黒絹の皇妃   作:朱緒

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第73話

「そいつらを殺せ! キスリング」

 ロイエンタールそうは叫び、意識を失った彼女に駆け寄り、生首とナイフを床に置いて抱き起こす。

 さきほど彼女が”聞いたことがない”と感じていた音に似た音が、人気のない廊下に響き、その結果として衛兵の頭が二つ転がった。

 キスリングはすぐに駆けつけ、室内の様子を確認し、

「ジークリンデさま」

 倒れている彼女に近づいた。

「過呼吸かと思ったのだが、どうも違うようだ」

 ロイエンタールは状況から、彼女が過呼吸に陥ったと思ったのだが、どうも様子がおかしいと首をかしげる。

「マールバッハ伯?」

 キスリングに遅れ、血の足跡を残しながらやってきたリュッケは、床に転がっているリヒテンラーデ公の生首を見て一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直してソファーにかけられているカバーを取り外し、それを包む。

「ジークリンデさま!」

「目を覚ませ、ジークリンデ」

 キスリングは彼女の症状がゼッフル粒子によるものではないかと考え、知っていればもうけもの、程度で尋ねた。

「リュッケ。軍法会議所にゼッフル粒子は保管されているか?」

「小官が知る限りでは、ありません」

 白地にダークローズの糸で小花が刺繍されているカバーで、リヒテンラーデ公の頭を包んでいたリュッケは”そんな危険なものはありません”と返したのだが、

「ゼッフル粒子ならある。軍法会議所を爆破するために、奴らがセットした。だから早くここから逃げ……どうした?」

 ロイエンタールが”ある”と明言した。

 

 

 ゼッフル粒子は、非常用の地上二階から地下五階まで通じている階段二つにセットされており、避難警報と同時に放出された。

 彼女がいた場所が上階であったことと、彼女がやってくることを知っていたロイエンタールが、血のにおいを少しでも消そうと窓を開いていたため、わずかなタイムラグが生じ、少しだけ遅れて彼女は倒れた。

 その”遅れ”のせいで、彼女は意識を失う直前にリヒテンラーデ公の生首と対面する羽目になったのだが。

 

 

 キスリングは彼女を抱き上げて、彼女の状況を説明する時間も惜しいと、外へ出ることを優先する。

「出るぞ! リュッケ」

 後ろからリュッケが「突き当たりの次の階段を上ってください」と叫びながら続く。

 ロイエンタールは包まれたリヒテンラーデ公の首を持ち、彼らの後に続く。状況からロイエンタールも、彼女がゼッフル粒子による呼吸障害であることは分かった。

 

 以前ヒルダの結婚式に向かう途中、彼女は呼吸障害を引き起こしたのだが、それは口外されることはなく、完全に秘密が保たれ、地球教もその情報を入手することができなかった。無論、ロイエンタールも知らない。その結果、急な予定変更と襲撃にゼッフル粒子が使われてしまった。

 

 どれほど彼女が軽かろうと、抱えたまま階段を上り下りしていれば息が上がる。

 まして抱きかかえられている彼女は完全に意識がなく、体に力がまるで入っていないので、通常より重く感じられる状態。

「詳しい説明は後だ」

 その今まで感じたことのない重みが、余計にキスリングを焦らせるのだが ―― 頭だけを持ち追いかけてきたキスリングに追いついたロイエンタールは、彼を止めて”これから”について説明をする。

「正面に救急車が到着するころだ。俺がジークリンデを連れて乗り込むことになっている。乗っているのは医者だ。万が一のことを考えて本物の医者と看護師を手配しておいた。これから俺が一人でジークリンデを連れて奴らの元へ行き、応急処置を施させ、幹部と話しを付ける。話しが終わったらお前たちを呼ぶ。医者と看護師を殺せ。その後、病院へ向かう」

 リュッケに首を渡し、キスリングに彼女を渡すよう手を伸ばす。

「詳しいことは、車中で聞かせていただきたい」

 キスリングは荒い息を飲み込み、問いただす。

「もちろんだ。受付は撃ち殺せ」

 窓から差し込む救急車のライトを確認して、キスリングは彼女をロイエンタールに渡した。

「呼吸していないな」

 ロイエンタールは彼女を抱き、呼吸を確かめるために唇に耳を寄せて、呼吸が途絶えてしまったことを確認しながら正面玄関へと向かう。

 受付から出てきた地球教徒がロイエンタールに近づき、観葉植物の影でブラスターを構えていたリュッケがそれを撃ち抜く。

 ロイエンタールは転がった死体を振り返るでもなく、正面玄関から出て、彼女が乗ってきた車の後ろに停車している、青い回転灯をつけている救急車へ、ためらうことなく突き進む。

 青い光に照らされた彼女は、死亡しているかのようであった。

「マールバッハ伯」

 どのような検問も、サイレンを鳴らした救急車は抜けることができる ―― 古典的な誘拐方法で彼女を攫おうとした地球教であったが、情報収集不足で彼女を危機的状況に陥らせてしまった。

 ちなみにヘリを使用しなかったのは、オーディンはその性質上、飛行禁止区域が多いため、陸路を使用したほうが、確実なためである。

「ゼッフル粒子が撒かれたと同時に倒れた。処置を急げ」

 簡易ベッドに彼女を乗せたロイエンタールにそう言われた医者は、急いで彼女の脈を取り、瞳孔反応を確認し、慌てて看護師に指示を出し、応急処置を行い出した。

 ロイエンタールは助手席に乗り込み、運転席の男を無視して、ド・ヴィリエの側近に通信を入れた。

 側近が出たが、ロイエンタールは嗄れた声など聞く必要はないと相手を遮り、自分が優位になるよう話しを切り出した。

「貴様らが勝手なことをした結果、ジークリンデが瀕死になった。なにが起こっただと? ゼッフル粒子による呼吸障害だ。障害のある女は要らないというのであれば、このまま立ち去れ。あとは俺がとなりなしてやる……ド・ヴィリエか。話は聞いたな? 俺の話だけでは信用できないのであろう。貴様子飼いの部下にも証言させてやる、ほら」

 ロイエンタールはそう言い、運転席の男に端末を渡す。

 先ほどリヒテンラーデ公を殺害したチームのリーダー格の男は、ド・ヴィリエから”ローエングラム伯爵夫人が瀕死とは本当か?”と問われ、処置をしている看護師の一人に直接尋ね、ロイエンタールの言葉に嘘はないと答えた。

 男の話を聞いたド・ヴィリエは、看護師か医者に替われと命じ、彼らからも同じ言葉が返ってきたことで、やっと信用し、ロイエンタールにつなげと命じた。

「大主教さまが替われと」

 差し出された端末を奪うように手に取ったロイエンタールは、

「信じたか。貴様らの愚行でこの有様だ。それで、ジークリンデはどうする? 目的は変わらんか。ジークリンデを諦めないところだけは褒めてやろう。だが、今回は無しだ。これからジークリンデを軍病院につれて行く。オーディンで最新治療が受けられるのはあそこだ。ジークリンデが全快するまでは手を出すな。今回は俺の意見に従え。分かったな。上手くジークリンデの側近たちに紛れ込む。待っていろ」

 告げるべきことだけを告げ、通信を切る。

「応急処置は終わったか?」

「はい。緊急搬送先に連絡を」

 医者の言葉を聞き、ロイエンタールは助手席から出て、運転席側のドアへと周り男の頭を撃ち抜き、ドアを開けてその死体を外へと引きずり落とす。

 それを合図に、すでに救急車の前に停車している地上車の影に身を潜めていたキスリングとリュッケが駆け出し、車中から医師と看護師を引きずり出して急所を撃ち抜く。

 ただ看護師は二名、医者が一名。

 三対一であったため、一人に逃げられ……かけたものの、誰も居ないはずの空間からブラスターが発射され、逃げた女性看護師の腹を撃った。

「遅くなった」

 暗がりから現れたのは、フェルナーから連絡を受け取ってから、様々な手はずを整えてやってきたオーベルシュタイン。

 動けなくはなったが、まだ息があり呻いている看護師の足をオーベルシュタインはつかみ、彼女が乗ってきた地上車まで引きずり、車中に押し込む。

「他の死体も車中に。ここは爆破予定なのであろう? ならば爆破する」

 オーベルシュタイン以外の三人は驚くも、意図を理解して死体を地上車に放り込み、キスリングがハンドルを握り、解放された玄関に突っ込む。

 受付に地上車を止め、救急車へ駆け戻り、今度は救急車のハンドルを握り発車させた。

 助手席にはロイエンタールが乗っており、

「このくらい離れれば良かろう」

 軍法会議所に設置された、遠隔起爆装置のスイッチを入れる。

 爆風を受け救急車がやや傾き、車中の機材が揺れるも、キスリングがすぐに車体バランスを直した。

「軍病院の方には連絡を入れた、医師も待機している。このスプレーか? ゼッフル粒子の中和剤だ」

 オーベルシュタインは淡々と言いながら、呼吸器で顔半分が隠れている彼女の着衣にスプレーをかけていた。

「卿らも。それと、窓は開けておいたほうが良いだろう。では、マールバッハ伯、説明をしていただこう」

「お前たちが俺を信用していなかったのと同じほど、地球教のド・ヴィリエも俺のことを信用していなかった」

「なるほど。ではマールバッハ伯は、この襲撃に関して何も知らないと言うことか」

「そうだ。お前たちが信じるかどうかは知らんが。ところでオーベルシュタイン。お前はどうして中和剤が必要だと分かった?」

 今日ここで、ゼッフル粒子を用いた爆破が行われることは、ロイエンタールも知らなかった。なので言外に「お前は知っていたのではないか?」と尋ねたが、

「念のためです」

 オーベルシュタインの表情は変わらず。

 もっともそれはロイエンタールの邪推で、オーベルシュタインは本当に知らなかった。ただオーベルシュタインは地球教徒のテロリストがしでかしそうなことをリストアップし、彼らが知らない情報(彼女がゼッフル粒子で呼吸困難になるなど)とクロスさせ、ありとあらゆる対処方法を考えていたので、この場に用意に時間がかかる中和剤を持ってくることができた。

「そうか。それはそうと、ご老人の首だ。これがあれば、リヒテンラーデ公の死亡が速やかに確認されるだろう」

 ロイエンタールは足下に転がしていた首を掲げる。

「軍法会議所の爆破は、リヒテンラーデ公の所在を不明にするためか」

 ロイエンタールが呼ばれた時、すでにリヒテンラーデ公は死亡しており ―― 彼は訪れた彼女を誘拐する役になった。

 リヒテンラーデ公を殺害した者が、そのまま誘拐したほうが手間が省けるのではないか? 当初はその予定であったのだが、話しを聞いたロイエンタールが「救急車両にも、貴族が乗ってたほうが、より融通が利くぞ」と短い時間で脅迫込みで説得し、この役割をもぎ取った。

 地球教徒のほうも、急遽予定を変更し、当日にロイエンタールに知らせるという、裏切りに似た行為をしでかしたので、ある程度譲歩したのも大きい。

 帝国の中枢に潜り込める門閥貴族は、まだ手放す訳にはいかないので、上辺だけながら信頼をつなぎ止めておく必要があったのだ。

 リヒテンラーデ公の死体が放置されていた理由は、爆破により遺体確認を困難にするのが目的であったため、その場に残されたのだ。

「そうだ。老人をただ殺害しただけでは、エッシェンバッハ侯が権力を掌握するだけだと気づき、生死不明にすることにした……ようだ」

 

 以前の計画では死体は、現状をとどめたままにしておく予定だったのだが、死亡が確認されると別の人物に権力が渡り ―― その地位に最も近いのがラインハルトであることに気づき「それでは、リヒテンラーデ公を殺害した意味がない」ことに気付いたのだ。

 リヒテンラーデ公を殺害した最大の理由は、彼女の捜索をさせないこと。

 彼女は地球教徒には殺されることはなく、誘拐され必ず生きていることを知っている。そうなればリヒテンラーデ公は、大規模な捜索隊を組織し、彼女を取り返しに来る。

 リヒテンラーデ公にはその権力があった。故に公を殺害したのだが、公が死亡した後、政治の実権が誰に渡るか? 彼女を妻にしているラインハルトが最も近くにいた。

 ラインハルトも彼女が誘拐されたと知れば、大部隊を組織することが可能。

 特にラインハルトは宇宙艦隊司令長官。

 己の一存で宇宙の半分近い機動力を駆使することができる人物。速やかに権力が移行してしまうと、地球教徒たちは彼女を連れてオーディンから離れることが困難になる。

 

「了承した。とこでエーレンベルク軍務尚書はどこに居るか知っているか? 彼も所在が不明だ」

「軍法会議所にいた。奴が老人を軍法会議所に呼び出した……そうだ。後から聞いた話だが」

「首は?」

 軍務尚書の死亡も速やかに確認されたほうが、権力を手早く移行させることができる ――

「ない。まだ生きてたんでな。断面を調べられて生活反応がでては、さすがにまずいだろう?」

「そうか。では、こちらはしばらく所在不明か。早急に手を打たねば、エッシェンバッハ侯が兼任してしまうな」

 

 エーレンベルク元帥の死亡が確認されるのは、この日から約三週間後のことである。

 

 死亡した軍務尚書に用はないと、オーベルシュタインは端末を取り出し、ランズベルク伯に連絡を入れた。

「夜分遅くに申し訳ございません。はい、テロです。帝国宰相リヒテンラーデ公が倒れました。軍務尚書エーレンベルク元帥も行方不明。混乱を収束すべく、代理の国務尚書を立てる必要があります。……はい、ランズベルク伯に是非ともお願いしたい。大至急、新無憂宮の黒真珠の間へ。ええ、用意は整っておりますので。陛下の代行者たるペクニッツ公爵閣下と、国璽を預かっておられるギレスベルガー子爵夫人が……はい。私でできることがありましたら、なんなりと。それでは」

 通信を切ったオーベルシュタインを、ロイエンタールが左右違う瞳で凝視する。

「まさかランズベルクをな」

「ジークリンデさま寄りで、地球教徒ではなく、リッテンハイム侯の乱に与しない者……となったとき、ランズベルク伯しかいなかった」

 有能だとか、無能だとかを語る前に、様々な条件をクリアする必要があり、それらを通過できた有害ではない門閥貴族の一人がランズベルク伯であった。

「それにしても、国璽をカタリナが持っているとは、どういうことだ?」

 

 フェルナーから国璽を渡されたカタリナは、オーベルシュタインに連絡し「いま私が帝国最高の権力者よ」と、笑いながら話しかけられて ―― 大まかな事情を説明し、代理就任用の書類をつくりカタリナの元へ届けさせた。

 

 ロイエンタールの問いかけを制して、オーベルシュタインは再度カタリナに連絡をする。

「その説明はあとで。……カタリナさま、オーベルシュタインです。先ほどお願いしたランズベルク伯の国務尚書代理就任の件ですが、ご本人から承諾を得ました。これからそちらに向かうそうです。もう一つお願いがあります。軍務尚書エーレンベルク元帥が行方不明です。先ほど軍務省の一角、軍法会議所が爆破されまして、どうもそちらに居たとか居ないとか。はい、情報が交錯してはっきりとは。ですが早急に代理を立てて、対処していただきたいのです。早く決めませんと、エッシェンバッハ侯が兼任してしまいます。人選ですか? メルカッツ上級大将閣下を。はい、元帥に昇進させて代理という形で軍務尚書を。お願いいたします。書類は後で届けさせ……かしこまりました。では伺わせていただきます」

 先天性の障害により、新無憂宮に立ち入ることのできないオーベルシュタインは、代理に書類を届けさせようとしたのだが、カタリナが「私が許可するから、来なさい」と命じられ、従うことに。

 カタリナと話しを終えたオーベルシュタインは、矢継ぎ早にメルカッツに連絡を入れる。

 無骨で言葉少なな帝国の宿将は、落ち着いた口調のまま、彼が遭遇している最悪の事態を説明した。

「……お願いします」

 怒号や炎が燃えさかる音混じりのメルカッツの話にしばし言葉を失うも、用件を説明して了承してもらうことに成功した。

「どうした?」

「メルカッツ提督は引き受けてくださった。それとは別に、事態は深刻だ。フライリヒラート邸が襲撃されたそうだ。フェルナー准将からユンゲルス大尉と共に、お屋敷の様子を見に行くと連絡があり、念のために一小隊を派遣したのだが、小隊が到着する前に、最悪の事態になっていたようだ。緊急を要するとフェルナー准将がユンゲルス大尉を、メルカッツ提督のところへ走らせたとのこと。だが間に合わずフライリヒラート邸から火の手が上がり、伯爵閣下もフェルナー准将も行方不明だそうだ。メルカッツ提督は、現場を然るべき人物に預けてから……」

 

 彼女のバイタルを数値化し表示しているモニターが全て0を示し、高い音が途切れることなく車中に鳴り続ける。

 

 彼らは軍病院に到着するまで無言のまま。

 それから約三分後、軍病院に到着する。救急搬送口で待機していた医師たちが彼女の容態を診て、表情を強ばらせた。

 


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