黒絹の皇妃   作:朱緒

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第89話

 将官ともなると、昼は大抵が会食となる。

 この時間を使って副官も昼食を取るのだが、ただ食事を取るだけではなく、情報交換など、仕事をしながら大急ぎで詰め込むような形になることが多い。

「ノイエ=シュタウフェン公爵夫人とは、どのようなお方なのだ? ザンデルス」

 同期の副官たちは、サンドイッチを食べながら、午後の親任式とその後のパーティーにおいて、重要人物にどのように接するべきかを、話し合っていた。

「女王さまをイメージして行け、シュナイダー」

 ザンデルスは滅多にカタリナがいるような場所に行くことはなく、直接会話をしたこともないが、先日のファーレンハイトを扇子で殴り付けたり、ロイエンタールに右乳首がどうだとか言い出したりと、好き勝手している姿を見て、女王さまとしか言いようがなかった。

「女王(ケーニギン)……分かるような、分からないような。容姿、血筋、爵位から考えれば、そう呼ばれても、おかしくはない方だものな」

 かつてのフェルナーが通ったのと同じ道を、シュナイダーも通りかけていた。その先にあるのは、間違いなく底のない落とし穴である。

―― そういう意味じゃねえよ。相手は公爵夫人なんだから、これ以上砕けた言い方できねえんだよ。俺の言葉の端々から危険を感じ取れよ、ベルンハルト・フォン・シュナイダー

 その軌道修正は、当人と遭遇することでしかなし得ないことを知っているので、ザンデルスは諦めて、他の注意事項を告げる。

「ご機嫌を損ねるようなことはしないように。でもご機嫌取りはしないように……ノイエ=シュタウフェン公爵夫人にお会いする前に、提督に言われた言葉だ」

 話す機会はなくとも、卑屈な笑いを浮かべるのは無論だが、容姿を凝視するのも駄目、だが全く無視するのも好ましくないと、正直どうしていいのか? ザンデルスには分からなかった。

 仕方ないので戦場にいる時のように注意深く、気を抜かず、何事にも対処できるよう気を張って、なんとかやり過ごしたという過去がある。

「難しいな」

「実際かなり難しい。それにジークリンデさまの身に不幸があって以来、かなり軍人に対して、あたりが強い。うちの提督ほど、ひどい目には遭わないだろうが、ある程度覚悟していけ」

「そうか。世辞を言ったりせず、なにを言われようとも、耐えるつもりでいればいいのだな?」

「最善だと思う。でも、提督や司法尚書も参加するから、そっちが……うん。間違ってもメルカッツ元帥に、なにかしたりはしないだろうから、そこは安心してもいいだろう」

「そうか。ところで、ジークリンデさまのご様子はどうだ?」

 国葬以来、人前には姿を見せていないので、シュナイダーも心配していた。

「俺は部屋に立ち入ることはできないから、お姿を拝見したわけじゃないが、キスリングから聞いたところでは、必死に立ちなおろうとしている姿が、余計に痛々しいとか」

「そうか」

「御本人も立ちなおろうと必死で、泣いているだけでは駄目だと、バレエやダンスができる部屋を用意してと言われたから、大至急部屋を用意した。そこで体を動かされているのだが……とにかく辛そうだと」

 何をしていても、過去の記憶と現在がリンクして、居なくなった人たちを思い出してしまい、涙があふれ出し、動きが止まってしまうのが、今の彼女。

 本人も泣くという行為が苦しく、止めたいと思うのだが、泣くのを我慢すると、これもまた苦しくなってしまい、自らの体を抱き、体を丸めて、それらが過ぎ去るのをじっと耐える。だがそれも限度があり、また泣く ―― それらを繰り返す毎日であった。

「私には早くお元気になってくださるよう、祈るしかできないが。そういえば、フォン・ビッテンフェルトが、辺境視察に行く前に訪問して、泣いているお姿を見て、行きたくないと言わせたと聞いたが……本当なのか?」

「それは、本当のことだ。オイゲンさんがびっくりしてた」

 オーディンに居るより、宇宙に出て戦争していたほうが性に合うと言い切るビッテンフェルト。

 そんな彼だが、彼女を見舞った際、泣いていた彼女を見て、今回の出撃は見合わせたいと漏らした。

 もっとも、泣いている彼女を抱きしめて、自分が辺境へ赴く、真の理由を思い出して、前言を撤回し、言いかけた言葉「仇は取ってくるからな」も飲み込んで、オーディンを発ったのが、二月の末。

 

 

 このビッテンフェルトの辺境視察は、原作ではキルヒアイスの辺境平定にあたる。

 ラインハルトの部下は原作よりも少ないため、辺境へ割く兵力がなかったので、ラインハルトの麾下の将兵ではなく、独立した帝国の守備部隊の一つである、ビッテンフェルト艦隊が請け負うことになった。

 内乱が起こると末端も不安定になるので、統制が取れた中央の軍が出向き、治安を維持する必要がある。

 またオーディンに入国制限があるように、内乱中は帝国のいたるところで、入国や宇宙船の通行に関して統制が敷かれているため、どうしても辺境は物資不足となるので、それらを解消するために、軍が救援物資を運ぶこととなる。

 

 無論重要な仕事だが、この辺境視察と物資供給の真の目的は、地球教徒の聖地である地球への総攻撃のための布陣。

 ビッテンフェルトはできるだけゆっくりと辺境を巡回し、彼らの生活の安全を確保しながら、ラインハルトの賊軍討伐完了を待ち、その報告を受けると同時に、ロイエンタールとファーレンハイトがオーディンを発って、ビッテンフェルト艦隊と合流して地球教本部を殲滅させるシナリオになっている。

 ビッテンフェルトの艦隊とファーレンハイトの艦隊は、頻繁に演習を行っているので、共同戦線を張るのにはこれ以上ない艦隊同士。

 辺境に大規模な二艦隊も向かわせるとなると、どこぞに潜んでいる地球教徒に不審がられる恐れもありそうだが、ぎりぎりまでロイエンタールが地球教徒を、欺し続ける。

 司法尚書であり、尚書就任とともに、中将へと昇進したロイエンタールが、この派兵に随行するのは、投降者がいた場合を考えて。

 地球教徒に寛大な措置を取るための行為ではなく、その中にド・ヴィリエなど、幹部が一般信者を語って逃げおおせようとしていないかを確認するため。

 地球教の幹部であったロイエンタールだけが、彼らを見分けることができる。

 データベースなども作っているが、なにぶん、元となる映像がほとんどないので、目視に頼らざるを得ない状態。

 

 そのため、この三人で地球を制圧しに向かうことになった。

 

 地球教徒の凶行と彼女の一族の死、そしてこれらの計画をロイエンタールに聞かされたビッテンフェルトは、彼らしく即座に攻撃を仕掛け、殲滅させようと言ってきたが、

「真っ先に地球へ向かい、爆撃してしまえばいいだろう。我が艦隊が全力であたれば、不可能はない」

「いまは奴らも警戒している」

 ロイエンタールは、それを制する。

「警戒したところで、いかほどのことか」

 地球教に詳しくないビッテンフェルトは、彼らなど恐るるに足らずと、持論を引っ込めない。

「卿が言い分はもっともだが、賊軍にも大量の地球教徒が含まれている。奴と呼応されると厄介なのだ」

 ”単純だ”ロイエンタールは思いつつも、この性格であれば、裏切ったりはしないだろうと信頼し、この時点では、あまり知られていない事実を教えた。

「賊軍など」

「確かにな。だが万が一、エッシェンバッハ侯が内乱で戦死したら、厄介なことになる。それは卿も分かるであろう」

 彼らにとってラインハルトが戦死する可能性は、当然のことながら存在する。

 それを念頭におき考えると、ロイエンタールが提示した策が、この時点では最善であると、ビッテンフェルトも認めた。

「万が一、エッシェンバッハ侯が戦死したらどうするのだ?」

 ラインハルトが戦死した場合、残存兵を集めて、メルカッツが指揮を執り、出撃することになる。

「その場合、今回は地球を攻撃することを諦め、卿には速やかに帰国してもらう」

「……分かった」

 このようなやり取りを経て、ビッテンフェルトは任務を引き受けたのだが、泣いている彼女を前にして、地球教に対して更に怒りを感じるよりも、非常にやりきれない気持ちになった。

 泣き続ける彼女に「辺境で困っている者たちがいると、駄目だからな。物資を待っている者たちがいるから行ってくる。なあに、危険はない。安心して待っていろ」と、嘘をついて ―― 後ろ髪を引かれる思いで、ビッテンフェルトは艦隊を率いてオーディンを発ち、辺境へと向かった。

 

 

 辺境を巡回しているビッテンフェルトから、軍務省のメルカッツの元に定期報告が届く。

 極秘裏に行われる襲撃だが、メルカッツは当然知っている。

 尚書に就任したメルカッツの協力がなければ、この作戦は遂行できなかった。

 今日のメルカッツとファーレンハイトの会食は、それらについての話し合いの場としての意味もある。

「作戦、上手くいくと良いな」

 副官であるシュナイダーとザンデルスも、事情を知る立場にあり、作戦成功のために全力を尽くすつもりであった。

「上手くいかせてみせる。そうだ、シュナイダー。軍人にも関係ある宮廷行事と、その際に副官が行うべきことを書いたマニュアル、コピーしてきたんだが」

 大きめの皿に、二段に積み上げられていたサンドイッチは食べ尽くされ、二杯目のコーヒーを飲んでいるところで、ザンデルスがおもむろに、B5版に近い大きさの端末を取り出し、シュナイダーに画面を見せる。

「そんなものあるのか?」

 カップを置いて端末を受け取ったシュナイダーは、次々とページを送って流し読みをする。

「個人的なものだよ」

「個人的?」

「提督が副官だった頃に、上官から渡されたんだそうだ。十年近く前のものだが、宮廷行事はこの十年くらいは、なにも変わっていないから、役に立つんじゃないかと思ってな。必要ならコピーしてくれ」

 シュナイダーは自分の端末を取り出して、コピーを開始する。

 次々とダウンロードされる、細かいマニュアルを眺めていたシュナイダーは、なにかを思い出した。

「ありがたい……だが、このいたる所にある書き込みの文字、どこかで見たことあるような」

 あまり思い出したくないような、そんな記憶が、小さな棘に引っかかる。

「うん、見たことあるはず。マニュアルを作って、ご丁寧に書き込みまでしてくれたのは、俺たちが在学していた時に、それはそれは、艦隊理論について詳しく教えて下さった、かの理屈倒れのシュターデン大将閣下だ」

「シュターデンか……ファーレンハイト提督は、シュターデンの副官を務めたこともあったのか?」

「シュターデンの副官の次に、メルカッツ元帥の副官を務めたのだそうだ」

「あまり聞かないな」

「副官だったのは半年ほどで、あと辞めた理由が、シュターデンをぶん殴ったからだとかで……」

「普通は罰せられるよな。だが、ファーレンハイト提督の経歴には、なんら瑕疵はなかったはずだが」

 副官が司令官を殴ったら、経歴に傷が付くどころか、銃殺されてもおかしくはないのだが、ファーレンハイトの経歴には、なんら問題はない。

「それはまあ……」

「理由を聞いてもいいか?」

「メルカッツ元帥のほうが、詳しいはずだが」

 前の上官を殴った男を副官に添えるのだから、メルカッツは事情を当然聞いている。

「閣下は聞いても答えては下さらないよ」

「だろうな。言っておくが、俺もシュターデンが何を言ったのかは知らないからな。提督がシュターデンの副官になったのは、ジークリンデさまの亡きお父上が……」

 

 彼女の元にやってくる以前、ファーレンハイトは装甲擲弾兵が属する部署で、内勤の仕事をしていた。

 そして運命の手紙が送られてきて、部下にと請われ、抵抗などできないので、そのままブラウンシュヴァイク公の私軍へと移った。

 このような流れで、オフレッサーは狩猟場で彼女の父親である伯爵と会った際「所属していた男が、伯姫に選ばれた」ことを話した。

 話を聞いた伯爵はそれに先立ち、フレーゲル男爵から「こいつには、ブラウンシュヴァイクの艦隊を率いてもらう」と聞かされていたので首を傾げた。

 伯爵は軍事には疎いが、装甲擲弾兵と艦隊司令では、畑違いということは理解してのこと。

(伯爵は長いことファーレンハイトは装甲擲弾兵だと勘違いしていた上に、ファーレンハイトも訂正しなかった)

 その後、ファーレンハイトはフレーゲル男爵から「結果が分かってから考えると、ばかばかしいにも程がある命令」を受け、伯爵家へとやってきて ――

「賢い娘だと思ったのだけれどね」

 内勤だった男に、いきなり艦隊司令官になれと命じたことが、事実だと伯爵は知らされ、

「軍事に疎い私でも、装甲擲弾兵と艦隊司令が違うことは分かっているのだけれど……で、艦隊司令官になるのかね? そうか。では、私の知人の副官を務めて、仕事を覚えたらどうかな?」

 娘の無茶ぶりを叶えようとしているファーレンハイトに、伯爵は善意でシュターデンの副官になるよう勧めた。

 伯爵とその周囲から情報を集める必要があったファーレンハイトは、その申し出を受け、シュターデンの副官となった。

 

 フレーゲル男爵からの命令の下りはザンデルスには説明していないが、伯爵からの紹介でシュターデンの副官になったのは、先ほどのマニュアルを渡した時に説明をしていた。

 

「こうしてシュターデンを紹介されて副官に。そして……ここがはっきり分からないんだが、どうもシュターデンのやつ、提督になにやら”ジークリンデさまの性的なこと”を聞いたらしい。ジークリンデさまのことに関しては、沸点が異常なまでに低い提督は、聞かれた直後に、亡きお父上の前であろうが容赦せず殴り付けたらしい」

 尋ねた内容があまりにも酷かったため、殴ったファーレンハイトは不問にされた上に「お前が副官になってみたいと思う将官を選べ。誰でもいいぞ。褒美だ」とフレーゲル男爵に言われメルカッツを選び、殴られたシュターデンは、副官なしでも仕事ができる士官学校に移動となった。

「なにを聞いたんだ、あいつ」

 背後に権力者がいたとは言え、殴ったほうが罪を問われないような質問とは、いったいどのようなものなのか? シュナイダーは少し考えてみたが、全く思い浮かばなかった。

「怖ろしく下世話なことを聞いたんだろうな。なにを聞いたのか、俺も知りたくて、フェルナー少将に尋ねたんだが……殺されるかと思ったぞ」

「なにがあった」

「”なぜファーレンハイトは、ジークリンデさまを侮辱したシュターデンの息の根を止めなかったのだ”言っている時の表情が、もうね……。フェルナー少将なら、間違いなくやってたな」

 上官の怒りのポイントがどこなのか? 知っておくべきだろうと情報収集を行ったところ ―― 地雷原を避けようと海に飛び込んだら、機雷原に突っ込んだような形になってしまった

 聞きだそうとするのは危険だと判断して、以来、ザンデルスはこの件に関しては触れないようにしていた。

「理由は詮索しないでおくが、このマニュアルはありがたいな」

「ああ。マニュアルだけは、本当にありがたい。提督も”シュターデンはともかく、マニュアルには罪はない”と、取っておいたくらいだからな」

 

 副官たちが、そんな会話をしている頃 ――

 テーブルについて食事を取りつつ、派兵や防衛について話し合いが一段落したところで、仕事以外のことはあまり話さない、無口なメルカッツが水を向けた。

「あまり思い詰めんようにな」

 唐突なそれに、ファーレンハイトは何を言われたのか分からず聞き返す。

「なんのことでしょうか」

「周囲の卿らまで、そのように思い詰めていては、いかんのではないか」

「思い詰めているように、見えますか?」

「見た目は変わらんよ。だが余裕は感じられんな。卿らが張り詰めた空間を作ってしまっては、公爵夫人の気も休まらぬのではないかな? いまは公爵夫人を追い詰めぬよう、できるだけ余裕を持って接してはどうだ?」

 キャゼルヌの仕事は手早く正確で、資産状況の確認はもちろん(五つほど借金があったので、それらは返上)すでに陞爵の手続きすら終わり、彼女が知らぬ間に、ローエングラム公爵夫人となっていた。

「ご指摘、ありがとうございます」

 ファーレンハイト自身、彼女が自害したいと希望したら、それを叶えたほうが良いだろうと考える程になっていたので ―― メルカッツの助言は、非常に良いタイミングであった。


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