黒絹の皇妃   作:朱緒

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第64話

―― 明日、やっとケンプ夫人とご子息に会えます!

 

 狩猟宴以外の出来事で、かなり疲弊していた彼女は、キスリングと共に帰途につく途中、足止めを食らった。

「ローエングラム伯爵夫人」

「ペクニッツ公爵。どうなさいました?」

 北苑と東苑の境で、良く言えば所在なさげ、悪く言えば変質者。普通に言えば亡霊のように突っ立っているペクニッツ公爵に呼び止められた。

「これを受け取ってくれ」

 彼は手に持っていた、やや大きめで厚みもある赤い宝石ケースを彼女に押しつけ……ようとしたのだが、護衛のキスリングがその腕を掴み止める。

「はなせっ!」

「無礼は承知ですが、離すことはできません」

 無害な公爵だが、いつの間にか心の襞に忍びよっているのが地球教。たとえそうではなくとも、いきなり現れて相手に突然贈り物を渡すなど ―― まともな護衛ならば阻止する。

「ペクニッツ公爵。中身は?」

「決して危険なものではないから、受け取ってくれ!」

―― 質問に答えてくださらないと、手を離すように言えないのですが

 腕を押し出そうとするペクニッツ公爵と、その全身の力がこもった腕を、なんなく押さえているキスリング。鍛え方の違いが可哀想なほど如実に表れていた。

「ペクニッツ公爵。この場で中身を、護衛に確認させてもよろしいですか?」

 途端に腕の力が抜けるも、

「受け取ってもらえるのなら」

 彼は引き下がらなかった。気の弱い彼にしては、随分と大胆な行動である。

「キスリング」

「はい」

 キスリングはベルベットの宝石ケースを受け取り、まずは耳元へと持って行き異音がないか、確認してから注意深く開いた。

「これは……理由もなく受け取るわけには参りません」

 異常がないことを確認してから、開いた面を彼女に向ける。中身はルビーが埋め込まれた象牙のブレスレット。

「いや、なにも聞かずに受け取ってくれ!」

 ペクニッツ公爵は言い残して、走り去る。

「追いますか?」

 キスリングならば今からでも追えば追いつく速度であったが、彼女の側を離れるわけには行かないので ―― それでも相手が皇帝の父親なので、おざなりながらも尋ねた。

 彼女は問いに力無く頭を振る。

 トーク帽子を飾っていた羽の一枚が、黒曜石の床に落ちた。黒い床の上に落ちた黒い羽。キスリングはそれを拾ったはいいが、帽子の飾り部分に戻すのはためらわれた。

「いいえ、追う必要はありません……キスリング、大伯父上に今から会いに行くので、少しだけ時間が欲しいと連絡して」

「はい、ただいま。この羽はいかがなさいますか?」

「捨ててください」

「は、はあ。では、もらっても、よろしいでしょうか?」

 彼女から舞い落ちたかのような羽を、捨てるということにためらい欲しいと希望する。

「ええ、いいわよ」

―― いいのですけれど。何に使うつもりなのかしら?

 喋ったキスリング自身、どのように扱うつもりなのか? 分からないが、どうしても捨てることができなかった。

 

 彼女が会う予定のなかったリヒテンラーデ公に面会を求めたのは、象牙のブレスレットに関して。

 彼女の面会希望はすんなりと通り ―― 彼女は滅多なことでは、すぐに会いたいと希望しないので、大事であろうとリヒテンラーデ公は判断し、面会を許可した。

 帝国宰相の執務室へと立ち寄り、大きな執務机前にあるバロック様式の応接用ソファーに腰を降ろして、ブレスレットを手に入れた経緯を説明する。

「受け取ってよろしいものでしょうか?」

 ペクニッツ公爵は趣味が昂じて、資産をマイナスにしてしまった男。

 娘の即位に伴い、原作同様、宮内省の予備費で借金を清算してもらった経緯がある。

 そんな彼から贈られた象牙のブレスレット。

 以前に購入したものだとしたら、売却して借金の返済に充てるべきであり、彼女のために購入したのであれば……金の出所が、彼女としては非常に気になるところであった。

「構わん」

 ただ貴族女性は出納に口を挟むものではないので、結局のところ彼女は追求はせず、目の前の現物をどうするか? その対処を求め ―― 僅かに自分の希望を述べるに留める。

「そうですか。ですが、私個人としては、受け取りたくはありません」

 リヒテンラーデ公は彼女が購入資金の出所を気にしていることも、ペクニッツ公爵がいつ象牙のブレスレットを購入したのかも分かっていた。

 購入した時点で「ローエングラム伯爵夫人に渡すつもりでしょう」と、側近たちから忠告を受けたリヒテンラーデ公であったが、内心でペクニッツ公爵を侮っている ―― 隠しきれず表に現れているが ―― ため、”渡せるものならば、渡してみるがいい”と、知らぬふりをしていた。

 だが彼は勇気を振り絞り、彼女に手渡した。そんなペクニッツ公爵の行動に驚いたものの ――

「エッシェンバッハ侯か?」

 今朝のラインハルトの行動に比べたら微々たるもの。

「噂が届いているのなら、話は早いかと」

 彼女もリヒテンラーデ公の耳に入っていないという甘い考えは持ってはいなかったが、目の前で言われると、普通とは違う意味で羞恥が沸き上がって来る ―― 噂のほうが過激で、実際はなにもしていないに等しいので、余計に恥ずかしいのだ。

「大したものだな」

 彼女のほっそりとした首から肩、そして腕から指先にかけての優美さは、後宮に収められた何百人もの美女を見たことのあるリヒテンラーデ公であっても「比類なき」と感嘆するほど。

「なにがでしょう?」

「あの男は、女には興味を持たぬタイプだろうに。さすが幼きころは傾城の伯姫、いまは傾国の美女と呼ばれるお前に相応しい戦果だ」

―― 傾城の伯姫も、傾国の美女も、褒めてません。金髪の孺子に比肩する蔑称だと……あれ? いつ傾国の美女と? 傾城の伯姫は言われた記憶は有りますが、傾国の美女なんて

 知らず知らずのうちに、自身がフォーク立案の同盟亡国作戦の理由になっていたことなど知らない彼女は、怪訝な表情を浮かべる。

「お褒めにあずかったのかどうかは分かりませんが。ともかく、エッシェンバッハ侯の気分を害する恐れがあります」

「害しても構わぬのではないか。むしろ、そのほうが興に乗りそうではないか」

「私としては、嫌なのですが」

―― 他人事だと思って……夫婦ですから、興が乗ってくれたほうが良いのは分かりますけれど……

「許可されている金額の範囲内で、わざわざ購入したのだ。受け取ってやれ」

「……分かりました。お礼はどうしましょう」

「それは私が用意する」

 彼女は諦めてペクニッツ公爵から贈られたブレスレットを受け取ることにした。

「お願いします。それでは、大伯父上。お時間、ありがとうございました」

 彼女は宝石ケースを膝の上に乗せて、蓋を閉じる。キスリングが”持つので乗せてください”と手を出す。彼女は必要ないと手を振り、宝石ケースを長手袋で覆われている細い腕で抱くようにして持ち立ち上がった。

「ジークリンデ」

 左側の大きな窓からさし込む夕日に染まった彼女を、リヒテンラーデ公は呼び止めた。このときリヒテンラーデ公は、彼女の美しさが”彼女自身”をも滅ぼすのではないか? 初めてそんな考えが沸き上がった。

「はい。なんでしょう、大伯父上」

 灼くような朱に染まらぬ翡翠の瞳と、落ちゆくとはいえ、陽を受けながらも夜を思わせる黒髪。

「いや、なんでもない。気を付けて帰るのだぞ」

 昨日までの彼女とはまるで別人のような空気に気付いたものの、それが何から来るものなのか? 分からないリヒテンラーデ公は、彼女に気を付けるように言うことしかできない。

「はい」

 彼女は淑女のお辞儀をして、キスリングは会釈でリヒテンラーデ公の執務室を去った。

 

 

 傾国の美女とは、国を滅ぼすと同時に、自らも滅ぶものである

 

 

 彼女は硬い音が響き渡る新無憂宮の廊下を歩き ―― 運転手付きの地上車にキスリングと共に乗り込んだ。

「帰りはキスリングの運転ではないのですか」

「はい。ジークリンデさまをご自宅までお送りしたあと、ブラウンシュヴァイク公爵邸へ行かなくてはならないので、代わりの車を手配させていただきました」

 キスリングが運転している地上車は、彼女の送り迎え専用の軍公用車。当然のことだが、キスリングが私用で使うことは許されない。

 彼女を無事に自宅まで送り届けるのがキスリングの仕事なので、送り迎えに別の地上車を使おうとも、運転手を用意しようとも、それらは何ら問題はない。

「……徒歩で?」

「いいえ。シュワルツェンの邸近くにバス停がありますので。それで」

 キスリングは近くと言っているが、実際はかなり遠く ―― ただ”歩き”に関しては個人差があるので、一概に「遠いでしょう」とも言えない

「疲れているでしょうに。ブラウンシュヴァイク公の御屋敷に行くということは、ファーレンハイトたちと会うの?」

「はい」

「迎えを頼まなかったのですか?」

「この迎えの車を手配してもらったので」

「……キスリング、ケスラーに連絡を」

 仕事の話に首を突っ込むのは極力避け、彼女は裏方に回ることにした。ケスラーに連絡をするように言い、

「はい。お待ちください……ケスラー准将。ジークリンデさまがお話したいと。はい、どうぞ、ジークリンデさま」

 繋がった端末を両手で包み込むようにして顔に近付ける。

―― ジークリンデさま、可愛らしい体勢で話すとは聞いていたが……本当に可愛いもんだなあ

 端末は胸元の辺りまで離れていても、普通に会話できるのだが、彼女の端末に対する感覚は以前の記憶に支配されており、ついつい電話的な動きをしてしまう。

 他の人たちが、かなり離して喋っている姿を彼女も見て覚えてはいるのだが、体が無意識にそのように動いてしまうのだ。

 この時代、やや小首を傾げて顔近くに端末を持ってゆく動きを取る人はほぼいないため、彼女特有の可愛らしい仕草として、彼らの目を楽しませていた。

 

「ウルリッヒ、お願いがあるの。聞いてくれる?」

―― その口調と声でお願いされたら、なんでも言うこと聞いてしまいます

『なんでもご命令ください、お嬢さま。このケスラー、尽力を惜しみませぬ』

「そ、そんな凄いことじゃなくて……あのね」

 彼女はケスラーに地上車の手配と、六人分の料理を持ち運べるよう包んでおくことを依頼した。キスリングを含めて四人だとは聞いたが、余裕は必要であろうと考えて六人分用意させることにしたのだ

「あと、お酒も。種類? キスリング、何が飲みたいですか?」

「黒ビールを」

「聞こえた? ウルリッヒ」

『はい。用意を整え、ご帰宅をお待ちしております』

 

 通話を終えた彼女は膝に乗せていた宝石ケースを開き、溜息を漏らす。

「ペクニッツ公爵がくださったの、お菓子なら良かったのですけれどもね。そうでしたら、キスリングにも分けられたのですけれど」

 護衛は当然のことながら、職務中は一切飲食をしない。

 貴族たちが並ぶ料理に舌鼓を打っているときも、なにごともないように、周囲に注意を払い空腹であることなど感じさせない態度を取る。

 わざと料理を彼らの前で食べるような下品な性格の貴族もいるが。

「お心遣いだけで、光栄です」

 どのみち、車中で菓子を貰っても食べることはできないので、無意味だが ―― 言われて悪い気はしない。

「こうして車中でキスリングと向かい合って話すこと、ほとんどないから新鮮ね」

 彼女は宝石ケースの蓋を閉じ、両手を乗せてキスリングを正面から見つめ、

「そうですね」

 キスリングは視線を受け、職務中には珍しく表情を緩める。その仕事用ではない空気に、彼女は表情を綻ばせた。

「家に着くまで、私の話相手になってくれるかしら?」

「喜んで」

 彼女はプレゼントされた、ブレスレットにルビーが使われていることが気になっていた。

 誕生石などは太古より変わらず ―― よって、現在でも七月の誕生石はルビーである。

「このブレスレット、少し自意識過剰になって考えると、私用に購入した可能性があるのです」

―― むしろ、自意識過剰になってください。宇宙のすべての男を傅かせることができると思うくらいで、ちょうど良いです

 彼女の自分自身を知らないとしか思えない言葉に、キスリングはそう内心で返したものの、この危機感のない彼女の言動も好ましいと。

「なぜそのようにお考えに?」

「ルビーが埋め込まれていたでしょう」

「あの赤いの、ルビーでしたか」

 キスリングもルビーではないかとは思ったが、彼は鑑定することはできないので ―― 護衛は”無害な赤い石”と判断できれば、それで良いのだ。価値や金額など、彼の仕事の範疇外であり、彼の私生活にはこのような極上のルビーなど関係しない。

「ええ。私は誕生日が七月。誕生石はルビーということで、ルビーを配したアクセサリーをよく頂くのです。でも私の誕生日なんて知らないでしょうから、やはり偶然と考えるべきですよね」

 階層を考えると、彼女の誕生日など知らないはずのオーベルシュタインですら知っていたのだから、ペクニッツ公爵が知っている可能性を考慮すべきだが、彼女の認識がそうなので、

「きっと……偶然でしょうね」

 キスリングも否定しなかった。

―― 間違いなく、ジークリンデさま用でしょうね。命知らずというか、命知らずですよ

「象牙細工はあまり持っていないので価値が分からないし、これに合わせるドレスも……手持ちにはないので、新調しなくてはなりませんね」

 贈られた以上、身に付けて挨拶する必要があるのだが、彼女は象牙のアクセサリー類は所持していないので、それに合うドレスを新調しなくてはならない。それらは慣れたものだが ――

 

 ラインハルトがどう思うか?

 

 それが問題であった。

 彼女はペクニッツ公爵から贈られたことを隠すつもりはなく、貴族の仕来りとしてドレスを新調して挨拶することも伝えると決めているが ―― 今朝のこともあり、なんとも憂鬱であった。

「そういえば、ジークリンデさまは真珠がお好きだと聞きましたが」

「ええ、好きですけれど……誰から聞いたの?」

「フェルナーさんから。星座石だからお好きだと……ジークリンデさま、一つお教え願いたいのですが」

 地球から飛びたち、長い歳月が経っているのだが、帝国でラインハルトがアポロンに喩えられていることからも分かるように、未だに星座は健在であった。

 星座と神話が結びついているため、捨てるに捨てられなかったのも一因である。

「私で分かることでしたら。でも、私が知っていることで、キスリングが知らないことなどあるかしら?」

「実は小官、星座がよく分からないのです。貴族の方は贈り物を選ぶ際に神話に喩えたりするので、知識としてご存じだと聞きました。到着するまでの間、ご教授いただけると」

 だが古すぎる知識ゆえに、知らない者も多い。

「星座ですか……星座というのは、地球から見た星の見かけの配置で作られたもので、全部で八十八あるの。その中で有名なのが、黄道十二星座。黄道を経過している十三の星座のうちの十二個の星座のことを言うのです」

 彼女は以前より知っていたので、記憶するのに苦労はなかった。もちろん、時が経ちすぎているので、伝承途中でなんらかの違いがないかの確認は怠らなかったが。

 

 帝国は彼女にとって想像もつかないものが禁止されているので、かつての知識を迂闊に披露できないのである ――

 

「済みません、ジークリンデさま」

「なに?」

「除外された一個はなんでしょうか?」

「蛇遣い座だったはずです。なぜ外されたのかは分かりませんけれども、星座誕生の由来は覚えています。太陽神アポロンを父に、テッサリア王の娘コロニスの間に、アスクレピオスという子供が生まれました……生まれたといっても、使い役のカラスの嘘を鵜呑みにして、コロニスの心変わりしたと信じ込んで、問答無用で射殺してから、嘘をつかれたと気付いて、死んだ彼女の腹からアスクレピオスを取り出したそうです。話を戻して……」

 話ながら彼女は”ひどい神さまです”と心中で独りごちる。

―― そう言えばラインハルトは、その美しさから人々にアポロンと喩えられますけれど。たしかにもっとも美しい男神ですし、スペックそのものは凄いのですが、有名な神話って、碌なものがないような。とくに女性関係は、ほぼ全滅……もしかして、褒めてない? 実は遠回しに貶してる? 

 

 アポロンに求愛されて酷い目に遭ったカッサンドラやダフネなどの逸話を思い出し ―― それらから考えると、ラインハルトと真逆にいるような気がしたものの、深く考えたところでどうしようもないことにも気付いた。

 なにより当てはめて考え出すと、彼女自身がカッサンドラになりかねない ――

 

カッサンドラ:誰にも信じてもらえなかった予言者。トロイの木馬で国が滅亡。アテナ神殿で強姦される。その後、強姦した人とは別の人の戦利品になるも、その人の正妻に殺される。連れ帰った人も殺されたが。それらは予言能力で分かっていたが回避できず。ちなみに予言能力はアポロンからの贈り物。予言能力と引き替えにやらせてって ―― それに応じる方もどうかと思うが、貰ったった瞬間にアポロンに捨てられる未来が視えてしまったので、拒んだ結果、誰も予言を信じないという上書きをされた

ダフネ:アポロンがエロースを馬鹿にした為に、とばっちりを食らった河神の娘。嫌だと言っているのにアポロンに追い回される。相手がハイスペック神なので捕まりそうになり、父である河神に祈り月桂樹に変身して難を逃れる。でも諦めないアポロンに頼まれて月桂樹の冠を作って(樹の状態で)渡す

 

「……なのです」

「ありがとうございます、ジークリンデさま」

 ギリシャ神話のアポロンの話を思い出し、陰鬱な気分になったものの、キスリングへの説明は滞りなく、話が終わるころには、シュワルツェンの邸に到着し ―― 彼女はケスラーと共にキスリングを見送った。

 地上車が完全に見えなくなってから、

「ウルリッヒ、話があるのでついてきて」

「はい」

 彼女はケスラーを部屋へと連れてゆき、二人きりになったところで喜びに満ちた声を上げる。

「ウルリッヒ、ウルリッヒ」

「どうなさいました? お嬢さま」

 そこで行きの車中で、ラインハルトが他の者たちに会う許可をくれたことを教えた。

 彼女の笑顔を前に、ケスラーは胸元に手をあて、軽く会釈するような体勢を保ち、心よりの言葉をかける。

「それは、よろしゅうございました。痴がましいことですが、私も心配申し上げておりましたので、心より嬉しく存じます」

「心配かけてしまって……ごめんなさいね。いい歳をした大人なのに、ウルリッヒに職務以外のことで気を使わせてしまって」

 三十半ばのケスラーにしてみると、二十歳の彼女はまだ子供と大差ない ―― まして幼いころの彼女を知っている彼には、特にその思いは強い。

「いいえ。私の勝手にございます。お許しいただけるのでしたら、これからもお嬢さまのことを心配させていただけたら」

―― 完全に子供扱いされてます……でも悪い気はしないですし、むしろ嬉しいかも……

 彼女は手袋で覆われている手のひらを自然に合わせて、人差し指が左の口元にかかる位置へと持って行き、頬を僅かに膨らませてから、

「嫌よ、ウルリッヒに心配なんてかけたくないもの。……でも、少し気にかけてもらえたら嬉しいわ」

 少し早口で、感謝と恥ずかしさが入り交じった返事を返す。

 すっかりと﨟長けた伯爵夫人へと成長した彼女だが、だからこそ時折見せる幼さを含んだ表情が危うさを引き立て庇護心を誘う。

「光栄です、お嬢さま」

 

 そして彼女はケスラーに、明後日「ファーレンハイトとフェルナーとオーベルシュタインに会いたいと伝えて」と頼んだ。

―― 昨日、ロイエンタールと何を話していたのか、知りたいでしょうからね。キスリングにも同席してもらいましょう

 盗撮および盗聴、あるいは監視というべきか? 言葉はともかく、会話が筒抜けであったなど、彼女は思ってもいないので、わざわざ報告するために足を運ぶことにした。

 


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