなりの形になってゆく」
―― 下睫が長いことは、許してあげてください。下睫が短い提督というのは、想像が付きませんので
―― 下睫が多いことは、触れないでいただけますでしょうか? 女王さま。下睫が貧相なファーレンハイト提督というのは、想像したくないんで
誰も彼も喋ってはいないが、まさに言いたい放題。言われる側はもちろん気にしないだろうが。
「もともと得意だった馬術だけれど、ジークリンデと結婚して、その才能が開花。ついでに馬の才能も開花。結婚の翌年には、軍の馬術大会で優勝。フリードリヒ四世から、お褒めの言葉をいただくことに。以来、死ぬまで連覇を遂げたのは、軍人の貴方たちなら説明しなくても知ってるわよね」
フレーゲル男爵は馬術だけは傑出しており、その才能を請われて軍に籍を置いていた。
逆に言えば馬術のみで、軍事的なことはほとんど学んでいなかった。
権門の出の上に、馬術が優れているので、試験らしい試験を受けずに軍の階級を登って ―― 最終的には近衛を束ねる地位に就く予定であった。
「いままで人任せだった領地にも足を運んで、いかにも良い領主さま的なことをし始めて、領民たちも”ご領主さまが、天使を連れてやってきたよ。天使がきたから、農作物の生育がよくなって領地が潤うよ。天使を連れてくるなんて、ご領主さまは、すごい人に違いない”と、尊敬の眼差しを向ける。領地にやってきた、天使と貧乏従者のお話は、知りたかったら当人に聞きなさい」
―― 貧乏は許してあげてください。貧乏の理由は提督ではないので……もちろんご存じでしょうが
―― ジークリンデさまが関係すると、ファーレンハイト提督はどこに地雷が潜んでいるか分からないから、あまり聞きたくないんですが……でも、聞いてみたいような
聞くべきかどうかを悩んでいた彼らだが、のちのち、この話の概要は聞くことになる。カタリナが語った天使と従者のお話ではなく、彼女を狙った暗殺者について説明する過程で「そんなことがあった」と軽く触れただけではあるが。
「ジークリンデの身の安全を考えて、素行の悪い連中との付き合いを止め、真に貴族らしい連中と交流を深める。こうして、レオンハルトの評価が、すごい勢いで上がったのよ。元々人間性の評価は低かったから、上るのも簡単だったのかもしれないけれど。でさあ、こうなってくるとフリーデリーケが言っていたことって、嘘なんじゃないかって考える人が増えるのは、当たり前のことよね」
自分の爛れた生活を見直し、容姿が十人並み以下のことも自覚し ―― 理由は不明だが、転がり込んできた幸運を手放さないよう、フレーゲル男爵は努力することにした。
「”男爵さま、男爵さま”って、くっついて歩くジークリンデの可愛いことといったら。天使にもほどがあるわ。で、そのジークリンデなんだけど、西苑で女官長から直々に皇后教育を施されてる……ジークリンデ本人は、女官長の仕事として学んで、次の皇后に伝えようと、真剣に考えてたらしいわ。ジークリンデらしいわよね」
「前の女官長だけど、フリードリヒ四世の皇后の教育係の一人だったのよ。ほら、先代陛下って神聖不可侵の座に就く予定、なかったでしょう? だから、皇后もまあごく一般的な感じ。もちろん爵位ある家柄の出ではあるけれど。それもこの内乱で終わりでしょうね」
「それで前の女官長なんだけど、私からしたら、ジークリンデに皇后教育をしているようにしか見えなかったわ。でも教育を受けている当人は、気づかず終い。こんな感じで、評判が良く、大伯父とは似ても似つかない素直で、とにかく可愛らしい娘が”好き、好き、レオンハルトさま”するもんだから、レオンハルトって、意外といい人なんじゃないのか? ってみんな思い始めたわけ。馬鹿よね、全然いい人じゃないのに、ころっと欺されてねえ」
「この頃になると、レオンハルトの悪口を言ってばかりのフリーデリーケに、愛想を尽かす男が続出。酷いわよね、彼らがフリーデリーケを増長させてたってのに。愛想を尽かした男たちは、別の女性に求婚するも”あんな女の戯言を真に受けるようなお方では……”としか言ってもらえず。だって、愛人が”正妻にいじめられたの”と言ったら、嘘でも信じちゃいそうな馬鹿さ加減を自慢げに披露してたんだから」
「そして決定打が、皇帝陛下の名代。フェザーン自治、百十周年記念の式典とそれに伴う公務を夫婦で務める。二十三歳と十五歳の夫婦に、これは破格よねえ。その頃になって、ボルネフェルト侯は娘の意見を鵜呑みにして、大きな魚を逃がしたことに気付いた……魚を大きくしたのはジークリンデなんだけど」
「こんな感じで四年経ったら、惨めなフリーデリーケと、我が世の春を謳歌するレオンハルトの図ができあがりました。その最たる例が、婚約者の存在。気付いたら、娘に求婚する男がいなくなって、ボルネフェルト侯が焦ること、焦ること。でも焦っても、婚約者なんて出てこないわけでしょう」
「あちらこちらに声をかけたけれど、本来の性格の悪さの上に、レオンハルトを貶めていた台詞が跳ね返ってきて、悪評が二乗に。だから、誰も妻に迎えたがらないのよね。そのうちボルネフェルト侯は現実を理解して、娘をどこぞの貴族の後妻にしようと考えた。結局フリーデリーケは、子爵家の後妻になりました。で、終わり。詳細を知りたかったら、この場にいない白っぽいやせ気味の二人に聞くといいわ。答えるかどうかは保証しないけど、あいつら、フリーデリーケのこと、蛇蝎のごとく嫌ってるからね。なにせフリーデリーケ、子爵などと結婚したくないと、レオンハルトに愛人にしてって頼み込んだのよ。もちろん、レオンハルトはけんもほろろに断ったけど」
”それはそうだろう” ―― 夫婦仲に波風立てるようなまねをする女など、排除の対象以外の何者でもない。
「パウル、表情が怖いわよ。そんなあなたに、良いこと教えてあげる。フリーデリーケってもうこの世にはいないから安心しなさい。なんだか知らないけど、死んだから。恨み買いすぎてて、誰が殺したか分からないような状態なのが、まあ、素敵」
門閥貴族云々というよりは、女が自分の武器の使い方を誤って、自らを傷つけ、その傷がもとで死んでいったようなものである。
「それは、それは」
肉の薄い血色があまりよくない顔に浮かぶ、安堵と”出来ることなら、この手でやりたかった”が混じった微笑み。
―― パウルさん、良い笑顔っす
彼女を害することは阻止するが、他者を害することを阻止するつもりはないキスリングは、彼の語彙では表現しきれない笑みを「良い笑顔」と括った。
「カタリナ」
「ジークリンデ!」
そこへ丁度良く、身支度が調った彼女がやってきて、話題は別のものへと転換した。
青鈍色の長袖のスレンダータイプのドレス。生地は青鈍色だがジェットを縫い付けた黒レースで覆われている。
被っている黒のマリアベールも、背中の中程までと、随分と丈が短くなり、ずっと肌色に似た、目立たない紅ばかりをさしていたが、あの見舞い以来、やや明るい色を選ぶようになった。
「ロイエンタール卿も?」
カタリナの隣に座り ―― なぜロイエンタールがここに居るのかを尋ねた。
「そうらしいのよ」
「辺境に赴かれるのですか?」
「そうだ」
―― 司法関係の役人が出向くのは分かりますけれど、司法尚書自らですか……領地の没収に関することでしょうか
「そうですか……いつ頃、ですか?」
賊軍となった者たちの”末路”に関係しているのだろうかと、彼女は考えた。
「三日後だ」
「そうでしたか」
”急ですね”と言いかけたのだが、自分が知らなかっただけかもしれないと、その部分は口にはしなかった。
「見送りに来てくれるか?」
「はい」
そしてロイエンタールからの申し出に、彼女は即答した。彼女は話したいことがあるので、それを受けたのだが、
「いいのか?」
「はい」
あっさりと受け入れられた方は、かなり動揺を見せた。
―― 難儀な男よね。拒否されている時は強気だけど、受け入れられると途端に弱気になる。ほんとうに、厄介
なぜロイエンタールがカタリナのことを「カタリナ」と呼ぶのか? それはロイエンタール自身、よく分かっていない。