ケスラーは貴族がラインハルトを襲撃した際、リッテンハイム侯の邸を制圧し、捕らえられるのであれば侯を捕らえるよう命じられていた。
ラインハルトの住居であるシュワルツェンの邸が襲われると、ケスラーは命令に従い部隊を率いリッテンハイム侯の邸を強襲する。
玄関扉をぶち破り、邸内に侵入を果たしたケスラーであったが、そこはすでに、もぬけの殻であった。
「慌てて逃げたようだな」
「そのようですね」
邸内に隠れていないかどうか、また邸内に爆発物などが仕掛けられていないか、部下たちに調べさせる。それと同時に邸内の美術品なども、押収することになっていた。
その間ケスラーは、玄関から広がるホールで待機し、状況に応じて指示を出す。
しばらくすると、邸内に爆発物がないことが確認され、ケスラーは邸内の押収品を見て回る。
邸の主やそれに準ずる者たちの部屋は、ケスラーが自ら調査し ―― 三番目に、金の蔦模様枠で飾られた白い扉の前に立つ。
室内は少女の部屋だと一目で分かる、フリルとレースにあふれ、マネキンには水色の華奢なドレスがかけられていた。
ケスラーはそのドレスに見覚えがあったが、どこで見たものなのかすぐに思い出すことができなかった。
きれいに片付けられている部屋に不似合いなのが、倒れた白い丸椅子。
その丸椅子とセットなのであろう白い作業台にケスラーは近付いた。
台の上にはラベンダー色の布が刺繍枠に張られており、天使らしき人物が途中まで刺繍されていた。
あと目をひくのは、倒れた写真立て。
椅子の状況かすると倒れたように感じられるが、もしかしたら部屋の主が自ら伏せたのかもしれないそれ。
宝石がちりばめられたフレームに収められていたのは、彼女が以前ケスラーに見せたものと同じ。
撮影された場所は新無憂宮の南苑の一角。
クラック・デ・シュヴァリエ城のアーチ天井の廊下を模した、新無憂宮内では地味も見えるな場所で撮影された。
ワイン色の椅子に座る、イミテーションの軽いティアラを頭に乗せているカザリン・ケートヘン一世。
その両脇に立っている、少将の階級章を付けた軍服姿の彼女と、濃い紫に金糸の刺繍が鮮やかなドレスを着ているカタリナ。
そして金髪が映える水色のドレスを着て、彼女と腕を組み顔を綻ばせているサビーネ。
写真から目を離し、かけられている水色のドレスに目をやる。それは同じものであった。
大人には様々な事情はあるが、ケスラーとしては無関係な少女の部屋を荒らすのは気が引けた。
まして彼女と仲の良い少女。
ケスラーは写真立てを台に立てた形で戻し、部屋の現状維持を命じた。
「この刺繍……いや、この部屋は確認後、立ち入り禁止にしておくように」
黒い髪に白い翼の天使は、きっと彼女なのだろうと ―― 後に押収されたサビーネの日記から、ケスラーの推測が正しかったことが明らかになる。
あらかたの確認作業を終え、邸内に侯とその一族はいないことを、はっきりとさせたケスラーは、捕らえられなかったことをラインハルトに連絡すべく、通信を入れるよう命じた。
「エッシェンバッハ元帥に連絡を」
手間取るような作業ではないのだが、三名の通信兵たちが、互いに顔を見合わせて、
「閣下」
「どうした?」
そのうちの一名が画面を指さし、異常を報告する。
「通信妨害が確認されました」
今回の作戦において、ラインハルトの部下たちは派遣されなかった区画。その辺りは、襲われないであろうとラインハルトたちは考えていた ―― 彼女の実家である。
「場所は?」
「はっきりと妨害波の出所は分かりませんが、おそらくホーエンシュタウフェン地区と思われます。今回の作戦ではこの区画の貴族は……どうなさいました?」
ケスラーが眉間に皺をよせて渋い表情を浮かべたことで、答えていた兵士は自分がなにか見落としたかと、焦りを覚えつつ尋ねる。
「伯爵邸だ」
ケスラーは言葉少なに答えた。
「伯爵邸?」
「フライリヒラート伯爵邸。ホーエンシュタウフェン地区は、ローエングラム伯爵夫人のご実家のある区画だ」
通信兵以外の者たちも顔を見合わせる。
この区画にラインハルトの兵は派遣されていない ―― 誰も警備に付いていないということに他ならない。
ラインハルトが狙われるのであれば、妻やその実家も狙われるのでは? 兵士たちは”単純”にそう考えた。
ラインハルト当人にしてみれば、貴族の反乱という性質から、彼女やその実家が襲われる可能性は皆無だと判断し、兵を派遣しなかった。
貴族の反乱だけであれば、それは間違いはなかったであろうが。残念ながら敵は貴族だけではない。
ケスラーも他の敵の存在は知らぬが、ただならぬものを感じ、人員を割いて小隊を編成しブレンターノを向かわせることにした。
「杞憂ならば良いのだが」
本来であれば自分が駆けつけたいところであったが、ラインハルトの部下であり、まだ任務途中のケスラーにできるのは、これが限度。
ブレンターノから、何事も起こっていないという報告が届くのを心待ちに任務を続けるも、ケスラーの希望は打ち砕かれ、凶報が次々ともたらされることになった。
「閣下」
リッテンハイム邸の静けさとは反対の、怒鳴り声と、猛々しい炎が辺りを舐める音混じりの報告に、副官のヴェルナーが声をかける。
「まだ我々の任務は終わっていない」
ここは我々に任せて、伯爵邸へ向かったほうがよろしいのでは? 副官の言いたいことはケスラーも重々理解していた。
彼自身、できることなら今すぐにでも伯爵と彼女の安全を知りたいが、立場上そうすることはできなかった。
「ですが、伯爵夫人が巻き込まれていらっしゃる可能性も」
すでに邸の警備から外れたケスラーは、彼女のスケジュールは分からない。だが以前の警備で、分かっていることもある。それは彼女が”エッシェンバッハ侯には、家族水入らずの時間が必要でしょうから”と言い、頻繁に実家に帰るということ。
「分かっている」
―― 今日だけは、どうかシュワルツェンの邸にお帰りになっていてください、お嬢さま
彼にできることとは、ただひたすら願うのみ。
「閣下、エッシェンバッハ元帥閣下です」
妨害波を避け、本部と連絡回線を開いた部下に呼ばれ、ケスラーはラインハルトにリッテンハイム侯を捕らえられなかったことを詫びる。
ラインハルトはそれに関して咎めはしなかった。ラインハルトとしては、大勢の不平貴族を戦場で討ちたいという気持ちが強かったことも大きい。
「元帥閣下。少々お尋ねしたいことがあります」
『なんだ? ケスラー』
「伯爵夫人はお戻りでしょうか?」
報告を終えたケスラーは、できる限り平静を装って、彼女について尋ねた。
『今日、伯爵夫人は実家に帰った。明後日の結婚式の準備を手伝うために一週間ほど滞在したいと。それがどうかしたのか?』
願いは叶わず ―― ケスラーはラインハルトに、伯爵邸の状況を報告する。
ラインハルトの肌理細やかな、陶器のような肌に見えぬひびが入り、見る間に青ざめてゆく。
ケスラーは彼女の捜索を担当させてくれと申し出て、許可を得た。
『では伯爵夫人のことは、任せた』
伯爵邸へ急行したケスラーは、夜空を焦がす程の炎がまだ舞っている邸近くで、自分が派遣した部隊以外の隊がいることに、一縷の望みをかけた。
自分よりも早くに異変に気付き、対処してくれた者がいたのではないかという期待。
たしかにケスラーの期待通り、早くに異変に気付いた人物はいたが多勢に無勢で、救助することは叶わず、当人が瀕死の重傷を負い、病院へと搬送されてしまったが。
「ブレンターノ」
「閣下。こちらへ」
事情を聞こうとしたケスラーだが、ブレンターノに案内され、メルカッツから現場を指揮を預けられる。
「メルカッツ提督」
「ここは卿に任せてよろしいかな?」
「はい。エッシェンバッハ元帥閣下より、指揮するよう命じられて参りました。メルカッツ提督はどちらへ」
「新無憂宮に出頭するよう命じられておる。現場が落ち着きしだい向かうと返答したのでな」
「そうでしたか。あとは小官にお任せください」
炎を消すのは軍消防隊に任せ、逃げることができた、わずかな召使いたちから事情を聞く。
ケスラーは彼らのことを完全に信用しているわけではない。この中に手引きなどをしたものが含まれているのではないかという思いから、事情を聞き、齟齬がないかを自ら確認するため、燃えさかる炎を背に丹念に話を聞いた。
召使いの話によると、泊まり客が連れてきた軍人たちが、突如銃を乱射し、貴族たちを五人一組に分けて、別々の部屋に監禁したのだという。
逃げようとした者は撃たれて、絶命していない場合は生きたまま焼かれた。
狙いは貴族だけで、召使いたちはそれほど重要視されていなかったため、執事がマスターキーを彼らに預けて逃げるよう命じ、彼らは何とか脱出することができた。
別の召使いは、賊は生きたまま焼くのに固執していたと。
「邸には賊以外の軍人もいたのでは?」
「いらっしゃいましたが、賊は体に爆弾を巻き付けて、脳波が止まると爆発すると……本当かどうか、私には分かりませんが、それを聞いて撃てなかったようです」
「伯爵閣下は?」
「分かりません。伯爵さまは、閉じ込められた部屋から逃げたと、賊たちが捜していたのは聞きました。賊の注意が伯爵さまに向いたおかげで、私たちはこうして逃げることができました」
召使いたちは、伯爵がどこへ行ったのかは見当も付かない、お役に立てなくて申し訳ないと頭を下げた。
「まだ色々と聞きたいことがあるので、軍病院のほうで治療を受けてもらう。君たちの身の安全を確保するためでもある」
こうして召使いたちを病院へと送ると、シューマッハが駆け寄ってきた。
「いまユンゲルス大尉から送られてきました。人目を避けて見ていただきたい」
装甲車の陰に隠れて再生する。それは、フェルナーが伯爵を射殺した映像。
「同じ状況であったら、私も彼と同じ行動を取ったであろうな……しかし、これは邸のどの辺りなのだ。回収するにしても……」
火の手が一向に収まらない邸を前に、ケスラーは首を振る。
「大きなお屋敷でしたので。フェルナー准将は、フライリヒラート伯爵に気に入られていましたので、知っていたのしょう」
彼女のお供として、何度か伯爵邸を訪れたことのあるシューマッハだが、映像が暗いということを差し引いても、どこなのか見当もつかなかった。
「召使い以外で、お屋敷に詳しい人の心当たりはないか?」
もうどうすることも出来ないことははっきりとしていたが、だからこそケスラーは場所を知りたかった。
無残な焼死体には、消火活動に当たった者たちに踏まれて ―― 焼け焦げた上に砕けるものも多分に含まれている。ケスラーが最後に出来ることは、遺体が悪意のない、任務遂行中の者たちにより踏み壊されるのを防ぐことだけ。
「詳しいといえば、ファーレンハイト提督ですが、オーディンにいらっしゃいませんので。もちろんジークリンデさまはご存じでしょうが、この映像を……」
「それはさすがに出来んな。火を消し止めて一部屋ずつ捜すしかないか」
怒鳴りつけたくなるほど燃え続ける炎。
ほぼ全ての証拠を焼き尽くし ―― 召使いが言っていた、誰かが連れてきた軍人が誰であったのか? その謎は邸とともに灰燼に帰することになった。
「ファーレンハイト提督は、今日遅くに帰還する予定です。こちらに来ていただけないか、オーベルシュタイン中佐に連絡を入れてもらいます」
「ジークリンデさまのことも、聞いてくれないか?」
「はい」
こうしてケスラーは、オーベルシュタインから彼女が生死の境を彷徨っていることを聞かされることになる。
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彼女を軍病院に搬送し、キスリングとリュッケを残し、オーベルシュタインとロイエンタールは次の行動に移った。
「間に合うのか?」
「心配する必要はない。いまは卿を無事に新無憂宮に送り届けるのが重要だ。俺が同行していれば、地球教徒に襲われる心配はない」
ロイエンタールはリッテンハイム侯に縁がある憲兵総監オッペンハイマーと共に、オーディンから脱出する ―― と思わせて、彼を捕らえて憲兵を掌握する役割がある。
「地球教徒に襲われはしないと思うが」
「俺もそうは思う。正直なところ卿が死んでくれたほうが嬉しい。だが卿の力が必要なのも事実だ」
「伯爵は顔に似合わず正直者だな」
ハンドルを握っていたロイエンタールは、
「その言葉、そっくりそのまま卿に返してやる」
秀麗な顔に皮肉めいた笑みを浮かべて言い返した。
オーディンは厳戒命令が出され、交通の規制がなされ、自動操縦の地上車は全て強制停止させられたため、手動で動かすしかない状態になっている。
「それにしても。お前は意外に銃の腕がいいのだな」
軍法会議所前での出来事を思い出し、ロイエンタールは褒めているのか、けなしているのか分からない口調で話し掛ける。
「先天性の障害を持っていると、どこであっても基準が厳しい。士官学校でも、先天性障害持ちとそうではない学生、どちらかを落第させるとなれば、当然のごとく前者が落とされる」
助手席で銃を持ち周囲に注意を払っているオーベルシュタインは、淡々となんの感情も感じ取ることのできない声で事実を述べた。
「落第させられないよう、努力したというわけか。だが、なにも茨の道を進む必要はなかっただろう」
「自分でもそう思う。だが反乱軍とは違って、入試を受けられるだけましだ」
そのような話をしていると、新無憂宮が見えてきた。
オーディンの状況から幾重にも検問が張られている状態。道路が装甲車でふさがれ、小銃を持った兵士たちが並び、赤いランプが煌々と夜の道を照らす。
「そうだな。では俺は、オッペンハイマーを捕らえに行ってくる」
この時点ではリッテンハイム侯よりと見なされているロイエンタール。もちろん、検問を通れるようカタリナに頼んではいるが、事情説明や身体検査などされている時間はない。
「分かった。首は私が届けよう」
オーベルシュタインは銃を片手に、もう片手にリヒテンラーデ公の首が入った包みを持ち下車する。
「では後で」
ロイエンタールは乱暴に地上車を回して、新無憂宮を後にする。
赤いライトで染まった道をオーベルシュタインはゆっくりと歩き、検問の兵士たちの間をすり抜け新無憂宮へと入った。