ミュラーの代わりを務めたのはキスリング。
警護の仕事の範疇ではないのだが、人手が足りないこともあり、警護しつつ、棺に収められたのが誰なのか? 端末で映像を見せながら、無言で付き添う。
二月も終わりに近づき、日照時間は長くなってはいるが ―― 全ての親族と召使いの確認を終えた時、すでに空はすっかり暮れていた。
帝国の軍服にも似た空を見上げ、地上車へと乗り込み、元帥府へと戻る。
「ジークリンデさま、お時間をいただけますか?」
彼女の帰宅を待っていたオーベルシュタインに声をかけられ、
「構いませんよ」
会議室へと通された。
「こちらですが」
オーベルシュタインが彼女に差し出したのは、弔辞が書かれた紙。
受け取った彼女は、ざっと目を通す。
「用意してくれたのね」
「内容をご確認していただきたいのですが」
「良いのではないかしら。私はこういう文章に疎くて。いつもシュトライト任せなの」
オーベルシュタインが用意したのだから、間違いはないでしょうと、折り目どおりにたたみ直した。
「では、本文をシュトライト准将に確認していただきます」
「そう……ね。あなたの文に間違いがあるとは思わないけれど」
死体を確認し、明日読む弔辞に目を通し、全てを失ったことに向き合った結果、悲しいという現実をやっと彼女は認識することができた。
「オーベルシュタイン」
「はい」
「明日が終わったら、しばらく何もせず、泣いていていいかしら?」
出来ることなら今すぐ泣きたいのだが、わき上がってくる悲しみを、明日が終わるまでは耐える決意を固めた。
「はい。他にご要望がありましたら、なんでもお申し付けください」
「私が会いたいというまで、誰も通さないで」
「かしこまりました」
「それだけで良いわ」
泣きたいだけ泣けば、きっと立ち直れる ―― 自分自身に言い聞かせた。
その後、オーベルシュタインからファーレンハイトは式場の警備にあたっているので、今夜は呼び出されてもすぐに応じられないことを告げられた。
ファーレンハイトは国葬が執り行われる会場と、彼女の親族たちの葬儀会場の警備と準備を担当していた。
彼女の帰宅後、安置所から会場へと棺の移動が始まった。
警備はむろん二十四時間体制。
「会場が襲撃されるようなことはありませんので、どうかご安心ください」
少しでも彼女を危険な目に遭わせないようにと、取り得る最善の策を講じている。それはいつものことで、本来であれば彼女に語るようなことではないのだが、今回は別。裏方の動きを告げて危険はないと教えることで安心感を与える。
実際オーベルシュタインが、襲撃の心配はないと言った時、彼女の表情は、ほんの少し和らいだ。
和らいだだけで、悲しさに作用したわけではないので、消えてしまいそうな笑みになってしまったが。
「では、明日は万全ね」
あとは用事はないということで、彼女は部屋へと戻った。ソファーに腰を下ろし、すぐに弔辞を声に出して読んでみる。
「出るかしら、声」
喉を触り、発声練習めいたものをしてみた。
意識すると、どうも自分の声がおかしく感じられ、気になると余計にその考えにとらわれる。
「……どうにか、なりますよね。別に私は……」
”容姿で世の中を渡ってきたのですから”
上手く喋れなくてもいい ―― 言い逃れした彼女は、ふと思いたち、全身が映る姿見の前に立つ。
鏡に映る自分を、できるだけ客観的に全身を見て、そして顔を鏡に近づけ、
「泣いては駄目よ、ジークリンデ」
泣きそうになった自分に声をかけた。
「明日、人前に出るのだから。容姿は私に残された、最後の砦なのだから」
泣いて腫れ上がったような顔でも良いかもしれないが、きっとリヒテンラーデ公は、そんな姿の自分に送られたくはないであろう ――
「大丈夫、大丈夫。きっと、乗り切れる。美しくさえあれば、きっと大丈夫。そうでしょう、大伯父上」
そして鏡の前で微笑む。
切りそろえられた前髪。形の良い眉、けぶるような睫。大きく澄んだ瞳。歪みのまったくない、通った鼻筋。張りがありなめらかな唇。
全てを失ったことを知り、精神的な疲労からやや痩せ、輪郭から柔らかさがなくなったが、それが表情に陰を落とし、今の彼女に相応しい表情を作り上げていた。
”明日が終わるまでは泣かない”自らに言い聞かせながら、明日の準備の最終確認をし、ベッドに入る。
「……」
早く眠らなくてはと思う彼女だが、まったく眠気は訪れず、何度か寝返りを打ってから、膝を抱いて頭を押しつけてしばらく悩み、
「キスリング、いますか」
「ここに」
「ヴィジフォンでフェルナーと連絡を取れる?」
フェルナーと話したら少しは楽になれるような気がして、連絡を取ってくれるよう依頼した。
「かしこまりました。少々お待ちください」
フェルナーはまだ声が出ないのだが、とにかくキスリングは急いで彼女の願いを叶えるべく、リュッケに連絡を入れた。
フェルナーの警備を担当しているリュッケが、画面に現れる。
「どうしたんだ? その髪」
彼女に兄と見間違われたリュッケは、できる限り悲しませないようにと、金髪に髪を染めた。
『似合いませんか? キスリング中佐』
「似合ってない」
だが非常に似合っていなかった。
『そ、そうですか』
はっきり言われて、気恥ずかしくなったリュッケだが、
「そんなことよりも。ジークリンデさまが、フェルナー少将とお会いしたいそうだ」
そんな彼に付き合ってやるほど、キスリングは暇ではない。
『会話できませんけれど、よろしいのでしょうか?』
「医療用端末と、ヴィジフォンをつなげられないか?」
フェルナーが会話に使っている端末は、基本、他の端末と接続していないので、このような状態では会話ができない。
『出来ないこともありませんが、調整には時間がかかります』
「俺たちの失態だな。まあいい。早くフェルナー少将につなげ」
彼女がフェルナーと話をしたいと願うのは、予想できたことだと、キスリングは自分の考えの至らなさに、いらだちを覚える。
『はい』
リュッケは急ぎフェルナーの元へ。時間が時間なので、眠っていたフェルナーだが、
「フェルナー少将。ジークリンデさまから、ヴィジフォンが入ってます」
「……」
起こされて即座に”早くつなげ”とキーボードを打ちながら、左まぶた再建手術を受ける前には黒髪だった中尉が、気付いたら金髪になっていたことに ―― フェルナーなので驚きはしなかったが”なにをやっているんだ、こいつ”とは思った。
むろんリュッケの髪の色が変わったことなど、いま突っ込んでいる時間はない。
『アントン。眠っていたところ、起こしてしまって』
画面に現れた彼女の顔色は、青ざめているとしか言いようのない状態で、すぐにでも休んでくださいと、言いたいほど。
―― 側に居たら、無理矢理寝かしつけるところだが
[打ち込んだのを読め。できるな?]
彼女の隠しきれない辛さを前に、側に居ることすらできない自分の不甲斐なさに苛立つも、それを彼女に気取られては困るので、包帯であちらこちら巻かれ、ほとんど見えない状態の顔ながら、できる限り表情を変えぬよう努力する。
「はい」
[声が出ないので、打ち込んだ文字を読み上げます]
フェルナーが打った文章を、そのままリュッケが読み上げる。
『まだ話せないの……そう。早く良くなって。アントンの声、聞きたい』
[申し訳、ございません]
彼女はその後、話し掛けず、フェルナーを見て笑うだけ。
何度かフェルナーが話し掛けたが、首を振るだけで、まったく答えようとしなかった。
そんな時間が過ぎ ――
『眠っていたところ、起こしてしまって、ごめんなさいね。でも、またこんな非常識な時間に、こんなだらしない格好で、ヴィジフォン入れてもいいかしら?』
フェルナーが頷いたのを見て、彼女はヴィジフォンを切った。
**********
翌日彼女は、当然のことながら喪服をまとった。黒のローブ・モンタントで、裾を大きく引くのが特徴の、全身を覆い隠すデザインの喪服である。
そして黒いミドル丈のマリアベールで髪を覆う。肌を一切見せない格好となったのだが、それが余計に人々に色気を感じさせた。
手には黒い扇子を持って、彼女はキスリングに手を引かれ地上車に乗り込んだのだが、車中には、先客がいた。
「久しぶりだな、ジークリンデ」
「マールバッハ伯」
向かい側に座っていたのは、喪服を着たロイエンタール。
あの日の夜の出来事が蘇り、彼女は背もたれに背を押しつけて、間を取ろうとした。彼女自身、気付かない、まさに無意識の行動。
地上車が振動なく走り出し、辺りの景色が流れる。
「お前に色々と事情を説明したいのだが」
組んでいた腕をほどき、身を前に出して彼女に説明したいと申し出たのだが、拒否された。
「お時間をいただけますでしょうか?」
「時間?」
「立ち直ってから、うかがいたいのです。今聞いてしまったら、無理です」
「ジークリンデ」
彼女が無理だというのだから、無理なのであろうと ―― ロイエンタールは乗り出していた体を、元に戻し、僅かだが距離を取る。
「一つだけいいか? ジークリンデ」
「なんでしょう」
「俺のことを、これからオスカーと呼んで欲しいのだが。それが無理ならば、ロイエンタールで頼む」
「オスカーは少々……ロイエンタール卿でよろしいでしょうか?」
「今はそれで我慢する」
ロイエンタールと付き合った女性が見たこともない、優しく、はっきりと労っていると分かる、おおよそロイエンタールらしからぬ柔らかな表情で、彼女の言葉に答えた。
以降車中はどちらも口を開かず、無言のまま会場へと向かうことになった。
彼女は俯いたまま、両手で扇子を握り、早く会場に到着して欲しいと。
外の景色に目をやり、見覚えある光景が無残に破壊されていたら……そう思うと、彼女は外を眺めることができなかった。
地上車が止まり、窓の外で軍人が並んだのが彼女にも見えた。
ドアが開けられ、まずはロイエンタールが下車し、
「こい、ジークリンデ」
差し出された形が良く、それでいて男らしい手。
リヒテンラーデ公の首を持っていたその手に、恐怖を覚えなかったわけではないが、会場に到着した以上は、好き嫌いも恐怖も憎悪も悲しみも秘めて、貴族らしく振る舞うべきであろうと、黒い手袋で覆われている手を差し出した。
ほっそりとした彼女の手を、ロイエンタールは壊れ物に触れるかのように触れ ―― こうして彼女は美丈夫に手をひかれ、国葬が執り行われる会場へと降り立つ。
葬儀会場に花を添えてしまった美しき男女の姿に、誰もが息を飲み、状況を理解して、参列者がざわめく。
この時までロイエンタールは公には姿を隠しており、彼の動向は多くの貴族たちが気にかけてはいた。
そして ――
「司法尚書オスカー・フォン・ロイエンタール」
リッテンハイム侯と志を同じにしていると思われたロイエンタールが、新司法尚書として、死んだ帝国宰相の国葬に、賊軍討伐の指揮を執っているラインハルトの妻とともに現れるという、これ以上ない登場の仕方で「正々堂々」と賊軍を裏切った。
その不敵な表情は、帝国中に流された。
宇宙で必死に正統な皇位継承者はリッテンハイム侯のご息女だと叫び、ラインハルトたちに追われている貴族たちは、その姿と名、そして役職名を知り愕然とした。
”我々はあいつに裏切られたのだ”と ―― 叫べば叫ぶほど、彼らは惨めになる。
宇宙での出来事に思いをはせる余裕などない彼女は、無垢な赤子のような笑みを浮かべると言われた口で、弔辞を読み上げた。
よどみなく、声を震わせるようなこともなく。然りとて感情がないわけではなく。涙を流すことはなく、されどその表情は悲しみに満ちていた。
痛々しさも儚さもなく、真摯に親族の死と向かい合い、貴族の矜持を保ったままの後ろ姿は凜としていた。だが細い肩は頼りなく、葬儀を終えて立ち去る際に、ロイエンタールが彼女の肩を抱いたとき、多くの者が無責任ながら安堵した程に。
再びロイエンタールと共に地上車に乗り、今度は「彼女の一族」の葬儀が執り行われる会場へ。
「最後まで居たいところだが、所用があり、途中で抜けることになる。済まんな」
「いいえ。足を運んで下さるだけで充分です」
「ジークリンデ」
「なんでしょう? ロイエンタール卿」
「先ほどは、立派だった。よくやった」
「ありがとうございます。ところで……このようなところで、申すのも失礼かとは思いますが、司法尚書にご就任、おめでとうございます」
どうしてロイエンタールが司法尚書になったのか? いまの彼女にそれを考えるほど余力はないが、栄達に対して祝辞は述べねばと。
実は彼女は、三日ほど前にロイエンタールが司法尚書であることが、分かる書類に目を通していた。ファーレンハイトが彼女の後見人となった ―― その書類に、しっかりとロイエンタールのサインがあったのだが、他の部分が衝撃的で、それに気づけなかった。
装甲車に護衛され、彼女が乗った地上車は一族の葬儀が執り行われる会場へと到着し、国葬の会場と同じくロイエンタールに手を引かれ、まっすぐ彼女の控え室へと向かった。
控え室で待っていたファーレンハイトが彼女の手をロイエンタールから受け取り、ドレッサーの前へと促す。
そこで化粧を直し、マリアベールを取り替える。
先ほどまでは腰の辺りまでのミドル丈であったが、今度は身長の倍近い三メートルはあるもの。
そして扇子をジェット製の数珠に持ち替えて、彼女は会場へ。
宗教がなくなった世界では、祈りを捧げる聖職者はおらず、残された者の代表が、かつて聖職者が行っていた死者への祈りを捧げなくてはならない。
普通代表は男性が務めるもので、本来ならば彼女ではなくラインハルトが取り仕切るべきなのだが、彼がいないので、彼女が述べねばならなかった。
述べる言葉は、学んでいるので苦労はしないが、精神的には辛いものであった。
彼女も自身が独身であったなら、諦めも付いたであろうが ――
祭壇へ一人で歩み寄り、膝を折る。係の者たちがマリアベールを、大理石の床に大きく広げ、彼らが去ったのを確認してから、彼女は数珠を通した指を組み、祈りを捧げる。
彼女は亡き父への死を謳い、失った兄への鎮魂を囁いた。
そういった儀式めいたものが終わり、あとは立食パーティーとなる。
その会場で彼女は、かけられる言葉に丁寧に対応し、対応すればするほど、多くの身内を失ったのだと、否応無しに実感させられた。
会場全体の警備を指揮しているファーレンハイトは彼女の側には居られず、ロイエンタールは仕事があるため、彼女の手に口づけて早々に去り、
「ジークリンデさま、何かお飲みになりませんか?」
「……飲んだほうが、良いかしら? キスリング」
彼女の側には、キスリングがずっと付き添っていた。
「はい」
「分かりました」
シャンパンが入ったグラスを乗せたトレイを持っている給仕を呼び、彼女はグラスを一つ手に取る。
舌に刺激を与える甘いシャンパンを、少しずつ飲んでいると、彼女が知らない貴族が話し掛けてきた。
会場に通されたので、身元は確かで武器など携帯していないのだが、人間性はそれらでは判断できない。
顔の肉がそげ落ちた、実年齢よりも老けてみえる女性と、その女性によく似た男性。
「息子でございます」
息子といっても、彼女よりゆうに十以上は年上に見える。その息子は、自分でなにかを言うわけではなく、母親だけが口を開き、あまり上品とは言えないしゃべり方で、ひどく彼女を傷つけた。
「一つ息子にいただけませんでしょうか」
母親には悪意はなく、彼女が傷ついたなどとは思っていない。
「爵位を……ですか?」
「はい。噂では最低でも十五は継がれるとか。さすが名門中の名門の血筋に生まれついた姫君、うらやましいですわ。私どものような末端の者は……」
十五の爵位を継がなくてはならないということは、最低でも彼女の近親者が十五人は死んだことになる。
「……」
彼女は数多くの爵位を継ぐのが確定しているため、名乗る際に使っているローエングラム伯爵の地位も上げる必要があるとされ、近々陞爵されてローエングラム公爵夫人になるのは、彼女が知らぬだけで既定の事実であった。
「死んだ夫は、かなり遠縁ですがベルンハイム男爵家に連なっておりまして、その血を引く息子に是非その男爵家を」
だから強欲とはほど遠い、優しい彼女ならば、男爵家くらい分けてくれるであろうと。その親子は”純粋”に信じて彼女に持ちかけたのだ。
悪意のない人間の全てが無害なわけではない。
悪意がないほうが性質が悪い場合が、往々にしてある。
彼女が青ざめても気にせずに、悪意の欠片もない彼らは希望を押しつける。この機会を逃したら、次に彼女会う機会を得るのは難しいことは分かっているので、必死でもあった。
「うらやましい、うらやましい。たくさんの爵位を継がれてうらやましい」と言葉を重ねられれば、重ねられるほど「お前の身内は死んだのだ」と、聞きたくもないのに繰り返されているような気持ちになり、まだ半分ほどシャンパンが残っているグラスを持っている彼女の手が震え、落としそうになった。
「お下がりください。ここは、そのような話をするような場所ではありません」
キスリングはそれを掴み、護衛の分をわきまえずに進み出て、彼女を体で隠す。貴族相手に”下がれ”と怒気を隠さない声で威嚇し、殺気を滾らせたトパーズ色の瞳で睨む。
”無礼者”と言いたかった貴族だが、キスリングの容赦のない視線に、抵抗するほどの気概はなかった。
自分の服の端を握っている彼女の手の感触に、もっと早くに下がれと言えば良かったと、出来ることなら、殴りつけたかったと思いながら、その親子が会場から去るまで、キスリングは睨み続けた。