黒絹の皇妃   作:朱緒

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第7話

 彼女はフレーゲル男爵の死を悼みたいのだが、なかなかに辛い空間であった。

「ファーレン……ハイト」

 声を詰まらせる彼女に、ファーレンハイトはどうすることも出来ない己の無力さを感じ、自分自身にに怒りすら覚えた。

「ジークリンデさま」

「横に立って」

 首を掻きむしりながら転がって笑いたい気持ちを必死に抑え、ファーレンハイトを横に立たせ、

「かしこまりました」

 黒いベールで隠れている額をファーレンハイトの胸に押しつけて俯き、こみ上げる笑いを噛んでこらえる。

 笑い顔を見られないようにするための、苦肉の策である。

 ファーレンハイトは彼女の行動に少しばかり驚いたが、両手を下げ直立不動で勘違いしたまま ―― 哀しみに耐える若い未亡人 ―― 時を過ごす。

 

 ジークリンデが耐えられなかったのは墓そのもの。

 生前(?)はごくありふれた日本人だった彼女にとって、墓は長方形っぽく、シンプルであまり飾りのないもの。外国人の墓地もせいぜい海外ドラマで見る程度で、日本の墓よりもシンプルな物が多かった。

 そんな彼女にとって、フレーゲル男爵の墓は……

 

 まず墓石がやたらと大きい。ニメートルくらいあるのだ。

 もちろん目測だが、百九十㎝近いファーレンハイトを隣に立たせて確認したので間違いはない。

 厚みは前からでは分からないが幅もやたらとあり、一メートル以上は確実。

 その大きな墓石を飾るのが、金箔を張られた裸の天使の彫刻。

 それも小さいのならまだしも、墓石と同程度の高さを誇り、横幅はやや細身のファーレンハイト以上。オフレッサーと並んでも遜色無さそうな肩幅を持った、アンニュイな幼顔の天使像四体。墓石の両サイドに上、そして花を捧げる場所に設置されている。

 

 それだけでも彼女には耐え難いのに、墓石には「我が友」

 ラインハルトはキルヒアイスの墓に対し、それだけで終わったが、フレーゲル男爵の墓に「我が友」と刻ませたのはランズベルク伯。

 その「我が友」はランズベルク伯が考えた詩のタイトルであり、ニメートルちかい墓石に、細かい文字でびっしりと詩が書き込まれている。

 もの凄く読み辛い上に、内容も読み辛く、長すぎて墓石に収まらず、向かって右脇に詩を書ききるための石が用意されている状態。

 詩を刻むための石は見たところ五十㎝×五十㎝だが、それでも入りきらなかったようで、上五行書いて真ん中に大きく(中略)の文字。

 シュトライトあたりが説得して(中略)させたのだろうと彼女は考え、労ってやりたくなったのは言うまでもない。

 そして下五行が刻まれ、最後に ―― 「我が友レオンハルトと、その妻ジークリンデに捧ぐ」で締められている。

 後日この馬鹿長い詩が表装されて贈られてくるのかと思うと、ジークリンデは憂鬱になると共に、やはり笑いがこみ上げてきて仕方なかった。

 ランズベルク伯は悪意がないことが分かるので、無碍にし辛いのだ。

 

 そして墓石の中心には止めとばかりに、斜め四十五度で無駄に良い笑顔をしているフレーゲル男爵の遺影。口元には「きらっ」とした効果まで付けられている。

 肌だけではなく顔のパーツまでも遺影補正されているせいで、現物の五割増し ―― それでもラインハルトの足元にも及ばないが。

 

 自分が死ぬまで、命日にこの墓を見なくてはならないのかと思うと……彼女はやはり笑いがこみ上げてきた。

 だがいつまでも笑っていられないので、頑張って笑いを収めて、

「もういいです」

 ファーレンハイトの胸骨を折りそうなくらい押しつけていた額を離し、頬が膨らみすぎ、前髪が少なすぎるような天使像に花を供え、指を組んで祈りを捧げる……素振りだけした。

「ジークリンデさま」

 指を解き顔を上げた彼女に、ファーレンハイトが気遣いの声をかける。その優しさといい、勘違いされているらしい雰囲気が、彼女にとっては辛くて仕方なかった。

「また、付いてきてください」

「はい」

 笑い兼ねないので一人でくるべきだろうが、一人でやってきたら絶対笑いがこらえられないという確証があるので、あえて人目を用意して、彼女は必死に笑いに耐えるつもりであった。

 

 墓石を直す……ということは考えなかった。善意の貴族たちが用意してくれたものなので、下手に手直しをして自尊心を傷つけると面倒が起こる。

 彼女は自分自身が耐える道を選ぶことにしたのだ。

 

 帰りましょうとファーレンハイトに促されたが、彼女にはこの場でもう一つ、しなくてはならないことがあった。

「ファーレンハイト」

 彼女は帽子を乱暴に脱ぎ、手に掴んだままファーレンハイトに膝を折るよう命じる。

「はい」

 命じられた通り膝を折ったファーレンハイトを見下ろし、彼女は息を吸い込む。

「私は先日、陛下より伯爵夫人の地位を下賜されました」

「おめでとうございます」

 

 

 

 天気がよい日であったことを彼女は、はっきりと覚えている。雲一つなく、色の薄い青空はファーレンハイトの瞳によく似た色であった。

 

 

 

「お礼を述べようと陛下の元へと急ぎ、そして……陛下は私に言いました。ゴールデンバウム王朝を壊すもよし、乗っ取るもよし、と」

「……」

 ファーレンハイトは微動だにしなかったが、確実に驚いていたことは彼女にも分かった。

「それが陛下の望み・忠実なる臣たる私は、五百年の歴史を誇るゴールデンバウム王朝を滅ぼさねばなりません」

 頭を下げたまま無言のファーレンハイトと爽やかな風。

「ファーレンハイト、頭を上げなさい」

「はい」

「これからも私に従いますか?」

 彼女は帽子を持っていないほうの手を差し出し、ファーレンハイトに選ばせることにした。

 

「もちろん。このアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、どこまでもお供させていただきます」

 

 ファーレンハイトはすぐさま彼女の手を取り、甲に軽く口づける。

 以前の記憶らしきものがある彼女は、この仕草が苦手なので滅多なことではさせないが、このときばかりは契約書代わりにファーレンハイトに口づけをさせた。

「それでは、これまで通り仕えなさい」

 帽子を被りベールを直し、フレーゲル男爵の墓へと向き直り……ベージュ色の地味な口紅を塗った下唇を噛み笑いをこらえ、一礼をして帰宅の途についた。

 

 彼女を自宅まで送り届けたファーレンハイトはいつもと変わらず退出し、彼女はいつも通り夕食を取り入浴し ―― ドレッサーの前に座り、短くなった髪を自分で梳き、鏡に映る自分に内心で語りかける。

―― ファーレンハイトは確実に協力してくれるけど……金髪の孺子さんがねえ……あと、オーベルシュタイン

「オーベルシュタインが義眼じゃなかったらどうしよう」

 オーベルシュタインは必要だと思う彼女だが、最近の記憶との相違点に、少々自信をなくしていた。

 ”あの”オーベルシュタインが、ゴールデンバウム王朝を守る側に回ったら、厄介だな……と思うも、そうなったらの対処法を彼女は思いつかなかった。

 

 こうして雑事を片付け、気がつけば国務尚書より提示されていた二週間は瞬く間に過ぎており、

「明日から出仕します」

『うむ。恐れ多くも陛下がお待ちだ』

 連絡を入れたところ、皇帝が待っているという ―― 貴族としては名誉なことだが、面倒なイベントが用意されていた。

「嬉しい限りです」

 

 はやい人ならばもう喪服を脱ぐ時期だが、彼女は久しぶりの黒尽くしの格好が気に入り、もう暫く喪服でいることにした。

 貴族は華やかな格好をしているのは事実だが、場に合った格好をせねばならず、その際に使用できる色も事細かに決まっている。

 黒は喪服以外では着用できず、生前(?)黒を好んで着ていた彼女には、それがやや不満であった。

 

 職務に復帰した当日は、皇帝より労いの言葉をかけられ、ベーネミュンデ侯爵夫人とグリューネワルト伯爵夫人にも感謝とお悔やみを貰い、職務関係の人々からも同じく声をかけられ一日が終わった。

 


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