黒絹の皇妃   作:朱緒

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第42話

 あまりの原作乖離ぶりに、彼女は頭を悩ませるも、

―― どう考えても、楽観視しないほうがいいでしょう

 なにもしないで助かるなどという甘い考えはせず、自ら律し、下手をしたら「残り僅か」になるかもしれない人生を、全力で過ごすことに決めた。

「フェルデベルト。明日の予定は」

 フェルナーの隣に座り、端末をのぞき込むようにしているフェルデベルトに、彼女は声をかける。

「はい。明日は午前十時から十一時まで即位式の予行演習……のみです」

「そうですか。フェルデベルト、明日、グリューネワルト伯爵夫人の退院ではありませんか?」

 心得たようにフェルナーが画面に触れ、予定を教える。

「……はい!」

「病院へお迎えにあがります。それと……たしか明日はエッシェンバッハ伯がキルヒアイス提督と共に帰還する予定です。到着時間の詳細を調べて」

 またもや心得たとばかりにフェルナーが画面を変え、軍事機密の一つである帰還日を指さし、

「は、はい!」

「本日中に、フェルデベルト大佐専用の承認コードを作製いたします」

 フェルナーが胸の前に手を置き、頭を軽く下げる。

「任せますよ、フェルナー。フェルデベルト、明日、私はグリューネワルト伯爵夫人を迎えにあがって、そのままエッシェンバッハ伯を出迎えます。軍港の入場許可も取って」

「御意」

 帰還時刻を照会したところ、彼女が三日前に確認したときよりもズレがあった。

「帰還は午後三時にずれ込みましたか。では昼食を取ってから向かっても間に合うレストランに予約を入れて。レストランのリストを」

 次々出される指示に、右往左往しかけるフェルデベルトだが、

「はい……ここから選ぶが、帰還する軍港までを考えると、ここがいいだろう」

「ありがとうございます、フェルナー准将」

 護衛と秘書を兼任していたフェルナーが、やり方を教えるべく次々と画面を切り替え、予約の入れ方をも教える。

「そして明日から二週間ほど、私はホテルに滞在します。予約を入れて」

「あ……はあ」

 なぜ夫が帰ってきたのに、ホテルに滞在するのか? 新任のフェルデベルトは困惑の内心が丸わかりする、間抜けな声を上げた。

「かしこまりました」

 対するフェルナーは表情も声も変わらなかった。それはこの時点では、含むところがなかったからである。

 この先、彼女の控え目過ぎる行動が積み重なると、険呑な声を上げるに至るが、現時点では特に問題はなかった。

 

 

 邸へと戻り、ケスラーに明日から二週間ホテルに泊まることを彼女は告げた。

「二週間、外泊ですか」

「ええ。姉弟、そして幼馴染みの三人で過ごしたいでしょうから」

「はあ……かしこまりました」

 ケスラーもフェルデベルト同様、彼女の行動が気にはなったが、ラインハルトのアンネローゼに対する家族愛は聞き及んでいるので、まだ疑問視はしなかった。

「しっかりとお守りしてね」

「もちろんでございます。そうだ、お嬢さま」

「なに? ウルリッヒ」

「三時間ほど前、ファーレンハイト提督が忘れ物を取りに訪れまして。お嬢さまの寝室に忘れ物だとおっしゃったので、お通ししましたが……よろしかったのでしょうか?」

 連絡しようと考えたケスラーだが、事前に彼女に連絡していると言われたら ―― 信じるしかなかったので通した。

「ええ構わないわ。ファーレンハイトやフェルナー、オーベルシュタインやキスリングは自由に通してやって」

「かしこまりました」

「…………ウルリッヒ」

「はい」

「宮内省に皇族霊廟礼拝許可を取って。これから参りたいの」

「かしこまりました。ところでどちらの御方の霊廟に?」

「フリードリヒ四世陛下の長男、ルートヴィヒ皇太子殿下」

 宮内省から許可を得て、ケスラーの運転で新無憂宮内にある、霊廟へと向かった。樹木が立ち並ぶひっそりとした場所にある豪奢な墓。

 彼女は手ぶらで、喪服にも着替えず、黒いレースのショールを羽織っただけで霊廟を参った。

「私宛に何を書いて下さったのか……一生知らないほうが良いと思いまして。こうして参ることはもうないでしょう。この七年間、ずっと言いそびれておりました ―― さようなら」

 感傷でしかないとは分かっていたが、今日を逃せばもう二度と機会は訪れないような気持ちに襲われた。

 その引き金になったものがなんであるのか? 彼女には分からなかった。

 ただ彼女の予感は当たっていた。彼女がゴールデンバウム王朝の皇族霊廟を参るのは、これが最後。訪れた彼女が、当然そんなことは知らない ――

 

**********

 

 早朝に「軍服が仕立て上がった」と連絡があった。また朝方に訪問して試着して欲しいとも ―― 連絡を受けた彼女は、訪問を許可して来客に備えて準備を開始する。

「奥さま、髪はアップにしますか?」

「髪をアップにして軍服を着ると、賢い人に見えそう……だから、やめておきます」

「そうですか……」

 無駄にキャリアっぽい姿になるのは、恥ずかしいので、艶やかな黒髪はそのままにして、帝国でただ一人、彼女の為だけにデザインされた軍服の袖を通す。

「微調整が必要ですね」

 まだ袖や腰から裾への広がりにもたつきがあった。

「今日中には仕上がります」

「そうですね。三日後には即位式ですから、立派なものをお願いしますよ。仕上がったら、夜遅くに訪問しても構いません。私はホテルに滞在していますから。滞在先は……」

 即位式の際、軍服を着用しなくてはならないのだが、かといって焦らせても ―― 彼女が言わずとも、仕立て屋たちには十分にプレッシャーがかかっているだろうことは予想が付いたので、急かすようなことは言わなかった。

 彼らが慌ただしく帰ったあと、

「ウルリッヒ」

「はい、お嬢さま」

「上着だけでいいから、軍服、貸してくれる?」

「はい?」

「軍服っぽいものを着て、予行演習したいの。駄目かしら?」

「はあ……サイズが全く合わないですし」

「将校は男物しかないから、誰のものを着ても合わないでしょう?」

「それと、私は准将の階級章までしか持っておりません。お嬢さまは少将でいらっしゃいますから」

「そこは重要?」

「もちろん重要ですとも。軍は階級社会ですの。伯爵であられるお嬢さまが、帝国騎士を名乗るようなものです」

「それは、構わないような気もしますけれど。では少将の階級章を実費で購入して、付ければいいのですね」

「お嬢さまなら購入できるでしょう」

「ではそれで」

「いや……その、帝国宰相閣下から許可をいただく必要があるのではないでしょうか?」

 ケスラーの軍服を借りようとしたのだが、やんわりと拒否されてしまった。

 

 迎えにきたキスリングが運転する地上車に乗り、

「……というわけで軍服を着用して、練習してみたいのですけれど」

 同じことを尋ねた。

「許可がいただけたら、購買で新しいのを購入なされたらどうでしょう。礼服も売ってます。あれは丈が長いので、ジークリンデさまが着用する軍服に近いような気がします」

「購買?」

「はい。無料配布品をなくした場合、実費で購入するのです。階級章を無くしたら申請し、通し番号破棄、反省文を書いて罰金、そして実費で購入となります。軍服は三着配られますが、大体みんな三着くらいは追加購入しますね」

「そうなの」

「はい。洗濯が面倒でため込んでしまったりして、朝一で買うやつも」

 軍服について説明を受け、地上車は新無憂宮へと到着した。

 

 リヒテンラーデ公に彼女が

「男性用礼服を着用して練習したいです」

 申し出ると、針のような視線を放つ目を部下に向け、

「用意を」

 着用を許されることになった。

「やはり軍服でないと、駄目かとおもいまして」

「そうだろうな。もう少し、お前が一般的な体型であれば、すぐに仕立て上がったようだが」

「私はそんなにも一般的な体型ではないのですか? 大伯父上」

「そのようだ」

 既製サイズでもっとも小柄な男性用の礼服を、ドレスの上から羽織って見せる。

「どうですか?」

「新しい軍服を作らなくとも、それで良いようにも見えるな。お前は何を着ても似合うのだな」

「大伯父上に褒められるとは珍しい」

「そうか? 私はお前のことはかなり褒めているぞ」

 こうして軍服を羽織った姿で、げっそりと頬が痩けたペクニッツ公爵と共に即位式の予行演習をこなした。

 彼女は列の中程、錫を持ってすすみ一度止まる。そして王冠を掲げられた皇帝代理のペクニッツ公爵の前へと歩み出て、膝を折り錫を掲げ渡し、立ち上がりそのまま先程の列に戻る。

 国家が奏でられ、皇帝陛下万歳を叫び、退場する皇帝に付き従う ―― 

 

「ペクニッツ公爵。もう少しゆっくりと。それでは威厳もなにもない」

「申し訳ございません」

 娘が即位するのだが、あまりにも幼いため、親権者であるペクニッツ公爵が抱きかかえて玉座まですすみ、娘を抱いたまま座り、代理で頭上に王冠を被り、錫を受け取り、堂々と床に突き立てるかのようにせねばならないのだが、どうにも彼にはそれができなかった。

 動きそのものは単純……だが、緊張のあまり手順を忘れてしまうことも。

 

 演習は予定していた時間よりも三十分オーバーとなり、急いでアンネローゼを迎えに行き、昼食を取り、しばらくはホテルに滞在することを説明した。

「ホテルに……」

「ええ。三人仲良くお過ごしください。足りないものがありましたら、キスリングのほうに連絡を。キルヒアイス提督がどれほど完璧であろうとも、男性でいらっしゃいますから。女性である私を通したほうが良いものもあるでしょう」

「ですが……」

 困惑しているアンネローゼを見て、警護のキスリングは「これが普通の反応だよな」思った。これにより、キスリングはアンネローゼに対してあまり否定的な感情を抱くことはなかった。問題なのは、この提案に乗ってしまったラインハルト ――

 

 軍港へと到着し、ブリュンヒルトが到着するポートへと先回りして、ラインハルトとキルヒアイスが現れるのを二人で待った。

「来ましたよ、アンネローゼさま。あの白いのがエッシェンバッハ伯の旗艦ブリュンヒルトです」

「あれが、ラインハルトの……」

 全長が一キロメートル以上ある白い戦艦は、近づくにつれて全体像は見えなくなり ―― ラインハルトたちが乗る出迎えの地上車に乗り、列を成した兵士たちの先で待機する。敬礼を受けながら降りてくるラインハルトと、付き従うキルヒアイス。

 二人が途中まで進んだところで、キスリングが地上車のドアを開けて、アンネローゼが姿を現す。

「ラインハルト」

「姉上!」

「アンネローゼさま」

 思わず声を上げたが、さすがに駆け出すような真似はせず。だが先程よりは早足で、出迎えに訪れたアンネローゼへと近付き、再会の抱擁をかわす。

 黄金の姉弟の美しさに彼女は目を細めて、年長者的に見守る。

「キルヒアイス提督」

 二人を優しく見守るキルヒアイスに、彼女はこの先二週間、ホテルに滞在するつもりであることを告げた。

「気を使わせてしまったようで」

「そんなことはありません」

 ラインハルトから彼女に指一本触れていないことを聞かされ、頭痛を覚えたキルヒアイスは色々な策を考えていた。帰還後に彼女とラインハルトに旅行をさせて……など。だがそれらの予定は、フリードリヒ四世が死去したことで、全て無に帰した。

 ラインハルトの性格上、解放されたばかりのアンネローゼを残して旅行に出かけられるような性格ではないこと、また、アンネローゼが共に住む家でそちら方面のことができるような性格でもないこと。だからと言って別宅を借りて性行為に及ぶなど ――

 その上、彼女のこの提案。

「三人、水入らずでお過ごしください、元帥」

―― ジークリンデさまはラインハルトさまの性格を、よく理解していらっしゃるようだ。だが……

「感謝する、伯爵夫人」

 ラインハルトは上機嫌で、彼女の額に口づけた。

「妻として当然のことですわ、元帥。私は別の地上車でホテルに向かいますので。それではアンネローゼさま、また」

 ラインハルト、キルヒアイス、アンネローゼを見送り、彼女が乗ってきた地上車がキスリングの手による自動操縦で目の前までやってきて、

「ジークリンデさま、どうぞ」

「ありがとう、キスリング」

 ドアが開けられた車に乗り込みホテルへと ―― こうして彼女と三人は別々に。出迎えの兵士たちは傾げることはできなかったが、内心で首を傾げた。

 


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