黒絹の皇妃   作:朱緒

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第41話

「叛徒の俘虜の代表者について。調べているのでしょう、フェルナー」

「それはもちろん」

「聞かせて」

「かしこまりました。代表者は二十二歳女性。俘虜になっておおよそ八年」

 代表者が女性であることは、彼女にも予想がついていた。だからこそ、許可が下りたのだろうとも。

「十四歳の時に俘虜になったのですか。単身で?」

 十四歳で敵国にとらえられ、八年もの長き間、隔離された生活を余儀なくされた女性に、相手の矜持を考えて、決して同情はするまいと思っていても、決意だけではどうすることもできない感情がわき上がってくる。

「母親と共にとらえられました。母親は四年ほど前に、収容所内の病院で亡くなっています」

 自分と然程年齢の違わない女性。そして敵地で没し、故国に帰ることが叶わなくなった母親。戦争の悲惨さを肌で感じつつ、彼女はその代表者の名を聞いた。

「そうですか。それで、代表者の名は?」

 

「フレデリカ・グリーンヒル」

 

「……フレデリカ・グリーンヒル、ですか?」

―― ヤン・ウェンリーのおくさん? まさか……いいえ、同姓同名の別人でしょう

「はい。どうかなさいましたか?」

「あの……どこにでもいる名前なのでしょうけれど、グリーンヒルという叛徒の将校の名を聞いたことがあったので」

「はあ。ジークリンデさまがどこで聞かれたのか? 私としてはかなり不思議なのですが、おっしゃる通り、ドワイト・グリーンヒル大将の娘です」

「将校の令嬢なのに?」

「だから、です。このグリーンヒル大将の娘は、あのアーサー・リンチの旗艦に同乗していたんですよ」

 当時グリーンヒル大将は中将だったようですけれどもね ―― フェルナーは補足する。

「どうして? 彼は民間人を見捨てて逃げようとしたのでしょう?」

「ええ。でもグリーンヒル大将の娘は民間人ではありません。軍関係者といっても良いでしょう。民間人三百万人を完全に見捨てるとなると、かなり勇気も必要なようで。アーサー・リンチにはそれができなかったようです」

「どういう意味です? フェルナー」

「少しは連れていったんですよ。助かった後、自分を弁護してくれそうな人の家族を選りすぐって」

 フェルナーが言う通り、三百万人全員を見捨てるというのは、不必要ながら度胸が要る。もしも帝国軍に捕らえられないで、無事に帰国した場合、責められることは焦っていようとも予想はつく。

 だから保険の意味で軍関係者の家族を連れ、そうして軍内部でも弁護してくれる人が現れることを ―― アーサー・リンチたちがそのように考えたとしても、なんら不思議ではない。

「それなのに彼らは俘虜となり、見捨てたはずの民間人はエル・ファシルの英雄により無事帰還ですか」

「はい。軍人の家族だけを連れて逃げたことも、非難の対象になっているようです」

「そうですか」

 意外なところで、意外な人に会えることに、喜びよりも困惑を覚えながら、彼女はフレデリカと対面することになった。

 先に到着し席について待っていたフレデリカが、彼女を見て立ち上がる。

「フレデリカ・グリーンヒルですか?」

―― え、あ……フレデリカ……あ……

「はい、閣下」

 フレデリカはヘイゼルの瞳に金褐色の髪が美しい女性なのだが、肌が薄い褐色であった。なんの疑いもなく白人だとばかり思っていた彼女は ―― 捕虜が着用する灰色の作業着の袖からのぞく手首を見ても、日焼けなどではないことが分かり、ここにいるフレデリカが自分が記憶しているフレデリカ・グリーンヒルなのか? 少々疑問に思ったが、

「座りなさい、グリーンヒル」

 民間捕虜の代表に面会しにきたのであって、フレデリカ・グリーンヒルに会いに来たわけではないので、気を取り直して ――

「椅子を引かせていただきます」

「ラング?」

 部屋にラングがいたことにやっと気付き、斜め後方に控えているフェルナーに”教えておいて”と視線を送るが、彼は肩をすくめて右唇を釣り上げ、これ以上ないほどに皮肉を露わにして首を振った。

 

 フェルナーもラングが同席することは知らなかったのだ。

 

 闖入者というか、招待していないのにやって来た来賓というか。身内だけを伴い、捕虜と気軽に会話しようと考えていた彼女だが、それができなくなったことだけは分かった。

「ラング」

「は!」

「どうしてここに?」

 フレデリカと話をする前に、まずはラングに声をかけて ―― 彼に関しては無視をしないのが重要。

「フレーゲル閣下が伯爵夫人のことを心配しておいででして」

 前の夫フレーゲル男爵の父親は内務尚書、そしてラングは内務省社会秩序維持局長官。かなり近い所にいる部下である。

「義理お父さまにまで心配をかけてしまうとは。ラング、あなたも忙しいでしょうに」

「あなた様の身の安全を守ることこそが、社会秩序維持局長官の務め。この不肖ラングが同席することお許しください」

―― 社会秩序維持局長官の仕事は違うと思うわよ……とか言っても仕方のないことですね

 ラングを退出させると後々厄介になりそうというということもあるが、心配してラングを派遣した前の義理父の顔を潰すわけにもいかないので、彼の臨席を認めた。

「あなたが良いのでしたら。私としても、あなたがここにいてくれると助かるので」

「助かる……とは、なんでございましょう」

「少し待って。グリーンヒル」

「はい、閣下」

「いきなりですけれど、私は帰国したあなたと手紙のやり取りをしたい。知りたいのは民間俘虜たちのその後です。引き受けてくれますか?」

「閣下のお望みどおり」

「その手紙ですけれども、ラング。あなた宛でも良いかしら? 叛徒からの手紙を検閲なしに読むのはしてはいけないことでしょう。だからその役、あなたに任せたいのだけれど。もちろん忙しかったら、他の者でも」

「このわたくしめにお任せください」

「良かった。ではフェザーン弁務官事務所経由であなたに届くようにします」

「はっ!」

 ラングに仕事を一つ預けて、彼の気分を良くしたところで、彼女は本題に入ることにした。

「もう一つ、グリーンヒルに提案したいことがありますけれど、その前にあなたのお話を聞きましょう」

 彼女に会いたいと申し出たのだから、きっとなにか言いたいことがあるのだろうと。

「では閣下。まずはお会いしてくださり、まことにありがとうございます。また民間捕虜に対するご援助、感謝の言葉もございません」

 フレデリカの穏やかな口調と優しい眼差しを前に、嫌われていないらしいことを感じ取り、彼女は胸を撫で下ろす。

「感謝の言葉、受け取っておきましょう。ところで、踏み込んだ話ですが、お母さまが収容所で亡くなられたとか」

「はい。もともと病弱でしたので。仕方ないとは言いたくはありませんが……」

「そうですか。私も早くに母を亡くしておりますの。グリーンヒルのお母さまと同じく、あまり丈夫ではない人でした」

「閣下は一人っ子で?」

「二つ違いの兄がおります」

「そうですか。私は一人っ子で、身内もほとんどおりません。父も軍人でして、この八年間、生死も分からぬまま過ごして参りました。帰国してまずは父の墓を参ることになるやも」

「お父さまは大将でしたか」

「父が大将……ですか?」

「そうですね……フェルナー」

「はい。ドワイト・グリーンヒル大将。生きてますよ、それと再婚はしていません……まあ、あとは帰ってから驚かれるのが良いかと」

―― 驚くような”なにか”があるのかしら……すごく気になる。あとで教えてもらいましょう

 フレデリカが両手で口元を押さえて、目を潤ませた。

 軍人の収容所とは違い、民間の収容所では、誰が戦死したなどという情報はまず手に入らない。叛徒の戦死者など、情報部に属しているか、独自の情報網を持っているかでもないかぎり、手に入れることはほぼ不可能にちかい。

「良かった……あ、申し訳……」

 敵国のど真ん中、社会秩序維持局長官と帝国軍人に囲まれて、門閥貴族の前で喜んでしまうのは賢いとは言えないが、フレデリカが人間らしい感情を持っている証明でもある。

「気にする必要はありません。ところでグリーンヒル。あなたはとても優秀な人だと聞きました。医学を修めたとか」

「それも閣下のお陰です。閣下のご好意で医学を学ぶことができ……先ほどの安堵とは矛盾しているようですが、たとえ父が戦死していたとしても、ここで医学を学び、故国で医師免許を取ることのできる素地を作ってくださったことで、一人で生きていける自信を持つことができ、帰国する覚悟ができたのです」

 父親が軍人であり、戦争が続き、母親が死んだ ―― 一人で生きて行く道を模索せねばと考え、フレデリカは必死に努力した。

「そうですか」

「閣下。質問してもよろしいでしょうか?」

「なにかしら?」

「閣下はなぜ、我々に医学と語学を学ばせてくださったのですか?」

 フレデリカにとって幸運だったのは、努力が報われる寄付が収容所にもたらされたこと。一体何者が、これ程までに厚遇してくれるのか? そして捕虜であったフレデリカたちは知る。専制君主の手先である門閥貴族の妻が施してくれたということを。

「単純な話です。それ以外は政治色が濃くなってしまうからです。また政治色が濃くなくとも、帰国後使えない学問では意味がない。語学に関しては、長年故国の言葉を使っていないと、喋れなくなると聞いたので。軍人はともかく、民間は子供も多数いると聞き……叛徒の言語は軍人の必須でもありますから、捕虜に教えるという名目で参考や辞書を集めることができ、役立ったようですが」

「故国の言語を使うことができて、本当に……ありがとうございます」

 収容所というのは母国語を禁止されることも珍しくはない。管理している側からすると、捕虜が理解できぬ言語で喋っていると、良からぬことを考えていると見なし ―― 実際、聞かれたくはないことを言っていることが多い ―― 管理の必要上、禁止することもある。

 そんな中、彼女は収容所の看守たち共々同盟語を学ばせ、理解させることで禁止を緩くした。

「いいえ(あなたとは、よい友人になりたいものです)」

「閣下……(もったいないお言葉)」

「私の叛徒言語の発音、いかがかしら?」

「お見事です。驚きました」

 

 看守たちに学ばせる際には、敵の交信を傍受した場合、速やかに翻訳できるようにするため ―― という名目で許可された。

 

 彼女の視界に入る位置に立っているフェルナーが、後ろに組んでいる腕を前へと移動させ、手首を持ち上げて時計を見る仕草をする。

「ジークリンデさま。そろそろ時間になります」

 態度と口調で、面会時間の終わりが近いことを告げ ―― 茫然自失状態からなんとか復活したユンゲルスが、地上車を玄関に回すために一度離れた。

「そうですか。ではもう一つの提案を。グリーンヒル、あなたがた民間俘虜が収容所の作業で得て貯めた賃金、私を通して両替しませんか?」

「……」

「あなたがたに支払われた賃金は帝国マルク、故国では使えないものです。全宇宙で帝国マルクとディナールの両替ができるのはフェザーンだけです。叛徒の国の両替がどのような仕組みになっているのか? 知りませんが、私はフェザーンにも銀行口座を持っています。あなたがたから預かった金額リストをフェザーンの銀行に送り、ディナールに両替して返しますよ。両替手数料は引かせてもらいますが、叛徒の国に支店を出しているフェザーン銀行に振り込む場合、私の口座を通せば手数料はかかりません。振り込み名義が私ですと問題になりそうなので、収容所にしますよ」

 帝国の貴族はフェザーンにも口座を持っている者は多く、彼女もその一人であり、大口預金者でもあった。

「閣下。そこまでしていただくわけには」

「ですが実際問題として、帝国マルクを持ち帰っても使えないのでしょう? フェザーンで聞いたのですが、帝国マルクを持って叛徒の国へ行き、両替しようとすると、よくても半額程度しか手元に残らない。自治領主が言ったのですから、間違いないかと。叛徒の国でフェザーン・マルクに両替してからディナールにという手もありますが、これも結構な手数料がかかるはずですよ。もちろん無理にとは言いません。私が集めて返金しないと考える人もいるでしょうから。もしも良ければ……程度です。賃金が入金されているカードに、社会保障番号と受け取り方法の希望を書いて。フェルナー、カードの回収を任せていいかしら?」

「はい」

「何から何まで本当に……閣下」

「なにかしら?」

「お会いできなくなること、残念で仕方ありません」

 

 こうして彼女と「多分、ヤンの副官になるはずだったフレデリカ・グリーンヒル」との面会は終わった。

 

 面会終了後、フレデリカを先に下がらせ、

「ラング」

「なんでございましょう、伯爵夫人」

 帰る前に色々なフォローをすることにした。

「フレデリカ・グリーンヒルのマナーはなっていませんでしたが、それは許してあげなさい」

 フレデリカのマナーはなんら問題はなかったが、なにもないところに難癖を見出すのが社会秩序維持局の仕事。

「は、はっ!」

 なので彼女は先制攻撃……というほどのものではないが、先に難癖をつけて芽を潰すことにした。

「グリーンヒルは八年も俘虜生活を送っていたのです。あなたから見れば、マナー違反も甚だしいでしょうが、それは見て見ぬ振りをしてやらなければ。あなたが求める基準は高い。それをあなたが求めてよい相手は、あなたの娘だけです。彼女ならば父であるあなたの希望に応えてくれるでしょう。もっともパーティーで見かける彼女の態度は、とても滑らかで上品。これ以上を求めるのは酷なような気もしますけれど」

「伯爵夫人にそのように言っていただけるとは! このラング、感激のあまり……声が……」

 ラングの背後に立つ形になっているキスリングは、眉根を顰めて、

―― 声、出てる、出てる

 険しい表情を隠さず、マスタード色の背広に身を包んでいるラングを睨みつけた。

 

 気味悪いほどにつやつやしている肌、ハンカチで顔を拭く真似をして表情を隠すラングと、彼女の後ろから観察していたフェルナーの視線が合い、フェルナーは伏し目がちにして軽く頭を下げる。

 

 地上車に乗り込んだ彼女は、向かい側に座ったフェルナーに、

「相変わらず社会秩序維持局長官の扱い方、お上手ですね。私も見習いたいものです」

 いつも通り笑いながら、褒められたくもないのに褒められた。

「フェルナー」

「いやいや凄いですよ。ジークリンデさまの繊細な手のひらの上で、あの丸っこい社会秩序維持局長官が転がされてる姿は見物です」

「やめなさい。私もラングの娘さんを、本当はこのような場面では使いたくはないのです。でも上手くおさめるには……」

 ラングには思う所のある ―― ロイエンタールがいないと考えていたころは、わりと気楽だった ―― 彼女だが、妻子に対してはとくに悪意はない。

「失礼いたしました。あ、そうだ。一つご忠告を」

「なんですか?」

「ラングの前でマールバッハ伯の名前は出さないでください」

「フェルナーが出すなというなら出しませんよ。ですが、どうして?」

「ラング長官のご令嬢、マールバッハ伯に振られた過去がありますので。ちょっと恨んでいるご様子です」

―― あー。うん……それはまあ……恨まれるわね……

「分かりました。ところでフェルナー。本当に俘虜の賃金両替、あなたに頼んで良かったの?」

「構いません。フェザーンと頻繁に連絡を取りたいところでしたので」

「そうですか。それなら良いのですけれど。それでね、フェルナー」

「はい、なんでしょう?」

「グリーンヒルが帰国後、驚く出来事とは、なんですか?」

 今日はもう、フレデリカが捕虜になっていたこと以上の驚きなどないであろうと、彼女は軽く考え、気になっていたことを尋ねた。

「ジークリンデさまが聞いても、驚くようなことではありませんが」

「教えて、フェルナー」

「仕方ありませんね。グリーンヒル大将は二年前に養子を迎えています。グリーンヒルは帰国すると、弟と対面することになります。部外者は驚かない類のものですよ」

 フェルナーの言い分はもっともなのだが、彼女は内心かなり驚いていた。

「養子ですか」

 ドワイト・グリーンヒルの元に養子がいるなど聞いたことがなかったので。

「ええ。トラバース法というやつで」

「養子の名前などは分かりますか?」

「分かります。ユリアン・ミンツ、十四歳。じき十五歳になります」

「……え?」

 トラバース法で養子になったユリアン・ミンツ ―― 父親は長征一万光年にも参加した由緒正しき同盟軍人で、母親は帝国から亡命した平民。亜麻色の髪の美少年で、家事全般が得意で、父親がヤンを越える紅茶道楽だった ―― 彼女が知っている彼なのかどうか? さすがに調べる術はない。

「どうなさいました? ジークリンデさま」

 一度に襲ってきた驚きに、

「い、いいえ。あの……養子というのでしたら、ユリアン・グリーンヒルではないのですか? それともユリアン・ミンツ・グリーンヒルなのかしら?」

 動揺を隠すことなどできなかったので、彼女は無難な疑問をフェルナーにぶつけた。実際”それ”は読んでいる時にも気にはなっていた。

「ああ、それですか。ユリアンが名前で、ミンツが姓です。姓がグリーンヒルとならないのは、養育費が軍から出ていることが関係している模様です」

「そうですか。帰国したグリーンヒルは驚くでしょうね」

「そうでしょう」

「そのユリアン・ミンツとかいう少年、トラバース法で養子になったということは、やはり軍人になるのでしょうか」

「そこまでは分かりませんが、運動神経は良いようです。フライングボールのジュニア級の年間得点王だとか。結構な腕前なのでしょう」

―― 間違いなくユリアンですね。ヤン・ウェンリーの自宅は未だ床も見えないままってこと……キャゼルヌ先輩、仕事して!

 


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