黒絹の皇妃   作:朱緒

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第63話

 短く刈り込んだ透明感のない薄めた黄土色の髪に、緑がかった灰色の瞳。頬骨がやや張っている。顔立ちは美男子という類ではないが、取っ付きやすい造作。

 異国の雰囲気を持ち ―― ただしその雰囲気はエキゾチックとはまるで正反対な、華やかさとは違う……とにかく帝国の男ではない面差しであり、態度であった。

 

「フレーゲル男爵の愛人?」

 そんなフェザーン籍のキャゼルヌが、なぜ帝国で貴族私軍の兵站総監となっているのか?

 ファーレンハイトが面倒だから丸投げした……のも、ある意味正しいのだが ―― そこに至るまでには、すこしばかり特殊な事情があった。

「そういう契約でな」

 彼女が五年前フェザーンへと行った際に、フレーゲル男爵が亡命途中のベンドリング少佐とヘルクスハイマー伯爵令嬢マルガレータを見つけ、彼らを捕らえた。

 

 ベンドリングと令嬢は当初は追う側と追われる側という立場であった。

 

 令嬢の父であるヘルクスハイマー伯が、盟主とも言えるリッテンハイム侯にとって知られたくはない秘密を、間接的に手に入れてしまい ―― 結果、伯爵の一族は追われる身となり亡命を決意。

 亡命中に伯爵は死亡し、令嬢だけが取り残された。

 伯爵の亡命を知ったリッテンハイム侯は、ベンドリングに事情を説明せず、とにかく連行するように、抵抗する場合は殺害もやむを得ないと指示を出した。

 そこから紆余曲折を経て、当初の目的ではないフェザーンへ寄港し、フレーゲル男爵に発見されてしまった。

 

 捕らえられた二人は、フレーゲル男爵に事情を打ち明ける。

 事情を言わなければ、強制送還の道が待っていたので、それ以外を選ぶこともできなかったのだが。

 話を聞いたフレーゲル男爵としては、捕らえてリッテンハイム侯に恩を売っても良かったのだが、その当時十歳のマルガレータに、嫁いできた頃の彼女が僅かだが重なり、手助けしてやることにした。

 同盟に亡命しようとしていた二人に「叛乱軍籍になったら、徴兵され戦場に出ることになるぞ。そこで帝国の捕虜になったら、厄介だろう」と諭して、フェザーン籍にすることを提案。

 ルビンスキーが協力したこともあり、別名と籍を手に入れる。

 ベンドリングの新しい名はテオバルト・ユング。

「伯爵令嬢は”ジークリンデ・ブラック”。妻と愛人の名前は同じにしておくに限る……伯爵令嬢からの提案でな。これらの手配を整えて、二人は同盟……帝国では叛乱軍と呼ぶんだったな。叛乱軍が勢力を持つ区域に旅立った。これにかかった費用をフレーゲル男爵が持ってくださった」

 フェザーン籍だが生活の拠点は同盟という形。

 当初マルガレータは代わりに差し出すものがないことを気にし、提案に難色を示した。その”尽くして当然”ではない態度も気に入ったフレーゲル男爵が、マルガレータに「愛人」の立場を提示した。

 むろん本気で愛人にしようとしたわけではなく、衣食住を提供するための肩書き。もっとマシな肩書きはなかったのか? と、キャゼルヌは思ったが、提案されたマルガレータは、むしろ、そこまで言ってくれるのならば「よろこんで」と返事を返した。

 

 ただこの対面と取り決めは、帰国の途につく四日前の出来事。皇帝の代理として派遣されていたフレーゲル男爵は、日程をずらすことはできなかったので、フェルナーとフェザーンの事務官に任せ、ファーレンハイトが指揮する護衛艦隊に守られて彼女を伴いオーディンへ帰国した。

「手配は卿が行ったわけか」

 その際に選ばれた事務官がキャゼルヌ。事務手続きは簡単に済んだが、そのあとの教育に少々手こずった。

 優遇されていた特権階級から、冷遇される亡命者へ ――

 同盟には亡命者のコミュニティが幾つか存在するが、人口の分布図から分かるように平民主体のコミュニティが多く、爵位を持っていた貴族を拒否することが多い。

 幾ら身分を隠しても、言動やその顔立ちから、元々そこで生活していた人たちには、すぐに階級が割れてしまう。

 キャゼルヌにはどうやっても帝国の雰囲気が生まれないように、貴族はその空気を失うことはない。

「そういうことだ。これらの費用をどこから捻出するか? となったとき、私軍の予備費から出すことになって、俺は軍属で後方担当になったわけだ」

 軍務に就いていたとはいえ貴族の三男と、深窓の伯爵令嬢。最初から手助けなしで、制度が違う国で二人きりで生活など出来るはずもなく、フェザーンで新しい生活を学んでから旅立つことを提案され、それらの手配はルビンスキーが整えた。

「あの自治領主が裏もなしに協力したのか?」

 聞いていたオーベルシュタインが、それについて尋ねる。

「まさか……俺が言うのもおかしいが、俺はルビンスキーに大層評価されていて、敵視もされていた。あいつの地位を脅かす存在だと思われていたようで、自治領主さまは、俺をフレーゲル男爵に売り込み、諸手を挙げて送り出してくれた。厄介者を引き取ってもらったってことだな」

 キャゼルヌはこのような事情で帝国有数の貴族の元で、事務を一手に引き受け、帝国籍ではないながらも、かなり出世していた。

「なるほど」

 話は前後するが、マルガレータとベンドリングの生活費は私軍の予備費から出ており、それらの帳尻をキャゼルヌがうまく合わせながら、本来の職務である、男爵家の財務を担当していた。

 その才能に目をつけたファーレンハイトが、手を回して ―― 気付けばキャゼルヌは軍属で後方事務を任されていた。超過勤務だと言いたいキャゼルヌだが、帝国貴族に仕えている場合、労働法など適応されないので、言ったところで無駄である。

 また、働きに見合う給料が支払われており、休暇も申し出れば簡単に通る ―― 仕える相手の性格さえよければ、貴族というのは非常に良い職場を提供してくれる。

「なんと書かれていた?」

 説明を終えたキャゼルヌは、手紙を受け取りざっと目を通す。

 内容はいつものようにフェザーンの検閲を意識して、注意深く同盟の情報を省いたものだが ―― 情報は高値で売れるので、かなり統制されている ―― 彼女をよく支えるようにと、丁寧に書き記されていた。

 キャゼルヌは読み終え、フェザーン製のごく有り触れた用箋を折りたたみ封筒に戻す。

「処分、頼む」

 手紙は保存されることなく、フェルナーが自らの手で処分していた。

 キャゼルヌから渡された手紙を受け取り、

「ところで、フロイライン・ブラックさまのこと、どうします? ファーレンハイト」

 ”愛人”に対する援助をどうするか? について、現時点で軍費を握っているファーレンハイトに尋ねた。

 いまになってこの話題と言われそうだが、遠い異国の地に逃した少女について、考えているほど彼らは余裕がなかった ―― いまもそれ程余裕はないが、このまま放置しておくわけにもいかないと。

「誤魔化し続けることは出来るか?」

「事情を知っているお前さんが上にいる限りは可能だ」

 貴族私軍ゆえ、軍務省からの監査が入ることはないのだが、トップが変わればそうも言ってはいられない。

 トップの変更に関しても、当主に気に入られている限りはない。

 ファーレンハイトはブラウンシュヴァイク公に嫌われてはおらず、何より彼女が気に入っているので更迭はないと言い切れるのだが、前線に立つ指揮官なので戦死と常に隣合わせ。

「戦死しないと言い切れんしな……誰かに事情を打ち明け……」

 ファーレンハイトとしては前線に出ない事情を知っている人物に任せたいのだが、ブラウンシュヴァイク公は悪い貴族ではないのだが、やはり選民思想が根深く、トップには貴族を添えたがる傾向が強い。帝国騎士と平民ならば前者で ――

 そのためファーレンハイトよりずっと戦死する可能性が低いフェルナーに、軍費を全て預けるとはいかず。ブラウンシュヴァイク公が二つ返事で許可し、この資金援助継続を許してくれる相手となれば、

「ファーレンハイトが誰を思い浮かべたのかは、分かりますよ」

 誰もが彼女を真先に候補に挙げる。

「…………俺が死ぬまで、今まで通りで」

 だが彼女を亡命者と関わらせるのは”万が一”のことを考えると避けたいので、結局、問題はなんら解決せず。

「適当ですね……でもまあ、先送りで」

 事情を知ったばかりのオーベルシュタインは、黙って頷く。

 彼らの人生において、亡命した伯爵令嬢と彼女では、優先順位は後者。彼女に害の及ぶことは排除するのが当然。

 もっとも伯爵令嬢ことフロイライン・ブラックは、フレーゲル男爵が死亡する前から、資金援助が何らかの事情で、打ち切られる可能性を考慮して生活しているのため問題はない状況 ―― 賢かった伯爵令嬢は、さらに逞しさを身に付け、テオバルトと名を変えた少佐と、主従のない世界で充実した生活を送っている。

「わかった。お前が戦死しなければいいだけだからな」

「簡単に言ってくれる」

「お前が俺に持ってくる仕事に比べれば簡単だろう。さて、本題はこっちだ」

 分厚い書類の束は、軍隊に関するものではなく、彼女の遺産相続に関するもの。皇帝の覚え目出度く、権力者の姪の娘である彼女の遺産相続は、横やりが入ることもなく、すんなりと ―― 微々たる相続税を支払い莫大な額を受け継ぐ。

「書類は整った。あとは男爵夫人……ではなくて、ローエングラム伯爵夫人のサインだけだ。もらってきてくれ」

 音を立てて書類の束を叩きながら言うキャゼルヌを前に、三人はケスラーから聞いた現状を思い出し、どうしたものかと悩んだが、それは彼らの仕事なので先ずは引き受けた ―― 最悪といえば言葉は悪いが、カタリナを通せばなんとかなるであろうと。

「……分かった。ところで、キャゼルヌ」

 

 近々内戦が起こる ―― 実行犯の一角である彼らは、キャゼルヌ一家をしばらくオーディンから遠ざけようと考えた。

 

「なんだ?」

「久しぶりに故郷に足を運んではどうだ?」

「ああ?」

「いつもお世話になっているので、ご恩返しですよ。二ヶ月くらいどうです?」

 優しさだけから出たものではなく、キャゼルヌの事務処理能力が優れているので、後片付けを全部任せたいので、一家には無傷でいて欲しいという考えから。

「お前ら、そんな殊勝な性格じゃないだろう」

「まあな」

 事情を説明するか、しないかで悩んだが、オーベルシュタインの「事情を聞かず話して、乗ってくれたらそれでよし。説明が欲しいと言われたらする。……どうであろうか?」言われて、駄目で元々と提案して、

「なにをさせるつもりだ?」

 眼鏡越しに睨まれるハメになった。

「なにも」

「正直に言わんと、兵士全員今月分の給料、支払われんようにするぞ」

「それは困る。パウル、説明頼む」

 

 やはり無理 ―― と、二人はオーベルシュタインに説明を任せる。

 

 オーベルシュタインは「地球教の部分を省き」リッテンハイム侯が起こす乱について、説明をする。よくもそれほど核心を上手くかわして正確に説明できるものだと、二人は感心しきりであった。

「……お前ら、なにをしてるんだ」

 ”地球教”について触れなかったのは、フェザーン出身のキャゼルヌを疑っているのではなく、彼の周囲に地球教徒がいた場合、危険に巻き込まれることを考えてのこと。本当に疑っているのなら、最初から遠ざけたりはしない。

「私たちが計画したわけではありません」

「俺たちは実働部隊。策やら指示やらは、かなり上から」

「避難しておくべきだろう。卿は幸いフェザーン出身だ。いついかなる時期にオーディンを離れても、周囲に違和感を持たれることはない」

 キャゼルヌは”お前等家族だけは、安全な場所に逃げろ”言われて「はい、そうですか」などと、すんなり受け入れるような男ではない。

「回避はできないのか?」

 それに育ちが帝国ではなく、生まれも貴族ではないので、武力を用い内戦を起こし実権を取るという行為が、とても現実ごととは思えなかった。

「不可能だな」

 キャゼルヌと同い年のオーベルシュタインが、淡々とした口調で答える。

 三十五歳になるオーベルシュタインは、四つになるか、ならないかの時、短期間ながら内戦に遭遇したことがある。クレメンス皇太子が兄リヒャルトを謀ったことが判明し ―― オーディンは一触即発の空気に支配された。

 クレメンツ派がフリードリヒ四世派に乗り換えたり、それは陰謀だ、真犯人などいない、実はフリードリヒこそ……さまざまな噂や嘘が飛び交った。

 いまもオーベルシュタインが住んでいる邸。その斜め向かいに住んでいた一族が、クレメンツ派で死を賜った奸臣の一人の遠縁で、家族が憲兵隊に連れて行かれ ―― 行方は杳として知れず。オーベルシュタインも取り立てて調べるつもりはなかったが。

 今日まで普通に暮らしていても、明日はどうなるか? 殺される前に排除しなければ。そのような感覚を持ち得ないと、巻き込まれ抵抗する間もなく消されてゆく。

 帝国とはそのような国家であり ―― フェザーンで生まれ育ち、三十歳まで内戦とは無関係な自治領にいた彼には、理解し難いであろうということで、最初から計画の頭数には入れなかった ―― 例えオーディン生まれでも、家族がいるので、計画を打ち明ける時は、逃げろという時であっただろうが。

「だが! ……そうだ、宇宙艦隊司令長官と組めば」

「最終的には、その宇宙艦隊司令長官も排除することになる……帝国宰相閣下のご希望でな」

「なんと……まあ。内戦は必至か」

 キャゼルヌのあきれ顔にフェルナーが”関わらないほうがいいですよ”と、彼にしては優しい態度で声をかける。

「家族と仲良く旅行中……でいいじゃないですか」

「ではありがたく提案を受け入れて、女房と子供はフェザーンに行かせるとしよう」

 

 こうして”給料を支払わない” ”演習の物資を隠す” ”遺産相続の書類を持ち帰らせて貰う” 等と脅され、結局キャゼルヌには残ってもらうことになった。

 

 ”彼女にばらす”と言えば簡単ではないかと思われがちだが、それは諸刃の剣。むしろ死ぬ確率のほうが高い。彼らは彼女に知られたくないことを暴露すると言われたら、本気で口封じ ―― 殺害 ―― も辞さない。

 その辺りの判断を間違うキャゼルヌではないし、”宇宙艦隊司令長官殺害”まで決まっているとなると、下手に彼女に言うなどとは……言えるものではないので。

 

 キャゼルヌは「普通に」帰宅し、

「……」

「……」

「ところでパウルさん、マールバッハ伯になにしたんでしょうね」

 オーベルシュタインはカタリナから連絡が来て”お礼を申し上げてくる”と言い残して、一人帰宅した。

「カタリナさまだろ。容赦しない……ん? ケスラー准将? ……ああ、ファーレンハイトだが。ジークリンデさまになにか?」

 スピーカーに切り替え、彼女の身になにかあったのかを、詰問するような声で問い質す。

 話の内容は、彼女が朝、地上車の中でラインハルトから言われたこと。

『これからも、普通に会えると喜んでいらっしゃった』

「そうか。わざわざ、感謝する」

 帰宅後、彼女は出迎えたケスラーに話があると警備室へと行き、この事を伝えた。

 もちろんケスラーが彼らに話していることなどは知らず。

『言伝なのだが、明後日、会いたいそうだ。侍従武官長の仕事が終わってからと』

「分かった。その日は空けておく。ジークリンデさまにお伝えしてくれ」

『それでは、失礼する』

 

 


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