黒絹の皇妃   作:朱緒

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第57話

 他人の人生を破滅させるような話の直後 ――

「それで、パウル。ジークリンデさまがお前の家に行きたいといっていたので、日時を決めておいた」

 なにが”それで”なのか、言ったファーレンハイト自身も分からないが、気にせずに「その日は暇だといっていましたよ」と、無責任に彼女に告げ、予定を決めたことを告げる。

「……」

「卿の家のフリカッセがお気に召したそうだ。用意させて……」

 肩を掴み義眼を見開いて、肉付きは薄いが端正な顔に困惑と喜びが入り交じった表情を浮かべ、

「勝手に決められても、こま……」

 肩を掴んで揺すってくる。

「ジークリンデさまがお望みだ」

―― 冷静な男が慌てる姿は面白いな、アントン

 ファーレンハイトは鉄格子の向こう側、牢獄にいるフェルナーに視線を送り、

―― 冷酷とも思える策を語った後ですから、余計に楽しいですね、アーダルベルト

 三日間食事抜きの刑に”処した”フェルナーも頷く。

「わかりました」

 食事抜きは使用人には良く下される罰だが、今回はフェルナー本人が望んだもの。彼女に叩かれて唇を甘噛みされるという、ご褒美づくしのフェルナー(キスリング談)は、北苑から戻って来て、その足で一人で牢に入ってしまい ―― キスリングから状況を聞いた全員”また、ジークリンデさまお得意の生殺しだよ。劣情とか色々と困るんですよ”と遠い目をして、彼の好きにさせることにした。

 困るのならば忠告すればいい ―― 別に彼らは困ってはいない。正確に評するならば、困っているが幸せ。なので誰も忠告などしない。

 

**********

 

「ジークリンデお姉さま!」

 話が長引いたので、アクセサリーを追加するだけで、着換えず軍服のまま北苑の離宮へとやってきた彼女は、長椅子に座り、背後からマリーカに抱きつかれ、

―― 昨晩から思っていたのですけれど、胸が大きいお嬢さんですね……若いから張りも……男の人ってやっぱり、胸が好きなんでしょうね……もしかして、ラインハルトは巨乳好きなのかしら。アンネローゼは巨乳ですし、ヒルダも結構おおきか……そうですか、胸が寂しいのが駄目ですか。こればかりは……努力したのですけれど

 後頭部から肩に掛けて感じる、柔らかいが弾力のある感触に、自分の胸の寂しさ ―― 決して貧しいわけではないが、豊かには届かぬ微妙な位置 ―― を噛みしめる。

「きゃあ、ジークリンデ!」

 マリーカに対抗するかのようにカタリナも彼女に抱きつき、豊かな胸が彼女の肋骨を圧迫する。

 あちらこちらを、柔らかい夢で押されて”男性なら幸せでしょうけれどね”と、他人事のように考えながら好きにされ、解放されると女性たちからピアノの演奏を頼まれ、

「楽譜、持ってきました。執事さんが持たせてくれたんです」

 マリーカは楽譜を抱きしめ、聞けるのが楽しみだと、語らずとも分かる表情で彼女を見つめる。

「ありがとう。では、なににします?」

 

 ちなみに現在皇帝は昼寝中 ――

 

 彼女たちが楽しく過ごしている姿を、小部屋から一人の少女が覗いていた。彼女の側にいきたいのだが、それができない少女。

 その背後から、少女の婚約者であるロイエンタールが声をかける。

「おい。自分から声をかけねば気付いてもらえぬぞ」

「……」

 背中の中程まであるストロベリーブロンドの髪が目立つ少女 ―― サビーネ。昨日もこの離宮の小部屋にいて、彼女に声をかけようとしたのだができず終いであった。

「少し待っていろ。今弾いている曲が終わったら、連れてくる」

「……」

 希望があった曲を二つ続けて弾き、他の女性にピアノを譲って、彼女は話しかけてきた親族の女性と談笑を再開する。

 難しいことを話すわけではない、どちらかといえばゴシップの類だが、会話の内容よりも、会話することそのものが重要。

 お高くとまっていると思われぬように、下品だと思われぬように、出来るだけ敵を作らぬように ―― 

「スヴェンが……あら……」

 彼女より二十ちかく年上の女性が、息子の話をしている途中に、顔を赤らめて言葉を詰まらせる。ただ視線だけは縫い止められていた。

 何ごとかと、彼女はその縫い止められた視線の先を確認するために振り返る。

「マールバッハ伯」

 颯爽と現れ、女たちの視線を独り占めにしたマールバッハ伯ことロイエンタール。

―― ロイエンタール……

 ロイエンタールはリヒテンラーデの女と近付けてはいけないと ―― 当人同士の相性はともかく、第二次ランテマリオ会戦の遠因。多数の者たちの幸せのためには、彼女とその周囲にいる親族の女性に近づいて欲しくはない存在。

「ジークリンデ。話がある、来てくれ」

 彼女の細い手首を掴んだロイエンタールは、キスリングが振り下ろした警棒に気付き手を離して、甲で受け止める。

「……」

 キスリングが寸前で力を弱めたので、音はそれほど出なかった。

「……」

 ロイエンタールが彼女に話しかけ、サビーネの元へ連れて行くのは、事前に聞いていたキスリングだが、黙って行かせては「今までと」違い過ぎるため、あえて攻撃した。もちろん、半分以上は本気だったが。

「護衛もついてこい」

「行くわよ、キスリング」

「はい」

 ピアノが置かれている大部屋を見ることができる、少しばかり離れた小部屋。ロココ調の扉を開けると緊張の面持ちで待ってサビーネがいた。

 ロイエンタールはなにも言わずにずかずかと部屋に入り、控えていた中年に差し掛かろうとしている侍女に下がるよう指示を出し、四人だけになったところで、

「サビーネ・フォン・リッテンハイムだ」

 ロイエンタールが名を告げた。

「……」

 サビーネはふくらはぎの中程までの丈で、リボンで飾られたオレンジ色のシフォンドレスを着ており、まだ幼さの残る彼女によく似合っていた。

「初めまして、サビーネさま。私はジークリンデ・フォン・ローエングラムと申します。ジークリンデと呼んでください」

「しっってぇ……サビーネ」

 サビーネが薔薇色の頬を朱に染めて俯く。彼女は隣のロイエンタールに視線を送り、頷かれたので ―― 完全にロイエンタールの気持ちを理解したけではないが、あとで説明してもらうことに決め、

「待っていて下さいね」

 一度部屋から出て手製のレースのハンカチを持ち、サビーネの元へ戻った。

「これ、私が作ったのですけれど。よろしかったら」

 刺繍やレース編みは貴族女性の嗜みで、こうした場で披露したり、交換したりする。

「! ……」

 俯いていたサビーネは彼女から差し出されたレースのハンカチに、おずおずと手を伸ばし、

「気に入っていただけると嬉しいのですが」

 何度も頷き受け取り、ハンカチを広げる。

「見事なものだな」

 ロイエンタールがやや目を見開き、感心の声を漏らす。

「……」

 うっとりと見ていたサビーネは、ロイエンタールには見せるのも惜しいとばかりに、すぐに畳み部屋の奥へと小走りに駆けて行き鞄を自ら開き、しばらく”ごそごそ”してから、手に色鮮やかななにかを持ち、さきほどまでとはうって変わって楽しげな表情で、彼女に近づいてきた。

 キスリングはロイエンタールに視線で「危険はないのか?」問いかけ、ロイエンタールは秀麗な口の端を僅かに持ち上げて「問題はない」と返した。

 彼女はサビーネのほうに注意が向いていたので、二人のやり取りには気付かず ――

「これ……」

 差し出されたのは、深緑色の生地に黒い木々と、白鳥が刺繍されたブックカバー。木は細かく枝分かれし、またカバー全体に白鳥の羽が無数に舞うという、手間暇が掛かっているのが一目でわかるものであった。

「私に下さるの?」

 彼女の問いにサビーネが頷く。ロイエンタールがサビーネの肩に手を置き答えた。

「ジークリンデに直接会えた時に、プレゼントしたいと、一針一針丹精込めて刺繍していた。受け取ってやってくれ」

 サビーネは指を組むようにして握っている手で口元を隠し、震えながら頷く。

―― 好きな男の子にプレゼントを渡す女の子、そのものだなあ……相手は女性だけど

 ロイエンタールから前もって「サビーネはジークリンデに会える日を、指折り数えている」と聞かされていたキスリングだが、ここまで凄いとは思っていなかったので……だが引きはしなかった。

 彼女がいかに女性に好かれるかを目の当たりにして、いままで以上に警護体勢を強化しなくてはと決意を新たにはしたが。

「まあ、嬉しい。ありがとう、サビーネさま」

「サビーネ」

「では、サビーネと呼ばせていただきますね」

「……」

 ためらいがちに手を伸ばし、彼女に触れようとするサビーネ。その手を彼女は両手で包み込み、自分の頬の近くまで持って行き、白薔薇のつぼみのような笑顔で応えた。

 対するサビーネの顔の赤さに、

―― 倒れたらどうするんだろう。マールバッハ伯、支えるか?

 キスリングは初めて警護中に、対象外の卒倒を心配してしまったほど。

「さて、あまりジークリンデを独占していては、他の女たちに恨まれる。今日はここまでだ」

 キスリングが心配したように、特定の女以外は気にしないロイエンタールも、過呼吸にすらなりかねないサビーネを心配して、話を早々と打ち切った。

「名残惜しいですけれども、また明日お会いしましょう」

 彼女は相手の顔が赤くなるのは、極力気にしないようにしているため ―― 初めて話す相手は、ほとんど顔を赤くするので ―― サビーネもいつものそれだと解釈した。

 

 ブックカバーを手に大広間に戻ると「待っていた」とばかりに、寝起きの皇帝が高速といって良いはいはいで突撃してきて、足を刈られるような形で転びかけたが、キスリングが支え、倒れることは避けられた。

 彼女を支えたその腕に、腰から抜いた警棒が握られていたのは ―― 咄嗟に皇帝を排除しかけた名残。

―― 蹴るところだった……危ない、危ない

 キスリングは蹴り飛ばし打ち据えようとしかけ……危うく、皇帝殺害犯になるところであった。

 

**********

 

 サビーネと初対面を果たし、皇帝に「じく、じく」と軍服を涎まみれにさた彼女は着換え ―― スタンダードでクラシカルなデザインの、ミッドナイトブルーに映える白いレースとロングトレーンが特徴的なAラインのドレス ―― カタリナとマリーカと共に夕食を取った。

「ジークリンデお姉さま、カタリナお姉さま、素敵です」

 マリーカから今日何回目か分からない称賛を受け、

「ヒルダさまとカストロプ公を引き合わせてくださったのは、ジークリンデさまだとお聞きしました」

 意外な功績までも讃えられた。

「私はなにも……」

 彼女はマクシミリアンとヒルダが結ばれるように動いた覚えなどない。だが ―― 予想もしていなかったことが、二人を結びつけていた。

「ビュコックという方の手記、覚えていらっしゃいませんか?」

 マクシミリアンの軍事的才能を開花させ、できれば性格ももう少し……と考えて、接触を持っていた彼女は、マクシミリアンの趣味が戦史研究と知り、帝国国内ではあまり手に入らない、軍事関係の書籍を事あるごとに贈り、交流を持っていた。

「ブルース・アッシュビーに関する手記のことかしら?」

「はい!」

 とくに第二次ティアマト会戦の辺りを詳しく知りたがっていたので、彼女は自分の興味からフェザーン経由で購入し、届け出で、検閲され、所々黒く塗りつぶされてはいるが、閲覧許可が出た同盟側の人間が書いた、第二次ティアマト会戦に関する書籍を幾つか融通した。

 黒く塗りつぶされた部分に関してだが、検閲官よりも彼女のほうが民主主義に関して知識が豊富なため、容易に想像がついたので、読むのことには差し支えはなかった。

―― ジークリンデ、宇宙歴とはなんだ!

―― そんなことも知らんのか、マクシミリアン

―― レオンハルトは知っているのか?

―― もちろんだ

―― ”つい最近、認識なさった筈ですが……”

 最初は同盟では宇宙歴が使われていることも知らなかったマクシミリアンだが(帝国歴を使用していると思っていたくらい)あくなき探求心、そしてヤンにはなかった潤沢な資産により戦史研究を続けた。

「消えていた部分をどうしても知りたくて、領内でも知識人として知られているマリーンドルフ伯に会いに来て、そこでヒルダさまと出会ったのだそうです。ヒルダさまは、知識に対する探求心に惹かれたそうです……カストロプ公には内緒ですよ」

 マリーカが言う”原文”とは同盟語のこと。

 ビュコックが書いた本なので、当たり前ながら同盟語が使用されており、彼は翻訳されたものを読んでいたのだが、なにかが足りないような気がし同盟語を覚えた。

 そして読めるようになると、こんどは黒塗りがもどかしく ―― 彼女が簡単に補完できた黒塗り部分だが、生まれた時から専制君主国家の大貴族、それも嫡男であるマクシミリアンにとっては難敵。

 知らないことは聞くのが最短ルートだが、だが誰彼構わずに聞くのは危険な部分。そこで知識に優れ、なにより信頼できるマリーンドルフ伯を頼った。

 聞かれたマリーンドルフ伯は面食らったものの、熱意に押されて協力し、そのうちヒルダも手伝うようになり、学問で交友を深め、マクシミリアンは帝国一の賢女を妻に迎えることになった。

「あ、ええ、そうね。きっかけが準禁書扱いでは、人には言えませんね」

 彼女はマクシミリアンに渡した際、身の安全を考えて「黒塗り部分を復元しないように」と念を押していたので、打ち明けることができなかったのだ。

「そうなんです」

 

―― マクシミリアンをまともな貴族軍人にしようとした結果、ヒルダがそちらに靡いてしまったと……アレクサンデルってもしかして、二人が出会うきっかけになったアレクサンドル・ビュコック提督から取ったの……

 

「ねえ、ジークリンデ。手記の作者と、どこかで聞いたことのあるアッシュビーとかいう叛乱軍について、簡単に説明してくれる?」

 カタリナはシャンパンを飲みながら、興味津々といった面持ちで尋ねてきた。

「ブルース・アッシュビーというのは、どう……叛徒たち曰く”七三〇年マフィア”と呼ばれる者たちのリーダーで、総司令官。彼らはファイアザード星域の会戦やドラゴニア会戦などで、帝国軍に大打撃を与えたそうです。そして第二次ティアマト会戦で帝国軍に大打撃をあたえるも、旗艦が被弾して戦死、三十五歳。死後、大将から元帥に昇進。叛徒は上級大将という階級はないので、一階級のみの昇進でしたけれど、普通戦死した場合は、叛乱軍も帝国軍と同じく二階級特進になるそうです。ちなみに、この第二次ティアマト会戦で帝国軍が被った被害のほとんどは、帝国歴四三六年、十二月十一日の十八時十分から十八時五十分までに集中しています。”軍務省にとって涙すべき四十分”と言われています」

 記憶はあまりなかったが、この世界で知ることができることは、全力で調べた。

 とくに同盟軍ではビュコックが好きだったこともあり ―― 彼の手記は是非とも読んでみたいと考えたが、この時点では辺境警備に回されている一将校に過ぎない。

 彼について知りたいといったら「なぜ叛徒のそんな奴を知っているのですか?」と不審がられるのは分かっていたので”彼の手記を読むために”アッシュビーをだしに使ったのだ。

「へえー。聞いておきながらだけど、良く知ってるわね」

 その過程で七三○年マフィアについても詳しくなり ―― 原作では語られなかった歴史の片鱗に触れることができて、このときばかりは死亡フラグ満載人生ながら「生まれてきて良かった」と思ったほど。

「無駄な知識ですけれど。それでアレクサンドル・ビュコックですけれども、この人はアッシュビーが死んだ時、旗艦の砲術下士官だったそうです。そして今でも現役なの」

「……ええ? 帝国歴四三六年のとき従軍して……」

「帝国歴三四六年の時には十九歳で軍曹。御年は七十歳。エーレンベルク元帥より少々お若いくらいですね」

「元帥だから?」

「中将でしたね。アムリッツァを生き延びたので、大将に昇進したかもしれませんけど」

 アッシュビーの手記を手にいれて”から”彼女は「アッシュビーの旗艦に同乗していた兵士で、まだ生きている人はいないのか?」とフェルナーに調べてもらい、やっとアレクサンドル・ビュコックに辿り着つくことが叶った。

 「ジークリンデさま、このご老人のこと気に入ってますものね。叩き上げというのが面白いと……たしかにそうですね」フェルナーはそう言いながら定期的に調べ彼女に報告し、ファーレンハイトは「捕虜にすることができたら、お連れしますよ」と、冗談なのか本気なのか、やや分かりかねぬ発言をしていた。

「階級低くない? 定年とかないの?」

「士官学校を出ていないので、これでも異例だそうですよ。反乱軍は定年がないそうです」

「そうなの。ねえ、ところで軍曹って階級としては何処?」

 尉官以下は上級貴族に直接仕えることはないので、ほとんど知られていない。数の上では圧倒的に多いのだが、それはまとめて「兵士」でしかない。

「軍曹は軍曹ですけれど……准尉の下の下の下ですね」

 食後のデザート、タルト・タタンを食べながら彼女は脳裏に軍階級表を描き、カタリナが知っていそうな階級から下る形で教えた。

「帝国軍にもあるの? その階級」

「それは、もちろんありますよ。下から二等兵、一等兵、二等上等兵、一等上等兵、兵長、伍長、軍曹、曹長、上級曹長、そして准尉という順です」

「さすが帝国軍少将閣下」

「からかわないでください、カタリナ」

「本心から尊敬してるのよ。ねえねえ、元帥目指しちゃったら? 帝国初、夫婦で元帥ってどう?」

「どうって……いやですよ」

―― 階級知っているだけで元帥は、予備役元帥を凌ぐ駄目元帥ですよ

「陛下の初めての公務が、あなたへの元帥杖授与とか、いいじゃない」

「よくありません」

「ジークリンデお姉さま、凄いです! 元帥府ができたら見せてください」

「元帥府は開くって言うのよ、マリーカ」

「ジークリンデお姉さま、なんでも知っていらっしゃる」

「…………」

―― 勘違いされると困るので、もう喋るの止めましょう……そういえば、アムリッツア会戦後は慌ただしくて、同盟軍の人事異動に関して、まだ聞いていなかったわね。狩猟宴が終わったら聞いてみましょう。ビュコック提督昇進したかしら

 

 


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