ジークリンデはまずはブラウンシュヴァイク公の邸へと行き、エリザベートが死亡したことに関しお悔やみを述べ、それから、
「こんなにも善くしてくださった、ブラウンシュヴァイク公と縁が切れてしまうこと、残念で仕方ありません」
近くにいると死亡フラグなので遠ざかることにした。
「いやいや、ジークリンデ。いや、ローエングラム伯爵夫人よ。縁を切るなどと言わんでくれ。エリザベートとレオンハルトを失った儂には、もうお前しか残されておらん」
―― ヴェスターラントのシャイドがいるじゃないですか
だがブラウンシュヴァイク公も必死であった。エリザベートに関しては父親としては悲しさもあるが、使い道という点で考えるとほとんど無駄であったので ―― 貴族として考えると惜しくはない。
だがレオンハルトことフレーゲル男爵はブラウンシュヴァイク公にとって、これ以上ないほどに頼もしい甥であり、ブラウンシュヴァイク家の命運を背負っていた男。その男の半分を占めていた頼れる妻《ジークリンデ》を手放したくはなかった。
だが彼女としてはブラウンシュヴァイク公と共倒れするつもりなどはない。
「そう言っていただけるだけで……ですが私の身は国務尚書が……」
リヒテンラーデ侯がなにか企んでいるかもしれない ―― とぼかした。原作においてリヒテンラーデはラインハルトと組む。ここでも同じようになるだろうが、その際にはグリューネワルト伯爵夫人と仲の良い女官長である彼女の協力は必須なので、ここで縁を切らせるであろうというのが彼女の予想であった。
その後、エリザベートが死に体調を崩してしまったアマーリエの枕元へとゆき、励ましの言葉をかけブラウンシュヴァイク邸をあとにした。
その後、ランズベルク伯やオフレッサー、リューネブルク、必要を感じないが一応知り会いなのでヒルデスハイム伯。
葬儀に参列してくれ、現在帝星に滞在している貴族の元へと足を運び、礼を述べて歩いた。
喪服をまとった美しい未亡人は、どこでも優しく受け入れられたことは言うまでもない。
そして最後に、ラインハルトとキルヒアイスの下宿先へとむかった。
二人は下宿先にまだ帰ってきておらず ―― 彼らは仕事をしているので、退庁時間を考えて最後に回した ―― 下宿の主たちのもてなしを受けて、しばし時を過ごした。
三十分以上、四十五分未満の時を過ごし、帰宅した「金髪さん、赤毛さん」を主たちと共に出迎え、
「伯爵夫人……」
「ご連絡を差し上げたと思ったのですが……シューマッハ」
ラインハルトが驚いているので、てっきりシューマッハが連絡を入れなかったのかと、一緒にもてなされそうになり、必死に拒否し部屋の隅に立ち警護していたシューマッハが首を振る。
「もちろん連絡は頂いておりました。お待たせして申し訳ありません」
キルヒアイスが頭を下げる。
二人とも連絡は受けていたのだが、それでも自分たちの下宿に彼女がやってきたことに驚いた ―― 借り主には悪いが、門閥貴族の女性がこんなボロ屋に足を運ぶなど考えもせず、当たり前のように誰か代理の者を立てるのだろうと思い込んでいたのだ。
珈琲を入れ直してもらい、下宿の主である夫人たちに席を外してもらい、キルヒアイスとシューマッハが控えるなか二人は会話する。
「フレーゲル男爵は本当に……」
ラインハルトは彼女に好意を持っている。
初めて出会ったとき、ラインハルトは彼女の美しさに見惚れた。希有な美しさを持つラインハルトが、初めて美しい者を前にして息を飲んだ。
彼女は見た目だけではなく、姉のアンネローゼをも救ってくれた恩人であり、会話も他の貴族とは一線を画したものであり、惹かれて当然とも言うべき存在 ―― ラインハルトにとっては残念ながら出会った時から彼女は既婚者であり、不用意に近づくことができない相手。
秘めたる恋というものなのかどうなのか? ラインハルトには自覚はないが、彼のことを良く知る姉とキルヒアイスは、それに気付いていた。
ただ気付いていてもどうすることもできない。アンネローゼが皇帝に”お願い”したところで、フレーゲル男爵と離婚しラインハルトと結婚できるかどうか? そのくらい、二人の結婚は両者の背後にある家の利害が結びついたものであった。
「ミューゼル大将が軽傷でよかったですわ。グリューネワルト伯爵夫人には頼れる身内が必要です。決して戦死などなさらないでくださいね」
皇妃ヒルデガルトが存在しなくなった。これ以上、世界の流れが狂わないよう、彼女は必死であった。
「伯爵夫人……」
その必死さが実ることはないのだが、いまの彼女には分からない。
珈琲に礼を述べ、彼女はシューマッハと共に二人の下宿を出て自宅へと戻った。
喪服を脱ぎ彼女が好きなラベンダーのバスオイルを入れた風呂に身を沈め、目を閉じる。
「挨拶回りには抜かりなく、領地にいる人たちには手書きの礼状を送って……ヒルダとマクシミリアンにお祝いもしなくては。実家にも顔を出して、国務尚書は仕事復帰後でいいか。あ、そうだ。レオンハルトの墓参りに行かなくては」
フレーゲル男爵の葬儀から埋葬まで、ブラウンシュバイク家のアンスバッハとシュトライトが執り行った。その時彼女はブラウンシュヴァイク公と共にクロプシュトック侯領へと赴いていたのだ。
葬儀はつつがなく執り行われ、遺産に関してはリヒテンラーデ侯が取り仕切ったので彼女は一帝国マルクたりとも損をしていない。
「……墓参りはファーレンハイトが戻ってきてからにしよう」
あほながらも、それなりに楽しい夫婦生活を送らせてくれたフレーゲル男爵の死を悼み……たいのだが、なかなかそうも行かないのが大貴族の夫人である。
三日後、ファーレンハイトは借りたアクセサリー類の返却のため、邸へとやってきた。
「ジークリンデさま。ありがとうございました……どうなさいました?」
部屋で彼女は右腕を二名のマッサージ師に施術させていた……難しい表情で。
「返礼を書いていたら、手が上がらなくなったのです」
フレーゲル男爵の死を悲しむ前に、やらなくてはならないことが無数にあった。もちろんこの手の返礼、代筆の者に任せてもよいのだが ―― 最初五通を自分で書いた手前、他の人を代筆任せにするのは気が引けた。
彼女はそこら辺が平民のままであり、その思考回路が彼女を有能にしたらしめていた。
「あまりご無理をなさらないでください」
「分かっています。ファーレンハイト、ついてきなさい」
「はい」
マッサージを止めさせると、彼女はベールつきの黒い帽子を被り、ファーレンハイトを連れフレーゲル男爵の墓参りへと向かった。
車中でファーレンハイトから、アクセサリーに関する礼をのべる。
「ランズベルク伯がおっしゃっていました。あのネックレスはフレーゲル閣下がジークリンデさまに初めて贈られた物だと」
彼女がファーレンハイトの妹に貸してやったのは、結婚当初フレーゲル男爵から贈られたもので、石もカットも一級品なのだが、似合わないデザインであった。
「ええ。私にはあまり似合わない、可愛らしいデザインでした」
ネックレス、ブレスレット、イヤリング、そしてティアラのセット。ラウンド・ブリリアンカットされた中心を取り囲む、キーマス・ブリリアンカットされた五枚の花びらに見立てられたダイヤモンド。その六つで一つの小さな花を形成し、その小さな花がプラチナで幾つも繋げられたデザイン。
十一歳の少女に相応しいデザインであったのだが、
「十一歳の時に?」
彼女には似合わなかった。
「そうですね。ですが私は十一歳とは思えないほど、老成していたので」
中身が十一歳ではなかったせいなのか、容姿が大人びていたせいなのか? 彼女本人にも分からないが、とにかく似合わなかった。
「妹には似合いましたか? ファーレンハイト」
ファーレンハイトの妹は十六歳だが、十一歳当時の彼女よりも可愛らしい。容姿そのものは彼女のほうが遙かに美しいのだが、親しみやすい雰囲気という点ではファーレンハイトの妹に軍配があがる。
「はい。本当にありがとうございます」
「またなにかありましたら、貸してあげますよ」
車は軽快に走り、予定時間よりはやく目的地である墓地へと到着した。
「ここからは徒歩ですね」
彼女は用意させておいた花束を持ち、
「そうなります」
ファーレンハイトは端末と取り出し、墓入り口にいる警備員に墓地内情報を提供してもらった。
「良人の墓、どこか分かりますか? ファーレンハイト」
「はい。ご案内いたします」
貴族の多くは私有地に墓を造るのだが、フレーゲル男爵は皇帝を守っての ―― 死んだ本人に聞く術はないが、当人にそんな意図があったかどうか? ―― 名誉の戦死ゆえに、立派な軍功を残した者のみが眠ることが皇室より許可される、栄誉ある墓地に墓を与えられた。
地図がないと迷ってしまうくらいに広大な敷地。
あと彼女はフレーゲル男爵の墓の場所を貰ってはいたのだが、貴族らしく紙の地図で、無駄な情報が多く、あまりにも大きいので持ち運ぶつもりは最初からなかった。
そこでファーレンハイトに地図をダウンロードするよう指示を出す。貴族の女性はこのような端末を持ち、見ながら歩くようなことをしてはならないのだ。
「この先になります。ジークリンデさま」
墓の周囲にはジークリンデが好きなラベンダーが植えられていた ――
前を歩き道案内をしていたファーレンハイトは足を止め、彼女に道を譲る。フレーゲル男爵が好きだった中心が白で、縁が紫色のユーストマの花束を抱えなおして、ラベンダーに囲まれた墓へと歩み出す。
墓の前に立った彼女は刻まれている名と生きた歳月を確認し、頭を下げた。
「……」
「ジークリンデさま……」
ジークリンデの後ろに立つファーレンハイトには、彼女がどんな表情をしているのか分からない。だが頭を下げて、なにかに耐えるように震えるその背中に ―― 哀しみに耐えているのだろうと解釈した。
真実はというと、彼女は変な笑いがこみ上げて必死に堪えていたのだが。
墓の前で変な笑い声を上げたら、せっかく築き上げたファーレンハイトとの信頼関係が駄目になってしまうと考えて。
―― 帝国が全力で私が悲しむことを阻止してくる