黒絹の皇妃   作:朱緒

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第55話

 彼女がフェルナーを叩いたり落ち込んだり、キスしたりしていた頃、帝国軍にある情報がもたらされた。それはイゼルローン要塞の攻略方法。

 

 キルヒアイスはヤンと捕虜交換の調印式を行い、また彼女のために用意されていた部屋の荷物を引き取り、イゼルローン要塞を後にした。

 そしてイゼルローン要塞攻略の際に捕虜になった兵士たちから、当時の状況を聞き出すことに。その任は副官のベルゲングリューンがあたった。

 彼が指示し、捕虜になった兵士たちから情報を引き出し、即座にまとめられ、キルヒアイスに提出された。

 その情報は高速通信でオーディンに送られ ――

 

 彼女がマリーカと共に宿泊しているフライリヒラート邸に、通信が入ったのは狩猟宴初日の深夜。正確に表現するならば、すでに二日目。

「明日、迎えにいらっしゃるのですか」

 執事のオルトヴィーンは、ファーレンハイトからの非常識な時間の通信に対しても礼儀正しかった。

『はい。準備などお願いします。ケーフェンヒラー男爵』

 彼女の実家の執事は、あのクリストフ・フォン・ケーフェンヒラーの妻と愛人の間に産まれた子で、現在五十四歳。

 新進気鋭の貴族建築家とはケーフェンヒラーの評だが、愛人は伯爵家の次男として生まれ、人妻と浮気して、伯爵であった兄に対処を頼む程度の甘えた人間。

 問題は自分で何一つ解決できず。

 浮気した妻のほうも、ごく有り触れた男爵令嬢らしく”運命の相手を見つけました、離婚してください。子供できました、出産しました”と、事態解決の手段を見出そうともせず。我が儘令嬢のまま愛に生き ―― 二人は生まれた子供に対しても、愛情はあれど、具体的な解決策は見いだせず、これもまた兄の伯爵に任せるのみ。

 兄の伯爵が存命のうちは良かったのだが、彼が死去し息子が伯爵家を継ぐと、愛人と浮気した妻への世話を焼くことはなくなり、二人は行き詰まった。

 死去した父が、もう少し二人を鍛えるべきであった ―― とは、家督を継いだ息子の談。息子は二人のことを良く思っていない母親から「浮気するようなふしだらな女」「姦通するような女を妻にすると、家が断絶する」「男爵(ケーフェンヒラー)は良い方。姦婦が伯爵家の一族にならないよう、遠い辺境で頑張ってくださっている」など、聞かされて育ったこともあり ―― 多くは事実ではあるが ―― あまり二人に関わろうとはしなかった。

 遠く自由惑星同盟で捕虜になっているケーフェンヒラーが生存している以上、二人は結婚することができず、オルトヴィーンはケーフェンヒラーの子として生きることになる。

 そうしている間に貴族建築家であった愛人も死に、浮気していた妻とオルトヴィーンだけが残された。正式に結婚していたわけでもない二人が伯爵家に残ることなどできず、浮気していた妻は実家へと戻ったが、こちらも代替わりしており、居場所がない。

 伯爵は姦婦である妻の未来などどうでも良かったが、従弟のオルトヴィーンの将来は考えてやらねばと ―― だが彼の母親は不義の子であるオルトヴィーンも嫌っていたため、伯爵家で援助することは難しかったた。

 そこで考えて遠い親戚に引き取ってもらうことにした。その人物こそ、先代フライリヒラート伯爵。彼女の祖父である。

 彼女の祖父は息子(現当主グントラム)の側近にしようと、彼を引き取り育てた。七歳年上のオルトヴィーンは息子グントラムによく仕え ―― そして執事となった。

 オルトヴィーンが執事となったのは、独身が好まれる職種であったことが大きい。不義の子であった彼は、母親に対して特に冷淡で、母親が結婚を勧めるつど、嘲笑い女を罵り ―― グントラムは彼が執事になることを許可した。

 彼女の母親が嫁いだ頃にオルトヴィーンはフライリヒラート家の執事となり、その後生まれた彼女はオルトヴィーンの物腰は優雅だが、だからこそ上流使用人なのだと認識していた。

 彼がケーフェンヒラーと名乗っていたら、彼女は気付いたのだが、オルトヴィーンは母親の実家の姓を名乗っていたため、彼女が気付くことはなかった。

 これは遺伝的には伯爵家の次男の子であり、書類上はケーフェンヒラーの子だが、前者は書類上、後者は母親の心情上、どちらも認められないために、母方の実家の姓を名乗らされていたのである。

 

 そして八年前にケーフェンヒラーが死に、ヤンがその死を家族 ―― 浮気をして家をでた妻に伝える手紙を出し、オルトヴィーンも見たこともなければ、全く関係のない、ただ迷惑をかけただけの相手の死を知ることになった。

 ケーフェンヒラーは死亡したが、もはや妻は結婚する相手もおらず。

 ただオルトヴィーンは母方の姓を捨て、ケーフェンヒラーの姓を名乗りたいと考えた。ラインハルトがミューゼルの姓を下水に捨てても惜しくないと言ったのと似たような、心境であったためである。

 浮気した妻は自分を苦しめた男の姓を、息子が名乗ることを拒否したが、オルトヴィーンにしてみれば苦しんだのはケーフェンヒラーであって、お前ではないと ―― 司法省に顔がきくグントラムが簡単な手続きを取った。

 こうしてオルトヴィーンは書類上、半世紀の間、夫が捕虜になっていた妻と、捕虜となり遠い辺境のマスジットで死去したケーフェンヒラーの間に産まれた者の「当然の権利」として、男爵家を継ぐことになった。

 

 執事が家督を継いだのは、彼女が結婚した後。このような特殊な経緯での家督相続ゆえ、父親も彼女に説明しようとは思わず。

 これが四半世紀早ければ、噂好きな貴族社会で醜聞として話題に上がったかもしれないが、最早覚えている者はほとんど存命しておらず ―― 精々リヒテンラーデ公が記憶している程度。

 ファーレンハイトたちが執事の姓がケーフェンヒラーだと知っているのは、階級は違えど同じ使用人の枠組みに属しているためである。

 

**********

 

 マリーカたっての願いで一緒にベッドで眠り、目覚めてからも一緒にベッドの上で、マリーカと朝食を取っていた彼女に、執事が昨晩受けた連絡を伝えた。

「朝一番で軍務省へ出頭するよう、軍務尚書からの通達があったそうです。送り迎えはファーレンハイト大将が。こちらも軍務尚書から直接の指示だとか」

「ファーレンハイトが……ですか」

―― どうしてエーレンベルク元帥が。シュタインホフ元帥なら……

「はい。必要なところへの連絡は、すべて済ませたそうです」

「そうですか」

 彼女は不思議に思ったが、執事が詳細など知らされていないであろうと、それ以上の質問はしなかった。

「オルトヴィーン。マリーカですけれど」

「旦那さまとご一緒に離宮へ。そこでギレスベルガー子爵夫人と合流していただきます。子爵夫人には了承をいただきました」

 ギレスベルガー子爵夫人とはカタリナのこと。ノイエ=シュタウフェン公爵家に爵位が欲しいと訴え、この子爵夫人の地位を手に入れることに成功していた。

「……よほど急ぎのようね」

 彼女が直接頼もうとしていたのだが、執事が先回りして連絡を取っているところに、かなり重要なことだとひしひしと感じることになった。

「詳細はわかりませぬが、かなりのことかと」

「分かりました。マリーカ、後で行くから」

「気にしないでください。それに、お姉さまの軍服姿を拝見できるなんて! 幸せ過ぎます!」

「え、あ……そう言ってもらえると。後でね、マリーカ」

 

 ”ジークリンデお姉さま大好き!”そのぶれないマリーカにやや押され気味ながら、彼女は急いで出かける準備に取りかかった。

 

 軍服を着て、その姿に感涙までして感動するマリーカの見送りを受けて、キスリングと共に迎えの車で軍務省へと出頭した。車中にはファーレンハイトの他に、副官のザンデルスも同乗していた。

 その二人に朝の挨拶をし、この急な呼び出しについて尋ねた。

「なにがあったのですか? ファーレンハイト。ここで答えられないことなら良いのですけれど」

「ここではお話しないでおきます」

「そうですか。ところで、ファーレンハイトも一緒に軍務尚書の元へ?」

「はい。私だけではありませんが」

「……なにを言われるのか分かりませんが、私と一緒ということですか?」

「そうです」

「では、私はあなたの部下という扱いになるのですね」

 階級からすると、彼女はファーレンハイトの部下が妥当だが、

「いいえ。私がジークリンデさまの部下として随行するだけです」

 実際は彼女が必要なだけであり、ファーレンハイトは部下というより”通訳”として呼ばれただけ。

「大将が少将の部下って……おかしいでしょう。ねえ、ザンデルス」

 彼女が同意を求めると、

「え、まあ。でも提督、変な人ですから、気にしないでください」

 口が悪い提督の副官歴が長くて、口の悪さが移ったのか? それとも元々口が悪かったのか不明なザンデルスが、さらりと酷い返事をし、

「ぐっ……」

 不意打ちを食らったキスリングが、肩を震わせて笑いを噛み殺そうとする。

「おい、ザンデルス……ジークリンデさま、そういう訳ではなく」

 その後、地上車中で他愛のない話をして ―― 軍務省へと到着した。

 そこでザンデルスは別行動になり、ファーレンハイトと彼女とキスリングは、指定されている会議室へと向かった。

 軍務省の奥深くにある、高級軍人のみが立ち入ることを許されている会議室。キスリングは隣室の、副官控え室に入り、彼女とファーレンハイトが会議室へ。

「場違いだと思うのですけれど……あ、エッシェンバッハ侯」

 室内には上級大将と元帥 ―― 彼女の夫であるラインハルトもいた。

 あと彼女は気付かなかったのだが、部屋の隅にリューネブルク中将も ―― 彼は昨晩から呼び出され、厳しい尋問を受けており、今日も受けることになっている。

「挨拶したいのですけれど、いいかしら?」

「よろしいのでは……ないでしょうか」

 妻と軍務省の会議室で、朝の挨拶をかわすというシチュエーションに、ファーレンハイトはその薄い水色の瞳を細めて ―― どこか遠くを見つつ、彼女に従った。

「おはようございます、元帥……ここでは、エッシェンバッハ侯とお呼びしたほうがよろしそうですね」

 室内には他にも元帥がいたため、彼女はそのように提案し、

「おはよう、伯爵夫人。そうだな、そうしよう」

 ラインハルトも同意した。

―― たしかに結婚当初は、レオンハルトさまのことをフレーゲル男爵と呼んでいたが……元帥はどうかと……俺が口を挟む問題ではないが……

 背後のファーレンハイトは、おかしな方向に透き通っている笑顔を浮かべ、二人の会話を聞いていた。

 召使いたちのネットワークにより、夫婦関係がないことが広く知られている夫婦(片方、同性愛者疑惑在り)の会話は、エーレンベルク元帥が到着したことにより中断され、

「卿らに集まってもらったのは、イゼルローン要塞がどのようにして叛徒どもの手に落ちたかが判明したためである」

 各人が所定の位置についてから、重々しく口を開いた。

 エーレンベルク元帥のあとに、キルヒアイスから報告を受けたラインハルトが「ヤンがイゼルローン要塞を陥落させた方法」を語り出した。

 彼女以外の首脳陣は、ラインハルトが語るヤンの魔術に息を飲んでいたが ―― 彼女は二つの意味で、驚かなかった。

 一つはもちろん、彼女はヤンの作戦と行動を知っていたため。もう一つは、なにを喋っているのか、今ひとつ分からないため。

 軍人特有の用語を使った説明は、彼女にとっては理解不能。言葉は分かっても、意味が理解できない。精々「イゼルローン要塞」と「ヤン・ウェンリー准将」と「ローゼンリッター」それに「捕虜からの情報」が分かる程度。そこから、落とした方法を説明しているのだろうと推測したのだ。

 ラインハルトの不必要なまでに美々しい説明が終わり、

「これからも調査を続けるが、この事は口外しないよう」

 エーレンベルク元帥が箝口令を出して、会議は終わった。

 彼女はファーレンハイトを見上げ、

「……」

「別室に移動しましょう。部屋は用意させております」

「そうですか。では移動しましょう」

 無言で説明を求めた。

 そしてラインハルトの元へと駆け寄り、

「キルヒアイス提督、早くお戻りになられるといいですね」

「ああ。キルヒアイスが戻って来たら……その……」

「お話してもよろしいですか?」

「もちろんだ。キルヒアイスも喜ぶ」

 ”だからそれは夫婦の会話なのか?”というような会話をかわして、彼女はラインハルトを見送った。

 会議室からほど近い、上流貴族専用の控え室へと入ると、フェルデベルトが待っており、彼女たちが席に着くと紅茶とバニラアイスが添えられたアプフェルシュトゥルーデルを運んできた。そのりんごのケーキを一口食べると、懐かしい味がした。

「わざわざブラウンシュヴァイク邸の職人に作らせたの?」

 指さしてフェルデベルトに尋ねると、

「はい。ですが作らせたのは小官ではありません。早朝にフェルナー准将から持っていくよう連絡がありました」

「そうですか……おいしい」

―― 昨晩報告があって、そこから騒ぎになった……ようですね

「ジークリンデさま、よろしいでしょうか」

「ええ。ファーレンハイト。まず第一に、なぜ私もあの報告を聞くことに?」

「ジークリンデさまが、侍従武官長だからです」

「あ……そうでしたね。では私は侍従武官長として、陛下にご報告すべきでしょうか?」

「まずお詫びさせていただきますが、昨晩、ブラウンシュヴァイク公爵のもとにこの報告が届いた後、勝手にシュトライトと話合い、陛下へのご報告はしない方向が良いのではとなりました。最後のご決断はジークリンデさまがなさるべきですが、陛下のご年齢を考えると」

「報告はしないことにします。そしてファーレンハイト、あなたは通訳ですね。さきほどの元帥の報告を、簡単に分かり易くまとめて説明してください」

 シュトライトを同行させ、説明させても良かったのではないか? 彼女は一瞬そう思ったが、シュトライトは前線指揮官でなければ、要塞やその攻略について詳しいくないことを思い出し ―― ブラウンシュヴァイク公の部下のなかでもっとも攻略について詳しく、彼女の思考回路を理解しているファーレンハイトが選ばれたのだと理解し、説明を求めた。

「かしこまりました ――」

 ファーレンハイトが彼女に語った内容は、ほぼ原作通りで ―― 二十年以上前から知っている攻略方法を語られて、彼女としては非常に困ったが、同席しているキスリングやフェルデベルトの表情からして、驚くべきことなのだと。

 なので言葉を失うほど驚いている演技をしようとしたが、付き合いが長い分、演技したらばれて、追求されかねないので、そのまま聞くことにした。

 バニラアイスが溶ける前に食べ終えて、ファーレンハイトの顔を覗き込み、

「そのローゼンリッターという、亡命者のみで作られた陸戦集団の総監は誰ですか?」

 この時点で一番知りたいことを尋ねた。

「総監ではなく、隊長と呼ばれているそうです。そして隊長はワルター・フォン・シェーンコップという男です」

「シェーンコップ、ですか」

―― 出て来ました、シェーンコップ。やっぱり居るのですね

 ヤン艦隊きっての色男なのか、同盟軍きっての色男なのかは不明だが、とにかく女にもてる、白兵戦の達人シェーンコップ。

 彼の存在を知った彼女は、驚きよりも、楽しさを感じた。自分の未来になんら関係のない、同盟にいる原作キャラとして。

 だがシェーンコップの概歴を考えると ――

「実はこのシェーンコップという男、困りものでして」

「強いからですか?」

「強いのは、いいのですよ。どれほど強かろうと、戦艦の主砲を当てれば片付きますから」

―― ファーレンハイト。それはオーバーキルといわれる攻撃のような……違ったかしら?

「なにが困りものなのですか?」

「ワルター・フォン・シェーンコップという男は祖父母に連れられて亡命したのですが、この祖父は男爵家の次男でした」

「本家は男爵ですか。シェーンコップ男爵とは、聞いたことがありませんね」

 爵位は約五千。そのうち一割強は継ぐものがなく、皇家に返還されているような状態 ―― 彼女は爵位そのものはかなり記憶していた。

 とくに男爵に関しては、元男爵夫人ゆえに、かなり気合いを入れて覚えたので ―― シェーンコップという姓を見逃がしたり、覚えていないことが不思議であった。

「亡命者が出たことで、爵位を取り上げられたようです」

「そうなのですか……厳しい処罰ですね。ところで、ワルター・フォン・シェーンコップが亡命し、本家の爵位が剥奪されたのはいつ頃のことですか?」

「約三十年ほど前のことだそうです」

「ワルター・フォン・シェーンコップという人物は、三十代前半ですか?」

「そのようです。それで、シェーンコップ男爵家というのは、クルーグハルト侯爵家の一門だったそうです」

―― クルーグハルト侯爵家って……アウレーリア・フォン・フライリヒラートの実家ですよね

 ファーレンハイトの困り果てた表情に、

「お母さまの実家……なのですね」

「はい、そうです」

 彼女の母親の実家。彼女の母親はリヒテンラーデ公の姪にあたるので、クルーグハルト侯爵家はリヒテンラーデ一門に属していることになり ―― リヒテンラーデ公としては、シェーンコップは非常に厄介な人物ということになる。

 


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