黒絹の皇妃   作:朱緒

72 / 258
【破】片翼の双頭鷲〔前編〕
第72話


 リヒテンラーデ公に銃を突きつけた地球教徒たちは、彼女を呼び出すよう命じた。

「ジークリンデを誘拐するつもりか……良かろう」

 あっさりと要望を受け入れたリヒテンラーデ公に、地球教徒たちは警戒するが、当人は馬鹿にしたように笑い、

「ジークリンデに髪一筋ほどの傷も付けぬのであろう? ならば良い」

 彼女を無傷で誘拐するのならば許してやると、六名ほどの地球教徒に囲まれ銃を突きつけられていながら、リヒテンラーデ公は動じなかった。

 ”殺すぞ”と一人が脅したが、

「分かっている。それと怯えは別物だ。ジークリンデを害すると言うのならば、私も抵抗するが。どうも貴様らはそうではなさそうだ」

 地球教徒の権力者、ド・ヴィリエの狙いが彼女であることを知っているリヒテンラーデ公は、針のような視線で彼らを睨みつける。

「妨害が入らぬよう、協力してやろう。怪訝そうな表情だな。ふん、言ったであろう。ジークリンデが無傷であれば良いと。貴様らとジークリンデに仕えている者たちが、銃撃戦にでもなり、間違ってジークリンデが怪我でもしたらどうする? 信用できぬのであれば、そちらの手は打たぬが」

 深い皺が刻まれた痩せた顔に、これ以上ないであろう人が悪い笑みを浮かべて、リヒテンラーデ公は話し続ける。

 四つの銃口は向けられたまま。

 リーダーとおぼしき男が、何をするつもりかを、早口で問いただす。

「フェルナーという男を、一時的に遠ざけてやろうというのだ。あれはジークリンデの異変にすぐ気づく。貴様らが知っているかどうかは知らぬが」

 銃口を向けられているとは思えぬ、余裕のある喋り。

 背筋はすっと伸び、恐怖などみじんも感じていないと ―― 語るよりも、雄弁に物語る態度。

 地球教徒たちは、何度かフェルナーに出し抜かれ、彼女の誘拐を失敗していることもあり、余計なことを言ったらすぐに殺すと脅し、リヒテンラーデ公の提案を受け入れた。

 

―― どうせ殺すつもりであろうに。馬鹿どもめ

 

 最終的に殺されることは分かっているリヒテンラーデ公だが、それに触れることはなく。

 地球教徒は彼女を軍法会議所に呼び出すよう指示し、リヒテンラーデ公は黙って従う。

 まずは彼女の秘書官であるフェルデベルトに連絡を入れ、彼女がどこに居るかを尋ねる ―― フェルデベルトは彼女と一緒におり、すぐに取り次ぎがなされた。

「ジークリンデ」

『どうなさいました? 大伯父上』

「ギレスベルガー子爵夫人と会っているとか」

『はい。カタリナの家で、楽しんでおります』

「楽しんでいるところ悪いが、大至急、軍法会議所まで来てくれ」

『軍法会議所ですか? ……かしこまりました。軍服に着替えたほうがよろしいでしょうか?』

「そのままでよい。待っておるぞ、ジークリンデ」

『はい』

 通信を切ったリヒテンラーデ公は、地球教徒たちを”ぐるり”と見回し、

「これで良いのであろう? では、次にフェルナーに連絡を入れる」

 リヒテンラーデ公の背後にはしゃがみ、下方から上方へ背中に銃口を突きつけた男が一名。そのくだらない脅しに蔑みの嗤いを向けてから、フェルナーの端末コードを入力する。

 しばしの間があって、

『なにかありましたか? 帝国宰相閣下』

 フェルナーが通信画面に現れた。

「用もないのに、貴様に連絡するとでも思うか? フェルナー」

『いいえ。ご用件をどうぞ』

「アウレーリア・フォン・ファーレンホルストに、ハプスブルクの酒を届けろ」

 フェルナーは当然ながら表情を変えることもなければ、首をかしげるような真似もせず、

『お急ぎですか?』

「大至急だ」

『当人に手渡しで?』

「そうだ」

 淡々と必要事項を尋ねる。

『かしこまりました。任務終了後、報告いたします。それでは』

 フェルナーが礼をしたところで、リヒテンラーデ公が通信を切る。

「しばし、時間は稼げるであろう。それで、私はここでジークリンデが来るのを待っていればよいのか?」

 エーレンベルクによって軍法会議所に呼び出されたリヒテンラーデ公は、

「もう、お前の仕事はない」

「そうか」

 胴を数発討たれて、椅子から崩れ落ちる。固い床に落ちたリヒテンラーデ公が動くことはなかった。

 

「お前はマールバッハに連絡を。お前は輸送部隊に待機命令を」

 

 地球教徒の一人が、ロイエンタールを呼び出した。

 

*********

 

「……おいおい」

 自宅でリヒテンラーデ公から連絡を受け取ったフェルナーは、急いで通りに出て自動のタクシーを拾い、目的地を入力した後、オーベルシュタインに連絡を入れた。

「パウルさん。まずいことになったようです」

『具体的には?』

「先ほどリヒテンラーデ公から、ジークリンデさまに国璽を手渡すよう指示がありました。どうも地球教徒が関わっているようです」

 アウレーリア・フォン・ファーレンホルストは彼女のこと。そしてハプスブルクは内輪の暗号で国璽を、酒は麻薬と宗教、すなわち地球教徒を指し示す。

『地球教徒が動くのは、二月二十日の予定では……私はマールバッハ伯に連絡を取ってみる。そちらは、指示通りに動いてくれ』

 当初彼らが聞いた話しでは、リッテンハイム侯の反乱と地球教徒のリヒテンラーデ公の襲撃は二月二十日。

「わかりました」

 今日は二月九日で、予定より十一日も早い。

 フェルナーは途中で地上車を降り、徒歩で脱出経路からリヒテンラーデ公の執務室へと侵入し、国璽を保管している金庫の開き、持ってきた何の変哲もない白い紙袋に突っ込んで、今度は脱出経路を通り外へと出た。

 そしてまた自動のタクシーに乗り込み、目的地をセットする。

「今日のこの時間はカタリナさまのご自宅で、リュッケたちが生け贄になってるはずだが……さて、どうしたものか」

 彼女の部下をからかうのが好きなカタリナの強い希望で、今回はフェルデベルトとリュッケ、そしてユンゲルスが招かれ良いようにされている ―― 筈であった。

 窓から流れる外の景色を眺めるも、なんの異変も感じられぬまま、フェルナーはカタリナの自宅に到着した。

 今回はタクシーを停車させたまま、裏口の門柱の呼び鈴を鳴らし、

 

「正面から入ってきていいのよ」

「いえいえ、恐れ多い」

 

 無事に取り次いでもらい、カタリナに会うことができた。

「でもジークリンデなら帰ったわよ。リヒテンラーデ公からの火急の呼び出しで」

 部屋に居るのは疲れ切った顔をしたフェルデベルトとユンゲルス。

「ジークリンデさまは、どちらへ?」

 カタリナに遊ばれたのだろうことは、明らかな彼らを無視し、フェルナーは彼女の所在を尋ねた。

「軍法会議所ですって。こんな時間でも開いてるものなの?」

 フェルナーは腕時計に視線を向け、

「軍法会議所は二十四時間開いてますよ。一応、軍人を逮捕する時に逮捕状が必要でして、それを発行するのが軍法会議所の仕事なんで。夜締まってて、逮捕できないと困るでしょう」

 顔を上げて、国璽が入った白い紙袋をカタリナに押しつける。

「そういうこと……なに?」

「カタリナさま、新無憂宮に忘れ物なさったでしょう。取りに行かれたほうが良いですよ。今すぐ」

 紙袋の中身を観たカタリナは、ややつり上がり気味の、大きな瞳を半眼にして、

「わざわざ教えにきてくれて、感謝してるわ」

 意味は分からないが、フェルナーが新無憂宮に行けと言ってることを理解して立ち上がる。

「新無憂宮に向かうわ、大急ぎで準備なさい」

 カタリナが召し使いに号令をかける脇で、フェルナーが二人に指示を出す。

「フェルデベルト。お前はカタリナさまについていけ。ユンゲルスは、私に付いてこい」

 暖かい部屋が凍り付くかのような声をもって下された命令に、二人は姿勢を正し、

「ギレスベルガー子爵夫人と共に、新無憂宮で待機していればよろしいのですね?」

 フェルデベルトが確認を取る。

「そうだ。では、カタリナさま。失礼します」

「また今度、時間があるときに遊びにきなさい、フェルナー。ユンゲルスもね」

「失礼します」

 ユンゲルスは敬礼し、フェルナーは扉を開けて、入ってきた小間使いたちにいつも通り挨拶をし、やや早足で廊下を歩き裏口を通り、門を出てからオーベルシュタインに再度連絡を入れた。

 その間ユンゲルスは、フェルナーが停車させていた地上車に細工されていないかどうかを確認する。

「パウルさん。ジークリンデさまは、軍法会議所に」

『そうか。マールバッハ伯からも、同じ報告が届いていたが、本当のようだな』

 フェルナーから連絡を受ける前、オーベルシュタインにロイエンタールから”決行が早まった。決行場所は軍法会議所に変更。また後で連絡をする”とだけ書かれた通信が届いていた。詳しい状況を聞こうと返信したが、以後ロイエンタールに通信は届かず。

 そこに、フェルナーからの連絡が入った。

「パウルさんは、軍法会議所の方をお願いします。私はユンゲルスを連れて、フライリヒラート邸に向かいます」

『了承した。ところで、そちらに増援は必要か?』

「できれば」

『分かった。手配しておく』

「お願いします」

 

 話しが終わると急いで地上車に乗り込み ――

 

「なぜフライリヒラート邸へ」

 ユンゲルスは軍法会議所に向かわない理由について尋ねた。なにせユンゲルスは彼女の専属護衛。彼女がいる場所へ行くべきではないかと考えてのこと。

 無論、階級が五つも上の相手に逆らうつもりはないが、あまりにも現状が見えないので、尋ねてしまった。

 フェルナーは命令に従っていれば良い、と言う思考の持ち主ではないので、向かう理由と、到着後の行動について説明を始めた。

「地球教徒が動き出した。あいつらの目的はジークリンデさまだ。それは間違いなのだが、いまジークリンデさまを誘拐するなら、フライリヒラート邸が一番簡単だ。なにせお屋敷には明後日のローデリヒさまの結婚式に招待された、親族たちが大勢泊まっている。彼らが連れてきた召使いの中に、手下を紛れ込ませることができるし、人の出入りが多いとやはり死角が多くなる」

 結婚式には普段は領地にいる、オーディンに邸を持っていない親族の貴族たちも呼んでおり、彼らは全員フライリヒラート邸に宿泊していた。

 彼らとその召使いたちの身辺調査はしたものの、調査漏れがある可能性を考慮して ―― 彼女が実家に宿泊する際には、キスリングが泊まり込みで警護に当たることになっていた。

「では」

 それでも足りないのでは? ということで、フェルナーも泊まり込むことになっていた。先ほどフェルナーは自宅で泊まるために必要な、最低限の荷物をまとめていたところであった。

「フライリヒラート邸ではなく、軍法会議所に呼び出した意味が……気になる。銃は持ってるな? ユンゲルス」

「はい」

 このフェルナーの悪い予感は、的中する。

 

**********

 

 フェルナーがフライリヒラート邸に向かう二時間ほど前 ――

「……というわけなの。この埋め合わせはまた今度」

 リヒテンラーデ公より軍法会議所に来るよう命じられた彼女は、今度また埋め合わせをするからと、胸の前で手を合わせて詫びた。

「あなたも忙しいわね、ジークリンデ。気にしなくていいわよ。埋め合わせなんて、必要ないわ。キスリングさえ連れていけばいいでしょうから、後は置いていってくれる? 変なことなんてしないから、大丈夫よ」

「そうね……どうかしら? キスリング」

 誘拐犯がまた蠢動していると聞かされた彼女は、警護担当のキスリングに一人で大丈夫ですか? と尋ねた。

 

「……(助けて少佐)」

「……(助けてキスリングさん)」

「……(助けてー)」

 

 三人の眼差しと、カタリナの眼光に晒されたキスリングは、

「……リュッケ、ついて来い」

 一人助けるのが精一杯だった。

「はい!」

 名を呼ばれなかった二人は、肩を落とす。

「リュッケも必要なの?」

 ”それも置いていきなさいよ”と攻めてくるカタリナに、それでも何とか頑張った。

「軍法会議所はごちゃごちゃしてるんで。こいつ、前任が軍法会議所勤務でしたので、はい」

「ご案内いたします!」

 

―― 迷子になりそうですけれど……

 

 召使いの手を借りて帰る準備をしていた彼女は、キスリングの言葉に一抹の不安を覚えたが、多少の迷子はこの際楽しもうと考えを切り替え、カタリナに挨拶をして、リュッケが運転席する地上車に乗り込んだ。

 

 リヒテンラーデ公から呼び出された理由は分からないが、それはよくあることなので、彼女は特に気にしてはいなかった。

 彼女の向かい側に座りあたりに注意を払いながら、キスリングはフェルナーに連絡を入れたが、この時点ですでにキスリングはリヒテンラーデ公より連絡を受けて、国璽を取りに向かう途中で、現在地を知られないよう通信を切っていた。

 繋がらないことに、やや違和感を覚えたものの、フェルデベルトが受けた通信は確かにリヒテンラーデ公からのものであり、画面越しの公の口の動きにおかしなところはなく、画像が処理されたものである場合は通信画面の下に「録画」と出るが、それもなく ―― 疑えばいくらでも疑うことはできるが、これといった決定打もなかったので、従うという選択しかできなかった。

 

 オーベルシュタインに連絡をしなかったのは、リヒテンラーデ公も義眼の彼をあまり好まず、重要事項を伝えたりしないのを知っていたため。

 

 特定の門閥貴族の徹底した差別を間近で見たキスリングには、連絡するという考えすら浮かばなかった……と言ったほうが正しいくらい。

「何かしらね? キスリング」

「なんでしょうね」

 全く差別などしない門閥貴族が存在するのも知ってはいるが ――

 

 後になってみれば”それ”は嵐の前の静けさであったとも言えるが、その時の当事者たちには分かるはずもなく。

 地上車は軍法会議所の前に停車、リュッケが運転席から降りてドアを開けて、彼女が降りる。

「夜も遅いので、地上車はここに置いていきましょう」

 キスリングは衛兵に、リヒテンラーデ公に会いに来たことと、地上車をここに置いて行くことを告げ、三人はやや薄暗い廊下を歩く。

「こちらです」

「間違うなよ、リュッケ」

「大丈夫ですよ、キスリング少佐」

 リュッケの案内は一度間違ったが、なんとかリヒテンラーデ公が待つ部屋近くに到着することができた。

「ここから先は、将校しか立ち入ることはできません」

 リヒテンラーデ公が指示した部屋は、原則准将以上の者しか立ち入れぬ区域で、衛兵が二名付いている。

 尚書や宰相ともなれば特例で許されるが、

「帝国宰相閣下から呼ばれたのだが」

「聞いております。ですから、ローエングラム少将だけお通しします」

「それでは、護衛の意味がない」

「そうは言われましても。こちらとしても、規則は守っていただかなければ」

 護衛の二人は、なにをどう言っても通してはもらえなかった。

 

 

 地球教徒たちがフェルナーを遠ざけたかったのは、この場面。彼女の護衛はほとんどが佐官なので、ここで足止めが可能。元の護衛たちは将校だが一人は宇宙、そして残った一人がフェルナー。

 そこまでフェルナーを警戒するのであれば、彼を殺害すれば良さそうだが、幸いというべきか? 人員を割く余裕がなかった。

 

 

 彼女はキスリングと押し問答している衛兵ではない、もう一人の衛兵に

「リヒテンラーデ公が居るのは、あの部屋?」

 リヒテンラーデ公の居場所を、指を指して尋ねた。

 この入り口通路から見て、一番奥の右側にある部屋。

「はい」

 廊下は最小限の明かりで、やはりやや暗いものの、それほど危険ではないであろうと、

「待ってて、キスリング、リュッケ。大伯父上に通行許可をもらってきますから」

 彼女はドレスをつまんで、衛兵の間を抜けて駆けだした。

 固い廊下に軽やかな足音を響かせて、彼女は目的地へと向かい、ドアをノックして扉を開けた。

 室内は明かりが灯っておらず、

「大伯父上? いらっしゃらないのですか?」

 部屋は廊下から差し込む弱い明かりで、わずかに照らされる程度。

 それと妙に室内が冷えていた。

「……なんの音かしら?」

 奥にある大きな机の向こう側から、彼女が今まで聞いたことのない音が聞こえてきていたのだが、

「あら? 止んだ。聞き間違いかしら?」

 突如、奇妙な音は止まり、彼女の耳元を冷たい風が通り抜ける。

「道理で寒いわけです」

 真冬だというのに、窓が全開で冷たい冬の夜風が吹き込んでいた。

―― 誰かが開けたままにして帰ったのかしら

 窓は閉めたほうが良いだろうと彼女は考え、大きな机の方へと近づく。

「来るな!」

 暗がりから突然、鋭い声が彼女を制止する。

 彼女は逃げなくては……と思ったのだが、足が動かなかった。

―― 誰? 聞いたことがある声

 そして今度は廊下の明かりも落ちた。

「て、停電?」

 廊下の明かりが消えたことで、窓から差し込む星と月のわずかな明かりが室内を青白く照らす。明かりが差し込む角度が変わったことで、机の向こう側に人が居ることが分かり ―― なにか黒っぽい液体が床に広がっていることにも気付いた。

 

[緊急事態発生。緊急事態発生。館内に残っている者は、速やかに脱出してください。繰り返します、緊急事態発生。緊急事態発生……]

 

 そして鳴り響く、避難警報。そして予備電源が起動し、一斉に全ての部屋に最低限の明かりが灯る。

「あっ……キスリ……」

 彼女は突然呼吸ができなくなり、胸を押さえて膝をつく。彼女はこの苦しさに覚えがあった。

―― キスリング……ゼッフル粒子……だ……れ?

 机の向こう側にいた影が立ち上がり、彼女の前に現れる。

 薄れ行く意識の中で、彼女が最後に見たものは、血の付いた大ぶりなナイフと、リヒテンラーデ公の生首を持ったロイエンタールであった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告