黒絹の皇妃   作:朱緒

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第9話

 ジークリンデには眠気が訪れることはなかったが、フレーゲル男爵が眠ることにこだわった。

「ここで、ですか?」

 それも二人で一つのベッドに入ることに。

「そうだ」

 やはりそっちの趣味があるのか! 身構えたジークリンデだが、何ごともなく翌朝を迎える。

 紳士というべきか、常識人というべきか、変態ではなくてよかったというべきか、でもフレーゲルだし、騙される! なと考えるべきか? 彼女は少し悩んだが、それを悩み続ける余裕はすぐになくなった。

 

**********

 

「来たか、ジークリンデ」

 朝食を終えた彼女は、昨日、顔合わせ場所に到着する前にリヒテンラーデ侯に言われた通り、彼の執務室へとやってきた。

「はい、大伯父上。ここでは国務尚書閣下とお呼びしたほうが、よろしいでしょうか」

「好きにしろ」

「では好きにさせていただきます、クラウス」

「……大伯父と呼べ」

 部屋は人払いがされており、タイミングよく紅茶を運んできた給仕も下がり、二人きりとなり ――

「かしこまりました。それで、私の婚姻の真相は?」

 腹芸は苦手とばかり、彼女は単刀直入にリヒテンラーデ侯に尋ねた。

 紅茶を一口飲んだ侯は、

「理由は一つだけではない。割合で表すと二割はお前を含むフライリヒラート伯爵家を守るため。二割は私の地位を確かなものにするため。残り六割はこの銀河帝国を守るため」

 彼らしい喋り方でジークリンデを試す。

「残りの六割の内訳を教えて下さい」

 簡単に教えてもらえるとは彼女も思ってはいなかった。

 侯と同じように取手に、まさに一度も労働をしたことのないという表現が相応しい指を通し、紅茶を口に含む。

「知りたいか」

 アッサムティーに似た癖のない紅茶と、癖のありすぎるリヒテンラーデ侯。

「もちろんでございます。その内訳の中に、実家が排除される理由が含まれているのでしょうから」

「それに気付いたのであれば、話を聞いても理解できよう」

 癖がありすぎるのは彼女も同じだが ―― 本人は気付いていない。

「誰でも気付くと思いますが」

「そうでもない。六割の内訳は五割が皇太子殿下だ」

「ルートヴィヒ殿下が関係しているのは、昨晩フレーゲル男爵からも聞きました。どのように関係しているのかまでは教えてくださいませんでしたが」

「殿下はお前を恐れている」

 カップをソーサーに置き、多くの者たちを排除してきた鋭い眼差しを彼女に向ける。

「…………はぃ?」

 会ったこともない皇太子に何故恐れられているのか? 彼女には見当もつかなかった。彼女が打倒帝国を掲げているとか、民主化運動を繰り広げているとかいうのなら分かるが ―― 皇太子に恐れられる前に目の前の国務尚書に排除されるのが”オチ”だが ―― 彼女は気をつかい、貴族の子女の範囲内に収まるよう大人しめに過ごしてきた。

「殿下はお前の美しさを恐れ、健康に恐怖されている」

「はあ……」

 美しさと健康といわれると、彼女としてはどうしようもない。

 

―― ルートヴィヒはたしかひ弱で、物語前に死んじゃうんだよな

 

 原作でほとんど書かれていない彼について、彼女はなにも知らないに等しい。

「昨年、アンネローゼ・フォン・ミューゼルが陛下の寵姫として召し上げられた」

「存じております」

 ゴールデンバウム王朝滅亡の序章であるアンネローゼの「栄達」

 ちなみに召し抱えられてまだ一年ほどで、アンネローゼはグリューネワルト伯爵夫人を下賜されてはいない。

「ベーネミュンデ侯爵夫人は絶大な権力を誇っていた……今も誇っておられるがな。これらより導き出される答えは?」

 リヒテンラーデ侯の問いは、原作を読んでいた彼女も疑問を覚えた一つであった。

 ちなみにもう一つはエルフリーデの正体。

 

 ロイエンタールの子を身籠もったエルフリーデは偽物。本物のエルフリーデ・フォン・コールラウシュは……

 

「…………グリュ、ではなく、陛下のもとへ、なぜ新しい寵姫を? ベーネミュンデ侯爵夫人の怒りを買ってまでもミューゼル殿を送り込まなくてはならない理由があった。それは侯爵夫人でも止めることができなかった」

 エルフリーデの偽者については気になるが、時間としてどうすることもできない。正体の見当はついているが、まだそれは本人として生きており、偽のエルフリーデとはなっていないので、手出しができないのだ。

 

 まだ存在しない、もしかしたら存在させずに済むかも知れない「フェリクスの母親となるエルフリーデ」とは違い、動かすことができない存在、ベーネミュンデ侯爵夫人。彼女は死ぬ直前まで権力を握っていた。それほど権力を握っていたのならば、皇帝の好みではない女を用意させることもできた。

 だがその侯爵夫人を持ってしても受け入れざるを得なかった理由 ――

「正解だ、ジークリンデ。その理由だが、ベーネミュンデ侯爵夫人は度重なる流産により、妊娠ができない体となった。よって健康な娘を召し上げた」

 侯爵夫人には責任がないのだが、彼女の責任とされてしまうもの。

「なるほど。それと私にどのような関係が?」

「寵姫ミューゼルは十六歳。侯爵夫人が陛下に仕えたのは十四歳。そしてお前は十一歳。門閥貴族の子女のなかではもっとも美しい娘と評判で、大伯父は国務尚書を務めておる。帝国騎士の娘と伯爵家の令嬢。どちらが皇帝陛下の寵姫に相応しい」

「私は候補にのぼっていたのですか?」

「私はのぼらせた覚えはないが、周囲がいらぬ気を回してな。殿下としては若くて健康、そして門閥貴族の娘が寵姫になられると困るようだ」

「なるほど。フライリヒラート家を潰そうと」

「私も敵の多い男なのでな。フライリヒラート家を潰す際に、私も排除しようという輩がおった」

「それで私をフレーゲル男爵と?」

「結婚し、同衾もした。事実はどうかは知らぬが、これでお前は世間的には処女ではなくなった」

「なるほど。私が万が一陛下に召し上げられ、間違って身籠もったとしても、ルートヴィヒ殿下の地位を脅かすことはないという訳ですね」

「そういうことだ」

 フリードリヒ四世だけに限らないが、皇帝の子は、皇位継承権を持つ子と、庶子という皇位継承権を持たない、生まれながらにして臣下とされる子の二種類に分けられる。

 皇后の子が継承権を持ち、それ以外の子は庶子……ではない。それならば、寵姫でしかなかったベーネミュンデ侯爵夫人が産んだ子が殺害される必要はなく、侯爵夫人も「幻の皇后」と呼ばれることはない。

 この違いはなにか?

 それは生母が「処女か否か」によって分けられる。

 未来の皇帝の母親は、他の男に触れられていてはいけないのだ。フリードリヒ四世の庶子はすべて、かつて彼が豊満な女性を好んでいたころに誕生した者ばかり。

 フリードリヒ四世が処女の一夜妻を好んだ時期もあった。この場合、手をつけた者が次々と皇位継承権を持った子を産みかねない ―― その面倒を排除するため、処女性を優先するという名目で、初潮を迎えていない少女たちをフリードリヒ四世の寝所へと送った。

 そんなことができたのは、フリードリヒ四世が処女の一夜妻を求めていた頃、皇后が健在だったためである。

 

 その後、皇后が亡くなりベーネミュンデ侯爵夫人が迎え入れられることとなった。

 

「ならば別にフレーゲル男爵ではなくとも、よいのではありませんか?」

 実際はなにもしていないジークリンデだが、結婚して寝室を共にした以上「処女」とは言い張れないので、この先皇帝の寵姫として召し抱えられてもルートヴィヒを脅かす存在を産むことはない。

 一口飲まれただけの紅茶は冷え、室内の空気はそれ以上に冷えてゆく。

「お前は陛下の寵姫候補であり、ある人物の妃候補でもあった」

「重複していたのですか? 私は一人しかいないのに……ルートヴィヒ殿下ですか?」

「よく分かったな」

「大伯父上が語ってくださったさきほどの理由では、五割には及びませんので」

「お前は知らぬであろうが、殿下は侍女好きでな。後ろ盾がなく、殿下の意見に従うことしかできない、天涯孤独の女がお好みだ。後ろ盾があり、外戚が煩わしい門閥貴族の娘など以ての外だ」

「私は最悪ですね」

 エルウィン・ヨーゼフ二世 ―― ジークリンデは生き延びるためにルートヴィヒと、エルウィン・ヨーゼフ二世を身籠もっていた侍女を排除したので、この世界では存在すらしないが ―― が後ろ盾を持たなかったのは、ルートヴィヒの好みによる所”も”ある。

 

 最大の原因は皇太子に相応しい妃を選ぶよう指示しなかったフリードリヒ四世にあるのは、言うまでもない。

 

「そうだな。だが貴族たちにとっては、お前以上の候補はいない。恐れ多いことだが、陛下も当初はお前がよいのではないかと。だが殿下が嫌っていると知り、なかったことにして下さったどころか、相応しい相手を見つけるようにとまでおっしゃって下さった」

「はあ」

「殿下は陛下のお心は分からず、殿下はお前を排除しようとしていた」

「大伯父上もろとも、フライリヒラート家を潰そうと」

「私は敵が多い男でな」

「この会話、強い既視感を覚えるのですが」

「であろうな。私とお前を含むフライリヒラート家を守り、陛下もご安心くださり、殿下も落ち着かせるために、お前には早急に結婚してもらう必要があった」

「なるほど。ですがやはり、相手がフレーゲル男爵というのは些か」

 会ったこともない皇太子に、己の類稀なる持って生まれた美貌と、日々の節制という努力により得ている健康と、痩せぎすな大伯父のせいで、ここまで嫌われているとは、彼女は思いもしなかった。

「フレーゲル男爵がブラウンシュヴァイク家の跡取り候補であることは聞いたな」

 すっかりと冷えてしまった紅茶を彼女は一気に飲み干す。

「聞きました……候補ということは、競争相手がいらっしゃるのですね?」

「そうだ。シャイド男爵、コルプト子爵なども候補だ」

 原作において、五十歩百歩どころか二歩違うかどうかも怪しい者たち。その彼らの中からフレーゲル男爵が選ばれた理由は、

「フレーゲル男爵のお父上は内務尚書でしたね」

「文官同士の付き合いというものもあってな」

 やはりリヒテンラーデ侯にあった。

「内務尚書はご子息をブラウンシュヴァイク公にしたいのですね」

「おかしいことではない」

「なるほど。それで、残り五割はなんですか? 大伯父上。いいえ、銀河帝国の古狸、国務尚書リヒテンラーデ侯閣下」

 ジークリンデは飲み干したカップをソーサーに置き、それを手で避けてテーブルに両手をつき、身を乗り出す。

「……」

「その程度の理由なら、ご自身で対処できたでしょう。私を結婚させた真の理由、お聞かせください」

「喋ると思うか?」

「もちろん。喋らねば、私を使うことができません」

「なにに使われると考える? ジークリンデ」

「この年端もいかぬ子供を、早急に既婚者仕立て上げ、持ち要らねばならぬ緊急事態。帝国において、成人女性が求められ、大伯父上が関係するとなれば新無憂宮の西苑、いわゆる後宮。よって陛下の御為かと」

「正解だ」

 リヒテンラーデ侯はフリードリヒ四世には忠実であった。

 


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